リィンやフィーたちが各々の役割を果たすべく行動を開始している頃、首都郊外で軍との睨み合いが続いているデアフリンガーでも大きな動きがあった。
ハーキュリーズを主軸とする軍の特殊部隊が、遂にデアフリンガーの制圧に動いたのだ。
彼等の目的は〈暁の旅団〉の無力化と、クロスベル及び帝国の重要人物、アルフィン・ライゼ・アルノール、エリィ・マクダエル。そして〈エイオス〉の代表アリサ・ラインフォルト、三名の身柄の確保だ。
クロスベルへの侵攻を前に重要人物の身柄確保に動いたのだろう。
しかし、
「静か過ぎる。一体……」
デアフリンガー号に突入した特殊部隊は、想像していたのと様子が違う車両内に戸惑っていた。
人の気配がまったくと言っていいほどしないからだ。
しかし、デアフリンガー号の監視は二十四時間体制で続けられていたはずだ。
鼠一匹逃げられるような状況ではなかった。だと言うのに――
「ダメです、隊長! どこにもターゲットの姿はありません」
車両内に人の姿は確認できなかった。
まるで最初から誰も乗っていなかったかのように姿が見当たらない。
しかし、ここ数日。確かにデアフリンガー号と通信を行い、投降を呼び掛ける交渉が行われていたのだ。
自分たちは一体だれと交渉を行っていたのだと、特殊部隊の隊長は訝しむ。
そんな時だった。
「先頭車両に不審な痕跡を発見しました。導力端末だけが起動していて通信を行った痕跡があります」
「……なに?」
部下の報告に急いで先頭車両へ向かう隊長。
そして、案内された場所で起動された状態で放置された導力端末を発見する。
通信履歴を確認すると、共和国軍と通信を行っていた様子が記録されていた。
しかし、
「この埃……端末が誰かに使用された形跡はない? まさか、遠隔操作で……」
端末は起動しているのに、使用された形跡がないことから遠隔操作を疑う隊長。
だとすれば、最初からデアフリンガー号には誰も乗っていなかったと言うことになる。
いつからだと考える隊長。その時だった。
「『頭上に注意』だと?」
端末の映像に変化が起き、メッセージが現れたのは――
「これは罠だ! すぐに退避――」
が、命令を出し切る前に爆音と共に車両が大きく前後に揺れ、視界が紅蓮の炎に包まれるのだった。
◆
現場は混乱していた。
突然、特殊部隊からの連絡が途切れ、デアフリンガー号が爆発したからだ。
上空から何かが飛来したようにも見えたが、逆光ではっきりと確認することは出来なかった。
「一体なにが起きた! どうしてデアフリンガー号が爆発した!?」
現場指揮を任された指揮官の怒声が響く中、なにかに気付いた兵士たちの動きが止まる。
黒い煙が立ち上る先。
空を見上げると、そこには赤く染まる夕焼けを背にした黒い影の姿があった。
遠くからでも、はっきりと輪郭をできるほどの巨大な影。
一人の兵士がその正体に気付いた様子で震えだし、大声で叫ぶ。
「き、騎神だ!」
その兵士は以前、クロスベル侵攻作戦に参加していた経験のある兵士だった。
だからこそ、戦場で騎神の姿を目にしたことがあったのだろう。
多くの兵器と仲間を失った――あの悪夢のような光景を忘れるはずがなかった。
「赤い死神が現れたぞ!」
――緋の騎神。
それは共和国の軍人にとって、まさに死と恐怖をもたらす死神のような存在だ。
軍人が慌てふためき武器を捨てて我先にと逃げ出す姿は情けないが、それだけ強い恐怖が彼等の心に刻み込まれているのだろう。
だが、このままではいけないと指揮官は檄を飛ばす。
「逃げるな! 我々が戦わねば、誰が街を守るんだ!」
指揮官の声に恐怖を押し殺し、その場に踏み止まる者。
無理だと諦め、敵前逃亡を覚悟の上で逃げる者。
前線は嘗て無いほど混乱していた。
しかし、そんな彼等の準備が整うのを待ってくれるほど、目の前の敵は甘くなかった。
無数の武器が〈緋の騎神〉の周囲に召喚され、前線を守る共和国軍に向かって射出される。
まさに〈千の武器を持つ魔人〉の異名に相応しい攻撃。機甲兵が装備するような剣や槍と言った巨大な武器が雨のように降り注ぐ光景は、二年前の悪夢を呼び起こすようであった。
◆
同じ頃、クロスベルのオルキスタワーには、共和国軍が必死に身柄を確保しようと動いていた三人とミュゼの姿があった。
「無事だとは思っていましたが、驚かされました。誰の発案なのですか?」
そう言って、再会を果たした三人に訊ねるミュゼ。
アルフィンたちの無事は確信していた。そもそも騎神があれば、もしもの時も共和国軍に後れを取るとは思えなかったからだ。
ただ、共和国軍の包囲網を掻い潜って脱出するのは、シャーリィやフィー。それにクロウたちがいるとはいえ、難しい作戦になるはずだと考えていたのだろう。
しかし、そんなミュゼの心配を余所にアルフィンたちは全員無事にクロスベルへと帰還した。
それもそのはずで、最初からデアフリンガー号には誰も乗っていなかったからだ。
いや、煌都を脱出するまでは全員デアフリンガー号に乗車していた。
しかし、実際に首都郊外で軍が睨み合いを行っていたデアフリンガー号はもぬけの殻だったと言う訳だ。
「アリサよ。というか、最初から脱出計画を立てていたみたいね……」
ミュゼの疑問に、そう答えるエリィ。
その様子からも察せられるように、彼女もアリサから脱出計画の内容を伝えられるまでは知らなかったのだろう。
「念のためのつもりだったけど、上手くいってよかったわ。リィンたちは心配要らないけど、私たちが足を引っ張る訳にもいかないでしょ?」
だから事前に共和国を脱出するための計画を立てていたのだとアリサは話す。
デアフリンガー号に軍の目が向いている隙に〈蒼の騎神〉の〈精霊の道〉を使ってクロスベルに戻ってきたのだと説明する。
しかし、そんなアリサの説明にミュゼは疑問を持つ。
「そこまで事前に計画を立てて〈精霊の道〉を使ったのに五日も帰還に時間を費やしたのですか?」
クロウを護衛として同行させた理由は話を聞けば納得が行く。
しかし、それならもっと早くクロスベルへ帰還することが出来たはずだ。
ミュゼでさえ、エマの転位を使って凡そ一日でクロスベルへ帰還できたことを考えると、五日もかかったというのは腑に落ちなかったのだろう。
「それは――」
「一度、リベールに立ち寄って頂けないかと、こちらが無理を言ったのです」
そんなミュゼの疑問に答えたのはアリサではなく、別の人物だった。
コツコツと足音を響かせながら、ミュゼの前に姿を現すショートヘアの女性。
気品溢れる佇まい。それでいて芯の強さを感じさせる眼差し。
白を基調としたドレスの上から紫のマントを羽織るその人物にミュゼは見覚えがあった。
「王太女殿下……なるほど、そういうことですか」
クローディア・フォン・アウスレーゼ。リベール王国の王太女だった。
ここに彼女がいる事情を察し、アリサたちの帰還が遅れた理由をミュゼは察する。
「よろしいのですか? リベールは共和国と対立する道を選ぶことになりますよ」
「覚悟の上です。クロスベルと同盟を結んだ時点で、このような事態になることは想定の上でしたから」
これまで中立を貫いてきたリベールが、クロスベルと共に戦う道を選んだと言うことだ。
しかしクローディアが言うように、クロスベルと同盟を結ぶと決めた時から覚悟していたことでもあった。
リベールもまたクロスベルと同様に帝国と共和国の間で綱渡りのような政治を強要され、厳しい立場を強いられてきた国の一つだからだ。
実際のところ、そうした国や自治州はクロスベルやリベールに限らず幾つも存在する。
それらの国のためにも、立ち上がるのは今しかないと考えたのだろう。
「リベールは確かにこれまで中立を保ってきました。百日戦役で受けた傷は深く、国力の回復に力を注ぎたかったというのが理由の一つにありますが、同じような戦争を二度と起こしたくないと考えていたからです。ですが――」
悲劇は繰り返されてしまった。
帝国の内戦を発端とした争いから共和国のクロスベル侵攻。更には北方戦役と問題は発展し、一歩間違えれば帝国と共和国の全面戦争すらありえる状況にまで事態は深刻化した。
どれも一つでも判断を誤れば、大陸全土を巻き込んだ戦争へと発展していておかしくないような状況だった。
そうなれば、どれだけ中立を謳おうとリベールも戦火を免れることは出来ない。
否が応でも決断を迫られる時がやってくる。
だから、いま動く決断をしたのだとクローディアは話す。
「その証としてカシウス中将に前線の指揮をお願いし、既に一万の兵力をリベールと共和国の国境沿いに展開しています。共和国軍の注意を引き、しばらくの間、時間を稼ぐくらいのことは出来るでしょう」
リベールの本気を感じ取ったミュゼは、クローディアがどれほどの覚悟でここへやって来たのかを察する。
「なら、私も立場を明らかにするべきですね」
その上で、ミュゼは――
「公爵家――いえ、ヴァイスラント公国は同盟への参加を表明します」
エレボニア帝国から独立した新たな国。
ヴァイスラント公国の同盟参加を表明するのだった。
◆
「帝国からの独立ですか。それを帝国政府は了承したのですか?」
「正式な発表はまだですが、了承せざるを得なかったというのが実際のところですね」
アルフィンの疑問に、そう言って肩をすくめながら答えるミュゼ。
実のところ、ずっとこのために彼女は動いていた。
オーレリアをリィンから借り受けたのも、独立国としてやっていくために軍の再編が急務であったからだ。
ギリアス・オズボーンの行ってきた領土拡大政策によって帝国は肥大化しすぎた。
先のような内戦が起きたのも貴族を抑えられるだけの求心力が、いまの皇家にないからだ。
現状のままいけば、いずれ同じことを繰り返して今度こそ帝国は滅亡する。
そうなる前に相応の規模に政治体制を縮小し、国を改革する必要があった。
既にラマール州だけでなく抑圧されてきた各地で独立の機運が高まっている。
そして、それを止められるだけの力が今の帝国にはない。だから――
「大きな火種となる前に公爵家の独立を認めて、融和路線に舵を切るのが目的ですか。争いを好まないお兄様らしいやり方ですね。ですが、それは……」
「問題の先送りに過ぎない。帝国に対する不信感や、積み重なった恨みは簡単に消せるものではありませんから。だからヴァイスラント公国に、そうした人々の怒りや不満を抑える役目を期待されたのだと思います」
ミュゼの話を聞き、帝国政府がカイエン公爵家の独立を認めた理由をアルフィンは察する。
そして、帝国の現状は理解していたつもりでも、そこまで追い込まれていたことに驚く気持ちと心配や不安と言った感情がアルフィンのなかで入り乱れていた。
既に皇位継承権を放棄した身とはいえ、アルフィンにとって帝国が生まれ育った故郷であることに変わりは無いからだ。
その上、両親と兄は皇家の責任を果たすべく、いまも奔走していると聞けば心配になるのも当然であった。
とはいえ、いまの自分には家族の無事を祈るくらいのことしか出来ないということも理解していた。
それが、アルフィンの選んだ道だからだ。
「気持ちは分かるけど、いまは目の前の問題に集中しましょう」
「そうね。リィンたちは心配要らないと思うけど、共和国軍をこのままにはしておけないわ」
そんなアルフィンの気持ちを察した上で、アリサとエリィは話を切り替える。
演習などと称しているが、共和国軍の侵攻は時間の問題だ。
既に警備隊が動いているとはいえ、彼等だけで共和国の侵攻を止められると思ってはいなかった。
だから早急に対策を講じる必要があった。
「共和国との国境には既にクロウが向かってくれているわ。騎神なら共和国の軍隊とも十分に渡り合えるから。だけど――」
数で押しきられると、騎神一体では戦場をカバーしきれないとアリサは話す。
だから〈暁の旅団〉の協力が必要だった。
「結局、今回も彼等に頼るしかないと言うことね……」
そのために〈暁の旅団〉と契約しているとはいえ、その所為で祖父が苦労していることをエリィは知っていた。
暁の旅団に任せればいい。警備隊など不要だという議員まで出て来ているからだ。
猟兵を金さえ払えば言うことを聞く連中だと下に見ている政治家がいることも問題だが、これまで大国の機嫌を損ねないように顔色を窺ってきた議員が多く、独立を果たした今でも強者に依存する体質は変わりが無いからだ。
そのため、このまま〈暁の旅団〉に依存することが、クロスベルにとって本当に良いことなのかとエリィはずっと思い悩んでいた。
「リベールも他所のことは言えません。平和を望む声は多いですが、逆を言えば事なかれ主義とも取れますから……」
どこでも同じような問題を抱えていると、クローディアは話す。
誰だって自分の身が可愛いことに変わりは無いからだ。
しかし、だからこそ――
「私たちは現実から目を背けてはダメなのだと思います」
そうでなければ、守りたいものも守れない。
恐れずに現実と向き合う覚悟と力が必要だと、クローディアは考えていた。
「リベールの至宝。噂には聞いていましたが、ウジウジと悩んでばかりのうちの娘とは大違いね」
「この声は、まさか……」
懐かしい声にエリィが振り向くと、会議室の入り口には二人の人物が立っていた。
一人はエリィの祖父、ヘンリー・マクダエルだ。
そして、もう一人は――
「お母さん!?」
ディアナ・マクダエル。エリィの母親であった。
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