歳の頃は十歳前後と言ったところだろうか?
 膝下まで届く長い金色の髪。ルビーのように紅く煌めく瞳。
 魔術師のローブのようにも見えるドレスを纏い、背丈よりも大きな長杖を手にした少女がオルキスタワーの屋上に一人佇み、街の景色を眺めていた。
 杖の先端に魔力の灯りを点し、浅く広く探るように少女は探知魔術を展開する。

「フフッ、エマを街から引き離すことには成功したようじゃな」

 警戒していた魔力の持ち主が街にいないことを確認して、少女はほくそ笑む。
 いないのは当然だった。
 少女の手紙を受け取った相手は、今頃は里帰りをしている頃なのだから――
 とある目的を遂げるために、態とそうした状況を少女は作り上げたのだ。

「出来ることなら余人を交えず、灰の小僧とは話をしたいからの」

 保護者付きでは小言が五月蠅くていかん、と頭を振る少女。
 少女の目的。それはある人物≠ノ会い、話をすることにあった。
 遥か昔に袂を分かった相手が、その目的の人物と深い因縁があると知ったからだ。

「だが、どうやら先を越されたみたいだの」

 そう言って振り返りながら少女が杖を突き出すと、転位の光と共に一人の女性が姿を見せる。
 蒼いドレスを纏い、少女と同じ形状の杖を手にした彼女の名は――ヴィータ・クロチルダ。
 蒼の深淵の名を持つ〈結社〉の使徒だ。
 そして、少女と同じ〈魔女の眷属(ヘクセンブリード)〉でもあった。

「相変わらず、神出鬼没な人ね」
「ヌシもな。しかし、なるほどの」

 さすがにヴィータが待ち構えているとは思っていなかったのか、少女は心の底から驚きを見せる。
 だが、同時に少女にとって、ここにヴィータがいるのは納得の行く話でもあった。
 少しばかり上手く行き過ぎていると、疑っていたからだ。
 少女のことをよく知る彼女≠ェ、なんの警戒もなく呼び出しに応じるとは思えない。
 なんらかの布石を打っていると考えるのが自然だ。それが恐らくヴィータなのだろうと少女は察した。

「エマに頼まれたか?」
「ただ、留守を任されただけよ。あの子には少しばかり借りがあってね」

 そう答えるヴィータだったが、少女は話半分にしか聞いてはいなかった。
 ヴィータがエマのことを可愛がっていることは少女も知っているが、それが一番の理由ではないと察したからだ。
 実際、ヴィータが彼女――エマの頼みごとを引き受けたのは都合が良かったからだ。
 スポンサーの意向で少しばかりクロスベルに滞在する必要があったため、エマを利用しただけだった。
 しかしまさかその頼みごとで、こんな風に余り会いたくはなかった人物と再会するとは、ヴィータは自身の不運を呪う。
 とはいえ、留守を頼まれた以上は放置も出来ない。
 それに少女の目的が彼≠ノあるなら、ヴィータも黙って少女を行かせる訳にはいかない事情があった。

「ずっと逃げ回っていた放蕩娘≠ェ妾の前に顔をだし、庇うほどの男か。エマが帰って来ぬのも頷ける」

 そう口にした瞬間、ヴィータの気配が鋭くなったのを感じて、少女も杖を構える手に力を込める。
 一触即発と言った雰囲気を放つ二人。
 視認できるほどの強大な魔力が、両者の間でせめぎ合う。
 しかし、

「残念だけど、ここまでね」

 先に引いたのはヴィータの方だった。
 杖を下げたヴィータを見て、きょとんとした表情を浮かべ、少女も肩の力を抜く。

「どういうつもりじゃ?」
「これ以上やったら、あの子に気付かれてしまうもの」

 だが、すぐにヴィータがあっさりと手を引いた理由を察する。
 クロスベルに足を踏み入れた時から、誰かに見られているかのような視線を少女は感じていたからだ。
 どこから、どのように見られているのかは分からない。
 しかしこの街で、そんな真似が出来る者と言えば限られる。

「なるほどの……噂の巫女か」

 同じく至宝≠女神より託された一族の長として、クロイス家のことは少女もよく知っていた。
 マリアベルが〈零の至宝〉を完成させ、その結果生まれた巫女がリィンのもとに身を寄せていると言うことも――
 エマの留守を見計らってクロスベルの街を訪れたのは、その確認も目的の一つにあったからだ。

「言っておくけど、あの子には手を出さない方が身のためよ」

 零の巫女には手を出さない方が身のためだと、ヴィータは少女に警告する。
 少女の身を案じてと言うよりは、面倒に巻き込まれることを嫌ってのことだった。
 本音で言えば、何もせずに帰って欲しいと言うのがヴィータの本音だ。
 しかし、言ったところで少女が素直に忠告を聞かないことも分かっていた。
 だから警告を発したのだ。彼の――リィン・クラウゼルの怒りを買うような真似だけはするなと。

「心配は要らぬ。妾とて巨神≠滅ぼすような者と、事を構えるつもりはない。命が幾つあっても足りぬからな」

 その言葉に嘘は無いのだろうとヴィータは信じる。
 自信家で秘密主義ではあるが、少女は相手の実力が見抜けないような愚者ではない。
 戦わずとも良い相手、勝てない相手に正面から挑むような真似はしないと、そこだけはヴィータも少女のことを信用していた。
 そう、教えてくれたのは他の誰でもない。目の前の少女だからだ。
 しかし、それでも尋ねておかなければならないことがあった。

「それじゃあ、エマを街から遠ざけて、何をするつもりなの?」
「何、帝国で不穏な動きがあるのは御主も気付いておろう? その件に黒≠フ奴が関与しておるようなのでな」

 どうしてそのことを知っているのか、と言った様子で今度はヴィータの方が目を瞠る。
 少女が黒≠ニ呼ぶ存在。それはこの二ヶ月ほど、ヴィータがクロウと共に行方を追っている組織のトップに立つ人物の通称だった。
 その組織とは――黒の工房。嘗て、十三工房の一つに数えられていた組織だ。
 いまは〈結社〉とも袂を分かち、独自の行動を取っていた。

「その顔、やはり知っておったようじゃな。だが、上手くは行っておらぬのであろう? 用心深い連中じゃからの」

 痛いところを突かれたと言った様子で、ヴィータは苦い表情を浮かべる。
 幾つかの拠点を潰すことには成功したのもの本命に繋がる手掛かりはなく、少女の言うように余り成果が上がっていなかったからだ。
 だが、ヴィータが無能と言うよりは、相手の方が上手だったと言うだけの話だった。
 いま思えば、彼等が協力的だったのも〈結社〉の集めた知識や技術を吸い上げることが目的だったのだろうとヴィータは思う。
 最初から裏切るつもりで〈十三工房〉に所属していたと言うことだ。それは〈黒の工房〉と関係を持っていた他の国や組織も同じだった。
 誰一人として、黒の工房の本拠地が何処にあるのかを知らなかった。いや、正確にはアジトだと思っていたものが、すべてダミーだったのだ。
 そして、ようやく掴んだ手掛かりというのが、彼等がバラッド候に協力し、ノーザンブリアの件に関与しているという情報だった。
 だからヴィータは情報提供者であり、スポンサーでもある少女の意向で、この街へとやってきたのだ。

「妾にも独自の情報網はあるからの。それよりも、どうしてこのタイミングで動きだしたのか? 奴等の目的を知りたくはないか?」

 ヴィータの疑問に答えながら、逆に試すように尋ねる少女。
 そんな少女の言葉に何かを察した様子で、ヴィータはハッと息を呑む。

「まさか……」
「そのまさかじゃ。彼奴の狙いは――」

 巨神を滅ぼした男、リィン・クラウゼルだと少女は答える。
 だから、少女はエマの留守を狙って、この街へやってきたのだ。

「そう、そういうことなのね……」

 少女の目的を察したヴィータは納得した様子で頷く。
 そして、

「……よいのか?」
「この件で、私はあくまで協力者≠ノ過ぎないもの。選択は彼≠ノ委ねるわ」

 そう言って現れた時のように〈転位陣〉を展開し、姿を消すのだった。


  ◆


「まったく、不器用な奴じゃ……」

 ヴィータが去ったのを確認して、溜め息を交えながらそう呟く少女。
 あれだけのやり取りで、ヴィータは〈黒の工房〉の狙いを察したのだろうと少女は思う。
 その上で踏み込んで来なかったのは、リィンやエマに配慮したと言うことだ。
 しかし、

「妾も人のことは言えぬか」

 エマを遠ざけたのは、自分の我が儘≠セと少女は自覚していた。
 邪魔をされるのを嫌ったのではない。
 黒の工房の目的を知れば、エマは後悔するはずだ。
 そんなエマの悲しむ姿を見たくはなかった。

「お邪魔虫も去ったことじゃし、エマが帰ってくる前に用事を済ませるとするかの」

 そう言って〈転位陣〉を展開すると、ヴィータに続いて少女も光と共に姿を消すのだった。


  ◆


 ミュゼもといミルディーヌとの話を終えたリィンはカレイジャスに戻らず、オルキスタワーに用意された客室に泊まっていた。
 お茶会の名目で時間を取ったこともあり、翌日改めて依頼の内容を詰めることになったのだが、カレイジャスに一旦戻ろうとしたところでアルフィンから半ば強引に泊まっていくようにと促されたためだ。異世界のことなど、いろいろと聞きたいことがあると問い詰められれば、リィンも嫌とは言えなかった。
 そして、二人からの質問攻めにどうにか耐え、いまに至ると言う訳だ。

 あてがわれた部屋で疲れきった表情を浮かべ、ソファーに体重を預けるリィン。
 顔を上げ、壁に備え付けられた時計の針を見れば、時刻は既に零時を回っていた。
 女生徒たちと一緒にミュゼが帰ったのが夕刻過ぎ。
 アルフィンやエリゼと一緒に夕食を取り、そこから五時間以上も質問攻めにあっていたことになる。

「まさか、ダーナやラクシャ。それにグリゼルダの話に、あんなに食いついてくるとは……」

 どのみち、セイレン島でのことはフィーも知っている。隠しておけることでもないのですべて正直に話したのだが、それが失敗だった。
 政治に明るいアルフィンやエリゼの意見が欲しいと、エタニアの今後について相談をしようと思っていたのだが、何故かリィンの女性関係の話へと発展したのだ。
 プリンセスキラーとか意味の分からないことで非難され、挙げ句にはグリゼルダたちを紹介する約束までさせられてしまった。
 どうしてこうなった、とリィンが疲れきった様子で溜め息を吐くのも無理からぬことだった。
 とはいえ、リィンもバカではない。この手の話で、自分に信用がないことは自覚している。
 下手に言い訳をしても、むしろ状況の悪化を招くだけだと考え、甘んじて受け入れることにしたのだ。

(取り敢えず、あっちの世界のことを考えるのは後だ。まずは――)

 ノーザンブリアの件に集中しようと、リィンは気持ちを切り替える。
 そして、

「……いつまで、隠れている気だ?」

 何もない空間に向かって、リィンが声を掛けた直後――世界が緋色に包まれ、制止した。


  ◆


 世界が緋色に染まった直後、身の丈よりも長い杖を携えた金髪の少女が姿を見せる。

「……時間を止めた。いや、空間を切り取ったのか?」
「ほう、この結界のなかで普通に動けるとは、あの放蕩娘が気に掛けるだけのことはあるの」

 止まった時計の針を眺めながら冷静に状況を確認するリィンを見て、少女は感心した様子で頷く。
 この結界は少女が得意とする魔術の一つで、外界と隔絶された位相空間を創り出すものだった。
 適性のない者は結界のなかでは身動き一つ取ることが出来ず、何が起きているかも認識することは出来ない。
 なんでもないかのように動けるリィンを見て、少女が感嘆するのも当然のことだった。

「これと同じような異能を使う奴を知ってるからな」
「ふむ……妾も心当たりがあるぞ。其奴は眼鏡を掛けた胡散臭い感じの男であろう?」

 どうやら共通の知り合いがいるようだと、リィンは少女の言葉に頷く。
 ここに本人がいれば文句の一つも口にしたであろう男の名は、トマス・ライサンダー。
 彼のことを知る者であれば、皆が『胡散臭い眼鏡の男』と称するであろう教会の守護騎士だ。

「あの男を知ってるってことは、教会の人間か?」
「教会とは少しばかり協力関係にあるが、所属したことは一度もないの」
「なら……」

 エマやヴィータのお仲間か、と言われ、少女は目を瞠る。
 だが、リィンは少女の持っている長杖を指さしながら、そんな少女の疑問に答える。

「ヴィータと同じ形状の杖を持っていればな。本気で隠す気ないだろ?」

 リィンに杖のことを指摘され、なるほどと納得した様子で頷く少女。
 少女が手にしているのは、魔女の証たる杖だ。
 ヴィータが持っているのも、少女が与えたものだった。

「で? 小さな魔女さんは、こんな夜更け過ぎに男の部屋≠ノ何の用だ?」

 からかうような口調とは対照的に、視線で威圧しながら少女に尋ねるリィン。
 返答によっては、この場で戦いも辞さない。
 そんなリィンの意志を感じ取り、少女は静かに息を呑む。
 甘く見ていたつもりはない。それでもリィンが身に纏う力は、少女の想像を大きく超えるものだったからだ。

「確かに礼を失しておったな」

 争うつもりはないと、少女は謝罪の意志を示す。
 そして――

「妾の名は、ローゼリア・ミルスティン」

 名を告げる。
 彼女こそ『赤い月のロゼ』と呼ばれる小説のモデルともなった真祖の吸血鬼にして、

「そして、エマの祖母にしてヴィータの師匠でもある」

 魔女の眷属の長。

「ロゼ、と呼んでもよいぞ」

 通称〈緋のローゼリア〉の異名を持ち、八百年以上の歳月を生きる伝説の魔女≠セった。



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