「……やったの?」

 アリサの声が緊迫した空気が支配するベイオウルフ号のブリッジに響く。
 ブリッジのモニターには、外の様子が映し出されていた。
 完全に意識の外を突いた攻撃。アルター・エゴのダブルグラビティカノンが命中し、ゾア=ギルスティンは歪められた空間に呑み込まれるように消滅した。
 そう、嘗てのガレリア要塞のようにだ。
 状況から見て、作戦は上手く行ったと思って良いだろう。
 アルター・エゴのダブルグラビティカノンの威力は、その改良を手伝ったアリサが一番よく分かっている。
 対となる二つの重力波を衝突させることで、捕捉した対象を空間ごと消滅させる一撃必殺の空間兵器。
 仮に神機が使っていたような〝ありとあらゆる攻撃〟を遮断する空間障壁を張っていたとしても、この攻撃の前には意味がない。
 空間ごと破壊して、攻撃対象をこの世界から消してしまうからだ。

(確実に命中したはず。なら、少なくとも〝この世界〟からは消滅したはずだけど……)

 仮に破壊を免れたとしても、次元の裂け目に呑まれれば戻ってくることは難しいはずだ。
 この世界の外側には、無限とも言える広大な世界が広がっている。
 次元の海を渡り歩くことは、ヴァリマールとて独力で可能なことではない。
 明確な道標がなければ、世界を渡り歩くなんて真似は聖獣にすら不可能なことだからだ。

 ゾア=ギルスティンを倒せるとは、アリサとて最初から考えてはいなかった。
 だから倒せないまでも、この世界から弾きだすと言う方法を取ったのだ。
 元より、ゾア=ギルスティンはこの世界に存在しなかった存在だ。
 あくまでアリサたちの目的は地精の計画を阻止することであって、ゾア=ギルスティンを倒すことではない。
 イシュメルガを倒しさえすれば目的が達成されるのであれば、無理にゾア=ギルスティンと戦うことはないというのがアリサの考えだった。
 しかし、普通なら作戦の成功を喜ぶところだが、どうにも不安が拭えない。
 アリサの感じている不安と疑念はリーシャだけでなく、ザックスたち――〈赤い星座〉の猟兵たちも感じているのだろう。
 外の様子を映したモニターを緊張した面持ちで見詰めながら、勝利を喜ぶものは誰一人としていない。
 そう、たった一人の例外を除いて――

「なにを静まり返ってるんだ? 作戦は成功したのだろう? なら、僕たちの大勝利じゃないか!」

 ギルバート・スタイン。とある事件で指名手配を受け、カンパネルラに拾われて結社に身を置くことになった男。
 その後、持ち前の幸運と世渡りの上手さで強化猟兵を率いる部隊長にまで上り詰めたが――
 帝都に程近いリーヴスという街で任務中にシャーリィに捕らえられ、いまは〈暁の旅団〉の捕虜としての生活を強いられていた。
 いや、捕虜の扱いと言うよりは、シャーリィの〝玩具(パシリ)〟と言った方が的確だろう。
 たいした情報を持っている訳でもなく、かと言って結社の人間であることを考えると無条件に解放する訳にもいかない。
 生かしておくのも面倒だが殺すほどの価値もなく、他に優先することもあって放って置かれたというのが正しいところであった。
 そう言う意味では、猟兵団に捕らえられて生きているのだから悪運の強い男と言えるだろう。
 リィンやシャーリィが敵に対して容赦がないことは、これまでに二人が奪ってきた命の数からも明らかだからだ。
 だと言うのに――

「僕の活躍をしっかりと〈暁の旅団〉の団長に伝えてくれよ。僕がいなかったら今頃この船は瓦礫の下だったし、こうして応援に向かうことも出来なかったんだから」

 自分の活躍をアピールすることに余念がないギルバートに、アリサの口からは溜め息が漏れる。
 確かに彼がいなければ、ベイオウルフ号は要塞の崩落に巻き込まれていたかもしれない。
 皆が無事に脱出できたのも、こんなにも早く応援に駆けつけられたのも、彼のお陰と言っても間違いではないだろう。
 しかし、アリサは気付いていた。
 ギルバートが自分一人で逃げるために〈赤い星座〉の船を盗もうとしたことに――

(このギルバートって男……小悪党って感じで信用ならないのよね)

 証拠はないがアリサの目から見てギルバートという男は、仲間のために自分の命を危険に晒す男には見えないからだ。
 実際、彼はリーヴスでの戦闘で部下を見捨てている。
 捕虜となってからもあっさりと組織の内部情報を明かして命乞いをするなど、保身に長けた行動ばかりが目立っていた。
 遂には自分の成果をアピールして、リィンに取り入ろうとしている。
 しかし、簡単に組織や仲間を裏切るような男をアリサは信用する気にはなれなかった。
 RFグループの重鎮である祖父や母と接点を持ちたくて、自分に近付いてくる人間を幼い頃から山ほど見てきてからこそ、アリサにはギルバートの考えていることが手に取るように分かるのだろう。

「はいはい。ちゃんと伝えてあげるわよ。すべて、少しの〝誤り〟もなくね」

 アリサの回答に満足した様子で、小物らしい笑みを浮かべるギルバート。
 リィンは確かに身内に甘いが、仲間を大切にするからこそ〝裏切り者〟には厳しい側面がある。
 ギルバートの性格をリィンが見抜いていないとは思えないし、今回の彼がやったことにもすぐに気付くだろう。
 正直、ギルバートが望むような対価が得られるとは、アリサには思えなかった。
 その証拠にギルバートの言葉を信用している者は、この場に一人としていないからだ。
 ザックスや〈赤い星座〉の団員たちだけでなく、人の良さそうなリーシャでさえ訝しげな視線をギルバートへ向けている。

「――連隊長! 救難信号を受信しました!」
「なに!? どこからだ!」

 そんなやり取りをしている中、赤い星座の団員たちが慌ただしく動き始める。
 ベイオウルフ号の通信装置が、仲間の戦術オーブメントから発せられた救難信号を受信したからだ。
 発信者のコードネームは、閃光。
 ガレスのオーブメントから発せられたものだった。


  ◆


「これで迎えがくるはずだ。まさか、この状況で船が無事だとは思ってもいなかったが……」

 エニグマを片手に怪我の治療を受けながら、腑に落ちないと言った様子で首を傾げるガレス。
 確かに当初の予定では、目的を達成したら船を回収して撤退する手はずにはなっていた。
 しかし、船の回収が困難な時のことも考えて、別の手も用意していたのだ。
 実際その最悪の予想が当たったかのように想定よりも早く要塞の崩落が始まり、こうして退路を断たれてしまった。
 そのため、船の回収は既に諦めていたところに突如――暁の旅団や教会の船と一緒にベイオウルフ号が現れたのだ。
 一体なにがどうなってそんなことになったのかと、ガレスが疑問に思うのは当然の流れだった。

「取り敢えず応急手当はしておきました。止血しただけなので、余り身体を動かすことはお勧めしません」
「礼を言う。まさか、クロスベルの人間に助けられるとは思っていなかったが……」
「私もです。感謝するなら私ではなく、総督に感謝してください」

 アルフィンの頼みでなければ治療などしなかったと言わんばかりのノエルの物言いに、ガレスの口からは苦笑が漏れる。
 しかしそれも仕方のないことだと、自分たちの撒いた種だと言うことはガレス自身が一番よく分かっていた。
 依頼を受けてのことだったとはいえ、クロスベルを襲撃して警備隊とも交戦したことがあるからだ。
 いまは敵ではないとはいえ、人間そう簡単に過去のことを忘れられるものではない。
 戦場で命の奪い合いをした相手と、酒を酌み交わせる猟兵が特殊なだけだ。

「……それで、そのお姫様は大丈夫なのか?」

 ガレスの視線の先には、エリゼの膝の上で仰向けに横たわるアルフィンの姿があった。
 寝息一つ立てず、まるで死んでいるかのように眠るアルフィンを見れば、ガレスが不審に思うのも分からなくはない。
 実際ノエルも不安を隠しきれない様子が、その態度や表情からも見て取れる。

「彼女次第ですわね」

 無言で佇むシグムントの隣で自分に視線が集まっているのに気付き、ベルは肩をすくめながらそう答える。
 ベルが使用したのは、アストラルダイブと呼ばれる類の禁呪だ。
 自らの精神を送り込むことで、他人の精神に干渉する秘術。
 いまアルフィンの意識は肉体を離れ、緋の騎神に取り込まれたセドリックの精神に干渉を試みていた。

 イシュメルガの目的は、巨イナル一を手にすることだ。
 しかし長い歳月をかけて準備を進めてきた地精の計画は失敗に終わり、ゾア=ギルスティンとの同化にも失敗した以上、イシュメルガに残された手段は〝相克〟を利用する以外になかった。
 だから、最初に〈緋の騎神(テスタロッサ)〉を狙ったのだ。
 嘗て暗黒竜の血を浴びて呪いに侵された〈緋の騎神〉であれば、呪いを使って精神を支配することは難しくないと考えたのだろう。
 そしてテスタロッサがヴァリマールに敗れれば、相克によってテスタロッサはヴァリマールに吸収されることになる。
 相克を起こすことで騎神と共に自身を吸収させ、ヴァリマールの支配権を奪う計画を立てたのだろう。
 リィンには勝てなくとも、同じ騎神であれば自分の方が遥かに優れているという自信がイシュメルガにはあったからだ。

 先に騎神の精神を乗っ取ってしまえば、あとはじわじわと長い時間をかけて起動者の精神に干渉していけばいい。
 それがイシュメルガの立てた計画であり、最後の悪足掻きとも言えるものだった。
 だからこそベルは、そんなイシュメルガの企みを察した上で作戦を立てたのだ。
 テスタロッサを汚染する呪いごとイシュメルガをヴァリマールに吸収させるという作戦を――

「まったく危険がないとは言えませんが、イシュメルガはリィンさんが引き受けてくれてますから」

 アルフィン次第ではあるが成功の確率は高いはずだと、ベルは説明する。
 もっともセドリックの意識が完全に消滅していなければ――という条件は付くが、敢えてそこを説明しないのがベルだった。
 どちらに転ぼうともベルに損はないし、成功すればアルフィンだけでなくセドリックにも恩を売ることが出来る。
 セドリック自身にはそれほど興味はないが、帝国にはまだ〝利用価値〟がある。
 それが、ベルがアルフィンに協力した理由であった。

「兄様は……大丈夫なのでしょうか?」

 元より最初に協力を求めたのはアルフィンだ。血の繋がった弟を助けたいという彼女の気持ちは理解できる。
 だからこそエリゼも反対をしなかったし、アルフィンの意志を尊重したのだ。
 しかし、心配なのはアルフィンだけではない。
 この作戦、どう考えても危険が大きいのはリィンの方だった。
 リィンが強いことは分かっているが、もしもヴァリマールの意識が乗っ取られてしまったら――

「それこそ、無駄な心配ですわね」

 そんなエリゼの不安を、ベルは無駄な心配だと表現する。
 巨イナル一の呪いはエリゼが考えているほど、優しいものではない。
 至宝が叶える願いとは、人の持つ〝欲望〟そのものだ。
 そんなものが無数に集まり千年もの歳月の間、膨らみ続けたものが呪いの正体だ。
 これまで帝国で起きた悲惨な事件の多くを呪いの所為だとするのは、現実を見ない愚かな考えだとベルは考えていた。
 その呪いを生んだのも人間で、ここまで帝国を浸食する呪いが大きくなったのも人間の愚かさが原因なのだから――
 故にそんなものを取り込んで精神崩壊を起こすことなく無事でいられるリィンは、はっきり言ってベルの目から見ても異常だった。

 アルス・マグナのお陰?

 確かに無関係とは言えないだろう。
 しかし、幻の至宝ですら自らの消滅を願うほどに、人の抱く欲望は際限がなく醜いものであった。
 人間が正しい使い方をしていれば、この世界から七の至宝が消えることはなかっただろう。
 呪いの放つ瘴気に汚染されることはなくとも、そうした人々の声が聞こえないはずがないのだ。
 なのにリィンは狂うことなく、正常な精神を保っている。普通の人間ならありえないことだ。
 アルス・マグナだけが理由ではない。
 リィンには、リィン自身が気付いていない何かが他にもある。
 それが彼の前世に関係していることは明らかで、ベルの関心は既にそちらへと移っていた。
 リィンの秘密を解き明かすことが、真理へと近付く最短の道だと考えたからだ。
 だからこそ、イシュメルガの精神支配などにリィンが負けることは万が一にもないと、ベルは確信していた。
 それに――

「そもそも〝灰〟よりも〝黒〟が上と決めるのは大きな誤りですわ」

 これはヴァリマールの意識がイシュメルガに乗っ取られることを前提とした話だ。
 イシュメルガは自分こそが騎神の中で最強の存在だと信じて疑っていないのだろう。
 しかし、それこそがイシュメルガの犯した最大の過ちだとベルは考えていた。
 騎神は起動者と共に成長する。それはヴァリマールとて例外ではない。
 リィンの成長速度は異常だが、仮にヴァリマールの進化がリィンの成長に追いつくことがあるとすれば――

(イシュメルガ程度では支配するどころか、逆に取り込まれて終わりですわね)

 どれだけ強くとも巨イナル一に進化を求めて、自ら成長することを諦めたイシュメルガに勝算はない。
 それにベルの予想では、イシュメルガが勝てないのはヴァリマールだけではないと見ていた。
 その予想通りなら、既にイシュメルガは――

「本当に興味が尽きませんわ」

 リィンだけでなく新たな興味の対象を見つけて、ベルは心の底から愉しそうな笑みを浮かべるのであった。



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