「フィーやロジーヌはともかく、なんでお前も一緒なんだ?」
「何よ? アタシがいたら困るような話でもあるの?」

 大方、ヴァレリーのことを心配してついてきたのだろうと言うことは、サラの態度を見れば察せられる。
 サラまでついてきたのは予定外だったが、予想外と言うほどでもないのでリィンは話を続けることにした。
 手にした新聞を、サラに放り投げるリィン。

「……新聞?」
「ああ、ほんの数時間前に発行されたばかりの帝国時報の号外だ」

 中を見てみろと言われ、首を傾げながら新聞を開くサラ。
 ――帝国政府がノーザンブリアへの侵攻に言及。共和国とも徹底抗戦の構え!?
 すると、そんな見出しが目に入り、サラは驚きの声を漏らす。

「何よ、これ……」
「今朝、ドライケルス広場で政府の声明があったらしい。その内容がそこには書かれている」

 先の内戦で〈北の猟兵〉は貴族連合に加担し、街を焼き払い、罪のない多くの民間人の命を奪った。その謝罪を求めたところ納得の行く回答が得られないどころか、彼等はテロという卑劣な行為で帝国臣民の命と財産を危険に晒した。これは断じて許すことの出来ない所業で、ノーザンブリアの愚行を帝国政府は見過ごすことが出来ないと、そこには記されていた。
 しかしながら、共和国の暗躍についても帝国政府は声明のなかで触れていた。
 共和国が特殊工作部隊を帝国へ送り込み、北の猟兵の活動を裏で支援していたと帝国政府は共和国を強く非難したのだ。
 更にはオリヴァルトの命を狙った暗殺未遂事件も、ノーザンブリアへの支援の見返りに共和国が〈北の猟兵〉を使って計画したことだと国民へ向けて公表したのだ。
 そしてノーザンブリアへの非難を強める一方で、共和国政府についても納得の行く回答と謝罪が得られない場合、開戦も辞さないという強い態度に帝国政府はでていた。

「こんなの言い掛かりじゃない!」

 サラの言うように帝国政府の発表は一方的なもので、ほとんど言い掛かりに等しい客観的な証拠に欠けるものだ。
 状況証拠は確かに共和国の関与を示唆しているが、それだけで共和国の仕業と断定するのは些か乱暴な話だった。
 しかし――

「そうは言うが、すべてが嘘≠ニ言う訳じゃない。ハーキュリーズが帝国国内で暗躍していたのは事実だし、北の猟兵がオリヴァルトの命を狙い、破壊工作をしたのも事実だ。それにアルスターやラインフォルトの件も〈北の猟兵〉の仕業だと世間では思われている。状況証拠もこれだけ積み重なれば、どれだけ共和国が関与を否定しても信じない人の方が多いだろう」

 確かな証拠がなくとも、これだけの判断材料があれば、話を聞いた人々がどう感じるかは別の問題だ。
 帝国と共和国が大陸の覇権を巡って、対立関係にあるのは誰もが知っていることだ。
 しかも〈暁の旅団〉が介入し、クロスベルが帝国へ併合されたことで、共和国はクロスベルから手を引くことを余儀なくされた。
 これによる共和国の経済的損失は大きく、ロックスミス大統領は国内で厳しい立場に置かれている。
 動機がある以上、一発逆転を狙って帝国に破壊工作を仕掛けたという見方をされても不思議な話ではない。
 少なくとも国民の怒りの矛先を変え、政府への不満を誤魔化すには悪い手とは言えないからだ。

「真実かどうかなんて関係ない。人は信じたいものを信じる生き物だからな」

 帝国の国民は政府の言葉を信じ、共和国へと怒りを向けるだろう。
 逆もまた然り。共和国の人々は自分たちの権利を奪い、平穏を脅かす帝国へと怒りを向けるはずだ。
 相容れない帝国と共和国の関係を考えると、互いに一歩も譲らない展開になることは予想が付く。
 実際、開戦ムード一色と言った帝都の様子が、新聞やラジオを通して伝えられていた。
 この流れが帝国全土へと波及するのは時間の問題だろう。

「それじゃあ、このまま戦争が起きるのを黙って見ていることしか出来ないってこと?」

 不安と憤りを表情に覗かせながら、他に何か手はないのかと縋るような目でリィンを見るサラ。
 クロスベルの時のように〈暁の旅団〉の力を借りれば、もしかしてと言った考えが頭を過ったのだろう。
 しかし、そんなサラの期待とは裏腹にリィンは首を横に振って答える。

「俺がノーザンブリアの味方をすれば、暁の旅団が今度は共和国についたと思われるだけだ。帝国からは裏切り者のレッテルを貼られ、ノーザンブリアだけでなくクロスベルにも軍が差し向けられるだろうな」

 仮にノーザンブリアの味方をしても、クロスベルの時のようには丸く収まらないだろう。
 むしろ、ここで下手な行動を取ると、敵を増やすだけだというのがリィンの考えだった。
 そんな真似をすれば、エリィにも迷惑を掛けることになる。
 クロスベルを守る契約をしておきながら、危険に晒してしまうのは本末転倒だ。
 戦争を止める手立てはない。そのことに誰もが気付き、場に暗い雰囲気が漂う。
 そんななか――

「お前はどうしたい?」

 リィンは銀髪の少女――ヴァレリーに尋ねる。
 ヴァレリーをパンタグリュエルへ呼んだのは、ノーザンブリアの現状を報せると共に彼女の意志を確認するためでもあった。

「それを私に聞いて、どうするつもりなのですか?」

 戦争を止める手立てはないと言ったのはリィン自身だ。
 ましてや帝国と戦争をしてまで、ノーザンブリアを助ける義理はリィンにはない。
 なのに、どうしてそんなことを今更聞いてくるのかと、ヴァレリーが疑問を持つのは当然だった。

「バレスタイン大佐を止めてくれと、お前は俺に言ったな?」
「……はい」
「それが何を意味するのか? 大佐が何を為そうとしているのか? 最初から分かっていたんじゃないか?」

 ヴァレリーは詳しいことは何も知らないと言った態度を装っていたが、何かを隠していることにリィンは気付いていた。
 バレスタイン大佐の目的については、大凡の察しが付いている。戦争を回避できないことは彼等も理解しているはずだ。だからこそ、すべての罪を〈北の猟兵〉が被ることで、ノーザンブリアが受ける被害を最小限に抑えようと考えたのだろう。
 少なくともクロスベルのように大国の庇護下に入れば、最低限の生活は保障されるはずだと考えて――
 恐らくは占領後のノーザンブリアの扱いについて、北の猟兵とバラッド候との間に密約が交わされているはずだ。
 そんなバレスタイン大佐の計画を邪魔すると言うことは、ノーザンブリアの立場が今以上に厳しくなることを意味する。
 そのことをヴァレリーが理解していないとは、リィンには思えなかったのだ。

「ノーザンブリアの人々は確かに飢えに苦しんでいます。ですが……」

 もうあれから三十年近くが経過するというのに、ノーザンブリアは未だに復興の兆しすら見せない。
 塩害によって満足に作物が育たず、貿易をしようにも資源に乏しいことが理由として挙げられるだろうが、いつまでも貧困から抜け出せず毎年多くの餓死者をだしている最大の原因は人々の意識にあるとヴァレリーは話す。
 北の猟兵の稼ぎに頼って辛うじて命を繋いでいるだけで、ほとんどの人たちは自分たちで現状をよくしようとは考えていないのだと――
 いまも故郷に送金を続けているだけに思うところがあるのか? ヴァレリーの話にサラは苦い表情を見せる。
 誰もが猟兵として活躍できる訳ではないが、ノーザンブリアには主要となる産業がない。
 そのため、多くの人々が手に職のない状態で、北の猟兵の稼ぎに頼って食い繋いでいるのが現実だからだ。
 しかし、

「猟兵をする以外に、働き口がないからだと聞いてるが?」
「なら、故郷をでればいい。実際にそうした人たちはノーザンブリアでの生活を諦め、他の街で職を見つけ、暮らしています」

 猟兵に限らず、サラのように遊撃士や他の仕事で出稼ぎをすると言った手段もあるだろう。
 故郷を大切に思う気持ちは分からなくもないが、そこに固執していては共倒れだ。
 働ける者はノーザンブリアをでて、他の街へ行くべきだろう。
 そうすれば、少なくとも〈北の猟兵〉の負担を減らすことは出来る。
 飢えに苦しむ人たちも減らせるはずだ。しかし、現実はそうはなっていない。

「大公家の犯した罪は消えない。悪魔の一族と呼ばれるだけのことを、ノーザンブリアの人々に恨まれるだけのことを、私たちの一族はしたのだと理解しています。ですが、彼等は三十年近くが経過した今も、過去に囚われて生きている。私たちに恨みをぶつけ、北の猟兵を英雄と讃えることで、厳しい現実から目を背けているんです」

 ヴァレリーの話を聞き、そういうことかと納得の表情を見せるリィン。
 いままで良く保ったものだと考える一方で、確かに何一つ変わらないのは不自然に思う。
 猟兵の稼ぎだけで食い繋ぐと言うのは一時凌ぎにしかならないことは、少し考えれば誰にでも想像できるようなことだからだ。
 その間に新たな産業を開拓するなり、故郷を捨てて新しい生活を始めるなり、決断すべき時間はあったはずだ。
 しかし三十年近く経った今も、状況は何一つ変わっていない。
 それは変化を望んでいない――いや、ノーザンブリアの人々が変化を恐れているという証明でもあった。
 何をしても無駄だと、諦めているという風にも取ることが出来る。

「バレスタイン大佐は既に一度、彼等のために命を落としています。なのに……」

 また英雄に犠牲を強いるような真似をしたくはない、とヴァレリーは苦悶の表情を見せる。
 それに〈北の猟兵〉の犠牲で帝国の庇護を受けることが出来たとしても、いまのままではノーザンブリアは何も変わらないとヴァレリーは考えていた。
 最低でも人々の意識を変える必要がある。そのためなら――

「多少の犠牲はやむを得ない。いや、このままノーザンブリアがなくなっても構わないと考えているのか?」

 ビクリと肩を震わせるヴァレリー。
 彼女の言っていることは、確かに筋は通っている。
 大佐の身を案じていることも、ノーザンブリアの未来を危惧していることも確かだろう。
 しかし、そこには多少なりとも私怨≠ェ含まれていると、リィンは感じたのだ。

「それは……」

 リィンの問いに答えられず、言葉に詰まるヴァレリー。その反応からも分かるように、薄々と自覚はあったのだろう。
 仕方のないことだと納得していると言っても、ヴァレリーは縁戚と言うだけで国を捨てて逃げた大公本人ではない。
 謂われのない誹謗中傷を浴びせられ、幼い頃から『悪魔の子』と罵られ、人々の悪意に晒されて生きてきたのだ。
 その上、家族を政府に捕らえられ、自身も逃げるように故郷を追われて飛び出してきた事実を考えれば、ヴァレリーがノーザンブリアによくない感情を抱くのは当然だ。
 むしろ、そんなことをされても、まだノーザンブリアの行く末を多少なりとも案じていることにリィンは感心しているくらいだった。
 復讐に手を貸して欲しいと依頼されても不思議ではないと思うほどの境遇に、いまの彼女は置かれているからだ。

「少し時間をやる。冷静になって、自分が本当はどうしたいのか考えてみろ。サラ、ヴァレリーのことを頼めるか?」
「……ええ」

 リィンの考えを察して、いつものように反発することなくサラは素直に頷く。
 思い詰めた表情のヴァレリーを見て心配する一方で、あのまま〈北の猟兵〉に残って入れば、こうなっていたのは自分の方かもしれないと――
 昔の自分と重ね合わせて、複雑な感情をサラは抱くのだった。


  ◆


「少し性急すぎるのでは?」

 サラとヴァレリーを部屋に残し、十分に距離を取ったところでリィンにそう声を掛けるロジーヌ。
 リィンの考えは分かる。しかし平静を装っていても、ヴァレリーはまだ十六歳の少女だ。
 感情的になってしまうのも無理はない。むしろ年齢から考えれば、よく自分を抑えている方だ。
 いま答えをださずとも、もう少し成長を見守ってもいいのではないかとヴァレリーのことを心配したのだろう。
 しかし、

「時間がないからな。恐らく残された時間は一ヶ月とない」
「それは……」

 既に戦争は止められない。それはリィン自身が口にしたことだ。
 共和国の回答を待つと帝国政府は対話による解決の可能性を残しているが、あくまで戦争のための準備期間に過ぎないとリィンは考えていた。
 そもそも共和国が帝国政府の主張を事実と認め、謝罪をすることは絶対にないと言い切れるからだ。
 開戦を引き延ばせて一ヶ月。それを過ぎれば、帝国はノーザンブリアへの侵攻を開始するだろうとリィンは見ていた。
 ノーザンブリアの占領。その先に待っているのは、共和国との全面戦争だ。
 それに――

「帝国政府の声明。妙だと思わないか? オリヴァルトがこんな話を了承するなんて」

 そう言えば、とロジーヌも奇妙な違和感を覚える。
 確かにオリヴァルトはノーザンブリアへの侵攻に反対していた立場の人間だ。
 そしてオリヴァルトは、この国の宰相でもある。
 政府と言えど、皇帝や宰相の考えを無視して勝手な声明をだすことは出来ない。
 となれば、セドリックやオリヴァルトも政府の発表に一枚噛んでいると言うことになる。

「もしかして、リィン。オリヴァルト殿下を疑ってる?」
「少しな。さすがにタイミングが良すぎる。それに俺たちを帝都から引き離したのは、オリヴァルトだしな」

 フィーの問いを肯定するリィン。
 アルスターの住民を保護して欲しいと、リィンに依頼をしたのはオリヴァルトだ。
 オリヴァルトが母親と共に幼少期を過した街であることを考えれば、彼がアルスターの住民の保護をリィンに求めたのは分からない話ではない。
 しかしリィンが帝都を離れている隙を狙ったかのように、帝国政府が声名だしたのは些かタイミングが良すぎるように感じる。
 まるで事前に政府の動きを悟られるのを危惧して、リィンを帝都から――
 正確には、アルフィンと引き離すのが狙いだったのではないかとリィンは考えたのだ。
 仮にそうだとすれば、帝都での暗殺騒動も自作自演である可能性が高い。幾ら帝都での騒ぎがあったとしても、あっさりと〈北の猟兵〉が皇城の奥深くまで潜入できたことや、バレスタイン大佐を相手にあの程度≠フ怪我で済んだこと。更にはタイミングを見計らっていたかのように〈光の剣匠〉が駆けつけたことを、リィンは以前から訝しんでいた。
 ただの偶然と片付けるには、余りに都合良く話が進みすぎているからだ。
 そこに加えて、今回の一件だ。リィンがオリヴァルトの関与を疑うのも無理はない。

「ん……でも、仮にオリヴァルト殿下が何かを企んでいたとして、敵として立ち塞がったらどうするつもり?」

 昔ならいざ知らず、いまのオリヴァルトは帝国の宰相だ。
 故に国益を最優先で考えなければならない立場にいる。
 それは状況次第では、リィンの敵として立ち塞がる可能性がゼロではないということを示唆していた。
 しかし、

「これから始まるのは戦争だ。戦場≠ナ俺たちの前に立ち塞がるというのなら――」

 ――相手が誰であろうと潰すだけだ。

 リィンの答えは決まっていた。



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