時間は少し溯り、アルフィンたちがアリサたちと別れ、セドリックの待つ最奥の間へと向かっていた頃――
 ノーザンブリアでも想定外の出来事が起きていた。
 ノーザンブリアへと向かうと予想されていた三十万の屍人(グール)の大多数が帝国・ジュライ方面へと進路を取ったのだ。
 最悪の場合、街を捨てて撤退することも視野に入れていたノーザンブリア側からすれば嬉しい誤算のように思えるが、そう単純な話では済まない事情があった。帝国はともかくとして現在のジュライには、グールの大軍から街を守れるほどの戦力が残っていないためだ。
 理由は帝国軍が行った先の徴兵にある。
 帝国軍が今回の戦争で動員した兵力の総数は凡そ五十万。
 その内の三十万近くは属州や近隣の街や村から、この戦争のために徴兵された人々だ。
 ジュライも大凡ではあるが二十万近い人々が徴兵され、その大対数がこの戦争で命を落としたと推察される。
 戦える者は既に徴兵されており、街に残っているのは女子供や老人と言った非力な者ばかり。
 とてもではないが、万単位のグールの大軍から街を守れるだけの戦力など残ってはいなかった。

「想定していたよりも、まずい状況ですね」

 アンデットは生への執着が強く、命ある者のを憎み、襲い掛かる習性がある。
 そのためミュゼの予想では、大多数のグールは近くの街――ノーザンブリアへ向かうと考えていたのだ。
 しかし大多数はジュライへと進路を取り、残りの十万近くも帝国方面へと向かっていた。
 ノーザンブリアへと向かっているグールの数は一万にも満たない。凡そ六千と言ったところだろう。

『もしかすると自分たちが生まれ育った場所――〝故郷〟を目指しているのでは?』

 ベアトリクスとの会談を終え、ミュゼから緊急の連絡を受けて会議に出席していたクローディアが通信越しに考えを告げる。
 この戦争に参加した者の多くは強制的に徴兵され、望まぬ戦争に参加した者が多い。
 故郷へ、家族のもとへ帰りたいという未練が、グールとなっても彼等を突き動かしているのであれば――
 大多数のグールがノーザンブリアや帝国ではなく、ジュライへと進路を取った理由にも説明が付く。
 今回の戦争で最も多くの人員が導入されたのがジュライだからだ。

「……〝帰巣本能〟ですか」

 クローディアの考えに、確かにその可能性はあるとミュゼも納得した様子を見せる。
 そんなクローディアの話に付け加えるように、クレアが帝国との交渉で得られた情報を口にする。

『帝国方面は心配ないかと。指揮を任されているのは、ベアトリクス〝中将〟なので』
死人返し(リヴァイヴァー)殿か。確かにそれなら不要な心配だろう」

 通信越しにクレアの話に頷き、納得した様子で同意するオーレリア。
 死人返しの異名を持つベアトリクスの功績は、軍に一度でも身を置いたことのある者であれば知らない者はいないほど有名なものだからだ。
 退役していた彼女が中将の地位を与えられ、後方部隊の司令官という重要な役割を与えられたことにも納得が行く。
 それに〈死人返し〉の異名を持つベアトリクスが、グールなんて存在を放って置けるはずがない。
 口にはださずとも心の奥底では、命を弄ぶ地精の行いに怒りを覚えているはずだ。
 嘗て医療大隊を率いていた彼女は治療を拒む者や妨げになる者を強引に力で抑え込み、本来であれば死を待つしかないような重傷者の命も敵味方を問わず大勢救ってきた。
 そのスタイルから政治家や軍の上層部には彼女のことを煙たがる者も多かったが、それ以上に命を救われた兵士やその家族からは感謝され、いまだに恩義を感じている人々も少なくはなかった。そんな彼女が指揮しているのであれば、帝国軍の士気は高いと見て良いだろう。
 そのことから今の帝国は信用できずともベアトリクスになら任せられると、クレアは彼女に協力を持ち掛けたのだ。
 それに――

(この状況をヴァンダイク元帥が黙って見ているとも思えぬしな)

 帝国軍の総司令官には、現在ヴァンダイク元帥が着任している。
 実質的には帝国政府が軍の統帥権を握っているが、お飾りのまま終わる人物とはオーレリアには思えなかった。
 政府が退役していたヴァンダイクやベアトリクスを軍へ復帰されたのは、ノーザンブリアやクロスベルへの侵攻が失敗したことで落ち込んだ兵士たちの士気を向上させる思惑があると同時に、自分たちだけでは軍をコントロールすることが出来ないと理解しているためであった。
 本来、帝国正規軍の統帥権を持っているのは皇帝であり、政府が軍に直接命令を下せる訳ではない。
 なのに今の政府は皇帝が若く外交の経験が浅いことにつけ込んで、自分たちの考えを強引に推し進めてきた。
 実際にはその背後に地精の――アルベリヒの計画があった訳だが、そのことを知らない者たちからすれば政府が若い皇帝を傀儡とし、国を自分たちの思惑で動かしているかのように見えても不思議ではない状況にあったと言うことだ。
 そのことに不満を持っている軍人は少なくない。彼等が忠誠を誓っているのは政府ではなく皇帝だからだ。
 強引にことを推し進めれば反発を招く恐れがあり、それが先の内戦のようにクーデターへと繋がる可能性もあった。
 国家総動員法を用いて属州から兵力を集めたのも軍に更なる犠牲者をだして、これ以上の反発を招きたくないと言う思惑もあったのだろう。
 贄とするだけであれば、別に属州の人間でなくともよいからだ。
 そこにはアルベリヒの思惑だけではなく、政治家たちの事情があったことが容易に察せられる。
 それだけに今回の侵攻失敗とグールの発生は、帝国政府にとって手痛い失態となったことは間違いない。
 もしもの時は戦争責任をヴァンダイク元帥に押しつけて言い逃れる算段をしていたのだろうが、そう上手くいくとは思えなかった。
 軍人と言えど人間だ。先の内戦から政府に対する不満は募っており、それが皇家への不信にも繋がっている。
 いまの政府に、この状況を治める力はないと思って良いだろう。

「では、ジュライに援軍を送る方向で話を進めると言うことで、よろしいですか?」

 先の戦いでノーザンブリアも疲弊しており余裕があると言う訳ではないが、このまま見過ごす訳にもいかない。
 被害を最小限に食い止めるためにも、ノーザンブリアへ援軍を送る必要があると考え、ミュゼが確認を取ったところに――

「そのことなのですが、ジュライにはバレスタイン大佐にお願いして協力を取り付けてもらっています」

 既にジュライに接触して、交渉を進めていることをヴァレリーは打ち明ける。
 これにはミュゼやクローディアだけでなく、クレアやオーレリアも驚いた様子を見せる。
 グールの動きを予想していた訳ではないだろうが、まさかヴァレリーが先手を打ってジュライとの交渉を進めていたとは思ってもいなかったからだ。

「申し訳ありません。相談もせずに勝手なことを……」
「いえ、正しい判断だと思います」

 相談しなかったことを謝罪するヴァレリーに対して、支持する考えを示すミュゼ。
 あの状況では軍議を開いている余裕はなかったし、真っ先にジュライと接触を図ったことは間違いとは言えない。
 時間をおけば帝国軍を壊滅させたのは、暁の旅団の仕業だと帝国政府が公表する可能性が高いからだ。
 実際、リィンは先の侵攻で十万の軍を壊滅させている。
 情報を操作し、怒りの矛先を〈暁の旅団〉へ向けさせるのは難しいことではないだろう。
 だからこそ、ヴァレリーは先手を打ったのだ。
 公国の時代から大公家に仕えていたバレスタイン大佐であれば、ジュライとの親交も深い。
 彼であれば、帝国のやり方に不満を持つジュライの政治家に接触を図ることも不可能ではないと考えてのことでもあった。
 それに――

「騎神であれば、時間を稼ぐことも出来るか」

 ジュライとノーザンブリアは公国時代には貿易が盛んに行われていただけあって地理的にも近い。
 陸路よりも海路の方が早く、飛行船を使えば更に移動の時間を短縮できる。
 しかし今から援軍を派遣したのでは間に合うかと言うと、ギリギリと言ったところだろう。
 グールの大軍は陸路で向かっていると言っても休息を取る必要がないからだ。
 だが、騎神の力を用いればグールの侵攻を遅らせることが出来るとオーレリアは考える。
 グールがノーザンブリアへ進路を取ることまで予想していたと言うことはないだろうが――

(……なるほど、リィン団長の見る目は確かだったようですね)

 偶然であったとしても運も実力の内だ。
 本来であれば国の交渉には時間の掛かるところだが、実際に脅威が差し迫っているとなればジュライの政治家たちも耳を貸さない訳には行かないだろう。
 そして、そのチャンスを生かすも殺すも当事者次第だ。
 ヴァレリーには為政者に必要な決断力と流れを引き寄せる力がある。
 計画のためとはいえ、リィンがヴァレリーを大公へと推薦した理由がミュゼには察せられた気がした。

「となれば、あとは援軍をどうするかですが……」

 援軍を送るにしても、ノーザンブリアを防衛するための戦力を残す必要がある。
 それに被害を最小限に食い止めるためには迅速な対応が求められるが、ミュゼの率いる部隊は数こそ多いものの機動性に欠ける。
 そのことからミュゼはオーレリアへと視線を向け――

「副団長へ取り次いでいただけますか?」

 暁の旅団に協力を要請するため、ヴァルカンへの仲介を求めるのであった。


  ◆


 そんな話し合いがもたれたのが、ほんの一時間ほど前の話だ。
 しかしそれから僅か一時間ほどで、またもや状況が一変する出来事が起きるとは、さすがのミュゼも予想していなかっただろう。
 監視にあたっていた兵士から、帝国やジュライへ向かっていたグールが少しずつ数を減らしているとの報告が寄せられたのだ。

「数が減ってくれれば、それだけ戦いが楽になるが……スカーレット、どう見る?」

 ミュゼの要請でジュライへと向かう中、カレイジャスのブリッジでモニターに映ったグールの群れを眺めながら、ヴァルカンはスカーレットに意見を求める。
 グールの数が減れば、それだけ戦闘は楽になる。
 しかし同士討ちが起きたと言う訳でもなく、忽然と空気に溶け込むように姿を消したと言うのだから不可解でしかない。
 考えられる原因があるとすれば、それは恐らく――

「幻想機動要塞で何かが起きている、と考えるのが自然でしょうね」

 スカーレットの返答に「だよな……」と溜め息を漏らすヴァルカン。
 意見を求めてみたものの予想した回答だったのだろう。

「イシュメルガか。うちの団長なら心配は要らないと思うが……」

 はっきり言って、リィンに関しては微塵もヴァルカンは心配していなかった。
 異世界から帰ってきてからリィンがまた数段強くなったことに気付いていたからだ。
 以前から化け物染みていたと言うのに、いまのリィンに敵う相手がいるとは思えない。
 しかし、ヴァルカンには一つだけ気に掛かることがあった。

「クロウのことが心配?」
「……ばれてたか」

 嘗ての同志。志を共にし、戦った仲間。
 帝国解放戦線の元リーダーにして、蒼の騎神の起動者。
 クロウ・アームブラストのことを、いまもヴァルカンは気に掛けていた。

「〝帝国解放戦線(うち)〟の男たちはみんな不器用だから。あなたも含めてね」

 分からないはずがないと肩をすくめ、呆れた様子でスカーレットは答える。
 リィンのお陰でヴァルカンやスカーレットは自分たちの居場所を見つけることが出来た。
 他の帝国解放戦線のメンバーも同じだ。いまは〈暁の旅団〉が彼等の居場所となっている。
 しかしクロウは今もヴィータと行動をしているようだが、迷っている様子が見て取れる。
 旧友との再会を果たした後、逃げるように帝国を離れたのが何よりの証拠と言っていい。
 そんなクロウの行動が、ヴァルカンには死に場所を求めているように見えて仕方がなかったのだ。
 嘗ての自分がそうであったように――

「きっと大丈夫よ」

 そんなヴァルカンと違い、スカーレットはそれほど心配していなかった。
 過去のこと忘れ、クロウのことをもうどうでもいいと思っている訳ではない。
 ただ――

「クロウには心配して帰りを待ってくれる人たちが大勢いる」

 ヴァルカンやスカーレットとは違い、居場所など用意せずともクロウには帰りを待ってくれる人がいた。
 帰るべき居場所がある。そのことに気付かないほど、クロウは愚かではない。
 だからこそ時間が掛かっても自分自身で答えを見つけるはずだと、スカーレットはクロウのことを信じていた。
 いまはほんの少し、寄り道をしているだけだと。
 とはいえ、ヴァルカンが心配するように今の状況が長く続くことをスカーレットも望んでいる訳ではなかった。
 いまの自分たちのように、クロウにも自分の居場所を見つけて幸せになって欲しいと考えているからだ。
 だから――

「この戦いが終わってもグダグダ迷っているようなら、その時は――」

 と、意味ありげな笑みを浮かべるスカーレットに、ヴァルカンも「違いない」と笑みを返すのだった。



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.