「エタニアに派遣する部隊の指揮を俺に?」
「ああ、と言っても居住環境を整えるのが主な仕事だ」

 人間、最低限の生活を送るには、衣・食・住の三つが必要だ。
 セイレン島は周りを海に囲まれている上、自然も豊富なことから自給自足での生活は難しくない。
 足りない物資も調達の目処が立ったことから、衣と食については見通しが立った。
 だが、住まいやインフラに関しては、これから整えていく必要がある。
 入植希望者を募るにしても、雨風を凌げる場所くらいは必要になるとリィンは考えていた。

「どのくらいの施設が必要なんだ?」
「いまもノーザンブリアに残っている人々の数は、凡そ三万人だそうだ」
「……三万か」

 多いか少ないかで言えば、決して多いとは言えないだろう。
 ここクロスベルの総人口が約五十万人。帝国の首都ヘイムダルなどは、八十万人を超す人間が暮らしている。
 嘗て、公国と呼ばれていた頃はノーザンブリアにもそのくらいの人々が住んでいたはずだが、いまは大きく人口を減らしていた。
 というのも、ノーザンブリアの異変や〈塩の杭事件〉とも呼ばれる大災厄で総人口の八分の一が死亡し、その後に起きた暴動とクーデターで人口の三分の一を超える人命が失われたからだ。
 更に難を逃れた人々も、その大半が生き延びるために生まれ育った土地を捨て、他国へと渡っていた。
 いまもノーザンブリアで暮らしているのは頼れる身寄りもなく取り残された人々と、そんな彼等を見捨てられず、国に残ると決めた元公国軍の兵士たち――現在は〈北の猟兵〉と名乗っている者たちだ。
 自治州として独立した当初は、まだ十数万人いた人口も今や三万人に満たない数しか残っていない。
 毎年のように少なくない餓死者をだしながらも、どうにか〈北の猟兵〉が獲得した外貨で食いつないでいると言ったところだ。
 あの悲劇から二十七年の歳月が経つが、ノーザンブリアは復興の兆しを見せるどころか、いまも地獄のような光景が広がっていた。
 とはいえ、

「さすがに俺たちだけじゃ、それだけの人数を収容できる施設を建設するのは難しいぞ」

 少ないと言っても、それは他の国や自治州と比較すればだ。三万人と言えば、小さな衛星都市くらいの人口はある。
 それだけの人間を収容できるだけの建物を用意するというのは、さすがにヴァルカンたちだけでは無理があった。
 その点はリィンも理解している。だが、それは一から街を造る場合の話だ。

「ああ、だからエタニア時代の遺跡を再利用するつもりだ」
「……それって、大丈夫なのか?」

 遺跡と言うからには相当に古い建物であることが察せられる。
 老朽化による倒壊と言った事故を、ヴァルカンが危惧するのは当然だった。
 しかし、その心配はないとばかりにリィンは首を縦に振る。

「ベルの調査によると、その心配は低いそうだ」

 人の手が入らなければ普通は朽ち果てるものだが、エタニアの遺跡は当時のままの姿を現在も保っていた。
 倒壊している建物は老朽化が原因ではなく、隕石の衝突によって崩れたものが大半だ。
 だが、リィンの話を聞き、ヴァルカンは不思議そうに首を傾げる。
 エタニアが優れた建築技術を有していたと言うのは間違いないだろうが、それだけでは説明がつかないからだ。

「恐らくは〈はじまりの大樹〉の力が島全体に影響を及ぼしてるという話だ」

 同じような例を挙げれば、古代種もそうだ。
 島の外では絶滅したとされる古代種が、何故かセイレン島では今も生息している。
 その理由として、はじまりの大樹の加護が島の環境に影響を及ぼしていると言った仮説をベルは立てていた。
 進化の護り人が持つ不老不死の力と同様に、時の流れから保護する力が島全体に働いているのではないかと考えたのだ。
 至宝の力はヴァルカンもよく知っているだけに、そういうこともあるかと一先ずリィンの話に納得する。

「とはいえ、最低限生活できるだけの環境を整える必要がある」

 建物が無事だからと言って、数万年もの間ずっと放置されていたのだ。人が生活するには十分な環境とは言えない。
 とはいえ、エタニア時代の遺跡――王都アイギアスへの供給が途絶えていた理力の問題は、クイナのお陰で解決したとベルからの報告書には書かれてあった。
 嘗ては巨大な水晶石が存在し、そこに蓄えられた理力を地脈を通じて島全体に行き渡らせるシステムが組まれていたらしい。
 水晶を使った転位装置が、まさにそのシステムを利用した副産物と言えるものだった。
 だが、隕石の衝突を食い止めるために蓄えられた理力を根こそぎ消費し、王都のシステムは休眠状態にあったのだ。
 それを解決したのが、クイナだった。

 嘗て、王都の中央にそびえ立っていた巨大な水晶柱。その代わりを〈はじまりの大樹〉に担わせることで、王都への理力供給を回復させたのだ。
 だが、王都に理力が供給されるようになったからと言って、すべてが元通りと言う訳にはいかない。隕石の衝突によって破壊され、修理や補修が必要な施設も少なくはないからだ。
 何より背の高いエタニア人に合わせて造られた街だ。人間には不便な構造をしている建物が多かった。
 そうした街の改修にダーナやサライの他、〈進化の護り人〉たちも手を貸してくれているそうだが、とにかく人手が足りない。
 そこで物資の他にも追加の人員を寄越すようにと、ベルからの手紙には書かれてあったのだ。

「ノーザンブリアの件が片付くまで待たせると、ベルが暴走しかねないからな……」

 そちらが本音か、とヴァルカンは溜め息を吐く。
 ベルがあちらの世界に残ったのは、異世界の技術と知識を学ぶためだ。
 王都への理力の供給を回復させるのに尽力したのも、結局のところは研究を効率的に進めるために他ならなかった。
 だから、余計なことに時間と労力を割かれたくはないのだろう。
 ようするに自分の代わりに手足となって働く労働力をさっさと手配しろと、ベルは言っているのだ。

「頼めないか? 他に任せられそうな奴はいないんだ」

 リィンの要請に、ヴァルカンは顔をしかめる。
 必要なことだと言うのは理解できるが、ベルの我が儘に付き合わされるのは堪ったモノじゃない。
 そんなヴァルカンの気持ちは痛いほどにリィンも理解できた。
 しかし、他に任せられそうな人材もいない。そこで――

「警備隊に演習場の利用を申請したら断られたんだが、何か知らないか?」

 奥の手を切る。
 なんのことを尋ねられているかを察して、バツの悪そうな顔を見せるヴァルカン。
 先日の模擬戦の件だ。原因はフィーにもあるのだが、そもそも模擬戦を持ち掛けたのはヴァルカンだ。
 責任の大半は自分にあると、ヴァルカンも自覚していた。
 しかも完全に修復するには至らず、壊れた塀の修繕費などは〈暁の旅団〉が弁償することになったのだ。
 まだ、そのことを報告していなかったことを思い出し、ヴァルカンはガクリと肩を落としながら頭を下げる。

「はあ……分かった」

 それに、ごねたところで誰かがやらなくてはならないことだ。
 リィンが〈黒の工房〉の件で手が放せない以上、自分が適任だと言うことはヴァルカンも理解していた。
 だが、

「助かる。グリゼルダからの情報で、ロムンに不穏な動きがあるとも書かれてあったからな。シャーリィの抑えは必要だし、ちょっと困ってたんだ」
「……おい」

 追加でだされた情報に、先に言えとばかりにリィンを睨み付けるヴァルカン。
 戦力としてはシャーリィ一人でお釣りが来るくらいだとリィンは思っているが、島の守りはそれで良いとしてもセルセタの件がある。
 臨機応変に対応するため、ある程度の戦力は用意しておく必要があると考え、リィンは部隊の派遣を決めたのだ。
 それに、シャーリィを抑えられる人間が必要なのも本当のことだった。
 ベルでは正直、シャーリィの抑えとしては余り期待できないと言うのがリィンの本音だ。その点、ヴァルカンはまだ常識≠ェある。
 シャーリィもヴァルカンのことは一目置いているので、命令を無視すると言うことはないだろう。
 猟兵としてのキャリアでは、ヴァルカンの方が上だとシャーリィも認めているからだ。

「……クロスベルの方はどうするつもりだ?」

 もう半ば諦めた様子で、ヴァルカンは他のことを尋ねる。
 クロスベル政府との契約がある以上、メンバー全員が出払うと言う訳にはいかない。
 暁の旅団が抑止力となっているからこそ、現在のクロスベルの平和があるのだ。となれば、連れて行ける人員にも限りがある。
 エタニアの方に戦力を割けば、ノーザンブリアの方にまで手が回らない。
 そうしたヴァルカンの考えは、リィンも理解していた。
 とはいえ、

「留守はスカーレットに任せ、ノーザンブリアの方は少数精鋭で当たるつもりだ。それに万が一、共和国が攻めてきたとしても転位≠ェあるしな」

 精霊の道を使えば、一瞬にしてノーザンブリアからクロスベルへ移動することも出来る。
 先の異変でカレイジャスが〈転位〉するところは見せているので、共和国も理解しているはずだ。
 そうしたことから少々街を離れた程度では、共和国がクロスベルへ侵攻してくる可能性は低いだろうとリィンは見ていた。

「転位か……〈結社〉の連中も使ってるって話だが……」
「あっちの世界に行ったら、島の中の移動手段は転位≠ェ基本になる。嫌でも慣れると思うぞ」
「マジか」

 リィンの話に目を丸くして驚くヴァルカンだったが、転位装置の改良にも着手を始めたとベルからの報告には書かれていた。
 研究が上手く行けば、他の世界でも騎神抜きでの〈転位〉が可能になると言う話だ。
 その実験のため、いまはセイレン島とセルセタを結ぶ転位装置の開発を進めているらしい。
 それだけに、リィンはベルの研究に期待を寄せていた。

「そういや、どうして演習場を借りようと思ったんだ?」

 そんなリィンの話に感心した様子で頷きながら、ふとヴァルカンは思い出したかのように尋ねる。
 余り聞かれたくはなかったのだろう。今度はリィンの方が微妙な反応を見せる。
 とはいえ、隠していても何れバレることだ。
 仕方がない、と言った様子で溜め息を交えながらリィンは重い口を開き、

「オーレリアに決闘を申し込まれた」

 昨晩、何があったかをヴァルカンに説明するのだった。


  ◆


 リィンがいるタイミングを見計らったかのように、オーレリアが〈ノイエ・ブラン〉を訪ねてきたのは昨晩のことだった。

「雇って欲しいって……本気か?」

 そこでリィンは思いもしない相談を持ち掛けられたのだ。
 ――〈暁の旅団〉で雇って欲しい、と。
 あの〈黄金の羅刹〉の異名を持つ貴族派の英雄が猟兵団に入りたいなど、なんの冗談だとリィンは耳を疑い、説明を求めた。

「一体なにがどうして、そんな話になった? お前、貴族派の英雄だろ?」
「そなたに英雄などと呼ばれるのは面映ゆいがな。だが一つ訂正しておくと、私は既に帝国貴族≠ナはない」
「は?」
「先の敗戦の責任を負わされてな。ラマール領邦軍・総司令の任を解かれ、領地を没収の上、爵位も剥奪された」

 正式に通達があったのは昨日のことだ、とオーレリアはなんでもないかのように話す。
 しかし、先の内戦の後始末がまだ済んでいないこともあって、オーレリアの処分は保留されていたはずだ。
 貴族院からの正式な通達だという話だが、リィンは腑に落ちないものが感じる。

「……手を回したのはバラッド候か?」
「恐らくな。私がミルディーヌ様に味方したのを危惧してのことだろう」

 だが、それにしてもセドリックやオリヴァルトは何をしてるんだと、リィンは不審に思う。
 領地の没収や爵位の剥奪など、貴族院が勝手に出来ることではない。皇帝の裁決が必要なはずだ。
 幾らなんでもセドリックやオリヴァルトが本人の意志を確認することなく、そんなものを認めるとは思えない。
 だとすれば――

「お前、まさか……」
「首謀者が死亡している以上、誰かが責任を取らねば収まらぬことだ。我が身一つで領邦軍が解体を免れるのであれば、悪い話ではない。私の代で伯爵家を途絶えさせてしまったことには、少しばかり申し訳なく思うがな」

 部下を――そして腹心のウォレスを庇い、自ら身を引いたのだとリィンはオーレリアの考えを察した。
 確かにカイエン公やアルバレア公だけでなく、ルーファスも死亡しているとあっては、もはや責任を取れるのはオーレリアしかいない。
 どういう事情があるにせよ、彼女が貴族連合軍の総司令を務めていたことは事実なのだ。
 むしろ、極刑に処されなかっただけ寛大な処分だと、世間は受け取るだろう。

「だからって、そこから猟兵にってのは飛躍し過ぎじゃないか?」

 家が没落したのは仕方がないにしても、オーレリアほどの才覚があれば他に仕事は幾らでもある。
 世間から猟兵がどんな目で見られているかは、オーレリアも理解しているはずだ。
 何も猟兵に身を落とすこともないだろうと心配してのことだったのだが、

「好いた男の傍にいたいと思うのは、そんなに変なことか?」
「うっ……」

 少しも好意を隠そうとしないオーレリアに、リィンはたじろぐ。
 出会いは最悪だったが、オーレリアの気持ちを察せられないほどリィンは鈍くなかった。
 だが、オーレリアのそれはシャーリィと似た感情だと感じていた。
 どうせ子供を作るのなら、自分を負かした男の子供を孕みたい。謂わば、獣の本能に近いものだ。

「……ミュゼの護衛はどうする気だ?」
「勿論、途中で投げ出すつもりはない。だが、五日後の列車で共に帝都へ向かうのであろう?」

 オーレリアにはまだ話していないはずだが、やはり読まれていたかとリィンは溜め息を吐く。
 アストライア女学院の生徒が帝都に戻るのに合わせて、リィンも帝都へ向かう手はずを整えていた。
 表向きはアルフィンからの依頼で、アストライア女学院の生徒を帝都へ無事に送り届けるのが仕事だ。
 そう考えると、オーレリアが雇って欲しいと言った理由もなんとなく見えてくる。
 爵位を失った彼女の立場は弱い。仮に帝国貴族が接触してきた場合、現在のオーレリアの立場では完全に無視すると言うのは難しい。そうした弱みにつけ込み、面倒な連中が寄ってくることは容易に想像が出来た。
 いまはミュゼに雇われているとはいえ、ミュゼ自身も次期カイエン公の候補者と言うだけでまだ爵位を持っていないのだ。実際ミュゼが〈暁の旅団〉に助けを求めてきたのは、後ろ盾が欲しかったというのも思惑の一つにある。正確には〈暁の旅団〉の背後にいると思われているアルフィンとの関係を、貴族たちに臭わせることが狙いだったと言うことだ。

「それに、私は猟兵だからと言って低く見るつもりはない。戦場を好むと言う意味では、少なくとも遊撃士よりは性に合っているのではないかと思っている」

 そう言われると、妙な説得があった。
 実際、星杯騎士団の総長を務めるアイン・セルナートも、元は猟兵だったという話をリィンは思い出す。
 実力だけでなく性格的にも、オーレリアに近い女性と言えるだろう。
 だが、それでも決断できずにいるリィンを見かねて、オーレリアは妥協案を口にする。

「ふむ……やはり、そう簡単には行かぬか。なら、武人らしく戦いで決着を付けるというのはどうだ?」
「は?」

 リィンの口から困惑の声が漏れる。
 どうしてそうなる、と言った表情を浮かべるも、

「入団試験くらいは受けさせてくれても、罰は当たらぬであろう?」

 そう言ってニヤリと笑うオーレリアを見て、最初からこれが本命≠セったのだとリィンは気付かされるのだった。



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