緋の帝都ヘイムダル。緋色に統一された街並みが特徴的なエレボニア帝国の首都。
人口は凡そ八十八万人。中央駅から皇城まで真っ直ぐに伸びるメインストリート〈ヴァンクール通り〉を挟んで東西に十六の街区に分かれており、それぞれが地方都市と同程度の規模を誇るゼムリア大陸最大級の都市だ。
その街区の一つ帝都西部にある〈ヴェスタ通り〉には、活動を再開したばかりの遊撃士協会の支部があった。
まだまだ活動再開から日が浅いこともあって支部に在籍しているのはトヴァルやサラの紹介で遊撃士となったノルド出身の新米ブレイサーがほとんどだが、受付にはエステルたちの故郷でもあるリベールのロレント支部で手腕を振っていたアイナ・ホールデンが赴任してきていた。
そして、そんな彼女と共に王国からやってきたベテラン遊撃士が一名いた。
「あなたの話はエステルたちから聞いていたから、こうして会えて嬉しいわ。リーシャ・マオ≠ウん」
「こちらこそ、お忙しい中、時間を取って頂いて感謝します。銀閃のシェラザード≠ウん」
銀閃の異名を持つ王国出身のA級遊撃士――シェラザード・ハーヴェイだ。
ブライト家の面々とは付き合いが長く、エステルから『シェラ姉』と慕われている姉貴分でもある。
リーシャと挨拶を交わすと、チラリとリーシャの隣に立つ外套を羽織った少女を一瞥するシェラザード。
はっきりと顔が分からないようにフードを目深く被っているが、その人物が誰かを推測するのは難しくなかった。
「お会い出来て光栄です。アルフィン皇女殿下」
そう言って恭しく頭を下げるシェラザードを見て、苦笑を漏らしながらフードを取るアルフィン。
互いに噂くらいは耳にしているが、シェラザードとアルフィンは直接の面識はない。それにギルドとの約束を取り付けたのはリーシャだ。アルフィンがここへ来ることは伝えていなかったはずなのに、あっさりと正体を見破ったと言うことは既に大凡の事情を掴んでいるのだろう。
さすがはA級遊撃士だと感心しながら、シェラザードに挨拶を返すアルフィン。
「こちらこそ、お会い出来て嬉しいです。一度お会いして、じっくりとお兄様≠ニの馴れ初め≠ネどをお聞きしたいと思っていたんですよ」
挨拶代わりにグイグイとくるアルフィンに、頬を引き攣るシェラザード。
この場にエリゼがいたら、間違いなく止めに入っているところだ。
しかしエリゼは現在、ノエルやミレイユと共に別行動を取っていた。
「皇女殿下、そうした話は後ほど。一応、私たちは追われている身ですから」
「そうでしたね。すみません、つい興奮してしまって……」
リーシャとアルフィンのやり取りを見て、オリヴァルトの妹で間違いないとシェラザードは確信する。
よく問題行動を起こしてミュラーに窘められていたオリヴァルトの姿が、アルフィンと重なって見えたからだ。
オリヴァルトがオリビエと名乗り、共に旅をした頃を懐かしく思いながらシェラザードは尋ねる。
「依頼の内容と言うのは、クロスベルまでの護衛でしょうか?」
アルフィンたちがカレル離宮に軟禁されていることは、シェラザードの耳にも入っていた。
その軟禁されているはずの彼女がここにいると言うことは、リーシャの手引きで離宮を抜け出してきたのだと察しがつく。
となれば、今頃はアルフィンがいなくなったことに気付き、離宮は大騒ぎになっていることだろう。
追手の兵士が差し向けられるのは時間の問題。帝都を脱出し、クロスベルへ帰還するまでの戦力を求めてギルドに連絡を取ったのではないかとシェラザードは考えたのだ。
確かにリーシャ一人では、アルフィンを護衛しながら帝都を脱出するのは難しい。
以前、リィンたちが軍の追跡を振り切って帝都を脱したことで、街の警備は更に厳重なものとなっているからだ。
「いえ、そちらの方は迎え≠ェ来る予定ですので、どうぞご心配なく」
「……迎えですか?」
どういうことなのかと言った疑問が頭に過るシェラザード。
いまは駅や空港も封鎖されていて、街への出入りも制限されている。実のところ、これにはシェラザードたちも困っていたのだ。
ようやく支部の再開にこぎ着けたと言うのに、面倒な手続きを踏まなければ街の外へでれないのでは依頼を円滑に進めることも出来ない。
都市内で片付けられる依頼もあるが、素材の採取や魔獣討伐などの仕事は街の外へでなければ達成できないからだ。
そんな状況の中で、どうやってクロスベルから迎えを寄越すつもりなのかと疑問を抱くのは当然であった。
「帝都を脱出する方法については後ほど。お姉様≠ノも紹介したい方がいますから」
サラリと『お姉様』と呼ぶアルフィンに頭痛を覚えながらも、なら何が目的なのかとシェラザードは訝しむ。
ギルドに連絡を取り、しかも態々帝都へ赴任してきたばかりのシェラザードを指名してきたのだ。
そこには何かしらの思惑があると考えていい。
オリヴァルトの妹と言うことである程度は信用しているが、アルフィンは〈暁の旅団〉との繋がりがある。
隣にリーシャが控えていることからも、シェラザードが警戒するのは仕方のないことだった。
当然、シェラザードが何を危惧しているのかはアルフィンも察している。
しかし、これは彼女にとっても悪い話ではないと思い、こうしてギルドに連絡を取ったのだ。
「お姉様が帝都の支部へ移籍されたのは、お兄様に真意を確かめるため、ですよね?」
アルフィンの核心を突いた問いに、ビクリと肩を震わせるシェラザード。
シェラザードがアイナと共に帝都へやってきた理由。それはギルドを経由して届けられたオリヴァルトからの手紙を目にしたからだった。
その手紙には、二ヶ月以内に帝国を中心に大陸全土を揺るがす大事件が起きることと、別れを告げるメッセージが添えられていた。
そして手紙を受け取ってから一ヶ月ほどが経過した頃――帝都で大陸を揺るがす事件が起きた。
それが、帝国政府より公表されたノーザンブリアへの事実上の宣戦布告とも取れる内容と、共和国を非難する声明だ。
しかし、これではギリアス・オズボーンとやっていることが変わらない。
オリヴァルトのことをよく知るが故に、帝国政府のだした声明の内容がシェラザードには信じられなかったのだ。
だが、政府のだした声明文がオリヴァルトの意志ではないとすると疑問が残る。
手紙に記されていたと言うことは、こうなることがオリヴァルトには分かっていたと言うことになる。
先のことが分かっていて、何も手を打たない男ではない。なのに事は起きてしまった。
「まさか、依頼と言うのは……」
「はい。わたくしたちと共にバルフレイム宮殿へ出向き、お兄様を問い質す覚悟はありますか?」
まったく予想しなかったことを尋ねられ、シェラザードは固まる。
シェラザードでさえ、ゆっくりと時間を掛けて機会を窺うつもりでいたのだ。
逃げるなら理解できるが、敵の懐に飛び込むなんて大胆な真似を考えているとは思ってもいなかったのだろう。
だが、
「なるほど……やっぱり、オリビエの妹ね」
間違いなく目の前にいる少女はオリヴァルトの妹だと、シェラザードは認めるのだった。
◆
「なるほど、お兄様と文通≠なされていたのですね」
「いや、そういうのじゃないからね? 時々、連絡を取り合っていたのは事実だけど……」
アルフィンの誤解を解こうと、必死に言い訳をするシェラザード。
とはいえ、連絡を取り合っていたのは事実なので、遠距離恋愛を疑われても仕方のない状況証拠と言える。
逃走中だというのに緊張感の欠けるやり取りを交わしている彼女たちだが、余裕があるのには理由があった。
「どうやって離宮を抜け出したのかと思っていたけど、姿を消せるアーティファクトとか反則ね……」
ユグドラシルの機能を使い、姿を消しながら路地裏を移動しているからだ。
ユグドラシルのことはまだ公にはしていないため、アーティファクトの機能とシェラザードには説明しているのだが、すべてが嘘と言う訳ではない。
この世界の基準に合わせるのであれば、エタニアの理法具はアーティファクトの一種に違いはないからだ。
ただ、アーティファクトは教会が回収することになっているので、そう言う意味ではまったく問題がないと言う訳ではないのだが、シェラザードもそれとなく察したのだろう。
ギルドや教会が〈暁の旅団〉に対して相互不干渉を約束し、特別な配慮をしていることは彼女も知っているからだ。
「目的地が見えてきました」
そう話すリーシャの視線の先には、旧市街にひっそりと佇む教会があった。
建物には蔓や苔がびっしりと張り付き、敷地内には雑草が生い茂っている。
帝都の住民にすら忘れ去られた古ぼけた教会。そこがリーシャたちの目的地だった。
「ここが合流地点≠ナすか?」
「はい。いまは使われていないそうなので手入れもされていませんし、足下に気を付けてください」
アルフィンとシェラザードは先を行くリーシャの後を追って、足下に注意しながら教会の中へ入る。
確かに今にも崩れそうなほど古い建物だ。
内装の感じからして、恐らくは二百年以上昔の建物だろうとアルフィンは推察する。
その分、人目を忍ぶには打って付けの場所と言えるが――
「よく、こんな場所を見つけましたね」
「リィンさんから教えて頂きました。ローゼリアさんが帝都での潜伏先に使っていたそうです」
リーシャの説明を聞いて、納得するアルフィン。リィンからローゼリアのことは聞かされていたからだ。
魔女の里の長にして、あの娯楽小説『赤い月のロゼ』の主人公のモデルになった人物だとも説明を受けていた。
アルフィンが納得したのは、小説の中でローゼリアは教会に所属するシスターにして吸血鬼の真祖として描かれているからだ。
もしかしたら、この建物はその当時のものなのかもしれないと、考えを巡らせる。
「いろいろと気になる話をしているけど、その前に……奥にいる三人は知り合いってことでいいのよね?」
腰に携えた鞭に手を伸ばしながら、シェラザードは二人に尋ねる。
自身に向けられた殺気を肌で感じ取ったからだ。
「性格が悪いわよ」
「エステルの姉貴分って話だから少し試しただけだ。どうやら妹分よりは使えるみたいだな」
青いドレスの女性に窘められ、まったく悪びれた様子もなくそう答える黒髪の男。
試した――と言うことは、態とシェラザードにだけ感じ取れるように殺気を放ったのだろう。
「お待たせしました。まさか、先に着いているとは思いませんでしたけど……」
「念のため、案内にレイフォンを連れてきたんだが、ヴィータがあっさりと場所を特定してな」
目的地に直接転位してきた、と黒髪の男はリーシャの疑問に答える。
「婆様の魔力が残っていたから位置の特定は難しくなかったしね」
「ううっ……折角、リィンさんに良いところを見せるチャンスだと思ったのに……」
少し畏まった様子のリーシャの態度と、もう一人の女性が口にした『リィン』という名前から男の正体に気付き、目を瞠るシェラザード。
アルフィンが会わせたい人物がいると言った時点で、暁の旅団の関係者であることは予想していた。
しかし、まさか――
「俺のことはエステルたちから聞いているだろうが一応、自己紹介しておくか。〈暁の旅団〉団長のリィン・クラウゼルだ」
団長自ら出張ってくるとは思っていなかったのだろう。
唖然とするシェラザードに、リィンはニヤリと笑みを浮かべながら名乗るのだった。
◆
「もっと落ち込んでいるかと思ったが元気そうだな。エリゼに発破でも掛けられたか?」
「そのことを知っていると言うことは……やはりエリゼを唆したのは、リィンさんでしたか」
こっそりとエリゼがリィンと内通していたことを確信し、アルフィンは溜め息を漏らす。
カレル離宮を脱出する計画をエリゼが持ち掛けてきた時点で、大凡の察しはついていたのだろう。
リィンの指示もなく、リーシャが勝手な真似をするとは思えなかったからだ。
「もしかして、ギルドに話を持ち込んだのも……」
「俺がリーシャに頼んだ。お前のことは、サラから聞いていたからな」
自分がここにいるのもリィンの企てだと知って、シェラザードは眉をひそめる。
帝都の支部に移籍することは妨害が入るのを予測して、ギリギリまで情報を伏せていたからだ。
しかし、サラから情報を得ていたのであれば納得が行く。
さすがに部外者にギルドの内部情報を漏らすのはどうかと思うが――
「警戒するのは分かるが、お前にとっても悪い話ではないだろ?」
確かに、リィンの言うようにシェラザードにとって願ってもない話だった。
元より帝国へとやって来たのは、オリヴァルトの真意を確かめたいという思いがあったからだ。
彼女一人では、皇城へ忍び込むなんて真似はとてもではないが出来ない。
こんなにも早くチャンスが巡ってきたのだ。誘いに乗らない手はない。
しかし――
「あなたが噂通りの人物なら、私の助けを必要としているとは思えないわ。何を企んでいるの?」
この話を持ってきたのがアルフィンだけであれば、まだ少しは信じることも出来ただろう。
しかし、リィンは猟兵だ。エステルたちから話を聞いている限りでも、善意だけで動くとは思えない。
そこには何かしらの思惑があるはずだと、シェラザードが訝しむのも当然であった。
「理由ならあるさ。俺が問い質したところで口を割らないだろうが、アイツは身内に甘いからな」
オリヴァルトから情報を引き出すにはお前たちの協力が必要だと言われ、不本意ながらシェラザードは納得する。
確かにオリヴァルトは心を許した相手に甘いところがある。
脅されて口を割ったりはしないだろうが、アルフィンやシェラザードが相手であればボロをだす可能性は高い。
二人の話を聞いて、アルフィンもリィンが自分たちに求めている役割について理解する。
とはいえ――
「お兄様がわたくしたちの言葉に耳を傾けてくださると良いのですが……」
今回はそう上手く行かないのではないかとアルフィンは考えていた。
リィンだけでなく、血の繋がった家族をも欺いていた可能性が出て来たのだ。
本当にオリヴァルトが変わったしまったのだとすれば、家族や友人の声も届かないかもしれない。
確かにアルフィンの懸念は理解できると、リィンも頷く。しかし――
「その時は、俺たちを利用した報い≠受けてもらうだけだ」
「リィンさん、まさか――」
自分が大きな思い違いをしていたことに気付くアルフィン。
オリヴァルトの真意を確かめることは、リィンにとってはついでに過ぎないのだろう。
重要なのは、オリヴァルトが敵なのか、味方なのか?
それを見極めるつもりでいるのだと、アルフィンはリィンの考えを察する。
もし、オリヴァルトが敵として立ち塞がるのであれば――
(相手が誰であっても、リィンさんが容赦をするとは思えない。私はどうしたら……)
リィンとオリヴァルトが戦場でぶつかる最悪の未来を想像して、アルフィンは運命の岐路に立たされていることを自覚するのであった。
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