「姫様ー!」
「優唯様ー!」


どこからか聞こえてきた声。
仁詭たちが振り返ると、十人近くの人影が近づいてきている。
その人影を見ると、優唯はバツの悪そうな表情を浮かべた。


「優唯、あの人たちと知り合い?」
「う、うん……まぁ……」


あまり出会いたくなかった様子。
だが、そんな優唯の心情など露知らず、その人影の群れはこちらへと近づいてきた。

目の前に立ったのは、一人の女性。
そしてその後ろには、十人ほどの兵士が立っていた。


「優唯様、お探ししましたぞ!いったい今まで何処に……」
「あぅ……」


どうやら、この場を逃れたい様子の優唯。
助けてほしそうな視線を仁詭と希望に向けてくるが、二人は知らないふり……


「おや?優唯様、その者は?」


仁詭の存在に気付いた女性が、優唯に問いかける。
話題の中心が変わったことで、優唯はほっとした表情を浮かべていた。


「聞いて聞いて!この人、あの“天の御遣い”なの!」
「……何ですと?」


首をかしげる女性。
それもそうだろう。
聞いた限りでは、文献の中にしか存在しない名前である。
その文献を読まない限り、知るはずもない。


「優唯様、私の話を誤魔化そうと言うのであれば、御父君にご報告せざるを得ませんが……?」
「本当だって!ほら、この着物見てよ!」


仁詭の腕を引っ張り、その女性の前へと立たせる。
まじまじと何もかもを見透かされるように見られ、若干ながらも気分を害した。
……というより、恥ずかしくなった。

別に太っているわけでもない。
とは言え、自分の体をまじまじ見られて、気を良くするような人間でもない。
自然と仁詭は、その女性の顔を見ないように、顔を逸らしていた。


「……優唯様、あなたがそう仰ったのですか?」
「そうよ?だってこんな着物、玲那(れな)さんは見たことあるの?」
「いえ……ですが、だからと言って決めつけるのはいかがなものかと……」


玲那、と呼ばれたその女性は、なかなかに美しい人だった。
赤くて長い髪を先端のほうで束ね、戦でもなさそうなのに武装している。
白と青で統一されたその鎧には、どこか神々しさを感じた。


「優唯、ちょっといい──」
「貴様!優唯様の真名を口にするとは、何事か!」


仁詭が優唯を呼ぶと、ものすごい剣幕で声を荒げた。
腰の刀に手をかけ、今にも引き抜きそうになっている。


「玲那さん、私が許したんだから、怒らないでよ」
「優唯様……そう易々と、真名をお許しになられるなど……」


不満そうな表情で、玲那はこちらを睨んできている。
だが、許したのは当の本人なので、それ以上強くも言えない様子。


「えっと、とりあえず自己紹介でもしたら、二人とも?」


場の空気が悪くなったことを気にした優唯が、恐る恐る口を開く。
それもそうだと、仁詭は頷いたが、玲那はまだ不服そうであった。


「俺は、萩原仁詭。“天の御遣い”ってことになってるけど、まぁ……よろしく」
「滝川一益だ。優唯様がお許しになっているなら、私も真名を名乗るが……」
「……嫌なら、別にいいけど?」
「それでは示しがつかん!私の真名は、玲那だ。よく覚えておくといい!」


半分以上やけくその様にも聞こえた。
だが、これ以上空気を悪くしたくないので、何も言わないことにした。
……と言うより、仁詭自身も多少苛立っているので、何も言いたくなかった。


「じゃあ、自己紹介も済んだことだし、城に帰りましょうか」
「……優唯様、まさかとは思いますが、この者も一緒では……?」
「え?当たり前でしょ?」


さも当然のように答えたので、仁詭も玲那も驚いていた。
だが、そんな二人を気に留めることもなく、優唯は早々と歩いていく。
数秒呆けていた二人だが、その場に居続けても意味がないので、已む無く後に続いた。





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城に着くと、仁詭はとある一室へと通された。
少し狭いものの、きれいに掃除されており、居心地は悪くなかった。


「(……城に来たはいいけど、おれはこれからどうなる?)」


仁詭の心中は、不安一色。
信長や家康だけでなく、滝川一益まで出てきてしまった。
最初のうちは、手の込んだドッキリ程度で事が終わればいいと思っていた。
だが、城の廊下ですれ違う人の格好を見れば、頭を抱え込みたくなるのも仕方ない。

時代劇などで見るのとは若干違う。
それでも、雰囲気というものは完全に一致しているように思える。
ふと何気なしにとりだした携帯電話を見られただけで、その場にいた全員に驚愕の表情を浮かべられたのだ。
内心認めたくはなかったが、完全にここは現代ではない。

こういったときは、冷静になることが重要とはよく言う。
ただ、こんな経験した人間なんて、自分が初めてではないだろうか?
仮にほかの人物が経験していたとしても、それを誰が信じるだろうか?
そう考えれば、対処方法がなくても仕方ないと思え──


「思えるわけない!」


まぁ、それもそうである。
頭の中はまだ混乱している。
夢で終わってほしいと思ったが、ここでもう一度寝られるほど神経が図太いわけでもない。
それに、目が覚めて夢でなかったと残念がるより、夢の中でのこの世界をとりあえず楽しもう。
ある種の逃げ口上だが、こうでも思わないと神経が持ちそうになかった。


「仁詭、入るよ?」


ノックもなしに、優唯はすでに部屋に入ってきていた。
……襖をノックするというのも、何ともおかしな話ではあるが……


「父様に話したら、仁詭がここにいてもいいって」
「……随分、簡単に決まったな」
「父様、私には甘いから」


──どこで覚えたのだろうか──親指をぐっと立てて、自慢げな笑顔を浮かべている。
突っ込みたい気持ちをぐっと抑え、仁詭は口を開いた。


「それで、俺は具体的に何すればいいの?」
「今は特にないけど……できればこれを読んでおいてほしいかな?」


そう言って手渡されたのは、随分と真新しい兵法書であった。
軍略のイロハや、指揮の心構えなどが書き込まれてある。
今で言う古文で書いてあるものの、仁詭にとって読む分には差し支えない。


「何でまた、これを?」
「……言っちゃうとね、軍師として仕えてる人がいないの」
「……………は?」


正直なところ、仁詭は面食らった。
戦国時代において、軍師のいない軍など、烏合の衆に等しい。
だが、織田信長と言えば、頭脳も明晰だったはずだが……


「優唯が自分でやれば?」
「私にそんなこと言うの?仁詭って、意外と鬼なのね」
「……成程、把握」


つまりは、この信長──もとい優唯は、勉学に勤しむタイプではない。
文献はある程度読むのだろうが、あくまで興味のある部類だけ。
小説系統しか読む気はないのだろう。


「読んだ文献のほとんどに、“天の御遣い”は軍略に長けてるって書いてあったから……」
「俺もそうだとは限らないけど?」
「大丈夫!仁詭って、頭よさそうだし」


そんな理由で軍師を決めるな!
思わず口に出そうになったが、仁詭はぐっとこらえた。
代わりに大きな溜息を吐き、受け取った兵法書に目を通す。

時々やるゲームに出てくる陣形や単語も載っており、理解するのはそこまで難しくもなさそうだった。
当然ながら、聞いたこともないような言葉もあったが、入門書のようなものだったので、ご丁寧に説明が長々と書かれている。
小さく頷きながら、一度その兵法書を傍らへと置いた。


「ま、できる範囲で協力する」
「本当?」
「正直なところ、早く自分のいた場所に帰りたい。でも、帰れる方法が分からない以上、助けてくれた優唯には手を貸すよ」


仁詭がそう言うと、優唯は嬉しそうにはしゃいでいた。
その様子を見る限りは、本当にこの人物が織田信長なのか疑ってしまう。





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「そうだ、私の妹達を紹介するね」
「妹、達……?」


思わず首を傾げる。
仁詭の知っている、信長の妹は一人だけ。
……ということは、もう一人は誰なのだろうか?


「一人はね、部屋の外で待ってるの。ちょっと待ってね」


そう言うと、優唯は外にいた人物を部屋へと引き入れた。
その人物は初対面の仁詭を見ても慌てることなく、凛と笑っていた。


「ほら、自己紹介して」
「初めまして、市といいます。以後、お見知り置きを、“天の御遣い”様」
「は、初めまして、萩原仁詭です」


深々と手をついて挨拶されたので、思わず仁詭も頭を下げる。


「お姉さまが真名を名乗られたということなので、私も名乗りたいのですが、よろしいでしょうか?」
「え?あ、まぁ……それは別に」
「ありがとうございます。私は市、真名は桜音(さくね)でございます」


にっこりとほほ笑む少女は、優唯とは違う可愛らしさがあった。
髪の色も長さもほぼ同じだが、背は若干低い。
違う点と言えば、髪をツインテールにしているところや、肌の露出が全くない着物を身にまとっている程度。
それくらい、二人はそっくりだった。

ただ、雰囲気は信じられないほど違う。
優唯からは、良く言えば明るい、悪く言えば慌ただしい雰囲気を感じる。
桜音からは、良くも悪くも、静かな雰囲気が漂っている。
姉妹とはいえ、ここまで違うと流石に驚かされる。


「ねぇ桜音、椿輝(つばき)は?」
「椿輝姉様でしたら、御自分のお部屋にいらっしゃる筈です」
「ありがと。じゃあ仁詭、着いてきて」
「私もご一緒いたします」


言われるがまま、仁詭は二人と部屋を出た。
二人の歩幅に合わせて歩こうとするが、あからさまに優唯の方が早い。
その後を、一生懸命着いていこうとする桜音は、まるで小動物の様で可愛らしかった。

階段を二回ほど登り、とある部屋の前までやってきた。
優唯は部屋の中に了解を取らずに、平然と襖をあけた。


「……………」
「やっほ、椿輝♪」


部屋の中にいた人物を見て、再び仁詭は驚かされた。
桜音以上に、中にいた人物は優唯にそっくりだった。
違う点を探そうにも、髪をポニーテールにしているくらいしか見当たらない。
ただ、向こうの方が若干ながら、目つきが悪いことはよく分かった。


「何?」
「ほら、さっき父様に言ってたでしょ?“天の御遣い”」
「……………」


まるで品定めするように、仁詭を眺める。
一通り眺めると、手に持っていた本へと目を移す。


「あ、これが私の妹で、信勝」
「……了解」


内心、仁詭の苛立ちはピークに達しそうになっていた。
だが、今後の関係に支障をきたしそうだったので、必死に抑えていた。


「萩原仁詭。よろしく」
「……よろしく」


簡素な挨拶をかわし、それ以降はこちらに関心を示そうとしない。
優唯に目を向ければ、「いつもこんな感じなの」と言いたそうな目をしている。
小さく溜息を吐き、踵を返した。


「桜音……」
「はい、何ですか椿輝姉様」
「真名、名乗ったの?」
「はい。優唯姉様も名乗られましたので」
「……………」


本を読みながらしばらく何かを考えていた様子。
桜音に質問し、三人が部屋を出ようとした時、小さく口を開いた。


「……椿輝」
「今、何か言った……?」
「……………真名は名乗ったから、あまり干渉しないで」


本に目をやったまま、椿輝は小さくそう言った。
すると、優唯は嬉しそうな表情を浮かべた。


「(よかったわね)」
「(何が?)」
「(椿輝が、仁詭のことを認めたってこと)」
「(あれでか?)」


正直なところ、言いたいことが山ほどある。
だが、これも個性の一つなんだろうと思い、その場は引き揚げた。





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部屋へと戻ると、やたらと狭くなっていた。
色々な荷物が運び込まれていたためである。


「優唯、これは?」
「この部屋を自由に使っていいから、色々と用意させてもらっただけ」
「それはどうも」


部屋の端に、これでもかと言うほど積まれた兵法書の山は見ないことにした。
することがなければ、自然と目を通すことにもなるだろう。


「じゃあ、仁詭」
「……何?」


グイッと、優唯は手を前に出してきている。


「握手よ、握手!」
「握手?なんでまた……?」
「当然でしょ?これから、仁詭には私の野望の手伝いをしてもらうんだから!」
「…………………………初耳だが?」
「え?だって、協力してくれるって言ったでしょ?」


拡大解釈するなと、声を大にして言いたかった。
だがそれ以上に、呆れて声が出せなかった。


「……言っただろ?できる範囲内でって」
「だから、私の野望に協力するくらい、その範疇でしょ?」
「野望って、出会ったときに言ってたあれだろ?」
「うん!そんなに難しくもないでしょ?」
「……冗談なら、そう言ってくれるか?」
「何で?こんなこと、真面目に話すに決まってるでしょ?」


今日何度目の頭痛だろうか。
それも、一番ひどいものだった。


「(……この手のタイプは、一度言ったら引かないんだよな)」
「そう言うわけで、握手握手!」
「……………はい、握手」


出来るわけない。
そう言いたかったが、言えなかった。
「何で?」と聞かれて、色々理論を並べたところで、優唯は理解してくれそうにない。

一度関わった以上、逃げることも許されない。
こうして、仁詭の苦悩(?)の日々が幕を開けた。



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