お待たせしました。投稿を再開します。
「……どうやら賭けには勝ったみたいだな」
砂浜で仰向けに横たわり、朝焼けに染まる空を見上げるヴァルカンの姿があった。
空中に投げ出され、そのまま地面に叩き付けられた衝撃で全身は痛むものの生きていることにヴァルカンは安堵する。
それもそのはずだ。グールの進行を食い止めるためにヴァルカンが取った最後の手段というのは〝自爆〟だった。
ユグドラシルを機甲兵と連結することで自身の闘気を霊力へと変換し、導力機関に限界以上の力を送り込むことで大爆発を引き起こさせたのだ。
一歩間違えれば爆発に巻き込まれて、機体と運命を共にしていたことだろう。
いや、グールに囲まれている状況で脱出するような余裕はなく、普通であれば命を落としていたはずだった。
「こいつを預かっておいて正解だったな。ダーナの嬢ちゃんには感謝しないと」
ヴァルカンがこうして生きている理由。
その秘密は、彼が首から提げているドッグタグに似たアクセサリーにあった。
認識票の代わりにタグに刻まれているのは、エタニアの理法具にも用いられている刻印だ。
魔女の知識とエタニアの技術を合わせることで開発に成功した転位具。それが彼が身に付けているドッグタグの正体だった。
一度使用すると再び霊力を充填するまで再使用できないという欠点はあるが、魔術や理法を使えないものでも転位が可能となる画期的なアイテムだ。
完成したばかりのそれを、ダーナはヴァルカンが率いる機甲兵の部隊に配っていたのだ。
機体が大破するような事態になっても上手く転位さえ発動すれば、命だけは助かるかもしれないと考えたのだろう。
実際ダーナの予感は的中し、ヴァルカンは間一髪のところで一命を取り留めたと言う訳だ。
もっとも――
「アリサの嬢ちゃんには、あとでこっぴどく叱られそうだが……」
機体を木っ端微塵にしたことに変わりは無い。
そもそもの話、自爆なんて手段を取らなければ、命を危険に晒すことすらなかったのだ。
七対三くらいの確率で成功する自信があったとはいえ、叱責を受けるであろうことはヴァルカンも覚悟していた。
『ヴァルカン、生きてる?』
「……なんとかな」
ジャケットの裏に忍ばせた〈ARCUS〉からスカーレットの声が響き、ヴァルカンは溜め息交じりに答える。
第一声がそれかと問い詰めたいところだが、まったく焦っていない様子からも無事だと確信していたのだろう。
『なら、よかった。いまから合流ポイントの座標を端末に送るわ』
「……俺は一応、怪我人なんだが?」
『うちの団が人手不足なのは分かってるでしょ?』
普通は救助を寄越すところでは?
というヴァルカンの疑問に、スカーレットは無慈悲な現実を突きつける。
ただでさえ人手が不足しているところに今はまだ戦争中であることを考えれば、救助をだせる余裕がないことは確かだった。
今後の課題だなと溜め息を漏らしつつ、ゆっくりと身体を起こしてヴァルカンは端末に表示された座標を確認する。
「現在位置は……ジュライの南西か。街まで、ざっと六十セルジュと言ったところか」
スカーレットから送られてきた地図をARCUSに表示し、ヴァルカンは周囲の地形を確認する。
ジュライは海上貿易が盛んな都市だ。このまま海沿いに北上すれば、一時間ほどで街に辿り着くことが出来るだろう。
転位先をイメージする余裕などなかったため、作戦の前に映像で確認したジュライの景色が咄嗟に頭に浮かんだのだろうとヴァルカンは推察する。
そして、
「なんだ? アレは……」
ジュライとは反対の方角、南東の空に奇妙なものをヴァルカンは見つける。
朝焼けの空に浮かぶ黒い影のようなものを――
距離にして、三百セルジュほどはあるだろうか?
目を凝らし、じっと観察していた、その時だった。
『なんですって――』
ARCUSからスカーレットの声が響いたのは――
随分と慌てたスカーレットの声に、ヴァルカンは「何があった?」と尋ねる。
『そっちへ向かっていたグールの反応が消えたわ』
「は? いやいや、それはおかしいだろ」
思いもしなかったスカーレットの回答に、ヴァルカンはありえないと言った反応を見せる。
元々、ヴァルカンが機体を自爆させたのはグールの大軍を全滅させるのが目的ではなく、山道を破壊することでジュライへの侵攻を遅らせることが目的だったからだ。
決して全滅させるためにやったことではなく、そもそも数万の軍勢を全滅させられるとは思っていなかった。
だからこそ、スカーレットの話を俄には信じられなかったのだろう。
しかし、
「ああ、もしかして団長が間に合ったのか?」
リィンなら不可能な話ではないとヴァルカンは考える。
領邦軍を壊滅させたリィンの終焉の炎なら、数万のグールを焼き払うことも難しくはないはずだからだ。
『残念ながら違うわ』
そんなヴァルカンの予想をスカーレットは否定する。
ヴァルカンの言うようにリィンの仕業であれば、これほどスカーレットも慌てることはなかっただろう。
『ノーザンブリアへ向かっていたグールの群れも消滅したそうよ。恐らく帝国方面も……』
更に想像を超えたスカーレットの話にヴァルカンは言葉を失い、唖然とした表情を見せる。
幾ら強いと言ってもリィンの身体は一つだ。
三方向に散ったグールの群れを、同時に片付けることなど出来るはずもない。
となれば、リィンの仕業でないことは明らかなのだが、グールが消えた原因が分からない。
『ノーザンブリア、ジュライ、帝国を結ぶ分岐点――ラングドック峡谷の上空に未確認物体が出現したわ』
「おい、それってまさか……」
先程、確認したばかりの黒い影に目を向けるヴァルカン。
黒い影が見える方角はまさに、スカーレットの言うランドック峡谷のある方角だった。
グールが消えると同時に現れた黒い影。無関係だとは当然考え難い。
「一体なにが起きてやがる……」
一難去ってまた一難と言った状況に困惑を隠せない様子を見せながら、ヴァルカンは嫌な予感を覚えるのだった。
◆
「ノルン」
いつもの警察犬としての姿ではなく、聖獣としての姿を取り戻したツァイトの背に佇む自分と瓜二つの少女にキーアは声を掛ける。
――ノルン。異なる歴史を辿り、零の巫女として覚醒を果たした、もう一人のキーア。
もう一人の自分だからこそ、キーアにはノルンの考えていることが分かる。
そしてそれは、ノルンにも言えることだった。
『そろそろ来る頃だと思っていたよ。もう一人の私』
キーアが自分を捜して、やってくることがノルンには分かっていたのだろう。
「やっぱり、私がここにくることが分かっていたんだね」
『うん、いままでもそうだったから……』
キーアの問いに、どこか悲しげで寂しそうな表情を見せるノルン。
キーアなら選択肢を与えたとしても、必ず最後は同じ行動を取る。
それが、ノルンには最初から分かっていたからだ。
『私が、ううん……〝私たち〟がどういう存在かは、もう分かっているんでしょ?』
何度も、何度も繰り返してきた質問。
この世界のキーアに向けるのはこれがはじめてだが、ノルンにとってこの質問は何度も繰り返されてきたことだった。
因果律の操作によってタイムパラドックスが発生し、その結果この世界は幾つもの世界線に分割されることになった。
本来であれば、知るはずのない歴史。覚えているはずのない記憶。
しかしノルンだけは――神の器として造られた彼女だけはデミウルゴスとして覚醒したために異なる歴史の記憶さえも忘れることなく、すべて記憶することが出来た。
それが――観察者。
彼女が最初にリィンに名乗った自身の役割であり、存在を証明するものだったのだ。
ノルンのなかには異なる歴史を辿った無数のキーアの記憶がある。
だからこそ、あの時――
至宝の力に取り込まれたキーアが、どう言う運命を辿るのか? ノルンには見えていたのだろう。
何度も繰り返されてきたこと。
観察者であるはずの彼女は本来であれば、成り行きを見守るだけのはずだった。
しかし、
「あそこでノルンが介入しなければ、たぶん私は命を落としていた。至宝の力を暴走させて、ロイドたちを危険に晒さないために幻の至宝と同じように自らの消滅を願っていた。違う?」
答え合わせをするかのようにキーアはノルンに尋ねる。
失っていたはずの命。だけどノルンが介入することで、この世界のキーアが消滅するという未来は回避された。
だから――
『間違っていないよ。でも、一つだけ勘違いしていることがある。私は確かにキーアだけど、リィンから〝ノルン〟という名前を貰った時点で、あなたと私は別の存在になった。だからあなたを助けたことも、私たちの間に〝同化現象〟が起きないことも不思議な話じゃないんだよ』
キーアがどういうつもりで自分の前に姿を見せたのかは、ノルンも理解していた。
未来を変えたことで、ノルンが何かしらの制約を受けているのではないかと考えたのだろう。
同化現象が起きないのも、ノルンがそうならないように止めているからだと考えれば合点が行くからだ。
しかし、キーアの考えは的外れと言う訳ではないが正しくもなかった。
ノルンの正体は確かにキーアだが、リィンから新たな名前を貰った時点でキーアの知るキーアではなくなっているからだ。
「……無理はしてないってこと?」
『少なくとも力の制約を受けているなんてことはないから安心して』
むしろ、リィンとの契約によって以前よりも力は増したとノルンは感じていた。
『キーアが何を考えているのか分かるよ。私の力なら、この戦争を終わらせられる。ううん、なかったことに出来ると考えたんだよね?』
いまなら限定的な因果律の操作ではなく、時間そのものに干渉するような歴史の改変も不可能ではないだろう。
ただ、出来ないこととやらないことは意味が違う。
ノルンがその気になれば、この戦争をなかったことにも出来るが、そうしない理由が彼女にはあるからだ。
『歴史を改変すれば、再び世界は分岐する。この戦争をなかったことにしても、確定された未来が変わる訳じゃない』
キーアはロイドたちが死ぬ未来を改変したことが過去に一度ある。
しかし、それで命を落としたロイドたちが生き返った訳ではない。
ロイドたちが命を落とした歴史とは別の〝可能性〟を持つ世界が、新たに生まれたと言うだけの話だ。
『起きた出来事をなかったことにして歴史を改変すると言うことは、未来を諦めるということ』
そうして〝可能性〟を閉ざされた世界は、ゆっくりと終わりが近付くのを待つしかない。
結局それで救われるのは、改変された歴史を認識できるものに限られるのだ。
それは世界が滅び行く様を、幾つもの結末を見てきたノルンだからこそ、辿り着いた答えでもあった。
それにノルンが力を積極的に使おうとしない理由は他にもある。
『この世界にはリィンがいる。リィン・シュヴァルツァーではなくリィン・クラウゼルが……』
キーアの知る歴史の中で、クラウゼルの名を持つリィンは一度として存在しなかった。
本来の歴史では男爵家に拾われ、シュバルツァー家に養子として迎え入れられるはずの彼が〈西風の旅団〉に拾われた理由。
それが世界の意志なのか、タイムパラドックスが原因なのかはノルンにも分からない。
ただリィンという存在が、この世界にとってイレギュラーな存在であることだけは間違いなかった。
『これから帝国は大変だろうし、この戦争でたくさんの犠牲がでたことは確かだけど、それでも私は〝この力〟を使うつもりはないよ』
無限に続く〝ウロボロス〟のような世界で、はじめて目にした希望。
ノルンにとって、それがリィン・クラウゼルであったと言う訳だ。
だからこそ、もう一度やり直すという選択をノルンは選ぶつもりがなかった。
因果律に干渉するという自身の力に制約をかけ、積極的に力を振るおうとしないのもそのためだ。
「私がしたことは間違いだったのかな……」
ロイドたちの死を否定し、歴史を改変したキーアをノルンは責めるつもりはなかった。
それはノルン自身が犯した過ちでもあるからだ。
それに本当に間違っていたのかと聞かれると、それはノルンにも分からない。
大切な人の死を悲しみ、そんな未来を否定したくなるキーアの気持ちは痛いほどよく分かるからだ。
それでも――
『これまでの私たちの選択が正しかったのか間違いだったのかは分からない。でも――』
私はこの世界の〝可能性〟を消したくない。
と、ノルンは素直な気持ちをキーアに伝えるのだった。
◆
「随分と込み入った話をしていたようだけど、話はまとまったみたいだな」
二人の邪魔をしまいと少し離れた場所から様子を窺っていたジョルジュは、無事に話がまとまったようで安堵の息を吐く。
キーアとノルンが同一人物であると言うことや、同化現象についてもジョルジュは把握していた。
それだけにノルンがキーアを吸収するという最悪のパターンも想像していたのだ。
実際、キーアがその覚悟を決めていることにも薄々と察していたからだ。
「とはいえ、一難去ってまた一難と言ったところか」
キーアの抱えていた悩みは、取り敢えずこれで解決したと言って良いだろう。
しかし、すべてが解決した訳ではない。まだ大きな問題が残されていた。
空を見上げるジョルジュの視線の先――そこには、黒い月のようなものが浮かんでいた。
実物を見るのはジョルジュもはじめてだが、それが何か分からない彼ではなかった。
「黒キ星杯……」
――黒キ星杯。
七の相克のはじまりを告げる装置にして、黄昏の儀式に用いるはずだった巨イナル器。
黒の巫女に覚醒したトワが、グールの暴走を食い止めるために儀式を発動したのだろう。
しかし、本来それは〝贄〟と〝器〟の両方が揃わなければ、儀式として完成しない。
本来、聖杯によって集められた呪いの力は、器を通して贄に注がれることで完成を見るのだから――
呪いの力は術者を蝕み、このままでは儀式の核となっている〝彼女〟は無事では済まないだろう。
大地の聖獣がそうであったように、永劫とも言える時を理性を失うまで苦しみ続けることになる。
「トワ……キミをこのまま死なせたりはしない」
トワを助けるため、クロウやアリサたちが必死に動いてくれていることはジョルジュも理解している。
それでもアルベリヒに従い、この状況を作った責任の一端はジョルジュにある。
このまま何もせずに黙って見ていることなど出来るはずもなかった。
故に――
「待っていてくれ。キミだけは、必ず救ってみせる」
どこか覚悟を決めた表情で、ジョルジュは自らの傀儡と共に暁の空に浮かぶ〈黒キ星杯〉を目指すのだった。
押して頂けると作者の励みになりますm(__)m