それは、二度目の会議の席上でのことだった。まず、シトレとフクベ・ジンがアカツキの依頼に沿って「ナデシコ転移」の謎について調査内容を発表し終えた頃である。

 「やっぱり、前途多難なんですねぇ……」

 ユリカは、力なくつぶやきながら肩で息をした。彼女も多くの現実と向き合ってきたものの、予想と客観の領域を著しく逸脱した「現実」となると、気を落としたくなってしまうのである。それが反対勢力側の銀河にあるかもしれないと言うのであればなおのことであった。

 しかし、同席したメンバーたちの失望に近い重苦しい雰囲気は、その男の一言から意外な方向へ流れようとしていた。

 「正直なところ、現在の情勢下では木星への本格的な調査は困難を極めるといってもよいだろう」

 シドニー・シトレである。かつて同盟軍制服組NO,1の軍人として辣腕を振るった褐色の肌の男の口調は現役時代と変わらず冷静沈着そのものであった。

 現実は、シトレの言う事が正しい。もちろん、ユリカたちも帝国軍との長きにわたる戦争に終止符を打たない限り、ナデシコを伴って地球圏へ行くことは不可能であると認識している。

 「そして……」

 シトレは続ける。だが、その表情とは裏腹に彼の内面では何かが熱くなり始めていた。

 「私は直接地球圏へ行くことはできないが、アカツキくんやフクベ提督からの情報提供によって多くのことは把握しているつもりだ」

 シトレは、ユリカたちの顔を視線で追い、彼女たちが自分の言動に集中していることを確認すると、ついに禁断の一石を投じた。

 「私は諸君らがこちらにやってきて以来、ウランフ提督からの報告も加えて自分なりにずっと考え続けてきたが、どうしても一つだけ不可解で矛盾していて客観的な説明のつかないことがある」

 おそらくこの時点でシトレが言わんとしていることを予想できたものは存在しなかった。逆に何を示唆したのか、呑気そうな興味深い表情のほうが多い。

 「それは、諸君たちがこちらの時間軸にも存在したナデシコの乗員ではないということだ。ならば、同じように消えたと検証された本来の存在はどこに消えてしまったというのか?」

 それは、ナデシコ内でも長らく議論されてきた課題である。その理由は今も客観的な原因究明に迫る仮説すら立てられてない。それは圧倒的に「彼ら」に関する資料が不足しているからではあったが、なぜシトレが「切り出した」のか、それを理解できた者は多数の同席者の中で二名に満たなかった。

 その二名は背筋を正した。この先の内容を予想しえたのである。シトレの視線が一人一人を追った。

 「君たちは今回の事態を引き起こした根本の何かをまだ言えずにいる。そうではないのかね?」

 「隠している」と表現しないところがシトレの配慮を示すものであった。イネスとプロスペクターは冷静を装ってはいたが、ユリカや他の同席者は動揺を隠せなかった。それだけは、地球時代に起こった争奪戦の悲劇を思えば隠し通しておきたい秘密だったからだ。

 しかし、ユリカは動揺を鎮め、ついに打ち明ける機会が巡ってきたのだと確信した。彼女のブルーグリーンの瞳が決意を乗せてシトレに向けられた。

 「わかりました。演算ユニットについてお話ししましょう」






闇が深くなる夜明けの前に

機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説




第18章(中編)

『未来の行方/そして地上ではX』






T
 
 ――宇宙歴797年6月上旬――

 ミスマル・ユリカ率いる第14艦隊(通称ミスマル艦隊)がルグランジュ中将の指揮する第11艦隊を行動停止状態に追い込んでから、ほぼ1か月近くになろうとしていたが、本来は生粋の軍人として忍耐力のあるはずのモートン少将とカールセン少将が角刈りの中将の頑固さに、ついにあきれ果てる事態となっていた。

 『ここはやはり、司令官閣下に上申してみるというのはどうでしょうか?』

 モートン少将が通信画面越しに相談すると、カールセン少将は表情を変えずに灰色のあごひげをごっつい手で撫でまわし、老年らしい少ししゃがれた声で言った。

 「モートン提督の意見はよくわかる。正直なところ儂もルグランジュ中将を早々に逮捕したほうが手っ取り早いと思っている」

 と言うのも、そもそも「薔薇の騎士連隊(ローゼン・リッター)」の役割はルグランジュ中将が降伏勧告に応じなかった時の保険のような手段ではなかったのか?

 ――実際には少し違うのだが、発生するかどうかなんとも言えない事態に対応するよりは、停滞した現状を解決するために「当初の意図とは違う薔薇の騎士連隊の投入」という選択も可能ではないか、と二人は考え始めていた。

 しかもユリカはもちろん、優秀な軍人といっても差し支えないカールセンとモートン提督もルグランジュ中将がこれほどまで病的に頑固に抵抗するのか、その裏の理由にも気づいていた。

 そこをわかっているにもかかわらず、みすみすルグランジュ中将の「策」(二人にとっては無駄な抵抗)を見過ごしている美人上司に少なからず懸念と不満を覚えないでもなかった。

 カールセンもモートンもたたき上げの軍人である。軍人としての経験値ではユリカはまったくお話にならない。経験を下から積み上げてきた分、二人には多くの過去の事例から現在の状況を当てはめて考えることができた。この内戦は早期に決着させることが最大の目的である。イゼルローンとエル・ファシルの問題が片付いたいま、第11艦隊を完全に降伏させ、ヤン艦隊に合流するほうが戦略的にも彼らの出世のためにも大きな意義があるのではないか?

 「では、意見の一致という事で」
 
 カールセンとモートンは、上官に直接意見具申することを決めたのだった。
 

■■■

 ミスマル艦隊の中心部でしびれを切らしつつある動きのさなか、そんなことはお構いなしとばかりにナデシコの格納庫はウリバタケが開発したエステバリス用の新装備をめぐって熱い会話が飛び交っていた。

 「じゃあウリバタケさん、エネルギーパックは最大2つ装備可能なんですね?」

 「おう! そのとおりだテンカワ。ムダ弾しなければワンパックで50機は撃ち落とせる計算だぜ」

 「でもさあウリリン、パック二つも携帯するとその分、機動力が落ちるんでしょ?」

 「まあ、決して軽い代物じゃねーしなー。しかし、黒十字みたいなやつらとしょっちゅう格闘戦(やり)あうなんて稀だろーから、ま、通常はワンパックで十分かもな」

 「俺は二つ必要かも。とことん宙戦に集中したいし」

 「あのう、でも突撃隊長のリョーコさんだと、そもそも個別仕様のハンド銃タイプは充填エネルギーが少なめですから四つは必要になるのではありませんか?」

 「え?、そうなのかイツキ……どうなんだよウリバタケ?」

 「まあ、イツキちゃんの言う通りかな。そりゃあ近距離戦だとハンド銃タイプになるし、ちょいと射程と威力がねぇ……機動力とエネルギー気にするならベースになる突撃銃タイプにしたほうがいい。またはエネルギー切れしたら母艦で補給すればいいだけ」

 「性分じゃねぇなぁ……」

 「俺はもちろんベースかなぁ」

 「俺もサブロウタとおなじかなぁ……」

 「そうそう、やっぱりはイズミちゃんは狙撃タイプだよね?」

 「わ、私はエステキャノンとかもいいと思うの、うふふふふ……」

 「「ちょっとまったぁぁぁぁっ!!」」

 「おう、男のロマンをかきたてるぜっ!」


 にぎやかな会話が続く中、同盟軍服を着こなした「視察者一名」がエステバリス用に開発された突撃銃タイプの新武器を童心にでも返ったようにまじまじと見つめていた。

   ――ともすれば格納庫を彩るズラリと並んだエステバリスを一体一体眺めやってメモをとると、なぜか納得でもしたかのように熱心にうなずいていた。

  「おう、アッテンボロー提督。あんたの意見を聞きたいんだが、どうよ?」

 不意に、豪快な声で整備班長に声を掛けられた青年提督は、次々に視線が注がれる中、そばかすの残る端正な顔にやや困惑の色を浮かべていた。

 「小官……にですか?」

 アッテンボローが困惑したのも無理がない。彼の軍歴はその場のパイロットたちの誰よりもはるかに長いが、専門は艦隊運用や艦隊戦である。スパルタニアンを語るならまだしも、初めて直接目にした人型機動兵器――しかも、その武器について意見を求められるとは思わなかったのだ。

 「いや、ちげーよ。エステバリスと新型ライフルを見て、なんかこうカッーっとものすげー熱い何かがこみ上げてくるだろ?」

   と、いつものようにウリバタケの口調は熱い。意見……もとい感想か、とアッテンボローは思い直し、「童心に返ったようなワクワクした気持ちになりました」と素直に感想を言うと、マッドな整備班長は実に満足そうにうなずいて、青年提督の背中をバンバンと叩くのであった。

 その場の雰囲気に圧倒されてしまったアッテボローだったが、そこで終わりではなかった。結局、彼はエステバリスの今後の運用方法について意見を求められてしまったのである。特に美人パイロット四名の期待を込めた視線の集中砲火からは逃れられそうにもなかった。

 (この調子だと、独身主義が俺を解放してくれるかな?)

 内心とは裏腹に思わず視線を背けてしまったアッテンボローだが、実は決して何も言うことがなかったわけではない。同盟軍史上初の人型機動兵器投入による戦闘の記録映像はしっかり見ているのである。

 その上でヤンも認める軍事的才能をもつ後輩は、艦隊と戦闘艇の運用という観点をエステバリスに置き換えることで、「私見」という立場で意見を言った。

 「それぞれの特性を生かした武器を選択することは戦術上の効率を加味した上でも適切だと思います」

 なぜ最初から個々に対応した武器がなかったのか、という疑問に当たってしまうところだが、エステバリスはそもそも機体の改良に時間を費やしてしまい、短い時間のなかで武器まで専用を開発することはできなかった。実弾といえ急造でライフルを作ったこと自体が奇跡みたいなものだった。そして、実戦から得られた教訓とデーターをもとに足りなかったものを補うのは当然なのである。

 「小官としては、帝国軍の戦闘艇と戦っていくうえで、各パイロットに合う武装のバリエーションが増えるのは非常に戦いを有利に進めるためには大切なことだと考えます」

 それらを踏まえたうえで、アッテンボローは「黒十字架戦隊(シュヴァルツ・クロイツァー)」との戦闘記録から、今後増えると思われる帝国軍の戦術上の変化と運用の変更を予測した。

 「小官が帝国軍の司令官ならば、各宙戦部隊に少なくとも2〜3機のレールガン装備のワルキューレを配備するでしょう。さらに備えるならば黒十字架戦隊に及ばなくても、艦隊の宙戦部隊から選りすぐったパイロット部隊を常設する可能性が出てきます」

 もっとも首を傾げたのはスバル・リョーコだった。アッテンボローの彼女に対する第一印象は「男を後ろから(いい意味で)蹴り飛ばす女性」であった。ただし、青年提督の好みに当たるかどうかは定かではない。

 「なあ、アッテンボロー提督。後半のヤツはなんとなく理由はわかるけど、前半の2〜3機を配備するって、それってどういう意味があるんだ?」

 リョーコのみならず、すべての視線がヤンの二歳後輩に集まったということは、彼女と同じ疑問と興味をもったということだ。アッテンボローは身振りを交えて説明した。

 「皆さんも感じている通り、帝国軍が現在の武装のみでエステバリスに対抗するとは考えられません。とは言え、すべての武装をレールガンに換装するとも思えません」

 そんなバカげたことをすれば同盟軍のパイロットがクラッカーを鳴らして喜ぶだけだろう。相手が天才ラインハルト・フォン・ローエングラム率いる帝国軍ならば、至極当然にばかげた対応をするはずがない。

 「まして、すべての部隊がエステバリスと宙戦をするわけではないですし、いざ、戦ってみないと対処のしようがない部分もあります」

 この時点でアッテンボローはもちろん、ユリカでさえハイネセンで改良を加えられた新たなエステバリスが量産試験されている事実を知らないでいる。

 「要するに」と前置きして、アッテンボローがさらに持論を展開した内容は、リョーコたちを納得させるのに十分な内容であった。

 すなわち、レールガン換装のワルキューレは、対抗する部隊が到着するまでの時間稼ぎの役目を担う機体であるという事だ。

 あくまでも時間稼ぎが目的なので、ガチンコ勝負を避けつつ、遠目からレールガンを撃ってくるだろうと。

 「そして、小官が帝国軍の前線指揮官ならば、主力のワルキューレ部隊が到着し次第、小型艦艇と連係する形でエステバリスを包囲攻撃します」

 ここでアッテンボローの言う「小型艦艇」とは駆逐艦のことである。小回りの利く駆逐艦を宙戦域の外側に置くことで支援砲撃と牽制を行い、主力のワルキューレが落とされるようなことがあれば即座に対宙戦闘に移り、エステバリスをある一定の宙域に釘付けにしようとするだろうと。

 リョーコが、心なしか悔しそうな顔をした。

 「それって、俺たちがミュラー艦隊に後半やられたあれだろ?」

 「ええ、そういうことになります。エステバリスを無理に撃墜する必要はないわけです。帝国軍は並みのワルキューレだと対抗できないと学んでいるはずです。黒十字架戦隊との後半の戦いと同じくエステバリスを抑えておけば、それだけで戦局全体を左右されずにすみます。もちろん、隙あらば墜としにもくるでしょう」

 ここで、ある事実に気付いた人物が複数人存在した。その中の一人であるテンカワ・アキトはファンベルグ星域会戦の戦いから教訓を得て、今回の内戦に臨んでいる。己をさらに鍛えるために宙戦シミュレーション以外にユリアンとともにシェーンコップに弟子入りし、厳しい訓練に励んでいる日々を送っていた。

 そのアキトが、複数人を代表してアッテンボローに言った。

 「それだと、捉えようによっては帝国軍にはエステバリスに対抗するための決定打がない(・・・・・・)ってことですよね?」

 アキトの言う通りなのだが、もちろん誰一人としてそんな楽な未来図にはならないだろうと確信していた。

 となると帝国軍で高まる動きというのは、ワルキューレ全機体が等しくエステバリスに対抗できる戦術または武器を有する(・・・・・・)ことにある。前者についてはアッテンボローが持論を展開した通りである。問題は後者である。

 レールガンは個々で対抗となる「有効で強力な武器」には違いないが、ベテラン向きであり、射速にも問題がある。弾数もエネルギー系に比べるとずいぶん限られてしまう。

 「ただまあ、このあたりを考え出すとキリがありません。我々としては帝国軍の出方をあれこれ予想するのではなく、こちらとしては帝国軍のいかなる手段にも即時対応可能な戦術なりフォーメーションなりを考えておくほうがよほど有益です」

 まったくの正論である。ただし、その点をリョーコたちが考慮していないわけがなかった。彼女はこれまでチーム内で議論してきたエステバリスのあらたな運用方法と戦術をアッテンボローに話したうえで、その意見に注目した。

 「基本戦術はそれでよいでしょう。あえて一つ付け加えるならば、エステバリスは無理に最前線に立つ必要はないかと……」

 反応は沈黙だった。青年提督は内心で「しまった」と失言を後悔したくらいである。

 しかし、ずいっとアッテンボローの前に歩み寄ったリョーコの表情は怒りよりも、むしろ好奇心にあふれていた。

 「アッテンボロー提督、その話もう少し詳しく聞こうか?」

 今日のナデシコの格納庫は熱気冷めやらぬ様子であった。
 



U
 
  「すまなかった」

 素朴な色調の湯飲みとサイズ大きめのコーヒーカップが木目も美しい四角いこたつテーブルの上に置かれたと同時に、白髭の元地球連合宇宙軍の老提督はぼそりと言った。

 その向かいに座る褐色の肌をしたもう一人の初老の元軍人はすぐに言葉を発さず、目の前にある琥珀色の世界に一瞬だけ目をやるとコーヒーカップを手に取って香りだけを楽しみ、カップをトレイに戻す前に言った。

 「何をおっしゃいます……」

 直前に返ってきたのは静寂ではあったが、再び口火を切ったのは元自由惑星同盟軍退役元帥シドニー・シトレであった。

 「あなたが……フクベ提督が謝ることではありません。むしろ私がプレッシャーをかけていたのではないかと反省しきりなのです」

 「フクベ提督」という呼称は本来ならば正しくない。ただ周知のとおり、これはユリカたちがシトレのことを敬意をこめて「シトレ元帥」と呼ぶことと等しい。

 シトレの言葉が続いた。

 「おそらく、共同検証を行うようになってからフクベ提督は演算ユニットの存在を私に話したいとお考えになっていたはず。ですが、真実を語るのは自分ではなく、ユリカ君たちだ、自分に資格はないと……そうではありませんか?」

 反応は沈黙ではなかった。曲者の老人特有の低い笑いだった。ただし、不快感を有するものではなかった。

 「シトレくんは、わしを買い被りすぎだ。単に忘れとっただけかもしれんぞ」

 どうやら先刻の笑いは自虐だったらしい、とシトレは理解した。対するフクベは何事もなかったかのように、落ち着いた雰囲気でお茶をすすった。

 「では、そういうことにしておきましょう」

 シトレもコーヒーカップを再び手に取ったが、琥珀色の水面に映る彼の姿はいっこうに崩れる気配がなかった。

 (演算ユニット……途方もない存在が露わになったものだ。しかも異星人が遺した技術の結晶だという。信じられないことに、時間と歴史の流れを違えたこの世界にも異星人の痕跡があったというのだ。この衝撃はナデシコの存在を知った時以来だが……)

 その「存在」が人知れず今も地球圏のどこかを遊弋または眠っているのだ。まさに有史以来の出来事の始まりと言っても過言ではない「演算ユニット」は、一体、こちらに何をしようというのだろうか?

 シトレは、まだコーヒーの水面を見つめたままである。

 (すべての事象を記録し、そして時間や次元させ超えさせる力をもつ存在。だが、本当に二つの世界が接触した驚くべき奇跡は、ささいな事故だけが引き起こした偶然なのか? まだ誰も想像もつかない別の何か複雑な意思が絡んでいるのではないだろうか?)

 疑問は尽きないが、ようやくシトレが顔を上げると、そこにはもじゃもじゃの白い眉毛の下から片目を覗かせているフクベの姿があった。黒人の元元帥は思わず「演算ユニット」の謎について口を開きかけたが、直前に思いとどまって老提督の部屋に入ってからずっと感じていることを口にした。

 「しかし、不思議なものですが……」

 そう前置きしてシトレが語ったことは、波乱にとんだ数奇な時間の中に生きる一人の老退役軍人の目を開かせるに十分な中身であった。

 「すでに私の世代は、人種も文化も融合されてから何百年も経っていました。遠い先祖はどうかわかりませんが、資料や美術館の中でのみでしか東洋の文化に触れる機会がありません。まして極東の国の文化など、W式の姓名を持つ私にとってはまったく馴染みのないものです」

 フクベがシトレの言葉を理解したように言った。

 「そうか、この部屋を懐かしいと感じたのかね」

 「ええ、これは「和」というあなたの故郷の様式ですよね?」

 「その通り。多少、わし好みにアレンジされとるがね」

 ナデシコの住居区画に用意されたフクベの部屋は、彼らしく「和」そのものの落ち着いた空間だった。床はもちろん畳であり、ナデシコに乗船直後は当時すでに貴重な材料であったい草のよい香りがしていた。小窓は障子張りであり、その枠は控えめながら職人の技が光る細工が施された逸品だった。フクベは部屋の真ん中にコタツを置いてお気に入りの座布団に座り、壁に掛けられた、これまた有名な水墨画家が描いた掛け軸を眺めながらお茶を楽しんでいたものだった。

 しかし、ナデシコが地球連合宇宙軍の静止を振り切って火星にたどり着いた当日に、フクベ・ジンはナデシコを敵から逃すために自ら駆逐艦クロッカスに乗り込んで囮となり、敵機動兵器の集中砲火を受けて戦死したと思われていた。

 そのため、部屋はいったん遺品などが整理されたものの、部屋の内装はそのまま遺されていた。彼が奇跡的に生存し、再びナデシコに還ってきたとき、かつての部屋がそのまま残されていることに老提督はとても喜んだものだった。(ナデシコに搭載されたエステバリスの初期パイロットだったヤマダ・ジロウも不慮の事件で犠牲となったが、彼の部屋と遺品はすっかり片付けられている)

 シトレから見ても、かつての居場所に再度戻ったフクベはとても居心地がよさそうに映るのだった。

 そんなシトレに、フクベは湯のみに両手を添えたま意外なことをぼそりと言った。

 「シトレくんの懐かしというのは、ちと感じ方が違うかもしれん。君は文化ではなく、ここに漂う時間という重みを感じたのだと思う」

 そのあと、フクベは一言も発しなかった。シトレもしばらく無言だったが、ふと背後の壁に掛けられた水墨画に目をやって独り言のようにつぶやいた。

 「そうかもしれません……」




 
 
V

 アカツキ・ナガレがチュン・ウー・チェンを部屋に招き入れると、士官学校の教授は少し改まった様子で頭を下げ、紙袋を脇に抱えたまま、ごく当たり前のようにソファーに腰を下ろした。

 きょとんとする二人に、教授はこれから談笑でもするかのような笑みを浮かべて言った。

 「まだ夕食には早い時間帯ですが、ハムエッグサンドを買ってきましたので、食べながらでもお話をしませんか?」

 アカツキと副主任が反応するまでざっと五秒はかかっただろうか。副主はコーヒーを淹れにキッチンに消え、アカツキはややとまどったまま向かいのソファーに座った。

 (やはり……)

 とアカツキが思うのは、目の前の人物がヤン・ウェンリーと同等かそれ以上に軍人に見えないことだった。容姿はいたって平凡であるし、ややしわくちゃのYシャツが哀愁を漂わせないでもない。とはいえ「パン屋の二代目」という先入観が初対面の印象を決定付けてしまっていることを青年社長は感じないでもない。彼がパン屋の仕事着であるコックコートを身に着けている姿を連想しただけで吹き出すというよりは納得してしまう。

 「どうも、お待たせいたしました」

 副主任が絶妙なタイミングでコーヒーを運んできた。それぞれの位置に機敏な動作でコーヒーカップを置くのも手慣れたものだが、さすがだと思うのはチュン・ウー・チェンの差し入れであるハムエッグサンドを分けるための小皿もちゃんと用意してあることだろう。

 「ご挨拶が遅れましたが、チュン・ウー・チェンと申します。士官学校の教授をしております」

 かなり唐突だった。アカツキは表面的には動じない。

 「アカツキ・ナガレです。エリオル社の社長をしています。今は無職の状態ですが」

 士官学校の教授はうなづくと、ソファーの傍らに立つ副主任に視線を向けた。

 「やあ、エリクソンくん、元気そうでよかった。よい上司に巡り合えたようだね」

 副主任の笑顔は自分を記憶していてくれたことへの嬉しさからだった。彼は深々とかつての上司に一礼した。

 「教授もお変わりなく、お元気そうで安心しました」

 「ありがとう。では固い挨拶はこのくらいにしておきましょう。熱いコーヒーを飲みながらハムエッグサンドをいただきましょう」

 チュン・ウー・チェンが穏やかに言うと、アカツキは副主任にソファーに座るように促す。エリクソンは一礼し上司の指示に従った。

 「では、いただきましょう」

 しばらコーヒーとハムエッグサンドを交互に楽しんでいた三人だったが、やや落ち着いたところで口火を切ったのはチュン・ウー・チェンだった。

 「では、どこからお話するべきでしょうか?」

 けっこう美味しい差し入れに集中していた青年社長は、ここでようやく気持ちを切り替えた。

 「では。まずはどうしてここがわかりましたか?」

 チュン・ウー・チェンの返答は、ややとぼけていたと言ってもよい。

 「上司からあなたの情報を得て、方々探し回った結果と申しあげておきましょう。けっこう苦労しましたよ」

 「上司?」

 「まあ、そちらはいずれお話するとして、今度は私が質問してもよいでしょうか?」

 この時のチェンの目は「パン屋の二代目」と揶揄されるようなやさしい眼差しではなかった。軍人として相手の意図を探る鋭さがあった。

 「単刀直入に申し上げます。危険を承知で首都にお戻りになった理由はなんですか?」

 「上司」を濁された方としては素直に答えるべきか迷うところだが、このときのアカツキの直感は冴えていた。

 「もちろん、首都の早期奪還のためです」

 言うが早いか、士官学校の教授の目は一瞬でもとの温厚さを取り戻していた。彼はコーヒーカップにさりげなく手を掛ける。

 「なるほど。お若いのに果敢なことだ――それとも若さゆえでしょうか? いや、大変失礼しました」

 アカツキは沈黙し、なお相手の反応をうかがっていた。チュン・ウー・チェンがコーヒーを飲んだあとに本当の返事が来ると予想していた。

 それは当たっていた。

 「そういうことでしたら、私たちはお互いに協力することができます」

 とは言え、手放しで喜べない。相手が本当に味方かどうかを確認する必要があった。

 「協力してくださるのはうれしい限りですが、教授が僕らを助けてくれるのはなぜですか?」

 決して息苦しいわけではなかったが、副主任の見守るやり取りは見えざる張り詰めた空気の中にあった。「パン屋の二代目」は再び表情を引き締めたように彼には映っていた。

 「もちろん、この無用な内戦を早期に終わらせるためです」

 二人の視線はしばらくの間、お互いに探りを入れているようであり、信頼度を図っているようでもあった、副主任にとって穏やかな攻防も緊張感を高めるには十分と言ってもよかった。

 アカツキがようやく警戒を解いたのは、わずか数秒後だった。

 「わかりました。早期ハイネセン解放のため、お互いに協力しましょう」

 アカツキが握手を求めるとチュン・ウー・チェンも気軽に応じた。青年社長としては彼が一人で現れたときにすでに「味方」だと判断はしていたが、念を入れる必要性はあったのだ。




W

 目的は一致した。アカツキは、まずチュン・ウー・チェンの意見を聞くことにした。

 「長引けば同盟にとってさらなる損失につながることでしょう」

 短いが的確な意見だった。彼が「損失」という二文字を強調したことは、アカツキがその評価を上げるには十分だった。

 だからこそ、青年社長はもう一つの焦点を示唆して見せた。

 「経済的、人材的な損失は当然でしょう。ですが、戦後はもっと別の問題が発生します」

 アカツキの問い掛けに、チュン・ウー・チェンは期待通りの回答をした。

 「軍部の政治的な影響力に関わるということですね?」

 アカツキは満足げにうなずき、短いやり取りだったが教授が副主任の言う通り「優秀な軍人」であることを確信した。

 つまり、話が早い。

 「閣下のご明察恐れ入ります。おっしゃる通り、帝国への遠征は多大な犠牲と経済的な損失だけでは計りきれないものでした。そんな傷口がまったく癒えていない情勢下での内乱は――とても痛い」

 その主語をあえて言語化する必要はなかった。チュン・ウー・チェンの目も同様に語っていたからである。軍部の重鎮だったドワイト・グリーンヒル大将が首謀者であったことだ。沈んだ表情から彼も予想できなかったことがうかがえた。

 「アムリッツアの善戦でかろうじて面目を保った軍部でしたが、今回の内戦もこのままま何もできずに終われば、その信用は一個人のみに集中してしまう事でしょう」

 「閣下のおっしゃる通りです。ですが幸いにも我々はお互いに行動できる身にある。軍部の評価は一時的には下がるかもしれませんが、それ以降は信頼回復に繋がるようにしなければいけません」

 アカツキの言葉は矛盾するようで、実は戦後秩序のあり方を的確に語っていた。グリーンヒル大将の件とクーデターを未然に防げなかったことは、マスコミや同盟市民からの批判や非難は避けられないが、内乱を素早く最小限の損害で収拾することができれば、同盟全体に軍部の危機管理対応能力の高さと手際の良さを強くアピールすることができるのだ。

 これに政治的なフォローが加われば、少なくともアムリッツア以降の軍上層部のまともな組織体制は維持できるはずだ。

 チュン・ウー・チェンにしても、軍部の弱体化を望んでいるわけではない。かと言って憂国騎士団のような軍国主義的な精神に浸食された間違った愛国心を抱いてしまうような軍隊の誕生を容認するわけでもなかった。

 ――とすると、彼は政治的にも個人的にもアカツキにどうしても確認することが一つあった。

 「そこまでおっしゃるからには、政治的な切り札かあるのですね?」

 アカツキは自信ありげにうなずく。チュン・ウー・チェンの表情が相手を誉め讃える様にぱっと明るくなった。

 「なるほど、これは恐れ入りましたが、あなたのことです。勝算もなしに敵地に逆戻りしませんよね?」

 「ええ、もちろんです。手筈は整っていますよ」

 「ほほう、しかしどうやって戦力を?」

 アカツキが経過を説明すると、「パン屋の二代目」は二度まばたきをした。

 「これは一本……いえ二本は取られましたな。議長閣下以外にもウランフ提督ともご一緒とは。アカツキ社長は運にも恵まれていると見える」

 アカツキは軽く笑って謙遜してみせたが、少なくとも国家元首を救出して脱出したまでの決断と、その後の行動力は十分称賛に値するものだろう。

 「しかし、あの元首殿がねぇ、どういう風の吹き回しで先頭に立つなんて言ったんだか……」

 アカツキとしては、チュン・ウー・チェンの皮肉めいた言葉に笑いをこらえるしかなかった。この一見、害もしがらみもなさそうな男にもヨブ・トリューニヒトのご立派な人為(ひととなり)はずいぶんと知れているようだった。

 いや、まともな見識を持っている者ならば憂慮して当然であろう。

 ただし、チュン・ウー・チェンも指摘したようにトリューニヒトが大見栄を切ったのは、なにも彼が善人になったからではない。ひとえに彼の野望の経過が軌道修正された結果にすぎないのだ。ただし、協力的だと言うならば拒否する理由にはならない。

 それはそれで、チュン・ウー・チェンにとっては喜劇にも似た成分の笑いを禁じ得ない。ただ彼はいったんそれらの感情を胸にしまい、本題を進めることにした。

 「アカツキ社長、一気にハイネセンポリスを解放しないのはなぜでしょう?」

 アカツキとしては、後々のことを考えているということを示さねばならなかった。

 「ええ、できればそうしたい。ですがハイネセンポリスに駐留するクーデター側の戦力はどこよりも多い。統合作戦本部や宇宙艦隊司令部の防衛システムも脅威です。その圧倒的な戦力差のある状況で、もし攻略が長引くことになれば市民の犠牲はもちろん、それこそテルヌーゼンから後方を突かれかねないからです」

 まったくもってその通りである。本丸を攻めるには、まず外堀から埋めていくのがセオリーであり、テルヌーゼン市を解放することによって救国軍事会議中枢部に心理的なダメージを加えることができる。また、条件によっては無血開城も視野に入ってくるだろう。

 「僕らとしてはテルヌーゼン市を解放することによって、これまで情勢を見守ることしかできなかった軍関係者がこちらに合流することになるでしょう。グリーンヒル大将たちがそれを見たらどうでしょう? 見えざる圧力になることは疑いがありません」

 おそらく、いまある戦力差は埋まるだろう。政治的にも国家元首を擁した「ウランフ解放軍」は官軍も同じだ。かなり有利といわざるを得ない。

 「ウランフ提督の伝言によれば、テルヌーゼン市への作戦発動はここ数日のうちという事でした。遅くても水曜日までには実行されるでしょう」

 「早いですね。ともすれば、ハイネセンポリス解放に動くには2週間くらいを目安という事でしょうか?」

 「いいえ。あまり時間を置かずに実行したいと我々は考えています。駐留艦隊がハイネセンに迫ってから動く方が最善かもしれませんが、そうすると向こうに備えをする準備を与えてしまいます。宇宙と地上で騒乱にもなりかねません。駐留艦隊には外堀りを埋めてもらうだけで十分なはず。地上のことは僕らだけで解決することが望ましい」

 「おっしゃる通りですな。軍部と政治のバランスを考えるならば、駐留艦隊にのみ功績を独占させるわけにはいきません。民主共和制の象徴でもある最高評議会議事堂周辺の主要幹線をジェシカ・エドワーズ女史との交渉で確保できる段階にあるならば、ともすれば6月中旬にも決着できそうですね。さすがです」

 と、アカツキの表情をみた士官学校の教授は、青年社長が予想ほど意気揚々とした気分でないことに気が付いた。

 「どうされましたか、何か問題でも?」

 アカツキは、ここに至って救国軍事会議に拘束拘禁されている軍部要人の詳しい消息がつかめていないことを申し訳なさそうに明かした。

 「ビュコック提督やクブルスリー本部長を戦闘に巻き込んだら元も子もないのですが……」

 準備万端かと思いきや、チュン・ウー・チェンはまさかの落とし穴に親近感と年長者としての安心感を禁じ得ないところだったが、もちろん相手を侮辱したり軽んじたりする感情などではなかった。

 「そういうことでしたら、私が情報を提供しましょう」

 まずビュコック提督は宇宙艦隊司令本部ビルの一室に軟禁状態であること。衛兵が常時2名ほどいてビュコック提督の昼寝の時間を数えていること。提督自身は文字通り何もすることがないので読書をしたり、一生分の映画鑑賞をしたり、たまに衛兵にも声を掛けていること。夕食後には必ず紅茶を出すように要求していることetc……

 「はぁ、なんだか直接見たか、本人から直接聞いたような内容ですねぇ」

 「ええ、ビュコック提督にお会いしましたから」

 アカツキは、かろうじて口に含んだコーヒーをぶちまけずに済んだが、苦しそうに咳き込んでしまうという一時的な悲喜劇を回避することは叶わなかった。

 ようやく、

 「……えっと、ええと、ビュコック提督と会ったのですか?」

 「ええ、面会しました」

 「よくできましたね?」

 「ええ、みなさんなかなか協力的でして」

 「はっ?」

 二人の会話をじっと聞いていた副主任も、さすがにかつての上司の爆弾発言には呆然としてしまった。誰がそんな自然なことが実行可能だと想像できただろうか? チュン・ウー・チェンのほうは、二人の理解しがたい驚きを知ってか知らずか、いつも通りの口調でさらに起爆スイッチを押した。

 「幸運なことにクブルスリー本部長ともお会いすることができました。ビュコック提督と同じ宇宙艦隊司令本部ビルに軟禁状態です。まあ、階層が一つ違いましたけどね」

 「そ、そうですか……ははは……」

 と、アカツキが笑い交じりに軽く流したのは、もちろんチュン・ウー・チェンの言った事をまともに信じなかったからである。いや、会ったことは本当かもしれないが、それは何らかの高度な策を巡らせた結果であると考えていた。

 戦後、クーデター側の兵士たちの証言を耳にするまでは……

 チュン・ウー・チェンは、さらに貴重な情報をアカツキに提供した。救国軍事会議への参加を拒否したアップルトン提督は統合作戦本部ビル第二棟のどこかに軟禁されているという。その他、内部の警備状況の一部を入手し、アカツキの中でハイネセンポリス解放への確かなビジョンが浮かびつつあった。

 若干の余計な時間を費やしてしまったが、これで8割がたの段取りは整ったも同然だった。チュン・ウー・チェンには本当に感謝するしかない。

 「ではアカツキ社長、次は何をお話ししましょうか?」

 「ええ、いくつか重要なことがあります」

 「では、一つ一つ伺いましょう」

 

 そして四日後……

 救国軍事会議の内部は騒然となった。

 「グリーンヒル閣下、テルヌーゼン市の同志が敵対勢力と交戦状態になった模様です」

 「なんだと!?」

 時に、宇宙歴797年、標準歴6月7日のことである。
 
 

 ……TO BE CONTINUED

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 空乃涼です。なんとか「半年後」という投稿は避けられたようで、個人的にはほっとしました。

 今回は書きたい場面があったので書いたのですが、予想よりずいぶん量が増えたため、テルヌーゼン攻略戦とかその他の描写とかは後編で書きたいと思いま す。

 ただ、お盆休み前に投稿するということを優先したため、誤字やルビとか文字の強調とかできてない部分が多々あります。

 トリューニヒトは生き残るのか死ぬのかw


 2016年8月13日 ――涼――

 

 読者さんからの助言をもとに誤字などを修正し、若干加筆を行いました

 2017年8月26日 ――涼――
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