オーレリアが望んでいるのは、ただの模擬戦ではなく限りなく実戦に近い立ち合いだ。
 だが、リィンとオーレリアが本気でぶつかれば、確実と言っていいほど周囲に大きな被害がでる。
 警備隊に打診したが演習場を借りられなかったことを理由に、リィンは取り敢えず問題を先送りにしようと思っていたのだ。
 しかし、

(まさか、先手を打たれるとはな……)

 今朝早く、カレイジャスに届けられたオーレリアからの手紙には、第一機甲師団の演習地が借りられたと書かれていた。
 第一機甲師団と言えば、帝都ヘイムダルに駐屯する機甲師団だ。その演習地は当然、帝都の郊外にある。
 アルノール皇家のお膝元であることを考えれば、セドリックやオリヴァルトも一枚噛んでいると見るべきだろう。

(何が狙いだ?)

 アルフィンからの依頼という体裁を取ったのは、普通に帝都へ立ち寄ったのでは警戒されて街に入れない可能性を憂慮したからだった。
 実際、猟兵の出入りを制限している国や自治州は少なくない。リベールなどは法律で猟兵を厳しく取り締まっているくらいだ。
 帝国は猟兵の運用や行動を制限する法律はないが、いまはノーザンブリアの件でゴタゴタとしているところだ。
 いろいろと理由を付けて行動が制限される可能性は十分にあると、リィンは考えていた。
 そんな時期に第一機甲師団の演習地を借りられたと言われれば、何かしらの思惑や取り引きがあったと考えるのが自然だ。

(まさか、ミュゼが言っていたように、これを餌≠ノ使う気か?)

 少なくとも注目を集めると言う意味では、ミュゼが望む餌≠ニしての役割は十分に果たせるだろう。
 だが餌と言う意味では、リィンが帝都へ向かうだけで十分その役割を果たしていると言える。
 アルフィンが迎賓館で行ったという会談の件といい、やはり帝都で何か起きていると考えるのが自然だろう。

(アルフィンは勿論だが、ミュゼにも探りを入れておく必要があるな)

 何か隠しているのであれば、問い質す必要がある。
 しかし今回の件に関して言えば、ミュゼが直接関与している可能性は低いとリィンは見ていた。
 そんな疑われるような真似をしても、彼女には何のメリットもないからだ。
 むしろ、リィンとの関係が悪化して困るのはミュゼの方だ。
 それはオーレリアにも同じことが言えるはずだが――

(そのあたりのことをオーレリアが理解していないとは思えない。なら、やはりこれは……)

 模擬戦の場所に帝都近郊の演習地を指定したのは、そちらに目を向けさせたい別の思惑があるのだとリィンは考える。
 となれば、そのつもりでこちらも準備を進めておく必要があるだろうと考え、

「やはり、フィーにはアリサと別行動を取ってもらうのがベストか」

 リィンは溜め息を吐きながら、そう呟く。
 帝都で何が起きるか分からない以上、保険は用意しておくべきだ。
 それにシャロン以外にもアリサの護衛は必要だとリィンは考えていた。
 仕事の引き継ぎや母親への報告を兼ねて、一旦ルーレへ帰省するとアリサから報告を受けたためだ。

(恐らくアリサの目的は……)

 母親に父親のことを問い質すのが、アリサの一番の目的だろうとリィンは踏んでいた。
 リィンがアリサの話に同意したのも、何かしらの情報を得られるのではないと考えたからだ。
 任せろと言ったところで、アリサのことだ。〈黒の工房〉の件に首を突っ込んでくることが目に見えている。
 なら、監視の意味も込めてフィーを護衛につけておくのは懸命な判断だろう。
 シャロンを疑っている訳では無いが、相手の情報は疎か、戦力すら明らかになっていないのだ。
 甘い考えは命取りになる。常に最悪の事態を想定して動く必要があると、リィンは〈黒の工房〉への警戒を強めていた。

(杞憂であれば良いがな……)

 ただの勘だ。しかし、こういった時の勘が良く当たるのをリィンは知っている。
 実際、そうした直感に助けられたことは一度や二度ではない。戦場で培った経験則のようなものだった。

「となると、やはり帝都に同行するメンバーは――」

 団員の名前を記した名簿にリィンが視線を落とした、その時だった。
 コンコン、と扉を二回ノックする音がカレイジャスの艦長室に響く。
 開いてるぞ、とリィンが返事をすると扉の向こうから姿を見せたのは、

「朝早くにすみません。少し、よろしいですか?」

 紫の戦闘装束に身を包んだリーシャ・マオだった。


  ◆


「シュリ・アトレイドって言うと、アルカンシェルの?」
「はい。その……リィンさんに会って話がしたいと……」
「連れてきてるのか?」
「……船の外で待って貰っています」

 強引に押し切られたと言ったところだろうと、申し訳なさそうに顔を伏せるリーシャを見て、リィンは察する。
 直接の面識はないが、シュリのことをリィンは以前から知っていた。
 情報の出所は原作知識≠セ。

(確か、ノーザンブリアの出身だったか)

 食うに困って故郷を捨て、仕事を求めてクロスベルに集まってくる流民は多い。だが、流れ者が普通の仕事に就くのは難しい。学や手に職がなければ尚更だ。大抵は真っ当な仕事を見つけられず、犯罪へと手を染めていく。そう言う意味ではイリアに拾われ、アルカンシェルで雇ってもらえたシュリは恵まれたケースと言えるだろう。
 だが、よくある話だ。運が良かったと言うだけで、そんな話は特に珍しくもない。
 これまでリィンがシュリに興味を示さなかったのは、その必要性を感じなかったからだった。
 なのにシュリの方から接触してくると言うのは、リィンにとっても予想外だった。
 劇場には何度か足を運んでいるので、ひょっとしたら顔くらいは合わせていたかもしれないが、話をしたことは一度もないからだ。

「リーシャ。まさかとは思うが……」
「女神に誓って、依頼の内容は話してません!」

 このタイミングでノーザンブリア出身の少女が接触してきたのだ。リィンがリーシャを疑うのは当然だった。
 だが、本気でリーシャが依頼の内容を漏らしたと、リィンは思っていなかった。
 彼女自身、嘗ては〈銀〉の名前で暗殺稼業を行っていたのだ。
 少なくとも依頼の内容を、親しい相手だからと言って第三者に漏らすとは思えなかった。
 となれば、シュリの目的が気になる。

「……いいだろ。ここに連れてきてくれ」
「えっと、本当に良いんですか?」
「ああ、リーシャの妹分みたいなものだろ? 俺も少し興味≠ェあるからな」

 そう話すリィンを見て、リーシャは不吉な予感を覚えるのだった。


  ◆


「〈暁の旅団〉団長、リィン・クラウゼルだ。こうして顔を合わせるのは初めてか?」
「シュリ・アトレイド……俺は何度か、アンタの姿を目にしてるけどな」
「それは悪かったな。声を掛けてくれれば、挨拶くらいはしたんだが」

 相手の出方を探るようにシュリと言葉を交わすリィン。
 二人きりでの会談をシュリが望んだと言うこともあり、この場にリーシャは同席していない。
 しかも、ここは猟兵団の船の中だ。普通であれば畏縮するところだが、堂々としたシュリの態度にリィンは感心する。

(まあ、若干強がっているみたいだが……)

 恐い物知らずとも取れるが、初日公演の日に遠巻きから様子を窺うことしか出来ないでいた大人たちと比べればマシだ。
 ノーザンブリアの出身という話だし、猟兵と話をするのは、これが初めてではないのだろう。
 それに生きるのに必死なのは、大人も子供も同じだ。
 弱気なところを見せれば、弱者は強者に搾取されるだけだ。
 シュリがそういう場所で生きてきたというのは、一目見れば察することが出来た。

「で? 俺に話ってのはなんだ? まさか、団に入れて欲しいって話じゃ無いんだろう?」
「当たり前だろ!? 俺はイリアさんやリーシャ姉みたいなアーティストになるって決めてるんだ!」

 イリアやリーシャを慕う気持ちに嘘はないのだろう。
 だが、微かに敵意のようなものを感じる。
 リィン自身はシュリに嫌われるようなことをした覚えはないが――

(いや、ないこともないか)

 本人の自業自得とはいえ、イリアに対して結構ぞんざいな扱いをしている。
 イリアを慕っているシュリが反感を持つ可能性は十分にあった。

「もしかして、イリアの件で怒ってるのか? あれは……」
「はあ? そんなので怒る訳ないじゃん。イリアさんが非常識なのは、いまに始まったことじゃないし」

 劇団の後輩。しかも十四歳の子供に非常識と言われるイリアに、リィンはなんとも言えない感情を抱く。
 トップスターがそれでいいのかと思うが、天才と変人は紙一重とも言う。

(そう言えば……)

 以前、リベールで知り合ったティータの母親、エリカ・ラッセルのことを思い出し、妙な納得を覚えるリィン。
 アーティストと科学者という違いはあれ、一度火がつくと周りが見えなくなると言う意味では、よく似た性格をしているからだ。

「じゃあ、話ってのはなんだ?」

 本当にノーザンブリアの件だったりするのかと考え、リィンは警戒を滲ませながら尋ねる。
 もしノーザンブリアの件で相談があるのだとすれば、シュリに話を吹き込んだ第三者がいると言うことになる。
 となれば、バラッド候や〈黒の工房〉が仕掛けた罠という可能性も考えられる。
 タイミングがタイミングだけに、リィンが警戒するのは当然だった。
 だが、

「リーシャ姉のことだ」
「はあ?」

 警戒していただけに、一瞬なにを言われているのか分からずリィンは困惑の声を漏らす。

「お前、リーシャ姉のことをどう思ってるんだ!? あ、あんな……二人も女を侍らせて!」

 二人というのは、アリサとエリィのことだろう。
 恐らく初日公演で一緒にいたところを、シュリに見られていたのだとリィンは察する。
 顔を真っ赤にして「リーシャ姉のことを本気で考えてるのか?」とか「あの二人とはどういう関係なのか?」と問い詰めてくるシュリを見て、

(……そっちか)

 警戒して損をしたと肩の力を抜き、リィンは溜め息を漏らすのだった。


  ◆


「気は済んだか?」

 隠すようなことでもないので、リィンはシュリが納得いくまで質問に答えた。
 誤魔化すどころか余りに堂々としたリィンの態度に、シュリの方が戸惑いを隠せなかったくらいだ。

「ロイドみたいな奴が他にもいるなんて……」

 そう呟きながら肩を落とすシュリに、リィンは「心外だ」と反論する。

「俺は唐変木≠カゃないぞ。アリサやエリィの気持ちにちゃんと応えてる」
「でも、女誑しには違いないだろ?」

 シュリの的を射た指摘に「ぐっ……」とリィンは言葉を詰まらせる。
 自分から口説こうとしたことは一度もないが、女誑しでないかと聞かれれば反論できなかったからだ。

「もう、あの二人のことはいい。でも、リーシャ姉の気持ちも考えろよな!」
「ああ……まあ、そういう話になるよな。でも、良いのか? その反応を見るに、反対なんだろ?」

 リーシャの気持ちを考えろと背中を押すような真似をしているが、シュリが快く思っていないことは態度からも察せられる。
 リィン自身、余り褒められたことをしているとは思っていないのだ。
 責任はきちんと取るつもりだが、傍から見れば女誑しだなんだと言われても仕方がない。

「……俺が反対したって、リーシャ姉の気持ちは変わらないだろ? それにリーシャ姉には幸せになって欲しいしな」

 本気でリーシャのことを心配しているのだろう。
 真っ直ぐなシュリの気持ちが伝わってくるようで、リィンは少しバツが悪い表情を浮かべる。
 本当のところ、リーシャの気持ちも察していたのだ。
 なのに気付かない振りをしていたのは、シャーリィを刺激しないためだった。
 だがアリサの件にせよ、後回しにしてきたツケがまとめてやってきたと言ったところだろう。
 自分で撒いた種だ。シュリの言うように真剣に考え、ちゃんと答えをだすべきだろうとリィンは覚悟を決める。

「分かった。リーシャのことは真剣に考える。男と男の約束だ」
「俺は女≠セ!」

 そう言えばそうだった、とリィンはシュリが女だったことを思い出す。
 中性的な顔立ちをしているので、いまのように男と見紛う格好をしていると誤解されやすい。
 微かに胸が膨らんでいるので、よく観察すれば分かることなのだが、ロイドが一目でシュリを女と見抜けなかったのも無理はないとリィンは考える。

「お前、どこを見て……!?」
「いや、勿体ないと思ってな。もっと女らしい格好をすれば可愛くなるのに……」
「かわっ……」

 リィンが思ったことを口にすると、顔を真っ赤にして狼狽えるシュリ。
 男慣れしていないことは、その反応を見れば明らかだった。
 普段、男の格好をしているのは、女である自分を隠すためでもあるのだろう。
 謂わば、強がって見せたり男装を好むのは、自分を強く見せるための処世術と言うことだ。
 だが、どれだけ自分を偽っても、シュリが女であることに変わりはない。
 分かり易い反応を見せるシュリを見て、リィンの中にちょっとした悪戯心が芽生える。

「シュリ」
「……なんだよ?」
「猟兵に頼みごとをするには、対価が必要だって知ってるよな?」

 ノーザンブリアの出身なのだ。
 猟兵に頼みごとをすると言うことがどういうことなのか、知らないはずがない。
 うっ……と嫌な予感を覚えて後ずさるシュリに、

「報酬は身体≠ナ払ってもらおうか」

 リィンはニヤリと笑いながら、そう告げるのだった。



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