七耀歴一二〇六年、一月三日。
 御前試合の当日。帝都郊外にある第一機甲師団の演習場は、嘗て無い賑わいを見せていた。
 貴族派の英雄と名高いオーレリア・ルグィンと、先の内戦の立役者にして平民たちから特に多くの支持を得ている若き英雄リィン・クラウゼルの試合が正午から執り行われることになっているからだ。
 この試合が注目を集めないはずがなく、既に会場の外に設営されたモニターの前にも多くの人々が詰め寄せていた。
 そんななか、こっそりと人目を忍びながら関係者用のゲートから導力車で会場入りする黒いコートの男がいた。
 暁の旅団・団長、リィン・クラウゼルだ。

「まさか、こんなにも人が多いとはな……」

 ガス抜きが目的とは聞いていたが、幾らなんでも人が多すぎるだろうとリィンは嘆息する。
 帝都の人口は、凡そ八十八万人。クロスベルの人口が五十万ほどなので、二倍近い人口を抱えていると言うことになる。
 共和国の首都が七十九万人。そう考えると間違いなく、この帝都は大陸で最大の人口を誇る大都市と言ってよい。
 そのすべてが注目していると言う訳ではないだろうが、演習地の周りだけでも二万人は下らない観客が集まっていた。
 会場の周りでは、どちらが勝つかと言った賭け事まで行なわれている始末だ。

「集束砲は控えた方が良さそうだな……」

 流れ弾が観客の方に飛んでいけば、洒落にならない被害がでそうだとリィンは考える。
 とはいえ、帝国の二大剣術を修めているオーレリアに飛び道具なしで戦いを挑むと言うのは、大きなハンデと言ってよかった。
 見世物になる時点で覚悟はしていたとはいえ、面倒臭い勝負になりそうだとリィンは溜め息を吐く。
 そして、

「ん? あれは……」

 車から降りたリィンは控え室に向かうため、兵士の案内で施設の中を歩いていると一組の男女を目にする。
 少女の方は、エリゼ・シュバルツァー。帝国北部の辺境〈ユミル〉を治める男爵家の一人娘だ。
 いまはアルフィンと共にクロスベルにいるはずの彼女が、まさか帝都に来ていると思ってもいなかったリィンは首を傾げる。

(一緒にいる男は誰だ?)

 エリゼと一緒にいるのはアルフィンではなく、眼鏡をかけた金髪の男だった。
 歳の頃は十代後半から二十歳前後と言ったところだろうか?
 記憶を探ってみるも、男の顔に見覚えはない。
 それに、しつこく話し掛けられて対応に困っていると感じがエリゼの表情からは窺えた。
 そのことから、ナンパかとリィンは当たりを付ける。
 見て見ぬフリも出来ないかと溜め息を吐くと、

「知り合いを見つけたから、案内はここまでで良い」
「え? ちょっと困ります――」

 戸惑う兵士にそう言って、エリゼのもとへ向かうのだった。


  ◆


「エリゼ、きてたんだな」
「……兄様!」

 余程、困っていたのだろう。
 リィンの顔を見て、ほっとした表情を浮かべるエリゼ。
 一方で、

「兄様? シュバルツァー男爵家に男の跡継ぎがいるなどと聞いたことはないが……」

 男の方は訝しげな視線をリィンに向ける。
 かなり仕立ての良い服を着ていることからも、どこかの貴族の子供かとリィンは男の素性に当たりを付ける。
 それならエリゼと面識があっても不思議はないと考えたからだ。
 しかしエリゼの様子から見ても、親しい関係とは思えなかった。

「どこの誰かは知らないが、そのくらいにしとけ。しつこい男は嫌われるぞ」
「知らない? この俺のことを?」

 バカにするような物言いで、男は鼻を鳴らす。
 見下すような視線を向けられ、「最近こういうことあったな……」とメイド喫茶の一件を思いだしながら溜め息を漏らすリィン。
 あの時の三人は共和国の出身だったが、この手のバカと言うのは何処にでもいる。
 むしろ、身分制度のある帝国の方が共和国よりも特権意識の高い人間が多いと思っていいだろう。

「この方は、帝都銀行頭取の御子息。女学院に多額の寄付をしている銀行の関係者です」

 そういうことか、とエリゼの話を聞いて納得するリィン。
 帝都銀行と言えば、嘗てのIBCに次ぐ資産を有する帝国最大の銀行だ。
 その頭取ともなれば、そこらの大貴族に引けを取らない大物と言っていい。
 強気にでるのも理解できなくはない。大方、寄付金を盾にしつこくエリゼに付き纏っていたのだろう。

「俺の名はダリオ・ジスカール。立場を理解したなら口の利き方に気を付けろ」

 まったく悪びれた様子のない男――ダリオの言葉に「ほう……」とリィンは双眸を細める。
 自分の方が立場が上だと、一切の疑いを持っていない目をダリオはしていた。
 しかし、

(親の七光りか)

 偉いのはダリオの親であって、彼自身ではない。
 親の名前をだせば大抵のことは好き勝手やれてきたのだろうが、今回ばかりは相手が悪かった。
 貴族は勿論のこと、皇族にすら遠慮のないリィンだ。
 礼には礼を尽くすが、帝都銀行の頭取の息子だろうとバカ≠ノ配慮をする理由はない。

「で? そのお偉い銀行の御子息が、どう言う訳でエリゼに付き纏っているんだ?」
「な……言い掛かりはよしてもらおうか! ただ、婚約者に挨拶をしていただけだ!」
「婚約者?」

 シュバルツァー男爵家は爵位こそ低いが、皇家とも縁のある貴族として知られている名家だ。
 帝都銀行の頭取の息子と縁談の話が持ち上がっても、不思議な話ではない。
 しかし、

「そうなのか?」
「いえ、初耳です。父様や母様からも、そうした話は報されていませんので……」

 そもそもあの娘を溺愛している男爵が、エリゼを困らせるようなことをするとは思えない。
 そんな話を勝手に進めれば、ルシア夫人も黙ってはいないだろう。
 だとすれば、ダリオの勇み足と考える方がしっくりと来る。

「お前こそ、彼女とどう言う関係だ!?」

 苛立ちを隠せない様子で、リィンに詰め寄るダリオ。
 今度はそうきたかと、逡巡する素振りを見せるリィン。
 しかし、そう尋ねられても一口に説明するのは難しい。
 リィン自身、エリゼの気持ちは察しているつもりだが、まだ答えを保留にしている身だ。
 とはいえ、一つだけ、はっきりとしていることがあった。
 男爵が娘を溺愛しているように、リィンもエリゼのことは家族と同様に気に掛けている。
 困っているなら放っては置けない。それに、こんな男にエリゼを渡すつもりはなかった。

「に、兄様!?」

 突然、リィンに腰を抱き寄せられて、頬を紅く染めて狼狽えるエリゼ。
 しかし、ダリオが言い寄っていた時と違い、嫌がっていると言った素振りではない。
 そのことにはダリオも気付いたのだろう。顔を青くして、悔しげな表情を滲ませる。

「ま、まさか……」
「ああ、こういう関係≠セ」

 そんなダリオを挑発するかのように、口元に笑みを浮かべながら答えるリィン。
 この手の自意識過剰な相手には、何を言ったところで無駄だ。
 丁寧に説明をしたところで、自分に都合の良い解釈しかしないだろう。
 なら現実≠見せてやった方が早い。それがリィンの答えだった。

「ふざけるなッ! 俺を、俺を誰だと思ってるんだ!?」

 恥を掻かされたと思い、激昂するダリオ。
 これまで親の名前をだせば、思うように行かなかったことはないのだろう。
 縁談を断られるという発想自体が、彼の頭の中にはなかったに違いない。

「こんな真似をして、ただで済むと思っているのか!? 俺の親父は帝都銀行の頭取だぞ? 政府に太いパイプを持ち、皇族にすら影響を与えられる帝国でも五本の指に入るほどの資産家だ! 辺境の男爵家くらい簡単に潰せるんだぞ!?」
「ほう……それはつまり、喧嘩を売られたという認識でいいんだな?」
「な……!」

 まさか、ここまで脅して怯まないとは思ってもいなかったのだろう。
 心の底から意味が分からないと言った様子で、ダリオは困惑を表情に滲ませる。
 そんな時だった。

「こんな場所で痴話喧嘩か?」
「待て。あの黒いコートの男は、もしかして……」
「間違いない。あの太陽のエンブレム……」

 リィンの正体に気付き、周囲が騒がしくなる。
 暁の旅団。そしてリィン・クラウゼルの名は、帝国貴族にとって名前を聞くだけで震え上がるような悪名と言ってもいい。
 そして、第一機甲師団は帝都の守りの要。皇帝のお膝元を守護する重要な任を与えられているとあってエリート意識が高い。
 そうしたことから平民の多い正規軍には珍しく貴族の出身者が多く、その性質は領邦軍に近かった。
 だからこそ、リィンのことはよく知っている。それは試合を観戦するために招かれた貴族たちも同様だった。

「は? 何が……」

 一斉に周囲の者たちが自分から距離を取り始めたことに気付き、ダリオは何が起きているのか分からずに呆けた声を漏らす。

「兄様。余り手荒なことは……」

 不安げな表情でリィンに自制を促すエリゼ。
 庇ってもらえて嬉しいと思う反面、リィンなら脅しではなく本気でやりかねないと心配してのことだった。
 とはいえ、リィンも本気でダリオをどうこうするつもりなどなかった。
 ここで彼を殺してしまえば、第一機甲師団の顔を潰すことになるからだ。
 そうなったら試合どころではなくなるし、最悪の場合、帝国正規軍を敵に回すことになる。
 落としどころを考え、何かを察した様子で頃合い≠ゥと人垣に目を向けるリィン。

「そろそろ、でてきたらどうだ?」
「フフッ、やはりリィンさんは誤魔化せませんか」

 人垣の中から姿を見せた少女を見て、リィンは溜め息を吐く。
 エリゼがここにいると言うことは、当然彼女≠煦齒盾フはずだと最初から気付いていたからだ。

「こ、皇女殿下!?」

 真紅のドレスに身を包んだ金髪の少女を見て、驚きの声を上げるダリオ。
 アルフィン・ライゼ・アルノール。〈帝国の至宝〉にして、クロスベル総督の姿があった。
 一瞬バツの悪そうな表情を見せるも、アルフィンなら自分の味方をしてくれるはずだとダリオは弁明をする。

「皇女殿下、これは違うのです! そこの男があらぬ因縁をつけてきて!」
「そうなのですか?」
「……事情を知っていて聞いてるだろ?」

 ずっと隠れてアルフィンが様子を窺っていたことにリィンは気付いていた。
 アルフィンのことだ。大方、ダリオが墓穴を掘るのを待っていたのだろう。

「ダリオ・ジスカールさん。先程ご実家の方へ『縁談の話は辞退させて欲しい』と、男爵家から断りの手紙が届いたそうです」
「……は?」

 目を丸くして呆けるダリオに、アルフィンは畳み掛けるように話を続ける。

「それと女学院への寄付金に関しても、理事会での返却が決定しました。わたくしが留守の間に随分と好き勝手をされていたようで、ギスカール頭取からも存分に灸を据えてやって欲しいと言付けを預かっています」
「う、嘘だ! パパが僕≠見捨てるなんて……」

 アルフィンの話を信じられないと言った様子で、首を横に振るダリオ。
 みっともなく喚き立てるダリオを見て、「困りましたね」とアルフィンは頬に手を当てる。

「あなたの身を心配しての提案でもあるのですよ?」
「は? 何を言って……」

 アルフィンが何を言っているのか理解できず戸惑いを見せるダリオ。
 しかし、ハッと何かに気付いた様子でリィンへと視線を向ける。
 黒いコートに太陽のエンブレム。
 そしてアルフィンと顔見知りの男と言えば、考えられる人物は一人しかいないからだ。

「そう言えば、まだ名乗っていなかったな。リィン・クラウゼルだ」
「リィン……ま、まさか……暁の旅団の……」

 暁の旅団の噂は、当然ダリオの耳にも届いていた。
 内戦を終結に導いた英雄と讃えられる一方で、貴族ですら一切の容赦なく敵対したものを皆殺しにしてきた冷酷無比な猟兵。
 周りの者たちが何を恐れているのか?
 アルフィンの言葉の意味を理解したダリオは、瞳に涙を滲ませて小刻みに身体を震わせる。

「ひ、ひぃ! 違う、違うんだ! さっきのはただの出来心で!」

 尻餅をつき、股間を濡らしながら惨めに泣き叫ぶダリオ。
 帝都銀行の頭取の息子という肩書きでさえ、通用しない相手。
 猟兵に身柄を拘束されると言うことは、どう言う目に遭わされるのかを想像したのだろう。

「アルフィン。こいつの処分≠ヘ、こっちに任せてもらっても構わないな?」
「本人が拒否している以上は仕方がありませんね」
「ま、待って! 待ってくれ! まだ死にたくない。僕を見捨てないでくれええええ!」

 ここでアルフィンに見捨てられたら命はない。
 そう確信したダリオは泣き叫びながら、必死に命乞いをするのだった。



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