港湾区にそびえ立つエイオスの本社ビル。
 クロスベル市でオルキスタワーに次ぐ高さを誇るそのビルの最上階フロアにアリサの邸宅があった。
 元々はIBCの創設者一族であるクロイス家の人々が暮らしていた住居を少し手を入れて使っていた。
 その邸宅で――

「面白いものが見れたでしょ?」

 リィンを出迎えたアリサは開口一番にそう尋ねる。
 悪戯が成功したとばかりに笑みを浮かべるアリサを見て、やれやれとリィンは肩をすくめる。

「随分とクロウに肩入れするじゃないか」
「……もしかして、妬いてるの?」
「そう言う訳じゃないが、後悔しているのかと思ってな」

 少なくとも帝国での内戦が始まるまでは、アリサはただの学生だった。
 士官学院の卒業生という時点で無関係な一般人とは言えないが、それでも血生臭い戦場とは縁遠い生活を送っていたのだ。
 なのにある日突然、貴族連合が起こした内戦に巻き込まれ、リィンと行動を共にすることによって平穏な日常から血と硝煙に塗れた非日常の世界へと足を踏み入れることになってしまった。
 彼女が世界有数の大企業ラインフォルトグループの令嬢であるということやフランツの件も考えると、すべてがリィンの責任だとは言えない。ある意味でアリサがこの世界に足を踏み入れるのは必然だったとも言えるだろう。
 しかし、だからと言って簡単に割り切れるものではない。
 父親の件で〈暁の旅団〉に入ることを決めたとはいえ、まだ少し未練があるのではないかとリィンは考えていた。

「後悔ならしていないわ。何も知らずに平和に暮らせたらそれはそれで幸せだったのでしょうけど、私は知ってしまった。この世界が欺瞞に満ちていて、危ういバランスの上で成り立っているということを――」

 知ってしまった以上、目を背けることは出来ない。
 何もせずに後悔をするくらいなら、最後まで人間らしく足掻きたい。
 それにリィンと一緒なら、この世界を変えられるのではないかとアリサは考えていた。

「父様の件は切っ掛けに過ぎないわ。私は私の意志でここにいる。あなたと共に歩む決意をした。その覚悟を甘く見ないで欲しいわ」

 その言葉に込められた強い覚悟と意志を感じ取り、リィンは降参と言った様子で両手を挙げる。

「でも、一つだけ心配ごとがあるわね」
「心配ごと?」
「ええ、どこかの誰かさんが次々に女を誑し込んで数を増やすから、その管理をどうしようかって悩みがね」

 自覚はあるのか? 耳の痛い話をされて、そっと顔を背けるリィン。
 とはいえ、自分から口説いている自覚はないので気を付けようがないと言うのが実際のところだった。
 アリサもリィンに悪気がないことは分かっているので、不満はあっても人数が増えること自体に納得はしているのだが、

「余り増やしすぎるのもどうかと思うのよ。その、ほら……夜の順番とか話し合いが必要でしょ?」
「……急に生々しい話になったな」
「大事なことなのよ! あやふやにすると面倒なことになるんだから、増やすなとは言わないけど男としてきちんと責任は取りなさいよ」

 釣った魚に餌をやらないなんて真似をすれば面倒臭いことになるのは目に見えている。
 惚れた弱みなんて言葉もあるが、リィンにも釣った責任がある。
 ハレムの王の責任なんて分かりきっている。全員を平等に愛することだ。
 女の間で序列が生まれるのは仕方がないが、リィンには全員をきちんと愛する責任があるとアリサは感じていた。

「それで〝管理〟か……」
「そういうこと。感謝しなさいよ。エリィと相談して、いろいろと考えてるんだから」

 歴史が物語っているように誰かがやらなければ、ハレムの維持など出来ない。
 そして、それが出来るのはアリサとエリィの二人しかいないというのが現状であった。
 リィンに好意を寄せている女性たちがアリサとエリィを立て、認めているというのも理由の一つにあるのだが――
 いずれにせよ、あやふやにして良い問題でないことは間違いなかった。

「増やすにしても、せめて一週間で割り振れるように七人……は無理ね。候補を入れると、もう二桁以上いてもおかしくないし……」
「おい」

 割と現実的な話をされて、思わずツッコミが入るリィン。
 無自覚に人を誑す癖はあるとはいえ、リィンは別に鈍感と言う訳ではない。
 むしろ、どちらかと言えば勘の鋭い方だと言っていい。しかしそれだけに、出来るだけ深くは考えないようにしていたのだろう。
 アリサもそのことは分かっているが、結局は問題を先延ばししているだけに過ぎないと思っていた。
 胸に淡い恋心を秘めているだけで満足できる女性ならいいが、残念ながらリィンに好意を寄せる女性たちは違う。
 いずれ我慢の限界が訪れる。今回の温泉旅行も、その流れによるものだと考えていた。

「とにかく余り数を増やすのは自重しなさいってことよ」
「そんなつもりは、まったくないんだがな……」
「だから、たちが悪いのよ……」

 自覚があろうとなかろうと、結果的にアリサの言うようになってしまっている以上、反論できることではなかった。
 とはいえ、注意しろと言ったところでそれが出来るなら、ここまで人数は増えていない。
 そもそもアリサも、そんな彼を好きになった一人なのだ。 
 自分の言っていることが不可能なことくらい分かっていた。
 だから――

「今日は泊まっていくのよね?」
「ああ、そのつもりだが……」
「もう少しでエリィも来る予定だから、今晩は……その……」

 恥ずかしそうに言い淀むアリサを抱き寄せ、リィンは唇を奪うように口付けする。
 アリサの温もりを感じながら、リィンは出来るかどうかは別として少しは自重するかと反省するのであった。


  ◆


 ノーザンブリア自治州の首都ハリアスク。
 嘗ては貿易で栄えた街だったが〈塩の杭〉と呼ばれる事件によって経済を支えてきた産業が崩壊し、厳しい生活を強いられてきたこの街に転機が訪れたのが四ヶ月前のことだった。
 エタニアへの移住計画。移住希望者には住むところだけでなく仕事を与え、人並みの暮らしが出来るように自立を促し、生活を支援すると言った内容のものだ。
 過去にも同じような話はあったが、これほど大規模な移住計画が持ち上がったのは今回がはじめてだった。
 百や千ではなく、希望するのであればノーザンブリアの人々を全員受け入れるというのだから衝撃は大きかったに違いない。
 公国の時代よりも人口が大幅に減少しているとは言っても、まだ三万人近い人々がこのノーザンブリアで暮らしているのだ。
 全員を移住させ、その生活を保障するとなれば〈北の猟兵〉が何年もかけて得られないような途方もないミラが必要となる。
 そんなに上手い話があるはずがないと、疑う者たちがいるのは当然であった。

 しかし〝革命の英雄〟の説得があったとはいえ、最終的に全体の三割。一万人ほどの人たちがこの移住計画に同意することになった。
 その大半が働き盛りの男女と言った構成だが、決め手となったのは三年が過ぎれば、いつでも故郷に戻して貰えるということ。
 そして本人が希望するのであれば、エタニアで得た収入を故郷の家族に送金できるというのが後押しになったのだろう。
 出稼ぎだと考えれば、これまでと何一つ変わりが無い。むしろ、待遇から考えると破格の条件と言っていい。
 この自治州でまともな収入を得るには猟兵となるしかないからだ。

 最盛期には少年猟兵隊などの予備役も含めて団員の数が一万人を超える規模を誇っていたと言うことからも、このノーザンブリアで猟兵がどれほど必要とされる存在だったのかが察せられるだろう。
 とはいえ、誰もが猟兵になれる訳ではない。年寄りや十に満たない子供、身体が不自由な人など、様々な事情から戦えない者も少なくない。そうした人たちは農業などで生計を立てるしかないのだが、元々大陸の北部に位置しているノーザンブリアでは一年を通して分厚い雲が空を覆っていて晴れる日が少なく、早い地域では十月から雪が降り始めることから作物を育てるには向かない土地であった。
 その上〈塩の杭〉による影響が未だに残っており、作物を育てるのに適した土地の確保も難しいのが現実だ。
 主な収入源であった海運業も廃れてしまったことから、北の猟兵の稼ぎに頼るしかない状況が三十年近くもの間続いてきたのだ。
 外国に出稼ぎへでる者もいたが、どの国でも外国人労働者の実情は厳しく、生計を立てながら故郷に仕送りできる金額など高が知れていた。
 そんなところに飛び込んできた儲け話だ。
 仮に裏があるとしても、生きるためには話に乗るしかないという切実な問題がノーザンブリアの人々にはあったのだろう。
 しかし疑心暗鬼に陥っていた彼等の予想は、良い意味で裏切られることとなる。
 これまでずっと停滞していたノーザンブリアの復興計画に明るい兆しが見え始めたのだ。

「うめぇ! まさか、こんな値段でこんなに美味い物が腹一杯食べられる日がくるなんて……」
「それだけじゃねえぞ。なんだよ、この具だくさんのボルシチは……肉もたっぷり入ってるぞ」

 美味い美味いと感動の涙を流しながら、広場の屋台で食事をする猟兵たちの姿があった。
 特徴的な青紫のプロテクトアーマーを身につけた集団。〈北の猟兵〉の団員たちだ。
 彼等が感動するのも無理はない。まともな生活ができるのが猟兵になることとはいえ、彼等も決して裕福な訳ではない。
 彼等が命懸けで稼いだミラの大半は政府に納められ、配給物資の購入などにあてられるのだ。
 贅沢が出来る訳ではなく毎日食事にありつけるだけでもマシというのが、ここノーザンブリアでの生活の実情だった。
 ここ最近は帝国の内戦の影響などもあって物価が高騰し、その食事すら満足に取れない生活を強いられていたのだ。
 それが帝国から得た賠償金やクロスベルからの支援物資もあって、誰もが毎日三回の食事を取れるほどの余裕がハリアスクの街にはあった。
 それだけではない。いまは多くの人が仮設テントでの生活を強いられているが、街道の整備と共に住居の建造が急ピッチで進められており、そこで働く人々にも給金がでることからハリアスク以外の集落からも人々が集まり、街は今まで見たことがないほどの活気に溢れていた。
 これまでのノーザンブリアからは考えられなかったような光景に、猟兵たちも自然と笑みが溢れる。
 この光景こそ、彼等が命を懸けて成し遂げたかったこと。守りたかったものだからだ。

「英雄か……」

 仲間と共に食事を取っていた猟兵と思しき少女の口から、ポツリとそんな言葉が漏れる。
 皆がお腹一杯食事を取れて、幸せならそれが一番だと理解している。
 このために猟兵の自分たちは頑張ってきたのだ。
 ずっと暗闇に閉ざされていたノーザンブリアに、明るい兆しが見えてきたことを喜ぶべきだろう。
 しかし、少女には納得の行かないことが一つあった。
 家族の反対を押し切ってまで家を飛び出して、十四歳で〈北の猟兵〉に入隊した理由。
 まだ成し遂げていない目的があるからだ。

「なんだ。食わねえのか? 新人」
「食わねえなら、俺たちがもらっちまうぞ」

 考えごとに耽る少女を見て、そう言って少女の料理に手を伸ばす二人の猟兵。
 しかし、料理に手を触れようとした、その時――

「うおっ!」
「あぶねえ!」

 どこからともなく飛んできたフォークがテーブルに突き刺さる。
 突然のことに驚き、小さな悲鳴を上げて後退り、椅子ごと後ろに倒れる二人の猟兵。
 ドッと笑い声が上がる中、少女と男たちの間に割って入ったのは明るい髪を頭の後ろで束ねた女性だった。

「大きな大人が年下の女の子にみっともない真似をしてるんじゃないわよ」

 歳は二十代半ばから後半と言ったところだろうか?
 腰に下げた剣と導力銃。それに左手に持った〝酒瓶〟が目を引く女。
 酒のにおいを漂わせながら近付いてくる女性の顔を確認した男たちは驚きの声を上げる。

「お前は〝紫電〟――」
「サラ・バレスタイン!?」

 名前を叫んで驚く男たちを見下ろしながら、やれやれと言った様子で肩をすくめる女性。
 彼女の名は、サラ・バレスタイン。紫電の異名を持つ〈暁の旅団〉のメンバーの一人だ。
 元遊撃士にして〈北の猟兵〉出身という肩書きを持つ異例の存在。
 それだけに、ここノーザンブリアでは彼女の名前は良くも悪くも有名だった。

「英雄の娘……」

 少女の口からポツリと漏れた言葉を耳にして、サラは困ったような表情を見せる。
 サラ自身も有名だが、それ以上に有名なのがサラの養父であるバレスタイン大佐だった。
 革命の英雄にして、北の猟兵を起ち上げた人物の一人。
 しかも一度は死んだと思われていた人物が、故郷の危機に颯爽と現れてノーザンブリアを救ったのだ。
 実際に帝国と戦ったのは〈北の猟兵〉だけではないのだが、ノーザンブリアの人々にとっては自分たちの英雄が故郷を守ってくれたという事実が重要なのだろう。
 それだけにサラも苦労していた。
 行く先々で〝英雄の娘〟として扱われ、ヴァレリーと共に慣れない催しに参加する日々を過ごしていたからだ。
 ようやく時間が取れたことで息抜きに屋台巡りをしていたところ、猟兵たちの会話を耳にしたと言う訳だった。

「食事中のところ邪魔したわね。それじゃあ、アタシはこれで――」
「待って」

 立ち去ろうとしたところで少女に呼び止められ、溜め息を漏らしながら足を止めるサラ。
 この四ヶ月は養父の偉大さと、革命の英雄がノーザンブリアにとってどれほど重要なものかを再確認する日々を過ごしていた。
 当然、北の猟兵を辞めたサラのことを快く思っていない者もいるのだが、英雄の名はそれ以上に重かったと言うことだ。
 呼び止められてからの展開が想像できるだけに溢れた溜め息だったのだが、

「私の名前はラヴィ。ラヴィアン・ウィンスレット。あなたが英雄の娘なら、私と勝負して」
「……はい?」

 少女の口からでた言葉はサラの予想に反するものであった。


  ◆


「――なるほどね。それで決闘することになったんだ」
「……軽く手合わせするだけよ」
「相手はそう思っていないと思うけどね」

 あれよこれよという間に会場がセッティングされ、迎えた決闘当日。
 決闘の会場として選ばれた訓練所の更衣室には、団の仕事でノーザンブリアを訪れていたフィーに事情を説明するサラの姿があった。
 どうしてこうなったという状況に、自分で説明していて今更ながら頭を抱えるサラ。
 猟兵というのは喧嘩っ早く好戦的な性格の人間が多いというのもあるが、あの場にいた全員が酒が入っていて気持ちが昂ぶっていたというのも理由の一つにあるのだろう。
 その結果、宴会気分で周囲に流されるまま決闘を受けることになってしまったのだ。

「強いの? その子」
「名前はラヴィアン・ウィンスレット。歳は十五歳。入隊から僅か半年で本隊に昇格した期待の新人みたいね。この前の防衛線でも活躍したらしくて〈紫電〉の再来とか言われているらしいわ」
「ああ、それで……」

 サラの話から、フィーはラヴィという少女がサラに喧嘩を売った理由を察する。
 血気盛んな猟兵であれば、よくあることだからだ。
 特に才能に溢れ、強さに自信がある者ほど、自分の力がどこまで通用するのか確かめたくなる。
 恐らくはサラに戦いを挑むことで、自身の実力と価値を証明したいのだろうとフィーは考える。
 しかし、サラの考えは違っていた。

「……それだけじゃなさそうなんだけどね」

 ――ウィンスレット。その名前にサラは心当たりがあった。
 バレスタイン大佐と同じ革命の英雄の一人。
 もしラヴィが英雄の関係者なら、決闘を挑んできた理由も少し変わってくるからだ。

「負けるとは思わないけど、相手が新人でも油断だけはしないようにね」
「分かってるわよ。団の看板を背負っている以上、無様な姿を見せる訳にもいかないしね」
「分かってるならいい」
「はいはい」

 いまや〈暁の旅団〉はゼムリア大陸最強の猟兵団として名前が知られている。
 フィーの言うように負けるつもりはないが、その団員が新人に苦戦したとなれば笑いの種になることは間違いない。
 何より、その話がリィンに伝われば間違いなくバカにされる。
 それだけは絶対に避けたいとサラは考えていた。

「そろそろ時間ね。行ってくるわ」
「ん……頑張って」

 興味が無さそうなフィーの返事に溜め息を吐きながらも、会場へと向かうサラ。
 フィーがノーザンブリアに訪れた理由をサラが知るのは、この二日後のことだった。



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