真っ赤に塗装された戦艦バルバロッサがイゼルローン要塞に入港してきます。
         
 その間、要塞司令部の大きなサブスクリーンには帝国軍の捕虜さんたちにメーッセージを送るローエングラム候の姿が映っていました。
                
             『勇戦むなしく敵中に囚われた忠実なる兵士たちよ。私は卿らに約束する。捕虜となったことを罪としてそれを責めるごとき愚劣な慣習はこれを全面的に廃止するものである。帰国した諸君全員に一時金と休暇を与える。しかるのちに希望者は自らの意志をもって軍に復帰せよ。全員一階級を昇格させる……』
                
             最初の印象は「なんてきれいな人だろう」でした。光り輝く黄金の頭髪、輪郭も完璧な造形美的な顔。背も高いようだしなぁ……
                
             ナデシコの女性陣からも惜しみないくらいの感嘆が響きます。逆にウリバタケさんたちはひがみ気味。
         
 「かっこつけていられるのも今のうちだ!どうせお前は俺らに倒されるんだからなっ!!!」
                
             まあ仕方がありません。ローエングラム候はとんでもない美貌の持ち主だったのですから。
              
             中将の反応はどうだろう?
              
 「ねえねえアキト、今夜ユリカがご飯作ってあげようか?」
                
             「え!? なんで?」(三歩退く)
                
             「なんでって、ユリカの手料理食べてもらいたいんだぁ……」
                
             「えーと、えーと……ユリカ、ローエングラム候っていろんな意味で凄い人だよね!」
                
             どうやらお花畑みたいです……
                
             ローエングラム候のメッセージは続いています。
                
             『……卿らは胸を張って堂々と帰国せよ。恥じるべきは卿らを前線に駆り立て降伏もやむなき窮状に追い込んだ無能で卑劣な旧軍指導者たちである。
                私、ローエングラム元帥も諸君らに感謝しかつ詫びねばならない……』
                
             最後に、同盟に協力を感謝してローエングラム候のメッセージは終わりました。
                
             その直後にヤン提督が惜しみない拍手を贈ります。
                
             「政治的に完璧だ。ローエングラム候は200万の精鋭を手に入れたも同然だ」
                
             ということみたいです。私には政治とか難しいことはよく分かりませんが、ローエングラム候が帝国軍の捕虜のみなさんに対して最大限の配慮をしたことは理解できました。
                
             軍の最高指導者がそれまでの過ちを認めて謝罪までしたのですから、捕虜だった皆さんが感動しないわけがないと思います。
                
         
      いつの間にか映像が軍港に切り替わっていました。バルバロッサの艦尾ハッチが開くと、またまた大きなどよめきが沸き起ります。
                
             先頭を歩く人はとても背が高くて赤い髪が印象的な光彩を放つハンサムな軍人さんだったからです。
                
             「このひとがジークフリード・キルヒアイス提督かぁ……僕と6つしか違わないのに凄いなぁ」
                
             なにやらユリアンさんが感慨にふけっています。キルヒアイス提督は20歳そこそこで上級大将さんで帝国軍の副将さんですから、ヤン提督や中将より凄いわけです。彼が熱くなる理由が分かります。
                
             そして、アムリッツァでは同盟軍の後背を襲った別動隊の司令官さんでした。その艦隊の正確な砲撃に第14艦隊は何度窮地に立ったかわかりません。
                
             あの穏かで虫も殺せなそうな顔の内側には、ローエングラム候が強く信頼を寄せるほどの用兵の才能が詰まっているかと思うと、ナデシコのピンチって継続中かな?
                
                
              
             ──ホシノ・ルリ──   
               
            
            
   闇が深くなる夜明けの前に
            
   機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説
               
            
            
            
      
            
            
            
            
            
              
T
              
 入港した戦艦バルバロッサから彼が軍港に降り立ったとき、司令部の大画面に映し出されたその容姿にため息を漏らす婦人兵の数は決して少なくなかった。
                
             スクリーンを見つめるユリアン・ミンツも素直な感想を述べる。
                
             「キルヒアイス提督は、ハンサムな人ですね」
                
             すぐ傍らで毒づいた撃墜王がいた。
              
 「司令長官とその腹心も美形かよ。どんだけ帝国軍は歌劇団なわけ?」
                
             「お人が悪いですよ、ポプラン少佐」      
 「まあ、あれだ。ローエングラム候には及ばんな」
            
   ひがみですね、とはユリアンは言わず、やんわりと撃墜王をなだめる。すぐその隣で映像を注視していたワルター・フォン・シェーンコップが彫りの深い精悍な顔に余裕の笑みを浮かべて悠然と言った。
                
             「そうだな。あと10年も人格に磨きをかけて深みと成熟さを増したら、あるいは俺の対抗馬になるかもな」
                
             「シェーンコップ准将そのものはナンセンスですね」
                
             冷静な突っ込みは琥珀色の瞳にツインテール髪も印象的な美少女だった。ホシノ・ルリは、ユリアン・ミンツの隣で涼し気な顔を画面に向けている。
                
             苦笑いと同意の笑いが司令部に連鎖する中、このやり取りを聞いていたヤン・ウェンリーも総司令官のイスに座って小さなコントに軽く笑みを浮かべていた。
              
 「やれやれ、イゼルローンは平和だね」
                
             とヤンは思う。その発言とは違い、彼は帝国軍からの捕虜交換の申し出があった日、ミスマル・ユリカをはじめとする幕僚連中を招集し、帝国軍──ラインハルト・フォン・ローエングラム候が潜ませた謀略について言及した。
                
             当然、多くの反響が返ってきたし、申し入れを拒否する提案もあったが、文民統制下にある軍人が勝手に判断はできないとして退けていた。
                
             罠があるとわかっていても証拠がないし、自分には決定権がない。ユリカが捕虜たちを調べるためにルリの協力を申し出たが、ヤンは必要なしとして断った。交換式自体が陽動の可能性が高いためだった。
                
             そんなジレンマを抱えつつ、今日まで準備も滞りなく終了し、今のところ捕虜交換も穏かな雰囲気の中、平和的に終わりそうな予感だ。要塞内では何事かが起りえるような空気はほとんど感じられないでいた。
                
             ヤンにもローエングラム候の謀略に対抗する考えはあるのだ。
              
 それに──
                
             ヤンの視線の先には一人の女性が立っている。腰まで届く長いツヤのある頭髪と華麗な白い制服が周囲に映える女性艦隊司令官だ。
                
             ミスマル・ユリカは、「フィアンセでーす!」と公言してはばからない青年とたあいない会話を交わしながら軍港の様子を眺めている。
                
             ヤンは、ミスマル・ユリカの用兵手腕に大きな信頼を寄せていた。第14艦隊の活躍は彼女の能力なくしては成立しえず、それは決してまぐれで片付けられるレベルではなかった。名将がもつ資質というものを彼女に強く感じていた。
                
             今、ヤンのもとにはミスマル・ユリカがあって、首都星にはビュコック提督やボロディン、ウランフ、アップルトンといった信頼できる将帥たちがいる。
                
             もしかしたら、同盟でクーデターが起っても予想より早く鎮圧できるかもしれない、とヤンは考える。
                
             「できれば事前に阻止したいところだが……」
                
             声がした。
                
             「閣下、そろそろ会場に向かった方がよろしいかと」
                
             傍らに立っていたのはヘイゼル色の瞳も美しい副官のフレデリカ・グリーンヒル大尉だった。
                
             「いけないいけない。さすがに遅れたらムライ少将にどやされそうだよ」
                
             ヤンはイスから立ち上がり、ベレー帽を被り直した。
                
             「さて、ローエングラム候の腹心に会ってこようかね」
                
                    
              
              
              
     
                
 帝国軍代表ジークフリード・キルヒアイス上級大将が会場に姿を現したとき、婦人兵の間からまたも大きなため息が次々に漏れた。
                
             「近くで見るとさらにハンサムねぇ……」
                
             「赤い髪が素敵だわ」
                
             「ローエングラム候の腹心だって納得よね」
                
             その黄色い声の一角では、ごく例外的に次のような会話も交わされていた。
                
             「今度のカップリングはキルヒアイス提督×アキトくんで決まりだね!」
                
             「ヒカルちゃん、勘弁してください」
                
              
 捕虜交換式は2人の握手を経て、ヤン・ウェンリーが交換証明書の文面を読み上げることから始まった。
                
             その間、わずか12秒……
                
             2秒スピーチで慣らしたヤンにとっては6倍の長さだ。とにかく簡潔を旨とする青年提督は首都星から送られてきた長ったらしい文案を素っ気なくスルーし、グリーンヒル大尉に作成させた文案を彼自身でさらに省略していた。
                
             ヤンが読み終える間、キルヒアイスを含む四人の代表団は視線を壇上に向けつつも、ある人物をずっと探し続けていた。
                
             (おかしい、ミスマル・ユリカは参列していないのか?)
                
             ベルゲングリューンとベルトマンはさりげなく会場を見渡したが、確実にそれらしい人物を見つけられないでいた。会場に入ってゆったりと握手を求めてきた平凡そうな同盟軍士官が、かの「
                
             しかし、その一見学者のような容姿の内側に帝国軍が畏怖する知略が詰まっているかと思うと、自然と彼らの背筋を正させる。
                
             問題は「アムリッツァの魔女」ことミスマル・ユリカだ。
                
             会場に足を踏み入れてすぐにキルヒアイス以外は彼女を捜し、赤毛の提督がヤンと握手を交わした直後にそれらしい人物を発見した。まとめあげられた金髪に落ち着いた雰囲気の美貌の女性士官だった。
                
             大人の魅力全開の20代後半と思われる人物は、だがベルトマンたちが捜すミスマル・ユリカでないことがすぐに判明した。
                
             白衣を着用し、階級章が軍医のものだったのだ。
                
             ベルトマンらは視線を交わし、再び魔女を捜した。そしてあることに気づく。同盟軍の軍服は男女とも上はダークグリーンのジャケットに下はアイボリーホワイトのスラックスである。
                
             しかし、変わり映えしない地味な軍服の中に金髪の軍医と似たような、それまで情報のなかった橙色や赤、青色のカラフルなデザインの異なる軍服が混ざっていることに気がついたのだ。
                
             「彼らは?」
                
             その疑問が驚きをもって判明したのは、本格的に調印式が始まる直前だった。
              
 会場に設けられた一段高い調印場の周囲に同盟軍兵士が集まってきたときだ。赤い軍服を着た20代と思われる婦人兵の腕章には、
              
 【ND-001NADESICO】
                
             と赤い羽根か花びらのようなロゴとともにそう刺繍されていたのだ。
                
             「彼らはあのナデシコの乗員なのか?」
                
             それぞれが推測するように胸中で呟いたとき、ひときわ大きな拍手とともにフラッシュの光が何度もまぶしく瞬いた。
                
             ジークフリード・キルヒアイスとヤン・ウェンリーが証明書にサインを終え、お互いに握手を交わしていたのだ。
                
             キルヒアイスは、ヤンと一言二言の会話を交わすと壇上を後にする。
                
             ベルトマンたちも未達成感を残して上官のあとに続くが、ふとその足が止まった。
                
             「お2人はお幾つですか?」
                
             キルヒアイスが声を掛けたのは、軍服姿も初々しい亜麻色の髪の少年と、オレンジ色の軍服?をキッチリと着込んだ白い肌と琥珀色の瞳も美しい銀髪の少女だった。
                
             前者の少年はよい。キルヒアイスも内心で驚いていたのは、少女の装いがあのナデシコ乗員と同じようなデザインだったからだ。案の定、左胸にあしらわれた所属章が「ナデシコ乗員」であることを証明していた。
                
             (こんな少女がナデシコの乗員だというのか?)
                
             ベルトマンたちの衝撃を知る由もなく、少年と少女はそれぞれ今年で15歳と14歳になることを赤毛の上級大将に告げていた。
                
             「そうですか、私が幼年学校を卒業して初陣したのは15歳のときでした。それ以前は軍人になるとは夢にも思っていなかったものです」
                
             少年と少女はキルヒアイスを見上げるようにして聞いている。
              
 「がんばってください、と言える立場ではありませんが、どうか元気でいてください」
                
             一瞬、ためらうようにしてキルヒアイスはおもむろに質問した。
                
             「お二人はお友達ですか? それとも……」
                
             それとも恋人同士ですか? と問われると、少年と少女はお互いを見合ってあきらかに恥ずかしそうにしていた。
                
             「失礼しました。式が始まった直後から2人がずっと寄り添うように一緒でしたので、ちょっと気になってしまいました。ですが、もしお互いに大切な存在ならどうかずっと仲良くしてくださいね」
                
             キルヒアイスは最後に微笑むと、会場の出口に向かって長身をひるがえし、ベルトマンたちも後に続いた。
                
  
             「もしかしたらミスマル・ユリカを式に出さなかったのではないか?」
                
             ベルトマンはそう考えた。もともと情報そのもが少ないのだ。ナデシコとミスマル・ユリカに関する情報は同盟でも統制が厳しいのか、アムリッツァ後もまともに入ってきてはいなかった。彼女を秘匿するつもりならば、調印式に姿を晒すことはないだろう。
                
             しかし、その秘匿する理由とはなんだろうか?
                
             「まさか……な……」
                
             ベルトマンは、オーベルシュタインから得た情報を思い出して頭を振った。まだ信じきれていないが先入観とは恐ろしいもので、義眼の参謀長が推論するように過去から現在に跳躍したとされる「ナデシコ」の事実を同盟が隠しているとしたら?
                
             「それはありえないか?」
                
             と思うのは、ナデシコの乗員と思われる人物たちが会場に姿を現しているではないか?
                
             本当に隠す気があるなら乗員たちを自由にさせたりはしないだろう。
                
             いや、そうでないならば、彼らが見たナデシコ乗員たちは、実はそれらしく偽装されている可能性がある。
              
 なんと言ってもアムリッツァ以前からあきらかに情報統制されていたのだ。それがアムリッツァ後に緩むとも考えられない。
                
             そうなるとミスマル・ユリカがイゼルローンに赴任したという情報そのものを疑うことになる。
                
             それこそまさにややこしいことだった。
                
             結局、キルヒアイスらは調印式会場を退出するまでミスマル・ユリカと特定できる人物を目にすることはなかったのだった。
                
                
                    
              
              
              
        
              
V
              
 そもそも、調印式後のパーティーは最初存在しなかった。双方のいくつかのやり取りの過程で同盟軍側が主催したいという申し出を帝国軍側が受けた形だ。中身がパーティーと呼べるかどうかはさておき、両軍の人道的努力と調印式が無事に終わることを前提に催される。
                
             「無駄なことだな」
                
             とラインハルトあたりなら冷笑ものだが、捕虜交換式に含むところがありすぎる金髪の元帥は珍しく肯定したという。
              
 もちろん、ヤン・ウェンリーとミスマル・ユリカをより知る機会を与えられるからである。自分の野望の前に立ちふさがるであろう同盟軍の中核を担う相手を知らないわけにはいかない。
                
             直接、彼らと会うことになる赤毛の提督はラインハルトの意を汲んでの代表でもあった。
                
                
             同盟軍の士官に案内されて会場の扉をくぐったキルヒアイスたちは、ほとんど待ち構えていたであろう、まず帝国でも見ることはない眼鏡を掛け派手なベストを着用した民間人風の男性と、黄色い軍服姿の婦人兵たちの熱烈な歓迎を受けた。
      
「「「「「ようこそ! 帝国軍代表のみなさまっ!」」」」」
              
 思わぬ奇襲攻撃にベルゲングリューンやベルトマンはおもわず半歩ほど後ずさりしてしまう。
                
             古きよき時代の眼鏡をかけた男が一礼とともに胸のポケットからカードらしきものを取り出し、にっこり笑ってキルヒアイスに丁寧に差し出した。
                
             「はじめまして、キルヒアイス提督。わたくし、こういう者でございます」
                
             「はぁ……」
                
             キルヒアイスが戸惑いとともに受け取ったカードは電子名刺だった。特定の面に触れると内容が自動的に変化するタイプである。3Dメッセージを挿入できるタイプもあり、フェザーン商人の間では好んで使用されている。
              
 キルヒアイスが受け取った名刺には次のように表示されていた。
                
             【イゼルローン要塞・要塞副事務総監兼戦艦ナデシコ経理主任・プロスペクター】
                
             「ナデシコ」という固有名詞に内心で驚いてしまうキルヒアイスだが、表情には欠片も出さない。
              
 とはいえ、平静を装うには多少の努力を必要とした。
                
             「失礼ですが、このプロスペクターというのはお名前でしょうか?」
                
             「いえ、ハンドルネームのようなものです。お気になさらず。どうぞお見知りおきを」
                
             と言われても気になってしまう。べルゲングリューンとベルトマンはお互いに視線を交わし、ジンツァーは視線が宙に浮く。
                
             「それからわたくし、パーティーの実行委員長と司会を務めておりますので、どうぞよろしくお願いいたします」
                
             困惑する帝国軍の代表たちを尻目にプロスペクターは彼らを純白のクロスのかかる円卓のテーブルに案内した。中央には季節の花が花瓶に添えられている。
                
             「もう少しいたしましたらヤン提督たちもお見えになりますので、しばらくお待ちください。それではこれで失礼いたします」
                
             プロスペクターは、黄色い眼鏡の下に笑顔を振りまき、一礼してその場を離れる。
                
             ベルゲングリューンがキルヒアイスに小声でささやいた。
                
             「閣下、今の人物はナデシコの関係者なのですか?」
                
             「ええ、どうもそのようです。要塞副事務総監とナデシコの経理担当ということですが……」
                
             「軍人というより民間人にしか見えませんでしたが?」
                
             「同感です。または軍属の方なのかもしれません」
 「変わった人たちですよね?」
      
 「ええ、まあ……」 
      
         その後、彼らが会話を切ったのは、ヤン・ウェンリーをはじめとする彼の幕僚たちが入室してきたからだった。その中にはナデシコの乗員と思われる赤い制服姿の婦人兵たちが数人含まれていた。残念ながら階級章からミスマル・ユリカでないことはすぐに判明した。
                
             「やはりかの魔女は出席しないのか……」
                
             落胆が増大したところで、会場の入り口で歓迎してくれた婦人兵の一人が乾杯用の白ワインをトレイに乗せて運んできた。彼女は律儀にテラサキ・サユリと名乗る。
                
             サユリはにっこりと微笑した。
              
 「キルヒアイス提督、ワインをどうぞ」
                
             「ありがとうございます」
                
             「いいえ、遠路はるばるお疲れ様でした」
                
             気さくな女性だ、とキルヒアイスも笑顔を返す。ベルゲングリューンとベルトマンは緊張しつつワイングラスを受け取り、ジンツァーは頬を赤くしていた。
                
             「えー、それではお時間も限られますので、そろそろ始めたいと思います」
                
             会場はそれほど広くない。50人ばかりで一杯になってしまう広さだ。前に垂れ幕があり、その中央付近にはスタンドマイクが置かれている。 プロスペクターがマイク片手に現れたのは、右側にある通路からだった。キルヒアイスたちはワイングラス片手にプロスペクターに向き直った。
                
             「本日はお忙しい中をお集まりいただき、まことにありがとうございます。短い時間ではありますが、司会を務めさせていただくプロスペクターと申します」
                
             彼は会場を見渡して、コホンと咳払いをした。
                
             「では時間もございませんの、さっそくミスマル提督に乾杯の音頭をとっていただきます」              
えっ?
    
           キルヒアイスたちが、固有名詞の認識をする間もなく垂れ幕が一気に上がって誰かが飛び出してきた。
                
             「みなさーん! 捕虜交換式お疲れ様でしたぁ! ぶい!!」
                
             かろうじて……きわめてか・ろ・う・じ・てキルヒアイスたちはワイングラスを落とさなかった。意表を突きすぎたまさかの登場についていけなかったのか呆然としてしまう。赤毛の提督でさえ目が点だ。反対側の席の一角では、事前に聞いていた演出とはまるで違っているハイテンションぶりに気難しい参謀長一名の魂が抜けかけていた。
                
             「 帝国軍代表のみなさん、申し遅れてすみません。わたくしが、ミスマル・ユリカでぇすっ!!」
                
             本来なら目的の人物の登場を喜ぶべきであって、彼女の為人を観察するところだが、キルヒアイスたちの思考能力は停止気味なっていた。華麗な白い制服とか、腰まで届くつややかな長い頭髪だとか──云々の容姿分析をしている余裕はない。
                
             ヤン・ウェンリーたち同盟軍参列者は慣れているのか歓声や拍手を送っている。それに彼女は手を振って応じていた。
            
 「あれ?」
              
 ユリカははっとし、反応のない帝国軍代表団に反省するかのように言った。
                
             「ごめんなさい、みなさん。はやく乾杯しろって感じですよね?」
                
             往年? のKYぶりを発揮しつつ、ユリカはコツンと自分の頭を叩く。キルヒアスたちが置いてけぼりを食らっているのもかまわずワイングラスを頭上に掲げ、活き活きと輝くブルーグリーンの瞳を会場の隅々に向けながら弾けるような声で言った。
                
             「それでは捕虜交換式の無事終了を祝しましてカンパーイ!!」
                
             同盟軍側からも大きな唱和が沸き起こった。
                
             「かんぱーい!!」
                
             途方にくれていた──ようにも見える帝国軍参列者からいち早く精神的復活を遂げたのは赤毛の上級大将だった。
                
             ジークフリード・キルヒアイスは心を鎮めてワイングラスを掲げた。
                
             「プロージット!」
                
             彼の幕僚たちも我に返って唱和した。
                
             「「「プロージット!!」」」
                
             キルヒアイスに比べ、ベルトマンたちがやややけくそ気味に見えたのは、自分たちの失態を飲み込むためだった。
                
             同盟軍側から帝国軍代表団にむけて惜しみない拍手が贈られる。それに応えてキルヒアイスが一礼すると、拍手はひときわ大きくなった。
                
             ベルゲングリューンは、陽気な喧騒の中で奇妙な既視感にとらわれていた。
                
             「なあ、ベルトマン少将、戦争が終わってしまったかのように感じてしまったのは俺だけか?」
                
             「いえ、小官も同じ気分です」
                
             ベルトマンたちがたたずむ空間は、厳格な帝国軍からみると不謹慎すぎるほど明るいのだが、昔からこの喧騒に慣れ親しんでいたのではと錯覚するほど不思議と穏かな気分になっていた。
                
             この平和的な空間を一瞬にして作り出したのは、彼らが追っていた、イメージとは真逆の女性艦隊司令官だった。
                
             ベルトマンは、調印式会場で見かけた金髪白衣美女のような落ち着いた雰囲気のクールビューティーを想像していたのだ。
                
             (勝手につくるものではないな……)
                
             彼は思い知ったように肩で息をした。とても実物は「魔女」には見えない。美人ではあるが、どこか騒がしいあわてんぼうのお姫様としか思えないし、しかも本人かどうかさえ怪しいところだった。
                
             (たしか同盟では戦姫だったか?)
                
             ベルトマンが思い出していると、赤毛の上官が無駄のない歩調でミスマル・ユリカに歩み寄っていた。
                
                
                     
             
             
            
              
W
              
 赤毛の青年は、背筋を正して華麗な軍服姿の美女に敬礼した。
                
             「帝国軍上級大将ジークフリード・キルヒアイスです」
                
             ユリカ以外ならハートをぶち抜かれているだろうさわやかな挨拶に、彼女は平常心で応じた。
                
             「同盟軍中将ミスマル・ユリカです」
                
             キルヒアイスは、天真爛漫な雰囲気から一転、一瞬のうちに表情を改めた自分と同じ年齢であろう女性が本物のミスマル・ユリカであることを確信した。
            
 キルヒアイスは、ブルーグリーンの瞳をまっすぐに見据えた。
                
             「ヤン提督以上に貴女に会いたいと思っていました。今日、それが叶ってたいへん嬉しく思います」
                
             ユリカは、一瞬恥ずかしそうにして赤毛の提督を見上げた。
                
             「いえ、私もキルヒアイス提督に会ってお話がしたいと思っていました。キルヒアイス提督はステキですね!」
                
             躊躇も遠慮もない素直な言葉にキルヒアイスは少し戸惑ってしまう。目の色がくるくると変わる女性はちょっと苦手だった。
                
             青年は話題を変えた。
                
             「アムリッツァにおける第14艦隊の奮闘をローエングラム候も賞賛していました」
              
 ユリカの表情が光がはじけるようにパッと明るくなった。
                
             「ローエングラム候が私を褒めてくれたんですかぁ!? ユリカとっても嬉しいです!」
                
             およそ帝国軍のナンバー2と話す態度と口調ではないのだが、ユリカの豊かな感情にキルヒアイスは自然と口元をほころばせる。
                
             「ミスマル提督は楽しい女性ですね」
                
             「それって褒め言葉ですか?」
                
             思わぬ逆撃をくらってキルヒアイスは慌てた。
                
             「もちろんです」
                
             「やったぁ!!」
                
             この様子を見ていたベルゲングリューンは開いた口が塞がらない状態で硬直していた。なぜなら彼自身も「アムリッツァの魔女」に彼なりのイメージを描いていたらしく、容姿は別として、その天然じみた性格には著しく理想を傷つけられていた。
       
 「ローエングラム候に褒めていただけるなんて、ミスマル・ユリカが感激していたとお伝えくださいねっ!」
       
 「え、ええ、必ずお伝えしましょう……」
              
 ちなみに、ムライ少将は乾杯の直後に極度の胃痛のため、ツクモ大佐は頭痛で会場を退出しているので、もし何事かがあってもユリカを止める者は基本的に誰も存在していない。
                
             しかし、幸いにもそれ以上の「ミスマル伝説」を残すことはなかった。
                
             ジークフリード・キルヒアイスは長居する気がなく、十分ユリカの為人を把握できたのか、会話をそこで終了したのだった。
                
             「ではミスマル提督、これで失礼いたします」
                
             「はい。キルヒアイス提督、今日のような日にまたお会いできるといいですね」
                
             その言葉は、ジークフリード・キルヒアイスの脳裏に深く刻みつけられることになる。
                
             「ええ、本当に……」
                
             赤毛の上級大将は敬礼し、長身をひるがえした。
                
                     
             
             
             
     
     
             
     X
              
 ユリカと会話を終えたキルヒアイスの足は、幕僚の一人であるベルトマン少将の傍らで止まった。退室するものと思っていた青紫色の瞳の帝国軍人は赤毛の上官の口から放たれた何気ない一言に動揺した。
                
             「次は少将の番です」
                
             ベルトマンはとっさに声が出ない。
                
             「ビッテンフェルト提督方とお約束をされたようですが、彼女と話す必要があるのではありませんか?」
                
             ますますべルトマンは声が出ない。
                
             「私はもう少しヤン提督とお話をしています。少将も心置きなくお話ください」
            
 穏かに微笑む上官が今日ほど恐ろしいと思ったことはなかった。ベルトマンは硬直してしまうが、キルヒアイスの視線が自分の背後に注がれていることに気がつく。
                
             「???」
                
             肩越しに振り向くと、なんとそこにはミスマル・ユリカがニコニコしながら立っているではないか!
                
             「では少将……」
                
             キルヒアイスは絶妙なタイミングでその場を離れてしまった。その様子を近くで眺めていたベルゲングリューンとジンツァーは勇敢な彼ららしくなく──巻き込まれないように回避行動をとっている。
                
             大きなブルーグリーンの瞳がまじまじとベルトマンを見つめた。
                
             「同盟軍中将ミスマル・ユリカです」
                
             「て、帝国軍少将ヴェルター・エアハルト・ベルトマンです」
                
             どうにか体裁を保った敬礼を返すのがやっとだった。ビッテンフェルト提督たちに頼みこまれる形で敵将──しかも女性提督と話すと約束してしまったが、できうることなら一億光年先に勇気ある撤退に踏み切りたいところだ。
                
             とはいえ、何の成果もなしに「逃げ戻った」となると、最低でもビッテンフェルト提督あたりに『大きな声で悪口を言われる』くらいは代償として覚悟しなくてはならない。だが、もともと魔女と話してみたいと欲したのはベルトマンの意思でもある。
                
             予想外だったのは、ミスマル・ユリカは彼の知る男爵夫人や伯爵令嬢のように苦手な部類に当てはまる「女性」だということである。
                
             「ヴァンフリート以来になりますね、ベルトマン
                
             憶えていたのか! とベルトマンは驚きだ。
                
             「わたし、記憶力には自信があるんですよ」
                
             ほとんど見透かされたのか、鈴音のような声で追及されてしまう。
                
             「ヴァンフリートとアムリッツァ、いずれも少将の戦術はお見事でした」
 口調は柔らかく表情も愛くるしいのだが、ベルトマンは圧倒されてしまう。
                
             「い、いえ、ミスマル提督は極めて不利な状況下でいずれも危機を跳ね
                
             「そうですか。私はどっちも、もうだめかと思いましたよ」
                
             ベルトマンは声が出なかった。こんな簡単に自分を
                
             なんて飄々とした女性だ……
                
             ヴェストパーレ男爵夫人とも、ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ伯爵令嬢とも、ミスマル・ユリカ中将の才は似ているようで実は似て異なることに気がついたのだ。前者が「静の知性」なら後者は「動の知性」だろう。ミスマル・ユリカは「天の知性」の持ち主に感じられたのだ。
                
             ベルトマンは、本気で戦慄した。
                
             (どうやら俺やビッテンフェルト提督は本物の魔女に再戦を挑もうとしているようだな)
                
             ベルトマンは内心で冷や汗をかいたが、戦慄は一転して用兵家としての高揚感に変わっていた。
                
             ──これほどの才のある女性と戦うことができるなど、未来永劫訪れることはないだろう──
                
                
                
              
 ユリカの声で我に返った帝国軍人は、彼女の右手が彼に向かって差し出されていることに気が付いた。帝国軍の副将にも求めなかったことを、ユリカは自身を二度も危機に陥れたベルトマンにだけ示したのだった。
                
             ベルトマンは握手を受けた。女性らしい、しなやかでやわらかい感触だった。
                
             最後に、ユリカが敬礼とともにベルトマンに掛けた言葉が印象的だった。
                
             「次は戦場でお会いしましょう。ですが、もし今日のような形でお会いできたら、そのときは美味しい紅茶を飲みながらお話をしましょうね」
                
             こうして、捕虜交換式の日程は全て無事に終了した。
                
             キルヒアイスたちは会場の出口で一礼し、イゼルローン要塞を後にしたのだった。
                
                
                
                      
            
            
              
Y
              
 ヤン・ウェンリーとミスマル・ユリカは、要塞司令部のメインスクリーン越しに200以上の光群を見送っていた。
                
             「ジークフリード・キルヒアイス提督か……」
                
             「とってもやさしそうな人でしたね」
                
             「そうだねぇ、味方の政治家より好感を持つなんてどうかと思うけど」
                
             「いえいえ、そんなことはないと思います。私だってキルヒアイス提督には好感を抱きました」
                
             「なるほど。ミスマル提督と同意見なら、私の感性も鈍っていないようだね」
                
             「ヤン提督ったら冗談が好きですね!」
                
             ユリカが「あはは」と笑うので、ヤンは今のがどこが冗談だったのか本気で考え込んでしまう。
                
             そこへ、ユリアン少年がティーセットを乗せたトレイを運んでくる。
                
             「お2人ともお疲れ様でした。紅茶を淹れましたのでどうぞ」
                
             ヤンは、あっさりと思考を放棄して淹れたての紅茶に舌鼓を打った。
                
             「うーん、ひと仕事のあとのユリアンの紅茶はまた格別だねぇ」
                
             「てーとく、何かお仕事しましたっけ?」
                
             「私は立派に調印式をやり遂げたぞ!」
                
             「提督、おかわりいります?」
                
             「ぜひ、いただこう」
                
             ヤンが自分の仕事についてそれ以上主張しなかったのは、まさに調印式以外は幕僚たちに丸投げしたからだろう。捕虜交換の事務的作業は全てキャゼルヌに一任し、司令部の仕事は副官に頼り、警備全般はユリカに委譲し、パーティーの主催と準備はプロスペクターに要請した。
                
             ルリあたりに「提督は大将さんですよね?」と何度皮肉られても「ぐう」の音も出ないに違いない。
              
 「そういえば……」
                
             ユリアンは、二杯目の紅茶を注ぎながら思い出したように言った。
                
             「ムライ少将がずいぶんご立腹のご様子でしたが、パーティーでいったい何をされたんですか?」
                
             その質問に対するヤンの返答は甚だ無責任だった。
                
             「いやー、私は何もしていないよ。全てプロスペクター氏とミスマル提督に任せたからね」
                
             ユリカは、すかさず渋面を作って抗議した。
                
             「ヤン提督が失礼がなければやりたいようにやればいいよ、ってプロスさんから聞いたから、ユリカあの場を盛り上げようとがんばったのに酷いですよ。プンプン!」
             
 ユリアンは、何があったのか気になって仕方がないが、聞かないほうが良いこともあるだろうとこらえる事にした。おおよその想像はつくが……
                
             「いやあ、よく短い時間であれだけ盛り上げられたものだね。さすがだよ」
                
             さりげなく論点がずれていた。
                
             「一応、さじ加減が難しかったんですからね。でも帝国軍の方たちはさすがに冷静でしたねぇ……ユリカちょっと自信喪失です。グッスン……」
                
             それは違う、とヤンは訂正しておくべきかと迷ったが、今更遅いので思いとどまり、ユリカを喜ばせることにした。
                
             「キルヒアイス提督は十分楽しんでくれたようだよ。お世辞なしで私にお礼を言っていたしね」
                
             よりによってお礼を言う相手を間違えるとは、キルヒアイス提督は意外に茶目っ気もタップリなのではないか、とユリアンは思う。おそらく、彼からみればヤンが主催したものと考えたのだろう。
                
             ユリカは満面の笑みを浮かべていた。
                
             「ウンウン、よかったよかった。努力した甲斐があったぞ、エッヘン!」
                
             どこかズレている会話なのかだが大いに楽しめてしまうあたり、ユリアンはこの雰囲気が大好きだった。
                
             それがタイミングだとユリアンは感じた。
                
             「あのうヤン提督、キルヒアイス提督と調印式の時に何か会話をされていたようですけど、何をお話しでしたか?」
                
           へえー、とユリカも興味津々だ。      
 ヤンが語るところによると、キルヒアイス提督は次のように話したという。
                
             「形式というものは必要かもしれませんが、ばかばかしいことでもありますね」
                
             本当にたいした事を言ったわけではない。表面だけ捉えると手続き上の過程を皮肉ったようにも聞こえるのだが……
                
             「ミスマル提督はキルヒアイス提督の発言をどう思う?」
                
             うーん、とあごに人差し指をあてて、ユリカはほんの数秒考え込んだ。
                
             「えーと、提督は捕虜交換の裏側を示唆したということでしょうか?」
              
 「そういうことだね」
                
             ヤンは満足そうに頷き、司令席から立ち上がった。彼の黒い瞳にはしっかり者の被保護者の少年と仕事をずいぶん楽にしてくれる明るく有能な女性提督が映っている。
                
             「さあて、帰還兵の歓迎式典のためにハイネセンに戻らないといけない。さっそく準備をしよう」
                
             要塞司令部の大パノラマスクリーンの向こうは元の静けさを取り戻していた。
                
                
                
                      
            
            
        
              
Z
              
 帝国軍の船団はイゼルローン要塞から遠ざかりつつあった。戦艦バルバロッサの艦橋で銀色に輝く人工天体を眺めるベルトマン少将の胸中には多くの思いが交差していた。
              
  ヤン・ウェンリーとミスマル・ユリカ──
                
             この二人を語るには長時間が必要だろう。個人で思いをめぐらせるならオーディンまでの旅路もあっという間かもしれない。
                
             問題は帰還してからどう報告すべきか、大いなる悩みに直面することだ。
                
             「いったい、ビッテンフェルト提督たちになんと話せばいいものやら……」
                
             ロイエンタール提督の望みどおりに「美人」であったことは普通に話せばよいが、「為人は?」と聞かれた場合は返答に極めて窮する場合がある。
                
             「美人で楽しい女性でした」
                
             「美人で面白い女性でした」
                
             「美人で威厳のある女性でした」
                
             「美人ですが、たいへん恐ろしくもありました」
                
             いずれも微妙な表現だと思う。ミスマル・ユリカを簡潔に表現することはきっと難しい。もし会話を交わしていなければ最初の登場で精神的トラウマに陥っていたかもしれない。
                
             しかも、終始圧倒されて肝心の質問を忘れていた。
                
             「ベルトマン少将」
                
             思い悩む青年提督に声を掛けたのは、一時的に艦橋から退出していたジークフリード・キルヒアイスだった。
                
             「何をお考えですか?」
                
             ズバリ質問されたのだが、純軍事的な悩みからはるかに逸脱しているので打ち明けるわけにもいかない。
                
             「いえ、特に問題はありません」
                
             「そうですか。ですが、私が思うに、ありのままをお伝えするのがよろしいかと」
                
             どうやら読み取られてしまっていたようだ。ベルトマンは上官の鋭敏さに今更ながら感心した。
                
             まだまだ自分は甘いとも思う。
                
             艦橋に立ったキルヒアイスは、もうほとんど見えなくなった要塞の方角に視線を投じながらポツリと呟いた。
                
             「今日は予想以上の収獲がありましたね」
                
             ベルトマンの青紫色の瞳に映る赤毛の提督の横顔はどこか愉快そうだった。
                
             ふと、キルヒアイスは肩越しにベルトマンを一瞥した。
                
             「ヤン提督とミスマル提督についてですが、少将の率直なご意見を伺いたいと思いますが?」
              
 ベルトマンがその質問を落ち着いて聞いていたのは、赤毛の上官の雰囲気からおおよそ察知していたからだ。
                
             「小官がお二方を把握できたか心もとない限りではありますが……」
                
             「いえ、かまいかせん。よろしくお願いします」
                
             「では……」
                
             ベルトマンは自分が感じた人物像を述べた。
                
             ヤン・ウェンリーは終始自然体で緊張することもなく、むしろ今日を楽しんでいたように見える。ミスマル・ユリカも自然体でありながら、どことなくとりとめのない性格に思えた。どちらも軍人にはとても見えないのだが、それこそが2人の共通する恐るべき点であると。
              
 「私も同感です。少将はやはり鋭い観察眼をお持ちですね」
                
             恐縮してベルトマンは背筋を正した。名将たる赤毛の上官との意見の一致をみたことは喜ぶべきことではあったが、上官はもっと深い部分まで洞察しているように感じられた。
                
             それは、キルヒアイスの呟きが象徴していただろう。
                
             「2人とも敵として恐ろしい相手です。ですが……」
            
 その先をキルヒアイスが口にすることはなかった。彼は一瞬だけ目を閉じ、そのままメインスクリーンに映る星々の大海に視線を戻した。
                
             その視線は誰に向けられたのだろうか?
                
             ベルトマンも黙って視線をスクリーンに向ける。彼も分かっていた。あの会場で自分が感じたことと、キルヒアイス提督が言いたいことは同じであると……
                    
             
              
              
    
              それぞれが望んだ対面は、一方に強烈な印象を焼き付けて終了した。
                
             ミスマル・ユリカとヤン・ウェンリー。ジークフリード・キルヒアイスとヴェルター・エアハルト・ベルトマン……
                
             ──彼らに訪れる大きな運命の転機と衝撃の未来はすでに目の前に迫っていたのである。