「はあはあ……」
額に汗を滲ませ、ぐったりと道場の床に横たわるレイフォンの姿があった。
乱れた衣服の隙間からは紅潮した肌が覗き見え、口からは甘い吐息が漏れる。
傍から見れば艶めかしい光景だが、当事者のレイフォンはそれどころではなかった。
もはや、指先一つ動かす力は残っていない。精も根も尽き果て、まだ意識を保てているのが不思議なくらいの状態にあった。
「まあまあ、と言いたいところだが……」
そんな死屍累々と言った様子のレイフォンとは対照的に、余裕の表情を見せるリィン。
そもそもの地力が違うと言うこともあるが、リィンは幼い頃から常に実戦で鍛えてきた。
疲れているからと言って、それを表に出すことなど許されない環境に身を置いてきたと言うことだ。
だからこそ、
「ここが戦場≠ネら、お前はもう死んでる。合格点をやるには、まだ遠いな」
レイフォンに厳しい採点を下す。
無傷で立っていろとは言わないまでも、戦闘の後に動けないようでは話にならなかった。
戦場で無防備な姿を晒すと言うことは、襲ってくれと言っているも同じだからだ。
とはいえ、見るべきものが無かった訳ではない。
極僅かな時間とはいえ、鬼の力を解放したリィンにレイフォンは肉薄して見せたのだ。
闘気の量はヴィクターに迫るほどかもしれないと、そこだけはリィンもレイフォンの才能を認めていた。
しかし、まだまだと言うのも事実だ。
スタミナの配分もそうだが、闘気の練りが甘い。だから折角纏った闘気を拡散して、無駄に力を消耗してしまうのだろうとリィンは見ていた。
レイフォンが百の力を使うのに五十の力を無駄にしているのに対して、リィンは百の力を一切無駄にすることなく完全に使いこなすことが出来る。
この闘気を扱う技術に関してはリーシャも以前感心していたように、リィンは達人≠フ域に達している。
ただひたすらに自分の特技だけを磨き続け、そして完成させたのが戦技〈オーバーロード〉だ。
そのため、闘気のコントロールに関しては、あのヴィクターやオーレリアさえも唸らせるほどの域にリィンは達していた。
「取り敢えず、全力で十分は戦えるようにしろ。それと次に訓練の後、無様な姿を晒せば俺がトドメ≠刺してやる」
「あの状態で十分!? それにトドメって!?」
「どのみち、いまの状態で戦場にでれば死ぬだけだ。遅いか早いかの差でしかないだろ」
言葉は辛辣だが、いまの自分が相当に情けない姿を晒しているという自覚はあるのだろう。
喋れる程度には回復したようだが、何も言い返せずにレイフォンは唸る。
正直、ヴァンダールの剣士として情けないという思いはあった。
しかし、
「ちょっとハードルが高すぎるような……。猟兵って、そんな怪物だらけなんですか?」
「お前、面と向かって俺にそれを聞くか?」
遠回しに怪物扱いされ、リィンは呆れた様子で溜め息を吐く。
とはいえ、レイフォンの疑問も理解できないではなかった。
猟兵が皆、リィンのような怪物染みた強さを持っているのなら領邦軍は愚か、正規軍でも相手にならないだろうからだ。
「団員すべてが、それだけの実力を持っている訳じゃ無い」
「なら……」
「だが、部隊長以上の実力者は話が別だ。少なくとも〈鬼の力〉を解放した俺と戦える程度の力は持っている」
そこにトップクラスの猟兵団という注釈は付くが、そこまでリィンは丁寧に説明するつもりはなかった。
どのみちレイフォンが入ろうとしているのは、そのトップクラスの猟兵団の中でも最強≠ニ噂される猟兵団だ。
ただの団員なら確かに今のレイフォンでも務まるだろう。だが、それなら別にレイフォンでなくともいい。
代わりは幾らでもいるとまでは言わないが、無理にレイフォンを引き入れる理由はないのだ。
「リィンさんのお父さん≠焉c…やっぱり、リィンさんみたいに強かったんですか?」
何を思ったのか?
ふと、そんなことを尋ねてきたレイフォンに目を丸くするリィン。
こういう話をして猟兵になるのを諦めるのなら、それでも良いと思っていたのだ。
むしろ、その方がレイフォンのためには良いかもしれないと思って厳しくしたのだが、まったく予期しない反応だった。
「親父か……まあ、確かに強かったな。正直、いまでも勝てるかは分からない」
「え?」
リィンの強さは知っている。
実際に戦って嫌と言うほど思い知らされたと言うこともあるが、これまでにどんな強敵とリィンが戦い、勝利してきたかも話を聞いているからだ。
人伝に聞いた……あくまで噂に過ぎないような話ばかりだが、それでもオリエとの一戦は今でも目に焼き付いている。
あの〈黄金の羅刹〉を降し、帝国最強の剣士と名高い〈光の剣匠〉とも五分の戦いをしたという噂は事実だったのだと確信したくらいだった。
なのに、そのリィンですら勝てるか分からないと言われれば、レイフォンが驚くのも無理はなかった。
「言って置くが戦闘力≠ニいう意味では、とっくに俺は親父を超えている。ぶっちゃけ闘気≠フ量という一点では、お前の方が上なくらいだ」
「え? リィンさんのお父さんって、先代の猟兵王なんですよね?」
恵まれた才能を持っていることはレイフォンも自覚しているが、ルトガーの上を行っていると言われて信じられないと言った表情を見せる。
リィンの父親と言うことだから、もっと凄まじい怪物をイメージしていたからだ。
「父親と言ったって、あくまで育ての親≠セしな。お前も多少は俺の過去について知ってるんだろ?」
「えっと……はい。まあ……」
新聞や雑誌で記事にもなっているのだ。
リィンがあの〈鉄血宰相〉の血を分けた息子で、ハーメルの遺児であることはレイフォンも知っていた。
「だから、俺のこの力≠ヘ親父とは何の関係もない。だが一つだけ言えることは、これだけの力を持っていても一度も$e父には勝てたことがないってことだ」
「でも、それは子供の頃の話ですよね? いまなら……」
「勝てるかもしれないな。だが、もう親父はいない。それを確かめるのは難しいな」
戦闘力では既にルトガーを上回っているとリィンは思っている。
しかし、それイコール――戦えば必ず勝てるというものではない。
ルトガーは確かに強かったが、何よりルトガーを強者とたらしめたのは戦い方≠セった。
相手を自分の土俵に誘い込み、全力をださせないことで絶対に負けない$いをする。それが、ルトガーは物凄く上手かったのだ。
そう言う意味では、リィンよりフィーの方がルトガーの才能を色濃く受け継いでいると言えるだろう。
「せめて、親父のライバルだった闘神≠ェ生きていれば、それを確かめることも出来たんだろうけどな」
ルトガーのことを〈西風〉の団員以上によく理解していた好敵手とも言える相手。
それが〈赤い星座〉の団長にして〈闘神〉の異名を持つ、バルデル・オルランドだった。
ルトガーと並び、間違いなく『最強の猟兵』と呼ばれだけの力を持つ一人だと、リィンも認めている実力者だ。
とはいえ、そのバルデルも決闘でルトガーと相打ちになり命を落としてしまったため、最強の猟兵の座は長いこと空白となっていた。
いまはリィンがその一角と噂されているが、正直なところルトガーやバルデルを倒して得た称号でもないため、満足はしていなかった。
同じことはシグムントにも言える。バルデルが死んだ後、団長にならず副団長のまま暫定的に団を率いているのも、まだ自分は兄≠超えたと心の底から思ってはいないからだろう。だからバルデルの忘れ形見であるランドルフことランディに固執し、闘神の後を継がせるべく彼を鍛えようとしているのだとリィンは察していた。
バルデルが死に、もう叶わない決着をランディに付けさせるために――
リィンも本音を言えば、ランディがシグムントに勝ち、闘神の名を継ぐことを密かに楽しみにしていた。
まだ決着を付けていないと思っているのは、リィンも同じだからだ。
「闘神ですか。それって、猟兵王と相打ちで死んだって噂の〈赤い星座〉の団長ですよね?」
「そうだ。タイプ的には、俺やお前に近い。純粋な戦闘力では親父以上だった……いや、間違いなく最強の猟兵≠セったと言えるだろうな」
それでも最後はルトガーと相打ちで死んだのだ。
正直、リィンがルトガーに今でも確実に勝てると言い切れないのは、そこにあった。
何をするか分からない。そんな期待を抱かせてくる男。それが『猟兵王』と呼ばれた男だったからだ。
それを考えれば『猟兵王』の名を継いだとはいえ、自分はまだまだルトガーに追いつけていないとリィンは思っていた。
「タイプ的には同じ……それって、私も努力すれば闘神みたいになれるってことですよね?」
何を言いだすかと思えば、予想外のことを尋ねられリィンは驚く。
無理か可能かで言えば、可能性がないとは言わない。
間違いなくレイフォンには才能≠ェあるからだ。
だが、それには一つ大きな問題があった。
「無理とは言わない。だけどそのためには、まずシャーリィを超える必要があるんだが……本気か?」
確かにランディには才能がある。いつかシグムントが望むように〈闘神〉の名を継ぐ日がやって来るだろう。
だが、一種の先祖返りとでも言うべきか? オルランド一族の血を最も色濃く継承しているのは、シャーリィだとリィンは見ていた。
中世より続く〈狂戦士〉の一族。それがオルランド家だ。
なかでもシャーリィは、古の〈狂戦士〉を体現しているかのような才能と人格を有している戦場の申し子だ。
正真正銘、天然の怪物。しかも、まだ成長を続けていると言うのだから、リィンでさえまったく先が読めない。
正直、ただ才能があると言うだけで越えられる壁ではなかった。
「それって、あの〈血染め〉ですよね……?」
「ああ、うちの団で一番の問題児だ。だが、実力は間違いなくある。少なくとも〈鬼の力〉を解放した俺に勝てないようでは――」
シャーリィに勝てないぞ、とリィンはレイフォンに告げるのだった。
◆
「……フィー?」
目の前を走っていたと思えば、突然足を止めたフィーを訝しむラウラ。
「この感覚……まさか、団長? 違う……そんなはずない。なら、これって……」
「どうしたと言うのだ? フィー、何があった?」
何かに耐えるように震える肩を抱き、独り言を呟くフィーを心配するラウラ。
どうしたのかとフィーに声を掛け、傍に寄ろうとした、その時だった。
「痛っ! もう、なんなのよ……」
突然、ラウラが剣を抜いたことで、アリサは地面に落とされる。
文句を口にしながらも、何か様子がおかしいことに気付き、周りに目をやるアリサ。
フィーやラウラだけではない。シャロンも今までに見たことがないくらい険しい表情を浮かべていた。
「どうしたって言うのよ? ……この先に何かあるの?」
フィーが気配に鋭いのは、これまでのことからもわかっている。
フィーほどではないにせよ、ラウラやシャロンも敵意に敏感なことをアリサは知っていた。
その三人が警戒する何かが、この坑道の先にあると言うことだ。
三人の様子を心配し、アリサは不安そうに尋ねる。
しかし、
「ラウラ。イリーナ会長と合流したら、すぐにアリサを連れて逃げて」
フィーの口から返ってきたのは、アリサの求めているような答えではなかった。
「断る」
「……ラウラ?」
まさか、断られると思っていなかったのか?
ポカンと呆気に取られた顔を見せるフィーを真っ直ぐに見据え、ラウラは答える。
「そなたの実力を疑っている訳では無いが、これだけの殺気≠放つ相手に一人で挑むのは無謀だ」
「この先には、ゼノとレオだっている。隙を突けば、どうにか……」
「無理だ。少なくとも父上や兄上と同等以上≠フ闘気を持つ相手に、いまのそなたで勝つのは――」
仮にゼノとレオニダスと手を組むことが出来ても、厳しい戦いになるとラウラは見ていた。
リィンやヴィクターに匹敵するほどの強者。それほどの相手が、この先に待ち受けている。
そう、確信したからだ。
「シャロン殿。申し訳ないが……」
「はい。会長とお嬢様のことはお任せください。この身に代えても御守りします」
「ちょっ、ちょっと待ってよ! どういうこと!? そんなにヤバイ奴がこの先にいるって言うの!?」
「……ああ、この先にいる。恐らくは父上と互角……いや、こうして感じる闘気の量だけなら兄上すらも凌ぐかもしれぬ相手が……」
リィンやヴィクターをも凌ぐかもしれない相手がこの先にいるとラウラから聞き、目を瞠るアリサ。
ふとアリサの頭を過ぎったのは、リィンと五分の戦いをしたという聖女の名前だった。
「まさか、前に言ってたアリアンロードって人? 確か〈鋼の聖女〉とかいう……」
「違う。この闘気には覚えがある……」
しかしフィーは首を横に振り、そんなアリサの予想を否定する。
離れていても自分に向けられているのではないか、と錯覚するほどの攻撃的な闘気。
心臓を鷲掴みにするかのような濃密な殺気。忘れたくても忘れられるはずがない。
この闘気の持ち主は、フィーにとって育ての親を殺した仇敵≠ニも言える相手なのだから――
「……赤い星座の団長。シャーリィの伯父さん」
「それって、まさか……」
誰のことを言っているのか、アリサも察する。
しかし、ありえないという考えが頭を過ぎる。
生きているはずがない。
頭に浮かんだのは、もう死んでいるはずの人物だったからだ。
「闘神、バルデル・オルランド」
だが、フィーの口から語られる名前。
それは紛れもなく、この世を去ったはずの死者の名だった。
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