「ご、五十万!?」

 斥候へ向かった兵士からの報告で、ノーザンブリアへ向けて侵攻を開始した敵の総数が五十万を超えているという話を聞き、驚きの声を上げるアルフィン。
 彼女が驚くのは無理もない。事前の報告では三十万ほどと言う話だったからだ。
 確かに正規軍の総数は平時でも五十万を超えるが、それは帝国全土から兵を掻き集めた場合の話だ。
 先の戦いで十万の兵を失っている帝国軍に、五十万の兵士を動員だけの余裕があるとは思えない。

「周辺の街やジュライからも兵を動員したようですね」
「……徴兵したと言うことですか?」

 ミュゼの言葉に耳を疑うアルフィン。
 民間人を徴兵するなど、この帝国でも長らく行われていないことだったからだ。
 元より帝国は質実剛健で愛国心の強い者が多いことから、他国と比べても軍へ志願する者は少なくない。
 そのため、先の百日戦役でも志願を募りはしたが民間人からの徴兵などは一切行われなかった。

「国家総動員法……この名前に聞き覚えはありませんか?」
「それは、オズボーン宰相が推し進めていた……」

 エリィが口にした国家総動員法――その名前にはアルフィンも聞き覚えがあった。
 国家の存亡に関わる緊急性の高い状況において、全国民、団体、両方に対して最大限の協力≠求めるために定められた法令だ。
 この法律の下には食料や財産。人的資源を含め、政府が求めるありとあらゆるものを国民は差し出す義務がある。
 元々はカルバード共和国の脅威に対抗するためと言う名目で推し進められていた政策だったが、ギリアス・オズボーンが死亡したことで計画は頓挫。議会での審議もストップしていたはずだった。

「まさか、あの法案を可決したと?」
「はい。少なくともクロスベルへ突きつけられた要請は、そうと取れる内容でした」

 逆に言えば、その要請を拒んだからこそ、帝国軍はクロスベルへ侵攻したのだとエリィは話す。

「革新派が貴族派と手を組んだのは、このためだと思われます」

 革新派が貴族派と手を組んだのは、ギリアスの失脚によって弱まった政府内での影響力を強めるためだと最初は考えていた。
 しかしそれは間違いで、開戦を望む貴族派と結託して、この法案を通すことが本来の狙いだったのだとミュゼは説明する。
 とはいえ――

「本来のものと比べれば、適用範囲は限定されたもののようですが……」

 貴族が治める領地に関しては、この法律の適用から外れているとミュゼは答える。
 恐らくは貴族派の協力を求める代わりに、彼等の領地には手をださないという協定が革新派との間で結ばれたのだろう。
 代わりに対象となっているのが、ジュライやクロスベルのような占領統治下にある街だ。
 実質、ジュライなどは植民地のような扱いで、特区と言っても富の大半は帝国へ搾取される立場にあるからだ。

「帝国全土にこの法律が適用されていれば、五十万どころか百万を超える兵士が動員されてもおかしくなかった状況を考えれば、まだ幾分かマシな状況と言えるのかもしれませんね」

 とはいえ、厳しい状況にかわりはないが、とミュゼは言葉を付け足す。
 アルフィンやミュゼが集められた兵士の数は四万ほど。一方で敵の数は五十万だ。
 十倍以上の兵力差など、簡単に覆せる数ではない。
 逆に言えば、それだけ帝国政府も先の戦いの結果を重く受け止めていると言うことだろう。
 たった一人に壊滅させられたという話は信じていなくとも、数十万の兵力を相手に出来るだけの力が〈暁の旅団〉の助力を得たノーザンブリアにはあると思われていると言うことだ。
 それにクロスベルへ侵攻した共和国軍がたった二機の騎神に退けられたことを考えれば、その想定は間違っているとは言えない。
 いまは事情があって動かせないとはいえ、ノーザンブリアには五機の騎神が集まっているのだから――

「どうせ、数の上では圧倒的に負けてるんだ。三十万も、五十万も大差ねえだろ」

 重い空気が漂う会議場に、粗野な男の声が響く。
 部下と思しき男たちを引き連れ、議場に現れたのは顔や全身に傷痕のある熊のような巨体の大男だった。
 その男の顔に見覚えがあるのか、議場の隅に控えていたスカーレットが溜め息を交えながら声を掛ける。

「遅い到着の割には、随分と派手な登場ね。ヴァルカン」
「これでも急いで駆けつけたんだ。多少は目を瞑ってくれや」

 ――ヴァルカン。
 嘗て、帝国解放戦線に所属していた頃は〈V〉と呼ばれていた男だ。
 いまはスカーレットと同様〈暁の旅団〉に所属し、猟兵時代の経験と腕をリィンに買われて副団長を任されていた。
 急いで駆けつけたというのは本当のことだろう。
 いままで彼はエタニアにいたはずなのだから――

「あっちの帝国軍の方はもういいの?」
「ああ、粗方片付いた。何かあったとしても、あの島なら俺たちがいなくても問題ないだろ」

 そもそも島の防衛に不安があるなら、エレフセリア号の船員たちがエタニアを離れることもなかっただろう。
 いまのエタニアと正面から事を構えるほどの余力がロムン帝国にないことは明らかだからだ。

「お久し振りです。ヴァルカンさん」
「おう、エリィの姐さんか」
「姐さんはよしてください……」

 本気で困った様子を見せるエリィを見て、何があったかを察するヴァルカン。
 リィンの恋人となってからと言うもの〈暁の旅団〉の関係者――
 特に末端の団員やノイエブランの構成員からエリィは『姐さん』と呼ばれていた。
 慕ってくれているのは分かるのだが、慣れない呼び名に心底困っている様子が見て取れる。

「まあ、諦めろ。団長ってのは、若い奴らからすれば親みてえなもんだしな」

 その団長の女ともなれば、連中にとっては母親のようなものだとヴァルカンは話す。

「いっそのこと、さっさと団長との間に子供でも作っちまえ」

 それなら間違いでもないし、そのうち慣れるだろうと大きな声で笑うヴァルカン。
 顔を真っ赤にするエリィを見て、やれやれと言った様子でスカーレットが間に入る。

「デリカシーのない男ね。それより、大口を叩いたからには勝算はあるんでしょうね?」 

 確かにヴァルカンの言うように、最初から数の上では圧倒的に劣っているのだ。
 そう考えると、三十万も五十万も大きな違いはないように思える。
 しかし、それは状況を述べただけで問題の解決には至っていない。

「取り敢えず、機甲兵を三十機ほど持ってきた」
「焼け石に水ね」

 確かに貴重な戦力ではあるが、敵の数が数だけにそれで戦況が覆るとは思えない。
 しかし余裕のある表情を変えないヴァルカンを見て、まだ他に何かあるのだとスカーレットは察する。

「他にも何かあるなら勿体振らず、さっさと言いなさいよ」
「せっかちな奴だな。まあ、それだけ余裕がないってことか」

 むしろ、こういう時だからこそ、余裕を見せるべきだというのがヴァルカンの持論だった。
 とはいえ、それが出来るのは歴戦の猟兵だからであって、普通はそうも行かないのが現実だ。
 スカーレットも帝国解放戦線に参加していたとはいえ、これだけ大きな戦争を経験したことはない。
 勿論ヴァルカンもこれほどの規模の戦争に参加したことはないが、それでも場数は踏んでいる。
 その分、他の者たちよりは、まだ余裕があるというのが本当のところだった。
 それに――

「団長は一人で十万の軍を壊滅させたんだろ? なら、俺たちがこの程度の数でビビる訳にいかねえだろ」

 リィンは一人で十万の軍を壊滅へと追いやったことを考えれば、この程度で気後れする訳にはいかないとヴァルカンは話す。
 少なくとも、この程度の逆境をはね除けられないようなら、暁の旅団はリィン一人の力に頼った集まりだと認めるようなものだからだ。

「はあ……これだから男って……」
「男も女もねえだろ。フィーやシャーリィだって――」
「あの子たちを私たち≠ンたいな普通の人間と一緒にしないで」
「……普通?」
「何か、文句でもあるの?」

 確かにスカーレットの戦闘力はフィーやシャーリィと比べれば圧倒的に劣るが、それでも並≠ナはない。
 いまの彼女なら星杯騎士団の従騎士にも引けを取らないどころか、守護騎士にも迫る実力を備えていた。
 ヴァルカンでさえ、油断をすれば足元をすくわれかねない実力者なのだ。
 ヴァルカンがそれはないだろうと疑問を呈するのは当然だった。
 そんな睨み合う二人を横目に深々と溜め息を溢しながら、

「……会議の続きをしましょうか」

 エリィはアルフィンたちの方を向き、作戦会議の続きを促すのであった。


  ◆


「この船は、まさか……」

 決起軍の船やカレイジャス二番艦〈アウロラ〉が停泊しているノーザンブリア郊外の仮設の空港に、見知らぬ一隻の飛行船が停泊していた。
 銀色に輝く船体を見上げながら、何かに気付いた様子を見せるラクシャ。

「星船……ヴァルカンさんたちが来てるって聞いたから、もしかしてと思ったけど」

 そんなラクシャの隣に立ち、その船の正体を最初に口にしたのはダーナだった。
 ヴァルカンたちが到着したと聞いて、もしかしてと思って空港へ足を運んだのだろう。
 そして、その予感は当たっていたと言う訳だ。

「では、やはりこれは……」
「ええ、遠い昔、サライちゃんの一族が乗ってきた船」

 ウーラもといサライの一族は遙か遠い昔、天から地上へ舞い降りた。
 その話に嘘はなく、彼女たちは夜空に瞬く星の海からやってきた。
 その時に乗ってきた船というのが、いま二人の目の前にある〈星船〉と言う訳だ。

「大樹の地下で船が見つかったという話は聞いていましたが……」
「うん。ベルさん主導で調査を進めてるって話だったけど……もう動かせるまで解析が済んでいたなんて」

 セイレン島の中心。大樹の地下に広がる大空洞で見つかったのが、この星船だった。
 瓦礫に埋もれながらも傷一つなく、数万年の歳月が経過しているとは思えないほど綺麗な状態で見つかったのだ。
 そのため、ベルが主体となって船の調査が進められていたのだが、まさかこんなにも早く動かせるまで解析が進んでいるとは二人も思っていなかったのだろう。
 とはいえ、ヴァルカンたちがやってきたと聞いて、ダーナのなかで『もしかしたら』と言った予感はあった。
 というのも、この世界とエタニアを行き来できる船は、いまのところエレフセリア号の一隻しかないからだ。
 そして、そのエレフセリア号はダーナを乗せて、キャプテン・リードと共にこちらの世界へやってきている。

「……星の海を旅した船ですか」
「興味があるの?」

 父親の影響で幼い頃から考古学を学んできたとあって、ラクシャは古代種の生態に詳しい。
 それだけでなく最近ではエタニアの文化や歴史にも興味を持ち、意欲的に学んでいることをダーナは知っていた。
 そうしたことから星船にも興味を持ったのではないかとダーナは考えたのだが、

「興味がないと言えば嘘になりますが、ここ最近いろいろなことがありすぎて自分の中で整理しきれてないというか……」
「ああ……」

 そういうことかと、ダーナはラクシャの心情を察する。
 絶滅したものと思っていた古代種が目の前に現れたり、世界の危機に直面したり、リィンたちと出会って異世界まで連れて来られた挙げ句、今度は〈星船〉の登場だ。目の前の現実を受け止めきれず、心の整理が追い付かないというラクシャの気持ちがダーナも分からない訳ではなかった。
 ダーナ自身、まったくそういうところがない訳ではないからだ。

「でも、これからもリィンさんと一緒にいるのなら慣れないと、今後もこういうことが続くんじゃないかな?」
「うっ、それは……」

 まったく否定できないダーナの言葉に、思わず頬が引き攣るラクシャ。

「その様子だと、もう大丈夫そうね」

 そんなラクシャの様子を見て、どこか安心した様子を見せるダーナ。
 リィンとのことで迷っていたようだが、既に心は決まっていると察したからだ。
 でなければ、否定できず戸惑ったりはしないだろう。
 そして、

「戦場へでるのですか?」

 船を確認して立ち去ろうとするダーナを引き留めるように質問を返すラクシャ。
 自分がどうしたいのかは、ダーナの言うように既に答えはでている。
 しかし、フィーに言われたことが頭から離れなかった。
 自分にはまだ覚悟が足りないのではないかと、そんな風に考えてしまう。

「勿論。皆を戦わせて、私だけが安全な場所にいる訳にはいかないから」

 だから思わず、そんな質問をダーナにしてしまったのだろう。
 そんなラクシャの心情を察してか?

「怖いのは皆一緒だよ。私も怖い。戦争が起きれば、大勢の人たちが死ぬ。この手で誰かの命を奪うかもしれない……その事実が怖い。でも、私はもう失ってから後悔したくないから……」

 大切なものを守るために戦う。
 それが自分の意志だと、ダーナは覚悟を語るのだった。



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