「……え?」

 クイナの口から戸惑いの声が漏れる。
 はじまりの命に触れた直後、視界が闇に閉ざされたかと思ったら見知らぬ場所に佇んでいたのだ。
 何が起きているのか分からず、クイナは周囲の景色に目を向ける。
 いまクイナが立っているのは、何処かのビルの屋上だった。

「ここって……」

 アスファルトで覆われた地面。馬のいない鉄の馬車が道を行き交い、祭でもないのに多くの人の姿が見られる。
 何より城や塔の如き巨大な建造物が林立する光景は圧巻だった。
 文明レベルで言えば、中世に近い世界でクイナは生まれ育ったのだ。
 近代的な街並みを目にすれば、驚くのも無理はない。
 だが――

「リィンがいた世界?」

 錬金術の知識だけでなく、リィンたちの世界についてもクイナはある程度の知識を得ていた。
 だから比較的、動揺も小さかったのだろう。自分の身に何が起きているのかを冷静に考える余裕があった。
 はじまりの命に触れ、能力を発動して精神に干渉したところまでは覚えている。
 いまも、はじまりの命の心に干渉した際の繋がり≠フようなものは感じられるのだ。

「なら、ここは――」

 精神世界。はじまりの命の心の中だと、クイナは悟る。
 だが、そうすると疑問が一つ頭を過ぎる。
 この景色――どうして、リィンたちの世界のことを知っているのか?
 もしかしたら〈はじまりの大樹〉を通して、記憶の一部をフィーから手に入れた可能性はある。
 テオス・ド・エンドログラムと同化することで得た知識のなかには、進化の護り人やオベリスクに封じられていた種の記憶もあるからだ。

「え――」

 テオス・ド・エンドログラムの知識のなかに、この状況を説明できる手掛かりがないかとクイナが探っていると、いつの間にか色鮮やかな羽根を持つ一羽の鳥がフェンスの上に留まっていた。
 そう、それは――

「……パロ?」

 ずっと行方知れずになっていたバルバロス船長のオウム――リトル・パロだった。
 だが、ここは〈はじまりの命〉の精神世界だ。ここにリトル・パロがいるはずがない。
 奇妙な違和感を覚え、クイナは首を横に振る。

(この感覚。まさか……)

 先程も言ったように、クイナには〈テオス・ド・エンドログラム〉の記憶がある。
 だからこそ、分かる。リトル・パロから滲み出る気配に覚えがあった。

「大地神マイア……」

 そうクイナが口にした直後――
 リトル・パロの身体が眩い光を放ち、代わりに一人の女性が姿を見せる。
 母性を象徴する豊かな胸。そんな柔らかな肌を包み隠すように纏った枝葉。
 人間の赤ん坊ほどの大きさの丸い宝玉を両手に抱えた美しき女性。
 彼女の名は、大地神マイア。はじまりの大樹を創造し、世界に進化の概念をもたらしたとされる女神だった。

「よくぞ、きてくれました。まずは、あなたの勇気に敬意と感謝を――」

 マイアに感謝されることをした覚えのないクイナは困惑の表情を浮かべる。
 どちらかと言えば、その逆だと思っていたからだ。
 マイアの眷属を取り込み、彼女の夢≠奪い、眠りを妨げようとしているのだ。
 怒りや不満をぶつけられるのなら分かるが、とても感謝されるようなことではなかった。
 しかし、

「クイナ。あなたが未来を変えるために行動を起こさなければ、私はこの世界と運命を共にしていたでしょう」
「……それって緋色の予知≠フこと?」
「はい。あの者――リィンが持つ虚無の力≠ヘ、私たち神をも弑する力を秘めています」

 予知の通りに歴史が進めば、はじまりの大樹だけでなく自身も為す術なく存在を消させることがわかっていた、とマイアは話す。
 そんな話をマイアから聞き、ふとクイナの頭に過ぎったのは一つの疑問だった。

「もしかして、緋色の予知を私たちに見せたのは……」
「私です」

 まったく悪びれる様子もなく、はっきりと自分がやったことを認めるマイアにクイナは唖然とする。
 だとすれば、これまでマイアの手の平の上で踊らされていたと言うことになるからだ。
 俄には信じがたい――いや、受け入れられない話だった。
 その予知のためにどれだけの人たちが思い悩み、苦しんだかをクイナは知っているからだ。
 実際、クイナも後悔をしている訳では無いが、人であることを捨てている。

「誤解のないように言っておきますが、予知の内容は本当です。あのままなら世界は滅び、私も存在を消されていたでしょう」

 慌てて否定するマイアを見て、嘘は吐いていないのだろうとクイナは察する。
 人々がイメージする神と違い、いまの彼女は随分と余裕がないように感じられたからだ。
 それに仮にも世界を創造した女神にここまで言わせ、恐れられるリィンの力に驚かされる。

「リィンって、そんなに凄いの?」
「世界の歪みが生んだと言うには、余りに大きすぎる力。本来あの力は人の器≠ノ収まるものではありません。私たち神もまた虚無≠ゥら生まれたのですから――」
「……え?」

 虚無というのが、どういうものかは分からない。
 しかし、神様を生み出すような力がリィンのなかに眠っていると聞いて、クイナは驚く。だが、納得の行く話でもあった。
 クイナも〈想念の樹〉の力を借りて、存在の器を広げたのだ。
 そうして人であることをやめなければ、テオス・ド・エンドログラムと同化することは出来なかった。
 だが、リィンは非常識な力を持ってはいるが、元は人間のはずだ。
 どういうことかと尋ねるクイナに、

「恐らく、それは――」

 マイアが答えようとした、その時だった。
 地面が揺れたかと思うと、空に亀裂が走ったのだ。
 そして、割れるようにパラパラと崩れ落ちる暁の空。
 クイナは呆然とする。
 それは緋色の予知≠ナ見た光景と同じだったからだ。

「何が起きてるの?」

 空を見上げるマイアに、クイナは不安げな表情を浮かべ尋ねる。

「私たちの目の前に広がる景色は、彼等がやってきた世界ではありません」
「え?」

 思ってもいなかったことを聞かされ、クイナは目を丸くして驚く。
 てっきり、この街はリィンたちの世界のものだと思っていたからだ。
 だが、リィンたちの世界の景色でないのだとすれば、この高度に発達した街は一体なんだと言うのか?
 困惑するクイナに、マイアは答えを示す。

「この心象世界は、彼――リィンのものです。そして、ここは彼が生まれ変わる前に暮らしていた街」

 リィンの持つ前世の記憶を元に再現された世界。
 ここはリィンが生まれ変わる前に暮らしていた街だと、マイアは話す。
 嘗て、地球――と呼ばれた星。そして、

「この滅びの光景は、彼が心の憶測に仕舞い込み、忘れている記憶」

 いまはリィンの記憶の中にしかない。失われた世界。

「彼は一度、世界の終わりを体験しているのです」


  ◆


 周囲の獣たちを吸収しながら、巨大化していく黒い獣。
 四本の足に鱗で覆われた太い尾を持ち、背には巨大な翼が生えている。
 それは、古代竜。はじまりの命とクイナを呑み込んだ巨大な口の正体だった。

「うわ……なんか、凄いのがでてきたね。あれが、女神様?」
「いや、違うと思うが……」

 竜化したイオが頭を過ぎり、シャーリィの言葉を完全に否定できず唸るリィン。
 しかし女神というには、余りにも目の前の存在は禍々しかった。
 少なくとも話の通じそうな相手とは思えない。

「リィン。あれ、殺っちゃっていいんだよね?」
「……クイナが呑み込まれたことを理解してて言ってるんだよな?」
「うん。だから消化されちゃう前に、お腹を裂いちゃった方がいいかなって」

 言っていることは正しいが、明らかに喜色を含んだシャーリィの声にリィンは不安を覚える。

「リィンも早く来ないと、全部シャーリィがもらっちゃうよ!」

 もう待ちきれないとばかりに騎神で飛び出して行くシャーリィを見て、リィンは溜め息を吐く。
 以前、戦った巨神よりも遥かに大きな敵だ。感じ取れる存在感も、それ以上と言っていい。
 何より、胸のあたりがざわつくような感覚をリィンは抱いていた。
 まるで、滅ぼすべき敵が目の前にいると囁かれているような錯覚に陥る。
 シャーリィのように闘争本能に身を任せてしまいたい衝動に駆られるが――

「……緋色の予知か」

 クイナとダーナが見たという予知の話が、リィンの頭を過ぎる。
 この状況がまさに予知の通りだとすれば、迂闊な行動は取れない。
 少なくとも〈王者の法〉の力を使い、問答無用で消し飛ばすと言った真似は出来なかった。
 となれば、このままシャーリィに任せてみるのも一つの手かと、戦闘を眺めながらリィンは呟きを漏らす。

「そう簡単には行かないと思うよ」

 そんなリィンの考えを否定するかのように割って入ったのは、一人の少女の声だった。
 光と共に現れ、ちょこんとヴァリマールの肩に腰掛ける青い髪の少女。
 どことなくクイナと似た雰囲気を持つ彼女の名は、ノルン・クラウゼル。
 零の至宝によって生まれた虚なる神。並行世界のキーアだった。

「やっぱり、さっきクイナに力を貸したのは、お前だったか」
「うん。お姉ちゃんだしね!」

 そう言って自信満々に答えるノルンを見て、リィンは意味が分からないと首を傾げる。
 どういう意味か気にはなるが、それよりも先に確かめておきたいことがあった。
 シャーリィとテスタ・ロッサの力は、ノルンも知っているはずだ。
 ましてや、いまのテスタ・ロッサは魔王の力を取り込み、限界を超えた強さを手に入れている。
 幾ら、相手が巨神以上かもしれない巨大な竜とはいえ、易々と後れを取るとは思えない。
 なのに簡単に行かないとはどういうことかと、リィンはノルンに尋ねる。
 そんなリィンの疑問に、

「だって、あれ――」

 ガイアだよ、とノルンは答えるのだった。


  ◆


「リィンのいた世界が既に滅んでる?」
「はい。そして、その記憶≠ノよって、封じていた抑止力≠ェ目覚めてしまった」
「……抑止力?」
「想念が人の生きようとする意志なら、同じような意志が世界にもあると言うことです」

 人と同じような意志が世界にもある。そう言われて驚きつつも、クイナは納得した表情を見せる。
 世界があるがままを受け入れる存在なら、神の築いた摂理で歪みが生じるはずもないからだ。

「ガイア――星の名を持つ獣≠ヘ、彼を排除すべき敵と見なしてしまいました」

 世界の抑止力。それが、どういうものかは分からない。
 しかし、マイアが警戒するほどの存在だということは話から察することが出来た。
 だとするなら――

「もしかして、その抑止力にリィンを殺させるつもりじゃ……」

 もし、そうなら許さない。
 絶対にそんなことはさせないと強い決意の宿った目で、クイナはマイアを睨み付ける。

「信じてもらえるかどうかはわかりませんが、私に彼を害する意志はありません。むしろ――」

 抑止力に勝ってくれることを期待していると答えるマイアを、クイナは訝しむ。
 ガイアの話が真実で、ここまでの流れがマイアの描いた筋書き通りなのだとすれば、

「夢で世界に干渉したのは……ガイアを封じるため?」

 夢という手段で新たな世界を創造した意味も、そこに繋がるのではないかと考えたからだ。
 そんなクイナの問いに、マイアは肯定するように頷く。

「じゃあ、さっきの感謝するって……」
「ガイアが目覚めるのは時間の問題でした。予知の通りに歴史が進めば、ガイアと一緒に私は滅ぼされていたでしょう。ですが……」

 現在、覚醒したガイアのなかにはクイナがいる。少なくとも問答無用でガイアを消滅させるということはないはずだ。
 そうしてリィンとの戦いでガイアが弱ったところで、再び内側からガイアを封印する。それがマイアの描いた筋書きだった。
 そのためにリトル・パロを使い、人間たちのことを深く観察していたのだ。

「えっと……うん。リィンは優しいけど、シャーリィも一緒だし……」
「確かに、彼女と騎士の力は強い。それでもガイアを倒せるのは、根源たる虚無の力だけです」

 どれだけ強くても、シャーリィと〈緋の騎神〉では絶対にガイアを倒せないとマイアは断言する。
 そもそもマイアですら、はじまりの命の精神に干渉することで封じるのが精一杯だったのだ。
 自分一人でどうにか出来るのであれば、ここまで問題は大きくなっていない。
 人が考えるように神は全知全能の存在ではない。これが彼女に出来る精一杯のことだった。

「でも、リィンもやるときはやると思うよ?」
「……え?」

 世界の消滅と自分の命が懸かっているのだ。
 人間というものを理解しようと、マイアも努力はしたのだろう。
 しかし、その計画には穴があるとクイナは指摘する。

「リィンは――」

 猟兵だもの、とクイナは答えるのだった。



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