天窓から月明かりが差し込む教会の屋根裏部屋で、星空を眺めるマヤの姿があった。
 子供の頃から楽しいことや悲しいこと、ゆっくりと一人で考えたいことがある度に使わせてもらっていたマヤのお気に入りの場所だ。

「あの人といい……なんで男って、こうもバカなんだろ」

 あの人――と言うのは、父親のことだ。
 父親とは仲違いをして、最近は余り会っていない。父親と顔を合わせたくなくて家にも帰らず、こうして教会で寝泊まりをする日々を過しているからだ。アッシュと知り合ったのも最近のことで、ここのシスターと彼が顔見知りで教会のボランティアを通じて話をするようになったのが切っ掛けだった。

 以前からファフニールのことは知っていたが、自警団を自称するスラムの不良集団と言った程度の認識でしかなかった。
 でも今は――アッシュを始め、噂ほどに悪い人たちではないと感じている。
 不良と言っても口が悪い程度で、無闇矢鱈と暴力を振ったりはしない。それどころか、彼等の存在がスラムの治安に貢献している側面もあるからだ。
 この辺りにはギルドがなく遊撃士が滅多に来ないこともあって、薬草の採取や魔獣の討伐などの仕事は彼等が対応している。そうして得た収益の一部を教会に寄付し、炊き出しなどを行なうことでスラムに還元しているのだ。そう言う意味では、口だけの領邦軍より遥かに彼等の方が住民の役に立っている。

 領邦軍など当てにならないと言うことを、この街の人たちはよく知っている。それでもまだ、オーレリア将軍がいた頃はマシだったのだ。
 しかしカイエン公が内戦で死亡し、その後にやってきたバラッド候が領主代行を務めるようになってからは治安が悪化し、生活が苦しくなる一方だった。
 オーレリア将軍が失脚してから、バラッド候の命令で領邦軍も海上要塞に引き籠もって出て来なくなったからだ。
 その上、アルスターの街が襲撃されたとの噂もあって、ここラクウェルでも最近は訪れる観光客の数が減っていた。
 更にラクウェル近郊でも銃撃戦が確認されていて、アルスターを襲撃した猟兵団が近くまで来ているのではないかと悪い噂が立っている。アッシュが、この街を離れることが出来ずにいた最大の理由がそれだ。そして、それはマヤが彼等と行動を共にしている理由でもあった。

 ――領主や軍なんかに頼らずとも、自分たちの街は自分たちの手で守って見せる。

 それが、彼等がファフニールを結成した理由でもあるからだ。
 嘗ては名のある狙撃手だった父を持ち、そんな父親がある時期を境に軍を辞めて、腐っていく姿をマヤは見続けてきた。
 それだけに『街を自分たちの手で守りたい』と足掻く彼等の真っ直ぐな姿が、マヤの目には眩しく映ったのだろう。
 しかし、相手は猟兵だ。それもアルスターを襲ったのは〈北の猟兵〉だと言う噂もある。
 街の不良程度では、どれだけ人数を集めても到底かなわない相手だと言うのは彼等も理解していた。
 そんな時に現れたのが、リィンたちだった。

 ――暁の旅団。そして、リィン・クラウゼルが為した偉業については、マヤも新聞やラジオで知っていた。
 先の内戦を終結へと導いた立役者。更にはクロスベルへと侵攻した共和国軍を退け、世界同時多発テロの原因を突き止め、解決した英雄であるとも噂されている。どこまで本当のことかは分からないが、帝国や共和国が警戒するほどの猟兵団の団長である事実は変わらない。
 いまや『猟兵王』の再来とも呼ばれている人物だ。期待をするなと言う方が無理がある。
 本当なら自分たちの手で街を守りたいという気持ちはあるのだろうが、アルスターを襲ったのが本当に〈北の猟兵〉ならそれは難しい。それに、あのアッシュがリィンを連れてきたのだ。力の無さを嘆き、一番悔しく思っているのは彼だと言うことをファフニールの仲間たちは理解していた。

 アルスターの一件からも分かるように、確かに猟兵は恐ろしい存在だ。
 しかし、少なくとも領邦軍よりは猟兵の方がまだ頼りになると考える者が、この街には多い。彼等は遊撃士と違い、民間人に被害が及びそうだからと言って無償で助けてくれたりはしないが、逆に言えば金さえだせば命懸けで助けてくれる。なかには金だけ受け取って適当な仕事をする猟兵崩れのような連中もいるが、一流と呼ばれる猟兵ほどそう言った行為を嫌うことを知っているからだ。
 猟兵には猟兵の流儀がある。その流儀に反しない限りは彼等は契約を遵守すると言うことを、この街の人間――特にスラムの出身者はよく知っていた。
 この小さな教会に支援してくれている者のなかにはスラムの生活から抜け出し、猟兵となった者も少なくないからだ。

 そして、ラクウェルには金≠ェある。

 スラムにはリィンを雇うほどの金はないが、この街がアルスターのように襲われて困るのは誰もが同じだ。
 どこの馬の骨とも知れない猟兵を雇うのとは違う。
 あの〈暁の旅団〉の団長リィン・クラウゼルに話を付けられると知れば、金をだす人間も少なくはないはずだ。
 今頃アッシュは仲間と共に金をだしてくれそうなスポンサーを探して、街の中を駆けずり回っていることだろう。
 本当はマヤも一緒に行こうとしたのだが、これは自分たちの仕事だと言ってアッシュたちに断られてしまったのだ。

 男ばかりで押し掛けるよりは、マヤも一緒の方が確かに話を聞いて貰いやすいかもしれない。
 しかし、邪な考えを抱く輩が現れないとも限らない。
 最悪の場合、見返りにいかがわしい仕事を強要される可能性すらある。
 ここは、そういう街だと言うことをアッシュたちは誰よりもよく知っていた。

 マヤは共に行動する仲間ではあるが、ファフニールの一員と言う訳ではない。
 本当ならマヤを自分たちの活動に参加せることに、アッシュは渋っていたくらいなのだ。
 どれだけ腐っていようと、父親はまだ生きている。帰る家もある。その気になれば街をでて、一人で生きていくことだって出来る。
 自分たちのような不良と一緒にいるよりは、そうした方が本人のためだとアッシュなりにマヤを気遣ってのことだった。
 しかし、そんなアッシュたちの気遣いがマヤには重荷となっていた。
 ここがどんな街かは知っている。アッシュたちがどういう扱いを受けて、スラムの人たちがどんな風に思われているかも――
 それを分かった上で、彼等と一緒に街を守りたい。この街のために何かしたいと思ったのだ。
 なのに――

「本当にバカなんだから……」

 女だからと言うのは理由にならない。時代錯誤も甚だしいというのがマヤの考えだった。
 マヤの父親もそういうところがあった。
 自分は仕事もしないで毎日飲んだくれているのに、娘のやることにはしつこく干渉してくる。
 それが嫌で家を飛び出したのだ。なのにアッシュたちにまで、女だからと言う理由で除け者にされれば不満も溜まるだろう。
 女だからなんだと言うのか? 男以上に活躍している女性は大勢いる。

「リィン団長……か」

 リィンに触られた髪を指で梳かしながら、昼間のことを思い起こすマヤ。
 母親譲りの黒髪はマヤの数少ない自慢の一つで、これまで父親以外の異性に触らせたことはなかった。
 いつものマヤなら手を払い除けていたはずだが、不思議と嫌な感じがしなかったのだ。
 それどころか、リィンに狙撃の腕を褒められて心の底から喜びを感じている自分がいることにマヤは驚いていた。
 銃の扱いには自信があるが、その一方で父親との繋がりを深く感じさせる苦手なものでもあったからだ。

「そう言えば、あの人にも褒めて貰ったことが一度もなかったな」

 軍を辞めて以降、マヤの父親は大切にしていたライフルに触れようともせず、昔の話をすることすら避けるようになった。マヤが銃の扱い方を学び、狙撃の練習を始めたのは、そんな父親に元気を取り戻して欲しい。昔のように自分の仕事に誇りを持っていて、家族に優しかった――あの頃の父親に戻って欲しいという子供心が切っ掛けだった。
 そうして身に付けた狙撃の腕を、本当は誰よりも父親に認めて欲しかったのだ。でも、もうそれは叶わない。
 あの人は酒に溺れ、大切にしていた銃を捨ててしまったから――
 そして、酒に溺れる夫の代わりに朝から夜遅くまで働いて、遂には一昨年の冬――マヤの母親は死んでしまった。
 だからマヤは大好きだった父親を憎むようになった。許せなかったのだ。家族を裏切った父親を――

「そっか、私は……だから……」

 もう叶わない夢だと思っていたからこそ、リィンに狙撃の腕を認めて貰えたことが嬉しかったのだとマヤは思う。

「暁の旅団。猟兵か……」

 自分が猟兵になるなんて考えたこともなかった。
 でも、リィンに誘われて、必要とされて少しだけ分かったことがある。
 この十三年は、自分のしてきたことは無駄ではなかったのだと――
 そう考えるだけでも、心が軽くなるのをマヤは感じるのであった。


  ◆


「まさか、アッシュくんたちが噂の彼≠ニ接触を持つなんて……」

 そんな風に憂いを帯びた表情で溜め息を漏らすシスターの名は、オルファ。
 アッシュとは古くからの顔見知りで法国に修行へ出ていたのだが、一年ほど前にこの街へ戻ってきて小さな教会のシスターをしていた。
 リィン・クラウゼル。そして〈暁の旅団〉の名は、そんな彼女の耳にも届いていた。
 リィンのことを知っているのは、別に彼女が星杯騎士団の関係者だからと言う訳ではない。どちらかと言えば彼女は典礼省の人間で、荒事はからっきしの極普通のシスターだ。運動神経には自信がなくドジで要領が悪いことからも、シスター見習いの中でも落ちこぼれと称されていたほどだった。
 そんな彼女がリィンのことを知っているのは、暁の旅団に関する情報が法国から各地区の教会へ回ってきているからだ。
 普通ならありえない対応だが、それだけ教会上層部が〈暁の旅団〉の存在を重く捉えているという証明でもあった。
 それに――

「あれから三年も経つんですね。あなたの方から訪ねてきてくれるなんて思ってもいませんでした。ロジーヌ≠ウん」
「ご無沙汰して申し訳ありません」

 騎士団の人間ではないが、知り合いはいる。
 その数少ない知り合いの一人が、彼女――ロジーヌだった。
 知り合いとは言っても、所属が違うとなると顔を合わせる機会などそうあるものではない。
 ロジーヌも法国を離れた後はトマスの従騎士として共に潜入任務についていたので、機会に恵まれなかったのだ。

「騎士団に入ったと聞いた時は驚きました。いまはどうされているのですか?」
「ライサンダー卿の補佐をさせて頂いています」
「……え?」

 ロジーヌと知り合ったのは、五年前。まだ法国の学習院で、シスター見習いとして学んでいた頃の話だ。
 風の噂でロジーヌが騎士団に入ったとは聞いていたが、まさかの答えが返ってきてオルファは目を丸くする。
 いまは小さな教会のシスターをしているオルファだが、ただ要領が悪いだけで法国での修行を許されるくらいには敬虔なシスターだったのだ。
 当然、トマスの名も耳にしたことくらいはあった。

「ライサンダー卿って、まさか……あの?」
「はい。星杯騎士団・副長のトマス・ライサンダー卿です」

 思わず悲鳴にも似た驚きの声を上げそうになり、慌てて手で口を塞ぐオルファ。
 ロジーヌから自分がここへ来たことは内密にして欲しいと、事前に言われていたためだ。
 学友との再会に喜び、何も考えずに裏口から自分の部屋へとロジーヌを招き入れたが――
 もしかしなくても騎士団が動くような事件が、この街で起きているのでは?
 と、ようやく自分の置かれている状況にオルファは気付き、不安げな表情を浮かべる。

「ご安心を。まだ問題が起きている訳ではありませんから」
「まだ? それは街に危険が迫っていると言うことですか?」
「……はい。そうならないように動いてはいますが可能性はあります。ですから、こうして夜遅くに人目を忍んでお伺いしました。勿論、危険な仕事を頼むつもりはありません。オルファさんに頼みたいのは街の人たちへの対応です」

 そんなオルファの心配に対して、危険な仕事ではないことを伝えるロジーヌ。
 オルファに頼みたいのは、主に非常時における住民への説明や避難誘導などの雑務だからだ。

「嫌なら断って頂いても構いません。封聖省と典礼省の関係を考えれば、こちらに肩入れするのはオルファさんのためにもならないでしょうし……」

 地元の教会の協力を得られるのであれば、事後処理なども円滑に進めることが出来る。
 しかし本音を言えば、ロジーヌはオルファを巻き込むことに賛成ではなかった。
 二人が嘗て学び舎を共にした学友だと知るトマスから、オルファへの説明を頼まれたからだ。
 封聖省と典礼省の関係は余り良好とは言えない。いまはリベールの一件もあって、互いに牽制し合っている時期だ。だからこそ正式な協力要請ではなく、友人同士の個人的な話で済ませたいと考えているのだろう。
 大人の事情と言う奴だが、オルファの良心を利用するようなトマスのやり方にロジーヌは反対だった。
 そのため、ロジーヌは街に危険が迫っていると忠告するだけに留め、本気でオルファから協力を得ようとは考えていなかった。

「では、私はこれで……」
「待ってください!」
「……え?」

 さっさと話を打ち切って立ち去ろうとした、その時だった。
 オルファに手を取って引き留められ、ロジーヌは困惑する。

「この街が危険に晒されるかもしれないんですよね? なら、放っては置けません」
「いえ、ですが……」
「この街を守れるのなら、どんなことだって協力します! いえ、させてください!」

 断ろうとして尚も食い下がるオルファに、困った顔で狼狽えるロジーヌ。
 そして、オルファがこの街の出身だったと言うことをロジーヌは思い出す。
 法国での修行を終えた彼女が、どうしてこんな小さな教会でシスターをしているかと言えば、この街が彼女の生まれ故郷だからだ。
 ならば、この反応も納得が行く。トマスのことだ。そこまで計算して、オルファに説明させたのだろうとロジーヌは考える。

「それにロジーヌさんが訪ねてきてくれて、私のことを覚えていてくれて……嬉しかったんです。友達≠フ力にならせてください!」

 そう言ってギュッと両手を握り締めてくるオルファを見て、ロジーヌは諦める。
 実のところ顔見知り程度でそれほど親しかったという記憶はないのだが、そんな風に言われたら今更ダメなどと拒むことが出来るはずもないからだ。
 トマスの思惑通りに進んでいるみたいで気は進まないが、オルファの真っ直ぐな気持ちを無駄にするのは心苦しい。
 それにこの様子では、仮に猟兵が街を襲撃してきたら一人でも猟兵に立ち向かって行きそうな勢いだ。
 彼女は頭が悪い訳ではない。むしろ記憶力は人並み以上で、成績も悪くはなかったのだ。
 ただ人が良すぎて早合点するところがあり、よく空回りをして教師から怒られている姿をロジーヌは覚えていた。

「……分かりました。ご協力頂けますか?」
「はい!」

 これではどちらが協力を頼んでいるのか分からないが、一人で勝手に暴走されるよりは――とロジーヌは折れるのだった。



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