「……………」
「……………」


重い沈黙が、この部屋を満たしている。
部屋を照らすのは、真ん中に置かれた蝋燭の明かりのみ。
その明かりに照らされて、三人の人物が浮かび上がっていた。


「……で、そろそろ俺を呼んだ理由を教えてほしいものだけど?」


一人は、萩原仁詭。
今、“天の御遣い”として噂になっている人物。
その彼を、あとの二人はほぼ睨みつけるように見つめていた。


「お越しいただいて誠に遺憾であります、御遣い様」
「いつも遽しい碧理さんが、改まって何の用?それに──」


仁詭はふと、もう一人の人物へと視線を移す。
長い黒髪を後ろで束ねた少女。
口を一切開かず、ただ凛とその場に座っている。


「なんで、椿輝も……?」
「……………」


碧理は、いつもとは似ても似つかないほど、真剣な表情。
少し間をおくと、静かにその口を開いた。


「実は、御遣い様に折り入ってお願い申しあげたいことがございます」
「聞ける範囲は聞く。ただし、その申し出が、俺にとって不利益なものなら、容赦なく断るぞ?」
「はい、その点は重々承知しております」


普段とはまるで違う、碧理の口調・雰囲気。
じっと次の言葉を待つ。


「実は、お願い申しあげたいことと言いますのは、椿輝様のことなのです」
「椿輝の……?」


仁詭の返しに、碧理はゆっくりと頷く。


「椿輝様の御父君・信秀様のことは、お聞きになっているかと存じますが……」
「あぁ、重病を患ってるんだって?」


最近、流行りの病を患い、床に伏せっている模様。
そのこともあり、優唯らは病気が感染しないよう、清州城へと移ることになっていた。


「お医者様の見立てでは、そう長くはないとのことで……」
「……つまりは、後継ぎを決めなきゃいけない……そういったことか?」
「ご理解いただけまして助かります。そう、織田の家督を継ぐお方を、早々に決めなければいけないのです」
「──で、俺に椿輝を推してほしい、と?」


だが、碧理は首を横に振る。


「正確に申しますと、“優唯様にお力添えをしないでいただきたい”ということにございます」
「……………」


表情は終始、誰一人変えなかった。
だが、この時の仁詭の心中は、驚きに満ちていた。


「……どういうことだ?」
「──現在、家臣の中では二つの勢力に分かれています。優唯様を後継ぎとするか、もしくは椿輝様か……仮に、そこに御遣い様のお力がどちらかにでも加わりますと──」
「──揺れている秤が、一気に傾く、か……」


現在、織田勢力には、軍師と呼べる人間はいない。
仁詭でさえ、まだまだ軍師“見習い”程度なのだ。

だが、仁詭の能力の高さは、織田の家臣で知らない者はいない。
また、ここ最近の優唯たちの勉学に関する成長ぶりにも、目を見張るものがある。
すなわち、頭脳の面においては、自他共に飛躍的に成長させられるスキルを持ち合わせている。
そのような人材、早いうちに確保しておきたいのは、言うまでもない。


「勿論、御遣い様のご意思は尊重いたします。ですが、一度考え直していただけますか?どちらが、“織田の家督を継ぐに相応しいか”を……」
「……………1つ、聞きたいことがある」


そう言うと、仁詭は椿輝へと向き直る。
じっと眼を見つめ、しばらく何も言わない。
椿輝もまた、仁詭の言葉を待っている間、一切眼を逸らすことはなかった。


「椿輝は、それでもいいのか?仮に俺が、優唯を出し抜くような真似をしたとしても……?」
「……………」
「これはもう、姉妹喧嘩で済まされるような問題じゃない。最悪の場合、どっちかが死ぬかもしれない」
「それでも──」


椿輝が口を開く。
小さめの声だったが、確固たる決意が目に見えるようだった。


「姉さん──優唯には、譲るつもりなんてない」
「そう、か……」





──────────────────────────────────────────────────────────────────────────





それから、一週間も経たない日のこと。
事態は急転する。



その日、優唯はいつものように川へと遊びに来ていた。
仁詭や希望も一緒だ。

川の流れは肌に心地よい。
時折肌を撫でる小魚にくすぐったさを覚えるのも、楽しい証拠だ。

仁詭は相も変わらず読書に耽っている。
それでも、何かしらこちらを気に掛けてくれていることも分かる。
優唯にとってみれば、それで充分だった。


「仁詭!お腹減ったぁ!」
「その辺の草でも食ってろ」
「えー……!何か買ってきてよ」
「……断わっておくが、“天の御遣い”はパシリじゃねぇ」


言葉の意味が分からず首をかしげる優唯。
するとそこへ、玲那が馬に跨りやってきた。
慌てて飛び出してきたのか、息が少々荒れている。


「ゆ、優唯様……!」
「どうしたの玲那さん?そんなにあわてて……?」


川から上がり、仁詭からもらった手拭いで髪を拭う。
玲那の表情は蒼白。
何事があったのかと、優唯は尋ねる。


「し、至急、城へとお戻りください……!」
「清州城に?」
「いえ、古渡城です」
「え?だって、今は父様が……?」
「その、御父君が……」


仁詭に、嫌な予感がよぎった。
すぐにその予感を拭おうと、別な事に意識を向けようとする。
だが、無情にも、そのあとの玲那の一言で、その場の空気が音を立てて崩れていった。





「御父君が、お亡くなりになりました」





──────────────────────────────────────────────────────────────────────────





城に戻ると、すでに色々と準備は済んであった。
こうなることは、ある程度予想はできていたらしい。
死に装束や、棺桶なども、前もって用意されていた。
尚、それらの用意を指示したのは、信秀本人らしい。

制服ではさすがにまずいと思い、仁詭は黒の着物を上から羽織って、葬儀の場に出向いた。
希望も一緒だが、優唯の姿は見えない。


「先に行ってて……」


城に着き、優唯はそう言って自室に入って行った。
別に止める理由もなく、先にこの場に出向いたに過ぎない。

仁詭たちが来る前に、その場にいる家臣は全員ことを済ませていたようだ。
仁詭と希望もお香を挙げる。
ふと、希望の肩が震えていることに気付いたが、あえて何も言ったりしなかった。


「萩原殿、優唯様は……?」
「さっき自室に入ったから、もうすぐ来ると──」


家臣の一人に応答していた仁詭の言葉を、勢いよく開いた襖が遮った。
全員の視線が、その場へと集中する。
そして、驚愕のもとに見開かれる。


「ゆ、い……?」


そこにいたのは、まぎれもなく優唯本人。
だが、先ほど帰ってきた格好のまま──すなわち、泳いでいた時の、下着同然の格好である。

周囲の家臣たちは、諌めるどころか驚きで固まっている。
仁詭でさえも、何も言えないまま。
そんな周りを気にすることもなく、優唯はずかずかと仏壇の前へと歩み寄る。


「…………………………」


棺桶を見下ろす。
中に、自分の父親が入っていることは知っている。
その棺桶を開き、改めて父親の死に顔を伺う。

蒼白な顔。
二度と開かれることのない眼、口……
これは本当に、自分の父親かと疑いたくなるほど、それは不気味だった。


「……ハッ!」


突如、優唯の表情が綻ぶ。
口を釣り上げ、まるで嘲笑しているかのよう……
否、確かに自身の父親を見下ろし、その死に様を嘲笑っている。


「この……バカ親父がぁ!!」


抹香を鷲掴みにするや否や、思いきり父親の顔面へと叩きつけた。


「ゆ、優唯様!な、何を……!?」
「……仁詭、希望、行くわよ?」


玲那の問いには答えず、その場を後にする。
心配になった希望は、振り返ることもなく後に着いていく。
仁詭──


「…………………………」


椿輝を見つめていた。
一部始終を見て尚、その場に凛と座っていた。
いや、どこか嬉しそうな表情に見えたのは、決して間違いではないと思う。


「……失礼、する」


全員を一瞥し、仁詭もその場を後にした。





──────────────────────────────────────────────────────────────────────────





優唯は、先ほどの川辺にいた。
希望が腕を引くも、一切反応しない。


「優唯?」


仁詭が声をかけても、反応はなし。
心配になり、希望は仁詭の顔を伺う。


「優唯、どうし──」
「──……っ!」


突如、希望の腕を振りほどき、川に踏み入っていく。
腰ほどの深さのところまで進むと、不意に足を止めた。


「バカ、親父が……」


そう呟いたかと思うと、大きく息を吸い込んで川に潜った。
しばらく潜っていると、優唯の顔の周りが赤く濁り始めた。


「……っ!」


慌てた仁詭は、思わずそのまま川に飛び込む。
優唯のもとへと進み寄ると、力任せに川から引き揚げた。


「おい、どうした!?」
「……………っく」
「(……泣いて、る?)」


涙は真っ赤に染まっていた。
声を押し殺し、仁詭の服を力を込めて握り、でも……


「うわぁぁ……ああ、ああああ!」


堤が切れるように、声を張り上げて泣いた。
泣いて泣いて泣いて、ただ声を振り絞るように泣いて……



夕日に照らされて、優唯の涙は殊更に赤かった。



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