「これは一体……」

 緋色に染まった空をアウロラのブリッジから見上げながら、アルフィンは戸惑いの声を漏らす。
 記憶によぎるのは煌魔城が出現し、異界に呑まれた嘗ての帝都の姿。
 そして緋色の光に照らされた地上には、巨大な大地の裂け目が出現していた。
 リィンだけでなく、数万を超す帝国軍の姿も見当たらない。

「あの巨大な縦穴。この世界とは異なる空間に繋がっているみたいですね。恐らくは……」

 全員、異界に呑まれたのだろうと、ロジーヌは状況を分析する。

「誰の仕業か、考えるまでもありませんね」
「……黒の工房ですか」

 状況から考えて誰の仕業かなど考えるまでもない、と話すアルフィンとクローゼ。

「そう言えば、ノーザンブリアの街は?」
「無事みたいですね。戦場が街から離れていたのが幸いしたようです」
「では、やはり……」
「はい。敵の狙いがリィンさんにあったことは間違いないかと」

 ロジーヌの口から返ってきた予想通りの答えに、やはりと難しい表情を浮かべるアルフィン。
 これだけ大掛かりな仕掛け、何の準備もなしに出来るとは思えない。
 リィンが戦争に介入するのを予見して、罠を仕掛けていたと考えるのが自然だった。

「……無事だと思いますか?」
「リィンさんは恐らく大丈夫かと……ですが……」

 帝国軍に限っては全滅の可能性もあると、ロジーヌは最悪の予想をアルフィンに告げる。
 星杯騎士団の役割は、アーティファクトの回収だけではない。
 外法認定された罪人の始末や、こうした異変にまつわる事件の解決も任務に含まれる。
 その経験から言えることは、ただの人間がこれほど大規模な異変に巻き込まれて、無事に生還できる可能性は低いと言うことだった。

「ノーザンブリアへ侵攻していた帝国軍の大半が消えたとなれば、リィンさんが疑われることになる。これが敵の罠だとすれば、次の行動が予想できますね」

 リィンを――暁の旅団を非難し、その矛先はクロスベルにも向かうだろう。
 既に一戦を交えているとはいえ、そうなったら交渉による解決は難しいものとなる。
 最悪の場合、世界を巻き込んだ大きな戦争へと発展していく可能性が高いと、クローゼは推察する。
 その予想には、アルフィンとロジーヌも概ね同意だった。
 どう転んでも戦火を拡大することが出来る。アルベリヒの狙いはそこにあるのだろう。

「……レミフェリアの時と同じですね」

 レミフェリアでの一件を思い出し、深刻な表情を浮かべるロジーヌ。
 各国の首脳が集う通商会議を狙った襲撃。
 仮にあの場で要人たちが全員殺されていれば、リィンが犯人にされていた可能性は低くない。
 今回のこともその延長と考えれば、合点の行く話だと考えたからだ。

「ということは、彼等の狙いは……」
「ええ、暁の旅団が危険な存在であると世界に知らしめ、各国に選択を迫るつもりなのではないかと」

 アルフィンの考えを肯定し、自分の考えを口にするクローゼ。
 十万を超す兵の命が失われたとなれば、帝国も引き下がることは出来ないだろう。
 これが国家間の問題であればいいが、リィンは一介の猟兵に過ぎない。
 だとすれば内戦後の〈北の猟兵〉の扱いと同様、暁の旅団を擁するクロスベルに対して多額の賠償金を要求してくるに違いない。

 逆に言えばリィンの味方をすれば、テロリストを擁護する国として非難することが出来る。
 そう考えると帝国の仕業と分かっていても、それを口に出来る国は少ない。
 自国に矛先が向かないように非は帝国にあると分かっていても、暁の旅団を非難する国も出て来るだろう。
 そうなれば、世界は〈暁の旅団〉を排除する方向に舵を取らざるを得なくなる。

「リィン団長なら、むしろ『都合が良い』と言いそうですけどね」
「……ミュゼ?」
「そもそも領邦軍を全滅させたことは事実ですし、最初からそれ≠ェ目的だったのでは?」

 姫様も覚悟は出来ていたはずですよね、とミュゼに問われれば、アルフィンは何も言い返せなかった。
 起きてしまった戦争を止めるには言葉だけでは不十分。力を示すしかない。
 ノーザンブリアとの戦争に介入すると決めた以上、多大な犠牲がでることは承知していた。
 だからこそ帝国の皇女として、結果を見届けるためにアルフィンは今回の作戦に同行したのだ。
 ミュゼの言うように、今更それを悔いたところで遅いということは理解していた。

 それにリィンは最初から、誰一人として生かしておくつもりはなかった。
 アルフィンとの約束がある以上は、逃げる者を後ろから撃つような真似はしなかっただろうが、あのまま戦いが続いていれば正規軍にも甚大な被害がでていたはずだ。
 どのみち、結果は同じだったとするミュゼの考えは正しい。
 恐れられ、世界から今まで以上に危険視されるリスクがあることを理解した上で、リィンは行動に移したのだ。

「そのことで少し疑問に思っていたのですが、この先リィンさんはどうするつもりなのでしょう?」
「……本人に尋ねてみなかったのですか?」
「尋ねてはみましたが『じきにわかる』とはぐらかされました。アルフィンも詳しくは聞かされていないみたいですし、ミルディーヌ公女なら何か気付いているのではないかと思いまして……」

 このなかで一番事情に詳しいのはミュゼだと察したクローゼは疑問を投げ掛ける。
 確かに共犯≠ニいう意味では、このなかでミュゼが一番リィンの計画を把握していると言えるだろう。
 とはいえ、リィンには秘密が多い。協力関係にあるとはいえ、すべてを聞かされている訳ではないのだ。
 しかし、ミュゼもリィンに話していないことが幾つかある。
 お互い様だとミュゼは割り切っているが、やはりクローゼは気になるのだろう。

「ある程度の察しは付きます。ですが、それは私の口から語るべきではないかと」

 とはいえ、リィンが説明しなかったことを、ミュゼは自分の口から語る気はなかった。
 クローゼのことを信用していない訳ではないが、彼女はリベールの王太女だ。
 個人的には信用できても、公人としての彼女は話が別だった。
 恐らくアルフィンにも説明しなかったのも、同様の理由からだろうと推察できる。

 アルフィンはクロスベルの総督という立場にあるが、同時に帝国の皇女でもある。
 今回の件を見れば分かるように、非情に徹することはアルフィンでは難しいことが窺える。
 状況が許さなかったとはいえ、セドリックやオリヴァルトに重責を負わせ、自分だけ帝都を離れたことに負い目も感じているのだろう。
 セドリックが変わってしまったのは、自分にも責任の一端があると考えているのかもしれない。
 それに――

(話せば、姫様は自分を責めるでしょうし……)

 何れ分かることとはいえ、リィンの狙いを知ればアルフィンは間違いなく反対する。
 だからこそ、リィンはアルフィンに計画の全容を話さなかったのだとミュゼは推察していた。
 リィンの狙い。恐らく、それは――

「大丈夫ですよ。兄様なら」

 少しもリィンのすることを疑っていないと言った揺るぎのない声。
 重苦しい空気を掻き消すようにブリッジに響いたのは、エリゼの声だった。

「姫様も本当は分かっているのでしょう?」

 ポカンと呆気に取られるも、何かを悟った様子で笑みを漏らすアルフィン。
 たった一言で場の空気を変えてしまったエリゼを見て、ミュゼの脳裏に女学院での生活が過る。
 女学院でのミュゼは少しばかり周囲から孤立していた。
 無理もない。大抵の者はミュゼが公爵家縁の者だとわかれば距離を置くか、取り入ろうとするのが常だ。
 身分制度が存在する帝国の貴族社会において爵位とは、それだけ絶対的な意味を持つ。
 ましてや、アストライア女学院に通う生徒の多くは貴族の子女だ。
 建て前では学院に身分を持ち込まないとなってはいても、貴族の家に生まれた以上は無視できない。
 しかしミュゼが公爵家の血縁者だと知っても、エリゼだけは態度を変えることがなかった。
 建て前や損得の勘定を抜きに心の底から気に掛け、親身に接してくれたのはエリゼとアルフィンだけだった。
 アルフィンがエリゼに心を許し、親友だと公言しているのも、だからなのだろう。
 そして、ミュゼも――

(変わらないですね。本当に……)

 昔のことを思い出しながら、改めてエリゼの強さを再確認するのだった。


  ◆


「テレジア、怪我はない?」
「ええ、エミリーは……って聞くまでもないわね」

 どう言う意味よ、と親友の言葉に眉根を寄せるエミリー。
 昔からテレジアが頭脳担当だとすれば、エミリーは身体を使うのを得意としていた。
 身体が丈夫なのが自慢で、学生の頃からエミリーが怪我や病気をしたという話をテレジアは耳にしたことがない。
 自分が無事なのだからエミリーが大丈夫でないはずがない、とテレジアは考えたのだろう。

「それより、ここは?」
「さあ? 私が聞きたいくらいよ」

 周囲を見渡しながら、まったく見覚えのない景色に首を傾げる二人。
 中央に巨大なシャフトがそびえ立つ円錐状の空間。
 見慣れない機械が並ぶ光景からも、どこかの施設の中だというのは見れば分かる。
 しかし、先程まで二人は北の大地にいたはずなのだ。
 一体どうして、こんなところにいるのかと疑問を抱くのは当然であった。

「取り敢えず、出口を探してみる?」
「……迂闊に動き回るのは危険じゃない?」
「言いたいことは分かるけど、ここでじっとしてても助けがくるとは限らないでしょ?」

 ここが何処か分からないことには身動きの取りようがない。
 少しでも情報を集めるべきだと主張するエミリーに、テレジアは仕方がないと言った様子で頷く。
 リスクはあるが、エミリーの言うことにも一理あると考えたからだ。

「まずは、あそこを目指してみない?」

 そう言ってエミリーが指をさしたのは、中央にそびえ立つ巨大なシャフトだった。
 何らかの装置だと思うが、直径にして百アージュほどはあるだろうか?
 どの程度の高さがあるのかも見当が付かない。

「わかったわ。でも、十分に注意してね」

 エミリーの提案に注意を促しながら賛同するテレジア。
 他にあてがない以上、一番怪しいのは中央の装置だ。
 実際、情報が不足しすぎている。せめて自分たちが何処にいるのかを確認する必要があると考えたのだろう。
 十分に周囲を警戒しつつ物陰に隠れながら、ゆっくりと目標に近付いていく二人。
 そして、中央に続く連絡路を渡ろうとした、その時だった。

「急に止まって……どうかしたの?」
「この先に誰かいる」

 エミリーに警戒を促され、テレジアの表情に緊張が走る。
 腰の銃を抜き、いざという時のために備える二人。
 気配を殺しながらゆっくりと近付き、物陰から様子を窺おうとした、その時だった。

「何者ですか?」

 背後からかけられた声に驚き、慌てて銃を構えたまま振り返ろうとする二人。
 しかし何かが身体に纏わり付き、腕一本動かせないことに気が付く。
 二人の動きを封じているもの。それは鋼鉄製の糸だった。
 エミリーとテレジアの額からは嫌な汗が滲み出る。
 振り返ることも出来ず、ゆっくりと近付いてくる気配に最悪の事態が頭を過る。

「ごめん、テレジア」
「謝るのはなしよ。エミリー」

 出口を探そうと最初に言いだしたのはエミリーだ。
 そのことで責任を感じているのかもしれないが、同意した以上は自分にも責任があるとテレジアは考えていた。
 それに、あのままあそこにいたとしても問題は解決しなかっただろう。
 敵が潜んでいたのなら、いずれ見つかって奇襲を受けていた可能性すらある。

「エミリー? テレジア? もしかして、あなた方は……」

 軍人として二人が決死の覚悟を決めようとしていた、その時だった。
 場に張り詰めていた殺気が薄れ、二人を縛っていた鋼糸が緩まったのは――
 何が起きているのかわからず一瞬戸惑いを覚えるも、すぐに二人は距離を取り、銃を構える。
 しかし、

「ご無沙汰しています」

 銃口を向けた先にいたメイド服の人物を見て、動きを止めるエミリーとテレジア。
 視線の先にいたのは、二人もよく知る人物。

『シャロンさん!?』

 ラインフォルト家のメイド、シャロン・クルーガーであった。



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