「ぼろい店だな。なあ、ユーリ。本当にこの店に入るのかよ」
「他に開いている店もないんだし、仕方ないだろう」
「四区の繁華街まで足を伸ばせば、もう少しマシな店があるんじゃないか?」
「忘れたのか? 俺たちは追われてるんだ。まだ連中が探しているかもしれないのに、そんな人目の多いところに行けるかよ」
モンマルトの店先で好き放題言いながら店内へ入ると、案内も待たずに適当な席へ座る三人組の男たち。
最初に店の不満を口にしていた帽子の青年がレジーで、繁華街の店を提案した明るい髪の青年がサイクスだ。
そんな二人を付き従えている紫の髪の青年がユーリで、目立つ山吹色のコートを羽織っていた。
ユーリはカルバード共和国を代表する大企業ヴェルヌ社の取締役の息子で、他の二人も同じ会社の役員の息子であった。
そのため、昔から親の権力を笠に着て好き放題しているドラ息子たちで、つい最近も社会勉強と称してクロスベルで好き勝手やっていたのだが、リィンに絡んだばかりに地元のマフィアに引き渡されてしまったのだ。
しかし悪運だけは強かったこともあり隙を見て逃げだすことに成功し、共和国まで逃げ帰ってきたと言う訳だった。
「取り敢えず首都まで逃げて来たのはいいけど、これからどうするつもりだ?」
「ああ……手持ちの金も、もうほとんど残っていないしな。この調子だと三日と保たないぞ。ユーリ」
「分かってる。くそッ、せめて車があれば、こんな惨めな思いをしなくて済んだのに……」
ここまではどうにか車で逃げてくることが出来たのだが、実家に戻る前に首都へ寄って息抜きをしようとしたことが不幸のはじまりだった。
首都イーディスを縄張りとする半グレの集団に絡まれ、愛車を奪われてしまったのだ。
「あの半グレども……俺たちの車をよくも……」
「確かにムカつくけど、アイツ等確か〈ディザイア〉って危ない連中だろ?」
「そうそう、命があっただけマシと思うしかないさ」
まだ怒りが収まらない様子のユーリに、サイクスとレジーは助かっただけマシと話す。
実際、半グレたちは身代金目的でユーリたちの身柄も押さえようとしたのだ。
それでもマフィアから逃げた時と同様に隙を突いて逃げて来られたのは、やはり悪運が相当に強いのだろう。
怒りはまだ収まらないが、とにかく腹ごしらえが先だとユーリは店員を呼ぶ。
「いらっしゃいません。ご注文は如何なさいますか?」
すると、三人の席にエプロン姿の女性が注文を取りに現れる。
モンマルトの店主の娘、ポートレットだ。
もうすぐ五歳になる娘がいるとは思えないほど若々しく綺麗な女性で『旧市街のマドンナ』と呼ばれ、常連客に慕われていた。
そのため、
「ひゅー! ぼろい店かと思ったらマブいお姉さんがいるじゃないか」
「接客なんて他の奴に任せて、俺たちの相手してくれよ」
こう言った風に絡まれることがよくあるのだ。
サイクスとレジーの二人に絡まれ、困った様子のポートレットを見て――
「まったく……どこにでもいるのよね。ああいう連中って……」
助けに入ろうとするアシェン。
しかし、席を立とうとしたところでフィーに腕を掴まれる。
「……どういうつもり?」
「必要ない。座ってて大丈夫」
「え?」
意味が分からないと言った表情をアシェンが浮かべた、その時だった。
「どこかで見た顔だと思ったら、以前シュリに絡んでいた連中か」
店内に見知った声が響いたのは――
どこか聞き覚えのある声にぎこちなく振り向き、顔を青ざめるサイクスとレジー。
二人の視線の先には、黒いジャケットを羽織った灰色の髪の男が立っていた。
以前に会った時と髪の色は違うが、その顔を二人が見忘れるはずがない。
彼等がマフィアに捕まることになった原因を作った男だからだ。
「まだ懲りてないみたいだな。ルバーチェ商会、適当な仕事しやがって」
男の名はリィン・クラウゼル。〈暁の旅団〉の団長だった。
リィンもサイクスとレジーの顔を覚えていたのだろう。
やれやれと言った表情で、呆れた様子を見せる。
「リィン? この連中、知ってるの?」
「以前、知り合いに絡んでいるところをシメたガキ共だ。ルバーチェ商会の連中に引き渡したんだが、この様子だと逃げて来たみたいだな」
リィンの後に続いて店の中に入ってきたシズナが、不思議そうに首を傾げながら尋ねる。
そんなシズナの疑問に呆れた様子で答えるリィン。
まさか、こんなところでシュリに絡んでいた三人組と再会するとは思ってもいなかったのだろう。
しかも、あの時とまったく同じ展開なのだから呆れるのも無理はない。
「反省もしてないようだし、いっそ始末してしまうか?」
半ば本気とも取れるリィンの言葉に、腰を抜かすサイクスとレジー。
辛うじてユーリだけはリィンを睨み付けているが、それが強がりだというのは誰の目にも明らかだった。
「おい、坊主ども。やるなら外でやれ」
そんななか、白い調理服を着た一人の男が割って入る。
少しも怯むことなくリィンの前に立つ初老の男性。
彼こそ、ここモンマルトのオーナーにしてポートレットの父親、ビクトルだった。
「たくっ、猟兵は問題しか起こせないのか……。身体だけ大きくなっても十年前と何も変わってねえな」
「今回は俺も巻き込まれた側なんだが……相変わらずみたいだな。爺さんも――」
「誰がジジイだ。人を年寄り扱いするんじゃねえよ」
まるで古くからの知り合いのように振る舞う二人。
実際、リィンとビクトルは過去に面識があった。と言っても十年も昔の話だ。
まだリィンが猟兵としてデビューする前の話。〈西風〉で見習いをしていた頃の知り合いだった。
「悪いがリーシャ。こいつらを縛っておいてくれるか? あとでルバーチェ商会の連中に回収させるから」
「はい、それは構いませんが……」
リーシャの視線に気付き、仕方ないと言った様子で溜め息を溢すビクトル。
そして、
「上の部屋が空いてるから適当に使え。店先にそんな連中を転がされたら商売あがったりだ」
事情を察して、空き室の鍵をリーシャに放り投げる。
実はこのビルのオーナーはビクトルだった。
レストランを一階で経営しながら、副業でビルの大家もしていた。
とはいえ、気に入った相手にしか部屋を貸さないこともあって空室だらけというのが実情なのだが――
そのため、いまのところ入居者はゼロと言う有様であった。
「勝手に話を進めるな! また捕まって、たまる――」
「黙って寝てろ」
一瞬で距離を詰めると、急所に一撃を叩き込んでリィンは三人の意識を刈り取る。
白眼を剥いて床に倒れ込むユーリ、レジー、サイクスの三人を見て――
「すげえな、兄ちゃん! いまのどうやったんだ!?」
「俺等のマドンナを守ってくれてありがとうよ!」
様子を見守っていた店の常連客から歓声が上がるのだった。
◆
「結局、商売にならなかったじゃねえか……」
そう言って『CLOSE』の札を店先の扉に掛け、厨房へと姿を消すビクトル。
文句を言いつつも追い出さないあたりが、面倒見の良い彼らしいとリィンは苦笑する。
「知り合いなの?」
皆が抱いているであろう疑問をリィンに尋ねるアシェン。
共和国にこんな知り合いがいるとは思ってもいなかったのだろう。
実際、リィンは余り共和国の地理に詳しくはないようだった。
それだけに――
「まさか、元猟兵とか?」
そういう答えに行き着くのも分からない訳ではなかった。
リィンを相手に堂々とした態度は、とても堅気の人間には見えなかったからだ。
「ククッ、確かに爺さんは顔が怖いからな」
「おい、聞こえてるぞ!」
厨房の方からビクトルの怒鳴り声が聞こえてくる。
地獄耳めと呟きながら、肩をすくめるリィン。
「昔いろいろとあって料理を教わったことがあるだけだ」
「どうやったら、そうなるのよ……あなた猟兵でしょ?」
どうして猟兵が料理の修行などしているのかと呆れるアシェン。
そんな彼女に――
「そのまま材料を鍋にぶち込んで、煮たり焼いたりするだけの料理とも呼べないものを毎日食べたいと思うか?」
と、リィンは尋ねる。
猟兵の生活で一番我慢がならなかったものが食事だった。
だからリィンは〈西風〉にいた頃、団の料理番を自分が引き受けることにしたのだ。
そんな時、偶然立ち寄った街で知り合ったのがビクトルだった。
「あれから、もう十年になる。爺さんがイーディスで店をだしていることを知ったのは最近になってからだがな」
「あ……分かった気がする。もしかして、ゼノ?」
「正解だ。再会した時に話してたんだよ。綺麗なお姉ちゃんのいる店があるって――」
「ゼノらしいね」
敢えてポートレットの話題から入るあたりがゼノらしいと、フィーはリィンの話に納得する。
あれだけ綺麗な女性ならゼノが口説かないはずがない。
もっとも、結果は尋ねるまでもないことはフィーも分かっていた。
「店員のお姉ちゃんを口説こうとしたら爺さんに殺されそうになったと言ってた」
「うん、ゼノだ……」
予想通りの行動と結果に、間違いなくゼノだとフィーは確信する。
「それって〈西風〉の〈罠使い〉のことよね?」
「よく知ってるじゃないか」
「有名人だもの。ツァオだけでなく爸爸も気を付けるように言ってたしね」
そっち方面の悪評が〈黒月〉にまで広まっていることに呆れ、リィンは少しゼノに同情する。
とはいえ、自業自得だとも思っていた。
西風で部隊長を務めていた頃も、行く先々で女性とトラブルを起こしていたからだ。
もっとも上手くいった試しは一度もないのだが……。
よく団長――ルトガーの引き立て役をしていたのをリィンは思い出す。
「そう言えば、それでよくアイーダに注意されてたな」
「ん……懐かしい。団が解散してから会ってないけど、元気にしてるかな?」
「それって、もしかして〈火喰鳥〉のこと?」
アイーダの名を聞き、なにかに気付いた様子で会話に割って入るシズナ。
「アイーダのことを知っているのか?」
「うん、一年ほど前に一度やり合っているからね。いまは〈アイゼンシルト〉に身を寄せているはずだよ」
「アイゼンシルト……自由都市圏を中心に活動しているって噂の猟兵団か」
シズナの話を聞き、妙な縁もあるものだと懐かしむリィン。
アイーダは嘗て〈西風の旅団〉に所属していた団員で〈火喰鳥〉と言うのは彼女の二つ名だった。
「戦場でまみえる可能性はあるかもな」
「……それでいいの? 昔の仲間なんでしょ?」
「それが、猟兵だからな。アイーダも覚悟の上だろう」
嘗ての仲間だろうと、戦場でまみえれば命の奪い合いをする。
それが猟兵だ。殺し合いをするのが嫌なら猟兵を辞めればいいだけの話だ。
そうせずに今も猟兵を続けていると言うことは、覚悟の上だとリィンは考える。
アシェンも裏の組織の人間だ。頭では理解しているはずだが、複雑な感情もあるのだろう。
それは表情を見れば察することが出来た。
「いま戻りました」
「お疲れさん。あの三人は?」
「気を失ったままなので、両手両足を縛ってビルの空き室に閉じ込めておきました」
そそそろ本題に入ろうとしていたところで、丁度リーシャが戻って来た。
ビルの空き室に縛り上げた三人を放り込んできたと、報告する。
そんなやり取りをしていると、
「先程はありがとうございました。これ、よかったら皆さんで食べてください」
「気にするな。むしろ、こっちの方が迷惑を掛けてしまったようだしな」
厨房の奥から料理を持って現れたポートレットに御礼を言われ、リィンは気にしていない態度を見せる。
実際、あの三人を逃がしたのはルバーチェ商会の不手際だ。
そのことを考えれば、むしろ迷惑を掛けたのは自分たちの方だと考えていた。
それに――
「おじさん、ママをたすけてくれてありがとう!」
「おじ……まあ、いいか」
この店を集合場所に選んだのはリィンだ。
ポートレットのことはゼノから聞いて知っていたが、こんなに幼い子供がいるとは想像していなかっただけに、今更ながら別の場所にすればよかったと後悔していた。
「リィン、ちょっといい? さっきの三人のことで話しておきたいことがあるんだけど」
そんななか、ふと何かを思いだしたかのように話を切り出すフィー。
ユーリたち、三人組が話していた内容が頭を過ったからだ。
あの三人がルバーチェ商会の手を逃れ、クロスベルから逃げて来たことは分かっている。
しかし、三人はその件とは別に〈ディザイア〉の話題を口にだしていた。
そのことをフィーはリィンに説明する。
「あの三人、ディザニアに追われていたみたい」
「ディザイア?」
「ん……最近、首都で目立った活動をしている半グレの集団。実はその連中――」
「以前、煌都で騒ぎを起こした連中のなかに〈ディザイア〉の構成員が含まれていたのよ」
「ほう……」
フィーとアシェンの話を聞き、目を細めるリィン。
まさか、こんなところで煌都の事件が繋がるとは思ってもいなかったからだ。
とはいえ、煌都の事件に関与しているからと言って、今回の一件に深く関わっているとは限らない。
半グレなど本物のマフィアや猟兵と比べれば、ただ粋がっているだけの若者たちだ。
普通に考えれば、ただ利用されただけと考える方が自然だろう。
しかし、
「その話、もう少し詳しく聞かせてもらえるか?」
確信がある訳ではないが、猟兵としての勘が何かあると告げていた。
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