「こちらにはいません!」
「そう遠くには逃げていないはずだ。お前たちはそっちを捜せ! 残りは私について来い」

 街中で逃走劇を繰り広げる一団があった。
 逃げているのはフィー、アリサ、シャロンの三人。
 そして、三人を追っているのは領邦軍の兵士たちだ。

「ちょっと! なんで領邦軍が追い掛けてくるのよ!?」

 入り組んだビルの谷間を移動しながら疑問を口にするアリサに、フィーは分からないと首を横に振る。
 取り敢えずの方針が決まった矢先のことだった。
 日が暮れるまで何処かで時間を潰そうとしていたら突然、領邦軍の兵士に声を掛けられ、街中で追い掛けられたのだ。
 ゼノやレオニダスの追撃から逃れたかと思えば、領邦軍の兵士に追いかけ回され、アリサが困惑するのも無理はなかった。

「この先が分かれ道になっています。右へ折れれば、ルーレ工科大学の裏手にでるはずです」
「それって、大学の敷地内に隠れるってこと?」
「街中は領邦軍で一杯だし、悪くない案かも」

 シャロンの案に頷くフィー。アリサもそんな二人の後を追い掛ける。
 ルーレ工科大学。研究者や技術者を養成するための学校で、オーブメントを発明したエプスタイン博士の高弟の一人、G・シュミット博士が学長を務める教育機関だ。
 主に導力技術の研究・開発が盛んで、卒業生の多くがラインフォルト社に就職をしている帝国を代表する有名な大学の一つだった。
 機甲兵の開発にも携わっており、帝国でも特に機密性の高い情報を扱っていることから、領邦軍と言えど許可無く敷地内に足を踏み入れることは出来ない。一時的に身を隠すのであれば打って付けの場所だった。
 とはいえ、そうしたことから警備は厳重で、当然セキュリティ意識も高いのだが――

「お嬢様、失礼します」
「――ちょっ、また!?」

 シャロンの鋼糸に拘束され、荷物のように抱きかかえられるアリサ。
 その直後、二人の身体を白い膜のようなものが包み込み、周囲の景色に溶け込むように姿を消してしまう。
 ユグドラシルの機能の一つ。隠者の腕輪の能力を付与したクォーツを発動させたのだ。
 同じくフィーも戦技エリアルハイドを発動する。
 姿を消した三人は大学の裏手に回ると、高さ五アージュはあろうかという塀を跳び越える。

「待って」

 軽やかに地面に着地したところで、フィーはシャロンを制止する。敷地内を徘徊する警備の人形兵器に気付いたからだ。
 隠者の腕輪やエリアルハイドは、あくまで姿が消えているように見せかけているだけだ。
 人の目は欺けるが、機械までやり過ごせる保証はない。
 熱などを識別するセンサーを備えていれば、さすがに発見される可能性が高かった。

「さすがに警備が厳重だね」
「はい。どこか身を隠せる場所があると良いのですが……」

 このままここにいては見つかるのも時間の問題だ。
 どこか身を隠せる場所がないかと周囲の様子を探るフィーとシャロン。
 その時だった。

「待って、あそこにいるのって」

 本校舎と研究棟を結ぶ渡り廊下をタバコを咥えながら気怠げな表情で歩く、無精髭の男をアリサは見つける。
 その冴えない顔付きの男性に、アリサは見覚えがあった。

「マカロフ教官」

 トールズ士官学院の教官、マカロフだった。


  ◆


「ここは……?」
「俺の研究室だ」

 マカロフに案内されたのは、研究棟の一角にある彼の研究室だった。
 散らかった服や雑誌を手早く片付け、アリサとフィーのために場所を確保するシャロン。
 綺麗に片付けられたソファーにドッと背中を預けるマカロフを見て、若干呆れながらアリサとフィーも着席する。

「士官学院を辞められたのですか?」
「んな訳ないだろ。いまは休職中なだけだ。俺にもいろいろとあるんだよ」

 詮索するなと言わんばかりに面倒臭げな表情で、アリサの質問に答えるマカロフ。
 そして、

「で? お前等、何をやらかした?」
「え……特に何も……」
「誤魔化すな。外が騒がしいのは、お前等が原因だろ?」

 お見通しと言った様子で逆に詰問され、アリサは冷や汗を流す。
 だが、誤魔化す訳ではないが、アリサとてマカロフに聞きたいことがあった。

「マカロフ教官こそ、どうして大学(ここ)に?」
「……詮索するなって言っただろ」
「マカロフ様は、現在メアリー様と交際をされているそうですから、恐らくそのことが関係しているのではないかと」
「え? そうなの? おめでとうございます。遂に決心なされたんですね」
「ああ、ありが……って、なんでそのことを知ってやがる!?」

 シャロンに図星を突かれて、どうしてそのことを知っているのかと叫ぶマカロフ。
 彼がここにいるのは、シャロンの読み通りメアリーのことが深く関係していた。
 メアリー・アルトハイム。トールズ士官学院で、音楽や芸術。それに料理を教えている教官だ。
 パンタグリュエルの一件が二人の距離を大きく縮め、マカロフは現在メアリーと密かに交際をしていた。
 だが、マカロフは平民。メアリーは伯爵家の令嬢だ。身分が違い過ぎる。
 当然、いまのままでは彼女の両親から結婚は疎か、交際の承諾を得られるはずもなく、どうしたものかと途方に暮れていたところで嘗ての母校からの誘いを受けたのだ。

 ルーレ工科大学の研究者ともなれば、そこらの下級貴族よりは箔が上だ。
 ここで目に見える成果を出せば、メアリーの両親を説得する材料になる。
 と、姪っ子の言葉に嵌められた感は否めないが、マカロフにしては珍しく本気でメアリーとの将来を考えていた。
 だから、ずっと誘いを断り続けてきたにも拘わらず、この大学に再び戻ってきたのだ。

「たくっ……ミントの奴だな。メアリーとのことを他所で話しやがったのは……」

 シャロンがそのことを知っている理由を察し、犯人に当たりを付けるマカロフ。
 メアリーとのことを知っていて口の軽そうな人物は、自分の姪っ子しか思い至らなかったからだ。
 まあ、実際マカロフが知らないだけで、士官学院では誰もが知る噂となっていた。
 シャロンも人伝にその噂を耳にしたのだ。

「そこの嬢ちゃんは士官学院の生徒じゃないな。いや、でも見覚えが……」
「ん……生徒じゃないけど学院祭に顔をだしてるし、顔を合わせたことくらいはあるかも?」
「そうか? うん、確かにそんな記憶が……お前さん、名前は?」
「フィー・クラウゼル」
「西風の妖精! 〈妖精の騎士(エルフィン・ナイト)〉の妹か!?」

 最近は余り聞かなくなった二つ名を耳にして、フィーは首を傾げる。
 内戦でアルフィンたちに協力をしていたのは確かだが、マカロフとは直接の面識はないと思っていたからだ。
 ましてや、その二つ名が真っ先に出て来ると言うことは〈西風〉時代のリィンやフィーのことを知っていると言うことだ。

「サラ教官がよくお前さんたち兄妹のことを話してたからな……」

 サラが士官学院の教官をしていたことを思い出し、フィーは得心する。
 サラから話を聞いているのなら、納得の行く反応だと考えたからだ。

「ほんとに何したんだ? お前等……」

 噂の猟兵が一緒にいる以上、外の騒ぎは間違いなくアリサたちの仕業だとマカロフは確信していた。
 それでも人目につかないように自分の研究室にアリサたちを連れてきたのは、彼なりに教え子のことを信用しているからでもあった。

「そのことをお話する前に一つ聞きたいことがあるのですが……」
「……なんだ?」
「マカロフ教官は、ここで何を研究≠ウれているんですか?」

 部屋の中を眺めながらアリサはマカロフに尋ねる。
 マカロフの専門は導力工学だ。そして、アリサはラインフォルトの人間だ。
 だからこそ、研究室を見ただけでマカロフが何を研究しているのか?
 大凡の内容を察しての質問だった。

「やれやれ、さすがはラインフォルトの令嬢。あの会長の娘だけあるわ」

 誤魔化すのは難しいと判断し、マカロフは観念した様子で両手を挙げる。

「やはり、マカロフ教官を大学に誘ったのは母様だったんですね?」
「ご明察だ。まあ、ここの学長≠煦齧噛んでるみたいだがな」

 ルーレ工科大学の学長、シュミット博士も関わっていると聞いてアリサは目を瞠る。
 だが、確かにそれなら――とアリサは逡巡する。
 昨晩、リィンから聞いた話とも繋がると考えたからだ。

「どういうこと?」

 一人だけ納得した様子のアリサにフィーは尋ねる。

「リィンたちが乗った列車が襲われたことは話したでしょ? その時に使われた新型の列車砲。それを設計したのが、そこにいるマカロフ教官ということよ」

 アリサの説明に驚いた様子で目を瞠るフィー。
 しかし、そう言われて見れば納得の行く話だった。
 列車砲の改良を施せる人間など、そうはいないからだ。

「興味がないと言って、あの爺さん……俺に丸投げしやがったんだよ」
「だからって……」
「俺がやらなくても誰かがやった。これは、もう避けられない流れって奴だ。お前さんも理解はしてるんだろ?」

 仮にマカロフがイリーナの頼みを断ったとしても、遅かれ早かれ他の人間が完成させていたはずだ。
 この世界から戦争がなくならない限り、兵器は必要とされる。
 必要とする者がいるからこそ、兵器は造られる。
 そうして大きくなったのが、ラインフォルトという会社だ。
 それはマカロフに言われるまでもなく、アリサ自身が一番よく理解していることだった。

「まあ、兵器の開発なんて仕事を手伝っている以上、非難されても仕方がないとは思ってるさ」
「……メアリー教官のこと本気なんですね」

 何も答えずに顔を背けるマカロフを見て、どう言うつもりでイリーナに手を貸したのかアリサは察する。
 理由が理由だけに責めることは出来なかった。
 それに兵器も道具である以上、結局のところは使う側の人間次第だ。
 アリサもリィンに頼まれて、アロンダイトやユグドラシルの開発を行なっている。
 そのことを思えば立場が異なるだけの話で、自分がマカロフを責められる立場にないことを理解していた。


  ◆


「なるほど、あの会長がな……」

 アリサから事情を聞き、外の騒ぎはそういうことかと納得の表情を見せるマカロフ。

「まあ、話を聞く限りでは外の領邦軍は十中八九。イリーナ会長の差し金だろうな」
「やっぱり……でも、どうしてログナー候が……」
「ああ、違う違う」
「え?」
「たぶん、お前さんたちを追っているのは、ハイデル卿の兵士だ」

 自分たちを追っているのは、ログナー候の兵士だと思っていたのだ。
 それが、帝都で裁判を受けているはずのハイデルがルーレに帰ってきているばかりか、領邦軍の指揮を執っていると聞かされてアリサは言葉を失う。

「告訴が取り下げられ、釈放されてルーレに戻ってきたらしい」

 マカロフの話を聞いて、フラリと目眩を覚えるアリサ。
 告訴を取り下げたと言うことは、恐らくイリーナが関わっているのだと察するが益々意味が分からない。
 今更、ハイデルを担ぎ出して何をするつもりなのか? まったく理解できなかったからだ。

「バラッド候の支援を得ているって話だ」
「……バラッド候の?」
「ああ、その所為か随分と羽振りが良いらしい。取り巻きと一緒になって、次期ログナー候を自称しているそうだしな」

 懲りずにまた騒動≠引き起こしていると聞いて呆れるも、なんとなく状況が見えてきたとアリサは表情を険しくする。ログナー侯爵家はラインフォルトの大株主だ。その発言力はラインフォルトの会長と言えど、無視できないほどに大きい。そのため、侯爵家に横槍を入れさせないためにハイデルを利用したのだと考えれば、イリーナの不可解な行動にも納得が行くからだ。
 手を回したのはバラッド候だろうが、恐らくは計画を立案したのはイリーナだとアリサは察する。

「マカロフ教官。母様の行き先に心当たりはありませんか?」
「……本社にいるんじゃないのか?」
「秘書の話を信じるなら、何処かへ出掛けているみたいなんです」

 やはり一度、母親と会って真意を問い質す必要があるとアリサは再確認し、マカロフにイリーナの居場所を尋ねる。
 イリーナの秘書が嘘を吐いているという可能性はあるが、会長室はアリサの実家の真下にある。
 内戦時、リィンの手によってビルの上層が破壊されたことは、イリーナも知っていることだ。
 あんな風に閉じ込めた張本人が、それを知っていて本社ビルに残っているとは考え難かった。
 実際、脱出されるのを予想してゼノとレオニダスを配置していたくらいだ。

「ふう……」

 タバコに火を付けて一服すると、少し考える仕草を見せるマカロフ。
 そして、

「本社ビルにいないのだとすれば、恐らくは第五開発室≠フ工場にいるはずだ」

 ――第五開発室。それは機甲兵を開発したラインフォルトの開発部署。
 嘗てリィンがアルティナに案内され、ルーファスと初めての会談を行なった因縁≠フ場所でもあった。



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