──旗艦ヒューベリオンの艦橋にて、困った人たちの会話──

 「おい、テンカワ。お前、本当のところミスマル提督とはどこまで進んでんだよ?」

 「え? ど、どういうことですか?」

 「そういうことだ。AとかBとかCとかだよ」

 「えーと、えーと……」

 「ああ、ポプラン少佐、テンカワのヤツはAまでだそうですよ」

 「ちょ、ちょっとサブロウタ……」

 「まじかよテンカワ! あれだけお前にぞっこんの美女がいるのに20を過ぎてまだAとかおかしいだろ! 一気にCまでいけよ」

 「おいおい、ポプラン。健全な青少年をあっち方面にけしかけるんじゃない」

 「うるさいぞコーネフ。テンカワがノーマルなら、美女に手を出さないのは男として不健全きわまるだろ。あんな美人の婚約者がいてまだAだけなんて宇宙中の笑いもんだぜ」

 「ぽ、ポプラン少佐、声が大きいんですけど。ムライさんに聞こえちゃいます……」

 「ふんっ! ムライのおっさんが怖くて博愛主義の何たるかを伝道できるかってんだ。くるなら来やがれ! 上等だってな」

 「ポプラン、その参謀長殿が険しい顔してこっちに向かってくるぞ」

 「よーし、全員散開だ!」

 「「「!!!!」」」






闇が深くなる夜明けの前に
機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説




第十二章(前編)

『地上と宇宙(そら)の駆け引き/思わぬ叛乱』








 
T
 
──宇宙暦797年、帝国暦488年4月──

 2万隻のイゼルローン駐留艦隊が、同盟領にて発生した武力蜂起を鎮圧すべく最初の目的地であるカッファ解放に着手したのは4月21日であった。

  当初、総司令官たるヤン・ウェンリーは、途中の叛乱を無視してハイネセンに急行し、元を断つつもりだったが、そうしなかったのはジャムシードには同盟軍有数の軍事工廠があるため、ここを拠点に近隣のミドラル叛乱勢力と連係されると後方を撹乱ないし遮断される厄介な事実に思い至ったからである。

  ヤンは、ジャムシード星系に入るとすぐに艦隊を二分した。ユリカにはカッファ攻略を担当してもらい、自らはミドラルを担当するためである。彼は二個艦隊の機動戦力を駆使し、同盟の内乱を短期に収束させるつもりでいた。

  「さあて、とっとと終わらせてハイネセン解放に向かっちゃいましょう!」

  ミスマル・ユリカが能天気な高音をナデシコの艦橋に響かせた直後、カッファ攻略は開始された。

  当初の見通しではカッファに駐留する重警備艦隊との交戦が予想されたがそれは外れ、ミスマル艦隊は難なく衛星軌道上と制宙権を確保し、防空火器群や対空レーダーを宇宙からほとんど破壊すると、本格的な「降陸」作戦を開始した。

  その際、同盟軍宇宙艦艇中、唯一、大気圏降下能力を有する「戦艦ナデシコ」は文字通り「空中司令部」となった。

  「それではリョーコさん、ヒカルさん、イズミさん、イツキさん、よろしくお願いしますね!」

  『おう、任せておきな!』

  『おまかせでーすっ!』

  『おませでーす、なんつって。てへ、ペロペロ』

  『しっかりと任務を遂行いたします』

  ユリカの目の前にあった四つの通信スクリーンが消え、直後に空戦フレームのエステバリス4機が次々とナデシコから発進し、分厚い雲海を切り裂いて翔び去っていった。

  「順調にいけばよいのですが……」

  参謀長であるツクモ大佐がポツリと不安を口にした。

  惑星カッファには特殊な事情(・・・・・)が存在する。同盟領でも珍しく、300万人ほどの住民は全て南半球に集中し、都市は熱帯気候の大地に築かれていた。しかも巨大な大河が形成した三角州の中心にあるため地盤は固いとはいえず、降陸に適した場所は限られていた。

 さらに都市の北西と北東側には密林に覆われた防壁のような丘があるため、いっそう「降陸」を難しくしていた。通常の陸戦兵器と陸戦隊だけでは苦戦と長期の戦闘が予想されたであろう。

  しかし、攻略する側には「エステバリス」という極めて汎用性の高い人型機動兵器が存在した。

  ヤン・ウェンリーが多少の困難さを承知でミスマル艦隊にカッファ攻略を任せたのは、エステバリスと、それを直接運用可能な戦艦ナデシコ、さらには優秀なパイロットが存在したからにほかならない。

  もちろん、ヤンはとある不確定要素を頭に入れていたので、常に客観的に警戒する態勢を自分なりに整えたかったからでもあった。

  以上の事情を踏まえ、美人パイロットたちの操る4機のエステバリスの任務は降陸部隊の支援と、衛星軌道上からは破壊できなかった防空火器の破壊と叛乱勢力の撹乱だった。
 
 そして、エステバリス部隊は当初の任務を果たすと攻略部隊に加わって大活躍した。噂だけでしか知らない人型機動兵器が目の前に突然出現したら腰を抜かすなと言うほうが無理からぬことだろう。しかも単機で空間歪曲タイプの防御シールドを展開できる相手に通常のビーム兵器で歯が立つはずがなかった。
 
  敵の中には実体弾による攻撃が有効であることを見抜いた兵士も存在したが、リョーコたちのほうがはるかに対応が早く、反撃を行う前に制圧されてしまっていた。
 
 
 

 攻略部隊が都市近郊に迫ったのは、作戦開始から3日目の午後だった。直接の指揮を執るジョー大佐率いる部隊は叛乱勢力の激しい攻撃にさらされたものの、それ自体が陽動だった。
 
 実はエステバリス四機が叛乱勢力の拠点であるカッファ管区司令部に通じる幹線道路を確保し、陸戦隊200名をともなって司令部に突入したのである。叛乱部隊の総指揮官であるベリー大佐は数度の降伏勧告をはねつけて激しく抵抗したが、主力部隊と切り離された状況では勝敗は明らかだった。
 
 最後はリョーコにブラスターを突きつけられて降伏し、残る部隊も白旗を掲げたのだった。
 


  都市上空に鎮座するナデシコにリョーコから通信が入ったのは標準時で16時20分である。
 
 『ま、とりあえずこんなもんだろ? ちょっと熱くなりすぎてほめられない部分もあったけどな』

 今回は容赦がなかったリョーコである。彼女も叛乱を短期で終わらせたいという熱い思いがあったがゆえだ。
 
 ユリカは、謙遜気味に作戦終了を報告するショートカットの美人パイロットの労を心からねぎらった。

 「いえ、そんなことはありません。リョーコさんたちが果敢に戦ったからこそ、たった3日で攻略できたんです。本当にお見事でした。ナデシコに戻ったらゆっくり休んでくださいね」
 
 『おう。とりあえず風呂、んで飯。よろしく頼むぜ提督』
 
 「はいはーい」
 
 通信が切れる直前、リョーコが抱きつこうとした市民を殴ったような気がしたが、ユリカは見なかったことにした。
 
 その十数秒後に陸戦隊指揮官からも通信が入った。見覚えのありすぎる古風なイケメン顔に数名を除くナデシコ艦橋クルーはつい「くすり」としてしまった。
 
 『ジョー・ツキオミ大佐です。閣下に全作戦の終了をご報告いたします』
 
 その引き締まった眉目秀麗さは、あの月臣元一郎ご本人といっても差し支えない。いや、まさにこの世界の月臣本人だろう。ユリカたちの世界では「敵」として立ちはだかり、熱血ロボットアニメ「ゲキガンガー3」の人気美形キャラ海燕のジョーを模して長髪だったが、こちらでは通常よりやや長め程度、趣味は重火器の分解組み立て、ゲキガンガー3は存在そのものを知りもしなかった。
 
 第14艦隊の設立当始、陸戦隊は編入されていなかった。主な理由は作戦開始までの準備期間が短かったこと、任務内容が後方支援中心となっていたためと言われている。

 しかし、第13艦隊とともにイゼルローン要塞に配属された際も陸戦隊は未編入のままだった。理由は様々だったが、独立した一個艦隊に陸戦隊要員が存在していない事は軍事行動における非柔軟性が国防委員会や軍上層部で改めて指摘され、いくつかの経過を辿ってガンダルヴァ星系の軍事基地に駐留していたツキオミの部隊──「月光連隊」が急遽編入されることになった。
 
 不幸中の幸いにして、連隊がエル・ファシルを経由してイゼルローン要塞に到着したのはハイネセンでクーデターが発生した直後であった。
 
 対応に追われる中、彼らを出迎えたユリカたちが連隊長の容姿に目を見張ったのは言うまでもないだろう。
 
 また、ツキオミの連隊をナデシコに収容することは不可能なので、彼らの母艦は宙戦隊と同じく副司令官ラルフ・カールセン提督の乗艦ディオメデスとなっている。
 
 ユリカは、妙な笑いの成分が含まれないよう、いささか表情づくりに努力を必要とした。
 
 「大佐、見事な手腕でした。あとは現地の警察に任せてすぐに部隊を引き上げてください」
 
 『はっ!承知いたしました。 それでは』

 生真面目な敬礼を残して通信が切れると、ナデシコの艦橋は我慢の限度を超えたようにどっと笑いに包まれる。

 「だめだわ、ほんとにあれよ……」

 とは笑いながら涙目のハルカ・ミナト。月臣元一郎(つきおみげんいちろう)といえば彼女が愛した木蓮の軍人・白鳥九十九(しらとりつくも)を目の前で暗殺した人物である。彼が倒れる瞬間、木蓮側の代表者たちの背後にある屏風の後方に月臣の姿をミナトは一瞬だが目撃していた。

 「仇」とそっくりなツキオミ大佐に多少のわだかまりがないといえば嘘になるが、それはツクモ大佐に抱く既視感ゆえの錯覚と同じであって、陸戦隊指揮官を恨む筋合いが1ミリグラムもないことを彼女は承知していた。

 ミナトが笑いをこらえられなかったのは、ゲキガンガー偏愛ではないこと以外はまさに「本人」そのものだったからである。<戦艦ゆめみずき>の中で彼と交流?したことがあるからこその確信だった。変わらないということはあるのだ。

 「二度あることは三度あるっていいますけど、五人目ですし、本当にまた? ですよね」

 とミナトに応じたのはイゼルローン一玲瓏な声をもつメグミ・レイナードだった。「要塞ラジオ」のメーンパーソナリティーを務める彼女の人気は絶大となりつつあり、元声優の17歳だった少女も今ではそばかすもなくなり、すっかり「女性」らしくなっている。そのせいか交際を申し込む男連中も日に日に増大していた。

 目下のメグミの夢(野望とも言う)は、平和になったら声優業に復帰し、銀河規模となる作品の主役を務めることだった。勢いだけで計ると、それは決して遠い未来の話ではないように思われた。
 
 そんなメグミにユリカが笑って応じた。

 「本当にメグミさんの言うとおりですね。今後、私たちは誰と再会するんでしょうねぇ?」

 「提督のパパさんとか?」

 何気ないルリの一言だったが誰も「冗談」とは受け取らなかった。このままだと、いつか「再会」してしまう予感を誰しもが抱いていたからだ。

 しかし、ユリカは本気で戸惑ってしまう。

 「うーん、お父様かぁ……敵さん以外でお願いしたいところですねぇ」

 立派なカイザル髭をもったユリカの父・ミスマル・コウイチロウは親ばかではあるが優秀な軍人だ。どういった性格と能力を有した「父親」と出会うかは推し量りがたいが、これまでの例をみると決して凡庸な人物とはならないだろう。

 「味方さんでしたら、後方勤務でも陸戦指揮官でも艦隊指揮官でもパイロットさんでも歓迎です」

 ユリカは、もし軍人以外の「父」と出会うようなことがあれば、穏やかに見守っていきたいと思うのだ。

 「提督、エステバリス隊が帰艦してきたようです」

 首を捻りたくなるような不思議な話題から疎外されていたアクア・クリストファー中尉が、メインスクリーンに映った機影を司令官に知らせた。

 「ああ、いけないいけない。メグミさん、格納庫要員のみなさんに収容準備を急ぐよう伝えてください。それが終わりましたらヤン提督にカッファ解放の通信文を送ってください」

 「了解です」

 ユリカは、アッテンボローの補佐をするラオ少佐とともに「地味ぃズ」といわれているナデシコの艦長に視線を移す。

 「ジュン君、エステバリスを収容したら艦隊に合流するのでナデシコの指揮をお願いしますね」

 「はい、提督」

 艦橋は一時の開放感から一転して慌しく動き出す。

 次の行動に向けてユリカと協議を始めたツクモ大佐をミナトが一瞥したが、その褐色の瞳が放った視線に含まれる感情の数々には気づいていないだろう。

 ミナトの世界では「親友同士」にも関わらず「生者」と「死者」として(たもと)を分かった二人は、こちらの世界で再び「親友」として出会っていたのだ。

 (もしかしたら本当に神様っているのかしらねぇ……)

 今、ミナトたち古参のナデシコクルーは同盟でお世話になった人物と戦わなければならない状況にあった。そんな重い事実の中、ささやかに心温まる話題と新たなる出会い……

 (フフフフ、感傷に浸っている場合じゃないわね)

 こつんと頭を叩き、システムチェックを始めたミナトの耳に、通信士の心地よい旋律が吸い込まれた。

 「提督、ヤン艦隊から通信文です」

 ミスマル艦隊がカッファを解放した直後、ヤン艦隊もミドラル攻略を開始したのだった。
 
 





 U

 イゼルローン駐留艦隊が動乱鎮圧に着手していた頃、フェザーンからバーラト星系に向かう定期船に乗船していたとある青年は途中のライガール星系で足止めを喰らっていた。現在は宇宙港を管理する企業の用意した近くのホテルに格安で滞在している。

 「ほんとに、タイミングが悪かったなぁ……」

 みずみずしく引き締まった身体に熱いシャワーを浴びながらぼやいた金褐色の髪と薄いブルーの瞳を持つ青年の名前をカルパス・グレーシェルといった。

 表向きは「亡命者」を装い、実際はジークフリード・キルヒアイスが謎だらけの「戦艦ナデシコとその乗員」の情報収集のためにフェザーンに派遣した潜入工作員だった。帝国軍士官として一階級昇進し階級は少佐。銀河帝国の政変によって帰還命令が出るかと思いきや任務は続行。彼を支援する元門閥貴族の令嬢を通じて赤毛の上官からの新たな任務は、なんとイゼルローン要塞に潜入し、ナデシコ乗員たちと接触することだった。

 とてつもなく困難な任務を、グレーシェル少佐は二つ返事で承諾し、計画を練って令嬢の企業を通してイゼルローン要塞で働くことになったのだった。

 といっても、もちろん軍事関連の仕事ではなく、軍部より委託を受けた民間資本が運営する店舗の従業員としてである。今のところレストランのシェフらしかった。

 「おぬし、料理なんぞできたのか?」

 マルガレータには本気で疑問視されたものだが、工作員とは一通りなんでもできなければならないものだ。特に人が集まる職業は身に付けておくべきジャンルだった。

 「私は独身ですし、これでも料理はよくするほうなんですよ」

 「ふーん、安っぽい展開の決まり文句に聞こえるのう」

 ますます猜疑心を強くした令嬢には、実際に料理を作って納得してもらったものだった。

 「悔しいが美味しかった。が、屋敷に来るたびに私をくどく暇があったら料理で貢献していたほうがよほどぬしの株が上がっておったぞ」

 「それはそれは不徳の極み。ではさっそく……」

 「もう遅いわ、たわけっ!」

 こうしてカルパスは、マルガレータの叱責の余韻(よいん)に浸りつつ、いそいそと準備をはじめ、バーラト経由の定期船に乗ったのだが……
 
 

 カルパスは、シャワー室から出ると身体を丁寧に拭き、金褐色の髪をドライヤーで乾かしながらブラシで整えると、用意してあった紳士用のスーツにおもむろに着替えた。

 (ま、慌てても仕方のないことだし……)

 現状はクーデターが予想より早く起こってしまったために先に進むことができない。定期船を奪うなりして目的地に向かうほど無謀でも無計画でもなかったので、「成り行きにまかせる」というのが青年工作員の判断だった。

 あくまでも任務はナデシコ乗員との接触なのだ。捕まるか死ぬかしたら何の意味もない。身分が保証されているだけに(・・・・・・・・・・・・・)、自分からヘマをしない限りはバレることもないのだ。

 「うーん、もうちょっと後ろに流すべきかな?」

 髪型をチェックする彼の携帯端末が鳴った。会話ボタンを押すと、小型の画面に映ったのは、彼が船中で知り合った栗毛の美女だった。

 「やあ、待ちきれなかったのかな?」

 ホテル滞在はすでに数日が経過していた。このクーデターが最終的に収束するにせよ、ずいぶんと時間はかかるだろう。時間を潰すために大昔の熱血SFロボットアニメを見るだけでは足りないから、女の子と食事をするくらい大神オーディンもマルガレータ嬢も許してくれるにちがいない──たぶん。

 「じゃあ、約束のレストランで会おうね」

 まったく帝国軍人とは思えない青年は優雅に長身を翻し、ホテルの一室を後にした。
 
 
 
◆◆◆

 グレーシェル少佐とは置かれた立場も身分も違ったが、広大な地下空間から現状をまずは見極めようと意見の一致をみた四名の人物が存在した。

 一人は、端正な容姿ながら対帝国強硬派を自認する同盟の国家元首たるヨブ・トリューニヒト。

 一人は、古代騎馬民族の遺伝子を受け継ぐ同盟軍の勇将ウランフ大将。

 一人は、元戦艦ナデシコの乗員であり、現在は軍需産業ナンバーワンに輝く企業の社長兼国家元首の軍事顧問を務める若干23歳のロン毛の青年アカツキ・ナガレ。

 今一人は、ネルガル時代からアカツキを支える才色兼備のキャリアウーマン・エリナ・キンジョウ・ウォン。

 彼らが協議を再開した殺風景な会議室は、惑星ハイネセンの第二の都市であるテルヌーゼン市より西南西に2500キロあまり、ハイネセンポリス中心部から北西に1500キロあまりの位置にある山岳地帯のふもと──地下100メートルに広がるエステバリス試験製造工場の一部を形成している。

 もともとは大都市間の有事の際に物資を供給する貯蔵庫として使用されていたが、緊急性を必要としないこと、同盟の財政悪化によって維持管理が難しくなり、15年ほど前に閉鎖されていた。

 トリューニヒトとアカツキは秘密の会合を経て、すでに軍のデーターベースからは削除された貯蔵庫を改装し、製造工場としたのだった。

 もちろん、機密保護のため非公式だ。工場の入り口は地形によって巧みにカモフラージュされており、よほど近づかないかぎりわからないだろう。だから秘匿性も高い。

 SPの淹れたコーヒーを一口すすって意表を突く美味しさに気分を良くし、最初の口火を切ったのは意外にもトリューニヒトだった。

 「叛乱勢力に対してすぐにでも反撃の狼煙(のろし)を上げるべきだと私は思うが、どうだね?」

 地球教にかくまってもらい、嵐が過ぎ去るのを地下でのうのうと待とうとしていた国家元首の発言とはとうてい思えなかった。アカツキは内心で苦笑を禁じえない。

 (やれやれ、現金な人だな)

 トリューニヒトが積極的なのは、何も責任感と愛国心に覚醒したわけではなく、自分に代わる部隊指揮官と汎用兵器であるエステバリスが存在するゆえの余裕からだった。

 しかし、トリューニヒトの意見はにべもなく三人同時に却下されてしまった。

 「なぜだね?」

 不愉快そうに眉間にしわを寄せる国家元首にウランフ提督の鋭い視線がとんだ。トリューニヒトは若干(ひる)んだ。

 「閣下、残念ですが我々には情報と戦力が少なすぎます。もしクーデター側に艦隊が加担している状態でのこのこと出て行ったら宇宙から殲滅されかねません」

 アカツキも勇将を支援するように全く同じようなことを繰り返した。

 今でこそ、四人はこうして面と向かって議論を戦わせてるが、秘密基地(工場)に到着した当初、「君らは知り合いだったのかね?」というトリューニヒトの疑問に焦ったものだった。

 ウランフとアカツキ、エリナは意外だと感じたものだが、確かに彼らが繋がっていると示唆したことはこれまで一度もないような気がした。

 どうごまかすべきか?

 いや、下手にごまかすことはあとあと問題になりかねない。

 ウランフは、虚実を織り交ぜながら説明した。ヴァンフリート星系をパトロール中、試験航海中だったナデシコを帝国軍索敵部隊から偶然救出し、以後、その縁で乗員たちと知己になったと。

 まさに絶妙な虚実配合だった。アカツキとエリナは「その通りです」としかトリューニヒトに言わなかった。

 「なるほど。ナデシコは最高機密扱いだったね。ウランフ提督は機密を遵守し、今まで周囲に話さなかった、ということか?」

 「当然です。閣下」

 「ふむふむ」

 こうしてトリューニヒトは彼らの関係に納得してくれたが、現在、三人が同調する意見に一部納得できないことがあった。

 「戦力? 情報はともかくとしてエステバリスだけでは不十分なのかね?」

 「だめです」

 と間髪いれずにキッパリと言ったのは、製造工場の工場長を務めるエリナだった。婦人用スーツを着こなした彼女の凛々しさにトリューニヒトの顔が思わず緩む。

 「ふむ。エリナくんがそう言うならばそうなのだろうが、今後のためにも元首の私に詳しく説明してくれないかね?」

 アカツキとウランフはトリューニヒトに殺意が湧いた。あくまでも「一瞬」である。

 対するエリナは露骨にめんどくさそうな顔をしたが、アカツキとウランフに視線で要請されては嫌とは言えなかった。

 「では閣下、よーくお聞きください」

 「うんうん」

 「…………」

 エステバリスは、同盟軍が所有しているどの兵器よりも優れているかもしれないが、ロールアウトできたのは試験タイプの7機だけであり、実際に稼動可能なのはパイロット数が問題で5機だけだった。主要な施設を開放して回ることさえできないだろう。

 「破壊と制圧は別物ですよ、閣下。私たちには点から面に展開可能な地上戦力が圧倒的に不足しています」

 工場では1000人規模が作業に従事しているが、ほとんどが非戦闘員だ。警備隊を引っ張っても二個小隊が限界だろう。装甲車両は一台もない。

 「ですが最も問題なのは先ほどから申し上げているように敵の戦力です」

 脱出に成功してから2日ほど経過するが、本社と違って工場の情報収集能力は格段に劣る。クーデター側に加担した戦力を見誤るとウランフ提督が言うようにあっという間に殲滅されかねない。

 相手はなんと言ってもグリーンヒル大将だ。慎重であるべきだった。

 「ウランフ提督の意見も同じかね?」

 エリナ一辺倒かと思いきや、専門家に正すあたりトリューニヒトも意外と冷静だ。

 ただ、もっとも不気味なのは、軍部の功労者たるグリーンヒル大将が引き起こしたクーデターに対し、トリューニヒトがウランフに非難や嫌みの一つも浴びせないことだろう。本来なら見直されるべき点ではあるが、良識面をしているトリューニヒトほどその裏の意図を把握しづらいことはない。いっそ不条理をぶちまけてくれたほうがよほど脳内を読みやすい。

 ウランフは、精悍な表情を堂々とトリューニヒトに向けた。

 「キンジョウ・ウォン女史の説明の通りです」

 勇将の口調は淡々としていた。

 「その通り? ではどうやって戦力を整えるんだ?」

 エリナの時と違って噛み付くところが議長らしい。ウランフはぴくりとも表情を変えなかった。

 「今のところはメドがつかないと申しあげるのが正直なところです。何せ情報が少ない。点在する部隊がどういった状態にあるのか慎重に見極める必要性があります」

 「ずいぶん呑気なものだが、そんなことで首都を奪回できるのかね?」

 「閣下、ご懸念はもっともですが、我々は焦る必要はないのです。いえ、焦ってはいけません(・・・・・・・・・)

 トリューニヒトは、意味がわからんとばかりに首を捻った。

 「今、もし戦力が整っていたとしても我々は動いてはいけないのですから」

 理由は簡単だ。制宙権のほかに憂慮すべき事態は市街戦に発展してしまうことだ。拘束された政府や軍部要人たちの安否も定かではない。もしグリーンヒル大将に相当な覚悟があるのなら、不測の事態が絶対に起こりえないという保証もない。

 「市民を巻き込むような事態になれば、たとえ我々が勝利できたとしても深い蹉跌(さてつ)となるでしょう。閣下の体制が揺らぐことにつながりますぞ」

 ウランフは、いっそ潰れたほうが同盟のためになるだろう、と内心で本音をぶちまけたものの、少し前にアカツキと意見を交わしたとき、それが今ではないことだけは承知していた。

 トリューニヒトはウランフの警鐘に「それは望まない」と答え、「しかし」と付け加えた。

 「それで、我々はしばらく静観するということだね?」

 表現の仕方が露骨だが否定はできない。ただトリューニヒトが「雲隠れ」を決め込むつもりでいた「予定」と違い、メドが立てば首都奪還作戦を確実に実行することだろう。何もしなければ軍部の信頼がさらに落ちるだけでは済まず、トリューニヒトの周りに群がる利権屋たちが軍の人事に直接介入してくることになりかねない。

 結局のところ軍部の置かれた事情も含まれるが、政治上の影響力というのはある程度必要不可欠なのだ。

 「で、いつまで待てばいいんだね?」

 ウランフは、トリューニヒトの意地悪な質問にも一切動じず、居住まいだけ正す。アカツキとエリナの姿勢がつられてまっすぐになった。

 勇将の威厳は健在だ。

 「鍵を握るのは駐留艦隊になるでしょう」

 「ふうむ、ヤン提督とミスマル提督の行動しだいということか?」

 「そうです。首都星で異変が起こったことは声明によって伝わっていることでしょう。彼らが3、4日のうちに準備を整えて出動し、一番近い武力蜂起を鎮圧しにかかるまで最短で1週間ていど。艦隊がハイネセンに迫ったときが決起のタイミングと思われます」

 トリューニヒトは意外というよりも嬉しそうな顔をした。

 「なんだ、そんなものかね。ずいぶんと早く終わりそうじゃないか。我々が無理をする必要などないのではないかね?」

 いいえ、とウランフは頭を振った。途中まではスムーズに経過するかもしれないが、軍事会議側の戦力は不明だ。グリーンヒル大将が駐留艦隊に対抗できる戦力を持たずに決起したとは到底考えられない。

 「そしてなんと言っても首都星にはアルテミスの首飾りがあります。ヤン提督、ミスマル提督と言えど簡単に攻略することは難しいでしょう」

 首都星を守る12個の軍事天体はあらゆる兵器を搭載し、その防御能力も高い。

 すなわち、状況によっては長期化もありえるのだ。そうなってしまったとき──そうでなくても艦隊と連係することで一日も早くクーデターを終結させる必要がある。

 「しばらくは情報収集に努めるべきでしょう。作戦を早めるかどうかは状況次第です」

 ウランフは毅然として国家元首に助言したが、アカツキを含め、内心では一抹の不安を抱いていたのだった。
 
 
 
 


V

 同盟領バイコーン星系にある惑星ミドラルは、ジャムシード星系とランテマリオ星系を繋ぐ宙域のほぼ中間に位置している。水に恵まれず、惑星の大半は岩場と荒涼とした草原が広がるが鉱物資源には恵まれ、テラフォーミングされた土地には鉱山労働者とその家族を中心に200万人以上が生活する都市を形成していた。

 また、二つの星系を繋ぐ重要航路であるため、第10辺境惑星管区司令部も置かれていた。そのため、ヤンは警備艦隊との戦闘を予想していたのだが、カッファと同じく肩透かしを喰らい、本拠地の攻略のみを行うことになったのである。

 「艦隊がいなかったか、それはそれは……」

 ヤンの独語が何を示唆していたのか、幕僚たちが知るのはもう少し後だった。

 作戦発動前にユリカからカッファ解放の一報が入ると、俄然やる気を高めたのは攻略部隊の総指揮を執るワルター・フォン・シェーンコップ准将だった。

 「あの熱帯地形を3日で攻略するとは、いやはやたいしたものですなぁ」

 ヤンから通信を受けた13代連隊長は本気で感心していた。

 『どうだい、こちらもそれくらいで終われそうかな?』

 ヤンとしては期待していても冗談だった。

 「2日でやりましょう」

 『……いや、無理しなくていいよ』

 「いえいえ、大いにご期待に沿いましょう」

 『いや、だから……』

 シェーンコップは、上官の反応を楽しむようにニヤリと笑って通信を切り、直後に作戦の発動を全部隊に伝達し、宣言どおり2日でミドラルを解放してしまった。

 その原動力となったのは、やはりエステバリスだった。
 



 『テンカワ機、配置につきました』

 『タカスギ機、配置完了! 視界良好です』

 「よーし、二人とも予定どおりしばらく待機だ」

 『『はい!』』

 エステバリス隊小隊長オリビエ・ポプラン少佐は、母艦からリアルタイムで送信されてくるデーターを複数二次元表示しながら味方地上部隊の到着を計算した。

 「30分ってとこだな」

 ポプランはニヤリと笑った。陽気な緑色の瞳は少年のように輝いている。

 ミスマル艦隊がカッファを攻略した当日、ポプランにとってエステバリスに搭乗しての初の実戦が迫っていた。戦闘艇のパイロットとしてならば、旗艦ヒューベリオンの艦橋で暇をもてあましただろう。

 「あれだ、シェーンコップ准将に美女たちの祝福を独占させてはいけないという嫉妬深い悪魔のおぼしめしに違いな。いやあ、早くエステバリスで戦いたいぜ」

 すっきりとした容姿の相方はクロスワードパズルの本を片手にポプランを顧みた。

 「味方と一戦交えようってときに不謹慎なやつだな」

 「正論を言うな! いちいち気にしていたら戦争なんてやっていられるか! 自分に罪悪感を持っていたらとっくに戦死している」

 親友は、軽くあきれたようだった。

 「不遜の質に磨きがかかったのと違いますかポプランさん?」

 「いえいえ、九無主義の成せる業ですよ、スルーしてくださいコーネフさん」

 出撃前、友情を育む温かな会話が交わされたかどうかはさておき、オリビエ・ポプランは地上戦においても活躍の場を保障されることになったのだった。

 ポプランは、自分用に迷彩色に塗られた陸戦フレームのコクピット内で複数のデーターを睨みながら、谷の出口に重厚な半包囲陣を敷く敵重装甲車部隊を観察した。

 「戦力の集中か。戦術的には定石だが……」

 やはり敵はシェーンコップの誘いどおり、地形を生かす戦術に撃って出て来たのだ。こちらからのこのこと不利な戦場で戦ってやろうというのである。敵が不審に思っても有利な選択を捨てることはしないだろう。

 3機の陸戦フレームタイプのエステバリスが潜んでいるのは、現在は干上がってしまった河が数万年をかけて大地を侵食した谷──隘路の頂上だった。長さ2.8キロ、深さ120メートル、最小幅200メートルあまり、最大幅850メートルあまりの侵食された溝は大地を真っ二つに分断するかのごとく形成されている。エステバリスが潜む頂上付近も侵食によって険しい不整地となっている。さらにこの隘路の出口は広大な扇状地跡となっていて都市はそこに建設されていた。

 ここを俯瞰した場合、右岸の大地には側面攻撃に移るテンカワ機が潜み、左岸には敵陣を監視するポプラン機と周辺で待機中の敵攻撃ヘリを撃破する役目を担ったタカスギ機が潜んでいた。

 攻撃ヘリは3機。多くはないが、味方の地上部隊にとっては十分脅威だ。

 ちなみに、彼らが空戦フレームではないのは、重力波エネルギーを直接ナデシコから供給できないからである。予備の水素電池を含めて稼働時間を節約するために陸戦フレームで出撃している。

 ポプランは「部下」に通信を入れた。

 「敵さんが谷を爆破しそうな動きはあるか?」

 アキトもタカスギも落ち着いた声で「ありません」と応答した。

 「やはりな」

 とポプランは思う。この河跡は鉱物資源地帯への主要通路として整地されているのだ。叛乱部隊の拠点を制圧するために攻略部隊を差し向けなければならないこちらにとっては、降陸場所や進軍ルートがなるべく整地されていたほうがいいに決まっている。

 不整地場所に降陸できないかといえば、そうでもないのだが、侵食によって隆起が激しい大地に部隊を無事に降ろすことも進軍することも困難であり、地形に隠蔽された対空火器などで狙い撃ちにされる可能性があった。

 その時間と損害を割り引いても「隘路コース」が攻略への最短となる。

 「空城の計の応用だね」

 と敵の配置から思惑を読み取ったヤンは言っていた。叛乱部隊側にとっても不整地の戦闘は逆に不利になる。そうならず迎撃しやすくするために、あえて降陸場所と進軍ルートをこちらに提供したのだ。「のこのこ」などとシェーンコップはしたり顔で言っていたが、選択肢は最初から限られていたともいえるだろう。

 敵の指揮官はなかなか頭が切れるようだ。

 (だが、その目論見はうまくいかねぇんだよなぁ……)

 ポプランはほくそ笑んだ。通常の編成であってもシェーンコップが指揮官なら時間をかけて攻略も可能だが、さすがに「2日」は無理だ。それを可能とするのが隆起の激しい地形でも極めて自由な運用が可能なエステバリスの存在だ。叛乱部隊はこちらを思惑に乗せたと喜んでいるかもしれないが、そっくりそのまま返したい気分である。


 

 『ポプラン少佐、北北東ルートから味方が進軍してきます』

 報告してきたのはテンカワ・アキトだった。バイザーを上げているので以前とは明らかに違う自信にあふれた表情は頼もしくもある。見た目、それ以外に変わった事といえば、地球時代に使用していたヘルメットが戦闘艇パイロットが使用するヘルメットを参考に、デザインとデーターリンク機能が追加されたより情報表示に優れたものに刷新されたことだろう。

 ポプランは報告を受けた方角に砂塵を確認し、二人の部下に指示した。

 「タカスギはヘリに動きがあったらすぐに対応しろ」

 『了解です』

 「テンカワは味方の隘路突入を予定通り援護するんだ。いいな」

 『はい、少佐』

 さらにポプランはアキトに付け加えた。

 「作戦が終了したらゲキガンガー3の続きを見せてくれ」

 『もちろんです!』

 歯切れのいい歓迎とともに通信は終了する。ポプランは再び進軍する味方の映像データーを注視した。

 横隊から隘路に突入するよう三列縦隊に陣形を変化させつつ、実に整然と進んでくる。不測の事態に対応ができるように絶妙な間隔をとった隊列は地上戦のプロとしてシェーンコップの統率能力の高さを示すものだろう。

 十数分後、隘路の入り口5キロ手前まで接近した味方地上部隊は、さらに進軍速度を上げた。一気に突破するぞ、というそぶりを見せたわけだが、敵は動かない。当然、隘路に引き込むためだ。

 敵が動いたのは、味方の先頭集団が中央部に差し掛かった時だった。まずは攻撃ヘリが部隊のすぐ頭上を逆方向に向かって後方を塞ごうとし、連動するように敵の装甲車部隊の砲身が一斉に攻略部隊に向けられた。

 敵の指揮官は、理想的な挟撃が叶って歓喜したが、その優越感は数十秒で終わりを告げた。

 強力なレーザーガトリング機銃とミサイルで攻略部隊を血祭りに挙げるはずだったヘリ3機が、攻撃する前にタカスギ機の狙撃によって撃墜されてしまったからである。

 呆然とする叛乱部隊は、さらに左翼後方からテンカワ機の攻撃を受けた。彼らしく、正確に敵の機動力と攻撃力を奪っていく。

 「一体、何が起こったんだ!?」

 敵兵たちは対処する間もなく、今度は右翼側から中央の部隊に向かって多量のミサイル攻撃に曝された。これは両足に四連装ミサイルランチャーを一基ずつと、両肩に八連装ミサイルランチャーをそれぞれ装備したポプラン機の容赦ない攻撃だった。

 ポプランはミサイルを全弾撃ちつくすとアタッチメントをバースし、愛機で崖を豪快に滑りながら背部に装着された武装ポッドから小銃タイプのラピッドライフルを両手に構えて右翼部隊に突入した。

「そらそら、どきやがれ! 地上戦もエースのポプラン様のお通りだ!」

 とどめはシェーンコップ率いる主力部隊の中央突破だった。まさに「理想的」な攻撃により、敵の指揮官ホスイ大佐はミサイルの直撃を指揮車に受けて戦死。

 撤退できた部隊の一部は本拠地に立て籠もったものの、主力の9割を失っては勝負の帰趨は決していた。

 「シェーンコップ准将、おみごと」

 ヤンは、旗艦に戻ってきた指揮官を賞賛したが、恐怖から解放された現地のご婦人たちのキスマークを体中につけた男はなぜか不機嫌そうに敬礼すると、司令官の前をスタスタと通り過ぎてしまった。

 理由はすぐにわかった。あとから旗艦に姿を現したポプラン、アキト、タカスギの体中にもキスマークがついていたからである。役得が分散したことが不満だったのかもしれない。

 そういう苦笑いを禁じえない状況のところへ、ミスマル・ユリカから通信があった。バグダッシュ中佐という人が第11艦隊から抜け出して投降してきました。ヤン提督にお会いしたいそうです、と。

 
 



 
W

 バグダッシュ中佐の乗るシャトルがライオネル・モートン提督麾下の部隊に発見されたのは、ミドラル解放が達成された直後だった。

 モートン提督から通信を受けたとき、ユリカは指揮席に座ってプロテイン飲料を飲んでいた。

 「ハイネセンから……ですか?」

 『詳細はまだわかりませんが、身元は判明しています。情報部のバグダッシュ中佐にまちがいありません。ヤン提督との対面を望んでいるようですが、いかがいたしますか?』

 モートン提督は初老に達してはいるが、短く刈った頭髪と年齢を感じさせない引き締まった表情をした有能な軍人である。その彼はユリカに微妙な視線を発して注意を促していた。

 ユリカは、考えるしぐさをして勇敢な分艦隊司令官に言った。

 「中佐と話してみたいのですが、可能ですか?」

 『はっ、少々お待ちください』

 再び通信が繋がったのは35秒後だった。

 『情報部のバグダッシュ中佐です』

 通信スクリーンの向こうで敬礼する軍人は整えられたチョビ髭を生やし、男くささ満載のハードボイルド系だった。黒いスーツ姿で銃を構えるポーズが似合うことだろう。女性クルーの何人かがざわめく。

 もちろん、ユリカはアキト一筋である。ごく普通に敬礼し、名前を名乗っただけだった。

 「さっそくですが中佐にいくつか質問があります」

 ユリカは、駐留艦隊の副司令官として最低限度の情報を知る権利があった。

 「では、ハイネセンを発進した第11艦隊から抜け出してきた、というのですね?」

 『ええ、そういうことです(・・・・・・・・)

 バグダッシュの芝居がかった口調に気づいたのか、ユリカのすぐ脇に控える参謀長と副官が不審そうに視線を交し合う。

 ユリカも当然、このタイミングでの脱出を訝しんだが、重大なのは第11艦隊という固有名詞とハイネセンの情報だった。

 しかし、詳細を一番に知る権利は総司令官たるヤン・ウェンリーにある。彼女は誘惑をこらえて通信を終了し、すぐに黒髪の司令官に連絡をいれたのだった。



 それから2日後、艦隊は合流し、ユリカはヒューベリオンに幕僚連中とバグダッシュ中佐を伴った。

 ヤンは、美しい女性艦隊司令官の労を心からねぎらうように握手すると、すぐにバグダッシュ中佐に首都の状況を尋ねた。

 「拘禁された人は大勢いますが、粛清された人は今のところ誰もいません。今後はどうなるかわかりませんが……」

 その場の全員がほっと胸をなでおろす。ヤンは考えこむように黙ってしまったので、ユリカはヤンに許可をもらってバグダッシュに国家元首について尋ねた。

 「議長は……その、行方不明です」

 「行方不明!?」

 ただ一人を除いてその場の全員が意外に思っていた。他の評議会議員、ビュコック提督やクブルスリー本部長が拘禁されているというのにトリューニヒトだけ免れたというのだ。

 「クーデターの当日にエリオル社の社長と一緒に逃げおおせたようですよ。私もそれ以上は何も。すぐに艦隊とハイネセンを出発してしまいましたからね」

 さすがにユリカも驚いてしまった。アカツキがトリューニヒトと一緒に巻き込まれていたというのだ。国家元首と何か怪しい協議でもしていたのかもしれないが、彼がいたからこそトリューニヒトは逃亡に成功できたのだろうとも感じていた。

 (アカツキさん、やっと役に立ったかな?)

 もしトリューニヒトが捕まっていたとしたら、ユリカたちは極めて不利な状況に立たされたかもしれない。

 ちなみに、ヤンはトリューニヒトが無事に逃げたようだと耳にして思わず舌打ちしてしまったのだが、ユリカの反応が派手だったので大半が彼女に気を取られ、耳に入れた者は一人も存在しなかった。

 バグダッシュは咳払いして続けた。

 「それよりも第11艦隊と──」

 次は爆弾だった。

 「──第12艦隊が駐留艦隊を迎え撃つべくこちらに向かっています。ルグランジュ中将とパエッタ中将は堂々と正面から挑むようです」

 なんだって!!!

 一気に会議室は緊張の渦に飲まれてしまった。誰も単純に各星系の武装蜂起で終わるとは楽観視してはいなかったが、第12艦隊もクーデターに加担したとなれば、その戦力は駐留艦隊を軽くしのぐ数になるのだ。クーデター側は予想以上の機動戦力を整えていたことになる。

 ユリカのブルーグリーンの瞳が「奇蹟の(ミラクル)ヤン」に向けられた。彼はグリーンヒル大将に続き、かつての上官をもう一人相手にしなければならなくなったのである。

 しかし、ユリカの見たところヤンに動揺した様子はなく、むしろ恐ろしいくらい落ち着き払っていた。

 逆にヤンの幕僚連中のほうが「あいつ、迷惑掛けやがって」とか「反省したんじゃなかったけ? うちの元上官」などなど、言いたい放題だった。


 ユリカは、ヤンの落ち着きぶりに感心していたが、彼女を含め、バグダッシュの発言に疑問を抱いたのは黒髪ののほほん(・・・・)提督ただ一人だけだったのである。

 その後、ヤンは召集を一旦解き、ユリカと対策を練り始める。そしてバグダッシュ中佐はまるっきり姿を見せなくなった。

 これは、中佐が会議の途中にグリーンヒル大尉がその場にいないことをたずね、彼の言動に別の意味を読み取った幾人かの「対策」によって冷凍睡眠モードのまま眠らされてしまったからである。

 こうして、クーデター側が仕組んだヤン暗殺は事前に阻止されたが、2日経ってヤンさえも意表を突かれた重大な事態が発生した。

 惑星シャンプールとエル・ファシルで武装蜂起が同時に起こったのである。

 そして、その裏ではとんでもないことが起こっていた。
 



 ……TO BE CONTINUED

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 あとがき

 十二章(前編)投稿です。だいぶ間が空いてしまい、本当にスミマセン!

 「うわー、やっちまったぁ!」

 前話投降後しばらくして、上記のような事態が密かに発生しました。エーベンシュタインの副官の初期設定をすっかり忘却し、あたらしい設定で書いてしまっていたことですorz

 ま、どこかで調整するつもりではいるんですけどねぇ……一応。それがなんだったか本文にヒントっぽく書いてあります(大汗

 12章(前編)は、導入編みたいな感じでざっと両艦隊が担当した鎮圧の様子などを書かせていただきました。内容的には薄いかもです……あと、「隘路」とすべきか「谷」とすべきか迷った箇所が……

 他に、「おや?」と感じるような固有名詞が最後のほうに出ておりますが、間違ったわけではありませんのであしからず。

 今回は、軍事会議側の様子なども書きたかったのですが、内容的にグダグダになるのでやめました。

 今のところ、第12章は3話の予定です。オール同盟側描写となります。

 中編も早めに投稿できるようにしたいです!

 2012年2月23日 ──涼──


 修正履歴 

 誤字や脱字、中編の中身と関係する一文を最後の部分に追加しました。
 2012年3月14日 ──涼──

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

WEBメッセージ編返信コーナー

メッセージをくれた読者の皆様、おくれて申し訳ありません!


◆◆投稿日:2011年12月02日22:28:23 もぐたん

読みごたえありました。人類最強のオフレッサーを逃がし、シュターデンを使いこなしたエーベンシュタインの戦略は見事でした。 ラインハルト、キルヒアイス、ミッターマイヤー、ロイエンタール、メルカッツ、同盟側ではヤンと同レベルか少し上回る位でないと貴族側は厳しいかと思います。ゆりかは、キングオブチートの呼び声の高いヤンに戦略戦術で近づけるか見ものです。


>>>メッセージありがとうございます! オフレッサーさんが自由にw エーベンシュタインはこれからラインハルトたちを苦しめると思いますが、その経過と結末に注目していただければと思います。

ヤンはやはり「チート」なんですねw 首から下は不必要なチートですけどねww     ユリカに必要なのは経験と強い敵でしょうかねぇ。


◆◆投稿日:2011年12月12日0:52:29 テイラー

更新お疲れ様です、新作、門閥貴族に翻弄されるラインハルト陣営も中々珍しいですね(ないわけじゃないですが)、てかドロイゼンが死んじまった!リップシュタット戦役終えたラインハルト陣営も戦隊司令官も後数名(バルトハウザーやレマーとかホッターとか)場合によっては艦隊司令官も…なるかもしれませんが、あの貴族艦隊司令が何を考えているのか今後がすごい楽しみです…実は転生した草壁やユリカパパン(死んでないけど)とか色々妄想出来ます。
反対に同盟側のクーデターは呆気なく終わりそうな気がしますね、貴族にはあの司令の下ある程度抵抗できますが、こっちは賛同しているのは11艦隊のみ、他の艦隊はクーデター否定派、そしてこちらには大トロ(違う)とユリカのインチキコンビ…どう勝てと



>>>メッセージをありがとうございます! 他の作品だと、実際に読んだものはごく小数なので、全体ではどうかわからないのですが、けっこうラインハルトが転落するパターンが多いような気がしますねw 原作知識があれば彼を陥れようとすれば、いくらでも可能ですからね。

 それができないから頭が痛くなるのがこの作品……

 エーベンシュタインが何を考えているのか、徐々に明らかになっていくと思います。さてさて、彼は誰かの転生した姿なんですかねぇ……

 第11艦隊乙w 今話では「!?」な部分がありますけど、次回以降をお待ちください。


◆◆投稿日:2012年01月21日23:14:40

遅れながら拝見しました
この両内戦で帝国・同盟が同時に試練を迎えますが、ナデシコのクルーや技術がこの世界においてどのような影響を与え、どのように対抗されていくかとても楽しみです。
銀英伝原作ではキャラ自体の成長はあまり目立たなかったのですが、この作品、特にラインハルトは自身の予想を超えた困難を乗り切った時、原作以上に同盟にとって恐るべき相手となるでしょう。なにせラインハルトもまた、同じ世界のヤンやナデシコのユリカと同じように、物語の主人公ですからね。(主人公補正的な意味で)



>>>>メッセージ感謝いたします! 余裕で門閥貴族に勝てると思っていたラインハルト。そして本来ならば出るはずのなかった男。二人の対決が今後、どのように展開し、どういう謎があるのか、注目していただければ幸いです!



以上です! メッセージをくれる方、本当にありがとうございます。今話にも何かあれば遠慮なく書き込んでください。

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