「……その格好で本当によろしかったのですか?」

 革の手袋とブーツに、白いシャツと黒のベストに長ズボン。
 その上から、いつものジャケットではなく背に太陽のエンブレム≠ェ入った黒いコートを羽織ったリィンに、オリエは確認を取るように尋ねる。
 一応、男性用の正装も用意してあったのだが、必要ないとリィンが受け取らなかったためだ。
 一方でオリエは深緑を基調とした淑やかなドレスに身を包んでいた。
 見た目からでは、とても十六歳の息子がいるようには見えない。

「問題ない。これが俺の正装みたいなもんだしな」

 むしろオリヴァルトの狙いを考えれば、この格好の方が効果は高いだろうとリィンは考えていた。
 新聞や雑誌などで顔写真が出回っているとはいえ、一目で本人と見分けることが出来る者は実のところそう多くはない。
 しかし太陽のシンボルが入ったコートを着ていれば、暁の旅団の関係者であることは一目瞭然だ。
 リィン・クラウゼル本人と知って驚きこそすれ、声を掛けられる者はそういないだろう。
 特にリィンのことを恐れている貴族派や革新派の者たちは尚更だ。
 オリヴァルトの狙いに乗るというのもあるが、有象無象の相手をするのが面倒臭いというのがリィンの本音だった。

「本当に……自分から喧嘩を売るような真似はやめてくださいね?」
「俺だって、そのくらいは弁えてるさ」

 本当に弁えている人間の行動とは思えないだけに、オリエの口からは溜め息が溢れる。
 確かに効果的ではあるが、この場合は効果が高すぎる。
 貴族たちを刺激し、挑発と受け取られても仕方のない行動だと感じたからだった。
 それでも直接仕掛けてくる者はいないと思うが、リィンに対する風当たりは更に強くなることが予想される。
 もっとも――

(そんなことは微塵も気に掛けてはいないのでしょうね……)

 悪意を向けられることを歯牙にも掛けていない。まったく気にも留めていないと言った様子がリィンからは見て取れた。
 自惚れなどではなく、どうとでも対処できる自信があるのだとオリエは察する。
 実際に剣を交えたからこそ理解できる。
 底の知れないリィンの強さを、この場にいる誰よりもオリエは感じ取っていた。


  ◆


 リィンとオリエが晩餐会の会場に姿を見せると、ガヤガヤと周囲が騒がしくなる。
 好奇と敵意の入り交じった視線を受けながらも、堂々とした足取りでリィンとオリエは中央へと足を進める。
 リィンに気付き、ギョッとした表情で左右に割れる人垣。
 その先で、リィンたちの到着を待っていたのは――

「こうして直接会うのは久し振りだな、オリヴァルト。いや、宰相閣下と呼んだ方がいいか?」
「よく来てくれたね、リィンくん。キミにそう呼ばれるとくすぐったい。これまでのように名前で呼んでもらって構わないよ」

 オリヴァルトが親しげな声でリィンの名前を呼び、自身の名を呼び捨てにすることを許可したことに会場からはどよめきが起こる。

「なんなら義兄さん≠ニ呼んでくれても構わないんだよ!」
「……相変わらずだな。少なくとも、いまのところはその予定はないから安心しろ」
「そうなのかい? 十八歳になったら婚姻≠交わす約束をしていると聞いているのだけど……」
「おい、待て。それを誰から――」

 と尋ねようとして、アルフィンしかいないと察してリィンは指でこめかみを押さえる。
 確かに十八になったら真面目に考えるとは返事をした。しかし、婚姻の約束までした覚えはない。
 それまで大人しくしているとは思っていなかったが、外堀を着実に埋めに掛かっているアルフィンにリィンは呆れる。
 そもそも、オリヴァルトもオリヴァルトだと思う。大切な妹が、それも帝国の皇女が猟兵に嫁ごうとしているのだ。
 普通は反対するところだろうと考えたところで、こいつはそういう奴だったとリィンは頭を振った。

「ようやく観念したようだね」
「呆れてるだけだ。お前たち、兄妹にな」

 普通は常識や体裁が邪魔をするものだが、そんなものはこの兄妹≠ノは関係ない。
 皇族らしからぬ型破りな兄妹。それが、このオリヴァルトとアルフィンだった。

「僕としては、そんな二人に少し憧れる部分があるんですけどね」

 そう言ってリィンとオリヴァルトの会話に割って入ったのは、真紅の正装に白いマントを羽織った金髪の青年だった。
 セドリック・ライゼ・アルノール。先の内戦の責任を追うカタチで帝位を退いたユーゲント三世に代わって、帝位を継いだ若き皇帝だ。
 先代の皇帝の妃にして生みの親、プリシラ皇太妃を伴って会場に姿を見せたセドリックを、他の貴族たちと同様にリィンも片膝をついて出迎える。
 そして恭しく頭を下げると、先程までとは打って変わって丁寧な挨拶を口にするリィン。

「セドリック陛下。本日はお招き、感謝します」
「畏まった挨拶はよしてください。リィンさんは、この国の英雄。僕にとっては恩人でもあるのですから」

 リィンの挨拶に少し驚いた様子を見せながらも、落ち着いた対応をするセドリック。
 しかしオリヴァルトに続き、セドリックまでもがリィンを重んじる発言をしたことに、会場には再び動揺が走る。
 そんな彼等の心情を知ってか知らずか、

「陛下の仰るように、リィンさんは皇家の恩人。私も感謝しているのですよ」

 プリシラ皇太妃までもが、リィンへの感謝を口にする。
 皇家との深い繋がりをまざまざと見せられ、リィンに対する評価を改める者もいれば、怒りを燻らせる者もいた。
 たかが猟兵風情が――それも大罪人の血を引く男が感謝され、どうして自分たちが重用されないのか?
 プライドの高い者ほど目の前の現実を受け入れられず、不満を募らせていく。
 その時点でオリヴァルトの狙いは半分は成功と言ったところだが、オリエが危惧したように効果が強すぎた。
 そうした視線に気付きながらも、リィンは少しも動揺を見せることなくプリシラ皇太妃に挨拶を返す。

「ご挨拶が遅れ、申し訳ありません。ご存じかとは思いますが、改めてご挨拶を。〈暁の旅団〉団長、リィン・クラウゼルです」
「プリシラ・ライゼ・アルノールです。あなたとは機会があれば、一度じっくりと話がしたいと思っていました」

 先程もそうだったが、リィンの堂に入った挨拶に隣で片膝をつくオリエも驚かされる。
 こうした作法も心得ているとは、正直思ってはいなかったためだ。
 実のところ、それはオリヴァルトも同じ気持ちだった。
 驚きの表情を浮かべ、リィンに疑問をぶつけるオリヴァルト。

「リィンくん。なんだか母上と陛下への態度と、僕の対応に凄く格差を感じるのだけど……」
「俺だって公式の場で礼を尽くすべき相手≠ノは、ちゃんと対応するさ。お前はまず自分の胸に手を当てて考えてみろ」

 しかしリィンは呆れた顔で、そう答えを返すのだった。


  ◆


「どうやら、こちらの思惑通りに上手く行ったみたいだね」

 ワイングラスを片手に会場を見渡しながら、そう話すオリヴァルト。
 リィンとの仲を強調することで、貴族たちを牽制するというオリヴァルトの狙いは確かに上手く行った。
 バラッド候の一件で浮き足立っていた者たちも、これでしばらくは静かになるだろう。
 しかし、

(計算違いもあったようだがな)

 会場のどこにもフランツの姿はなかった。いや、フランツだけではない。
 マテウスやバラッド候に近い関係者が、軒並みパーティーには出席していなかった。
 これでは釘を刺すと言う意味では、余り効果があったとは言えない。
 リィンも探りを入れるつもりが、その当人がいないとあって退屈そうにしていた。

「バラッド候の関係者にも招待状は送ったんだよな?」
「当然。しかし、あのような事件があったばかりだからと辞退されてしまってね……」

 確かに襲撃を受けはしたが、バラッド候は亡くなった訳では無い。意識不明の重体とはいえ、一命は取り留めていた。
 襲撃者の狙いがバラッド候の命にあるのだとすれば、再び襲撃される可能性はゼロとは言えない。
 それを理由にされては、オリヴァルトとて無理強いは出来なかったと言う訳だ。

「それに出席を辞退したのは、バラッド候の関係者だけではない」
「……どういうことだ?」
「革新派の関係者も半数ほどが参加を辞退している」

 オリヴァルトの言うように、革新派の者たちも少なくない人数がパーティーへの参加を辞退していた。
 理由は主に、襲撃者の捜索と帝都の治安強化を優先したいがためというものだった。
 ギリアスに取り立てられた者たちのなかには閑職に追いやられた者も多くいるが、全員を辞めさせてしまえば政治は機能しない。
 特に帝都の治安は正規軍に依存している部分が大きく、平民の出身が多いことから革新派に所属する者も多かった。

「もしかして、第一機甲師団もか?」
「そう言えば、まだ話していなかったね。最近その第一機甲師団の司令官となったのが、ミュラーのお父上。〈雷神〉の異名を持つマテウス・ヴァンダール殿だよ」

 オリヴァルトの口から予想もしなかった情報を聞かされ、リィンは目を瞠る。
 だが、言われて見れば理解できない話ではない。第一機甲師団は皇帝のお膝元、帝都を守護する防衛の要だ。
 代々アルノール皇家の守護を担ってきたヴァンダール家の当主が、その機甲師団を率いると言うのは理に叶っている。
 しかし、てっきりマテウスはオーレリアの後任に納まるものだと思っていたのだ。
 領邦軍ではなく正規軍の司令官に就任するなどと完全に予想外だった。

「それを黙って許可したのか? バラッド候との繋がりが疑われる男を、第一機甲師団の司令官に据えるなんて話を――」
「確かに軍の統帥権は皇帝にある。僕も口を挟める立場にはあるけど、マテウス殿を後任に指名したのは前の司令官でね」

 更に言えば、家柄は問題なく実績もある。
 ここまで条件の整った人物をバラッド候との関係が疑われていると言うだけで無碍に扱えば、他からの反発を招くことになる。
 ただでさえ、貴族派・革新派に所属する者たちからは自業自得とはいえ、不平不満の声が上がっているのだ。
 皇族派の者ばかりを要職に据えれば、そうした者たちの不満は更に膨らんでいく。いつか、そうして積もり積もった不満が先の内戦のように暴走というカタチで表面化する恐れがあった。同じ悲劇を繰り返さないためにも、容認するしかなかったと言うのがオリヴァルトの本音だった。
 ギリアスなら、そうした声も力で押さえつけたのだろうが――

「甘いな」
「キミなら、そう言うと思っていたよ。だけどそれをやってしまえば、僕は〈鉄血宰相〉と同じ道を辿ることになってしまう」

 力で押さえつけ支配するようなやり方を、オリヴァルトは取るつもりはなかった。
 ギリアスのしたことを許すことは出来ないし、セドリックにも父親のような道を歩ませたくはなかったからだ。
 そんな話を聞いて、リィンは一先ず納得した様子を見せるも、

「……そう言いながら、俺を利用しているみたいだが?」

 訝しげな表情をオリヴァルトに向ける。
 ギリアスのように力で支配するやり方を好まないと言っておきながら、猟兵の力を借りれば本末転倒だ。
 恐怖で押さえ込むと言う意味では、リィンの力を使うのも同じことだからだ。

「多少は皇家への心象も悪くなるだろうけど、直接恨みを買うのはリィンくんだからね」
「おい」

 身も蓋もない言い方をされ、リィンはオリヴァルトを睨み付ける。
 確かに猟兵は人の恨みを買う仕事だと思っているが、それを押しつけられて良い気はしないからだ。

「理不尽に力で支配するやり方は間違っていると思っている。でも、力が必要ないとは思っていないよ」

 力とは、戦争をするためだけにあるのではない。争いを引き起こさないためにも力は必要だ。
 まったく誰の恨みも買わず、善政を敷けるなどと夢のようなことをオリヴァルトは考えていなかった。
 必要なのは匙加減だ。飴だけでも、鞭だけでも人はついてこない。
 力だけに頼らない政治。それがオリヴァルトの目指す帝国の在り方だった。

「わかってるならいいさ。だが、俺たちを利用する以上は対価≠ヘきっちりと頂くからな」

 と、リィンに釘を刺され、オリヴァルトは頬を引き攣る。
 僕とリィンくんの仲じゃないかと馴れ馴れしくしてくるオリヴァルトを「一ミラも負ける気は無いぞ」と容赦なく突き放すリィン。
 そんななか――

「リィンさん、少しよろしいですか?」

 声を掛けられてリィンが振り返ると、そこには灰色の軍服に身を包んだクレアがいた。


  ◆


「こちらの部屋で、陛下がお待ちです」

 そう言ってクレアに案内されたのは、一般人は勿論のこと大貴族でさえ立ち入りを許されていない皇族のプライベート空間だった。
 クレアを扉の前に残し、部屋の中に足を踏み入れるリィン。
 代々の皇帝が静養に利用していたという部屋は予想に反して、どこか落ち着いた雰囲気を纏っていた。
 赤い絨毯にレースのカーテン。調度品も一級品であることは間違いないが、下品にならないように上手く調和が取れている。

「お待ちしていました。どうぞ、座ってください」

 セドリックに出迎えられ、着席を促されるままにリィンは中央のソファーに腰掛ける。

「ここでは畏まった言葉遣いは無用です。誰も通すなと命じてありますから」
「そう言ってくれると助かる。正直に言うと、格式張ったパーティーは苦手でな。抜け出す口実を貰えて、ほっとしているところだ」

 首や肩をコキコキと鳴らしながらそう話すリィンを見て、セドリックは苦笑する。
 オリヴァルトの案とはいえ、本当のところセドリックはリィンを利用することに抵抗があったのだ。
 貴族たちの前で話したようにリィンには恩があると言うのも理由にあるが、アルフィンの大切な人だとわかっているからだ。
 リィンをこんな風に利用したと知れば、きっとアルフィンは良い顔をしないだろう。
 大切な人が政略の道具に利用されたと聞いて、喜ぶ者はいない。自分の力が足りないばかりにリィンやアルフィンには辛い役目ばかりを押しつけてしまっている。
 そんな葛藤がセドリックのなかにはあった。

「それで? 俺に話って言うのは?」

 そんなセドリックの心中を察してか?
 さっさと用件を話せとばかりに、呼び出した理由をリィンは尋ねる。
 リィンが気遣ってくれていることに感謝しながら、ゆっくりと説明を始めるセドリック。

「……正直、お話するべきか迷いました。ですが、リィンさんには伝えておくべきだと考えました」

 これからする話は、本来は皇家の人間以外に軽々と話して良いことではない。
 まだ誰にも――それこそ、オリヴァルトにすら伝えていないことだった。
 しかし、リィンには知っておいて欲しい。いや、まず先に伝えておくべきだとセドリックは思ったのだ。
 ユーゲント三世が隠し続けてきた皇家の秘密。それはギリアス・オズボーンが、あのような行動を取った理由にも繋がるものだったからだ。

「――黒の史書」

 聞き覚えのある名を聞き、リィンは目を瞠る。
 そんなリィンの反応を見て、やはり自分の判断は正しかったと確信するセドリック。
 そして、

「どうやら、ご存じのようですね。その原本≠ヘ皇家が所有しています」

 驚くリィンに追い打ちをかけるかのように、セドリックはそう告げるのだった。



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