待ち合わせの喫茶店に顔を出して見れば、クレアの隣には一人の男が座っていた。
鉄道憲兵隊の制服に身を包んだ金髪の男。その男の顔にリィンは覚えがあった。
先日、リーヴェルト社の代表から依頼されたオルゴールの件で、男のもとを尋ねているからだ。
――ミハイル・アーヴィング。クレアの従兄にあたる人物だ。
「その様子だと仲直りは出来たみたいだな」
「お陰様でな……この借りは、いつか返す」
「気にするな。俺はただ依頼されただけだ」
報酬は既に受け取っていると話すリィンを見て、ミハイルは苦笑する。
前もってクレアからも、リィンならそう答えるはずだと教えられていたからだ。
軍人としては猟兵と馴れ合うのはどうかという考えはある。しかしオリヴァルトやアルフィンからも頼りにされているように、個人的には信用の置ける人物だとミハイルはリィンのことを評価していた。
だからクレアから相談を受けた時も軍を辞めることに反対せず、リィンにならクレアのことを任せても良いと思ったのだ。
「例の返事をもらえるのかと思ってきたが……違うみたいだな。アルスターの件か?」
「さすがに察しが良いですね。宰相閣下からの依頼を引き受けられたとか」
「ああ、住民の保護を引き受けたのはアルフィンだけどな。オリヴァルトから聞いたのか?」
「はい。そのことで出来る限り、リィンさんのフォローを頼むと……」
まさか、そんな申し出をクレアの方からしてくると思っていなかったリィンは目を丸くする。
オリヴァルトがミュゼと直接交渉をするのではなく、アルフィンを通じてリィンにアルスターの住民の保護を頼んだのは貴族との軋轢を気にしてのことだと思っていたからだ。
なのに軍人であるクレアがリィンに協力すれば、それを政府からの干渉と受け取る貴族も出て来るだろう。
ましてや、鉄道憲兵隊と領邦軍は険悪の仲と言って良い。相手の心象を悪くするだけで交渉には不向きと言えた。
「どう考えても、それは悪手だろ。あのバカ、何を考えて……」
そこまで口にしかけて、リィンはまさかと言った顔でクレアに視線をやる。
ミハイルと違い、クレアはいつもの灰色の軍服ではなく私服に身を包んでいた。
そこから考えられるのは――
「例の返事ですが、こちらから改めてお願いします。軍は本日付で退役しました。〈暁の旅団〉への入団を認めて頂けますか?」
期待をしていなかったと言えば嘘になるが、まさかのクレアの行動に驚かされる。
鉄血の子供たちの一人だったとあって、クレアが厳しい立場に置かれていたことはリィンも知っている。
しかし、代わりがきかないほどに優秀な軍人であることも事実なのだ。だからこそ、ギリアス亡き後の混乱を鎮めるために彼女は利用されてきた。
それだけにプリシラ皇太妃と取り引きをしたとはいえ、簡単に軍が彼女を手放すとは思っていなかったのだ。
それに、どうするかを最終的に決めるのはクレア自身だ。彼女が軍に残ることを選ぶ可能性もゼロではないとリィンは考えていた。
いや、クレアの性格を考えれば、その可能性の方が高いと考えていたのだ。
「勿論、簡単には行かなかった。だが、ヴァンダイク学院長が軍に掛け合ってくれたのだ。自身の復隊と引き替えにな」
「は?」
思いもしなかった名前をミハイルの口から聞かされ、リィンは今日何度目か分からない驚きの声を漏らす。
「以前から誘いがあったらしい。恐らくは……」
戦争に備えてのことだろうと、ミハイルは話す。
確かにギリアス・オズボーンの嘗ての上官にして、歴戦の軍人であるヴァンダイク学院長の存在は軍にとって大きい。
それこそ、クレアの退役を認めても、お釣りが来るほどの影響力が彼にはある。
「だが、ノーザンブリアとの戦争は貴族派が望んでいることだろう?」
正規軍の出番があるとは思えない、とリィンは疑問を口にする。
そもそもの話、領邦軍だけでもノーザンブリアを占領するには十分な戦力を要しているからだ。
態々、手柄を正規軍に譲るような真似を領邦軍がするとは思えない。それはバラッド候の望むところでもないだろう。
「相手がノーザンブリアだけならな」
「……まさか、共和国を警戒しているのか?」
「そのまさかだ。ノルド方面の話は聞いていると思うが、共和国軍が妙な動きを見せているとの情報が上がっている」
ノーザンブリアの動きに合わせて共和国軍が動く可能性がある、と軍は見ているとミハイルは話す。
実際、帝国内で共和国の工作部隊と思われる者たちが暗躍しているようだとの情報が軍には入っていた。
帝国の動きを警戒して情報収集に奔走しているとの見方もあるが、楽観視できるような状況ではない。
それに――
「ここだけの話だが、北の猟兵の背後に共和国がいるのではないかという憶測が軍の中を飛び交っている」
「……ただの憶測だろ?」
「確かに証拠はない。しかし帝国との戦力差は奴等も理解しているはずだ。なのに帝国政府からの要求を拒否し、こうも強気に仕掛けてくるのには相応の理由≠ェあると上の方は考えているみたいだ」
確かにありえない話ではない。
そもそも一連の襲撃が〈北の猟兵〉の仕業ではないという確たる証拠を、リィンたちも得ていないのだ。
いまのところ〈北の猟兵〉が犯人である可能性が高い以上、軍がそういう結論に至るのも仕方がなかった。
「事情は理解した。だが、そんな状況なのによく軍を辞める決断をしたな」
責任感の強いクレアのことだ。
むしろ、そういう状況なら軍に残ることを選ぶ可能性が高いようにリィンには思えた。
なのにクレアは軍を辞めた。追い込むことで選択を迫ったとはいえ、腑に落ちないものをリィンは感じる。
「ミリアムちゃんが任務の途中で消息を絶ちました」
思い詰めた表情でそう話すクレアを見て、そういうことかとリィンは事情を察するのだった。
◆
クレアによると、海都オルディスでの通信を最後にミリアムとの連絡が途絶えているとの話だった。
当然ミリアムの捜索を上に願い出たそうだが、捜索の許可は降りなかったそうだ。
「ミリアムは、どうしてオルディスに?」
「情報局が動いているみたいで、詳しくは私も知りません。ですが、バラッド候に関することで何かを探っていたようです」
ミリアムがまだエージェントとして活動していることはリィンも知っていた。
バラッド候の周辺を探っていたとなると、黒の工房について何かを調べていたと考えるのが自然だ。
だとすれば、
「なるほど。だから軍を辞めて、俺をあて≠ノしたってことか」
捕まった可能性が高い。クレアもそう考えているのだろう。
だからミリアムを捜すために軍を辞めて、リィンと共に行くことを決意したのだと考えられる。
「勝手なお願いだというのは理解しています。ですが……」
ルーファスは死に、レクターは帝国を去り、いまや〈子供たち〉で残っているのはクレアとミリアムの二人だけだ。
だからこそ、クレアはミリアムのことを人一倍気に掛けていたのだろう。
いや、ミリアムの存在がクレアを軍に繋ぎ止めていたと言っても良い。
「分かった。どのみち連中とは、とことんやり合う予定だしな」
ミリアムが何処に囚われているかは分からないが、黒の工房とやり合う以上はどこかでぶつかるはずだ。
それにアルティナがこのことを知れば、恐らくはミリアムを助けようと動くだろう。
原作ほどの接点は二人にないが、それでもアルティナが『オライオン』の名を持つ姉妹たちを気に掛けていることは間違いないからだ。
「で? クレアの話は分かったが、お前はどういうつもりだ?」
訝しむような視線を向け、ミハイルにそう尋ねるリィン。
オルゴールの礼を言うために、クレアについてきたというのは些か無理がある。
ミハイルも何かしらの用事があって、ここへやってきたと考えるのが自然だとリィンは考えたのだ。
「まあ、妹のことが心配で放って置けないほどのシスコンだっていうなら話は別だが……」
「誰がシスコンだ!?」
若干気にしているであろうことをリィンに突かれて、感情を顕にするミハイル。
冗談のつもりだったのだが、そんな分かり易いミハイルの反応に、やっぱりかとリィンは呆れる。
とはいえ、リィンもミハイルのことをどうこう言える立場にないことは自覚していた。
「なんか、お前とは仲良くやれる気がするな」
「そういう信用のされ方は不本意なのだが……」
シスコン同士引かれ合うものがあるのか?
リィンに同類扱いされて、ミハイルは不満げな表情を浮かべる。
「とにかく今日はそんな話をしにきたのではない。クレアを通じて、こちらも支援の用意がある。それを伝えにきた」
「それは鉄道憲兵隊としてってことか? ……俺の話を聞いてたか?」
「勿論、表立って支援するつもりはない。だが、こちらにも事情があるのだ……」
そう言って、苦々しい表情で事情を説明するミハイル。
彼の話によるとミリアムの他にも、軍の関係者が何人も行方知れずになっているとの話だった。
そのなかには鉄道憲兵隊の隊員も含まれているとの話を聞き、リィンは眉をひそめる。
それだけの大事になっているにも関わらず、軍上層部がミリアムの捜索を許可しなかったことに違和感を覚えたからだ。
「軍の統帥権は皇帝にあるはずだな」
「表向きはそうだが、なんでも陛下の一存で決められるものではない。それに正規軍は平民の出身者が多いことから革新派に所属する者も多い」
「ああ……そこに繋がるのか」
貴族派と革新派が手を組んだという情報をリィンは思い出す。
皇族派に対抗するため、一時的に手を結んだと言ったところだろうが、ようするに派閥の対立が軍にまで影響を及ぼしていると言うことだ。
当然、邪魔をしている者たちのなかには〈黒の工房〉と繋がっている者も少なからずいるはずだ。
思っていた以上に根の深い問題を聞かされ、リィンは溜め息を溢す。
「帝国は本当に大丈夫≠ネのか?」
正直なところ手の付けようがないくらい末期のように思える。
現在、帝国軍の兵力は予備役を含め、百万に達するとも言われている。軍拡を進め、急速に勢力を増した弊害もあるのだろう。
皇帝は勿論のことオリヴァルトも制御しきれないほどに、帝国という国は大きくなりすぎてしまったと言うことだ。
そう言った国が最終的にどのような最後を迎えるのか? それは地球≠フ歴史が証明している。
リィンが帝国の未来に危機感を抱くのも当然のことだった。
「手後れ……とまでは言いません。ですが、痛みを伴わない改革は既に不可能なところにまできていると思います」
そして、それは内部からの力だけで、どうこう出来る段階を超えているとクレアは感じていた。
ギリアス・オズボーンの政策が事態を悪化させたことは事実だが、火種は最初からあった。
ゆっくりとではあるが、帝国が滅びの道へ進んでいたことは確かなのだ。
「言っておくが、そこまで面倒を見るつもりはないぞ?」
「……分かっています。帝国の問題は、帝国の人々が解決するべき問題ですから」
だが、アルフィンは帝国の皇女だ。そして、この国には少なからずリィンの知り合いも暮らしている。
どう言う結果を迎えるにせよ、リィンがそうした人たちを見捨てる薄情な人間ではないとクレアは確信していた。
そうでなければ、モーガンの頼みも断っていたはずだからだ。
「随分と信頼≠ウれているみたいだな」
「焼き餅か? シスコンも程々にしとけよ」
「シスコンじゃないと言っているだろう!?」
テーブルを挟んで睨み合うリィンとミハイルを見て、クレアは笑みを漏らす。
こんな生き生きとしたミハイルの姿を見るのは、十数年ぶりのことだったからだ。
まるで、弟や両親が生きていた頃を見ているかのようだと、クレアは思う。
「どうかしたのか?」
「リィンさん。いえ、リィン団長。これから、よろしくお願いします」
畏まった様子でそう言って頭を下げるクレアを見て、リィンは――
「これまで通り、リィンでいい」
と、少し困った表情で答えるのだった。
◆
「え? 新しい団員? その人って〈氷の乙女〉ですよね?」
「ああ、軍から引き抜いた」
意味が分からないと言った表情を見せるレイフォン。
無理もない。〈氷の乙女〉と言えば、鉄道憲兵隊の顔とも言える軍人。
若くして少佐の地位にまで上り詰めた帝国軍きってのエースとも言える人物だからだ。
そんな彼女が軍を辞め、猟兵団に入ったと聞かされれば耳を疑うのも当然だった。
何より――
「狡いです! なんで、その人は良くて私は駄目なんですか!?」
「前にも言っただろ。いまのお前じゃ団に入っても、すぐに死ぬだけだ」
まだ自分はリィンに認められていないのに、あっさりとクレアが認められたことにレイフォンは不満を持つ。
だから、
「……私と勝負してください」
「え?」
レイフォンはクレアに証明を求める。
リィンが認めた実力の一旦でも見なければ、自身を納得させることが出来ないからだ。
氷の乙女の噂はレイフォンも耳にしている。とても優秀な軍人だと言うことも当然知っていた。
それでも、女として譲ることの出来ない戦いがそこにはあった。
「リィンさん、どうすれば……」
「適当に相手してやれば納得するだろ。悪いがよろしく頼む」
困惑するクレアにそう答えると、リィンは逃げるようにその場を後にするのだった。
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