「トワ・ハーシェル……そう、そう言うことなのね」

 透明なシリンダーの中で琥珀色の液体に浸かった全裸のトワの姿を見て、地精の末裔の一人でありながらジョルジュが〈黒の工房〉を裏切り、ベルの誘いに乗った理由をレンは察する。
 トワ・ハーシェルと言えば、トールズ士官学院の卒業生にしてジョルジュやクロウ。それにアンゼリカの同期であったからだ。

「言い訳になるかもしれないけど、記憶を取り戻したのは最近のことでね」

 士官学院に通っていた頃は、自分がゲオルグであるということを本当に覚えていなかったのだとジョルジュは語る。
 工房からでた時に記憶を操作され、自身がゲオルグではなくジョルジュ・ノームであると思い込まされていたからだ。
 そうすることで周囲の眼を欺き、無意識に騎神に関する情報を工房へ送り続けていた。
 オルディーネの起動者であるクロウの監視と、ヴァリマールの起動者となる人物を計画のために見届ける必要があったからだ。

「ジョルジュとしてクロウたちと共に過ごした学院生活は泡沫の夢……。記憶を取り戻せば、ゲオルグとして与えられた使命を果たすだけだと、そう思っていた」

 実際、アルベリヒが目の前に現れ、記憶を取り戻した後は組織のために働いた。
 ジョルジュとゲオルグ。二つの顔を使い分け、知り得た情報をアルベリヒのもとへ送っていたのだ。

「リベールにいた頃には、既に記憶を取り戻していたの?」
「ああ……工房長が僕の前に姿を見せたのは、帝都の解放作戦が終わった直後だったからね」

 だとすれば、フラガラッハやアルター・エゴの開発を手伝っていた時には、記憶を既に取り戻していたと言うことになる。
 しかし、それで合点が行ったという表情をレンは見せる。
 幾ら才能があると言っても、本来であれば学院を卒業したばかりの若者に――
 あのヨルグ・ローゼンベルグやラッセル博士の助手が務まるはずもないからだ。
 しかし、それなら一つだけ疑問が残る。

「お兄さんに団へ入らないか誘われていたのでしょう? どうして受けなかったの?」

 リィンの誘いに乗ってカレイジャスに乗り込んだ方が、より詳しい情報を得られたはずだ。
 リィン――そして〈暁の旅団〉には外部に漏らせない秘密が多い。
 仮にジョルジュが〈暁の旅団〉のメンバーになっていれば、そこから知り得た情報でもっと上手く立ち回ることも出来ただろう。
 レンがそこに疑問を持つのは当然のことだった。

「……正直に言うと、怖かったんだ。彼にはすべて見透かされているような……そんな気がしてね」

 内戦時のリィンの行動は明らかに未来を予測しているとしか思えないほど的確なものだった。
 そのため、用意していた計画の多くが変更を余儀なくされ、重要な駒の一つであった〈黒の騎神〉の起動者――ギリアス・オズボーンを失うという結末を迎えてしまった。
 あれにはアルベリヒも驚いていたことから、彼にとっても想定外の出来事だったことが窺える。
 恐らくギリアスは気付いていたのだ。アルベリヒが密かに行っていた研究に――
 だからこそ、自らの命を使ってイシュメルガ諸共、リィンに討たれる覚悟を決めていたのだろう。

「ああ……」

 ジョルジュがリィンの何を恐れたのかを察して、レンは納得した様子を見せる。
 いまでも勘の鋭さには驚かされることがあるが、あの頃のリィンは未来が分かっているとしか思えないような行動を幾つかしていた。
 実際知っていたのだが、そのことを知らないジョルジュからすれば不気味に思えたのも頷ける。
 レンも最初の頃は、同じような理由からリィンを警戒していたのだ。
 もっとも、いまでは〝事情〟を知っているので納得もしているのだが――

「ようするにお兄さんは地精の〝ゲオルグ〟ではなく、ただの〝ジョルジュ〟であることを選んだのね」

 偽りの記憶だったとしても、ジョルジュがクロウたちと過ごした時間が消える訳ではない。
 ゲオルグとして過ごした時間よりも、ジョルジュとして過ごした時間の方が彼にとっては大切なものだったのだろう。
 レンにも、そんなジョルジュの気持ちが分からない訳ではなかった。
 結社に入ったことや執行者となったことを悔やんでいる訳ではないが、あの頃よりも大切なものが今は出来てしまったからだ。

「……いいのかい?」

 自身に向けられていた殺意が消えたことを察して、ジョルジュはレンに尋ねる。
 確かにレンの言うように、ジョルジュはゲオルグの名を捨て、ジョルジュであることを選んだ。
 しかしだからと言って、これまでやってきたことが赦される訳ではない。
 結局、アルベリヒに情報を流し、皆を裏切っていたのだ。

「それを決めるのはレンの役目じゃないもの。団長さんに任せるわ」

 ジョルジュが流していた情報の多くは、リィンや〈暁の旅団〉に関わるものであることは明白だ。
 なら、どうするかを決めるのは当事者であるリィンの役目だとレンは話す。
 もっともリィンのことだ。そう悪い結果にはならないはずだとレンは考えていた。

「それより、早くだしてあげた方がいいんじゃない?」

 詳しくは検査してみないと分からないが、トワが生きていることは間違いないだろう。
 このままにはしておけないし、外でリィンが戦っているとなると、ここもいつまで保つかはわからない。
 レンがジョルジュにトワの救出を促した、その時だった。

「皆、下がって!」

 キーアの声が響いたのは――
 どこか慌てた様子のキーアの声に、一早く反応したのはアルティナだった。
 皆を守るように前へでると、フラガラッハを召喚して障壁を展開する。
 その直後、トワのシリンダーに亀裂が走り、まるで内側から卵の殻を破るように爆ぜたのだ。

「一体、何が……」

 床に琥珀色の液体とガラス片が散らばる中、レンはトワの入っていたシリンダーを確認し、瞠目する。
 そして――

「……トワ」

 ジョルジュもまた、驚きと困惑の入り交じった声でトワの名を口にする。
 シリンダーの前に佇んでいたのは、間違いなくトワ・ハーシェルであったからだ。
 しかしどこか様子がおかしく、何より〝髪の色〟が違っていた。
 茶色の髪が〝青〟く染まり、全身は薄らと光を帯びているように見える。

「これって、まさか……」
「うん……私やノルンと同じ……」

 レンの脳裏に過ったのは、零の巫女に覚醒した時に見せたキーアの姿だった。
 キーア自身も何か感じるところがあるのか? レンの言葉を肯定する。

「なるほど、これが〝黒の巫女〟ですか」
「黒の巫女? 何か知ってるなら、説明なさいよ」
「構いませんが……そんな暇は無さそうですわよ」

 事情を知ってそうなベルに説明を求めるも、周囲の様子がおかしいことにレンも気付く。
 飛び散ったガラス片で周りにあったシリンダーも砕かれ、異形たちが眠りから覚めようとしていた。
 しかも、上の階層で戦った異形たちよりも遥かに強い瘴気を感じる。

「これって……」
「巫女の力のようですわね」

 驚くレンに対して、トワが異形に力を与えているのだとベルは推察する。
 零の巫女に覚醒したキーアが神機に力を与え、操っていたのと同様の現象だ。

「後ろからも!?」

 アルティナの悲痛な声が施設内に響く。
 ここにくるまでに倒したはずの異形の群れが復活し、再び迫ってきていたからだ。
 一度倒したはずの敵が甦ったと言うことは、恐らく〈黒の巫女〉に覚醒したトワの力とは――

「不死者となれなかった者の成れの果て――屍鬼(グール)ですわ」

 不死者となれなかった者の成れの果て――
 それが自我を保たず、ただ命を求めて蠢く者。屍鬼(グール)と呼ばれる存在だった。
 恐らく騎神と起動者の関係のように、死者に力を与えることが〈黒の巫女〉に備わった能力なのだろう。
 ただ、不特定多数の人間に対して、何の触媒もなしにそんな真似が出来るとは思えない。
 だとすれば――

「グノーシスを介して精神に干渉することで、死者を操っているみたいですわね」

 どこか感心した様子で、トワの能力を推察するベル。
 零の巫女とは方向性は違うが、黒の巫女と呼ばれるだけの力を備えていると感じたからだ。
 ベルからすれば、いまのトワの状態も興味深い観察対象でしかないのだろう。

「さすがにこの数は分が悪いか……」

 倒しても起き上がってくる化け物を何百も相手にするのは、さすがに自分やアルティナでも厳しいとレンは冷静に戦力を分析する。
 だからと言って、こんなところで死ぬつもりはない。だとすれば、やるべきことは決まっていた。

「キーア、幻影で時間を稼いでくれる?」
「いいけど……あ、そうか。呼ぶんだね」

 たったそれだけのやり取りで、レンが今から何をしようとしているのかをキーアは察する。
 レンは起動者と言う訳ではないが、彼女にはアルティナのように己の半身とも言える相棒が存在する。
 神機のプロトタイプにして、結社の天才技師ヨルグ・ローゼンベルグの開発したゴルディアス級戦術兵器。
 その魂を継承する唯一無二の相棒が――

「きなさい! 〝もう一人の私(アルター・エゴ)〟!」

 アルター・エゴ。
 最愛の家族にして、もう一人のレンと呼べる存在。
 魂を共有せし少女の呼び掛けに応えるかのように、要塞の上空に巨大な転位陣が展開される。
 そして――

「――ッ!」

 転位の光と共に〝黒き鋼の騎士〟が姿を現し、レンの元へと向かうのだった。


  ◆


 同じ頃、脱出の準備を進めていたエリィたちのもとでも緊急事態が起きていた。

「凄い数です! 百……いえ、千を超えているかもしれません!?」

 レーダーが捉えた敵の数に、フランの悲痛な声が響く。
 ブリッジのモニターには、船へと迫る異形の群れが映し出されていた。
 その数は千以上。要塞の至るところから湧き出すかのように出現しているのが確認できる。
 このままでは、包囲されるのは時間の問題と言ったところだろう。

「船はすぐにだせそう?」
「……もう少し時間がかかりそうです。あと十分あれば、なんとか」

 正直それまで敵が待ってくれるとは思えず、エリィの質問に暗い表情でフランは応える。
 船体のチェックを終えたのが、つい先程のことだ。
 いまから導力機関を起動しても、飛び立つ準備が整うまでには最低でも十分は必要だった。
 短いようで、いまは物凄く長く感じる時間だ。
 正直、船を取り囲むように迫ってくる異形の群れが大人しく待ってくれるとは思えない。

『なら、その時間はアタシたちが稼ぐわ』

 そんな時だった。
 船のブリッジにサラの声が響いたのは――
 サラ・バレスタイン。北の猟兵出身にして、紫電の異名を持つA級遊撃士。
 そして、いまは――

「サラさん、そのジャケット……」
『随分と悩んだけどアイツには大きな借りがあるし、いい加減、腹を括ったわ』

 モニター越しにサラが羽織っている団のジャケットを見て、フランは驚きの声を上げる。
 リィンから誘いを受けたとはいえ、サラが遊撃士を辞めて再び猟兵に戻ることに悩んでいたことを知っていたからだ。
 サラが迷っていることが分かっていたからこそ、アリサもサラを船に残したのだとフランは察していた。
 エステルとヨシュアが大人しく引いたように、暁の旅団に協力すれば戦争へ参加したと見做されてもおかしくないからだ。
 そうなったらギルドへの言い訳も難しい。
 しかし、暁の旅団のエンブレムである太陽の紋章が入ったジャケットを身に付けたと言うことは、そういうことなのだろう。

「……分かったわ。出来るだけ急ぐから、お願いできる?」
『任せて頂戴。どうせなら、全部倒しちゃっても構わないんでしょ?』

 心配をかけまいとしてか?
 エリィのお願いに対して、サラは冗談めいた口調で返すのだった。


  ◆


「こうしてサラ様と戦場に立つのは、随分と久し振りのような気がしますね」
「あの時は敵同士だったけどね……」

 シャロンが元執行者であることを知っているだけに、サラの口からは溜め息が溢れる。
 二人は以前からの知り合いだった。と言っても、酒のみ仲間と言う訳ではない。
 とある事件でギルドの任務についていたサラが、結社の命令で動いていたシャロンの妨害を受けたというだけの話だ。

「まさかアンタが結社を抜けて、アイツの団に入るとはね」
「それを言うならサラ様だって。少し意外でした。あれだけリィン様のことを嫌っていらしたのに、もしかして……」
「……借りを作ったままにしておきたくないだけよ」

 余計な勘ぐりを見せようとするシャロンに、釘を刺すように素早く答えを返して睨み付けるサラ。
 こういう油断のならないところがあるから気を許せないというのが、サラのシャロンに対する評価だった。
 とはいえ、敵にすると厄介な相手だが、こうして味方になると頼もしくもある。
 それだけシャロンの実力をサラは認め、シャロンもまたサラの実力を認めていた。
 不安があるとすれば――

「アンタたちまで無理に付き合わなくてもよかったのよ?」
「アタシたちだって、まだ戦えます!」

 ユウナとアッシュの方だった。
 確かにそこそこの実力があるようだが、二人は猟兵でも遊撃士でもなく〝一般人〟だ。
 まだ戦いの傷も癒えていない上、機甲兵も損傷して動かせない状態だ。
 サラが不安に思うのは無理もない。

「心配しなくとも、お二人なら大丈夫ですよ。こうした魔物との戦いも、相応に学んでいますから」
「……そう言えば、この子たちの特訓にアンタも一枚噛んでたのよね」

 シャロンがそう言うのであれば、それなりにやれるのだろうとサラは納得しながらも溜め息を漏らす。
 覚悟を決めたと言っても、まだ遊撃士であった頃の感覚が抜けないのだろう。

「それに彼女たちだけではないようですよ?」

 ユウナとアッシュに続くかのように、船からゾロゾロと武装した船員たちが降りてくる。
 黒いジャケットを羽織っていることから、彼等は〈暁の旅団〉のメンバーだろう。
 普段は船のクルーとして働いている彼等だが、まったく戦えないと言う訳ではない。
 いざという時は武器を持って後方支援程度なら出来るくらいの訓練は、ヴァルカンから受けていた。
 問題は、その先頭に立っている人物だ。

「はあ……団員たちは分かるけど、教会がこんなことに首を突っ込んでいいの?」

 集団の先頭に立つ人物。教会の修道服に身を包んだロジーヌにサラは尋ねる。
 僧兵庁の件があるとはいえ、他国の内政や戦争に直接介入しないというのは七耀教会もギルドと方針に違いはない。
 ロジーヌがリィンの監視目的で〈暁の旅団〉に身を置き、リィンもそれを受け入れているというのは知っている。
 それでも、こんな風に直接手を貸すような真似をするとは思っていなかったのだろう。

「悪魔の調伏は、騎士団の仕事でもありますから」
「悪魔ね……」

 確かに船へと迫ってくる異形の群れは悪魔に見えなくない。
 ただ、それは建て前に過ぎないと言うことは、ロジーヌの表情を見れば分かる。
 彼女にも守りたいものがあるのだろう。
 戦う理由があるのなら、これ以上サラも何かを言うつもりはなかった。
 知っているからだ。守るべきものを持つ者が、戦場では最も強いということを――

「仕方ないわね」

 どこか懐かしむように昔のことを思い出しながら、サラは養父のことを考える。
 あの人もこんな気持ちで自分を戦場に送り出したのかもしれないと――
 忘れて久しい感覚が徐々に蘇ってくるのをサラは感じながら、

「皆、絶対に生きて帰るわよ!」

 新たな仲間と共に〝猟兵〟として七年ぶりの戦場に立つのであった。



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