商店街から少し外れたところにある住宅街の一角に、それ(・・)はあった。
 そびえ立つ城のような建物。しかし誰一人として、この非現実的な光景に違和感を抱いている様子はない。
 まるで普通の人には見えていないかのような幻の城。
 そこから分かることは――

「煌魔城みたいだな」

 現実の城ではないと言うことだった。
 恐らくは、まだ完全に現界していないのだとリィンは察する。
 その証拠に城の輪郭はぼやけ、青白い光を放っていた。

「よく先走らずに我慢したな」
「入ろうと思ったんだけど、弾かれて中に入れないんだよね。ほら」

 シズナが手を触れると結界のようなものに阻まれ、それより先に進めないことが分かる。
 しかし一人で突入しなかった理由が、結界があったからと知ったリィンは微妙な表情を見せる。

「リィンなら、どうにか出来るかなと思って」
「お前な……。その感じだと、もう自分では試してそうだな」
「うん。斬ろうとしてみたけど、ダメだった」

 シズナの刀は、普通の刀ではない。妖刀と呼ばれる類のものだ。
 そのため、霊的な存在を斬ることも出来るし、ちょっとした結界程度なら斬り裂けるはずだ。
 それが出来なかったと言うことは――

「空間障壁の類か。厄介だな」

 以前、〈七の至宝(セプト=テリオン)〉の一つ〈輝く環(オーリ・オール)〉が見せた空間を遮断する結界と同じ仕組みのものだとリィンは察する。
 ありとあらゆる物理的な干渉を遮断する無敵の結界だ。
 輝く環(オーリ・オール)の力を使った神機(アイオーン)がこの光の障壁で、シャーリィの〈緋の騎神〉やレンの〈アルター・エゴ〉の攻撃を完全に防ぎきったことがある。それほどの強度を持つ結界と言うことだ。
 力任せに突破できるような代物ではない。

「リィンさん、もしかすると〈魔女〉よりも強力なグリムグリードの仕業かもしれません……」
「余り詳しくないんだが、グリムグリードの階級には何があるんだ?」
「〈神話級〉以外だと〈魔女〉の他に〈天使〉や〈幻獣〉が確認されていますが、厳密にどれが上と言う話ではありません。比較的〈魔女〉がグリムグリードの規模としては被害が小さいと言うだけの話で……」

 厳密には〈神話級〉以外に大きな差はないとアスカは説明する。
 ただし、そのなかでも力の差は明確に存在する。
 現実世界に与える被害の規模で〈ネメシス〉は脅威度を測定しているのだと――

「グリムグリードの脅威度はS以上。〈魔女〉はほとんどが、このSに分類されます。ですが、これほど強力な光の障壁を展開できるということは……〈天使〉の可能性が高いかと」

 高位のグリムグリードである可能性が高いと、リィンの質問にアスカは答える。
 脅威度で言えば、SSランク以上の脅威だ。放って置けば、街がなくなる規模の災厄だった。
 そのため、放置は出来ないが――

「どうすれば……」

 シズナの刀で傷一つ付かない結界となると、いまの自分の力では難しいとアスカは考える。
 奥の手(・・・)を使えば打開する手はないこともないが、それは本当にどうしようもない時まで取っておきたかった。
 アスカとシズナの何かを期待するような視線を感じ取り、やれやれとリィンは溜め息を吐く。

「お前等、俺を便利屋か何かと勘違いしてないか?」
「でも、リィンなら出来るよね?」

 シズナの言うように出来る出来ないで言えば、()はある。
 しかし、便利屋扱いされるのは嫌なのだろう。とはいえ、他に手がないのも事実だ。

「仕方ない。ついでに、こいつ(・・・)の性能を試しておくか」

 ユグドラシルを起動し、空間倉庫(インベトリ)から禍々しい剣を取り出すリィン。
 剣から漂う異様な雰囲気に、思わずアスカは息を呑む。

「リィンさん、それは……」
「聖魔剣アペイロン。ちょっとした戦利品(・・・)だ」

 アルマータのボス、ジェラール・ダンテスが使っていた剣だ。
 騎神と同様、本来は正式な契約者にしか使えないはずの剣だが――

「リィン。それ、使えるの?」
「ああ、ジェラールを殺したからか知らないが、いまの契約者は俺になっているらしい」

 本来はカルバードの旧王家の血を引く者にしか扱えないとされている剣だが、どう言う訳かリィンは聖魔剣(アペイロン)の新たな契約者に選ばれていた。
 王家の血を継いでいると言う訳ではない。それだけに理由は分からないが、剣を使えることは確かだ。
 そして、敵の剣だろうと使えるものは使うのが猟兵(リィン)の流儀だった。

「お前の力を見せてみろ――聖魔剣(アペイロン)

 剣に闘気を纏わせ、一気に振り下ろすリィン。
 その直後、ガラスが割れるような音と共に、空間に亀裂が走るのだった。


  ◆


「ここは……」
「ワカバ! よかった。目が覚めたのね」

 ワカバの目が覚めたことに喜びの声を上げ、安堵するレイカ。
 ただ眠っているだけだと分かっていても、やはり心配だったのだろう。
 自分の不用意な行動で、ワカバを巻き込んでしまったことを心の底から後悔していたからだ。

「レイカ先輩? あの、一体なにが……」
 
 状況が分からず周囲を見渡しながら、レイカに尋ねるワカバ。
 目覚めたばかりで、頭が上手く働いていないのだろう。
 記憶が定かでは無い様子のワカバに、レイカは質問を返す。

「覚えていない? ガラの悪い連中に絡まれていたところ、助けてもらったこと」
「あ……」

 レイカに言われて、少しずつ記憶が蘇ってくる。
 顔を青ざめるワカバの肩を抱き、そっと引き寄せるレイカ。

「大丈夫?」
「はい……少し落ち着きました。あの……それじゃあ、ここは……」
「ああ、うん……あの後、ワカバが倒れて、人目を避けるために運んで貰ったんだけど……」

 答えにくそうにするレイカを見て、恩人の家なのだとワカバは察する。
 頭に過るのは亜麻色の髪をした青い瞳の少女と、黒いジャケットを羽織った灰色の髪の男。
 猛々しい気配を纏いながらも優しい目をした不思議な人。
 それが、ワカバがリィンに抱いた印象だった。しかし、

「こ、ここ、男の人の家なんですか!?」

 男に免疫のないワカバはパニックになって、あたふたと慌てふためく。
 顔を真っ赤にして取り乱すワカバを見て、やっぱりこうなったかと溜め息を漏らすレイカ。
 アイドルをしている割には、男に対して免疫のないワカバのことをよく分かっているからだ。
 気を失ったのも大勢の見知らぬ男たちに囲まれて、ストレスと恐怖が限界に達したからなのだろう。
 逆に言えば、そう言う初々しい慣れていないところがファンに受けていたりもするのだが――

「安心して。いまはいないから」
「いない? あの……それは、どういう……」
「リオンのことを話したの。そしたら、ここで待ってろって」

 何か考えがあって、リオンを捜しに行ってくれたのだとレイカは考えていた。
 出会ったばかり相手を、ここまで信用する自分もどうかとは思う。
 しかし、不思議とリィンなら任せられそうな――そんな予感がレイカにはあった。

「こんな話をしても、信じられないわよね」
「いえ、信じます。レイカ先輩が、その人のことを信頼しているのは、目を見れば分かりますから」

 助けて貰ったとはいえ、会ったばかりの人を信頼することはワカバには出来ない。
 男の人が怖いと言うのも正直なところだ。でも、レイカのことは信頼できる。
 レイカが信じて託したのであれば、自分も信じられると言うのがワカバの考えだった。

「う……また恥ずかしいことを……あと、違うからね? 別に私は……」
「先輩?」
「ああ、もう! それよりもお腹空いてない?」
「そう言えば、少し……」
「なら、私が作ってあげるわ。この時間だと、どこの店も開いてないだろうし」

 時計の針は深夜の零時を指していた。
 店が開いていないというのもあるが、いまからホテルへ帰るのも危険だ。
 また同じようなことがないとも限らないと、レイカは考えたのだろう。
 それにリィンは「待っていろ」と言った。
 なら、ここで大人しくリィンの帰りを待つことが、いま出来る最善のはずだとレイカは考える。

「レイカ先輩、料理が出来たんですか? というか、勝手にキッチンを使っていいのかな?」

 ワカバは不安を覚えながらも、レイカの後を追い掛けるのだった。
 

  ◆


「上手く行ったみたいだな」

 結界が消失したのを確認して、なかなか使えるじゃないかと満足そうな表情を見せるリィン。
 聖魔剣の性能に満足したのだろう。

「どうした? 浮かない顔をして」

 アスカの視線に気付き、尋ねるリィン。
 どこか戸惑っているようにも見えることから、何か聞きたいことがあるのではないかと思ったのだ。

「リィンさんが規格外なのは分かっていますから、このくらいで驚いたりはしませんけど……さっきの殺して(・・・)奪ったと言う話は……」

 どういうことなのかと尋ねるアスカ。
 リィンのことは信用しているが、やはり気になったのだろう。

「そのままの意味だ。この剣の持ち主は俺が殺した」
「えっと……それは……」

 どう反応していいのか分からないと言った表情をするアスカを見て、そういうことかと何を疑っているのかをリィンは察する。

「別にどこかから盗んだとか、強盗をした訳じゃない。戦利品と言うだけだ」
「戦利品……ですか?」
「マフィアのボスを殺して奪ったんだよね」

 間違ってはいないが、シズナの説明も相当にアバウトだった。
 だが、リィンが傭兵だと言う話を思い出し、大凡の事情を理解するアスカ。
 恐らくは傭兵の仕事で対峙した敵から奪ったものなのだろうと――
 裏の世界では、よくある話だからだ。

「前から少し思っていたんだが、人を殺した経験は?」
「……ありません」

 アスカの答えを聞き、だろうなとリィンは頷く。
 とはいえ、アスカがおかしいとは思っていなかった。
 命を奪うことに慣れている自分やシズナの方が異常だと分かっているからだ。
 しかし、

「慣れろとは言わない。だが、心構えはしておけ」

 アスカは裏の人間だ。
 怪異と戦うことが専門とはいえ、今後そういう機会に遭遇しないとは言えない。
 いや、十中八九――そう言った覚悟を迫られる時が来るはずだとリィンは考えていた。

「……肝に銘じます」

 アスカも分かってはいるのだろう。自分に何が足りていないかを――
 リィンとシズナの戦いを見ていると、それを強く実感するからだ。
 命を奪うことに対する躊躇いのなさ。死線を見極め、踏み込む覚悟と勇気。
 その一歩の踏み込みの差が、自分と二人との間にある明確な壁なのだと。

「それじゃあ、行くか。約束(・・)したしな」

 確証はないがレイカが探している少女が、この先にいる予感がリィンにあった。
 これほどの現象を引き起こすグリムグリードが、何体も同時に発生しているとは思えないからだ。
 それに――

「シズナ、気付いているか?」
「うん、遠くから見張られてるね」

 何者かに監視されていることに、リィンとシズナは気付いていた。
 遠巻きに見ているだけで近付いてくる気配はない。
 だが、ただの偶然と考えるには出来すぎている。

「どうするの?」
「いまは放って置く。こっちが優先だ」
「了解。まあ、こっちの方が楽しめそうだしね」

 そう言って、異界のゲートに向かう二人を慌てて追いかけるアスカ。
 話にまったくついていけず――

「ああ、もう! 二人だけで納得してないで、ちゃんと説明してください!」

 説明を求めるのだった。



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