狼姫<ROKI>
邂逅


冬木市の中央にある未遠川。
深山町と新都を隔てるこの河川にかかっている大型の鉄橋こと冬木大橋。
その巨大な姿は誰しもの目につくものだ。無論、大きければ大きいほど、比例して影も大きくなる。

その陰に銀灰色の騎士が潜んでいた。

『…………』

橋の下の影で身体を休ませているのは、孤高のホラー剣士・フォーカス。

『……ククク。やはり、この地に来て正解だったな』

笑いを含めながら独り言を呟くフォーカス。
昨晩のランサー戦で相当やり合ったのだろう。
今でも頭の中で響く剣戟の音が、彼の剣士としての誇りと情熱を刺激している。

ランサーの破魔の紅薔薇(ゲイ・ジャルグ)には魔力を断ち切る力がある。
よって、魔力を絡めた攻撃は通じず、純粋な剣技のみで戦うことになる。
だが迂闊に接近すれば必滅の黄薔薇(ゲイ・ボウ)によって癒えぬ傷を負わされる。

派手さこそはないが、堅実で攻め難い武具を――ディルムッドは宝具として所有している。

よって、フォーカスは長年の経験の全てをあの戦いに注ぎ込むつもりで槍兵に挑んだ。
セイバーとロックとの戦闘により体力が疲弊していた上に魔力攻撃も通じない。
結果として勝負はドローで終わった。いや、向こうに程度の斬り傷を作ってやったが、マスターが治癒していることだろう。

だが、生憎こちらは独り身だ。
消耗した体力と魔力は時間をかけて回復させなくてはならない。

『………光』

その時、フォーカスは川の水面という鏡に映る太陽に魅入られていた。
本来ならば自分たちホラーの棲家たる闇を削る忌々しき神秘の象徴に、焦がれるような感情が向けられている。
無意識のうちに片手が、水鏡の中の太陽を求めるかのように、ゆっくりと前へと伸ばしていく。
このままいけば、間違いなく彼の姿は橋の影から出て、陽の光に晒されてしまうだろう。
しかし、その時だった。

「ったく、案外見つかんないもんよね」

聞きなれた女の声が橋の上から聞こえてきた。

(―――ッ!)

我に返ったフォーカスは即座に手を引っ込め、全身を再び暗い影へと忍ばせる。

「ヴァナルの奴も、奴さんがどこに行ったかくらい、教えてほしいもんね」

この強気な性格をうかがわせる口調。

(……聖か……)

出来ることなら今は顔を合わせない方がいい。
即刻魔界に引き返さねばならない。何故ならば――

『マスター。フォーカスの気配だ』

彼女の指には有能な魔導輪があるからだ。

『しかも、この橋の下だ』

位置まで特定された。
早く闇の世界へと引き返さねば……!

――スタッ――

「―――フォーカス。何があったの?」
『……ロキ』

が、間に合わなかった。
黒い浴衣のような魔法衣姿の女――聖輪廻は橋から飛び降りて河原に着地してきたのだ。
普通の人間なら足の骨にダメージがいきそうなものだが、そこは鍛錬に次ぐ鍛錬を積み重ねてきた魔戒騎士だ。
身体軽量の術と気流操作の術をかけることにより、模範演技のように優雅な動きを見せている。

「あんたともあろう者が、こんな場所で蹲るなんて……」
『…………斬るか?』

普通ならそれが正しい判断だ。
魔戒騎士たるもの、全てのホラーを切り捨てる為に存在するのが常。

「場合によってはそうなる。だが、その前に聞かせろ」

輪廻は急に男勝りな口調で問い質してきた。

「お前は一体なにをしてきた?どんな無茶をすればそんな様になる?」

誤魔化しは効かないだろう。
今の輪廻の瞳はまさに真実を射抜きし一条の矢を放つ弓だ。
下手な嘘をついたところで、たちまち看破されることだろう。

『なに。昨晩、セイバーとランサー、そして銃剣使いと連戦しただけのこと』
「ッ―――知ってるのね?紫電騎士ロックを」
『あぁ。奴とはアインツベルンの城で刃を交えた』

嘘偽りのない事実。
信じるか否かは輪廻次第。
信じられないのであれば斬られる。だが信じてもらえたのであれば……

「……ありがとう。教えてくれて」

世にも奇妙なことがおこった。
魔戒騎士がホラーに感謝するなど。

「輪廻。この男の言葉、信頼におけるのか?」

と、異を唱えたのは、白髪頭に褐色の肌、鋼色をした鋭い目付き、紅い外套と黒いボディアーマーを纏った長身の男。
キャスターのサーヴァントである。

「キャスター、疑いたくなる気持ちはわかるわ。でもね、同じ騎士として、フォーカスの言ってる事は信用に足るわ」
「甘いな、マスター」
「甘くて結構。あんたの渋さと帳尻があっていいじゃない」

輪廻はニッコリ微笑んで見せた。
やはり、聖家の女は他の魔戒騎士とは大きく違うな、とフォーカスは思っていた。

『フッ、オレを―――ホラーにそこまで肩入れする騎士はお前が初めてだ』
「一度でも剣を交えたのよ、当然でしょ。これでも人を見る目はある方なんだから」
『ならば、此度の謝礼としてもう一つ教えてやろう』

フォーカスは片手の人差し指を立てながら、あることを打ち明けた。

『聖杯は、降ろすなよ』
「え……?」
『話は終わりだ。また、会おう』
「ちょ、待ちなさい!フォーカス!」

今行われている戦いの根底を覆す意味深な発言をのこすと、フォーカスは輪廻の制止など聞かず、魔界へと帰還してしまった。
後に残されたのは、何とも後味の悪い雰囲気となったキャスター陣営の面々。
特にキャスターは、眉間に皺をよせており、過去の忌々しい記憶を回想したかのような顔つきになっている。

(奴は……宝箱の中身を知っているのか?)

キャスターは知っている。記憶ではなく知識として知っている。
聖杯、という小奇麗な言葉に隠された、究極の悪を。

「…………二人とも、行くわよ」
「いいのか?」
「くどい」

食い下がる従僕を無理矢理に黙らせると、輪廻はカランコロンという足音を立てながら川上へと向かって行った。
その美貌には、煮え湯でも飲まされたかのような、表現に困る表情があったという。





*****

今朝早くの事。
ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリは、埃臭い廃工場にある急凌ぎの寝室(実際は応接室かなにか)のソファーで目を覚ました。
魔術である程度修繕したとはいえ、やはりかなり古びていたり痛んでいたりするので、寝心地は最悪であった。

しかし、それらの不機嫌を吹き飛ばす事が昨晩にあった。
それは言うまでもなく、ランサーとフォーカスの一騎打ちである。
ソラウには殺し合いに向いた魔術はあまり伝わっておらず、その役目は片割れのマスターとしてランサーに魔力を与えるということの一点にある。

あの時はケイネスと一緒にただ見ているだけであったが、それでも二人の斬り合いを見ているだけで手に汗握る思いだった。
結果としては引き分けに終わったが、ホラーは退散し、ランサーにも大事なかったため、ソラウにとっては喜ばしいことである。

しかし、ソラウの代わりに不機嫌になったのがケイネスだ。
ケイネスにとっての最良とは、ランサーがフォーカスを出来るところまで弱らせ、最後は自分の礼装で切り刻むことにあった。
だが、蓋を開けてみれば御覧の通り。出番すらなかったせいもあってか、ケイネスはムスっとした表情で誰とも口をきこうとしない。

「はぁ……」

ソラウは自分の許嫁の器の狭さに思わず溜息が出た。
しかしながら、その溜息が出ると同時に、髪を梳かす為の櫛を手に持つところは流石である。

「―――ランサー。居るのでしたら、出てきなさい」

寝起きの髪を整えると、ソラウは背筋をピンと伸ばしてランサーを呼んだ。

「此処におります。ソラウ様」

霊体の状態から実体となり、ソラウに傅く青年騎士。

「昨晩の働き、ご苦労様です」
「いえ。御褒めに与る程のことではございません」

それは謙遜ではなく、ランサーなりの真実だ。
マスターが求めていた結果を出せなかったのだから。

「いいえ。貴方はよくやってくれました」

だがソラウからすれば十分な働きぶりである。
ケイネスは勿論、自分を守ってくれたこと、そして今こうして話してくれることが、ソラウにとって一番の功績だ。

「これからも、私たちの為に、その槍を捧げてもらえますね?」
「御意。ケイネス殿とソラウ様の為に、この身命にかけて勝利を掴みます」

今のディルムッドはまさしく騎士の鑑といえた。
その礼儀正しく、騎士道の本懐に生きる姿に、ソラウの頬は赤くなり、瞳にも何処か潤んだ様子が見て取れた。

「ディルムッド。もういいわ、時間を取らせてすいませんでした」
「お構いなく。また何かあればこのディルムッドに何なりとお申し付けください」

そうしてディルムッドは再び霊体化していった。

「……はぁ」

ソラウはまた溜息をついた。
先程の呆れの感情に満ちた冷たいモノとは違う、熱い想いに満ち溢れた溜息を。





*****

ランサーは―――ディルムッド・オディナの心には一つの懸念があった。
それは他ならぬソラウのことである。

ディルムッドの生前は、正直なところと悲恋と悲劇によって彩られた武勇が多い。
その原因は彼の”愛の黒子”と、それに引き寄せられたグラニア姫にあった。

ディルムッドは”フィオナ騎士団”という文武両道の凄腕戦闘集団の随一として扱われる勇者だった。
数多くの戦友たちと腕を競いながら、大将である老雄フィン・マックールに忠義を尽くし、その様を吟遊詩人によって語られる。
それこそがディルムッドたち騎士の望んだ、憧れた道なのだ。

名実ともに隆盛を誇るフィオナ騎士団のもとへ、国王の娘であるグラニア姫とフィンとで婚約を結ぶとなれば、みなは共に酒を交わし合い、新たな門出にと賑わった。
だがこの時、その宴にディルムッドがおり、彼の顔をグラニアが見たことが全ての始まりだったのだ。

宴が終わり、グラニアはディルムッドを人けのない場所に呼び出し、唐突に唇を重ねていったのだ。

「私を連れて、お逃げください」

自分を縛る忌まわしき婚姻から解き放ってほしい、と。
それこそが、二人の背信の逃避行の始まりであった。
約束された栄光の道を捨て、二人は愛に生きる道に進んだ。

無論、花嫁を掠め取られたフィンは激怒し、幾度なりとも刺客を送ったが、ディルムッドはそれらを悉く撃退した。
即ち、皮肉なことにディルムッドの武功とは、逃避行を成功させるために振るわれたといっても過言ではないのだ。

最終的にフィンは二人の仲を認め、騎士団に戻すようにしたが、彼の中の憎しみは消えてはいなかった。
そして、それは瀕死の傷を負ったディルムッドを見殺しにする結果に終わった。

ディルムッド・オディナは―――ランサーは悩んだ。
聖杯戦争の召喚に応じたのは、第二の生を恋ではなく忠にて全うするためだけにある。
もしソラウが、もう一人のグラニアと同じ事をのたまわったのなら、いかに残酷であろうと突き放さねばならない。
そうしなければ、きっと…………。





*****

「あ〜〜、チキショー。どうにもこうにも、スッキリしない」
『ロック。ゲートがないとはいえ、無防備すぎませんか?』
「ほっといてくれ」

紺色のコートを纏った茶髪の英国青年ことデューク・ブレイブは、未遠川の左右を挟む舗装された歩道にてゆったりと歩いていた。
目的は町内のパトロールとロキの探索だ。尤も後者はともかく、前者は建前に過ぎない。
デュークは自分たち騎士と決定的に相容れない現実主義の塊である切嗣と同じ空間にいるのが嫌だったのだ。
その為、当初の目的を引き合いに出して真昼間の空の下で散歩じみた時間を過ごしているというわけだ。
さらに、切嗣が監視目的で放ったと思われる使い魔をついさっき潰したこともあり、不機嫌さはかなりのモノとなっている。

『ところで、ロック。気づいていますか?』
「一応は、な」

首にかかっているペンダント――魔導具ルビネは主人に注意を促す。
しかし、デュークは既に察知していたらしい。
人ならざる者の気配を……。

「川上の方か……」

デュークは歩調を速めて速足で気配の発信源に向かって行った。





*****

未遠川の川上。
奇しくも二人の騎士が向かわんとしている場所だ。
その一種の交差点にて、一人の巨漢が川辺にて腰を下ろしていた。

「あ〜〜!なんで余がこんな雑務をせにゃならんのだぁ」

褐色の巨躯を、Tシャツとジーンズで包んだ赤毛の男。
存在感ありまくりの外観と偉ぶった口調。傍にはデカいバッグ、手には試験管。
彼を知る者がこの場にいたら、ゐの一番でこう言っただろう。

「……何やってんのよ?征服王(イスカンダル)……」
「何時から君は、水質調査員になったんだ?」

輪廻とキャスターというちょっとした知り合いが、試験管に川の汲んでいるライダーに呆れたような口調で話しかけた。

「おおッ、女騎士とキャスターではないか」

ライダーは本来なら敵対者である二人の登場に驚きつつも、それを歓迎するかのように立ち上がった。

「なにしてんのよ、あんたは?」
「なぁに。坊主にいいつけられて、水汲みをな」

コルクがされた試験管を見せつけながらライダーは意気揚々に答えた。
普通、そういう事は黙っているのが、情報戦をも重視する聖杯戦争の鉄則のような気もするのだが。

『この川には邪気さえ無いぞ。調べて意味があるのか?』
「坊主がそうして来いと言ったのだから致し方あるまい。余もやっとズボンを手に入れたのだからな」
『そうか。それを餌に駆り出されたか』

なんだか見えなくてもいい背景がチラりと見えてしまった気がする。

「「『……はぁ……』」」

なんだか脱力系のシーンを見せられて、三人は深くため息をついた。
ただでさえ、何をどうすれば良いのかわからないこの時。
そんな大事な時に―――

『ロック、あそこです』
「おッ、サーヴァントか!」

余計な困難を齎しかねない波乱の種が舞い込んできた。





*****

時刻は既に夕暮れ時。
ウェイバーは机に突っ伏したまま、うたた寝をしていた。
だが、そんな安息の時間もすぐに終わる。

「ウェイバーちゃん、アレクセイさん達がお着きなられたわよ」
「―――――ん?」

この家の老婦人の声で目が覚めた。
ウェイバーには宿を借りる資金はない。
なら、魔術を使って民家の住人の記憶の一部を書き換えて忍び込めばいい。
といっても、そう大層な暗示ではないのだが。

しかしながら、アレクセイとは誰なのか?
英国出身であるウェイバーは人の名前となれば、すぐに綴りを頭に思い浮かべる。

アレクセ……ALEX……ANDER?

「……ちょっと待てぇぇぇッ!?」

一気に覚醒した不幸少年は、部屋から飛び出しやいなや、階段を急転直下していった。
そして一階で見たモノとは、



「わはははははははははははは!!」
「あはははははははははははは!!」
「にゃははははははははははは!!」
「ふはははははははははははは!!」



リビングにて食卓を囲いながら、ビールを煽りつつ大笑いし合う四人の男女であった。
そのうちの三人はライダー、デューク、輪廻であるが、残る一人はこの家の主であるマッケンジー氏。

「…………はぁ」

すっかり三人によって懐柔された老夫婦の姿に、ラフな格好をしたキャスターも思わず何度目かの溜息。
しかしながら、その手には彼のお手製と思われる料理の数々が、お盆に乗せられて運ばれてくる。

「いやぁ、三人とも気持ちのいい呑みっぷりですなぁ!」

グレン・マッケンジーは、もっと呑めと言わんばかりにみんなのコップにビールを注ぐ。
久々に一緒に呑む相手が大ぜいできたことが心底嬉しいようだ。

「うちのウェイバーもイギリスから帰ってくるころには酒の一つも覚えてくるかと思ったんですが、まだまだてんでダメでして。つまらん思いをしておったのですよ」
「ハハハ、彼は遊びを知らんですからな。世の中楽しんだ奴が勝ちだと、常々言い聞かせ取るんですが」
「そうそう。この酒にしろ、こうして大笑いする為の必需アイテムってもんよ」

男三人が酒と遊びの談義を繰り返している。
このある意味悪夢とも言える光景は一体なんなのだろうか。

さらに、

「へぇ。さすが日系人さんだけあって、和食が得意なんですね」
「いえいえ。古い記憶を引っ張り出して試しに作ったにすぎません」
「あらあら、カマトトぶっちゃって。味は星が付く位に最高じゃないの」

こっちはこっちで料理談義に突入している始末。
もう悪夢どころか混沌一歩手前だ。

(―――つーか、なんでキャスター連れてきてんだよアホぉぉぉぉぉ!!)

自分たちの拠点に敵サーヴァントと敵マスター+αを引っ張り込んできた駄サーヴァントに、ウェイバーは念話で必死の絶叫を上げていた。





*****

二階のウェイバーの部屋(仮)

「何でお前らまで此処に来てんだよォッ!?」
「「「ライダーに誘われたから」」」
「うむ。飯と酒は大勢で食う方が断然うまいからな」
「やっぱオマエの所為かよこのドアホがァァァ!!」

今やちょっとした漫才小屋と化したこの部屋。
長身の男三人、小柄な少年一人、そして女性が一人。これだけの人数が入ると流石に狭さを感じる。

「水汲みに行くだけの仕事で何で敵引っ張って来てんだよ!?オマエ端っから勝ち抜くつもりないだろ!?」

どこぞのツッコミメガネ宜しくなツッコミぶりを披露してくれるウェイバー君。
この世界でのイジられ兼ツッコミ担当は彼で決まりかもしれない。

「そうツンケンしないの。折角、記念写真も撮ったのに」
「あんたもあんたで此処へ何しに来てんだ!?」

懐からカメラと集合写真を取り出してくる輪廻に、ウェイバーの渾身のツッコミが続く。
そんな不幸少年に、キャスターは思うところがあったのか、ポンと肩に手を置いた。

「少年。人生には、避けようのない試練がある」
「―――――――」

なんだか、冗談抜きで泣きたくなってきた。
不幸なんだか幸運なんだか、いまいちよくわからない二人だけの世界がそこにあったのかもしれない。

「まぁ何だ。小僧、元気出せ」
「うるさぁぁぁぁぁい!!」

しかし、デュークの放ったトドメの一言によって、怒りと悲しみの栓が決壊するのであった。



そんでもって、漸くウェイバーが落ち着いた頃。



「にしても坊主。何故余が川で水汲みなどをせにゃならんのだ」
「煎餅齧ってビデオ観てるよりは有意義だからだよ」

この応酬からして、ライダーがいかに自堕落な生活をしているのかが垣間見えてきて、キャスター辺りは眉間に手を当て始めている。

ウェイバーはベッドの横に置いてある大きなカバンを手にして中身を出した。
それは時計塔時代から使っている実験用具と魔術的な薬品である。

ライダーが川の水を汲んできた試験管には、汲んだ場所を示す為にアルファベットのラベルが貼ってある。
最下流をAとして、上に上がるにつれてどんどんアルファベットが進んでいく方式だ。

ウェイバーは試験管立てに試験管を刺し込み、コルクを外す。
そして、スポイトで薬品を垂らす準備を始める。

「初歩的な錬金術か?」
「ああ、そうだよ」

キャスターに問われて、ヤケクソ気味にウェイバーが答えた。
バカにされていると思ったからだ。魔術師の英霊にとって、この程度のことは時宜に等しく、それを真顔でやっている自分が愚かにでも見えているのだろう。

「へぇ、これがねぇ。キャスターは特化型だし、私は戦闘専門だし、こういうのは初めて見るわ」
『なにより私がいるからな』
「……は?あんた達、こんな地味で簡単なことも……」
「仕方ないでしょ。私とキャスターはあくまで魔術使い。それも戦うことしか能がないんですもの」

それを聞いてウェイバーは、とことん問い詰めたい気持ちになったが、好い加減疲労がたまってきたこともあり、止しておくことにした。
というより、一応は敵であるキャスター達がその手の質問に対し、正直に答えてくれるわけもないのだから。

雑念を振り払い、ウェイバーは試験薬をAの試験管に垂らした。
この試験薬には、液体に混ざった魔力を探知すると、色を出すという特性がある。
この冬木は土地の中央に河川がある上、水というのは上から下へと流れていく性質がある。
もし未遠川の近辺で魔術を用いたなら、その名残が川の水に術式残留物として流れている可能性を考えたのだ。

Aの結果は、変化なし。つまり外れ。
まあ、元々もしかしたら、程度の考えでやっていることなので、大きな期待をしているわけじゃない。第一、まだ始めたばかりだ。
ウェイバーはそうして今度はB、C、D、E、F、Gといった順に試験薬をスポイト垂らしていった。
だが、結果は無反応のままだ。水はまだまだ清く澄んでいる。

やはり、こんなことは無意味だったのだろうか、とウェイバーが思ったとき、

――ポタ――

「……ん?」

Pのラベルが貼られた試験管の水が、ほんの僅かにだが薄黒く濁った。
目を凝らさなければ判別できないほどの薄さだが、それでも試薬に反応した。
ウェイバーは目の色を変えて、今度はQの試験管に試薬を垂らした。

すると、今度は無反応。

「……おい、ライダー」

ウェイバーは冬木市の地図を広げた。
地図の中央に描かれている未遠川の川岸には、最下流をAとし、上流に昇るにつれてアルファベットが進んでいくようにマーキングされている。

「ここと、ここの間に、何かあったか?排水溝とか、用水路とか」

ウェイバーはPとQの中間を指し示す。

「おう、一際ばかでかいのがあった」
「それだ。そこへ行けばきっと、この魔力に――いや、ホラーに関する手掛かりが見つかるはずだ」

ウェイバーが確信を以て言い放つと、ライダーが変に神妙な顔つきになる。

「おい、坊主。貴様もしかして、えらく優秀な魔術師なんじゃないか?」
「オマエ、またボクを馬鹿にしてるだろ。こんな鑑識みたいな方法、ハッキリ言って下の下だ」
「ハハハ。下策を以て上首尾に至ったのなら、上策から始めるより数段勝る異形ではないか。誇るがいいぞ。余もサーヴァントとして鼻が高い」

なんとなく言い返したくなったが、結局のところ、ライダーがウェイバーを褒めたことに変わりないので、彼は黙っておくことにした。

「それじゃあ、場所に見当がついたことだしよ」
「そうね。皆で突撃しましょう」

そのはずだが、勝手に動こうとしている連中がいた。

「ちょっと待て。もし向こうが迎撃の用意をしてたらどうする気だよ?」
「そうしたら、私と彼で如何にかするわ。安心してちょうだい」
「それにな、ベルベット。ホラーといえどバカじゃない。この土地で、この時に。何時までも同じ場所に留まってると思うか?」

つまり、敵が移動する前に手早くたたかねば、お前の努力は水泡になると、暗に伝えている。

「そうだぞ、坊主。せっかく貴様がマスターらしい働きを見せたのだ。ならば、余もサーヴァントとしての心意気を見せねばなるまいて」
「…………」
「そう初っ端から諦めてかかるでない。取りあえずブチ当たるだけブチ当たってみようではないか。案外なんとかなるかもしれんぞ?」

紀元前の兵士たちも、こんな暴君の我儘につき合わされ、振り回されていたのだろうか。
それを考えると、思わずウェイバーは同情の念が沸々と湧いてくるのを感じたのであったん。





*****

結果的に何とかなってしまう―――どころの話ではなかった。
イスカンダルの「神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)」にて用水路へと突入した者達の感想は、拍子抜けの一言に尽いた。

なにしろ、壁となる者が何一つないのだから。

牡牛が引く戦車は何物にも阻まれることもなく、用水路の道に従いながら奥へ奥へと突っ走っていく。
もしかしたら、もうホラー達は逃げたのか?と思うと、ウェイバーの額から冷や汗が流れる。

『『いや、何かがいる。確実に』』

しかし、二つの魔導具はその察知能力を頼りに、何者かが潜んでいることを看破していた。

稲妻を煌めかせる戦車はあっと言う間に狭苦しい通路から抜けて、一際広大な―――それでいて湿気が多く薄暗い貯水槽へと辿り着いた。

「ここね」

輪廻はゐの一番に御車台から降りた。

「ふーん。ここがねぇ」

続けてデューク。

「……なあ、ライダー」
「なんだ?」
「此処を見つけたのはボクなのに、なんであいつらズカズカと行くんだ?」
「貴様が先んじようとせんかったからだろ」

というより、少しは遠慮という物を実行してほしかった。
ウェイバーは心の内で切ない願いを零していた。

(もう何も言うまい)

キャスターもキャスターで、憐れみを通り越した表情で状況を見守るしかなかった。
しかし、そんな感傷に浸っていられるのも今の内だった。



「あらまあ……随分と大人数なお客人ですね」



暗闇の中から聞こえてきたのは、気品と優雅さを兼ね備えた若い女の声。



「え……?今の、声って……?」



その声を聴き、輪廻の表情が強張った。

「しばらく見ない間にお転婆になったようですが、立派にもなりましたね―――輪廻」
「ウソ……。なんで、貴方が……ここに、いるのよ―――姉さんッ!!」

場の空気が騒然とした。
ホラーがいると思われた魔力を辿ってみれば、そこにいたの輪廻の姉だという一人の女だ。
フードと長袖がついた黒マントで首から下を覆い隠しており、その所為で生首が宙に浮いているような錯覚を覚える。

「姉さん?つーことは、あいつが先代のロキ……聖雷火なのか」
「ええ、そうですよ。初めまして、紫電騎士さん」

雷火は軽く会釈してデュークに挨拶した。

「キャスターにライダー、そしてベルベットくんも、初めまして」

続けて、何も知らぬサーヴァントと魔術師にも一方的に挨拶をした。

「姉さん、答えて。何故貴方が此処にいるの?」
「愚問ですね、決まっているじゃないですか。私もこの戦いに参加するのですよ」
「貴様……よもや令呪を……」
「先に言っておくますが、誤解なきように」

キャスターが厳しい目付きで雷火を睨むと、雷火は涼しい顔でこう説明した。

「私は雁夜さんとの契約に従い、二つの条件を満たしたうえで、これを譲り受けたのです」

と言って、雷火は片方の手袋を外し、手の甲に刻まれた三画の令呪を見せた。

「そんなこと、どうでもいい」

だが、輪廻は顔を俯かせながら、この重要なイベントをどうでもいいと述べた。
彼女にとって、雷火がバーサーカーの主人となったこと以上に、見過ごせないことが一つある。



「なんで……なんで貴方が生きてるのよ!?五年前に、死んだはずよッ!」



再び場が騒然とした。
死んだはずの女が、今こうして生きている。
それが魔的に実現するとすれば、

「そうか……貴様、吸血鬼か」
「ご明察です、キャスター」

雷火は悠々と答えた。

「吸血鬼……。かの先代ロキがねぇ……」

後ろにいるデュークは、意外そうにはしているが、驚きはしていなかった。
ウェイバーとライダーにいたっては、下手に部外者が口出しすることではないと思ったのか、ろくに口を開こうとしない。

「吸血鬼。サーヴァントを得たのならば、貴様もこの戦いに参加する―――つまり、輪廻に牙を剥くという訳か?」
「邪推にも程があります。私が喰うのはホラーだけです。それに―――」

雷火は憂いと切なさが混じりあい、そして悲恋の相手でも見るような視線で輪廻に一瞥した。

「何故、唯一の家族に刃を向けられましょうか?」
「……姉さん……」

輪廻は思わず涙をこぼしそうになったが、今この場にいるのは従僕だけでないことを思い出し、堪える。

「輪廻。私は例え化け物になろうと、人でなしになろうと、魔戒騎士としての矜持だけは失いません。そう、守りし者としてね」

雷火の瞳には、紛れ様もない家族への愛があった。
そして、揺るぎない騎士としての誇りがあった。

「姉さん……私、私……」
「そんな顔をしないで。すぐにまた会えるわ」

姉は妹に向けて、寂しくも優しい微笑みを浮かべた。

「キャスター。輪廻を、お願いいたします」
「言われるまでもないことだ」

キャスターは雷火に対して不愛想に答えた。

「ヴァルン。貴方もお願いね」
『無論だよ、姉君』
「もう、マスターとは呼んでくれないのね」
『私がマスターと呼ぶのは、狼姫の鎧を纏う者のみ』
「そうだったわね……」

少し悲しそうに、かつての相棒と言葉を交わす。

「では皆さん。妹と如何か仲良くしてあげてください、いずれ敵同士になるとしても」

雷火は軽く頭を下げてそう願い、望み、頼んだ。

「姉さん……私は、必ず……」
「えぇ。必ず使命を果たしなさい。私も、怪物なりに頑張ってみるから」

そうして、雷火は「またね」とだけ言い残し、身体を黒い霧に変えて姿を消した。
厳密に言うと、黒い霧となった身体が、月光が差す天井の穴から外へと出ていったという形になるが。

残された者達は、みな重い沈黙に包まれる。
しかし、

「さあ、みんな。行きましょう」

輪廻だけは、強い表情で言った。

「お、おい、いいのかよ?……もしかしたら、行き先の手掛かりが……」
「いらないわよ、そんなもの。第一あの姉さんが、そんな物を残すはずがない」

戸惑うウェイバーに、輪廻はハッキリと答えた。

「だって、あの人は―――私の自慢の姉さんなんだから」

そして、月夜の光に照らされた顔は、もう憂いの色を無くしていた。
そこにあるのは、例えどのような形でも、此の世で唯一の肉親と再会できたことへの、純粋な喜びと、己が使命への誇りだった。

「ライダー。お願い」
「おう。任せておくがいい」

イスカンダルは、そんな輪廻の誇らしげな心境を察したのか、追求することはしなかった。

皆は戦車へと再び乗り込み、ライダーは手綱で牡牛に合図を出した。
二頭の牡牛らは雄たけびをあげ、合計八つの蹄にて地を踏みしめ、稲妻を呼ぶ。
戦車が落雷の如き速さで走り去ると、最早そこには、ネズミ一匹すらいない、僅かな月明かりだけで照らされた薄暗闇の空間だけが残されていた。




次回予告

ヴァルン
「思いもよらぬ場所で、思いもよらぬ事はよく起こる。
 私は長いこと生きていたから、絶対にそうだと言い切れる。
 そして、起こった出来事には必ず意味があると信じている。
 次回”酒盃(さかずき)”―――君は今まで、後悔したことはあるか?」



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m


<<前話 目次 次話>>

作家さんへの感想は掲示板のほうへ♪

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.