外伝2『太平洋戦争編』
五十九話『青年のび太』


――1948年の晩夏。反攻作戦が物資不足で中断を余儀なくされた扶桑皇国は、日本・中国・韓国に賠償を迫った。自分達に非があるのを自覚していた日中は良かったが、韓国は最も厄介だった。韓国は扶桑に対しても『反日』を適応する国民性だったのが災いし、扶桑は逆に責め立てられるという珍妙な状況に陥り、韓国軍がティターンズへの援助を公然と行っていることにも悪びれる様子は無く、逆に民族浄化を行っている始末だった。さすがの中国でさえ苦言を呈するほどの傍若無人ぶりであった。

「韓国ってのはアホしかいないのか?ウチは大日本帝国じゃねーんだぞ?」

基地の娯楽室で新聞を読みながら呆れる菅野。

「あの国は反日で自国への不満を逸らす国家なんですよ。そもそも初代大統領からして、日本に無知だった国ですよ」

と、補足する青年のび太。少年時代の面影はあるが、年相応に成長した姿である。25歳ほどだが、一児の父である。姿は大人になっているが、菅野たちへは少年時代同様に接している。

「お前、大人になったら理知的な発言増えたな」

「もう25ですし、これでも一人の子の親父ですから」

「その割にはタバコはやんねーのな?」

「親父がチェーン一歩手前だったんで、ぼくはタバコはやってませんよ。酒は飲みますけど」

のび太は父と違い、世代相応にタバコは吸わない。チェーンスモーカーだったのび助の背中を見て育ったため、のび太は酒は好むが、タバコはやらない青年に育った。これは時代がのび助の頃と違い、のび太の青年期には、喫煙者には『生きにくい』世の中になってきてるためでもある。

「ふーん。この時代の欧州とかじゃ、『タバコは大人の入り口』って風潮だけど、21世紀だと違うんだな」

「ぼくが大学に入る頃から、タバコの有害性が宣伝されるようになりまして。2000年代の後半くらいからかな?酒は弱いんで、節制はしてるんですけど、ベロンベロンに酔っぱらったのを、この間、子供の時のぼく自身に見られちゃって」

「タイムパラドックスじゃねぇの?」

「でも、久しぶりに子供の時の自分と話して、ふと振り返りましたよ、昔を。ドラえもんがいた頃を、ね」

「大人になるってのは大変なんだな」

「親父やお袋のスネをかじっているわけにもいかなくなりますし、世帯持つと、それなりの見栄も必要ですからね」

「都内のマンション暮らしなんだろ?家賃高いんじゃ」

「ぼくと親父の稼ぎで充分払えますし、連邦政府からの協力費もかなり出ますから、それなりに贅沢は出来ますよ。車持ってますし」

「お前も意外に大変なんだな」

「まぁ、世帯持つってのは大変なんですよ。付き合いも多いし。仕事柄、自由に動けるのが救いですかね。せがれが大きくなったら大変なんだけど」

「お前のせがれが?」

「親父の名を継がせたんですが、しずかちゃんに似てわんぱくに育ってねぇ。頭はもちろん、ぼくよりですけど」

「あいつの運動神経とおてんばなところを持ったお前になるもんなー。今から同情しとくぜ」

「あいつの教育方針、どうしようかな」

「おだてて好きな事から勉強する癖を付けさせとけ。お前のお袋さん、わりぃけどよ、子育ては不器用だったしな」

「お袋は厳しかったですから。しずかちゃんにはそのところ言っときますよ」

「何でもいいから好きな事を極めさせれば自然に勉強するようになるさ、必要に迫られてな。俺もそうだったしな」

のび太はノビスケ、その息子(孫)、その更に孫のセワシと、11歳の自分と同年代に成長した姿で既に会っているため、教育方針に悩んでいた。菅野はのび太が11歳前後の時の玉子と対面した際に、その教育方針を諌めた事がある。それはのび太がちょうど誕生日を迎えた時の事。自身も厳格な両親を嫌った経験から、誕生日にもかかわらず、のび太を頭ごなしに叱り飛ばしたのび太の両親を諌めた。ショックのあまり、家を飛び出した当時ののび太の心情を菅野は理解していた。両親よりも。菅野は『今日はあいつの誕生日なんですよ?それをいきなり……』と切り出し、いくら夏休みの宿題をしなかったとは言え、誕生日に叱り飛ばすのはどうかとの趣旨の言葉をかけた。自分の経験も交えて。二人は今更ながら、息子の誕生日を最悪の形にしてしまった事に罪悪感を感じ、探しに行った。それと入れ違いに、ドラえもんに連れられ、泣きながら戻ってきたのび太と一緒に、のび太が生まれた『1988年の8月7日』に赴いた。

「お前が生まれた日に行った時の事覚えてるか?」

「ええ。お袋に『「あんたみたいな子はうちの子じゃない!』とか言われた時はショックでしたよ。あとで二人が謝ってましたけど、落ち込みましたよ。あの時は親父もお袋も、息子の誕生日を忘れてたのか?って、あの時は思いましたよ」

「お袋さんはあれだ。あの時は口がきつかったからな。お前のばーさんが死んだ後の重圧を感じていたのはわかるけどな……」

「ぼくが生まれた病院も無くなった上、ぼくはお世辞にも、お袋と親父が期待した『出来が良い子供』じゃなかった。僕のことを心配してたのはあとで分かったけど、子供心には重かったですよ」

「お袋は若い頃、ヒステリックな面もありましたからね。ぼくがおばあちゃんに懐いてた事を妬んでた臭いし。おばあちゃんが早くに死んじゃったのが不味かったんだろうな。だから、ドラえもんが帰る前、ドラえもんに言ってました。『ドラちゃんがいてくれて、本当に良かった』って」

「あいつがおばあちゃんの担ってた役目を引き継いだおかげで、お袋さんは落ち着いたからな。重圧がすごかったんだろう」

「おばあちゃんはウチの潤滑油でしたから。親父の子供の頃から、厳格なおじいちゃんとのバランスが取れてたし、親父とお袋を気遣ってくれていた。だから、おばあちゃんに会いに行ってたんです。大学落ちた時とか、高校受験の重圧にやられそうになった時に」

のび太の心の拠り所はドラえもん、しずか、それと亡くなった祖母である面がある。のび太は小学校から高校まで、玉子が厳格に育てた反動で、幼稚園の時に亡くなった父方の祖母に安らぎを求めていた。ドラえもんの力により、小学校時代に会いに行ったのがきっかけとなり、小学校から大学までの期間、ちょくちょく生前の祖母に会いに行っていた。玉子は、ドラえもんが未来へ帰る時に、『それ』をのび太とドラえもんから告白され、罪悪感を見せた。のび太が大学を卒業した年の事だ。玉子はその際、『お義母さんが羨ましかった』と告白し、死後ものび太が慕う義母への複雑な思いを見せた。それ以後は憑き物が落ちたように穏やかになり、ノビスケへはいいおばあちゃんである事が確認されている。のび太はそんな玉子へ、成人後は愛憎入り混じった複雑な感情を持っているらしく、どこか自嘲気味だった。

「お前、お袋さんの事……」

「お袋の事は複雑なんですよ。大人になって、自分のせがれに優しくしてるの見てると、問いかけたくなるんですよ。どうしても。今更なんですけどね」

「わかるよ。俺も、エースになった後で親父の態度が変わったのを目の当たりにしたからな。親父に不信感持ったもんな、その時」

菅野は、厳格な親を持ったという共通の境遇にシンパシーを感じ、のび太には当初から優しく接していた。そのエピソードの際、菅野にしてはあり得ないほどに穏やかな口調で、のび太の両親を諌める行動に出たのも、のび太の心情をドラえもんと同じレベルで理解していたからだ。菅野も父親と母親の厳格ぶりに嫌気が差しており、今では兄弟姉妹にしか会っていない。意外な事だが、年の離れた二人の妹がいるので、菅野も姉らしい態度が取れるようになってきている。その事もあり、両親とは不仲であり、直枝は家に帰ることは殆どないので、事実上、菅野家の舵取りは長兄が仕切っている。なお、二人の妹にもウィッチの才能は無く、今世代のウィッチは『直枝』だけという状況なのには変わりはないため、実家との折り合いは改善していない。それがのび太に優しい理由の一つでもある。

「俺は末っ子から真ん中に移動してな。その事も不仲の理由だ。親父は手のひら返ししやがったし、お袋は親父に従順なだけだしな。明治生まれってのは堅物だからな」

菅野は昭和生まれなため、明治生まれの両親とは考えが違い、元々が軟派(ただし、当時の意味合いは20世紀後半と違っている)な文学少女だった名残りにより、自由人になりたい願望を持つ。黒江と義姉妹的な関係であるのは、『似た者同士』である故で、二人は野比家や宮藤家のような『温かい家庭』に思慕を抱いている。それが野比家を諌める行動に出る理由だった。

「お前の家が羨ましいよ。ちゃんと子供と向き合おうとしてるしな」

「綾香さんと同じこと言ってません?」

「ああ。似た者同士って奴だろうな。今じゃ義姉妹みたいなもんさ」

「義姉妹、か。昔の三国志みたいですね」

「お前なぁ。なんだその例え」

「だって、軍隊にいるんだし、女学生の文化とは雰囲気違うでしょう」

「そ、そりゃそうなんだが…」

微妙にずれた例えなため、しょげる菅野。しかし、そのノリがあったのも事実だ。ウィッチは軍隊にいながら、独特の文化があったので、近代軍隊とは微妙にズレがあり、ウィッチ隊が中央の統制を少なからず無視する要因でもあった。航空自衛隊や米軍、地球連邦空軍/宇宙軍などから『困る!』と文句が出ているのも、その文化に原因がある。特に最近に空戦ウィッチで問題なのが、『早期警戒管制機の統制を無視して、手前勝手に空戦して負けて来たり、邪魔だと言い、管制機を損傷させて帰させる』行為が多い事だ。無論、懲罰の対象なのだが、ウィッチの言うことを聞かせるにはウィッチでしか効果がないため、赤松や若松、レイブンズ、菅野と言った古参が『修正』した上で、不名誉除隊をちらつかせる方法を取っていた。ウィッチの立場が危うくなるのを危惧した竹井退役少将は、Y委員会でこの事を議題に挙げ、対応を協議した。岡田啓介や鈴木貫太郎と言った大物も同意し、わざわざ天皇陛下に勅を出してもらう事態となった。その勅の効果は絶大で、味方撃ちをしたウィッチは極刑もあり得る事が陛下直々のお言葉で公式化したか、それに恐怖し、該当者の依頼退役の数が増加した。(この時の依頼退役者が少なからず、後々の自衛隊の幹部級になるのである)


「菅野大尉、ガリアの空母が退役をするそうですよ。今日のネットニュースにデカデカと」

「ベアルンだろ?あんなポンコツがあったところで役にたたねーからな。ジョッフル級航空母艦でも作るのかよ?今更」

「ええ。なんでも、グラーフ・ツェッペリン級が鹵獲でカールスラントに来たから、その対抗ですって」

「ド・ゴールはアホか?艦載機がない空母なんぞ張り子の虎だぜ。第一、フランスがまともな空母部隊を持てたなんて、戦後だろ?今のガリアに何ができるってんだ。ガトー級にボカチンされるのが関の山だぜ」

「対抗意識じゃないですか?カールスラントがグラーフ・ツェッペリン級をバダンから鹵獲して持ってきたんで」

「おい、ちょっと待て。うちから買った空母に同じ名前付けてただろ」

「除籍されてるんで、問題なしとしたんでしょう。メッサーシュミットのT型くらいなら運用できますし」

カールスラントはなんと、天城型改装のグラーフ・ツェッペリンを沈没させた後、別世界で自前で作った同名艦を代わりに添えるウルトラCを行い、空母部隊を編成した。なので、カールスラントがグラーフ・ツェッペリン級を4隻有するという軍事的状況となった。それへの対抗上、4隻の正規空母が必要とされたが、当時のガリアには4隻を同時運用するだけの余力はなく、1941年当時の翔鶴型航空母艦と同等の大きさの空母を二隻で忍ぶ事になった。当時のガリアにはベアルン一隻のみであったが、陳腐化のため、その二隻が代替になった。しかし、問題は二隻ぽっちの空母では戦力になるか微妙だ。ローテーションを加味すると、実質的に稼働空母はこれまでどおりの一隻となるため、ド・ゴールが4隻を志向したのは当然だった。

「でもよ、ガリアが空母持ったところで、この戦争にゃ全然間に合わないだろ。あいつら、仕事いい加減だし」

「この戦争には間に合いませんわ。戦後を見据えた計画ですのよ、カンノ大尉」

「その声はペリーヌ。それとお付き!」

「あ、アメリー・プランシャールです!」

「ペリーヌ、紹介しとく。野比のび太。綾香さんの話によく出てきたガキが大きくなったのがこいつだ」

「お噂はかねがね。ペリーヌ・クロステルマン少佐ですわ」

「野比のび太です。本当なら、僕がもう14年は若い時に出会うべきでしたね、少佐」

「ハルトマン少佐から噂は耳に挟んでいましたわ。とてもユニークな方だそうですわね」

ペリーヌはこの時が本当にのび太との出会いだった。のび太が『もう14年〜』と言ったのは、子供時代に出会ってもおかしくなかったからだろう。

「あなたもお久しぶりですわね、カンノ大尉」

「今はテメーのほうが階級は上なんだ。呼び捨てでも構わんぞ」

「あなたを呼び捨てになど出来ませんわ。同じ501の仲間として」

「今はノーブルウィッチーズの隊長さんなんだろう?501の事を意識していいのか?」

「ノーブルウィッチーズと言っても、有名無実のようなモノですわ。それ以前に私はストライクウィッチーズの一員です」

ペリーヌは二代ノーブルウィッチーズが有名無実であるためか、『ストライクウィッチーズの隊員である』と自ら公言している。事実、ノーブルウィッチーズはその構成メンバーが散り散りになり、呼び戻せない者も多い。ペリーヌはロザリーからそのまま隊を引き継いだわけではなく、一から編成のし直しというほうが正しいだろう。『名誉職』的なものとペリーヌは解釈していることからも、501以外の統合戦闘航空団の存在意義の程がわかる。

「上層部が聞いたら泣くぞ?まぁ、501以外は政治的駆け引き要素多いから、今となっちゃ『実務上の存在意義がない』のはわかるけどな」

――A世界で実質的に、殆どの統合戦闘航空団がこの時期までに活動停止に追い込まれていた理由が、バダンの台頭によるウィッチの裏切りが大物級で発生した事による隊の情報流出と、統合軍編成に当たって、司令部直轄部隊を別扱いするのが邪魔だったからでもある。その事もあり、統合戦闘航空団の維持は儀礼的なモノに留まっており、501と508が編成上存続しているに過ぎず、それにノーブルウィッチーズが加わっただけだ。それ故、ペリーヌは立場を501隊員としたのだろう。

「いいんですのよ。上にノーブルウィッチーズを再建する気は殆どない。なら、その立場を利用するだけですわ」

「政治の世界ってか。あー、ヤダヤダ」

「それが政治というものですわ。政治家は自分の都合で主張すらコロコロ変える。本来なら、望ましくありません。だけど、理想を現実との折り合いをつけるのも、政治の世界ですわ」

「お前、政治家にでもなるのか?」

「この戦争が終わった暁には。その前に、私達がやり残した仕事を果たすだけですわ、大尉」

この戦争は戦車やMS、VF主体の電撃戦と、従来の塹壕戦が入り混じる様相であり、二つの世界大戦の埋め合わせが起こっている証明と言える。必然的に扶桑海事変の比ですらない死傷者は生じてるし、塹壕戦で地獄を見た者の多くは今後、戦闘ストレス反応を抱えて生きてゆく。ペリーヌはこのことを憂いているが故に動いている。当時、太平洋戦争に関わった国々の民衆の少なからずは、戦争を漠然とした不安や不満を解決する手段として歓迎しており、いたいけな若者の多くを男女問わずに送り込んだ。これは明確に職業軍人主体の軍隊となっている自衛隊、米軍、連邦軍、改革後の扶桑軍、亡命リベリオン軍と違い、徴兵制があった国々で見られた現象だった。もちろん、扶桑と亡命リベリオンにも、その風潮は存在した。これは対人戦への認識が『普仏戦争』の時代で止まっていた故で、その辺は史実の第一次世界大戦の欧州の民衆と同じだった。が、待っていたのは、二つの世界大戦を複合させた『地獄』であった。そのため、傷痍軍人の数も飛躍的に増大し、南洋島から扶桑本国への定期便の少なからずに傷痍軍人の姿が見られるのも常態だった。傷痍軍人記章による年金生活が約束されていたが、未来日本人の左派からは『一般国民をもっと補償しろ!』と文句を言われた事もあり、制度が揺らいでいる。扶桑は元々、武士道が生きていたために軍人を優遇する社会風土であったが、そこに日本の反軍的風土が持ち込まれた事による化学反応は強烈であり、地域ごとに温度差が生じていた。当然、地域に軍が密接に結びついていた軍港周辺や基地周辺では日本の左派の工作は頓挫するが、そうでない地域は軍部の駐屯を追い出したら、その次の日に猛空襲にあい、泣きを見た町は多かった。その失敗により、多くの地方都市が衰退し、関東地方に資本が集中し始めるきっかけとなってしまう。これが一連のニュースの一つだ。



「ん?扶桑本土で色々と事件あったみたいですよ。傷痍軍人標的の。多くは日本の過激派がやったことなんで、公安警察に逮捕されたみたいですけど、扶桑の一般人も便乗したみたいで」

「便乗ぉ?」

「ええ。多くは良心的兵役拒否をして迫害された者や、元から反軍的思想の持ち主だったとからしいですよ。それで波紋が広がってるとか」

「だろうな。人間同士の戦争なんて、俺だって、初めて話に聞いた時は嫌悪感持ったもんだ。極端に振れるもんだな、人間って。この場合はウチの国民か」

「ええ。要するに、日本人ってのは、どこの世界でも『大きな流れにレッツゴー』で、反軍にゴーだったり、自衛隊を作って、無防備でなくする取り組みに賛成したりと、矛盾だらけなんですよ。経済至上主義がバブル崩壊で頓挫すると、今度は政府の無策を叩いた。その民族性は扶桑にもあるようですね。」

「はぁ……呆れるぜ。なんで便乗したんだか」

「軍部に反感持ってた奴らが日本の左派のプロパガンダに乗っかったんでしょう。平和を叫ぶ割に、不時着したB29の搭乗員を凄惨なリンチで殺して、一人をナナハンで引きずり回したから、ドン引きされたそうです」

「当たり前だ。どこのならず者だよ。まぁ、向こうの成田闘争みたいなリンチでねぇだけマシか?」

菅野は、日本の左派の過激な行為に呆れて物が言えないようだ。

「その彼らはどうして、自分達の価値観を扶桑に押し付けるんですの?」

「自分達がこの時代のあらゆる日本人より高尚な人間だって錯覚してるんだよ、あいつらは。戦後の価値観でこの時代を見て、かってに見下す。そういう人間なんだよ」

「情けない話ですわね。お金で全てが買えると思ってるんですの?」

「それが元気だった頃の戦後日本だよ。景気が傾いて、初めてそれに気づいたが、もはや手がつけられない領域の経済低迷に入った。そう思うくらいの低迷期に入った時代だよな、お前が子供ん時は?のび太」

「ええ。僕の子供の頃はマシですよ、まだ。2008年からの時期のほうが深刻ですよ。少子高齢化社会ですから」

「なんですの、その少子高齢化社会とは」

「ジジイとババアが若者と壮年を合わせた数より多い社会になるって事だ。平和で、高度な医療で、老人が長生きするから、現役世代を圧迫するんだ。日本は長い平和と、人口が多い世代が老人になるのがコンボだからな」

少子高齢化社会は先進国の宿命であり、統合戦争と一年戦争まで解決しなかった問題である。子供の教育費も問題で、21世紀には『大学に行ってさえ、まともな就職先がない』ので、親は一流企業や一流大学に入れようとする。かと言って、温室育ちのエリートが23世紀にティターンズを生み出したという皮肉もある。そのため、23世紀では実戦部隊の人員が尊ばれ、事務方は受けが悪い。

「なにか、喜んでいいのか、悪いのか」

「数十年も平和してたら、みーんな戦争なんて忘れちまう。60年も経てば、当時の青年兵も死んじまう。そんな時代の活動家が、戦争の当事者、いや、当時の軍人の気持ちがわかるかつーの」

と、そこに自衛官がやってきた。黒江の同僚だ。

「お嬢ちゃんたち、ちょっといいか?軍隊がいる安心感なんてのは、軍隊が身近じゃないとわからんもんさ。俺達の世界ではそれはままあるしな」

その自衛官は黒江の同僚で、同階級の30代後半の男性だった。黒江が自衛隊で如何にスピード出世したのかがわかる。

「おっちゃんはたしか、綾香さんの自衛隊での……」

「同僚だ。もっとも、あいつのスピード出世ぶりは部内でも有名だが」

自衛隊での黒江の出世は有名で、20代の内に指揮幕僚課程の合格を達成し、早くも将補が見えている。

「奴が色々やらかしてくれるから俺らの期はハードル上がってなぁ…。旧軍人なことが分かってからは、周りのせっつきも収まったが、大変だったぞ。生え抜きが発破をかけられて、ヒーヒー言ってる」

と、半笑いだ。黒江が旧軍人とカミングアウトして以後は、生え抜き自衛官へのせっつきは収まった。月月火水木金金の教育を受けた世代の人間と、戦後世代とでは素のステータスでかなりの差がある。ましてや黄金聖闘士となった後の黒江は防大のシゴキにも余裕で耐えられるし、逆に従わせられるだけの力を持つ。黒江は史上初の防大の主となり、任官後も政権交代前は経歴が考慮され、実験隊やブルーインパルスの在籍経験すら持つ。が、2011からの一時期、時の政権に旧軍人の経歴を危険視され、左遷させられたが、2013年時点では実戦部隊の花形にいる。

「大変っすね」

「生え抜きにアレ以上の腕はおらんよ。特にイーグルをあそこまで扱って、しかもラプターに勝てるなんてのはな。演習の時、ラプター装備の米軍トップガンがみっともなく狼狽えてな。『ファァァ○ク!!イーグルがなんであそこまで食らいつけるんだ!?』とか、『ノォォォォ!マミー――!!』って叫んで、逃げ惑ってな。ステルスを裸眼で見つけて、前方射撃仕掛ける奴はあいつと、まっつぁんくらいだろうな」

ウィッチは『一人イージスシステム』とも言える索敵を自前でできる。ましてやその中でも最強クラスを自負する二人なら、例え、ステルスで鳴らすF-22であろうとも。日頃からアクティブステルス装備のVFと戦闘していたので、21世紀のパッシブステルス機など、丸見えである。その演習の際、黒江の部隊は米軍の高官直々に『アグレッサー部隊でも連れてきたのか、お前ら!!』と怒鳴り込まれ、司令官が『ふつーに当番の部隊ですよ、アグレッサー部隊でもなんでもない、普通のアラート部隊で…』と困惑したほどだ。これは黒江達が第二次大戦中のレシプロ戦闘機の操縦感覚をそのままジェットに持ち込み、レシプロ時代の周囲警戒をジェットになっても続けている故に生じた技量差である。この索敵方法は黒江と赤松などの扶桑出身者が広めたので、航空自衛隊はかつての絶頂期日本陸海軍航空隊のような『大空の王者』となり始め、それを危惧した米軍がステルス機を減産する理由付けにしてしまうのだった。つまりベトナム戦争から遠くなったが故、『機体にパイロットが乗せられる』状況が米軍に再び起こっていたのだ。ベトナム戦争経験者も湾岸戦争経験者も軍から離れ、空中戦のイロハを知らないパイロットが増加していたのだ。扶桑への派兵へ空軍と海軍が乗り気だった理由はそれだ。彼らは『同胞殺しになろうとも、貴重な実戦経験と戦訓を得られる』と乗り気だが、当時の穏健派大統領が前大統領の外征失敗を理由に、及び腰であったので、顧問団派遣に留まっていた。彼らの参陣が果たされるのは数年後を待つ事になる。

「この世界を上は『実戦研修所』と勘違いしてるんだよな。実際はそうでもないし、コア・ファイターとかバルキリーが来たら死ねるし」

「ああ、あれに会ったら、あんたらの飛行機じゃ対抗できねーしな」

「スピードが違いすぎるよ。こっちはアフターバーナーでマッハ2台だっつーのに、向こうは余裕で3を出して来るからな」

「お前らのバルキリー借りたいくらいの時もあるぜ。部隊の奴らが羨ましがってるよ」

「でも、空中機動はマッハ1だから、落とせないこたぁない。そうでなきゃ、コスモタイガーが普通に飛んでるわきゃねーだろ」

「むしろあれほすぃ。パルスレーザーでMSでも空母でも落とせるだろ」

「ありゃ宇宙戦艦用の艦載機だぜ、元は」

「いえ、元々は基地防空用の機体だったとか?」

「マジかよ!」

コスモタイガーは大気圏での運用には熟練を必要とする。元々、宇宙基地防空用の機体であったのが、ヤマトの運用が元で、艦載機に転用されたため、本来の想定外の戦場に多々駆り出されている。設計陣曰く、『局地戦闘機として作ったのに、なんで艦載機同士の決戦の主力にされるんだ?』とフェーベ航空決戦の際に困惑している言を残しており、新コスモタイガーに繋がる。艦載機に設計を最適化したモデルなので、初代モデルより格段に高機動性を持つ。このモデルは極東管区の航空隊が独占使用しており、意外と連邦空軍の各管区では出回っていない。実は雷撃機をベースに、戦闘機に再設計したら、元々の単座型を圧倒的に上回る高性能になったという噂もある。この辺はF-4やF/A-18と似た経緯と言え、元々が艦載機なため、戦闘機への再設計は容易で、そこに新型エンジンと武装やアビオニクスを乗っけたら『化けた』機体と言える。(設計陣曰く『F-15E→F-15SAだ!』との事だが)

「それで、今のモデルは極東管区、つまり貴方方自衛隊の子孫達が意見を出して造らせた最終型で、性能レベルは当代屈指と聞き及んでいますわ」

「そうか……。俺達の子孫もいいことするな」

(そいや、極東管区、フェーベ航空決戦の生き残りが多いから、ドッグファイターが多いんだよな。古代さんも山本さんも、加藤さんも、みーんなドッグファイターだし、あの管区は人外の巣窟だよなー)

菅野が独白する地球連邦極東管区の宇宙軍航空隊の人外ぶり。フェーベ航空決戦を生き延びたり、イスカンダル遠征で鍛えられた精鋭がゴマンといるため、本土防空航空隊の中でも突出した腕前を持つ。その管轄の第7艦隊は現時点の地球連邦軍最強の艦隊であり、ロンド・ベルも間接的に配下であるので、実質、日本に宇宙有数の武力があるということになる。アケーリアス超文明の正統後継者の証として、近隣諸国が恐れる波動砲。それを有する艦隊こそが地球連邦軍最強の艦隊である。その証である宇宙戦艦ヤマト。その存在はまだ自衛隊には知られていない。地球圏を守護する連合艦隊の編成は大まかに、太陽系連合艦隊司令部と、実行部門に当たる各艦隊で、第七艦隊は実質的な実戦部隊に当たる。実戦経験も豊富で、デザリウム戦役当時の宇宙のパルチザンを同艦隊が担っている。ヤマトはその管轄下であり、まほろば以下の姉妹艦たちも皆、第七艦隊に属するので、実質的に連合艦隊の最強艦隊であった……。



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