「……意外ですわね」

 そう話すベルの視線の先には、赤ん坊をあやすシャーリィの姿があった。
 アリスンがラクシャに付き添って大浴場に行ってしまったため、一時的にエドがアウロラの面倒を見ていたのだが、母親が近くにいないことを感じ取ったのか? 一向に泣き止んでくれず途方にくれていたのだ。そこに山籠もりから帰ってきたばかりのシャーリィが現れ、あっと言う間に赤ん坊を泣き止ませてしまったと言う訳だった。
 偶然居合わせたベルが驚くのも無理はない。
 普段の姿を見ていれば、とても赤ん坊の世話に慣れているようには見えないからだ。
 しかし、実際にシャーリィが抱くとアウロラはあっさりと泣き止み、いまはスヤスヤと心地の良い寝息を立てていた。

「抱き方にコツがあるんだけどね。こうやって心臓の音が聞こえるように抱いてあげると赤ちゃんは落ち着くの。母親のお腹の中にいた頃を思い出すらしいよ」

 そう言って、エドに赤ん坊の抱き方をレクチャーするシャーリィ。
 この場にリィンがいれば、「誰だ?」と目を疑って聞き返しているような光景だ。
 実際、ベルも自分の目で確認して尚、目の前の光景が信じられないでいた。
 母性とも言うべきものが、シャーリィから滲み出ているような錯覚を覚えたからだ。
 まさか、シャーリィを相手に女として負けたような気分に陥るとは、ベルも思ってはいなかったのだろう。

「……随分と慣れていますのね?」
「うーん……昔はよく小さい子の面倒を見てたからね」

 普段の姿からは想像も付かないが、シャーリィは生活能力がない訳では無い。
 リィンほどではないものの、それなりに自分でこなせる方だ。子供の相手にも慣れていた。
 リィンもよく言っていることだが、猟兵団とは家族≠フようなものだ。
 信頼も信用も出来ない相手に、戦場で背中を預ける者などいない。だからこそ、彼等は仲間≠大切にする。
 団員は勿論のこと、その家族も猟兵団にとって庇護すべき対象だ。いつ命を落とすと分からない仕事だけに、団員の子供は団で育てるのが猟兵の流儀だった。
 それは〈西風の旅団〉であろうと〈赤い星座〉であろうと変わりはない。
 ああ見えて、閃光の異名を持つガレスにも妻や子供がいる。他にも妻子持ちの団員は少なくない。
 そうしたこともあって、シャーリィも昔はよく小さい子の面倒を見ていたのだ。赤ん坊の世話に慣れているのは、そのためだった。

「まあ、シャーリィの場合、銃声が子守歌みたいなものだったけど」

 物騒なことを口にするシャーリィだったが、むしろその方がシャーリィらしいとベルは納得する。
 実際、シャーリィは特殊な子供だった。
 戦場で泣くどころか、銃弾が飛び交う中をガレスに抱きかかえられ、キャッキャッと喜んでいたような赤ん坊だ。
 さすがは俺の娘だ、とシグムントは溺愛していたが、傍から見れば異常の一言に尽きる。

 とはいえ、赤ん坊の世話に慣れているのは意外ではあったが、話を聞けば納得の行く理由だった。
 リィンも敵には容赦がないが、一度家族≠ニ認めてしまえば、身内には甘い一面がある。
 ミラを得るために戦場を渡り歩く猟兵は、常に死と隣り合わせの厳しい環境に身を置いている。
 そんななかで命を預け合う関係だからこそ、彼等は縁≠大切にするのだろう。
 だが、それは逆に言えば――

(裏切り者には一切の容赦がないと言うことですわね)

 信頼を裏切れば、何倍にもなって自分に返ってくると言うことだ。
 改めて猟兵というものを知り、ベルは自分の置かれている状況を再確認する。
 いまのところ裏切るような予定はないが、肝には銘じておく必要があると考えていた。
 はじまりの大樹の件も一歩間違えれば裏切りと取られ、殺されていても文句は言えなかったからだ。

「なるほど、心臓の音を聞かせるように抱けば良いんですね!」
「うん」

 父親として娘に泣かれたことが余程ショックだったのか、シャーリィから赤ん坊の抱き方のレクチャーを受け、リベンジとばかりにエドは鼻息を立てる。
 だが、シャーリィの手を離れ、エドに抱かれた瞬間――

「おぎゃあああああ!」

 アウロラは甲高い泣き声を響かせるのだった。


  ◆


「先程はすみませんでした」

 頭を下げて謝罪するアリスンに「気にしないでください」とラクシャは返す。

「丁度、汗を流そうと思っていたところでしたから。むしろ、代わりの服まで用意してもらって申し訳ないというか……」

 服の洗濯ばかりか、アリスンが仕立てたという服を着替えに用意してもらったのだ。
 ミシンなどの便利な機械など当然なく、一着一着が職人の手によって作られているため、この世界の衣服は基本的に高価だ。
 何着も替えの服を持っている者など豪商や貴族に限られていて、ラクシャもアンダーウェアに関してはアリスンの好意で幾つか仕立ててもらったものがあるが、衣服に関しては島に流れ着いた時に着ていた一張羅しか今は持っていなかった。だが、それもアドルとの探索が影響してか痛みが酷く、騙し騙し修繕を加えて使っているような状況だったのだ。
 なのに以前に着ていた服と同じか、それ以上の質の良い生地で作られた一品物をお詫び≠ノと渡されれば、ラクシャが遠慮をするのも当然だった。

「あれは元々ラクシャさんのために仕立てたものなので、遠慮なんてしないで受け取ってください」
「わたくしのためにですか?」

 どういうことかと首を傾げるラクシャ。
 アリスンの仕立てたという服は、それこそ街で売りにだせば、かなりの値が付くような代物だった。
 しかし、そんな高価な贈り物を貰うようなことをアリスンにした覚えはラクシャにはない。

「島をでるのが予定より早まってしまって結局は間に合わなかったのですが、元々はリィンさんから頼まれていたんです」
「……え?」

 以前、露天風呂の入り口に掛ける暖簾の作製を頼まれた際、アリスンはリィンから大量の布地と糸を預かっていた。
 その材料を使って、皆の服を仕立ててやって欲しいと頼まれていたのだ。
 だが、予定よりも島をでるのが早まってしまい、完成には至らなかった。
 それをグリゼルダのもとで世話になっている間に、コツコツと完成させたのがラクシャに手渡した衣装だった。
 しかし、そうした経緯を敢えてラクシャには説明せず、リィンから頼まれて仕立てたというところだけをアリスンは強調する。

「なんでこう、あの人は……」

 面倒を押しつけてきたかと思えば、妙に気配りが利いていたり、リィンへのなんとも言えないやるせなさを口にするラクシャ。
 だが、言葉とは裏腹にラクシャが嬉しそうな顔していることに、アリスンは気付いていたからだ。
 気になる異性から贈り物をされて、喜ばない女性はいない。
 アリスンが初めてプロポーズされた時も、エドの仕立てたドレスをプレゼントされたのだ。
 だから、こうすれば上手く行くという確信が、アリスンのなかにはあった。

(喜んでもらえたみたいでよかった。ラクシャさんにも幸せになって欲しいですから)

 親切の押し売りだと言うことは理解しているが、ラクシャにも幸せを掴んで欲しいとアリスンは考えていた。
 ラクシャがアドルとリィンとの間で心が揺れ動いていることは、アリスンも知っている。
 しかし、そのアドルは何も告げずに冒険の旅にでてしまい、もうこの島にはいない。
 一方でリィンも島を離れているが、少なくとも別れも告げず旅にでたと言う訳ではない。
 リィンの性格を考えれば、このまま仲間に任せて、島に戻って来ないということはないだろう。

 アドルは冒険家で、リィンは猟兵だ。
 目的や立場も違うので一概に言えないが、やはり結婚を前提に付き合うのであれば生活基盤は重要となる。
 ラクシャ自身も言っていたことだが、冒険家なんてものは職業とは言えない。謂わば、根無し草だ。
 猟兵も褒められた仕事とは言えないが、家族を養っていけるだけの経済力は十分にある。
 実際、この島の開発に使われている資材などの調達は、すべてリィンが行っているのだ。
 アリスンもアドルには感謝しているが、それとこれは話が別だ。
 好きになれば苦労するとわかっていて、アドルとの仲を勧めることなど出来るはずもなかった。

 アリスン自身、既にエドと結婚しているからだろう。
 子供のことを考えれば、男性に最低でも家族を養っていけるだけの経済力を求めるのは当然のことだ。
 安定した稼ぎもなく、年がら年中、冒険の旅にでていて家にも帰って来ない。
 そんな未来が予想される相手を好きになっても苦労するだけだ。それならいっそ――

「ラクシャさん、私……応援してますから」
「え? はい?」

 ラクシャの将来を案じ、リィンとの仲を取り持とうとアリスンが考えるのも無理のない話だった。


  ◆


「……どうかしたのですか?」

 訝しげな表情で、ベルに尋ねるラクシャ。
 風呂から上がってアリスンと涼みがてら庭園に顔をだすと、どんよりとしたオーラを背負い、膝を抱えるエドを目にしたのだ。
 何故かシャーリィが赤ん坊をあやしているし、ベルは大量の本を傍らにベンチで読書をしているしで、自然と口から疑問が漏れるのも無理はなかった。

「娘に泣かれて落ち込んでいるだけですわ」

 ベルの説明を聞き、なんとなく何があったのかをラクシャは察する。
 だが、エドの件はそれで良いとして、どうしてシャーリィが赤ん坊をあやしているのかと言った疑問が湧く。
 しかも明らかに赤ん坊の世話に慣れた様子のシャーリィに、同じ女性として納得の行かないものをラクシャは感じていた。
 シャーリィは一番そうしたことからは縁遠いと思っていたからだ。

「アウロラの世話をして頂いて、ありがとうございました」
「それは良いんだけど、お腹が空いているみたいだから、おっぱいあげてくれる? さすがにシャーリィもおっぱいはでないから困ってたんだよね」

 アリスンとシャーリィの会話を横で聞いていたラクシャは、思わず息を吹き出す。
 そんなラクシャの反応を疑問に思ったシャーリィは首を傾げ、何か一人納得した様子で頷くと、

「ラクシャがこの子におっぱいあげてくれるの?」
「でる訳がないでしょ!?」

 斜め上の質問をして、ラクシャに怒られるのだった。


  ◆


「まったく、あの子は……」

 心労を隠せない様子で、右手でこめかみを押さえるラクシャ。
 出会った頃はシャーリィを恐れていたラクシャだが、共に生活をしていれば良いところも悪いところも見えてくる。
 いまはすっかりと打ち解け、手の掛かる妹のようにラクシャはシャーリィに接していた。
 興味のあること以外は適当で飽きっぽいシャーリィと、何事も真剣にこなそうとする真面目な性格のラクシャ。
 そこまでリィンが見抜いていたのかは分からないが、意外と二人の相性は悪くなかった。
 シャーリィの手綱を握ると言う意味では、ラクシャはしっかりと役目を果たしていると言えるだろう。

「でも、シャーリィにあんな特技があるなんて……意外でした」
「そうですか?」

 シャーリィが赤ん坊の世話に慣れているのが意外だったと話すラクシャに対して、アリスンの考えは違っていた。

「以前から子供たちの相手をしているところを何度か目にしていましたから」

 あれほど大きな武器を振り回し、古代種を一撃で屠るほどの膂力を持っているのだ。
 本来であれば、子供に怪我を負わせないかと心配するところだが、シャーリィの子供たちへの接し方にはそうした不慣れさがなかった。
 だからアリスンも安心して見守っていたのだ。恐らくは、多くの子供を育ててきた経験を持つミラルダも気付いていただろう。
 猟兵という仕事を知って尚、リィンたちを恐れず信用するとアリスンが決めたのは、それもあってのことだった。
 弱者と言うだけで虐げ、平然とした顔で無抵抗の人間を手に掛けるような悪党と比べれば、リィンたちの行いは筋が通っている。
 少なくとも悪戯に命を弄ぶような悪人ではないと理解したからこそ、この島への移住を決意したのだ。
 その点に関しては、島への移住を決意した他の漂流者たちも同じだろうと、アリスンは考えていた。

「それに不謹慎かもしれませんが、この島での生活は充実していたんです」

 勿論、最初の頃は絶望もしたし、早く島を出たいという気持ちで一杯だった、とアリスンは話す。
 しかし、いざ島をでて気付かされたのは、いつの間にか島での生活が日常≠フ一部になっていたと言うことだった。
 街での生活よりも島での生活の方が、充実した毎日を送っていたことに気付かされたのだ。
 生かされているのではなく、生きているという実感が持てる場所。
 この島には外の世界にはない可能性が溢れていると、アリスンは感じていた。

「だから、この子にも私たちが感じたものを見て欲しい。自らの手で未来を掴み取れる……そうした環境で育てたいと思ったんです」

 農民の子は農民に、商家の子は商人に、貴族の子は貴族に――
 この世界の人々は生まれや環境に縛られ、生きている。
 レールに敷かれて生きることが悪いとは言わないが、ほぼ選択の自由はない。
 すべてを投げ出してアドルのように旅にでるくらいしか、この世界では自由に生きられる道はなかった。
 アリスンも元は良家の娘だったが、街で小さな仕立て屋を営んでいたエドと一緒になったために実家とは疎遠になっていた。
 子供にはそんな思いをさせたくない。身分やしがらみに縛られることなく、伸び伸びと育って欲しいという願いがあったのだろう。

「ですが、この島に再興しようとしているエタニアも王制国家ですよ?」

 ラクシャの言うように、エタニアは女王を頂点とする君主制国家だ。
 まだ島の開拓を始めたばかりで圧政を敷いてはいないが、しがらみがまったく無いと言う訳ではない。

「理解しています。でも、きっと子供たちの笑顔が絶えない……そんな優しさに溢れた国になると確信していますから」

 リィンが国造りに関わっている以上、ロムンのようなことにはならないとアリスンは信じていた。
 その気になれば力で従わせることも、本当に面倒なら見捨てることも出来たはずなのだ。しかし、リィンはそうしなかった。
 グリゼルダとの約束を守り、漂流者たちの生活の面倒を見るばかりか、皆を無事に島の外へと送り出してくれた。
 出会った頃のカーラン卿がリィンと同じような力を持っていれば、きっと無理矢理、皆に言うことを聞かせようとしただろう。
 それが当たり前だ。力を持つ者が弱者を支配する。ロムンが侵略を繰り返しているように、この世界では当然のように行われていることだ。
 なんでも思い通りに出来るだけの力があるのに、それを必要以上に誇示しようとはしない。それだけで信頼するには十分だった。

「ラクシャさんも本当は信じているんですよね?」
「……え?」
「信頼していなければ、島に残ったりはしないでしょうから」

 漂流者が危険な立場にあることはアリスンも理解しているが、この島にも危険がない訳では無い。
 ベルの結界や圧倒的な強者であるシャーリィたちがいるから安全に過ごせるだけで、巨大な獣が徘徊すると言う意味では外の世界よりも危険な島だ。
 ベルやシャーリィ。それにリィンたちを信頼していなければ、とてもではないが安心して過ごすことは出来ないだろう。

「え、いえ……わたくしは……」

 リィンに頼まれたから今も島に残っているだけで、それ以上の深い意味ない。
 そう誤解を解けば良いだけなのに、何故かラクシャはその言葉が出て来なかった。
 自分では気付かなかった感情。それをアリスンに見透かされたかのように感じたからだ。
 それに島での生活に慣れ、居心地の良さを感じていたのも事実だった。
 このままロズウェル家や父親のことを忘れて、島で暮らすのも悪くない。
 いつしか、そんなことを思うようになっていたのかもしれないとラクシャは考え、頭を振る。

(わたくしは……)

 本当はどうしたいのだろう?
 そんなことを考え、別れ際にリィンに言われた言葉が頭を過ぎる。

 ――復讐を望むのなら、手を貸してやる。

 リィンは冗談でそんなことを口にするような人物ではない。
 ラクシャが望めば、言葉どおり復讐に手を貸してくれるだろう。
 ガルマン王国の滅亡を望むなら、あの圧倒的な力で消し去ってくれるはずだ。
 でも、ラクシャはそこまでのことは望んでいなかった。
 兄を嵌めた貴族たちを恨んでいないと言えば嘘になるが、そうなったのは自分たちにも原因があると感じていたからだ。

(わたくしの望み……)

 子供の頃に見た夢。それは父親のような学者になりたいと言うことだった。
 研究に没頭して家を飛び出し、帰って来なくなった父親のことが嫌いになったのではない。
 好きだからこそ、憧れていたからこそ、裏切られた気がして許せなかったのだ。
 そして、そんな自分も故郷から逃げ出し、ここにいる。
 それは家族を捨てた父親と何が変わるのだろうかと、ラクシャはずっと考えていた。

「そうだったのですね。わたくしは……」

 ぼんやりとではあるが、少しだけ何をしたいのかが見えてきた気がした。
 復讐などではなく、リィンに対価として求めること――
 それを口に仕掛けた、その時だった。

「地震? いえ、これは……」

 激しい揺れと共に、大気を震わせる轟音。
 そして、どこからか聞こえてきたレオの悲鳴と思しきものが、茜色の空に響くのだった。



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