「おや? もう話は良いんですか?」

 思っていたよりも早くブリッジに顔を見せたリィンに驚きながら、トマスはそう尋ねる。
 ヴァレリーが目を覚ましたとロジーヌから話を聞いていたので、込み入った話になると思っていたからだ。

「そんな風に聞くってことは、ヴァレリーの素性に気付いてたな?」
「ええ、それはまあ……ですが、そちらも見当は付いていたのでは?」
「大凡だがな。それよりノーザンブリアの件、教会はどこまで掴んでるんだ?」

 ヴァレリーのことを知っていると言うことは、それなりに情報を得ているのではないかと考え、リィンはトマスに尋ねる。

「キミこそ、ロジーヌくんに宛てた手紙の内容からも、彼女に手紙を渡せば私に情報が伝わると読んでの行動だったのでしょう?」

 トマスの問いを否定も肯定もせずに肩をすくめるリィン。
 だが、その態度からも明らかだった。
 ロジーヌに宛てた手紙の内容はこうだ。

 ――依頼を受け、ノーザンブリアの件で動くことになった。
 付いてくる気があるのなら、所定の日時までに指定された場所へ来い。

 と、こんな風に同行を求められれば、ロジーヌの性格や立場から行って拒否できるはずもない。
 元々彼女はリィンの監視のために、教会から派遣された経緯があるからだ。
 しかし生真面目なロジーヌの性格を考えれば、少なくともトマスに相談をせずに独自の行動を取るというのは考え難い。
 最低でも一報を入れてから行動するはずだ。そして、ロジーヌからの相談を受けたトマスが動かないはずがない、とリィンは考えたのだろう。
 トマスを巻き込むつもりなら、どうして最初からトマスに連絡を頼まなかったのかと言えば、教会との直接的なやり取りを避けたかったからだと考えられる。
 そこから導き出されるのは――

「僧兵庁の動きに気付いていましたね?」
「一度、お前等には命を狙われているからな。警戒するのは当然だろ?」

 痛いところを突かれて、何も反論できずに苦い顔を見せるトマス。本来、教会は中立的な立場で各国の政治や紛争には介入しない決まりとなっているが、アーティファクト絡みの事件は別だ。特に世界の命運≠左右するような事柄であれば、尚更放っては置けない。少なくとも騎神や〈黒の工房〉に関連する事件には、それだけの危険があると教会は警戒していた。
 本来であれば、こうした仕事は封聖省の管轄なのだが、巨神の事件では後手に回っただけでなく目立った成果を上げられなかった。そればかりか、リィンの暗殺を計画して失敗した挙げ句、暗殺のために放った騎士を捕らえられたことで各国に事件が露見すると言った失態を犯している。そのことで帝国にも弱味を握られ、借りを作る結果となってしまったことは教会にとって大きな痛手だった。
 そのため、封聖省の膿を出すことには成功したが、一方で僧兵庁が力を付け、権限を越える行動を見せるようになったのだ。

「お前等の権力争いに興味はないが、一方的に巻き込まれるのも面倒なんでな」
「……それで、ロジーヌくんを?」
「少なくとも、俺たちの正当性≠主張するのには役立つ」

 それは言ってしまえば、僧兵庁と一戦交える覚悟を決めていると言うことだ。
 こればかりは何も言えず、トマスは仕方がないと言った様子で肩を落としながら溜め息を溢す。
 リィンの言うように、いまのままならそうなる可能性が高いとトマス自身も理解しているからだった。
 だから、こうして自ら出張ってきたのだが、それすらもリィンに利用されている気がしてならない。

 僧兵庁と衝突した時の証人にロジーヌを使うと言っても所詮、彼女は従騎士だ。特別な地位に就いていると言う訳ではない。
 暁の旅団と衝突することになっても僧兵庁が非を認めるはずもなく、一介の騎士に過ぎないロジーヌの証言に耳を貸すこともないだろう。最悪の場合、問題を揉み消しに動く可能性が濃厚だ。
 想定されるケースとしてロジーヌの暗殺から〈暁の旅団〉との全面衝突という最悪のケースまで考えられる。
 しかし、それは証人がロジーヌだけの話で、相手がトマスであれば話は別だ。星杯騎士団の副長という地位は軽くない。
 口を封じようにもトマスが相手では、僧兵庁も思い切った行動にはでにくい。
 封聖省が教会内での影響力を落としているとは言っても、星杯騎士団が教会の最高戦力であることに変わりはないからだ。
 リィンのことだ。そこまで考えて、ロジーヌを引き込んだ可能性が高いとトマスは考えていた。

「……本人が近くにいるのに、そういう黒い話はやめて頂けますか?」
「なんだ。ロジーヌもいたのか」
「気付いてて、言ってますよね?」

 ロジーヌの座っている通信端末はブリッジの出入り口から死角になっているとはいえ、気配に鋭いリィンが気付いていなかったとは考え難い。
 そもそも、トマスはロジーヌがいることを知っていたのだ。
 本人が近くにいるのに話のダシに使わないで欲しいと不満を口にするのは当然だった。
 とはいえ、別に二人の話を聞いてショックを受けたと言う訳ではない。リィンに利用されていることは薄々と気付いていたからだ。
 それでも〈暁の旅団〉と本気で事を構えることになるよりは、と現実的な方法を選択したに過ぎない。
 自分の身が危険に晒されることに関しては、騎士団に入った時点でとっくに覚悟を決めていることだった。
 そう言う意味では彼女も、ただのシスターなどではなく星杯騎士団の従騎士と言うことなのだろう。

「さすがに少しは悪いと思っているしな。教会を破門されたら、いつでも言ってくれ。就職先くらいは面倒を見てやるから」
「はあ……その時はお世話になります」

 出来れば余り考えたくないが、リィンとトマスの話を聞いていると可能性は低くないように思える。
 少なくとも僧兵庁から恨みを買うことは確実だ。トマスは大丈夫でも、ロジーヌからすれば十分に厄介な話と言えた。
 この件が無事に片付いたとしても、教会に居場所を失う可能性は高いとロジーヌも覚悟はしていたのだ。
 それに――

「うちには、スカーレットもいるしな」
「目の前で堂々と、うちの従騎士を引き抜かないでくれませんか?」

 暁の旅団には既に『元従騎士』の肩書きを持つスカーレットがいるだけに、面と向かって言われると尚更そのことを意識してしまうのだった。


  ◆


 ――歓楽都市ラクウェル。
 元々この辺りは海都と帝都、ジュライ方面を結ぶ交通の要衝だった。
 鉄道の開通と同時に小劇場やカジノなどが建てられ、歓楽街として生まれ変わったのが三十年前のことだ。

「ここがラクウェルですか」
「ああ、来るのは初めてか?」
「はい。思っていたよりも人が少ないというか、落ち着いた感じの街ですね」
「街の外から人が大勢やってきて賑わうのは、夜になってからだからな。この街で仕事をしている連中も、大半は夜に備えて寝ているからな」

 石畳にレンガ造りの建物。
 歴史を感じさせる古くも情緒溢れる街並みは、ここが『歓楽都市』と呼ばれる街とは思えない落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
 しかし、いまの時間は正午前と言ったところだ。リィンの言うように、この街が本来の姿を見せるのは日が暮れてから――
 煌びやかな夜の街並みをイメージしていただけに、想像していたのと違うとレイフォンが感じるのも無理はなかった。

「そう話すと言うことは、来たことがあるのですね?」
「前に所属していた団の仲間と一緒にな。最後に来たのは四年ほど前か」

 ジト目で追及してくるラクシャの問いに、肩をすくめながらそう答えるリィン。
 だが四年前と言えば、その頃のリィンはまだ十五歳。明らかに夜の歓楽街をうろついて良い年齢ではない。
 同様の理由でノルンとクルトは船で留守番をしていると言うのに、ラクシャが呆れるのも無理はなかった。
 ちなみにこの場にいるのはリィンとラクシャ、レイフォンの三人だけだ。
 余り大人数で街へ出向くと、悪目立ちする恐れがあると考えたためだ。
 シャーリィとローゼリアが若干ごねたくらいで、他のメンバーは大人しく全員船に残っていた。

「あれ? でもリィンさんって、まだ未成年≠ナすよね?」

 ふと感じた疑問を口にするレイフォン。
 そうなのですか? と言ったラクシャの視線が突き刺さる中、リィンは逆にレイフォンに尋ねる。

「……お前、なんで俺の誕生日を知ってるんだ?」
「エマさんに聞きました。五月が誕生日なんですよね?」

 エマにも話した覚えがないため、恐らくエマはフィー辺りから聞いたのだろうとリィンは察しを付ける。
 余計な情報をレイフォンに与えたエマを恨めしく思いながら「一応そういうことになってる」と曖昧にリィンは答える。

「自分の誕生日なのに、はっきりと覚えていないのですか?」
「俺は捨て子≠セからな。誕生日も拾われたのが五月だからってのが理由だ」

 リィンの説明を聞いて自分が失言をしたことに気付き、ラクシャは頭を下げる。
 レイフォンが驚いていないのは、リィンの生い立ちを知っているからだろう。
 リィンが本当はギリアス・オズボーンの息子で、ハーメルの遺児であることは新聞やラジオで知れ渡っているからだ。
 しかし、ラクシャはこの世界にやって来たばかりだ。その辺りの事情に疎くても仕方がない。

「……すみません」
「謝る必要はない。別にそのことを悲観している訳でもないしな」

 ラクシャの後悔とは裏腹に、リィンはまったくと言って良いほど気にしてはいなかった。
 その証拠に、ギリアスが実の父親だと分かっているのだから本当の誕生日は調べれば分かることなのに、リィンは敢えて知りたいとは考えていなかった。
 自分を拾って育ててくれたルトガーが、西風の皆が本当の家族だと思っているからだ。
 今更、ギリアスを父親だと思うことは出来ないし、顔も覚えていない母親のことを『母さん』と呼ぶ気にはなれない。

「そういうラクシャはどうなんだ?」
「先月、二十歳になりました。とは言っても、わたくしの国では十六歳で成人の儀を執り行うのですが……」

 日本でも成人年齢が二十歳に引き上げられたのは明治以降で、それまでは十五歳を元服としていたという話がある。
 国が違えば、法律や風習も違う。ましてやラクシャはゼムリア大陸の生まれではない。異世界の人間だ。
 そういうこともあるだろうと、リィンは納得した様子で頷くが――

「それでも、こちらの世界では一般的に二十歳が成人年齢なのですよね?」

 やはり誤魔化しきれなかったかと、リィンは溜め息を漏らすのだった。


  ◆


「いまは昼間だから大目に見ますけど、絶対に夜の街に一人で出掛けたりしてはいけませんよ?」

 そう言ってしつこく注意してくるラクシャに「お前は俺の母親か」と言いたくなるのを我慢して、はいはいとリィンは投げ遣りに答える。

「むう……」
「どうかしたのですか?」
「二人の距離が近い気がして。もしかしてラクシャさんって、リィンさんの恋人の一人だったりします?」

 様子のおかしいレイフォンに声を掛けると予想外の質問が返ってきて、呆然と固まるラクシャ。
 恋人の一人と言う時点でいろいろとおかしいのだが、そんなことを考えている余裕はラクシャにはなかった。
 すぐに質問の内容を理解して、誤解を解こうと反論する。

「ち、違います! 彼とは、そんな関係じゃ――」

 必死に言い訳じみた弁明を重ねようとしたところで、周囲の声が耳に入って来る。
 リィンがラクシャとレイフォンを連れて入ったのは、表通りに面した宿酒場だった。
 昼飯時とあって店内には、それなりの人数の客が入っている。

「真っ昼間から女を二人も宿に連れ込んで、良いご身分だな」
「ありゃ、修羅場って奴だな」
「ケッ、いい気味だ」

 ほとんどがリィンに対する妬みだが、周りにも誤解されていると知ったラクシャは茹で蛸のように顔を赤くして大人しくなる。
 騒げば騒ぐほどに面白可笑しく噂されるだけで、状況が悪化するばかりだと悟ったからだ。
 精々できることと言えば、諸悪の根源であるリィンを睨み付けることくらいだった。
 そんなラクシャの恨みがましい視線を無視しながら、リィンは出入り口の方へと視線を向ける。

「来たみたいだな」

 リィンの言葉で待ち人が来たことに気付き、同じように店の入り口に視線を向けるラクシャとレイフォン。
 てっきりミュゼがきたものと思っていたら――

「見つけた! リィン・クラウゼル――ティオ先輩は何処!?」

 店の入り口に立っていたのは、帝都に残してきたはずのユウナ・クロフォードだった。


  ◆


 路地裏に身を潜め、周囲に人の気配がないことを確認して安堵の溜め息を吐くリィン。

「夜まで、この辺りで身を隠すしかないな……」

 普通にしていれば意外と気付かれないものだが、さすがに大声で名前を叫ばれると話は別だ。
 店内の客がリィンの正体に気付き、ガヤガヤと騒がしくなったのを確認して、面倒なことになる前に酒場から逃げ出したのだ。
 何れはバレていただろうが、これでリィンがラクウェルにいることは街中に知れ渡るだろう。
 余計なことをしてくれたと、リィンがユウナを責めるのは当然だった。

「……ごめんなさい」

 さすがに今回のことは自分が悪かったと反省しているようで、しおらしく俯くユウナを見て、リィンは溜め息を溢す。
 ユウナがこんな行動を起こした理由については想像が付くだけに、余り怒る気にはなれなかったのだ。
 ユウナを置いて行くと決めたのはティオだが、そんなティオに危険な仕事を振ったのはリィンだ。
 となれば、リィンにもまったく責任がないとは言えない。ユウナの性格を考えれば、十分に想定できる範囲の出来事だった。
 それに――

「ティオなら、こっちにはいない。今頃はルーレにいるはずだ」
「……え?」

 ルーレのあるノルティア州と、ここラクウェルがあるラマール州は帝都を挟んで正反対の位置に存在する。
 ティオの行き先を知らなかったのだろうが、ユウナの行動は完全に無駄骨と言ってよかった。
 そもそもの話、いまからルーレに向かったところでティオに会えるとは限らない。
 ティオたちにはハーキュリーズの捜索と、可能であれば〈黒の工房〉の拠点を探って欲しいとリィンは仕事を頼んでいた。
 そのことを考えると、また擦れ違いになる可能性は高い。いや、かなりの確率でそうなるだろうと予想できる。

「そんな……」

 ティオがいないと知って自分の間違いに気付き、項垂れるユウナ。
 追い掛けてきた行動力だけは認めるが、いろいろと残念なところが目立つユウナを見て、どうしたものかとリィンは考える。
 本人は嫌がるだろうが、やはりクロスベルに送り返すべきかと考えたところで、

「そこに隠れている奴、出て来い」

 リィンは鋭い眼光を路地奥へ向ける。
 リィンに少し遅れて何者かの気配に気付くと、ラクシャとレイフォンも武器を構える。
 一瞬なにが起きているのか分からず呆けた顔を見せるも、すぐに護身用に持ってきていた特殊警棒を二人に習って構えるユウナ。

「分かっちゃいたが、さすがに気付くか。たいした勘の鋭さだ」

 そう言って、路地の奥から金髪の青年が姿を見せる。
 歳はクルトとそう変わらない感じだが、クルトとは対称的に粗暴な印象を抱かせる青年だった。
 値踏みをするような視線を向けられ、不快げな表情を浮かべる女三人。
 そして、飢えた獣のような目をリィンに向けると――

「アッシュ・カーバイドだ。会いたかったぜ――リィン団長=v

 青年はそう名乗るのだった。



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