「こっちの予想を大きく超えてきたわね」

 深々と溜め息を漏らしながら、そう口にするヴィータ。
 彼女の視線の先には、直径三十アージュほどある巨大な炎の球が浮かんでいた。
 そう、リィンの黒炎によって生み出された黒い太陽だ。

「婆様。これって、もしかして……」
「うむ、霊脈を通じて呪いの力を吸い上げておる。恐らくは――」

 アルグレスと同じことをリィンがやっているのだと、ヴィータとローゼリアは推察する。
 同じ呪いに侵された贄であることを考えれば、アルグレスに出来ることがリィンに出来ない道理はない。
 戦いの中で学び、やり方を真似たと考えるのが自然であるが――

「彼奴……アルグレスを喰らいおったな」
「それって……」
「アルグレスの持つ力、能力。そのすべてを吸収し、同化したのじゃろ」

 先代のようにな、とローゼリアは話す。
 焔の聖獣と同化した先代の魔女の長のことを言っているのだとヴィータは察する。
 実のところローゼリアはツァイトやアルグレスのように、女神によって生み出された聖獣と言う訳ではない。
 正確には、焔の聖獣と同化した先代の長の使い魔。グリアノスやセリーヌと同じ立場にあった。
 先代の死後、記憶の一部を継承したが、女神との直接の面識はない。
 彼女が他の聖獣のように盟約に縛られていないのは、それが理由と言っていいだろう。
 しかし、一部とはいえ記憶を受け継いでいるため、先代がどうやって聖獣の力を得たのかは覚えている。

 ――喰ったのだ。

 正確には、喰ったのは一匹の聖獣。喰われたのは一人の魔女だった。
 千二百年前、災厄を御するために自ら贄となる道を選び、聖獣と融合したのだ。
 それが、ローゼリアの前身。先代の魔女の長だった。
 その時とは立場が逆だが、リィンも同じことをやったのだとローゼリアは理解する。
 同じ呪いに侵された者同士。同質の力であれば吸収し、同化することは不可能ではないからだ。
 しかし、

「よく分からねえが、アイツは無事ってことか?」
「無事と言っていいのかどうかはわからん。先代の時とは状況が大きく異なる」

 最悪の場合、アルグレスのように理性を失う可能性もゼロではないと、ローゼリアはクロウの疑問に答える。

「おい、それってまずいんじゃ……」
「まずいなんてものじゃない。神すら滅ぼせる魔人が産み落とされることになる。そうなったら――」

 世界は終わりじゃ、とローゼリアは深刻な表情で話す。
 少なくとも人間の力で敵うような存在ではない。
 シャーリィやアリアンロードでも倒せるかどうか怪しいだろう。

「何か考えがあってのことだろうし、信じるしかないわね」

 あのリィンが勝算もなく、こんな真似をするとは思えない。
 だとすれば、呪いの力に打ち勝つ自信があるからこそ、こんな真似をしたのだろう。
 いまは、それを信じるしかないとヴィータは話す。
 それよりも問題は――

「話の前に、ここを脱出した方がよさそうですね」

 アリアンロードの言うように、ここから逃げるのが先決だった。
 アルグレスがリィンに取り込まれたことで、空間が不安定になっているからだ。
 じきに異界化も解除されるだろう。
 そうなれば最悪の場合は、この工房と運命を共にすることになる。
 次元の狭間を永遠に彷徨うか、空間が引き戻される際の余波に耐えきれず消滅という危険すらあった。

「でも、どうするの? 騎神を使えば、逃げるのは難しくないだろうけど」

 全員は助けられないよね? と、シャーリィは尋ねる。
 確かにアリサたちだけなら回収して逃げることも可能だろう。
 しかしローゼリアの探知に引っ掛かったように、工房内には異界化に巻き込まれた帝国軍の兵士が取り残されている。
 把握できているだけでも、三千人以上の人間が工房内で身動きが取れなくなっていた。
 出来るだけ助けたいと思う一方で、それだけの人数を限られた時間で救助するというのは無理がある。

「幸い結界も効力を失っているようだし、精霊の道を使えば転位そのものは問題ないでしょうけど……」
「いまから、これだけの人数を誘導して一箇所に集めるのは無理じゃな。時間が足らなすぎる」

 これだけの人数を転位させるのなら、チャンスは一度切りと思った方がいい。
 時間もそうだが、圧倒的に魔力が足りなくなるからだ。
 しかし、異界に取り込まれた人々は一箇所に集まっている訳ではない。
 いまからその人たちを誘導して、集めるような時間は――

「……これはどういうことじゃ?」

 もう一度、探知の魔術で兵士たちの位置を確認しようとしたローゼリアは困惑の声を漏らす。
 何かに誘導されるかのように、特定の場所へ向かって兵士たちが移動を始めていたからだ。
 その時だった。シャーリィのオーブメントが着信音を告げたのは――

『よかった。心配はしてなかったけど、そっちも無事みたいね』

 シャーリィが通信にでると、端末のスピーカーから聞こえてきたのはアリサの声だった。

『シャロンが先輩たち……帝国軍の兵士を保護したのだけど、皆と協力して避難誘導を進めてもらっているわ。あと五分ほどで、こちらの指定するエリアへの誘導が完了する予定よ。合流場所のマップは端末へ送っておいたから、そちらを確認して頂戴』

 そう説明するアリサが指定したポイントは三箇所。
 端末に表示したマップには、中央の連絡回廊へと通じる三系統の研究区画に印が示されていた。

『そっちには三体の騎神がいるんでしょ? 手分けして〈精霊の道〉を開けば――』
「少なくとも工房内に取り残された人たちを全員、脱出させることは可能ね」

 三体の騎神をポイントに配置し、それぞれ〈精霊の道〉を発動させる。
 確かにそれなら、これだけの人数を転位させることも不可能ではないとヴィータは判断する。
 そして同時に限られた情報の中で、これだけの準備を進めていたアリサの手腕にも驚かされる。

(少し彼女の評価を見誤っていたみたいね)

 想像を大きく超えたアリサの手腕を認め、評価を改めるヴィータ。
 どうしてリィンはクレアにではなく、アリサに現場の指揮を任せたのかとヴィータは疑問に思っていた。
 経験、実力共にクレアの方が適任であることは間違いなかったからだ。
 レンとキーアのことが関係しているのかとも考えたが、リィンは生粋の猟兵だ。
 情にほだされて、仲間の命を危険に晒すような人物でないことは分かっている。
 だとすれば、やはりアリサの能力を見抜いていたと言うことなのだろうとヴィータは思う。
 人の上に立ち、組織を運用していく上で必要な視点と能力。母親譲りのそれをアリサも受け継いでいると言うことだ。
 その点で言えば、クレアの能力は参謀≠竍副官≠ニいう立場だからこそ、発揮できるという見方も出来る。

「ヴィータ」
「ええ、迷っている時間はなさそうね。クロウ、それに聖女さんとシャーリィもいいわね」

 ローゼリアに名前を呼ばれ、ヴィータは他の三人へ声を掛ける。
 ヴィータの言葉に無言で頷くと――
 シャーリィとクロウ、アリアンロードは騎神に乗り込み、アリサの指定したポイントへと散っていくのだった。


  ◆


「これは、まさか……」

 ありえないと言った表情で、モニターに映し出された黒い太陽を見詰める白髪の男がいた。
 地精の長にして〈黒の工房〉の工房長。そして、イシュメルガの忠実なる僕――黒のアルベリヒだ。
 闘争によって生まれた負の感情は呪いの力を高め、更なる闘争を引き起こす。
 だから戦争を煽り、先の戦いでリィンによって浄化された呪いの力を補うために十万を超す生贄≠用意したのだ。
 結果、アルグレスは異界を生み出すほどの力を得た代わりに、呪いの力に耐えきれず暴走した。
 そのアルグレスをリィンに殺させることで、リィンの胸に移植したギリアスの心臓――聖杯に力を満たし、巨イナル一を復活させる計画を最終段階へと進めるつもりでいたのだ。
 なのに――

「はやい、はやすぎる!?」

 計画の最終段階。
 それは黄昏≠ニ呼ばれる現象を引き起こし、呪いの力を高めることで人心を煽動し――
 ノーザンブリアだけではない。世界を巻き込んだ大きな闘争を引き起こすつもりでいたのだ。
 そうすることで更に呪いの力を高め、最後の一体になるまで騎神を戦わせ、巨イナル一を再錬成する儀式に必要な条件を揃えるつもりだった。
 それがアルベリヒの描いた筋書きだったのだ。
 なのに――

「どうして、再錬成が起きている!?」

 目の前の状況は、そうした条件や過程を無視して進行しようとしていた。
 本来、最後の一体にならなければ、行えるはずのない再錬成の儀式。
 それがどういう訳か、騎神抜きで儀式が進行しようとしていた。
 本来、騎神抜きで儀式が進行できるはずがないのだ。
 謂わば、七の騎神とは〈巨イナル一〉の強大な力を制御可能なレベルまで抑えるために作り出されたシステムだ。
 だからこそ、アルベリヒは七の騎神を争わせることで、分割された力を一つにまとめようと画策した。
 それが、巨イナル一を復活させるのに最も確実な方法だと導き出したからだ。
 しかし目の前で起きている現象はそんなアルベリヒの考えを否定し、打ち砕くものだった。

「何が起きていると言うのだ。こんな力がどこから……」

 理解の及ばない事象に、ただ困惑の声を漏らすことしか出来ないアルベリヒ。
 そんななか、自身の名を呼ぶ主――イシュメルガの声がアルベリヒの頭に響く。

「おお、我等が主よ」

 救いを求めるように、歓喜に震えた声を上げるアルベリヒ。
 自分に理解の及ばないことでも、神に等しい存在。
 自分たちの主ならば――と考えたのだろう。
 確かにイシュメルガには、リィンが何をしようとしているのかが分かっていた。
 だが、自分の置かれている状況を利用し、まさか呪いをこんな風に利用するとは思っていなかったのだ。

『オ前ノ計画ガ、アダトナッタヨウダナ……』
「それは、どういう……」
『自分ノ目デ確カメルガヨイ』

 そう言って、イシュメルガの気配は消える。
 主の声に従い、外の様子を探るために端末を操作するアルベリヒ。
 すると――

「なんだ、これは……奴等は何をしてる!?」

 帝都の様子を観察すると、クロスベルタイムズによる報道がラジオを通じて流されていた。
 クロスベルへと侵攻した帝国軍が〈暁の旅団〉によって為す術もなく敗退したこと――
 そしてノーザンブリアでは、リィン一人の手によって帝国十万の兵が壊滅したことが報じられている。
 しかし、このような放送を帝国政府が許可するはずがない。
 マスコミは完全に政府の監視下に置かれているのだ。

「電波ジャックか。しかし、どうやって……」

 すぐに帝都だけでなく帝国全土の電波がジャックされているのだと、アルベリヒは気付く。
 だが、その意図が分からない。まだ帝国政府を非難する内容なら分かるが、いまクロスベルやノーザンブリアで何が起きているのか? 淡々と事実を報じているだけだ。
 確かに帝国軍壊滅の責任を〈暁の旅団〉に被せ、人々の敵意をクロスベルへと向けさせる計画は立てていた。
 クロスベルを擁護する国に対しても非難声明をだし、戦争を仕掛ける準備を進めていたのは事実だ。
 しかし、それをリィンたちが自分たちの手で行う意図が分からない。
 こんな真似をすれば殺された兵士の家族から恨まれるどころか、帝国以外の国からも危険視されることになるからだ。

「まさか……」

 畏れと恐怖。敵意と悪意。
 様々な負の感情が呪いの力を高め、リィンの元へと集まっていることにアルベリヒは気付く。
 霊脈を通じて伝わってくる人々の負の想念を力に変えて、黒い焔は産声を上げるように激しさを増していた。
 人間の為せる技ではない。これでは、まるで――

「……魔王」

 神に等しい力を持ちながら秩序に背き、世界に反抗する者。
 アルベリヒが望んだ結果とは異なるカタチで、巨イナル存在が産み落とされようとしていた。



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