「そうですか。マキアスさんのお父様が議長に……」

 ハリアスクの行政区画の一角に設けられた要人用の邸宅に、寝間着姿の少女たちの姿があった。
 アルフィン、クローディア、エリィ。そして、アリサとヴァレリーの五人だ。
 ノーザンブリアは貧しいことで知られているが、手入れの行き届いた庭の状態や調度品の数々を見る限りでは微塵もそんな風に感じられない。
 それもそのはずだ。ここは嘗て、ノーザンブリアを捨てて逃げた大公家が所有していた屋敷の一つだからだ。
 議員の宿舎として利用されていたらしいが、その議員の大半が先の戦争で命を落としたため、現在は暫定的に政庁の機能の一部を移し〝大公女〟の住まいとして使われていた。国賓を招くのに都合の良い屋敷が他になかったからと言うのも理由の一つにあるが、大公女――ヴァレリー・フォン・バルムントの希望と言う点が大きかった。
 この国の人々が国を捨てて逃げたバルムント大公に対して、強い失望感や恨みを抱いていることは分かっている。
 だからこそ大公の名と遺産を引き継ぐのであれば、そんな彼等の想いも受け止める必要があるとヴァレリーは考えたのだろう。
 失望が期待へと、絶望が希望へと変わるように――
 この国の人々にとって忌まわしき象徴の一つであるこの大公家の屋敷から始めようと誓ったのだ。

「あの……その方はどのような方なのでしょうか?」

 アルフィンたちの会話について行けず、ヴァレリーが手を挙げて質問する。
 屋敷の主なのだからもう少し堂々としても良さそうなものだが、彼女の姿勢が低くなるのも無理はない。
 身分的には同等か、このなかでは一番偉いとも言えるのだが、数ヶ月前までは大公家の親戚と言うだけで一般人だったのだ。
 アルフィンやクローディアのように為政者としての教育など受けていないし、当然そのような経験もない。
 政治家の祖父を持つエリィは勿論のこと、アリサも敏腕経営者として知られる母の背中を見て育ったのだ。
 自分には為政者に必要な知識と経験がまったく足りていないと、ヴァレリー自身が一番感じていることなのだろう。

「元帝都知事のカール・レーグニッツ氏。この名前を聞いたことはありませんか?」
「あ、はい。確か、革新派の指導者の一人で……鉄血宰相の盟友と噂されていた方ですよね?」

 少し表情を曇らせながら、アルフィンの問いに答えるヴァレリー。
 カールがどうこうよりも〝鉄血宰相の盟友〟と言う部分が引っ掛かったのだろう。
 ヴァレリーの反応を見て、無理もないとアルフィンは受け止める。
 真実はどうあれ、これまでギリアスのやってきたことがなかったことになる訳ではない。
 彼は今や歴史に名を遺す極悪人として、死した今も多くの人たちに恐れられ、語り継がれている。
 世の中に知れ渡っている情報しか知らないのであれば、ヴァレリーの反応は当然のものと言えた。

「そうです。その方の息子……マキアスさんがトールズ士官学院の卒業生で、アリサさんのご友人なのです」
「え、そうだったのですか?」
「ああ、うん……まあね。お父さんのレーグニッツ元帝都知事のことはいろいろと言われてるけど、悪い奴じゃないのよ。むしろ、頭にドが付くくらい真面目な奴で、いまも『僕は僕のやり方で父さんのやってきたことの正しさを証明してみせる』とか言って帝都でも有名な学校に通っているくらいだしね」

 アルフィンとアリサの説明を聞いて、驚きながらも納得した様子を見せるヴァレリー。
 自分が知っているのは、あくまで世間で噂されている程度の情報でしかない。
 きっと何か当事者にしか分からない事情があるのだろうと察したからだ。
 それにマキアスやカールのことはよく分からないが、アルフィンやアリサのことは信じられる。
 むしろ、憧れていると言っても良いほど、ヴァレリーは二人のことを尊敬していた。

「まあ、証明する前にお父さんが政界に復帰しちゃって、今頃本人は私たちの前で言ったことを後悔してそうだけど」

 皆に心配を掛けまいとしたのだろう。
 卒業式の日にドヤ顔で、そんなことを自信満々に語っていたマキアスの姿がアリサの脳裏に過る。
 可哀想ではあるが、そういうものだとアリサが一番よく分かっていた。
 優秀過ぎる親を持つと、子供は苦労すると言うことを――

「カール・レーグニッツ氏ですか。優秀な方だと聞いていますし、難しい交渉になりそうですね」
「……そんなこと言っていいの? 今回の交渉では、あくまでリベールはオブザーバーでしょ?」

 クローディアの口から思わず漏れた言葉に、嗜めるような言葉を返すエリィ。
 エタニアとの同盟を公表したとはいえ、今回の戦争にリベールが直接加担した訳ではない。
 長年築いてきた帝国との友好関係もある。そのため、終戦交渉のテーブルにオブザーバーとして参加することが決まったのだ。
 なのに先程のクローディアの発言は、聞く者が聞けばリベールがノーザンブリアに加担していると捉えられてもおかしくない。
 オブザーバー故に発言権や決定権はないが、帝国の心証を損ねることだけは間違いないだろう。
 政治の世界では僅かな失言が致命的な問題を招くことがある。クロスベルでは特に昔から共和国派と帝国派の議員が権力争いを繰り広げており、地元出身の政治家たちは綱渡りのような政治を強いられてきた経緯があった。
 そんな現実に失望して政治の世界から去った父親や、クロスベルのために身も心も捧げてきた祖父の背中を見ているだけに、友人同士の席ででた軽い雑談と言えどエリィは苦言を呈さぜるを得なかったのだろう。
 とはいえ、

「エリィさんの心配は分かります。勿論、公の席では心掛けるつもりです。ですが、エタニアとの同盟を公表した時点で、リベールがどちらかと言えばノーザンブリアやクロスベル寄りだと言うことは帝国も承知の上でしょう。だから、七耀教会の関係者も同席することになった訳ですから」

 そのくらいは帝国も承知の上だと、クローディアは話す。
 七耀教会もオブザーバーとして参加することになっているが、彼等は今回の当事者でもある。
 僧兵庁の部隊がやったことを考えると、自分たちの失態を隠す意味でも帝国寄りの立場になるだろう。
 実際、教会は今回の一件を『黒の工房』の仕業にして、有耶無耶にしようと画策している節があった。
 先の事件の黒幕も『黒の工房』だと噂されているだけに、教会がそのような情報を流せば信じる者も少なくないだろう。
 嘗て大陸を震撼させた教団事件のように、すべて『黒の工房』が画策した計画だったとしてしまった方が大半の人には納得のしやすい終わり方だからだ。
 真相はもっと複雑だが嘘は言っていないのだから、教会側からすればそれが〝真実〟なのだろう。

「どうかしたの?」
「いえ……覚悟は決めていたつもりでも、皆さんを見ていると本当に大公女なんて役目が自分に務まるのかと少し不安になって……」

 ヴァレリーの様子がおかしいのを感じて尋ねると、返ってきた言葉にアリサは納得した様子を見せる。
 このくらいは政治に限らずビジネスの世界でも序の口なのだが、ヴァレリーにはそう言った経験がまったくない。
 ゼロのところから始めるのだから、彼女が不安を抱えるのも無理はないと感じたからだ。
 だからこそ本格的に終戦交渉が始まる前にヴァレリーの緊張を解こうと、このパジャマパーティーが企画された経緯もあるのだが、アリサたちにとっては雑談程度のことでも経験に乏しいヴァレリーを畏縮させるには十分であったと言うことなのだろう。
 このままでは逆効果になってしまう。
 そう考えたアルフィンは、アリサとヴァレリーの会話に割って入る。

「そう言えば、リィンさんとの仲に進展があったと聞いていますが、その辺り詳しく教えて頂けますか?」
「……それ、私に聞いています?」
「勿論! シャーリィから話を聞いて、ずっと本人から詳しく話を聞きたいとタイミングを待っていたのです!」
「シャーリィ!?」

 なんてことしてくれたんだとばかりにシャーリィの名を叫ぶアリサ。
 目をキラキラ……いや、ギラギラと輝かせ、詰め寄ってくるアルフィンに恐怖を覚えるアリサ。
 助けを求めて周りに視線を向けるも、クローディアは興味津々と言った様子でエリィからは首を横に振られてしまう。
 ヴァレリーはきょとんとした顔で、話についていけていないと言った様子であった。

「初体験が3Pだったとか!? そこのところ詳しく! 是非、今後の参考にさせて頂きたいので!?」
「参考ってなんですか!? まさか、エリゼさんを巻き込む気じゃ――」
「同意の上です。エリゼの本心は、親友のわたくしが一番よく分かっていますから」

 アルフィンがパジャマパーティーに乗り気だった理由と、エリゼを連れて来なかった理由をアリサは察する。
 最初から、これが目的だったのだと――
 この場にエリゼがいれば、間違いなくアルフィンを止めようとするからだ。
 シャーリィのことだ。自分から言い触らすような性格ではないが、黙っているような性格でもない。
 念願が叶ったこともあって、浮かれていた部分も多少はあるのだろう。
 だとしても、よりによって一番知られると面倒臭い人物に話すことはないだろうと、アリサは心の中で叫ぶ。

「エリィ! 見てないで助け――」
「ごめんなさい。私も辿った道だから……諦めて」

 遠い目をしながら助けを求めるアリサを突き放すエリィ。
 ここを上手く乗り越えたとしても、逃げ切れないと過去の経験から悟っているのだろう。
 アリサの悲鳴が響く中、長い夜は更けていくのだった。


  ◆


「姉さん、そのくらいにしておいた方が……」
「ほっといて! これが呑まずにいられますかってことよ!」
「おい……アルコールは入ってなかったんじゃなかったのか?」
「はい……お出ししたのは、屋台でも普通に売られているジュースのはずなのですが……」

 港湾区にある黒月(ヘイユエ)が所有するビルの応接室で、グビグビとジョッキを呷るアシェンを宥める少年の姿があった。
 彼の名は、シン・ルウ。黒月の長老の一角に数えられるルウ家の跡取りでアシェンの弟だ。
 歳は十三歳。十六歳のアシェンとは三つ違いと言うことになる。
 そんな彼がクロスベルに滞在している事情は幾つかあるのだが、その最たる理由は〈暁の旅団〉の存在が深く関係していた。
 黒月のフロント企業〈黒月交易公司〉のクロスベル支部の代表として、ルバーチェ商会との取り引きを任されているためだ。
 実際にはお飾りに近いのだが、ルウ家の跡取りとして実績作りも理由にあるのだろう。
 その上アシェンをリィンのもとへと送り出したことといい、黒月が〈暁の旅団〉との関係を重視していることが見て取れる。
 だと言うのに――

爷爷(イエイエ)の言い付けだから我慢して、こうして態々クロスベルまで足を運んだのよ。なのに三ヶ月もほったらかしで、ようやく会えたかと思ったら『誰だ、お前?』とか『俺も結婚する気はないから帰れ』とか、あいつ何様なのよ!? しかも、既に恋人が〝二人〟もいるって言うじゃない! 他にも愛人がたくさんいるって噂も聞くし!」
「ああ、うん……分かるよ。僕もなんで、あんな奴がモテるのか理解に苦しむしね。エリィさんのことだって……」

 結婚を嫌がっていた割には、リィンにフラれて愚痴を溢すアシェン。
 そんな姉の言葉に先程までとは打って変わって、シンも同意するかのような反応を見せる。
 リィンに対して思うところがあるのは、シンもアシェンと同じであったからだ。
 というのも彼は胸の大きな女性が好きで、以前からエリィに好意を寄せていたのだ。
 しかし、そんな好意を寄せている女性を、当然ぽっと沸いてでた男に横から奪われてしまった。
 それだけでも許せないのに、エリィの他にも胸の大きな美女をたくさん侍らせている(彼視点)と聞いて、リィンのことを嫌悪していた。

「ラウ! 僕にもジュースを!」
「ですが……いえ、すぐにお持ちします」

 こうなってしまっては何を言っても無駄と諦め、ラウと呼ばれた男は命じられるままに飲み物を取りに行く。
 まさに似たもの姉弟。
 リィンの愚痴で盛り上がる姉弟を横目に、やれやれとラウは溜め息を溢すのであった。


  ◆


「国民への公表は無事に済ませました。宰相閣下――いえ、皇帝陛下」
「まだ、正式に帝位を譲り受けた訳ではないんだ。その呼び方は国葬が終わるまで待ってもらえないか?」
「では、オリヴァルト宰相と」

 バルフレイム宮殿の執務室にオリヴァルトと、最近話題の人物であるカール・レーグニッツの姿があった。
 近いうちにオリヴァルトが帝位を継ぎ、第八十九代エレボニア帝国皇帝に即位することが決まっていた。
 理由はセドリック・ライゼ・アルノールが先の戦争で怪我を負い、懸命な治療も虚しく息を引き取ったためだ。
 国葬が執り行われた後、オリヴァルトの即位が正式に決まる手はずとなっていた。
 しかし、

「これで本当に良かったのですかな?」
「……なんのことだい?」

 カールの問いにオリヴァルトはとぼけてみせる。
 意識不明の状態が三ヶ月以上も続き、セドリックは二日前の夜に皇居で息を引き取った。
 その場にはカールも立ち合い、セドリックの亡骸を確認もしている。
 しかし、彼がセドリックの死に疑念を抱いたのには理由があった。
 一見すると執務室に引き籠もるオリヴァルトの姿は、弟を亡くした悲しみを忘れようと政務に没頭しているかのように見える。
 実際そういう噂は宮殿内のあちらこちらで耳にすることが出来、先日までの騒動が嘘のように帝都は静まり返り、悲しみに包まれていた。
 セドリックの死によって状況は変わったと言っていい。
 セドリックが生きていれば皇家の責任を追及する声は後を絶たなかっただろうが、その当人には亡くなっている。
 悲しみに暮れ、喪に服している皇家を非難できる者など貴族の中にもいないだろう。
 だが、それだけに今の状況は皇家にとって都合が良すぎるとカールは感じていた。

「いえ、忘れてください。不用意な発言でした」

 なのにカールは前言を撤回する。
 政府としても、このまま混乱が続くよりは現状の方が舵取りがし易い。
 皇帝の死によってノーザンブリアとの交渉も少しは有利に進められるかもしれない。
 そう考えれば、いまの状況は決して帝国にとって悪い話ではない。
 仮にそこに何かしらのトリックがあるのだとしても、敢えて暴く必要のない真実も存在するからだ。

「国葬は一週間後です。各国にも通達してあります」
「ああ、苦労をかけるね。ありがとう」

 だからこそ、ここでの話は墓場まで持っていこう。
 この国の未来のため、為すべきことを為すために――
 そう、カールは心に誓うのだった。



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