「声をかけてやらないのか?」

 領主館に併設された練武場から聞こえてくる剣戟の音に耳を傾けながら、リィンは一人の女性に声を掛ける。
 ――オリエ・ヴァンダール。ヴァンダール家の当主マテウス・ヴァンダールの後妻にして、クルトの母親だ。

「成長の機会を奪いたくはありませんから。その点で、感謝しているのですよ」

 あなたとオーレリア将軍には――と、オリエは微笑みを浮かべながら答える。
 ヴァンダールの師範代として、クルトには厳しく接してきたつもりではいるが、それでも子を持つ親だ。
 我が子に対しては、どうしても甘さがでる。そのことはオリエ自身がよく分かっていることだった。
 だからこそ、リィンと共に行くことは良い経験になると考えて、クルトを送り出したのだろう。

「俺は何もしてないけどな」
「あの子は、そう思っていないみたいですけどね」

 直接本人から話を聞いた訳ではないが、母親なのだ。
 がむしゃらにオーレリアへ立ち向かっていくクルトの姿を見れば分かる。
 少なからずリィンの影響を受けていることは、クルトも自覚しているはずだと――

「それより、上手くやってくれたみたいだな。ミュゼの祖父さんから感謝されたよ。お陰で貴族たちの説得が楽だったと」

 以前リィンから頼まれたことを思いだし、何を感謝されているのかを察して納得した様子を見せるオリエ。
 レグラムでのみ活動するアルゼイド流とは異なり、ヴァンダール流は帝国各地に支部を構え、多くの門下生を抱えている。その横の繋がりを使って、リィンから市井に噂を流して欲しいとオリエは頼まれていたのだ。正確には、帝国時報などで報じられていない正しい情報を噂≠ニして流して欲しいという頼みだった。
 同じようなことをリィンは、クロスベルタイムズに所属する記者グレイス・リンにも頼んでいた。
 それで戦争の流れが止まるとまでは考えていないが、政府に疑心を抱かせる切っ掛けにはなる。それでなくとも先の内戦の影響はまだ残っていて、民だけでなく貴族の中にも国のやり方に疑問を持っている者は少なくないのだ。
 その証拠にイーグレット伯の呼び掛けに応え、ミュゼのもとへ集まった人間の数は当初の予想を大きく超える結果をだしていた。
 帝国政府がラマール州に対して、いまだに具体的な対応を取れずにいるのは、それが最大の理由と考えていい。
 対応を誤れば、帝国を二分する内戦が再び引き起こされる可能性が高いからだ。
 そうなったらノーザンブリアとの戦争どころではなくなる。共和国とて、そのような好機を黙って見過ごしたりはしないだろう。

「たいしたことはしていません。私は言われたことをやっただけですから」
「立場が悪くなるのも覚悟の上でだろ?」

 オリエが皇城に軟禁されていた理由の一つに、その件が関係しているとリィンは見ていた。
 帝国の情報局とてバカではない。市井に流れている噂の出所が、ヴァンダールであることにはすぐに気付くはずだ。
 そうなったら状況から言って、真っ先に疑われるのはオリエだ。
 覚悟の上で頼みを引き受けたのであろうが、それでもオリエがはたした役割は大きいとリィンは考えていた。

「一蓮托生なのでしょう?」
「確かに」

 そんなことを言った覚えがあるな、とリィンは苦笑する。
 マテウスの件では可能な限り協力する。その代わりにオリエもリィンの計画に協力する。
 それが二人の結んだ契約だ。なら、今回のことも約束に含まれているとオリエは言いたいのだろう。
 仮に反逆者として処断されることになっても、リィンなら最後まで約束を守ってくれる。
 そう信頼しての行動であることは疑いようがなかった。

「なら、俺もその信頼に応えるとするか」

 信頼などと口にはしているが、所詮は契約で縛られた関係だ。
 しかし相手が約束を守る限りは、リィンも決してその契約を違えることはない。
 その上で、オリエはリィンを信じ、覚悟を示した。
 なら、その覚悟に応えるのは自分の役目だとリィンは考え、

「ロゼから連絡があった。マテウスが変わってしまった理由。いま帝国で何が起きようとしているのか? 真実が知りたければ、ついて来い」

 そう、オリエを誘うのだった。


  ◆


 こっそりと領主館を抜け出したリィンは、ラクウェルの街へと再び訪れていた。
 ラクウェルまで案内を寄越すと、ローゼリアから集合の場所を指定されたからだ。
 しかし、

「……誰だ?」

 猫耳と尻尾を生やした少女がやってくるとは、さすがのリィンも思ってはいなかったのだろう。

「誰だ、とは随分なご挨拶ね」
「その生意気な口調。お前、まさか……セリーヌなのか?」
「生意気は余計よ! アンタ、私に喧嘩を売ってるの!?」

 この反応、間違いなくエマの使い魔のセリーヌだとリィンは確信する。
 しかし、分からないのはセリーヌの姿だった。
 リィンの知っているセリーヌと言えば、黒猫の姿をしていたはずだ。
 だが、いまのセリーヌは耳と尻尾が生えてはいるが、それ以外は人間の女の子にしか見えない。

「お前、人間に化けられたのか?」
「化けたとか言うな! そもそも、こっちが真の姿よ!」
「……そうなのか?」
「……不本意ながらね」

 しぶしぶと言った表情で、リィンの問いに答えるセリーヌ。
 いまの姿が本来のセリーヌだと言うのは嘘ではないのだろうが、本人的には納得していない様子が見て取れる。
 その態度から普段猫の姿でいるのは何か事情があるのだろうと、リィンは察する。
 とはいえ――

「嫌がっている割には、その姿でお出迎えとか、随分とサービスがいいな」
「そういうのじゃないから! エマはロゼの手伝いで動けないし、アンタだけならともかく他にも人間がいるのにあっちの姿で案内するのは何かと面倒でしょ? それに、これから向かう先では無意味≠セから……」
「……無意味?」
「そういうアンタも覚悟をしておいた方がいいわよ」

 話の意図がまったく読めず首を傾げるも、セリーヌの態度から訊くだけ無駄とリィンは諦める。
 なんとなくセリーヌが話したがらない理由が、これから向かう先にあると察したからだ。

「で? 一緒に行くのは、これで全員?」
「ああ、魔女にとって重要な場所だと聞いているからな。秘密を知る者は最低限の方がいいだろ?」
「アンタにしては、良い心がけね」

 特に人数の指定はなかったとはいえ、リィンが同行者として連れてきたのはミュゼとオリエの二人だけだった。
 これから向かう先が魔女にとって重要な場所であることを考慮したのであろうが――

「エマから話を聞いていたけど、例のラインフォルトの子は一緒じゃなくていいの?」
「アリサのことか? 一応、声を掛けたんだけどな」

 関係者と言う意味では、アルベリヒことフランツの娘であるアリサは一番の当事者と言っていい。
 エマから大凡の事情を聞いていただけに、アリサが一緒でないことをセリーヌは不思議に思ったのだろう。

「……夫婦喧嘩は猫も食わないって言うわよ? 素直に謝ってきたら?」
「それを言うなら犬も食わないだ。大体、喧嘩をしている訳じゃない」

 セリーヌが何を誤解しているのかを察し、リィンは疲れた表情で溜め息を溢すのであった。


  ◆


「リィンと一緒に行かなくて、よかったの?」

 そう言って、真っ直ぐにアリサを見詰めながら尋ねるフィー。
 どう言うつもりでフィーがそんな質問をしているのかを察して、溜め息を交えながらアリサは答える。

「他に押している仕事もあるし、話ならリィンから後で聞けばいいしね」

 その言葉に嘘はないのだろう。実際、アリサは多くの仕事を抱えている。
 ここ最近はリィンが鹵獲した機甲兵や戦車の扱いについて領邦軍との交渉を担当している他――
 クロスベルにあるラインフォルトの支社とも連絡を取り、経営者としての仕事もこなしているのだ。
 イリーナから譲り受けた第四開発部の経営権のことで、いろいろと進めなくてはならない手続きや準備もあるのだろう。
 それに――

「黒の工房のアジトを突き止めるためにも、早く準備を進めないと……」

 レンとキーアのことを気にしているのだろう。
 すべての責任は自分にあるとリィンは言っていたが、二人を誘拐したのは〈黒の工房〉であることは間違いない。
 だとすれば、アルベリヒの指示だと考えるのが自然だ。アリサなりに責任を感じているのだろう。
 そして、いま準備を進めている作戦には、オルキスタワーとベルの協力が必要不可欠と言っていい。
 しかし、ベルの正体を知っていて尚且つ技術的なやり取りが出来る人間など、アリサをおいて他にいない。
 これは〈暁の旅団〉の秘密にも関わることなので、ティオやティータにも頼めないからだ。
 シュミット博士などは勝手に首を突っ込んできそうではあるが、可能な限り情報が漏れないように準備を進める必要があった。

「アリサが忙しいのは知ってるけど、それが理由のすべてじゃないよね?」

 そのことはフィーも理解しているが、アリサがリィンの誘いを断ったのはそれだけが理由ではないと気付いていた。

「……誤魔化しても無理そうね」
「ん……でも、リィンも気付いていたと思うよ」
「でしょうね。貴族からも恐れられる猟兵の癖に、妙に優しいところがあるから……」

 リィンがあっさりと引き下がった理由。
 それは内心を察せられたからだと、アリサ自身も分かっていた。
 フィーにも気付かれたくらいなのだ。勘の鋭いリィンが気付かないはずがない。

「覚悟を決めているつもりでいたけど、怖いんだと思うわ。真実を知ることが……」

 本当のことを知りたいと考える一方で、現実を突きつけられることを恐れている自分がいる。
 アリサ自身はフランツの意思ではなく、フランツに取り憑いているアルベリヒがやったことだと考えている。
 幼い頃の記憶。アリサの思い出に残る父親のイメージと、いまのフランツの姿は余りに懸け離れているからだ。
 しかし、それはそう信じたいだけなのかもしれないと考える時がある。
 最初からラインフォルトの力を利用することが目的でイリーナに近付いたのだとすれば――
 ずっとフランツは家族を欺き続けていたと言うことになる。そうとは考えたくないのだろう。

「アリサは本当にそれでいいの?」
「……どう言う意味?」
「仮に悪い予感が当たっていたとして、他人から聞いた話を素直に信じられるのかってこと」

 自分で確認をせず、本当に信じられるのかと問われるとアリサは何も答えられなかった。
 リィンのことは信じていると言っても、やはり自分の目と耳で確認するのと話を聞くだけでは大きく違う。
 真実を確かめたいから、フランツやイリーナの真意を知りたいから、ここまでやってきたはずなのに――

「……本当に情けないわね」

 と、アリサは悔しさと情けなさの入り交じった複雑な表情を滲ませる。
 フィーの言うように、このままで良いとは彼女も思ってはいなかったのだろう。
 しかし、リィンたちは既に出発した後だ。
 リィンたちが向かった場所は、魔女たちが代々守り続けてきた神聖な場所。
 正確な位置が分からないのでは、いまから追い付くのも難しい。

「どうせ、そんなことだろうと思って案内役≠呼んでおいたよ」
「……兄妹揃って、私を便利に使い過ぎじゃないかしら?」

 フィーとの会話に割って入ってきた声に気付き、アリサが扉の方へと視線を向けると、そこにはヴィータの姿があった。
 エマと共にローゼリアのもとで魔術を学んだ彼女なら、確かにリィンたちが向かった場所について知っている可能性は高い。
 ヴィータをここへ呼んでいたと言うことは、最初からそのつもりでフィーはアリサに声を掛けたのだろう。

「アリサのためだけじゃないよ。気になっているのは、私も同じだから」

 ――当然、行くよね?
 そう言ってフィーは手を差し出し、アリサの背中を押すのだった。


  ◆


「事情は分かったけど、本当に連れて来なくてもよかったの?」
「大丈夫だろ。フィーが残ってるし、そのうち追い付いてくるはずだ」
「追い付くって……ここが何処かも分からないのに……」

 どうやってと口に仕掛けたところで、ヴィータのことを思い出すセリーヌ。

「あの性悪魔女を足に使うなんて、ほんとに良い性格してるわね」
「もっと性格の悪い女を知ってるしな。アイツなんて、まだ可愛い方だ」

 ヴィータよりも性格の悪い女がいると聞かされて、驚愕の表情を浮かべるセリーヌ。
 この場にエリィがいたら、すぐにベルのことだと気付き、苦笑を漏らしているところだろう。

「ヴィータよりも性格の悪い女って、出来れば会いたくないわね……」
「そのうち、嫌でも顔を合わせることになると思うがな」

 エマの使い魔をしている以上、その機会は嫌でも訪れるだろう。
 セリーヌが人間に姿を変えられると知ったら、むしろ興味を持つかもしれないと考えごとをしながら歩いていると――

「そんなことよりも、ここがそうか?」

 街道の外れに如何にもと言った雰囲気を放つ遺跡を見つけ、リィンはセリーヌに確認を取る。

「ええ、月霊窟。代々の巡回魔女が管理してきた唯一の霊窟……この先で、ロゼとエマが準備をして待っているわ」

 そう説明するセリーヌが見詰める先には、暗黒時代の遺跡と思しき霊窟がひっそりと佇んでいた。

「まさか宿場町の近くに、こんな遺跡があるなんて……」

 ミュゼが驚くのも無理はない。
 目的の場所は、ラクウェルから東の峡谷を越えた先にあるミルサンテと呼ばれる宿場町に程近いところにあった。
 しかし、ラマール州で生まれ育った彼女ですら、このような遺跡があることは知らなかったのだ。

「いままで誰も気付かなかったのは無理もないわ。普段は結界が張られていて、誰の目にも留まることはないから」

 セリーヌの説明を聞いて内戦時、帝国の各地に現れたという霊窟の話を思い出すミュゼ。
 精霊窟の存在は知っていたが、実際にこうして目にするのは初めてなのだろう。
 興味深そうに霊窟を眺めるミュゼの反応に得意げな表情を浮かべながら、セリーヌはオリエに話を振る。
 ミュゼとは対照的に驚いた様子も無く、妙に落ち着いているのが気になったのだろう。

「オリエだっけ? アンタは落ち着いているわね。やっぱり年の功――」
「フフッ、何か言いましたか?」
「い、いえ……なんでもないわ」

 身の危険を感じて、慌てて言葉を引っ込めるセリーヌ。
 このなかでは一番まともそうに見えて、やはり彼女もリィンの関係者だと確信する。
 使い魔という立場上、拒否権はほぼないに等しかったとはいえ、

(あのヴィータが手玉に取られるはずよね……)

 案内役を引き受けたことを今になって後悔しはじめるのであった。



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