一度道筋が決まってしまえば、事が進むのは早かった。
優唯宛てに後継ぎ辞退の書状が送られたのは、椿輝が弾正忠を名乗って僅か三日後のこと。
そして、その日のうちに仁詭宛てに、清州城に戻って来いと言う書状も送られてきた。


「仁詭、戻るの?」
「ああ、ある程度の会議位するだろうし、向こうがどういう動きをするかは見ておきたい」
「それでしたら、態々御遣い様が出向かずとも……」
「そういう性分だから、気にしないで」


椿輝や碧理の不安げな視線も致し方はない。
だが、既に自分たち側の人間だと思われている以上、この程度の言い訳で充分。
後は清州城に戻り、本当に戦をしなければならないかを考える。

そもそも、仁詭がこの件にここまで深く関わったのも、極力穏便に事を済ませたかったから。
姉妹間で戦を起こすなんて、歴史の授業や外国諸国のニュースでしか聞いたことはない。
そう、あくまで他人事・自分とは無関係のこと“だった”のだ。
願わくば、これからもそうであってほしい。


「(……とは言え、既に手遅れ。優唯の心が揺れてる間に、椿輝の方は心を固めたみたいだし、これ以上はこっちに何を言っても無駄、か)」


身支度を済ませ、主だった面々には挨拶を告げる。
最後に、桜音の部屋へと訪れると、何やら慌ただしい音が聞こえていた。


「ん?桜音、入っていいか?」
「はい、どうぞ!」


悪戦苦闘中、らしい。
襖を開けた仁詭の目には、押し入れから物をひっくり返している桜音の姿が映っていた。


「敢えて聞くけど、何してる?」
「はい、身支度を整えております!」
「身支度?何処か出かけるのか?」
「はい!仁詭様と一緒に、優唯姉様の元に」


元気よく、桜音は返事をした。
その元気の良さのためではなく、仁詭はその内容に唖然とした。


「俺と、一緒に?」
「はい!ですから、もう少々お待ちいただけますか?」
「それは構わないけど……またどうして急に?」


手を休めることもなく、桜音は仁詭の問いに応える。


「仁詭様が、心配だからです」
「心配?何が心配?」
「……何も仰ってくださらないことが……」


手は休めず、しかしながら声のトーンは落ちた。
同時に、表情もどこか暗くなっていた。



暫くして、桜音も身支度を終えた。
一緒に行くことに、そこまで断る理由もない。
城を出、轡を並べて清州城へと向かう。


「俺は何も心配されるようなことはしてないと思うんだけど……?」
「何もしていないからこそ、私は心配なんです」


馬に揺られる間、二人はずっと一つのことについて喋っていた。
桜音が、仁詭を心配する、その理由──

仁詭にしてみれば、される必要のない心配。
先日、ほんの少しだけでも気にしてくれただけで、もう十分だった。
逆にこれ以上心配されると言うことは、ある種の侮辱にすら思えてきていた。

だが、桜音はその心中にも気づいている。
「心配などしてほしくない」と仁詭が思っていようと、そうせざるを得ない。
なぜなら──


「誰にも心配させまいと振舞われているからこそ、私は心配でならないんです」
「……そんなつもりはない。実際、心配されるようなことは何一つ──」
「ですが!」


桜音の口調が強まる。
普段の大人しげな雰囲気とは一変したその様子に、仁詭は呆気にとられていた。


「仁詭様のような立場で、何も辛くないはずがないです!」
「……俺のような立場?」
「知らないと御思いですか?仁詭様が、優唯姉様と椿輝姉様の後継ぎ問題で、両方から支援を求められていること」


絶句、するほかなかった。
洞察力が鋭いとか、その比ではない。
まるで、心の内を隅々まで見抜かれているかのよう……


「……知っているなら尚のこと、桜音は俺に口を出すべきじゃない。優唯や椿輝本人に、何か言うべきだろ?」
「確かにそうかもしれません……ですが──いえ、私の姉様たちのことだからこそ、それに関わる仁詭様には苦しんでほしくないんです!」
「…………………………」


──敵わない。
心のどこかで、仁詭はそう思った。

今、目の前にいる少女を説き伏せることは、出来なくはないかもしれない。
だが自分には圧倒的に欠けている何かを、目の前の少女はぶつけてくる。
その何かが、重く仁詭の心に圧し掛かり、口を閉ざす。


「……………俺は──」
「仁詭様のお考えの全てが分かっているとは言いません。ですが、ほんの一瞬見せられるあの表情を見て、心配するなと言う方が無理な話です」
「そう、か……」


表情が、自然と綻びるのを感じた。
重たい荷物が、ほんの僅かだけ軽くなったような、そんな感覚。

ああ、そうか……
目の前にいるこの少女には、心の暗い部分を隠すことはできない。
もっと早く気付きたかった……
心の底から、仁詭はそう思った。






──────────────────────────────────────────────────────────────────────────





「萩原!」


城に着くや否や、玲那が駆け寄ってきた。
慌てふためいたその表情は、事がどれほど深刻であるかを物語っている。


「じゃあ桜音、後で」
「はい、仁詭様」


ぺこりと頭を下げた桜音と別れ、仁詭は玲那に導かれるまま、とある一室へと向かった。
既にそこには重臣が集まってはいたが、椿輝の所に比べると数は四倍ほど違う。


「優唯を支持してるのは、これで全部?」
「……そう、だ」


苦々しく口を開いたのは、奏絵だった。
他の重臣たちも、似たような表情。


「だからさ、仁詭」
「ん?」
「軍師としての初仕事、よろしく♪」


サムズアップ。
にっこりと、この場に似遣わない明るい表情で、優唯はそう言った。
まるで、軽く買い物でも頼むような口調。


「…………………………」


対して仁詭も、サムズアップ。
……かと思うと、突き出したその手を、そのままの形で180度ひねった。


「……え?」
「馬鹿やってる場合じゃないって言ったんだ、優唯」


皮肉たっぷりに、それでいて真剣な表情で、仁詭はそう言った。
それでも、優唯はにやけた表情のまま。


「……で?」
「その『……で?』は何だ?」
「椿輝に勝つ方法、考えてくれたんでしょ?」
「…………………………」


言葉を失った。
優唯の発した言葉が信じられず、仁詭はほかの面々へと視線を移す。
だが、その全員から帰ってくる視線は、「戦い」への意思に満ち溢れていた。


「和睦とか、話合いとか、そういう選択肢はないのか?」
「あったら仁詭がやってるでしょ?こんな巫山戯た手紙が来る時点で、それらがもう何の意味を持たないことくらい、私にだって分かるわよ」


傍らの刀に、優唯は視線を移す。
刀と言うよりは剣──
美しい装飾の鞘に収められたそれを見つめ、優唯は言葉を紡ぐ。


「言ったでしょ?私は天下を統べるって……その障害になるなら、私はどんな相手でも戦うことを厭わない」
「……少しくらいは、抵抗があってもよかったんだが……」


仁詭の声は、誰に聞こえたとも知れない。
そんなことは特に気にも留めず、優唯の隣へと腰を下ろした。




──────────────────────────────────────────────────────────────────────────





「じゃあ、ここにいる全員、戦いに身を投じる覚悟はできてるってことでいいのか?」


全員が一斉に頷く。
それを見て、「分かった」と小さく呟いた。


「はっきり言って、向こうはこちらの約四倍。素人目に見ても、こちらが圧倒的に不利。もっと言っていいなら、優唯を本気で推していない人間が一人でもいれば、それだけ向こう側が有利になる。そのくらい分かってるよな?」
「……萩原、何が言いたい?オレたちにも分かるように言ってくれると助かるんだが……?」


なかなか本題に入ろうとしない仁詭に、痺れを切らした奏絵。
他の何人かも、同様の雰囲気はあった。


「簡単なこと。普通に考えて、これから行われるのは、もう戦じゃない。数に物を言わせる相手から受ける、一方的な暴力みたいなもの……それは理解しているのかって聞いてる」
「「「「「…………………………」」」」」


全員押し黙った。
だが、視線を逸らしてはいない。
まっすぐと、仁詭の目だけを見ている。


「そんな覚悟のできていない人、ここにいるわけないって、仁詭」


沈黙を破ったのは、優唯だった。


「まず間違いなく、同じ“織田”に仕えている者同士が殺し合う。その時点で、数がどうとか、そう言ったあらゆる不利に立ち向かう覚悟くらいできてるわよ」
「優唯様のおっしゃる通りです」


続くように、玲那が声を上げた。


「私たちを甘く見ているなら、軍師として失格だな、萩原。こっちは武士……主のために捨てる命はあっても、自分可愛さに護り抜く命など持ち合わせていない!」
「そう言うこと……同じ“織田”とは言え、仰いだ主が違うなら、オレたちは自分の信じた主のために戦うのみだ」
「……………説得力あるな、圧巻だよ」


どこか、胸を撫で下ろしたような気分だった。
安堵したという表現が、今の仁詭には相応しかった。


「……で、仁詭?どうするつもりなの?」
「兵力差は約四倍……加えて、向こうには碧理ら戦略に明るい人間が数多い……萩原、この不利をどう覆す?」
「……全員、酷だなぁ」


大きく溜息を吐きながら、仁詭はゆっくり立ち上がった。


「みんなが言ってるのは、“海を割って道を創れ”とか、そういう夢物語。俺が空でも飛べる超人なら、そう言うことは言っても問題はないけど、あくまで俺は人間。多少なり、ここにいる全員よりも知識を多く蓄えただけの、ただの人間だ」


どこか自嘲気味に、そして同時に誇らしげに、仁詭は腕を広げながら言葉を続ける。


「知識を得るのと、それを用いるのでは大きく違う。ましてや、俺は戦を目の当たりにしたこともないし、そう言った意味でも知ろうと以前の存在。得た知識を活用できるかと聞かれて、『是』と答えられるわけないだろ?」
「じゃあ、仁詭はこの戦、勝てないっていうの?」


優唯が訊く。
だが、不安に駆られたためではない。
望む結果が帰ってくることを期待していたからだった。


「そう、言ったか?」


優唯が微笑む。
それと同時に、小さいながらもどよめきが起こる。

「勝てるかもしれない」
「少なくとも、萩原はそう言っている」
皆、心のどこかで、そう感じた。


「数の不利、心理面での不利、他にも様々な不利が重なるこの戦……乗り切る術は──」


静かに、仁詭は眼を閉じる。
ここに来るまでに、頭の中で考えていた、様々な策。
読み耽った兵法書の中から、最も適当な物を抽出し、そしてそれに一捻りも二捻りも加える。
それが、軍師として勤めると言うこと。


「乗り切る術は……?」


しばらく沈黙が続いていた。
その沈黙を、どこか恐る恐るながらも、優唯が打ち破る。
優唯の言葉を合図にしたかのように、仁詭はゆっくりと目を開き、そして──





「連環を、使う」



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