私たちが第11艦隊を制圧して数日が経ちました。変わった事といえば後方鎮圧部隊がシャンプールを解放したことでしょうか。

 アキトさんたちとは短いやり取りしかできませんでしたが、みなさん怪我もなく、次の作戦に意欲満々でした。やはりフクベ提督の安否が気になるようです。

 そして、ルグランジュ中将はやっぱり諦めが悪そうです。カメラを通じて艦橋の様子を時々見ていますが、技術士官を集めて連日「あーだこーだ」とハッキングを解くために奮闘しています。

 (無理なんだけどなぁ……)

 なぜかというと、もしも第一階層のセキュリティーロックが解除されたとしても、次のブロックにアクセスできるコードが自動的にシャッフルされるので、私がオモイカネを通してからしか解除できないわけなのです。ずっとずっと終わりのない無限ループに陥るわけで……

 ルグランジュ提督と技術士官さんたちは、これでもかってくらいに連日暑苦しく熱血しちゃってくれます。

 「はぁ……」

 思わずため息。ヤン提督がハイネセンを攻略するまで全面的な降伏はなさそう。

 ですが、第11艦隊の全ての兵士さんがルグランジュ提督と同じタフな精神構造とは限りません。一般の兵士さんたちの間では「議論」がすでに始まっているのでした。もう、7日近く手も足もでなければ当然と言えば当然です。

 「ルリちゃん、おっはよう!」

 このタイミングで我らが提督が颯爽? 登場です。ジュンさんと交代で艦橋に上がってきたのでした。みなさんにもハイテンションで挨拶すると、私の傍に寄ってきてささやきます。

 「ねぇルリちゃん、どうかな?」

 このいろいろ主語を省いた質問が何なのか、私には分かってしまいました。

 「じわじわ広がっています。一部では降伏のお話も出ています」

 そう回答すると、提督は「そっか」と言って何やら腕を組んで少し考えこみました。

 そして、

 「あともうちょっとしたら(つつ)いてみちゃおーかなー」

 と意地悪そうな顔で言いました。提督が何を考えているのかわかりますよ。それに成功して少数でも離脱者が出れば、もしかしたら芋づる式に──なーんてことになればいいですね。

 「本当にそうだね。そうすればとってもらくーなんだけど」

 視線が合うなり二人で笑いました。「なるべく楽をして勝つ」というのは、なんかヤン提督と思考が被ってきたみたいなので……

 やれやれ、と思う反面、実はとても重要な意識だと気づかされます。楽をして勝つことは、犠牲を抑えて勝つことに繋がるのですから。

 そうそう、楽といえば、反対側の銀河ではローエングラム候は脳がお花畑の門閥貴族を相手に楽に勝利を重ねているのでしょうか? 

 もしそうならあっという間に貴族たちを平らげて内乱を早期に終結させたら、同盟の内乱に介入してくる──なんてこともあるので、私たちは気合を入れて早く平和を取り戻さないといけません。

 「ああぁっ!」

 といきなり提督が大声をあげました。当直のみなさんは全員びっくり顔です。私も何か重大事が発生したのかと、データーをガン見しちゃいました。

 「どうしました?」

 艦橋に緊張感が走ります。提督の顔はまじめでした……が、

 「ごめーん。お洗濯もの乾かすのにスイッチ入れ忘れちゃった。ちょっとだけ離れるね。ホンとっにごめんね。てへっ」

 えーと、えーと……

 今日もナデシコは平和で終わりそうです。


 
 ──ホシノ・ルリ──




闇が深くなる夜明けの前に
機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説



第十五章(中編)

『幻影/マールバッハ星域会戦』







T
 
 ――宇宙暦797年、帝国暦488年5月12日──

 マールバッハ星域に侵攻したウルリッヒ・ケスラー提督率いる13600隻の帝国軍は、6万隻を超える貴族連合軍と対峙し交戦するも圧倒的な数の前に撤退した。

 「わはははは、どうだ見てみろ。名将ぞろいなどというが金髪の孺子の軍隊など恐れるにたりぬわ! このまま帝都に乗り込んで私の勝利だ」

 戦艦<オストマルク>の艦橋がリッテンハイム候の高笑いに支配された。マールバッハ星系からヴァルハラに至る航路上には、もはや大規模な艦隊を駐留させることのできる星系はカストロプ星系しか存在せず、約一年前の動乱によって帝国の直轄地になって以来、艦隊は駐留していなかった。

 何よりもローエングラム候ラインハルトは麾下の宇宙艦隊全てを貴族連合軍討伐に動員しており、帝都には3万の守備隊が残留するのみとされていた。

 リッテンハイム候の青い目が野心に燃えた。

 「ケスラーとかいう身の程知らずの成り上がりを殲滅したら、次はリヒテンラーデの老害を断頭台に送り込んでやるわ!」

 リッテンハイム候は、もう勝った気でいるのか饒舌(じょうぜつ)になり、艦橋で年甲斐もなくはしゃぐ有様だった。彼はシュターデンが提案し、墓穴を掘った別動隊構想がなぜに作戦足りえなかったのか理解していなかった。

 もちろん、ラインハルトが一個艦隊だけで対応させるなどありえなかった。

  オペレーター報告が上機嫌の公爵に水を差した。

 「敵です! 12時方向と10時方向……さらに2時方向から敵艦隊!」

 動揺したのは少なくとも<オストマルク>の艦橋ではリッテンハイム候だけだった。「すこし考えればわかることだ」とばかりに傍らに控える副官が哀れんだ目で主を一瞥し、しかし自分の責務は実行した。

 「閣下、我が軍は敵軍の追撃で前方に出すぎております。このままでは逆に包囲殲滅されかねません。戦闘艇総監閣下の言われた通りに敵が現れたのですから、速やかに艦隊を後退させて本体と合流すべきです」

 一瞬だけ副官を睨みつけた公爵はなんとか感情を抑えつけたのか、肘掛を数回叩いてから艦隊に後退を命じた。

 「遅い!」

 と相手の反応を罵ったのはウォルフガング・ミッターマイヤー提督だった。軍人としてはやや小柄ながら引き締まった身体は戦場において圧倒的な存在感を示す。彼は大きく右腕を前方に突き出した。

 「全艦最大戦速! 後退する敵艦を逃すな」

 ミッターマイヤーは、「疾風ウォルフ」と異名を冠されるほど速攻の用兵に優れている。このときも貴族連合軍の動きの鈍さを一瞬で見切り、彼の艦隊は命令一閃、全くブレることなく紡錘陣形を形成して突進した。

 「!!!!」

 声も出ないほどリッテンハイム候は慌てた。つい先刻、ラインハルト麾下(きか)の提督を罵倒したことなど忘れ去ってしまったくらいにうろたえる。

 「は、はやく退け! 早く退かぬか! このウスノロが!」

 何に対して文句をつけているのか副官にはわからなくなっていた。さらに、ただ後退せよとわめくだけで組織的な対応を命じないため、リッテンハイム候の艦隊は後退するごとに艦列が乱れ、もともと未熟な陣形がさらに崩れていった。

 そんな体たらくをミッターマイヤーが見逃すはずはない。帝国軍から一斉に放たれた青白いエネルギーの光条はリッテンハイム艦隊先頭集団のほとんどを一撃で葬り去ってしまった。

 「よし! このまま攻撃を続行せよ」

 そのまま整然と突進し、攻撃を強化しようとしたミッターマイヤー艦隊の前方に突然光の壁が出現し、お返しとばかりに無数のエネルギーの光矢が漆黒の空間を切り裂いて殺到した。

 「早いな……」

 リッテンハイム候のようにうろたえないのが「双璧」の一人たる所以であろう。グレーの瞳が冷静にメインスクリーンを見据えた。

 「本命が来たか……」

 その呟きには理性や感情だけではとても測りきれない重みがあった。ミッターマイヤーは、レンテンベルグで貴族連合軍を指揮していたと思われるエーベンシュタインの罠によって将来有望な部下の一人を永遠に失っていた。彼の瞳には識別されたエーベンシュタインの乗艦<ダーインスレイヴ>が映った。

 目の前に部下の仇が現れたのだ。

 「全艦追撃中止。一旦後退しつつ陣形を整え味方と合流するぞ」

 ミッターマイヤーは、復讐心に駆られることなく冷静に状況を見極めた。彼は貴族連合軍の反撃に的確に対応し、最小限の損害で一旦戦場を離脱する。

 一方の貴族連合軍は、緒戦から手痛いダメージを被ってしまった。6万隻超のうちの3000隻というのは数字上から考えれば少ないのかもしれないが、帝国軍の損害推定が100隻未満であることからも十分出鼻を挫かれたと言ってもよいだろう。

 「いけませんなぁ侯爵。帝国の明日を担う閣下が軽率な行動をとるものではありませんぞ」

 エーベンシュタインは通信画面を挟み、自尊心をフォローする言葉を混ぜつつリッテンハイム候に自重を促した。当のリッテンハイム候はバツが悪そうに時折視線をずらす。

 (なんという近視眼だ。目の前に餌があったら食いつくなど、飢えた魚そのものだな)

 リッテンハイム候の態度は、エーベンシュタインの副官であるイェーガー大佐にとっては(はなは)だ不満の残るものだった。あれほど追撃は不要と釘を刺したにも関わらず、帝国軍の予定行動に釣られて追撃するなど、まさに生粋の門閥貴族らしい後先考えない愚かしさといえる。

 (まったく、そんな気概で精鋭揃いのローエングラム候と戦うとは、もし閣下がいなかったらどんな無様な敗北をしていたんだか……)

 おそらく、負け続けた挙句に現実を見ようとせず、飾りだけの騎士道を並び立てて自暴自棄の果てにただの特攻へと走ったことだろう。

 それにしても、と思うのは、リッテンハイム候が意外に聞き分けがよいことだ。命令を無視して追撃し、損害を被っておいて妙な批評になるが、自尊心だけが肥大し、従わせることが当然だと思考する高級貴族がヒステリーを起こさないでエーベンシュタインの話を聞いていることこそが珍百景ではないか?

 イェーガーは、ほんの少し前までその理由を知らなかった。上官が話してくれたのはまさに出撃直前のことである。

 「そんなものが?」

 当然ながら驚きを隠せなかった。同時にブラウンシュヴァク公とリッテンハイム候が急に大人しくなった理由に合点がいくのだ。

 「私がもっているのは故人から引き継いだ複製だ。原本は誰が持っているのだろうな?」

 イェーガーは、尊敬する上司の語ることを信じた。そして、なぜそれを持っている事が害となるのか、彼はその危険性についても十分気がついていた。

 (たしかに私のような身分の人間が持っていても何の得にもならない。その持ち主が権力者を目指すならば、この上ない支配欲の道具になるだろうな)

 その中身は、平民出身のイェーガーが逆に破滅しかねない貴族社会の暗部を記述したものであり、詳細を聞かずとも十分にその危険性は想像可能だった。

 そして、複製を持つエーベンシュタインがそれを利用しないことを、イェーガーは上官の嗜好と価値観から承知していた。戦闘艇総監が参陣したのは三つの理由からだったが、きっとローエングラム候をはじめ多くの関係者はフォン・エーベンシュタインという個人を大いに誤解していることだろう。

 その誤解ゆえ、彼らが真の目的に到達する頃には全てが遅すぎるか、または終わっているかのいずれかに違いなかった。

 イェーガーにとっては強い寂寥感を禁じえないものの……

 「閣下、陣形の再編が終了いたしました」

 副官が報告すると、エーベンシュタインはメインスクリーンに映った帝国軍に向かって銀色のちょび髭をなでながら呟いた。

 「さあローエングラム候。卿はどれ程華麗な舞台を用意したのであろうな?」

 両軍の戦闘はついに本格的に火花を散らす。

 しかし、エーベンシュタインは自身が窮地に立たされることを、まだ予測できないでいた。
 





 
  U
 
 「ファイエル!」

 命令が隅々まで伝達されると、両軍合わせて10数万本を余裕で超えるエネルギーの光矢が常闇の世界を一直線に貫いた。しばらく応酬された中性子エネルギーは徐々に密度を増して防御シールドを突き破り、艦体の装甲を食い破った。たちまち戦場のあちこちで光芒がきらめく。

 通信回線には指示や命令が激しく飛び交った。

 「砲火を集中せよ。敵は我が軍より数が少ない。エネルギーを密集させて敵のシールドを破壊せよ」

 「無理に前に出るな。防御を固めつつ味方と連携を密にして逆に敵を引きずり出せ」

 「敵の左翼はあのリッテンハイム候だ。攻撃を集中すればたやすく陣形が崩れるぞ」

 短い時間に攻撃と防御、前進と後退が繰り返され、戦場を灼熱の爆炎が彩った。

 「さすがは疾風ウォルフ。あそこでさらに追撃をかけていたら、やむなく故人にせざるを得なかったが、感情的にならず引き際を知るとはまこと名将の器だな」

 戦況を注視しながら、エーベンシュタインは「双璧」の一人に惜しみない賞賛を贈った。

 しかし、表情はどこか愉快そうに見えて、黄玉の瞳は決して笑っていない。帝国軍は貴族連合軍より数で劣っているとはいえ、質の面でははっきり言って上なのだ。疾風ウォルフにナイトハルト・ミュラー、ウルリッヒ・ケスラーという陣容であり、艦艇数は46000隻だ。

 対する貴族連合軍は侯爵の勇み足によって3000隻あまりを失って60000隻弱。数では一個艦隊ほど凌駕していたが、左翼を指揮するのがリッテンハイム候であることから、実質的にはやや不利と言えなくもなかった。

 幸いなのは、艦隊の指揮権がエーベンシュタインにあることだろう。彼はリッテンハイム候をサポートするため、片腕であるマルミス提督に右翼の指揮の一切を任せていた。

 戦況をしばらく見守っていたエーベンシュタインは、きれいに整えられた銀色のちょび髭をなでながら帝国軍左翼に視線を転じた。そこは、ラインハルトの麾下の提督たちの中で最も若いナイトハルト・ミュラー提督が指揮する帝国軍が布陣していた。彼が興味を持ったのはミュラーではなく、その艦隊に「黒十字架戦隊」が編入されていることを知っていたからだ。

 ヘルマン・フォン・エーベンシュタインが手塩にかけて育てた宙戦の超エリートたちである。第14艦隊の人型機動兵器によって3機も撃墜されるまで、過去無敗を誇った部隊だった。

 エーベンシュタインは、思わず口の端を吊り上げてしまった。よくもまぁ、私もまじめに取り組んだものだと……

 さらにエーベンシュタインは、ミュラーという青年提督の艦隊指揮能力を過小評価しているわけではなかったが、近接戦闘における宙戦部隊の運用能力には「経験不足」という疑問を抱いていた。

 その意味では宙戦母艦戦術に秀でたマルミス提督が一枚も二枚も上手だろう。最強の宙戦部隊と最優秀の母艦戦術が激突するのもそう先の事ではない。

 エーベンシュタインにとって、この会戦における楽しみの一つでもあるのだ。双方にはお互いの能力に恥じない対戦を期待しようではないか。

 「閣下、敵が攻勢をかけてくるようです」

 副官の声でエーベンシュタインはすばやく戦術スクリーンに視線を転じた。彼の期待は早くも実現した。左翼に展開するミュラー艦隊が前進し、右翼のマルミス艦隊に襲い掛かったのだ。

 と同時に敵右翼のケスラー艦隊と中央のミッタマイヤー艦隊が時計回りとは逆方向に艦隊を緩やかに曲線移動させつつ、貴族連合軍のウィークポイントとも言うべき左翼部隊を半包囲してきた。

 たちまちリッテンハイム候の艦隊に光芒がいくつも炸裂する。きっと侯爵は青ざめていることだろう。

 「侯爵閣下に緊急伝を打て。当初の計画通りにされよ。されば敵を葬らん」

 さらにエーベンシュタインはマルミス提督を呼び出した。

 「私は侯爵を支援する。ミュラー艦隊は任せたぞ」

 見事なカイザル髭をもつ部下が律儀な敬礼をして通信画面が閉じると、エーベンシュタインは60歳を超えているとは思えない機敏な動作で指揮席から立ち上がり、いつになく勇壮な声で命じた。

 「直属の艦隊は密集しつつ逆時計回りに針路をとり、敵艦隊を3時方向から叩け!」

 それは、侯爵がやや隊列を乱しながらもエーベンシュタインの計画通りに後退を始めた直後に実行された。1万隻を超える艦隊がミッターマイヤー艦隊顔負けの速度と機動力で突出し、その側面に襲い掛かった。

 さすがにこの大胆すぎる行動は機動戦術の申し子と言っても過言ではないミッターマイヤーをも驚かせた。

 「総監閣下はいろいろと牙を隠していたようだな……」

 意志の強そうな眉がやや歪む。

 しかし、うろたえたりしないのがミッターマイヤーだ。

 「全艦、5時方向に後退しつつ、針路を9時方向にとれ! 逆に正面から叩き潰してやるぞ」

 後退か前進か、退却か攻撃か。瞬時に判断し、決断するのはまこと名将の証だろう。ミッターマイヤー艦隊の行動はエーベンシュタインが思わず舌を巻くほど素早く、陣形を巧みに変化させて側面攻撃を受け流し、敵艦隊が完全に突入する前に見事に艦隊を「正面」に展開した。

 「よし、撃てっ!」

 近距離からの一斉砲撃はエーベンシュタイン艦隊の先頭集団を文字通り「光芒の海」と化した。

 「このまま敵を一気に押し戻す。ミュラー艦隊と挟撃するぞ」

 その直前、艦橋にけたたましく警報が鳴った。

 「何事だ?」

 確認したのは副官であるアムスドルフ大尉だった。ミッターマイヤーは振り下ろそうとした右手を止める。オペレーターの上ずった声が艦橋に反響した。

 「10時方向! 仰角17度より敵襲です」

 別動隊か!? と誰しも想像したが、それは雷撃艇を主力とした小型艦艇群による「奇襲」だった。今度はミッターマイヤー艦隊の先頭集団が白熱の光芒色に次々と彩られていく。

 疾風ウォルフは、この状況を瞬時に理解した。

 (そうか、あえて正面から突っ込ませたのはこれを狙っていたからか!)

 勢いよく突入した分、艦隊の後進が間に合わずモロに敵の奇襲を受ける形になってしまったのだ。ミッターマイヤーは既視感を感じた。これはまるでヤン・ウェンリーとミスマル・ユリカを同時に相手にしているようだと……

 もちろん、対応を命じることも忘れない。

 「全艦、後退しつつ密集。各艦短距離砲に切り替えて迎撃せよ。こちらもワルキューレを出せ」

 ミッターマイヤーは、混乱しかけた味方を見事に立て直して後退させた。同時にケスラーとミュラーも一旦後退する。

 「やれやれ、やりにくいな……」

 エーベンシュタインは、帝国軍の厚い防御と隙のない後退に頬づえを付いてぼやいた。だが、その黄玉の瞳は落ち込んでなどおらず、むしろ輝いていたと言ってもよい。

 とはいえ、貴族連合軍も一旦後退した。リッテンハイム候が「追撃する」などと言い出さなかったのは多少の成長の証かもしれなかった。エーベンシュタインもこちらが陣形を乱しているのは承知していたので、今後の戦闘に備える必要があった。

 こうして、ほとんど正面から激突した両軍による最初の戦闘は、お互いに痛み分けで一旦終わった。

 ちょうどその頃、貴族連合軍と帝国軍が対峙するブラウンシュヴァイク公領で一つの叛乱が発生した。貴族の度重(たびかさ)なる搾取に長年苦しめられていたヴェスターラントという惑星の住民たちが蜂起したのだった。

 しかし、この時は規模も小さく、住民たちの連携も悪かったため、同地を統治するブラウンシュヴァイク公の甥であるシャイド男爵の治安部隊によって鎮圧されてしまう。その中身がかなり過激だったため、その後の事件に繋がる大きな禍根を残すこととなった。






 

 V
 
 艦隊の再編と補給を終えた両軍は再び激突した。

 「ファイエル!」

 命令が伝達され、激しい砲撃の応酬で幕を明けた第二ラウンドであったが、明らかに先刻とは様相が違っていた。なぜなら、帝国軍は横隊に展開しながらも積極的には攻勢を仕掛けてはこなかった。右翼をミッターマイヤー、中央にケスラー、左翼はミュラーという配置であり、一定の距離を保った状態で常に主砲を交互に斉射し続けるという戦術に切り替えてきたのだ。

 ならばと、貴族連合軍が試しに前進すれば帝国軍は後退し、後退すれば前進するという消極さだった。

 帝国軍の目的がどこにあるのか、その最終到達地点を知っているイェーガー大佐はやや首を傾けた。

 「ミッターマイヤー提督は、我が軍の疲弊か、またはリッテンハイム候が(しび)れを切らすのを待っているのでしょうか?」

 エーベンシュタインは、部下の疑問に「どちらも可能性がある」と肯定したうえで、

 「帝国軍の目的は貴官も知っているようにだ。一気に攻めて崩しやすい支城から攻略すのは定石だが、何も正面からとは限らない」

 ──となればイェーガー大佐が推察した戦術が該当しそうなのだが、エーベンシュタインはそれ以外に帝国軍に欠けているものがあることを知っていた。

 「帝国軍には戦力が足りない」

 ミッターマイヤーは、レンテンベルグ攻防戦でエーベンシュタインが感じたように勇敢で勇猛で冷静な視野を持つ優秀な軍人であり、「帝国の双璧」たる実力を十分に備えていることは間違いがない。

 ──であるからこそ、ミッターマイヤーはその教訓からラインハルト同様、緒戦のもろさからは程遠くなった貴族連合軍──エーベンシュタインに勝つためには、この戦場において「戦力」という決定力が欠けている事を十分承知しているはず。

 「まあ、リッテンハイム候が司令官だったら、彼も手持ちの戦力で事足りただろうがな」

 エーベンシュタイン曰く、帝国軍が戦術を変化させてきたのは、緒戦において自分が率いる貴族連合軍の手ごわさを認識し、次の一手に移行するために他ならないという。

 「栄誉なことだな、疾風ウォルフが認めてくれるとは。メルカッツと戦場を駆け巡ったのは無駄ではなかったようだな」

 そう言ってから戦闘艇総監は部下に断言した。

 「ミッターマイヤー提督は増援を待っている」

 上官の発言にイェーガーは意外性を禁じえない。迅速果敢な用兵家として名声を確立した「疾風ウォルフ」が、まさか「守り」の戦いに徹しようというのだろうか?

 いや、そうではないとエーベンシュタイン。攻守の戦いを切り替えられる柔軟さこそ、ミッターマイヤーが名将であるという一つの証明であるのだと。

 「もし私が部隊を横に展開して半包囲を敷こうものなら、彼は機会とばかりに中央突破をかけてくるやもしれぬな」

 つまり、油断は決してできないということだ。こちらが陣形を堅守し、リッテンハイム候を制御できているならば、ミッターマイヤーは増援を待ちつつ「守り」を中心に時折「攻撃」を織り交ぜながら時間稼ぎをしてくるであろうと。

 「ならばこちらが攻勢をかける」

 などと並みの指揮官ならそう判断したかもしれないが、先の戦闘のように後退され続けたら余計に厄介なのだ。ミッターマイヤーとしてもなるべく動きたくはないだろう。移動し続けた分、増援との連携が乱れる可能性がある。

 エーベンシュタインは、あらためて「主砲斉射を続行」という命令を出し、傍らに控える忠実な副官に言った。

 「その増援というのは、ブラウンシュヴァイク公領で戦っている帝国軍の一部を引き抜いた形でやってくるだろう」

 「あそこから援軍を引き抜くのですか?」

 「そうだ。できなくはないぞ」

 それがローエングラム候でもロイエンタール提督でも上手くやってのけるだろう。エーベンシュタインが予想する増援の規模は一個艦隊か、せいぜい二個艦隊だった。それ以上は目立ってしまい、メルカッツの目を欺くことはできず、なおかつ戦線を維持できなくなる。

 そしてマールバッハに展開する帝国軍に一個艦隊でも加われば、その総数は貴族連合軍とほぼ同数となり、ミッターマイヤー提督は戦力に余剰が生まれ、本格的な全面攻勢に打って出るにちがいなかった。

 そうなると、エーベンシュタインの「目的」を知っているイェーガー大佐ならまだしも、第三者ならば大いなる不審と疑念に駆られたに違いない。どうして増援がくるとはっきりしているのに、エーベンシュタインはその前に決着をつけようとは考えないのか?

 理由は他にもう一つあった。

 レンテンベルグ攻防戦後、エーベンシュタインはラインハルトの出方を複数予測し、その対応策を考えていた。

 その一つをラインハルトが実行してきたとき、エーベンシュタインは帝国軍の動きから真の目的を読み取り、それを隠した状態でメルカッツと協議を重ね、次のような作戦を承認させたのだった。

 すなわち、帝国軍は貴族連合軍が支配する星系に複数の艦隊を送り込んで制圧しにかかるであろうこと。ブラウンシュヴァイク公領を狙ったのは公を誘い出すことはともかく、軍そのものを大規模に陽動に使い、後方のマールバッハを突いて艦隊と要塞の連携を断つことにあると。

 この場合、戦闘の要はマールバッハである。ならば、こちらも大規模な戦力を動員して公領に終結する帝国軍を足止めし、マールバッハに侵攻してくるであろう帝国軍を動員できる最大戦力をもって撃破し、もってヴァルハラに侵攻するというカードをちらつかせることで挟撃もしくは撤退させる――

 ――――というのが基本戦略だ。


 しかし、それは表向きである。裏はエーベンシュタインが参戦した三つの理由が答えになっている。彼の目的はごく例外を除いて誰の予想よりもやや斜め上に存在するからだ。

 ならば、とイェーガーは上官に確認した。

 「閣下、でしたら最初の攻勢の時に目的を実行なさってよかったのでは?」

 エーベンシュタインは、部下の質問にいたずらっぽい笑みを浮かべつつ人差し指を軽く左右に振った。

 「それでは味気ない。より華麗な舞台を演出してこそ、彼の死は輝くのだ」

 イェーガー大佐はこれを聞いてやや肩をすくめた。上官の嗜好にあきれたのと、とても自分には真似ができないと感心したからだ。

 ただ、彼は上官に悔いが残らないよう、「その間」は異質の謀将を全力で補佐すると決意していた。
 






 W

 ――5月13日、標準時6時28分――

 会戦が始まってから10時間以上が経過したとき、帝国軍の動きに変化が生じた。それまでの守勢から徐々に前進をはじめ、砲撃と圧迫を強めてきたのだ。

 エーベンシュタインの表情がにわかに躍動し始めた。黄玉の瞳がたぎり、きれいに整えられたちょび髭が上方に歪んだ。

 「くるぞ。全軍に敵の奇襲と全面攻勢に備えるよう、至急通達を出せ」

 「はっ!」

 イェーガーが通信オペレーターに指示を伝えた数分後、索敵オペレーターが突然肩ごしに振り向いて強張った声でそれを告げた。

 「敵艦隊、急速に接近中!」

 それは3時から4時の間だろう? とエーベンシュタインは独語のように予言する。

 オペレーターの続報は、それを裏付けるものだった。

 「3時20分の方角より敵艦隊! 数およそ12000隻。旗艦王虎(ケーニヒスティ−ゲル)を確認、黒色槍騎兵艦隊です!」

 後方の部隊から転送され来た映像に映ったのは、漆黒の世界を驀進(ばくしん)する最強の黒い艦隊の威容だった。

 旗艦<ダーインスレイヴ>の艦橋が騒然とする。が、決然として指揮シートから立ち上がったエーベンシュタインは拳を握り締めて「これを待っていた」とばかりに命じた。

 「大佐、リッテンハイム候宛に例の電文を打て。疾風ウォルフが本気になるぞ。それからマルミス提督を呼び出せ」

 二つの指示は電光石火のごとく実行された。
 



  ◆◆◆

 「くっ! どうするのだ……」

 リッテンハイム候は、増援と連動した帝国軍の全面攻勢に完全に(おのの)いていた。そこへ、通信士から電文を受け取った副官が内容を読み上げる。

 「突撃せよ、ただ突撃せよ。そして突撃せよ……以上──」

 副官が言い終えないうちにリッテンハイム候に信じがたい変化が起こった。体の震えが止まったかと思うと、恐怖に支配された表情が本人かと疑ってしまうほど精悍さを増したのだ。唖然とする副官をよそに侯爵は物腰も鋭く指揮シートから立ち上がると百戦錬磨の軍人のような声で命じた。

 「我が艦隊は敵に全面攻勢をかける。全艦、密集しつつ11時方向の敵艦隊に向かって突撃せよ!」

 あまりにもまともで具体的な指示なので、副官は耳を疑ってしまったほどだ。

 「おい」

 リッテンハイム候のまじめすぎる視線が、唖然とする副官の横顔を凝視した。

 「何をしている、早く命令を伝達せよ。我々は勝利に向かって突き進もうというのだ」

 副官は慌てて指示をオペレーターに伝えた。ほんの数秒遅れはしたものの、艦隊は夢のようにきれいな紡錘陣形を形成し、まさに再編を終えて突撃しようというミッターマイヤー艦隊に予想外の強力な火箭を叩きつけた。

 攻勢に先制したのは疾風ウォルフだった。

 しかし、後退したのも疾風ウォルフだった。

 黒色槍騎兵艦隊(シュワルツランツェンレイター)の増援を皮切りに浮き足立つかに見えた貴族連合軍――主にリッテンハイム候の艦隊のはずが、まさか向こうから全面攻撃を仕掛けてくるとはミッターマイヤーの予想を完全に裏切っていた。それが、破れかぶれなどではなく、組織的な攻勢であることが彼をより驚かせた。

 しかも、突撃速度と火力の集中がまるで黒色槍騎兵艦隊のようだった。急激に損害が拡大したため、ミッターマイヤーはさらに後退することを余儀なくされた。

 「今だ! 敵艦隊の正面めがけてミサイルを撃て! 然る後に突入しつつワルキューレを発進させよ」

 人が変わったようにオストマルクの艦橋に指示や命令が飛び交った。副官は何事かに取り憑かれたようにまともな指揮を執る主の豹変振りに困惑しつつ、「疾風ウォルフ」の艦隊が混乱する有様を見て「ひょっとしたら勝ってしまうかも?」などと思い始めて気を取り直した。

 そもそも、名将「疾風ウォルフ」と「自尊心が高いだけの門閥貴族」がまともに真っ向勝負するなど誰が想像できただろうか? 通常の予想なら片方の一方的な勝利で終わるはずだ。

 ミッターマイヤーは後退する。後退しつつ陣形を徐々に立て直し、混乱を収拾していく手腕は凡将の成せる業ではない。ケスラーとミュラーは予想もできなかった光景に目を見張りはしたが、ミッターマイヤーは押されているようで実は後退しながら虎視眈々と反撃の機会を狙っているに違いない──と艦隊の動きから想像していた。

 それは当たっていた。

 しかし同時にそうとも限らなかった。なぜならミッターマイヤーは半分本気で苦戦していたということである。特にリッテンハイム候が鮮やかに近接戦闘に移行したとき、

 「まさか、これはファーレンハイトか?」

 と疑ってしまったのも無理からぬことだろう。それだけ既視感を受けたのだ。

 (違うというなら、リッテンハイム候は一体……)

 応酬される砲火はすさまじかった。旗艦人狼(ベイオウルフ)を護衛する戦艦の一隻が中性子ビームに複数貫かれて轟沈した。その衝撃で艦橋が激しくゆれ、ミッターマイヤーの収まりの悪い蜂蜜色の頭髪を大きく乱す。彼はバランスを保って艦橋に立ち続け、味方を叱咤激励した。

 「艦列を決して崩すな! 敵の攻勢は一時的なものだ。限界はある」

 ミッターマイヤーの見解は正しかった。侯爵が率いる艦隊の陣形が崩れてきたのだ。ただし、なおも苛烈な攻撃によって帝国軍の陣形も乱れがちになり、その度に隊列を立て直すために反撃のタイミングになかなか移れないでいた。

 活力のあるグレーの瞳は戦術スクリーンから決して逸れない。

 (しかし、シュターデンといい、リッテンハイム候といい、どう考えても別人だ。やはり、これもエーベンシュタイン上級大将が絡んでいるのか?)

 それは正解であった。
 

 時を並行し、エーベンシュタインは右翼を指揮するマルミス提督を通信で呼び出して黒色槍騎兵艦隊の対応を指示すると、自らはケスラー、ミュラーの両艦隊を迎え撃った。横隊に展開した厚みのある陣形から中性子ビームの光矢が帝国軍に容赦のない猛撃を浴びせた。

 その直後、貴族連合軍本隊の後方──5時方向で無数の攻防が炸裂した。マルミス提督の艦隊とビッテンフェルトの黒色槍騎兵艦隊が激突したのだ。

 より損害を受けたのは帝国軍だった。突進する黒色槍騎兵艦隊の先頭集団が突如として強力な側面攻撃を受け、やや速度が鈍った瞬間に正面から主砲の一斉斉射を受けてしまったのだ。それでも突進は続き、マルミス提督の艦隊に少なからず損害を与えたものの、艦隊の勢いは完全に削がれてしまった。

 「ちぃっ! なんださっきの攻撃は!?」

 ビッテンフェルトは怒りを露にして右手を大きく振り上げた。超高速で突進する黒色槍騎兵艦隊を正面から迎え撃つのは無謀の類に属する。最も有効な方法は後退しつつ艦隊の左右中ほどあたりに側面攻撃を実施し、そこに楔を打ち込むことで前衛と後衛に分断。もって正面から前衛を叩くことだ。速度と攻撃力が削がれ、本来の破壊力は大幅にダウンしてしまうことだろう。

 言うことは容易い。そんなことが簡単に実行できないからこそ黒色槍騎兵艦隊の破壊力は凄まじいのだ。それが殺されただと!?

 ビッテンフェルトは臍を噛んだ。

 (ローエングラム候が注意せよとおっしゃっていたのはこのことか……)

 猛将の顔が自分自身に対する怒りへと変化した。突進力をそがれた艦隊は単なる移動攻撃砲台と化してしまったに等しい。

 (ミスマル・ユリカといい、最近、腹の立つ奴と戦うことが多いな……)

 しかし、失敗したことをいつまでも悔やまないのがビッテンフェルトだ。荒々しいオレンジ色の頭髪が(たてがみ)のようにざわめき、猛将は咆哮するように命じた。

 「撃って撃って撃ちまくれ! やられた分を倍返ししてやるのだ」
 

 メインスクリーンを注視する立派なカイザル髭をもつ提督は、黒色槍騎兵艦隊がなぜに強力であるのか対峙して思い知った。その突進と攻撃力を削ぐことには成功したが損害も免れなかった。さらにそこから攻撃を加えて瓦解させることまでには至らず、組織的な再反抗を許してしまったのだ。

 それでも他者から見れば「上出来」と賞賛されたことだろう。彼はエーベンシュタインが持つ切り札の一つを有効に使用し、不利と思われた勝負を五分までもっていったのだ。あとは指揮官の能力次第となるだろう。

 このように貴族連合軍は善戦し、局地的には優勢だった。

 しかし、リッテンハイム候の艦隊が<人狼>に迫ったとき、一つの大きな変化が生じた。







 
  X

 「2時の方角に艦影! 急速に接近中」

 戦艦<人狼>の艦橋がにわかに緊張感に包まれた。この方向からの艦影は敵と味方のどちらにも考えられるからだ。もし敵だった場合、ミッターマイヤーだけでなく帝国軍にとって致命傷になりかねなかった。

 はたして敵か味方か?

 帝国軍の双璧でさえ予想しなかった事態に、ほとんどの者が固唾を飲み込んで注視するなか、通信オペレーターの二度目の報告が張り詰めた空気を解放した。

 「味方です!」

 艦橋が一気に沸きあがる。ミッターマイヤーはもちろんこのタイミングを逃さない。多少強引でも攻勢に移るべきだった。彼の右腕が勢いよく垂直に空を斬った。

 「全艦、正面の敵に向かって全速前進せよ。主砲斉射三連!」

 ミッターマイヤー艦隊は後退から一転して大攻勢に転じた。ほとんど同時にベルトマン少将率いる3500隻の高速戦艦部隊が勢いを止めないリッテンハイム艦隊の左側面に突撃した。戦艦<アウルヴァング>の艦橋に勇猛な指示が飛ぶ。

 「全艦突入しつつ、針路を2時方向にとれ。敵をかき乱して分断してやるぞ」

 絶好調? のリッテンハイム候にとっては「最悪」といえる二方面からの「大攻勢」は貴族連合軍の進撃に楔を打ち込むことになった。戦艦オストマルクの周囲はたちまち中性子ビームの光条で埋まった。それが右舷側を守る盾艦に命中し、真っ二つになって爆散する。

 オストマルクは何とか巻き添えを免れたが、激しい衝撃波を側面に受け、艦橋に立っていたリッテンハイム候を横転させるには十分であった。

 「閣下!」

 副官は、かろうじてバランスを保ち侯爵に手を貸そうとした。彼の手をとった門閥貴族はなぜか酷く狼狽していた。

 「閣下、ご命令を!」

 副官の声は届いていないようだった。爆発光が染めるリテンハイム候の青い瞳は光を失ったようにメインスクリーンをただ見つめたままだったのだ。

 「閣下!」

 副官が怒鳴るように言うと、リッテンハイム候はようやく我に返ったようだったが……

 「退けっ!退けっ! 後退だ、後退するんだ!」

 その取り乱しようは言葉では形容しがたく、とても数分前の「かっこいい侯爵」とは明らかに違っていた。元に戻ってしまったようだった。

 「早く退かぬか!」

 狼狽した状態でよろよろと立ち上がったリッテンハイム候の耳に不吉すぎる警告音が鳴り響いた。

 「敵艦隊、本艦に向かってきます!」

 悲痛に満ちたオペレータの報告の直後、左舷側の盾艦が中性子ビームに貫かれ、オストマルクが回避行動をとった後に光芒と化した。

 その直後、オストマルクの艦体を無数の残骸が襲い、左舷側に傾いたときに複数の中性子ビームが艦首付近に炸裂した。艦は一瞬だけよろめき、次に破口から白光が上がってついには爆発した。

 戦艦<アウルヴァング>の艦橋からどよめきと歓声が上がった。

 「リッテンハイム候を仕留めたぞ!」

 ベルトマンが高々と右腕を上げて宣言すると、オペレーターたちも歓喜して立ち上がった。アウルヴァングがオストマルクを捕捉してわずか6分後の快挙であった。

 「よし、このまま敵を分断し、我が軍の勝利に結びつけるぞ。全艦、そのまま突き進め!」
 





 
  Y

 一方、ケスラー、ミュラーの二個艦隊と対峙しているエーベンシュタインはオストマルク撃沈の報を受け取ったとき、表面上は死者に対して手向(たむ)けの言葉を贈り、そして傍らの副官にぼやいた。

 「私の予定とは違ったが、まぁ、リッテンハイム候も壮絶かつ華麗な死を迎えて本望だろうよ」

 と皮肉を込めて素っ気ない。エーベンシュタインにとってはそれでよかったのだ。わざわざ双璧と対決する舞台を用意し、それをリッテンハイム候が生かせなかったのは残念なことではある。だが、彼はシュターデンと同じく門閥貴族の意地と矜持を見せつけ、人々の記憶に残る戦いをして死ねたのだ。

 その死を演出したのは他ならぬエーベンシュタインだ。彼は連夜にわたって主な貴族を集めてさりげなく戦術講座を開き、彼らにそれとなく暗示をかけていた。仕込みだ。

 ある意味、シュターデンを追い込むより簡単だった。

 そう一定の間、学習したことを発揮可能な暗示だ。自尊心の高い、自分を信じて疑わない門閥貴族には極めて有効で強力な方法だ。

 人の脳は学習したことを記憶に留めている。活用できないのは記憶したことを上手く引き出せないからだ。

 それを引き出すのが「暗示」または「催眠」という強力な方法だった。それをキーワードによって解放したとき、門閥貴族たちは記憶した戦術のノウハウを限界まで発揮できるのだ。

 ただし、一方通行。暗示の効果は猪突猛進。敵から大きな反撃を受けるか、一定の時間が過ぎた時にはその効力は醒めてしまう。

 されど結果は上々であった。

 (情けない死よりはるかに名誉ではないか)

 ──それこそがエーベンシュタインの「真の目的」なのだから。

 エーベンシュタインは指揮シートに座ったまま厳かに命じた。

 「会戦の後始末をするぞ。左翼側に陣形を開いて味方の後退を支援せよ」

 リッテンハイム候が率いた艦隊の残存はなお1万隻以上ある。目的を達成したエーベンシュタインとしては、それ以上味方の損害を拡大させるわけにはいかなかった。ミッターマイヤー艦隊と増援の分艦隊を抑えるには必要な残存戦力なのだ。

 そして、

 「大佐、私は戦場を収拾したら撤退するぞ。何か嫌な予感がするのだ」

 当初の計画では、艦隊を立て直した後は帝国軍に対して総反撃し、マールバッハから撤退させるのが基本方針だったのだ。

 二個艦隊までの増援を予想していたエーベンシュタインにとって、新たな増援は別段驚くことではなく、胸騒ぎがしなければ本気で撃破しにかかっただろう。

 その胸騒ぎが現実になった。左翼に陣形を展開し終えた直後、オペレーターが怒鳴るように報告した。

 「7時方向に艦影確認!」

 艦橋に緊張感が走り、エーベンシュタインはこれまでにないくらい強張った顔をしていた。そして、端末をいじっていたオペレーターが顔面蒼白で最悪の続報を伝えた。

 「敵です! 7時方向より敵艦隊です! 数は……」

 思わずオペレーターは絶句してしまったようだった。

 「……か、数は……さ、36000です!

 これを耳にしたエーベンシュタインは、今度こそ初めて愕然として指揮シートから立ち上がった。声に出さなかったのはさすがだろう。

 エーベンシュタインには信じられなかったのだ。ローエングラム候がメルカッツと対峙した状況でこれだけの戦力を引き抜けるはずがない。考えられるとしたらメルカッツが敗れたか、見逃したことになるが、それこそありえなかった。

 だが、現実には三個艦隊近いあらたな増援が貴族連合軍の後方から迫っているのだ。

 (一体、どこから沸いて出てきたのだ?)

 その疑問は、オペレーターたちの懸命な情報収集によって判明した。

 「戦艦バルバロッサを確認しました! キルヒアイス上級大将のようです」

 エーベンシュタインは、殴り倒されたような大きな衝撃を受けた。

 「やられた……まさか辺境を後回しにするとは……」

 彼は、ラインハルトの腹心と言われるジークフリード・キルヒアイスの参戦を考慮していなかったわけではない。

 ただし、辺境の平定を中途半端にすれば戦略的な不安が常に付きまとう。だから参戦してくるのは次の会戦と読んでいた。

 それがずいぶんな前倒しで「今」となったのだ。ラインハルトは不確定要素が高く、後方の不安定さを招きかねない辺境平定をあえて後回しにしてまでキルヒアイス提督を呼び寄せたことになる。戦略家らしくない、極めて大胆な判断だった。

 「ギリッ」、とエーベンシュタインは歯を食いしばり悔しさを滲ませた。

 (ローエングラム候ラインハルト、卿にはたしかに最高の舞台を用意されたぞ……)

 ──それとも、これを提案したのはあの男か?

 すぐ傍らから、意識を呼び戻す声が聞こえた。

 「閣下、このままでは前後から挟撃されてしまいます。こうなってはボソンを……」

 我に返った戦闘艇総監は、部下の発言を遮るように言った。

 「いや、それはだめだ。あれは不安定すぎる。確実に敵を葬れる保障がない」

 さらにエーベンシュタインの次の発言がイェーガーとオペレターたちを戦慄させた。

 「武器輸送艦はついてきているな?」

 「か、閣下、まさか……」

 副官に大真面目にうなずくと、エーベンシュタインは艦橋全体に響く声で言った。

 「オペレーションナデシコを緊急発動する」

 絶句しかけた副官は、一呼吸置いて異論を唱えた。

 「閣下、それは閣下のお身体に大きな負担をかけるだけでなく、寿命を著しく縮めてしまいます。どうかご再考を!」

 エーベンシュタインは、副官の助言を一蹴した。

 「助言はありがたいが、自分の身体を心配している状況ではないのだ。今、ここで決断しなければ私も貴官らも目的を完遂できずに無駄死にする。何よりも、私は陛下に……フリードリヒに顔向けができないのだよ」

 エーベンシュタインの強い意志が、イェーガーたちに腹をくくらせた。

 「わかりました。閣下がそこまでおっしゃるならば我々は全力で閣下をお手伝いするまでです。ですが、1時間が限界ですぞ」

 「十分だ」

 すぐにエーベンシュタインは敵艦隊との接触予定時間をオペレーターに問うた。時間は7分だった。彼は目で副官に合図する。

 「これよりオペレーションナデシコ・シークエンスに入る」

 イェーガー大佐の号令とともに<ダーインスレイヴ>の艦橋が慌しくなった。エーベンシュタインは端末の下から配線が多く繋がれたヘッドギアタイプの被り物を身につけ、指揮シートの左右側面から配線のついた腕輪のようなものを、それぞれ左右の手首にはめた。

 さらに主なオペレーターたちも通常の通信端末器を外し、薄い黄色のバイザーが付いたヘッドホンタイプの通信機器に被り直した。直属のオペレータの中にはとあるボタンを押すと、端末が入れ替わるように別の端末が出現するという光景も発生した。

 それらと並行し、イェーガー大佐は矢継ぎ早に指示と命令を発した。

 「後方の武器輸送艦に緊急連絡。オペレーションナデシコ発動、3分以内に解放準備せよ。続けてマルミス提督に緊急伝。本艦はオペレーションナデシコ・シークエンスに突入。艦隊の指揮権を一時的に移譲するものなり。必要な対応をとられたし=v

 オペレーターたちは一斉に指示や命令を実行した。次に彼らは表示されたデーターを読み上げていく。

 「敵艦隊との接触まであと5分!」

 「生体データースキャンおよびリンク完了。心拍数、脈拍数、α波、いずれも正常値。ナノマシン活動率86パーセントより順調に上昇中」

 「艦艇側面の防護シールド収納完了。増幅アンテナ展開開始。核融合反応炉出力率88、90、92、94、95……100パーセント到達」

 接触が残り2分に迫ったとき、後方の武器輸送艦から緊急伝があった。オペレーターが素早く読み上げる。

 「解放準備よしとのことです」

 報告を確認したイェーガーが細目を向けて上官に振り返ると、彼は軽く右手を上げて承認していた。

 副官はうなずき、そして命じた。

 「小アルテミスとのリンク開始。データーフィールド展開せよ!」

 すると、エーベンシュタインの指揮フロア周辺が音声遮断ではないフィールドに囲まれ、ナデシコの乗員なら見慣れたであろう幾十ものデーターが瞬時に展開される。

 直属のオペレーターが表示されたリンクデーターを読み上げた。

 「小アルテミスリンク率80、84、89、92……98、100%到達。シークエンスエンデ!

 うなずいたイェーガー大佐の最後の指示が、帝国軍にとって悪夢の時間の始まりだった。

 「よし、擬似IFSシステム全解放せよ!」
 




 ……TO BE CONTINUED

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 あとがき

 第十五章(中編)でした。

 そして最後のほうは、最近の思いつきネタではないと最初に言っておきます(キリッ

 また、副タイトルの「幻影」の意味もわかっていただけたかと思います。

 副盟主も戦死させ、目的を達成したのも束の間、ラインハルトの切り札が登場。エーベンシュタインは、それこそ前倒しで切り札を出さざるを得なくなりました。

 はたして、彼がやろうとしていることは何か? 擬似IFSで動かす兵器とはなにか。
次回をお待ちいただければと思います。

 PS:帝国側は、同盟側と比べてかなり厳しい戦いとなっています。ほぼ確実に誰かが死ぬ流れです。
 
 それから、「ヤマト2199」がマギの後番として始まりました。一話目を見逃すというポカをやらかしました。二話をみた感想だと作画がかなり安定し、さすがに映像がきれいですねぇ。ガミラス兵器も原作と比べるとずぶんデザインを修正して洗練されているなーと感じました。女キャラが増え、さらにエロさが増したのは最近の流れでしょうかw

 第三話では人気急上昇中と聞く「ヒルデ・シュルツ」嬢が登場。なんとなくですが、聞いた限りで想像すると、彼女の立ち位置はナデシコで言うところのユキナかなーと思ったり思わなかったりw

 あと春アニメで他に収穫があったのは「翠星のガルガンティア」くらいでしょうかねぇ……

 みなさんは、春アニメで「これだ!」と思うようなアニメに出会えたでしょうか?


 2013年4月26日 ──涼──

 誤字や脱字、読者さんからのアドバイスを基に一部を修正しました。
 2013年5月29日 ──涼──


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



押して頂けると作者の励みになりますm(__)m

<<前話 目次 次話>>

作品を投稿する感想掲示板トップページに戻る

Copyright(c)2004 SILUFENIA All rights reserved.