「エーベンシュ タイン上級大将、ガイエスブルグ要塞に帰還す」

 その一報を総旗艦ブリュンヒルトの艦橋で受け取ったとき、ラインハルトの瞳蒼氷色(アイスブ ルー)の瞳がそれまで以上に苛烈な光彩を放ったようにオスカー・フォン・ロイエンタールには強く感じられた。

 「聞いての通りだ。卿らには近日中に存分に働いてもらうこととなろう。いつでも出撃ができるよう各艦隊の準備を怠るな」

 解散! とラインハルトが号令して艦橋に集った将帥たちが次々とその場を退出していったが、誰もが愕然としたのがラインハルトの親友にして腹心とされるジークフリード・キルヒアイスも艦橋を去ったことだった。通常ならば他の将帥たちがシャトルの格納庫へと向かうさなか、赤毛の提督だけはラインハルトに真っ先に歩み寄るものなのだが……

 「どうやら、あの噂は本当らしいな」

 格納庫に向かう通路の途中でオスカー・フォン・ロイエンタール提督が意味深につぶやくと、すぐ傍らを歩くウォルフガング・ミッターマイヤー提督がややため息交じりに肩で息をした。

 「やはりヴェスターラントの一件が原因なのだろうか……あの日以来、ローエングラム侯とジークフリード・キルヒアイスとの間に見えない氷の壁のようなものがあると感じたのは何も俺たちの錯覚ではなっかたということになる」

 「確かに何かある。俺たちには想像しがたいことだがな」

 「ああ、詮索してもはじまりはしないが、エーベンシュタイン上級大将のこともある。ガイエスブルグ要塞に戻ったというならば次は間違いなく決戦になるだろう。この大切な時期にお二人の間にわだかまりがあるというのは一抹の不安がぬぐえない」

 「それは俺も同感だ。だがミッターマイヤー、もう一つ不快な噂があるが聞くか?」

 ミッターマイヤーは思わず親友の横顔を一瞥し、一瞬ためらったものの、戦いが終わってから聞くよりは刺激が少ないと考えたのか聞くことにした。

 「ローエングラム候とジークフリード・キルヒアイスの不仲の原因に我らの総参謀長殿が関わっているらしいとのことだ」

 ロイエンタールが話すと、それまで平静だったミッターマイヤーの太く凛々しい眉が急激に「へ」の字に折れ曲がった。

 「あのオーベルシュタインが関わっているだと?」

 声が不愉快そのものだった。半白髪と死人のような青白い肌に無機質に赤く光る義眼の総参謀長の姿を思い浮かべるだけで疾風ウォルフの不愉快指数は上昇してしまう。

 「十分あり得ることだ、驚きはしないさ。NO,2(ナンバーツー)不要論の総参謀長殿のことだ。何か陰謀を仕掛けていると言われても俺は疑問にも思わない」

 「まったく同感だ」

 今のところ異変に気付いているのはごく限られた提督たちだけだが、これが今の局面において表面化しようものなら軍全体の士気や統制に大きな支障をきたす恐れがある。間近に門閥貴族との決戦が控えているとなれば、その懸念は小さくない。

 もちろん、ミッターマイヤーもロイエンタールも他の者に気取られないよう言動や振る舞いには注意を払うように気を使っている。いたずらに内部にさざ波を立てる必要はない。戦いが終われば、その疑惑についてオーベルシュタインを追及することも可能なのだ。

 ただ、もし不仲の原因にオーベルシュタインが絡んでいるのであれば二人とも容赦しない気持ちだ。

 「いずれにせよ、俺たちが今やることは候がおっしゃったようにいつでも艦隊を出撃できるよう万全を喫することだな」

 「ああ、そうだな。いくらオーベルシュタインでもこの大切な時期に赤毛の副将を排除したりしないだろう」

 二人の意見は一致した。しばらく歩くとT字路になり、ミッターマイヤーとロイエンタールはお互いに手を振ってそれぞれのシャトル搭乗口に消えたのだった。
 
 






 闇が深くなる夜明けの前に
機動戦艦ナデシコ×銀河英雄伝説




第19章(前編)
 
『終局への告白』


T

 マールバッハ星域会戦から今日まで、まったく何も動きがなかったのかと言えば、それは「否」であった。帝国軍は艦隊の再編のためにフレイヤ星系手前まで後退したが、その4日後には貴族連合軍と戦闘をしている。先の戦いに勝ったわけでもないのにどういうわけか増長したフレーゲル男爵らが呼びかけて若い貴族を中心に45000隻あまりがメルカッツの許可も受けずにガイエスブルグ要塞から出撃したのだ。

 フレーゲル男爵は直接、叔父であるブラウンシュヴァイク公に声高に訴えた。

 「金髪の孺子の軍隊はさぞエーベンシュタイン上級大将の超兵器に恐れおののいて浮足立っているに違いありません。我々も万全とは言えませんが、それは向こうも同じ。卑しい平民の軍隊を殲滅する好機でもあります。我らゴールデンバウムの旗の下に集った誇り高き貴族の気概をもってすれば艦隊の再編不備など問題にはならないでしょう。我ら選ばれし貴族として必勝の気高き意志を生意気な孺子めらに思い知らせてやりましょうぞ」

 などと根拠のない大言壮語で謳い上げ、その気になってしまったブラウンシュヴァイク公も巻き込んで出撃に至ったのだった。

 その結果は惨憺(さんたん)たるもので、無謀な出撃を知ったメルカッツが手勢を率いて駆けつけなければ、あるいはその戦いで決着がついてしっまたに違いなかった。

 しかし、ラインハルトも万能ではなく、この時期の貴族たちの思考を過大評価していた(・・・・・・・・)節はあった。ただ、ゆえにブラウンシュヴァイク公やフレーゲル男爵が「貴族の誇り」とやらにとらわれずに帝国軍が密集する宙域を正面からではなく後方や側面から奇襲攻撃していれば、あるいは多少の戦火を挙げることができ、それこそ「門閥貴族の面目躍如」が叶ったかもしれなかった。

 この結果にメルカッツの忠実な副官であるシュナイダー少佐は、

 「人間は腐っているくせに都合の良い時だけ騎士道精神をふりかざすか!」

 と上官の前で思わず毒づいてしまったという。

 いずれにせよ、まったく機を読めていなかった門閥貴族たちの余計な出撃は貴重な戦力である艦艇16000隻あまりを失い、自らの無能をさらけ出しただけで終わった。唯一、メルカッツにとっての救いは、この失敗にフレーゲル男爵ら血気盛んな若い貴族たちが多少なりとも自重するようになったことだった。

 とは言え、メルカッツの気が休まるわけではない。フレーゲル男爵らの薄っぺらな忍耐がいつまで継続するか甚だ疑問だったからである。

 そんな緊張感の緩むことのないさなか、エーベンシュタイン上級大将は帝国軍の厳重なはずの監視網を抜けてガイエスブルグ要塞に帰還してきたのである。
 
 門閥貴族たちにとっての「軍神」に等しい帝国軍人の帰還は「熱狂」と言っても決して過言ではない貴族たちからの歓迎をうけた。シュナイダー少佐から見れば「懲りていないこと甚だしく、あきれるばかり」であったものの、勝敗は別としてラインハルト率いる精強なる帝国軍と「ほぼ互角」の戦いに導いた元宙戦部隊戦闘艇総監ヘルマン・フォン・エーベンシュタイン上級大将の帰還は、くじけかけていた貴族たちの戦意を上昇させたことは疑いがなかった。

 「ブラウンシュヴァイク公、私が帰還したからには必ずやローエングラム候を討ち果たし、帝国の正しい未来と秩序を取り戻してご覧にいれましょうぞ。大神オーディンのご加護は我らにありましょう」

 「おお、エーベンシュタインよ、よくぞ申した。金髪の孺子めら図に乗った輩から悪しき朱に染まった帝国を救済し、ともにゴールデンバウムの繁栄を再び築こうではないか」

 直後にフレーゲル男爵が「帝国万歳!」を叫ぶと「ガイエの間」はたちまち集った貴族のヒステリックな歓喜と歓声の坩堝(るつぼ)と化した。

 エーベンシュタインは、その熱気の渦巻く広間を内心では冷ややかに受け止めていた。

 (これで戦うことはできる。さて、どう華麗なる幕引きを演出したものかな……)
 



■■■
 
 「メルカッツ、私が留守の間、貴族たちの子守をさせて悪かったな」

 エーベンシュタインは、ガイエの間を退出した際、廊下ですれ違ったかつての友人にそう言って帰還の協力に礼を言った。

 「たいしたことはしていない。前もって卿の言われた通りにしただけだ」

 素っ気ない返答にエーベンシュタインもただうなづき、両者の忠実な副官同士がお互いに頭を軽く下げただけで、そのまま一行はそれぞれの方向に進み、それ以上の会話を交わすことはなかった。
 
 
 しばらく通路を歩くエーベンシュタインに副官イェーガー大佐が周囲を警戒しつつ言った。

 「閣下、今回のことですが、次も有効でしょうか?」

 その問いにエーベンシュタインは銀色の頭髪を左右に振った。

 「有効とは言い難いな。おそらくローエングラム候やオーベルシュタインあたりは疑ってかかっているか、もしくは結論に至っているはず。ガルミッシュ要塞の件がより深い疑惑を想起させただろうからな」

 「過度な期待は禁物ということでしょうか?」

 「そうでもない。相手の判断力を多少なりとも奪うことができるだろう。要は使いどころが肝心なだけだな」

 副官は上官の言葉にうなずいたが、天才の名に恥じないローエングラム候ラインハルトと切れ者と名高いオーベルシュタインが本当に結論に達していれば、その手は何度も使えない。そうでない場合でもエーベンシュタインの言う通り使いどころが決め手となるが、大佐にはとうてい考えつくものではなかった。

 二人は、ほどなくして重力エレベーターに乗り込み、次の目的地へと向かった。
 
 




U

 帝国軍内においては、ラインハルトとキルヒアイスの不仲はほとんど表面化していなかったが、その事とは別に話題となっていたのは先の会戦におけるオフレッサー上級大将の「戦死」であった。ことさら貴族側から公式に発表されたわけではなく、貴族連合軍に潜伏しているオーベルシュタインの部下からの暗号電文によってもたらされたものだった。

 この電文の中身はオフレッサー以外の戦死した貴族の名前も連なっており、無謀な出撃によって人的被害も著しいことが表面化していた。つまりは戦力と人材を多数失っている証なのだが、ただのお飾りだけの若い門閥貴族たちが「人的資源」と言えたかどうか、乗艦の私室で親友と酒を酌み交わすオスカー・フォン・ロイエンタールには甚だ疑問ではあった。

 「あのオフレッサーが、まさかな……」

 多少の感慨をこめてつぶやいたのは帝国軍の双璧をなすウォルフガング・ミッターマイヤーだった。彼にとってのオフレッサーは貴重な部下を殺戮したただの「野蛮人」に等しい存在だったが、「戦士」としてはまさに恐るべき好敵手であったことは疑いがなかった。エーベンシュタインの知略があったとはいえ、あの切迫した局面におけるオフレッサーの速やかな撤退は称賛に値するものだった。

 (できればこの手でオフレッサーを倒してやりたかったが……)

 ウィスキーグラスに投影された活力に富んだグレーの瞳が揺れる。

 「それで、あのオフレッサーはなぜ死んだのだ?」

 そう問うたのは親友であるオスカー・フォン・ロイエンタールだ。ミッターマイヤーと違ってオフレッサーの戦死に特別な感情を抱いたわけではなかったが、多くの女性を虜にする「金銀妖瞳(ヘテロクロミア)」はその理由に大いに興味があると語っていた。ミッターマイヤーは答える。

 「情報を総合するとローエングラム候の旗艦に体当たりをする腹積もりだったようだ」

 ロイエンタールの端正な表情が意地の悪いものに変化した。

 「なるほど、失敗したわけか。あの野蛮人らしい死に方とも、らしくないとも言えるな」

 だったらレンテンベルグで戦死していたほうがいく分ましだった、などとロイエンタールは皮肉を込めて言う。ミッターマイヤーの説明通り、オフレッサーは高速巡航艦に強襲揚陸艦を載せ、味方が乱戦を引き起こした隙を突いて総旗艦ブリュンヒルトに体当たりし、白兵戦を仕掛けようと目論んだが、ラインハルトに到達する以前に門閥貴族たちが引き起こした混乱の渦中に運悪く乗艦を撃沈されてしまったのだという。

 「情けない死に方だ……」

 ロイエンタールは口に出しては次のように言った。

 「この際、オフレッサーの戦死は問題ではない。あの戦いはこちらが同情してしまうくらい酷いものだった。いかにそれまでの戦いがエーベンシュタイン上級大将の手腕によって牽引されていたかが分かるほどだ。その不在中に思い上がった貴族どもが挑んでくれば今回のごとしだ。メルカッツが邪魔しなければ文字通り戦いは終わっていただろう。それに……」

 親友の言葉に耳を傾けていたミッターマイヤーの表情が強張ったのは、門閥貴族連合軍の盟主たるブラウンシュヴァイク公の『旗艦オストマルク』をあと一歩のところで逃した悔しさからだった。帝国軍は無秩序に退却する貴族連合軍に功を焦ったか、最悪のタイミングでメルカッツの強襲を受けて後退せざるを得なかったのだ。

 急に黙り込んだ親友にロイエンタールは聞いた。

 「どうしたミッターマイヤー、卿にはなにか思うところでも?」

 ミッターマイヤーは我に返ったのか、親友の「金銀妖瞳」をみた。

 「何でもない……と言いたいところだが、卿は先の戦いのあとに戦場宙域に残ってルッツたちと警戒に当たっていたから知らないと思うが……いや、やはりやめよう」

 再び沈黙してしまったミッターマイヤーにロイエンタールは促した。

 「言ってみろよ、俺にだけ」

 ミッターマイヤーは親友の言葉に心を動かされたのか、意を決したように口を開いた。

 「ただ、俺の聞き間違いの可能性もある。あまり真剣に受け止めないでほしい」

 ミッターマイヤーはそう前置きしたうえで、艦隊再編の詳細報告にブリュンヒルトの艦橋を訪れた際、ラインハルトとオーベルシュタインの会話の一部を耳にしたという。

 「なるほど。で、内容は?」

 「前後が不明瞭だったが、ガイエスブルグのスパイがどうかしたかと聞こえた」

 「ほほう……」

 鋭利な光がロイエンタールの金銀妖瞳を斜めに貫く。

 「オーベルシュタインが門閥貴族どもの中に自分の部下を潜入させていることは知っていたが、たぶんそのことかもしれないな」

 「それは俺も知っている。これまでの貴族たちの動向はその内偵者の情報によるところが大きいと言うからな」

 初戦から先の会戦における門閥貴族たちの動向はラインハルト率いる帝国軍にほぼ把握されていたと言ってもよい。オフレッサー戦死の報告もその内偵者からの情報である。

 しかし……
「なあミッタ―マイヤー、これは俺の憶測にすぎないが、卿も多少なりとも疑問に感じていたことかもしれないぞ」

 「と言うと?」

 「そうだな……」

 ロイエンタールの抱いていた疑問というのは、実は今に始まったわけではなかった。レンテンベルグ攻略戦の時から違和感を覚えていたことだった。

 「ほんの数日前に門閥貴族の低能どもは何を勘違いしたか出撃して無様に敗れ去ったが、その間隙を突いてそれまで所在や動向が不明だったエーベンシュタインが堂々とガイエスブルに帰還している。これは偶然か?」

 ロイエンタールの疑問にミッターマイヤーはすぐに答えなかった。彼自身も親友と同じ疑問を抱いていたのだ。その動向には細心の注意と警戒を払っていたはずのエーベンシュタイン上級大将がすんなりとガイエスブルグに帰還できた経緯には何かあると感じていた。

 マールバッハ星域会戦以来、しばらくの間、帝国軍は門閥貴族連合軍とは別行動をとったエーベンシュタイン艦隊の所在と動向を追ったが、なかなか掴めずにいた。その動向が明らかになったのは、門閥貴族たちがガイエスブルグ要塞を出撃したほんの数時間前だった。オーベルシュタインの部下がエーベンシュタインの所在を連絡してきたのだ。

 ラインハルトは、この情報を受けて直ちにケンプ、メックリンガー、ビッテンフェルトの三個艦隊を派遣したものの、レンテンベルグの件もあってかすぐに攻撃を行わず、その間にエーベンシュタインがガイエスブルグ要塞に帰還してしまったのだ。つまり、三個艦隊は文字通りもぬけの殻のガルミッシュ要塞をしばらく包囲していたことになる。

 そこで帝国軍からは三つの疑問が生じた。

 一つは、内偵者情報の真偽

 一つは、門閥貴族連合軍の真意

 一つは、エーベンシュタイン上級大将の意図

 ロイエンタールもミッターマイヤーも帝国軍の双璧と言われるほどの非凡な才能の持ち主なのでマールバッハ星域会戦後の動向について思案することもあったが、あまりはっきりとした背景までは見えていなかった。

 ――では、それは解消されたのか? と言えば全くそうではない。むしろ全体がよりぼやけてしまったのだ。それもより危険な方向へ――である。

 ロイエンタールは言う。

 「今回の一件で最も問題視されると言えば、内偵者からの情報だろうな。ガルミッシュの件と貴族たちの出撃がもし連携されたものだったとしたら、はたしてオーベルシュタインの部下は健在なのか、それとも利用されたのか……いずれにしても厄介な問題ではある」

 ミッターマイヤーは親友の言葉を推理して見せた。

 「と言うと、卿が思うのは内偵者が捕まっていると?」

 「いや、ミッターマイヤー、それだけじゃない。エーベンシュタインがどの時点から我々に情報戦を仕掛けていたのか、それが問題になるのさ」

 ミッターマイヤーは親友の言いたいことをようやく理解した。

 「たしかに厄介だな。ただ、通信コードは正真正銘こちらのものだと言うから俺としては後者ではないかと思うが?」

 今度は、ロイエンタールが明確に答えなかった。ただ、彼は親友との会話の流れから一つの結論を得たようだった。

 「やはりエーベンシュタイン上級大将は強敵であるらしい。俺たちはともかく、あのお方でさえ翻弄しているのだからな」

 それは正しい認識ではなかったが、決して間違っているわけでもなかった。ラインハルトはエーベンシュタインの帰還を許したことで少なからず最終決戦が荒れることを予想し、かつ彼が追い込まれていることも悟っていたのである。

 ロイエンタールはウィスキーグラスを片手で軽く(かか)げながら言った。

 「いずれにせよ決戦は近い。細かいことはあのお方に任せて俺たちは戦うだけだ」

 「同感だ。策謀とか陰謀とかは俺にはよくわからない。今はローエングラム候を信じて決戦に挑もう」

 二人のウィスキーグラスが同時に弾ける。

 確かにエーベンシュタイン上級大将は、ラインハルト率いる精強な帝国軍にとっては強敵である。協調性に欠ける貴族たちをよくまとめ率いたと言えるだろう。だが、どうしても限界はあった。門閥貴族たちを手足のように動かすことはやはり困難だったと言わざるを得ない。もし彼が完全に貴族たちを掌握していたならば、ガイエスブルグ要塞に拠って戦うこともなかったはずだろう。

 グラスを置いたロイエンタールとミッターマイヤーは休憩を終え、それぞれの任務へと戻っていったのだった。
 

 





V

 エーベンシュタインがその厳重な独房を訪れたとき、同盟軍から「ミンチメーカー」と揶揄(やゆ)された元装甲擲弾兵総監は手錠と足かせをされた状態で豪胆にも筋力トレーニング中であった。

 オフレッサーは、貴族連合軍の盟主たるブラウンシュヴァイク公に無礼で反抗的な態度をとったとして拘禁されてから一か月近くたっていた。当初は独房の中で暴れたものの、一通り暴れた後は「牙を研ぐが如く」の日々を送っていたのだった。彼は部下から「エーベンシュタインがブラウンシュヴァイク公にとりあってくれた」という情報を得ていたので、しばらくすればエーベンシュタインが盟主に掛け合って許されるだろうと考えていた。その時は会戦に参戦し、帝国軍の総旗艦ブリュンヒルトに強襲揚陸艦で突入し、ラインハルトの首級を挙げて純白の戦艦を流血で染め上げてやろうと企んでいた。

 だから、

 「来たなエーベンシュタイン。俺をここから出してくれるんだろ?」

 全く衰えをしらない野獣のような響きだった。エーベンシュタインの忠実な副官であるイェーガー大佐も独房の窓越しとは言え、その迫力には思わず肩を震わせてしまうくらいだ。彼の上官はというと涼しい顔でオフレーッサーの獰猛な目を見た。

 「残念だが解放はしてやれない」

 「なぜだ?」

 オフレッサーは、独房の扉を破壊しかねないほどの勢いで問いただしてきた。イェーガー大佐は一歩ほど下がってしまったが、エーベンシュタインはただ平静だった。

 「卿は先日の会戦で戦死扱いにさせてもらったからな」

 どういうことだ? と言わんばかりにオフレッサーは目を丸くしたが、他者から見れば猛獣が獲物を品定めしているようにしか映らないだろう。

 「まあ、落ち着いて聞いてもらおうか」

 エーベンシュタインは黄玉(おうぎょく)の瞳をオフレッサーに向けたまま、彼が拘束されてから先日までの経過を大よそ説明した。

 「次は決戦になるだと!? こちらが不利と言うならばなおさら俺をここから出せ。卿が手助けしてくれるなら必ずあの金髪の孺子(こぞう)の首級を命を懸けて挙げてやる。この際、公の意向など無視して構わないはずだ」

 しごく普段通りにエーベンシュタインは頭を振った。

 「卿の心意気には感謝するが、次の戦いは卿の望み通りの舞台を整えてやれる自信がない。なんといってもフレーゲル男爵らが余計な出撃をしてくれたおかげで戦力が減ってしまったのでな。仮に参戦できても突入途中で撃沈されるのが関の山だ。卿なら一か八かでは不本意だろう?」

 「確かに不本意だが、こんな場所に繋がれているよりはましだ」

 イェーガー大佐から見れば「それは自分が猛獣だと認めたのか」と突っ込む発言ではあったが、彼の上官は全く興味を示さなかった。示したのはオフレッサーに約束した「舞台」の在り様であった。

 「オフレッサー上級大将、卿は何か勘違いをしている。必ずしも戦場がその舞台となるわけではない。戦いが終わり、相手が油断したその時こそ至極上等な機会が巡ってくるかもしれないのだぞ」

 オフレッサーにはエーベンシュタインの暗示がさっぱり理解できなかった。戦場以外でどうやって金髪の孺子の命を奪うのか想像がつきかねたのだ。

 最後にエーベンシュタインは相手をなだめるように予言した。

 「卿は我々が敗れたときの保険だ。その時こそ上級大将が望んだ舞台が整えられていることだろう」

 エーベンシュタインはそう言い残し、部下と共に独房を後にする。その背後を追うようにオフレッサーの懇願するような猛獣の咆哮が響き渡っていた。
 

 独房区画を出たエーベンシュタインは忠実な副官に言った。

 「さて、私は担当の残りの二名に会いに行く。貴官のほうも頼んだぞ」

 イェーガー大佐は、メルカッツ張りの細い目を見開いて敬愛する上官に敬礼した。

 「はっ、こちらはお任せください。それとなく種をまいておきます」

 「頼むぞ。それが失敗した彼らにしてやれる唯一のやり直しの機会になる」

 大佐は、上官の謎めいた言葉にただ一礼し、彼の目的へとその場を立ち去って行き、
彼の上官は忠実な副官の後姿を見送ると、一人廊下を歩き始めてポツリと言った。

 「オフレッサーよ。もしうっかりローエングラム候を倒してしまったら、むろんつり合いにもならないがその時は私の首を差し出そう……」
 
 
■■■


 イェーガー大佐が目的の人物を見つけたとき、彼は廊下を歩きながら数人の部下に何かを指示しているようだった。

 「シューマッハ大佐、軍務が多忙なところすまないが少しよろしいか?」

 イェーガーが声を掛けると、フレーゲル男爵には出来すぎた参謀は足を止めて返礼した。

 「これはイェーガー大佐。ブラウンシュヴァイクの戦いでは貴官からの助言が大変役に立ちました。心から感謝を申し上げます。それで、何か急なご用件でも?」

 「ええ、実は我が上官から大佐あてに言伝と手紙を預かってきたのです」

 「……小官にですか?」

 シューマッハは、優秀なビジネスマンのような顔に一瞬だけ怪訝な表情を浮かべたが、前回のこともあり、部下を下がらせるとイェーガー大佐の話を聞いた。

 「話と言うのは近々に起こる決戦についてです。かなり厳しい戦いになることは間違いがありません。それで戦中に危機に陥った時やここぞという時は、以前もお話をしましたがキーワードを男爵に向けて迷わず使うことだ、という事が一つ。もう一つは……」

 と前置きし、イェーガー大佐は軍服のポケットから一枚の手紙をシューマッハに差し出した。

 「これは?」

 「小官も詳しい内容は知りません。エーベンシュタイン閣下がおっしゃるには、貴官への有益なアドバイスが記してあるので、決戦前に必ず一人で目を通してほしいとのことでした」

 手紙を受け取ったシューマッハ大佐はほんの数秒だけそれを眺めてしまったが、相手に感謝することを忘れなかった。

 「上級大将閣下に気にしていただいて大変申し訳ない。先日の戦闘で我が主の無謀な出撃を止められなかった無能非才な小官ごときにこのような助言をいただけること、深く感謝していたとお伝え願いたい」

 「必ずお伝えしましょう。決戦は間近です。それまでお互いに万全を喫しましょう」

 二人は敬礼し、シューマッハがその場を立ち去ると、彼の背中を見送ったイェーガー大佐は独語した。

 「閣下が変えたいという彼の未来とは何かな?」

 イェーガーもまた戻るべき方向へときびすを返す。今頃、敬愛する彼の上官はアンスバッハ准将とランズベルク伯に何を語り、何を忠告しているのだろうか?

――そして――
 
 






W

 <戦艦ダーインスレイヴ>の係留区へと続く専用通路の途中、ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツは、作戦上のすり合わせという名目と、これまで蓄積した感情や疑問を払拭すべく、律動的な歩調で乗艦に向かうかつての友人に詰め寄った。。

 エーベンシュタインは、後ろ手に組んだままの姿勢で立ち止まり、後ろで束ねた銀色の頭髪を揺らして肩越しに振り向いた。

 「総司令官には何か作戦内容に異議でもおありか?」

 メルカッツは頭を左右に振って否定する。

 「では何だと?」

 と質問したエーベンシュタインは、まだ肩越しに振り向いたままメルカッツに背中を向けている。メルカッツは息を整え、これまで以上に真剣な眼差しでエーベンシュタインを見据えた。

 「先ほどの作戦案は見事だった。あれならばローエングラム候に勝てるやもしれぬ」

 だが、と付け加えて数秒の後にメルカッツは本題を口にした。その声は鋭かった。

 「だが、それも卿が本気でローエングラム候――帝国軍に勝つ気があればの事だ」

 さらにメルカッツの声に感情が強くこもった。

 「あえて問おうエーベンシュタイン、卿は本当は何がしたい? 何が目的なのだ?」

 メルカッツの言葉にエーベンシュタインは無言だったが、彼の身体は帝国軍の名将に対していつの間にか正面を向いていた。

 「勝つ気はあるのか……なかなか不本意な言われようだな」

 「ごまかすな。ローエングラム候を打倒するというならば卿が策を用いてガルミッシュ要塞を離れ、候が戦力を差し向けてその分散がなった時にも機会があったはず。卿がわざわざその機会を見逃したとは思えん」

 メルカッツが考えるにそれは機会の一つにすぎず、それ以前の会戦で彼がローエングラム候と対峙せずに直接エーベンシュタインが戦っていたら、あるいは戦局はずいぶん変わっていたかもしれないのだ。

 しかし、エーベンシュタインはあえて直接自分が舞台の上に立たず、むしろこと戦闘に対して素人同然の門閥貴族たちをフォローするように善戦させ、ローエングラム候陣営において門閥貴族たちへの警戒感を高める結果を作っている。

 決定的だったのは、メルカッツも記録映像を見た銀色の球体兵器だった。凄まじいまでの破壊力を見せつけた「ヴェーニヒ・アルテミス」の投入タイミングと、その後の自爆の結末がメルカッツに疑惑を確信に変えさせたのだ。

 「答えよエーベンシュタイン。卿の狙いは何だ、勝利する気はないのか?」

 「そうだ」

 と間髪入れずに白状したエーベンシュタインは笑みを浮かべ、追及したメルカッツもあまりの衝撃にすぐには声が出なかった。同行していたシュナイダー少佐は呆然としてしまったくらいである。

 「……理由を聞こうか?」

 メルカッツの言葉に再び笑みを浮かべたエーベンシュタインだったが、それは相手に対する挑発的な類のものではなく、むしろ吹っ切れた要素が強かった。

 「時間はあるか?」

 とエーベンシュタインが言ったのは副官イェーガー大佐に対してだった。忠実な副官は短く頷いただけである。破天荒な上級大将は銀色の口ひげを右手の指でひとなでして言った。

 「理由は簡単だ。それが陛下のご遺言だからだ」    一瞬の沈黙が狭い空間を覆った。

 「なに? 陛下の――だと?」

 この場合の「陛下」とはエルウィン・ヨーゼフではなく、故フリードリヒ4世に他ならない。メルカッツの驚きは小さくなく、彼の眠そうな両目が大きく見開いたほどだった。

 メルカッツは、今度は明確に頭を振った。

 「いや、待て。陛下がご遺言をなどとは聞いたことがないぞ」

 当然である。それが周知の事実なのだ。フリードリヒ4世は心臓発作を起こし、意識が回復しないまま崩御した。でなければ、少なくとも権力争奪の大規模な内戦になど発展していない。

 「メルカッツ、卿らしくない軽率な認識だな。ご遺言を賜ったのは陛下が生前の時だ」

 エーベンシュタインは、苦笑い交じりに片手でかつての友人の早とちりを制し、その日のことを語り始めた。

 「ただし、覚悟して拝聴してもらおう」

 意外な前置きにメルカッツとシュナイダーは身構え、その言葉の真意を内心で探った。

 「あれは陛下がお亡くなりになる1か月前のことだ。私は陛下に呼ばれて薔薇園に赴いたのだが、久しぶりの挨拶もそこそこに切り出されたお話に体が震えたものだよ」

 その中身とは、アスターテ星域会戦直後にフリードリヒ四世と帝国宰相リヒテンラーデ公との間で交わされた。皇帝がローエングラム候ラインハルトに大きな権力を与えることに帝国宰相が懸念を示したことに対し、フリードリヒ四世の返答は帝国の存在や権力・権威が恒久的かつ絶対的だと信じる者たちにとってはあまりにも衝撃的すぎた。

 非常に危険な真実をエーベンシュタインは告白しようとしていた。

 「どうせ滅びるなら、華麗に滅びるのがよいのだ」

 エーベンシュタインの黄玉の瞳にはピクリとも動かない旧友が映っていた。

 「その直後のリヒテンラーデの反応が傑作だったと陛下は笑いながらおっしゃっていたな」

 軽快に語るエーベンシュタインと違い、メルカッツとシュナイダーははっきりと表面に出したわけではなかったが、その衝撃を完全には隠しきれずに体がわずかに震えていた。

 (陛下自らが帝国を潰そうとしていたのか……)

 メルカッツは唾を呑み込み、ようやく低いが声を絞り出した。

 「……では、卿は貴族が華麗に滅びる、という陛下のご遺言を実際に実行したというのか?」

 肯定よりも先に第二の衝撃が先だった。

 「陛下は自らの地位と貴族社会に失望されていたのだ」

 混乱したのはシュナイダーであり、メルカッツはフリードリヒ四世の心の内を多少なりとも感じ取った様子だった。

 フリードリヒ四世とエーベンシュタインの生い立ちは共通するものがあった。どちらも大勢の兄弟姉妹がおり、将来はもちろん、少なくとも幼少期は特に何かを期待させるほどの特異な能力を備えていたわけではなかった。

 当然、どちらも自分が家名を継げるとは考えてもおらず、貴族としての地位と一応の財力は分けてもらえると考えてはいたので、せいぜいやりたいことをしてやろうとだけ思い描いていた。フリードリヒは造園の道へ。エーベンシュタインは犯罪さえ起こさなければ何でも――という感じだった。とはいえ、周知のとおり後者はやんちゃが過ぎて軍隊に放り込まれてしまったのだが……

 「私の場合は自業自得だが、陛下にとってはまさに晴天の霹靂であられたことだろう」

 他に9人も兄弟姉妹がいて、そのことごとくが死亡し、自分が皇帝の地位に就くなどとは最初から野心を抱いていなければ想像だにできないことだろう。

 ――想像だにせず銀河帝国第三六代皇帝という地位に納まったフリードリヒ四世は、当然ながら手放しで喜んだりしなかった。夢が絶たれたことはもちろん、兄弟姉妹たちの死因がとても穏やかなものとは言い難かったからに他ならない。皇帝の地位に就くとわかってからの周囲の手の平を返したような変化に嫌悪感と戸惑いと恐怖を隠しきれなかった。

 「若い頃の陛下の放蕩ぶりは皇帝の地位という重圧から少しでも解放されたいための一つの手段であったのだろう」

 ちょうど同じ頃、エーベンシュタインも子爵家を継ぐことになる。生死の間を遊弋(ゆうよく)する最前線の軍隊生活からは解放されるが、彼もまた手放しで喜んだりしなかった。

 「その時から三年ほど前だったか卿と出会ったのは……そうだな、帝国のレストランに食事にきていた卿の婚約者を無理やり口説こうとして卿と殴り合いのけんかになったのは」

 エーベンシュタインは子爵家の子弟ということもあって軍隊ではそれれなりの階級であり、当時は「貴族のバカ息子」らしく悪しき価値観に染まった状態で軍隊に放り込まれたことで荒れていた時代だった。

 結果は、エーベンシュタインの敗北だった。個人の勝負に敗れただけではなく、彼は数人の取り巻き連中を率いてメルカッツをさんざん恐喝したものだが、その場に遭遇した下士官たちはみなメルカッツの味方をし、取り巻き連中は早々とエーベンシュタインを見捨てて逃げ去ってしまい「人」としても敗北したのだった。

 若きエーベンシュタイン中佐は打ちのめされると同時に、上級貴族の権力や脅しに屈しない強固な意志の持ち主が存在し、地位と権力だけでは人は引き止められないという現実を初めて思い知ったのだった。

 「私にとってはよい教訓であり、重要なターニングポイントになった」

 事件から数日後、エーベンシュタインは騒動の収拾を図ると同時に出征前のメルカッツ宅を訪れ、レストランでの騒ぎを「謝罪」した。

 メルカッツと婚約者は大いに驚きはしたが、彼らも事件の拡大を望んでおらず、やや怪しんだものの事態を収拾するというエーベンシュタインの言葉を信じて謝罪を受け入れた。この日からわずか三年だけであったが若き二人はお互いに上官と部下という立場になって数々の戦功をあげていく。メルカッツが軍人として成長し、帝国軍内での地盤を固めていくのもこの時代である。

 「思えば卿とのあの頃が私にとって最も充実した日々だった」

 では、フリードリヒ4世はどうだったのだろうか?

 「卿も知っての取、り陛下は皇帝の地位そのものを投げ出すようなことはしなかったが、かと言って熱心に国政に参加することもなかった」

 現在における――当時のフリードリヒ4世の評価は控えめに言っても「無能」との位置に落ち着く。彼はほとんど国政に関心をもたず、もっぱら自らが登用したリヒテンラーデに任せっぱなしであり、日常は皇宮にある薔薇園の世話や美少女を漁るという不摂生な日々を繰り返していたにすぎない。

 エーベンシュタインの衝撃の告白は続く。

 「陛下はできうることならば御自らの手で銀河帝国と貴族社会を終わらせたいと望んでおられたのだ」

 ただ、フリードリヒ4世はそこまで自分の能力や人徳を過信していなかったので、彼がとった行動は「何も決めない」ことだった。だが、あからさまな行動に出れば即排除されうるし、本当に国政を疎かにすれば退位を強制または暗殺されてしまう。

 フリードリヒ4世はそれらの障害を回避するために政治感覚に優れたリヒテンラーデを宰相の地位に据えることである程度周囲を納得させつつ己の地位を確保し、緩やかに貴族社会をさらに斜陽に導き、後継者を決めないままで死のうと決心していたという。

 「陛下は無能を装っていた、と言うのか?」 

 メルカッツの質疑にエーベンシュタインは明確な返答をはぐらかした。

 「……ただ、お優しい陛下はいくつか大きく憂慮されていたことがあった」

 それは、いざ後継者争いの内戦が勃発した場合、欲と腐敗にまみれた門閥貴族同士が争えば平民たちにも大きな被害がおよび、彼の薔薇園はもちろん草花が灰塵に喫し国土が焦土と化すことは間違いなく、何よりもフリードリヒ4世の望んだ世界は訪れないという事実だった。

 「陛下は迷われていた」

 やはり後継者を定め、混乱を最小に収めるか、周囲が納得しがたい後継者を選ぶことで最終的な着地点を示しておくか……

 しかし、運悪く後継者問題が短期間で終了し、貴族社会が息を吹き返してはフリードリヒ4世の目的は失敗したに等しい。国土が焦土と化せず、なおかつ貴族社会を終わらせるためにはいかなる方法を取るべきか……

 メルカッツの眠たげな瞳に鋭光が走った。

 「そこに現れたのがラインハルト・フォン・ミューゼルだったわけか……」

 エーベンシュタインは、あえて肯定しなかった。うなずく必要などなかったからである。

 ただ、事の始まりからフリードリヒ4世が寵愛する美女の弟に注目していたかどうかについては明確に「否」である。アンネローゼに請われる形で皇帝は姉の弟に対する支援を認めたが、彼にとっての兄弟姉妹と言うのは「敵対する関係」であって、美しい金髪の姉弟のように慈しみあう仲などではなかった。

 それでもフリードリヒ4世には姉と弟を権力によって引き離したという罪悪感と同情はあった。門閥貴族たちにどう噂されようとアンネローゼの弟への支援を認め、密かに後押しをしたのはそのためだ。

 皇帝としてはミューゼル少年が姉の支援を受けて大学を卒業し、権力とは無縁の棘の立たない仕事に就いてくれれば万々歳だったであろう。

 しかし、ラインハルト・フォン・ミューゼルが選んだ道は過酷な「軍人」だった。権力に通じる道である。フリードリヒ4世は寵姫を通じてその事実を知ったときひどく落胆したという。

 当然だろう。軍人と言うのは常に「死」と隣り合わせの職業である。皇帝が裏から手をまわして内勤だけというのは、あからさますぎて貴族はもちろん軍人たちの反発や反感を招くことは目に見えていた。またそれを回避するために、ラインハルトが遠い地に赴任してしまえば目が行き届かなくなり、より一層の「死」を招くことになってしまう。

 「陛下は、グリューネワルト伯爵夫人の弟を想う姿に心を痛め、たびたび人事に介入したが、ラインハルト・フォン・ミューゼルは陛下の予想をよい意味で大きく裏切った」

 つまり、ラインハルトは貴族社会の打倒を掲げ、戦場に出れば必ず戦功を立てて出世し、彼の周囲には自然と有能な人材が集ったことだ。ジークフリード・キルヒアイスはもちろん、オスカー・フォン・ロイエンタール、ウォルフガング・ミッターマイヤー、エルネスト・メックリンガー、パウル・フォン・オーベルシュタインはその筆頭と言ってもよい。

 フリードリヒの意識が決定的になったのは、アスターテ星域会戦だった。ミュッケンベルガー元帥ら軍上層部とブラウンシュヴァイク公やフレーゲル男爵といった反ラインハルト派による嫌がらせの人事による絶対的に不利な陣容で同盟軍三個艦隊に対して一個艦隊で勝利を掴んだ紛れもない事実と実力がフリードリヒ四世を「決断」へと導いたという。

 「ただし」と、エーベンシュタインは付け加え、少し悪戯っぽい笑みを浮かべて話を続けた。

 「だからと言って陛下はすんなりと地位を明け渡すほど甘くなかった。陛下はローエングラム候に機会を与えたに過ぎない。実力があるならば誰にも後ろ指を差されるまでもなく自ら勝ち取ってみせよ、とな」

 それが帝国を二分する史上最大の内戦となり、ローエングラム候ラインハルトは銀河帝国を事実上掌中に収めるラインにまさにあと一歩で到達しつつある。

 (なんということだ。我々は門閥貴族の最期を飾るためだけに戦わされていたというのか……)

 エーベンシュタインの告白に驚き、いわれのない怒りが込み上げてきたのはメルカッツの忠実な副官であるシュナイダー少佐だった。

 (これまでの多くの犠牲はいったい何だったというのか……)

 それまでの五分に近い戦いが実はエーベンシュタインの手による「演出」と「誘導」だったと知って愕然とするのも仕方がない。負けてはいなかったが、勝ってもいなかったとはいえ、彼の手のひらで踊らされていたのならばなお更だった。

 (結局、この人も門閥貴族だったというわけか……)

 シュナイダーの烈火に染まった瞳が上官の背中に向けられる。軍人らしいたくましい後姿である。その泰然自若とした姿勢からメルカッツがうすうす感づいていたことが窺われた。

 「エーベンシュタイン……」

 メルカッツの重い声を旧友は片手で制した。

 「卿の言いたいことはわかる。この決戦でも負けてやるつもりかと」

 メルカッツは黙ったままだ。

 「先刻、ブラウンシュヴァイク公や総司令官殿に採決をいただいた作戦は負けるように感じたかな?」

 メルカッツは否定しなかった。エーベンシュタインが立案し提示した作戦案は「まさにそれでなければローエングラム候を倒せない」と思わせるほどの中身(・・・・・・・・・)だったのだ。

 (矛盾している)

 とシュナイダーは思う。勝つ気がないと言っておいて勝つための作戦を立てる――いったい何を考えているというのか?

 「私はローエングラム候に借りがある。先の戦いでひどい目にあわされたからな。一泡吹かせたいというのは正直なところだ。そこに勝利を見出す隙間(・・・・・・・・)があると思うぞ」

 さり気なく重大な言葉を残してエーベンシュタインはついにその場を離れようとする。メルカッツはそのまま旧友を見送るかに思えたが……

 「エーベンシュタイン、卿の動機は陛下のご遺言を実行するためだけに内戦に身を投じたというのか? 本当は他に何か別の動機があったのではないか? 答 よ!」

 鬼気迫るほどのメルカッツにエーベンシュタインはすまし顔で言った。

 「卿はうすうす感じているかもしれないが、こう見えて私の寿命はそう長くないのだ。ただの傍観者として終わるよりは陛下のご遺言を理由にして門閥貴族の一人として――一介の軍人としての誇りをかけて最後の戦いに臨むことは動機にならないのか?」

 メルカッツは否定するように頭を振った。

 「卿らしくない人生哲学だな。私の知っているフォン・エーベンシュタインという男はここに居るなんとも不器用な男よりはるかに応用の利く人生を選択できると確信していたのだが?」

 「応用の利いた選択だろう?」

 「違う! 私が言いたいのはそういう死の美学へ突き進む選択ではない。卿ならばミュッケンベルガー元帥と同じく中立の立場を貫く道もあれば、歴史の証言者たらんとする側になることもできたはずなのに、なぜそうしなかったのだ?」

 「買い被るな。私も所詮はブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム候と同じような頭に何かが沸いた門閥貴族の一人でしかないのだ」

 「いや違う! 卿は……」

 くどい! と切り捨ててエーベンシュタインは乗艦に延びる通路を再び副官と共に歩き始めたが、彼を追うように歩み出たメルカッツは長年の間払拭できずにいたある不可思議をついに旧友にぶつけた。

 「卿は幼き頃に黒衣の男とともに違う世界を旅したと酔ったはずみで漏らしたことがあったな。当時の私は何のことかわからず聞き流しただけだったが、あの戦艦ナデシコの周囲で起こった不思議なことと卿が操った天体兵器は被るところもある。この二つは卿が戦いに参戦したことと何か関係があるのではないのか!?」

 エーベンシュタインは歩みを止め、整えられた銀髪を揺らして肩越しに振り向く。黄玉の瞳が柔らかい光を放ったようにも見えた。

 「理由を知りたければ、せいぜい長く生きることだな」

 エーベンシュタインはそう言い残し、二度と振り向くことはなかった。




――宇宙歴797年、帝国歴487年7月21日――

 ついに門閥貴族連合軍とラインハルト率いる帝国軍との最終決戦の火ぶたが切られようとしていた。

 権力を掌中に掴まんとする者、権力を再び取り戻そうとする者、そしてその間で暗躍する者……

 三者三様が思い描く未来と結末を知る者は、むろん誰も存在しなかったのである。
 
 
 
 

……TO BE CONTINUED


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お久しぶりです。だんだん更新時間が長引いているような……

いえ、長引いてます! すみません。

さて、この19章を執筆している最中に大ニュースが飛び込んできました。


新銀河英雄伝説再アニメ化&18年4月に放送決定!!

再アニメ化の告知から3年?か2年経ったでしょうか?

「ようやく新しい銀英伝が見れる!」

と歓喜した方も多いでしょうが、発表された主要登場人物のビジュアルを見て……

ラインハルト→「あれ? 金髪イケメンだけど何かが違う?」

ヤン→「冷静沈着そうなイケメンじゃないか!」

キルヒアイス→「黒バス!」

そんな感じでやや不安を抱いた人が多かったのではないでしょうか?

どうしてキャラデザを「黒子のバスケ」担当にやらせたのか謎ですが、まあ、いろいろな憶測と想像の通りなのかもしれません。CGに関しては石黒版時代とは雲泥の差があるので大いに期待したいところ。PVにあった砲撃シーンや艦隊のシーンはそんな期待を抱かせてくれました。

まあ、評価は実際に見てみないと何とも。

それでは中編でお会いしましょう。中編は同盟の予定です。


 2017年12月21日 ――涼――  

  文章の修正と追記を行いました  
  2018年6月9日 ――涼――

 2020年1月20日 ――涼――

 時系列にミスがあったため修正を加えました。

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