日が傾いてきた。
大地を照らす光は、やや赤みを帯びている。


「勝家様、何故に進軍しないのですか?」
「…………………………」


敵軍を目の前に、勝家こと碧理は進軍を躊躇っていた。
真正面から突撃することは、先の林姉妹の進軍を見ても、困難であることは分かっている。
ただ、そんなことで、碧理は渋っているわけではなかった。


「今は、まだ無理」
「何故ですか!あのようにだらけきった軍勢など、我々の敵ではありません!」


目の前に展開されているのは、よもや戦場とは思いがたい光景。
見知った将兵たちが、酒を飲んだり、地面に寝そべっている。
その中には、玲那の姿もあった。


「(……玲那が、戦の真っただ中で酒を飲んでいる?)」


碧理を躊躇わせているのは、ただこれだけの現状。
しかしそれも致し方の無いこと。
玲那は、その厳格な姿勢を戦の中でも崩さないことで有名だった。
その玲那が、酒を飲んでいるだけでなく、纏っていた鎧まで脱いでいる。


「左右に分かれた部隊からの報告があるまで、こちらから仕掛けないこと!」
「……し、承知いたしました」


渋々ながらも、兵士たちはその言葉に従う。
地面に張り巡らされた縄を挟み、相手のだらしのない光景を見せつけられる。
苛立ちが徐々に募っていき、刀や槍を握る手が小刻みに震えていた。



一方、玲那側も、少々不安ではあった。
つい先ほど、仁詭の元から届いたのは、策の認められた書物ではなく、酒の山。
持ってきた斥候に伺うと、酒宴を開いておくだけでいいとのこと。


「(何を考えている、あの男は……)」


渋々酒を飲むが、そのうち自棄酒のように量が増えてきた。
今ではその場にいる全員が、気分を高揚させ、本当に酒宴のようになっている。

もはや、敵の姿さえ朧。
体が火照って、鎧や衣服を脱ぐ者も続出。
中には、調子に乗って飲みすぎ、気分の悪くなった者さえいた。

そんな見方の様子を見て、本陣ではとある二人が口喧嘩をしていた。
片方が一方的に文句を並べているだけなので、喧嘩と呼べるかは分からないが……





──────────────────────────────────────────────────────────────────────────





「ちょっと仁詭!あれ、どういうことよ!」
「さっきからそればっかりだな。疲れないか?」


文句を投げつける優唯に対し、仁詭はどこ吹く風と言う様子。
視線さえ合わせず、ずっと地図や戦況に目を配っている。


「大体、あのお酒はどっから持って来たのよ!」
「ん?ああ、あれか?ほら、前に優唯と希望と一緒に行った喫茶店。あそこに発注しといた」
「……あんなに?一体どれだけお金かかったのよ!」
「タダだったぞ」
「…………………………へ?」


言葉が聞き取れなかったわけではない。
とりあえず、信じがたい言葉を聞いた気がした。


「……ゴメン、今何て言ったの?」
「無料だったと言ったが、それがどうかしたか?」
「いやいやいやいや!あれだけの量で、どうして無料なのよ!」
「あぁ、あれを使わせてもらってな」


指をさした先にあったのは、真っ赤なマント。
何やら刺繍が施されているが、見るからに痛々しいキャラクターが描かれている。


「あれ着ていくと、一ヶ月間全商品無料になるんだって。相手が城に籠ることも考えてたから、その一ヶ月分全部使って、態々用意しといたんだ」
「……聞いてないんだけど」


不満顔の優唯。
それを気にすることもなく、仁詭は戦況を窺っている。


「──とは言え、すこしまずいな……」
「何が?」
「敵の攻め方が、予定と少し違う」


そう言いながら、優唯を手招く。
地図に駒を置きながら、今の戦況を説明する。


「ここがこっちの本陣。今、玲那と奏絵の配置は、こういう風になってるのは分かるな?」


地図上の本陣の前方に、玲那の駒。
両横に奏絵の駒が置かれている。


「対して、相手はこういう形で攻めてきてる」


駒の代わりに碁石を数個掴み、現状通りにその碁石を置く。
前方に三つ、側面には二つずつ。


「これはどういう意味?」
「数を比較すると、大体こんな感じ。前方の敵は、玲那の隊の約三倍。側面は約二倍ってところ」
「成程ね……で、どこが予定と違うの?」
「……本来なら、こういう形になると思ってた」


そう言いながら、さらに碁石を置く。
前方に三つ、側面に二つずつ追加する形で。


「え?この追加した分は何?」
「……椿輝の、隊の分だ」


静かな口調で、仁詭はそう言った。





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「可成様!敵軍の様子がおかしいようです」
「見りゃ分かる。攻めてくる気配が、無い……?」


数からして、敵はこちらの約二倍。
しかも、こちらは本陣のすぐ横に待機している。
数に物を言わせれば、そのまま本陣を攻め落とすことも可能と言ってもいいかもしれない。


「(萩原が何かしたのか?……いや、初陣でそこまでの働きなんて出来るはずもない。そうすると、相手方に何か……?)」


正直なところ、奏絵は仁詭にあまり期待はしていない。
聞くところによれば、今まで戦事とは無縁の世界で暮らしてきた仁詭。
こちらに来て、一月近く経つのだろうが、その間にいくら兵法書を頭に叩き込んだところで、出来ることには限度がある。


「……斥候を出そう」
「斥候、ですか?」
「とりあえず、今どのような状況にあるかだけ知れればいい。敵だけでなく、こちら側の現状も、だ」
「……御意」


命を受け、すぐに斥候が放たれた。
その間に奏絵は、副官にその場を預け、一度本陣へと戻った。



「萩原、少しいいか?」
「あれ?何かあった?」


何の報告もなしに戻ってきた奏絵を見て、仁詭は少し驚いた様子。
それを知ってか知らずか、奏絵はすぐに口を開く。


「現状はどうなっている?」
「うん。とりあえず、前方の敵が攻めてきそうにない状況は作ってある。側面の敵は?」
「どういうわけか、まったく攻め入ってくる様子はない」


奏絵の報告を聞いて、仁詭は目を丸くした。


「え……?本当に?」
「ああ、こんなことで嘘を吐いてどうする」
「…………………………」


表情が曇る。
慎重な椿輝は、敢えて大胆な進軍をしてきたものだと思っていた。
だが、ここにきて相手は進軍を躊躇。


「(このことが意味するのは……)」
「どうする、萩原?」
「……奏絵、暫くここにいてくれる?」
「ん?それは別に構わんが……」


了承の返事を聞くと、仁詭は優唯に向き直る。


「優唯、奏絵の代わりに隊をまとめて来てくれる?」
「……へ?」
「あ、それと──」





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日が傾いてきた。
影は長くなり、遠くを見通すのが難しくなり始めていた。
そんな影の中を進む数名の人影が、ちらりと見えた。


「(敵本陣が見えてきました)」
「(分かった。全員、殊更慎重に)」


優唯側の本陣後方。
そこから、陰に身を潜めながら近づいていく。

すぐ傍まで近づくと、中の様子を窺う。
仁詭の姿はすぐ見つかった。
夕日に照らされて、フランチェスカの制服が鮮やかに煌めいていた。

そして、優唯の姿もそこにあった。
頭に布を被っているが、その布が濡れているので、ただ頭を拭いているだけのよう。


「(……ふぅ)」


一息つく。
高鳴っていた鼓動を抑え、相手を見据えて一気に突撃した。


「優唯、覚悟!」
「──っ!」


勢いよく振り返った。
だが、時既に遅し。
振りかぶった刀は、既にその桃色の髪に触れていて……


「え……?」
「やはり来られましたか、椿輝様」


紙一重で兇刃を避け、頬に赤い筋を作りながら、奏絵は椿輝の両腕を掴んだ。
そしてそのまま後ろ手に拘束し、動きを封じる。
優唯の服は奏絵には少し大きいのか、所々服をまくっていた。


「……読まれてた?嘘……」
「読んでたわけじゃないよ、椿輝」


困惑する椿輝に、仁詭は日常と同じ口調で話しかける。


「ただ人って言うのは、自分の性格をそう簡単には治せないってことだよ」
「そんな筈ない!あの進軍を見たでしょ!いつもの私なら──」
「確かに、椿輝にしては大胆すぎる進軍。でも、“進軍”はしていても“突撃”はしてこなかった」


静かに、その事実を述べる。
何か反論したそうな椿輝だが、口が動くだけで言葉は出てこない。


「それに加えて、椿輝と優唯はどこか似てる。姉妹だからね、どれだけ嫌ってても」
「似てない!似てる筈がない!」


必死に否定する。
だが、仁詭は言葉を続ける。


「じゃあ椿輝、どうしてこんな奇襲をした?」
「…………………………」
「敵対しているとはいえ、同じ織田家に仕える忠臣を殺すのは忍びない。なら、総大将の首一つで済ませよう──そう考えたんじゃない?」


無言で頷く。
頷いたかさえ怪しいほど、とても小さく。


「優唯もそう言ってた。総大将──つまり、椿輝の首を取れば、この戦はすぐに終わるって」
「嘘……」
「嘘は言わない。偶に過ごしてた日常でも、二人にはいくつか共通点もあった。それを思い出したのは、本当に今し方だけど……」


椿輝の表情が歪む。
敵としてでなく、元来性分の合わない相手。
その相手と、自分がどことなく似ていた。
噛み締めた口元からは、赤い血が滲んでいた。


「萩原、後は……」
「うん。とりあえずは捕縛して、その後のことは任せる」


椿輝と共に奇襲してきた兵士たちも、纏めて縄をかける。
仮にも主君の妹である椿輝に縄をかけることに、奏絵は少々抵抗があった様子だった。

そして、太陽がその光を地平線に沈めてしまう間際。
優唯の声に続き、鬨の声が大地に響き渡った。





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深夜──
戦が終わり、勝利の余韻に浸っていた人々も、すっかり疲れ果てて眠ってしまっている。
宴会が開かれていたようで、大広間の至る所に徳利などが転がっている。

戦の後、椿輝と碧理・その他椿輝側の主だった武将は、末森城での謹慎を命じられた。
仁詭のその発言に、椿輝たち一同は驚いたが、既に柚葵の隊が占領しているとのこと。
監視は奏絵に任せることになったが、一度清州城に全員で引き揚げてきた。
現在、椿輝たちは清州城の地下牢で、質素な夕食を済ませ、眠りに就いていた。



「……厠……」


静まり返った城内を、ふらついた足取りで歩く人影が一つ。
今回の戦の勝者・優唯だ。

随分と飲みすぎた様子。
そのせいか、トイレも近くなっているらしい。


「……あれ?」


ふと、目端に何か入った。
気になってそちらの方へと歩いていくと、そこには三人の人影があった。


「(仁詭……?それに、奏絵さんに柚葵さん?)」


仁詭は、宴会の席に姿を見せなかった。
この戦に一番貢献したと言うのに、なぜか遠慮して部屋に籠っていたはず。
その後も、何度か誘いに来たのだが返答もなく、皆残念がっていた。


「(……何話してるんだろ?)」


気になったので、三人に気付かれないように近づくことにした。
声が聞こえるくらい近づいたところで、優唯の耳に入ってきたのは、何とも不快な音だった。


「……うぇっ……………」
「萩原、まだかかりそうか?」
「……ゴメン、もう少──う゛……」
「仁詭様、お口を漱いでください」


膝をつき、胃の中の物を吐きだしていた。
奏絵は背中を摩り、柚葵は水を手に持っていた。


「(……へ?仁詭……?)」


唖然とした。
戦の最中、平然としていた仁詭が嘘のよう。


「……落ち着いたか?」
「あぁ……一応」
「無理はなさらないでください。全部出し切ってしまわれた方が、後々気分は良いですよ」
「いや、本当に落ち着いた。暫く吐き気は催さないともう」


水を受け取り、口の中を漱ぐ。
その場に座り込み、大きく息を吐いた。


「……なんか、申し訳ないね、三人とも」
「気にするな。戦の無かった世界にいて、ほんの一月で人が殺し合う場面に出くわしたんだ。気分の悪くならない方がおかしい」
「そうですよ。私たちでさえ、初めて戦場に出た時は、なかなかに気分の悪くなったものです。それに、いくら数を重ねようと、やはり人を殺すということは気分の良いものではありません」
「それに仁詭様?戦の始まる何日か前から、あまり寝ていらっしゃらないんでしょう?体調を崩されても、致仕方ないですよ」


柚葵の後の声。
どこかで聞いたことのある声に、優唯は思わず身を乗り出した。


「あら?どうなされました、優唯姉様?」
「へ?桜音もいたの?」


優唯の位置からでは死角になっていたが、寝間着姿の桜音もそこにいた。
手拭いを片手に、心配そうに仁詭を見守っていた。


「そ、それより!仁詭、ちょっと大丈夫?」
「……大丈夫、とは言えないだろ?この状況見れば……」


苦笑を浮かべながら、仁詭は答えた。


「……戦の時は、無理してたの?」
「そんなことないよ。ただ、こんな暇も余裕もなかっただけ。それに──」
「……それに?」
「──人が殺し殺される場面の強烈さが、予想の範疇を超えてたんだよ」


その言葉を聞いて、どこか優唯はホッとした。
小さく溜息を吐き、仁詭の横に座る。


「なんて言うか……よかった」
「よかった?何が?」
「ん?仁詭にも普通の人間っぽいところがあって」
「……怒るぞ?」


少しだけ真顔になった。
それを見て、優唯もすぐに謝る。
とは言え、冗談だとお互い分かっているので、軽い調子で謝っていた。


「実は、ちょっと不安だった。“天の御遣い”って、戦になると人が変わっちゃうんじゃないかって」
「そんなこと、文献に書いてあったのか?」
「無かったよ。でも、一緒に過ごしてる“いつも”が、もし演技だったら……そんなこと考えた時もあったし」
「失敬だな」


お互いの顔を見ながら、笑い合う。
傍にいる桜音たちも、つられて笑う。
何気なしに口にした水が、心地よく沁み渡った

冴え冴えとした月明かりが、仁詭達を照らす。
“勝った”と言う実感は、仁詭にはまだ感じられない。
今はただ、“終わった”という事実と、殺し合いの真っただ中にあって、生きられたことに胸を撫で下ろすだけ。
夜の闇は、静かに辺りを包んでいた。










後書き


目標に間に合わなかったorz
本気でPC買い換えようかな……

ここ最近、よく電源が急に落ちます。
フリーズも頻繁にしますし……
使い過ぎかな……?

しかしまぁ、もう四月ですね。
学業始まって、また更新遅くなるんじゃ……
(こうなれば、学校で書くか?)←マテ



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