「そんなことって……」
オリヴァルトの口から呪い≠ノついて説明を受けたシェラザードは、俄には信じがたいと言った声を漏らす。
無理もない。ハーメルの悲劇より始まった王国との戦争から、先の内戦に至るまで――
すべて呪い≠ェ原因であったと聞かされれば、帝国の人間でない彼女が困惑するのも当然であった。
「勿論、呪いだけが原因だとは言わない」
原因は他にもあるのだろうとオリヴァルトは話す。
しかし、幾ら政治に謀略がつきものとはいえ、自国の人間を虐殺するなんてやり方は些か行き過ぎだ。
だがこの国では、誰もが耳を疑うような愚行が突発的に起きることがある。
部下からも慕われていたはずの上官が、仲の良かったはずの兄弟が、人が変わってしまったかのような行動を取り、まるで魔が差した≠ゥのように引き起こされる事件。事件の当事者に理由を尋ねても、どうしてそのような行動を取ったのか、具体的に説明できた者はいない。そんな奇妙な話をオリヴァルトから聞かされたシェラザードは――
「まさか……」
もしかしたら、と言った不安と疑惑の入り交じった目をオリヴァルトへ向ける。
帝国はノーザンブリアとの戦争に動き始めている。しかも、それは共和国との全面戦争をも視野に入れた行為だ。
シェラザードの知るオリヴァルトであれば、そのようなに行いに加担するはずがない。貴族たちがなんと言おうと、徹底的に抵抗するはずだと考えていた。
だが、帝国政府はノーザンブリアへの宣戦布告と、共和国に対する挑発行為とも取れる声明をだした。
帝国は皇帝を頂点とした君主制国家だ。そのような勝手な振る舞いを政府の一存だけで出来るとは思えない。
そのことから、オリヴァルトも呪い≠フ影響を受けているのではないかと疑ったのだろう。
「いや、僕は大丈夫だ。もしかしたら自覚がないだけで、影響を受けている可能性はあるけどね……」
シェラザードの不安に対して、オリヴァルトはそう答える。
彼も自分が呪いの影響下にないと、はっきりと断言できる根拠はないのだろう。
自分の考えで行動をしているつもりでも、自覚症状がないだけで呪いの影響を受けている可能性はゼロとは言えないからだ。
しかし、そんなことを言い始めたら家族や友人どころか、自分自身でさえも信じられなくなってしまう。
何もかもを疑ってかかっていては、何一つ行動を起こすことが出来ない。
だから――
「なるほど。光の剣匠を手元においたのは、それでか」
「……やはり、リィンくんには分かってしまったか」
ヴィクターに協力を持ち掛けたのだと、リィンはオリヴァルトの考えを読む。
どういうことなのかと視線を向けてくるアルフィンに、仕方がないと言った様子で溜め息を交えながらリィンは答える。
「最悪、光の剣匠に止めてもらうつもりでいるってことだ」
「まさか、それは……」
「ああ、文字通り命≠ナ償う覚悟なんだろ」
薄らと話の流れから察してはいたのだろう。
しかしアルフィンは目を瞠り、オリヴァルトに厳しい視線を向ける。
「もしもの時の保険だよ。そんな怖い顔で睨まないでくれ」
「ですが!」
「アルフィン。キミが心配してくれるのは分かる。でも、僕は皇家の人間だ。そして、この国の宰相でもある」
真剣な表情でそう諭してくるオリヴァルトに、何も言えず押し黙るアルフィン。
皇家の義務。宰相としての責任。その二つを持ちだされたら、何も言い返すことが出来なかったからだ。
実際、アルフィンも帝国の動き次第では、総督としてクロスベルを守るために動くだろう。
リィンについていくと決めたその時から、覚悟はとっくに決めているからだ。
オリヴァルトにも立場がある以上、彼の行動を非難することは自分には出来ないと理解していた。
しかし、
「アンタは昔からそうだったわね。周囲の迷惑なんて考えないで、平気な顔をして一番危険なところに飛び込んでいく。そのくせエステルと違って弁が立つし、まったく考えなしって訳じゃないだけにたちが悪い。自分はそれで満足かもしれないけど、残された者の気持ちを考えたことがある?」
「シェラくん……」
立場の近いアルフィンには無理でも自分には、バカな友人を心配するくらいの権利はあるはずだとシェラザードは考える。
確かに旅の天才音楽家を自称して、バカをやっていた昔とは違うのだろう。
オリビエとオリヴァルトは別人だと言われれば、彼の置かれている立場を考えると仕方のないことなのかもしれない。
それでも、シェラザードにとって目の前にいる男は、やはり誰がなんと言おうともオリビエ・レンハイム≠ネのだ。
「これだけは覚えておきなさい。アンタがバカなことをしたら殴ってでも止めるのは友人≠ナあるアタシの仕事よ」
光の剣匠の役目などではない。オリヴァルトを止めるのは自分の仕事だと――
そこだけは決して譲ることが出来ないと言った意志で、シェラザードはオリヴァルトに宣言する。
まさか、そんな風に返されるとは思ってもいなかったのだろう。
目を丸くして固まるオリヴァルトに、リィンはクツクツと笑いながら声を掛ける。
「お前の負けだな。覚悟を決めた女を説得しようとしたって無駄だ。お前も覚悟を決めた方がいい」
「……実感の籠もった言葉だね」
「自称『愛の伝道師』よりは経験豊富≠セからな」
いつも愛がなんだと囁いているオリヴァルトではあるが、実際の経験ではリィンに遠く及ばない。
そのことは本人も自覚があるのだろう。
経験が伴ったリィンの言葉に、オリヴァルトは何も言い返せずに唸る。
それは実際にハーレムを築いているリィンに、男として尊敬の念を覚えているからでもあった。
「それよりも、のんびりしてていいのか? もう余り時間が残されていないんだろ?」
「キミはどこまで……」
「すべてを理解している訳じゃない。ただ、経験で分かるだけだ。それに――」
どこまで知っているのかと尋ねようとしてくるオリヴァルトに、リィンはあくまで経験からの予想だと答える。
それにリィンがオリヴァルトにこんな質問をしたのは、他に理由があった。
「いつまで、隠れている気だ? いい加減、姿を見せたらどうだ」
◆
リィンの言葉に反応し、宙に浮かぶ目玉のような機械人形が姿を現す。
突然現れた謎の物体に警戒を顕にするアルフィンとシェラザード。
「これは、まさか……」
一方で、オリヴァルトは心当たりがある様子を見せる。
そんな三人を無視して、機械人形に語りかけるリィン。
「こそこそと盗み聞きとは、随分と根暗な性格をしているみたいだな。地精の長っていうのは――」
『フフ……そう言わないでくれ。キミの前に堂々と姿を見せるのは、こちらも命懸けになるからね。それとも我々の勧誘を受ける気になってくれたのかな?』
「まさか。俺がここに顔をだしたのは、オリヴァルトへの義理≠果たすためだ」
自分たちの仲間にならないかと勧誘してくる機械人形の声に、はっきりと拒絶の意志を伝えるリィン。
二人の会話を聞いて、アルフィンも機械人形から聞こえてくる声の人物が何者かを理解する。
「まさか、あなたは――」
『そう言えば、挨拶が遅れたね。このようなカタチで申し訳ないが、自己紹介をするとしよう。地精の長を務める黒のアルベリヒと言うものだ。フランツ・ルーグマンとも名乗っているがね』
これにはシェラザードも驚きに目を瞠る。
ギルドも行方を追っている〈黒の工房〉の長が、間接的にとはいえ目の前に現れたのだから当然であった。
だが、それならリィンと面識があるのも理解できるとシェラザードは納得する。
巨神との戦いの顛末を記したギルドの報告書には、シェラザードも一通り目を通しているからだ。
全員ではないが関係者に事情を聞き、トマスがリィンと取り引きをして得た情報も記されているので信憑性は高い。
実際そのレポートが切っ掛けで〈黒の工房〉の危険性が認知されることとなって、教会やギルドが動くことになったのだ。
「それで? 盗み聞きをして、欲しい情報は得られたのか?」
『逆に尋ねたいね。魔女殿を使って、何をこそこそと嗅ぎ回っているのかね?』
お互い様と話すアルベリヒの言葉で、ヴィータの姿がないことをアルフィンとシェラザードは思い出す。
てっきり、レイフォンやリーシャと共にヴィクターの足止めに残ったものと考えていたのだろう。
「リィンくん、キミは一体なにを……」
ヴィータの動きまでは、オリヴァルトも把握していなかったのだろう。
アルフィンとシェラザードも、ようやくリィンの狙いが別にあったことに気付く。
だとすれば――
「まさか、リィンさん。わたくしたちを囮≠ノ?」
「人聞きの悪い。ちゃんとオリヴァルトとは、話をさせてやっただろ?」
リィンが妙に協力的だったのは、自分たちに注意を向けさせるためだったのだとアルフィンは察する。
話を聞けば納得だが、微妙に何とも言えない気持ちになるアルフィン。
シェラザードもようやくエステルが言っていた『嫌な奴』の意味を理解する。
真っ直ぐな性格をしているエステルとは、気が合わないのも当然だと納得したからだった。
しかし、
「確かに猟兵≠ヒ。見返りもなく助けてくれるはずもないか……」
むしろ、その方が猟兵らしいとシェラザードは頷く。
リィンに何かしらの企みがあることは、彼女も薄々と勘付いていたのだろう。とはいえ、そのことでリィンを非難できる立場にないことも理解していた。
自分一人では、オリヴァルトのもとへ辿り着くことは出来なかった。目的のために利用したのは自分も同じだと考えているからだ。
それに遊撃士とて、綺麗事だけではやっていけない職業であることに違いはない。民間人を守るというのは大前提にあるが、そのために裏の組織や国と取り引きをしたり、小さな悪事に目を瞑ったりと言った程度のことは普通に行なわれているからだ。
猟兵と手を組むようなことは少ないが、まるで前例がないと言う訳ではない。
A級の遊撃士ともなれば、シェラザードとてそうした経験がないという訳ではなかった。
『宰相閣下! 少しよろしいでしょうか?』
その時だった。
廊下から足音が聞こえたかと思うと、兵士の声が聞こえてきたのは――
大方アルベリヒの仕業だと察し、リィンは機械人形を一瞥するとアルフィンとシェラザードに声を掛ける。
「ここまでのようだな」
「待って! まだ聞きたいことは――」
話を聞いて分かったことは呪いについてと、オリヴァルトが呪いの影響を受けている訳ではないと言うことだけだ。
少なくとも精神支配の類を受けている訳ではないと分かったのは、アルフィンやシェラザードにとって安心できる話だった。
しかし先の政府の発表に対する説明は、まだオリヴァルトの口から聞いていない。
オリヴァルトに何かしらの考えがあることは分かったが、帝国が再び戦争に向かおうとしていることだけは間違いないのだ。
納得の行く説明を聞くまでは帰れないとシェラザードが主張するのも当然であったが――
「悪いな」
「――ッ!」
オリヴァルトに詰め寄ろうとしたところで、背後からリィンに手刀を浴びせられ、シェラザードは意識を失う。
仕方のないこととはいえ、少しの躊躇もなくシェラザードの意識を刈り取ったリィンを見て、溜め息を漏らすアルフィン。
リィンが誤解を受けるのは、こういうところだとよく理解しているからだった。
あとでシェラザードへのフォローが必要になるだろうと、アルフィンが覚悟を決めたところに――
「すまない。シェラくんに謝っておいてもらえるかな?」
「……それは、お兄様がご自身でなさってください。妹に頼むようなことではありませんわ」
代わりに謝っておいて欲しいとオリヴァルトに頼まれ、アルフィンは呆れた様子で首を横に振る。
家族だからこそ、オリヴァルトが既に覚悟≠決めてしまっていることがアルフィンには分かる。
だからオリヴァルトに対して、同じ皇族の一員とてアルフィンは何も言い返すことが出来なかったのだ。
しかし、シェラザードは違った。最初から最後まで、オリヴァルトのことを友人≠ニして心配していた。
ひょっとしたら他の感情も少し交じっていたのかもしれない。
それでも、彼女がオリヴァルトのことを心の底から想い、オリビエとして接しようとしていたことは確かだ。
なら、その想いには妹である自分ではなくオリヴァルトがきちんと向き合うべきだとアルフィンは考える。
「お兄様、最後に一つだけ聞かせてください。『僕は=xと仰いましたね。でしたら、いまセドリックは……」
「……すまない」
一言頭を下げ、それ以上は何も答えないオリヴァルトを見て、アルフィンはすべてを察する。
変わってしまったのはオリヴァルトではなく、セドリックの方だと言うことに――
そして恐らくオリヴァルトは、セドリックのために覚悟を決めてしまったのだと言うことを――
「忠告≠ヘしたつもりだったんだけどな。結局、そっちを選んだと言う訳か」
「やはり、察していたか。出来れば止めて@~しかったんだけどね」
「決めるのは本人だ。他人に期待するくらいなら、自分でどうにかしろ」
リィンに真っ当な反論をされ、耳の痛い話だとオリヴァルトは苦笑を漏らすのであった。
◆
部屋の中をキョロキョロと見渡し、不思議そうに首を傾げる衛兵にオリヴァルトは声を掛ける。
「どうかしたのかい?」
「いえ、話し声がした気がしたので、どなたかいらっしゃっていたのかと……」
「ほんの少し前まで子爵閣下ならいらしていたが……それよりも何か報告があったのでは?」
少し腑に落ちない様子を見せるもオリヴァルトに催促され、気の所為かと判断して衛兵は報告へと移る。
「そのことなのですが、城内に侵入者が現れたとの報告が――」
「侵入者?」
まったく心当たりがないと言った表情でとぼけるオリヴァルト。
その態度にすっかりと騙された様子で、外で待機している隊員に周辺の警備を命じて衛兵は去って行く。
兵士が去ったことを確認して、どうにか誤魔化せたようだと安堵するオリヴァルトの耳にアルベリヒの声が届く。
『貴族に厳しい宰相閣下も、家族や友人には甘いようだ』
「そういうキミこそ、本気で彼等を捕まえる気はないみたいだが?」
恐らく城の衛兵に侵入者の情報をリークしたのは、アルベリヒだろう。
しかしアルベリヒからは、本気でリィンたちを捕らえると言ったやる気が伝わって来ない。
そのことを不審に思いながら、オリヴァルトは探りを入れる。
『彼には、まだまだやってもらう役割があるからね。それに本気で彼を捕らえるつもりなら、こちらも覚悟≠決めないと』
まだ、その時ではないと話すアルベリヒ。
それだけでアルベリヒの考えを見通すことは出来ないが、リィンを強く警戒しているこだけは察せられた。
だがアルベリヒの言うように、実際にリィンを捕らえようとしても難しいだろうと言うことはオリヴァルトにも分かる。
『今後はキミにも勝手な振る舞いを自重して欲しい。お互い≠フためにもね』
オリヴァルトに警告を発すると、再び姿を消す機械人形。
アルベリヒの残した言葉を心に刻みながら、オリヴァルトは窓の外へと視線を向ける。
そして茜色に染まった街を眺めながら、決意と覚悟を滲ませる表情を覗かせるのであった。
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