存在する意味、果たすべき義務を価値と呼ぶならば。
…その価値を忘れたこの世界を、許して置けるはずがない。

“世界のミカタ”





























「「―――きおくそうしつ〜?!」」
 「えぇ…おそらくは」

  機械集落ラトリクスにあるリペアセンターの一室。
  メディカルルームの隣に位置する場所では、クノンによって外に出された三人がそれぞれに推測を述べ合っていた。

  ちなみに外に出されたのは、クノン曰く「カウンセリングの邪魔になります」らしい。

 「…でもなんで?
  仮に『彼』が召喚獣だったとして、別に召喚されるとき、記憶まで変化することってないよね?」
 「そのハズよ。
  私はちゃんと自分が何であるか認識していたし―――逆に、この言語が理解できたぐらいだから。
  違ったっておかしくないのに、初対面でなんの不自由もなく意思疎通が出来る。
  ……知識が増えることはあれ、無くなることはないのよ」

  ファリエルの問いに、アルディラが断定的な口調で答える。


  ―――それが、召喚術の不文律。
  元は『協力』がそれの目的であったが故の、絶対的法則。


 「…けど、彼にはそれが起こっている…か。
  わからないことだらけっていうのは、辛いだろうね…」
 「はい。
  …正直、『彼』のことはクノンに任せるほかないと思います」
 「だね。
  ほら、ファリエルもそんな暗い顔しないで。
  クノンならきっとどうにかしてくれるよ」
 「…うん」

  極力明るく言う彼に。
  ファリエルは、無理矢理な笑みを浮かべて頷いた。


























  一方、メディカルルームでは。

 「…それでは、名前以外に分かることは?」
 「………ないな…まるで分からないことだらけだ…。
  どうして目が見えなかったり耳が聞こえないのか…それを先ほどまで当たり前として受け入れていたのかすら…」

  クノンと『彼』は、それなりに深刻な表情でカウンセリングを行っていた。

 「そもそも俺は、その―――」
 「?」
 「…倒れていた地名は、なんだったか?」
 「喚起の門、です」
 「その…喚起の門?…に…俺は一体どういう状態で倒れていたんだ?」
 「…医学用語は分かりますか?」
 「…いや、風邪だのなんだの…むぅ、なんといえばいいか…そういうのは分かるんだが…その…」
 「いえ、構いません、だいたい分かりました。
  ―――失礼します」

  そう言って。
  クノンは、すっ、と手を伸ばすと―――『彼』の、だいたい右わき腹のあたりに、そっ、と手を触れる。

 「?!」
 「この部分に、一発」

  続いて、左の二の腕。

 「ここに、一発ずつ…計二発、銃弾を撃ち込まれたと思われる怪我がありました。
  ただ、こちらの―――」

  わき腹の方の銃創を撫でるようにして、

 「この傷は、おざなりでしたが止血をしようとした痕跡がありました。
  恐らく、そのためにファリエル様は気づかなかったのでしょう…」

  クノンはそう言って、彼の体から手を離す。

 「銃…」

  ぽつり、と呟いて。
  彼はクノンが先ほどまで触れていた傷の部分に、おそるおそる手をやる。
  触ってみて分かったが―――それらの部分には包帯が巻かれているようだ。

 「…触れてみても、痛みがないな……というより、これは―――」
 「おそらく麻酔がまだ残っているのでしょう。
  そのせいで、触られた側はまだ感触がおかしいとおもいます」
 「……あぁ、そんな感じだ」

  頷く『彼』。
  クノンはそれを無表情に眺めた後、脇においてあったカルテを取り、

 「ここからは推測ですが…。
  貴方は召喚される時に怪我を負い、そのことで何らかの過負荷がかかり、結果記憶に障害が出ているものと思われます」
 「しょうかん…?」
 「はい」
 「…なんだ、それは…?」

  『彼』の言葉に。
  クノンは―――珍しく驚きを隠そうともしない表情で―――カルテから顔をあげ、まじまじと彼の顔を見ると、

 「……召喚も分からないのですか?」
 「あ、あぁ…呼び出すこと、って意味なら分かるが…それで過負荷とか言われても…」
 「―――」

  絶句する。
  そんな、『召喚』を知らないなんて、それは―――いかに記憶喪失といえど、単語等の意味が分かる彼の場合、それは―――


 「名も無き世界からの―――」


  言葉にしかけて。
  …まだ結論付けるのは早い、と考え直し。
  クノンは、フゥッ、と息をつくと、

 「召喚に関しての説明は、私よりも適任の方々がいますから、また後日でよろしいですか?」
 「…構わないが…」

  いぶかしげな目―――というより気配で彼女を見る『彼』。
  どうやら、先ほどの動揺が悟られたらしい。
  視覚よりも気配でモノを悟ることに長けている、ということか―――視覚がほぼ死んでいるのだから、当然といえば当然か。
  彼女はそれを気にしないことにし、カルテに目を戻すと、

 「また、感覚障害の方ですが。
  こちらは、多量のナノマシンによる機能障害によるものかと。
  それとまだ断定は出来ませんが、神経その他を弄くられた形跡も見られましたので、それも関与しているものと思われます。
  …あ、ナノマシンなどの単語の意味は分かりますか?
 「――――――」

  クノンの問いかけに。
  彼は無言―――というより、どこか―――何かがひっかかったような表情で―――





      ぼうっ

 「っっ!?」

  突如。
  彼の顔が―――発光する。
  何がしかを描くようにして光が彼の体に浮かび上がり―――

 「大丈夫ですか!?」
 「っ!?」

  揺さぶるようにして。
  肩に手をかけたクノンの声に。

  ―――彼は、ハッ、とした表情で、焦点の合わない視線をクノンに向ける。



  同時に。
  発光現象は収まった。



 「…俺は…今…」
 「―――」

  呆然とした口調の彼に、クノンは返す言葉を持たず。
  ―――それでも、看護医療用機械人形フラーゼンである彼女は小さく息をついて、混乱し た思考回路をほぐすと、

 「今…何が起きていたか、分かりますか?」
 「………」

  問いかけに、彼は首を振る。
  どこか憔悴した様子の彼に、彼女は眉をひそめると、

 「今日は、ここまでにしておきましょう。
  体力も消耗しているようですから、ゆっくり休んでください」
 「……分かった」

  今度は返答があった。
  そのことにクノンはほっとすると、彼をベッドに寝かせて立ち上がり、

 「それでは、何かございましたら、そこのブザーを押してお呼びください」

  そう、一礼して部屋を出る。

  ―――と。

 「あ…」

  彼が、小さく声を上げたのが耳に入り、振り返る。

 「何か?」
 「いや……名前を聞いていないな、と」

  自分の名前も思い出せないから忘れていた、という彼に。
  ―――そういえば、急な展開だったから自分も名乗り忘れていた、ということを思い出して。

 「型式番号AMN−7H・看護医療用機械人形フラーゼン―――クノン、とお呼びくださ い」

  そう、いつもの淡々とした口調で彼に告げると。
  彼女は今度こそ、そのメディカルルームを後にした。









 「…え?」






  フラーゼンなんて知らない彼が、少し後に間抜けな声でようやっと反応できたことなど、これっぽっちも気づかずに。













  M.S.Nadesico&Summon Night
The Operetta of EDEN
〜out of my rain and dream〜
前伝-1:ヴェロニカ
折沢崎 椎名











 「こんにちはー」

  翌日。
  機械集落ラトリクスの中央管理施設。
  その一角、普段からアルディラが仕事をしている部屋に。
  今日も今日とて、ファリエルの声が響いた。

 「あら、いらっしゃいファリエル。
  今日は何の用かしら?」
 「例の人に会いに来たの。
  経過はどうなったのかなって思って」

  きぃっ、と椅子を回して振り返るアルディラに、ファリエルはのんびりとした表情で答える。

  朝も早くから…という時分でもないが、寝ボスケ気味な彼女から考えれば、起きて直ぐ飛び出してきた、といったところか。
  …まぁ、自分が連れてきた相手だから気になっているのだろう、多分。
  アルディラはそう判断すると、カタカタ、と片手でパネルを操作しながら、

 「『彼』なら、昨日と同じ部屋で検査中よ。
  クノンもいると思うから」
 「うん、分かった、ありがと義姉さん」

  それだけ返して、走ってその場を去る彼女を見送ると。
  アルディラは、

 「―――暇なのかしらね、あの娘も…」

  と、冗談交じりにそうぼやいた。





















  コツコツコツ、と傍目にも分かる早足で、ファリエルは目的の場所へと足を進める。
  クノンが直ぐ傍にいたら、「ここでは走らないようにお願いします」といわれそうだ。

  こういう時―――誰かが怪我などをしたお見舞い等―――自然と心が逸る自分は、やはり兄さんの妹だな、と思う。
  なんというか、落ち着かないのだ―――見舞う相手の無事を確認するまで。
  まぁ、それでも兄ほど慌てないとは思うが。

 「えっと…ここを右っと」

  急ぐ足を途中で止め、案内板で確認しながらまた早足で廊下を進む。

  ココに来る度―――主に自分の怪我が原因だが―――思うが、ここの構造は迷いそうだ。
  ここで寝起きしている融機人ベイガー看護医療用機械人形フ ラーゼンはきっと頭の出来が違うのだろう。ズルい。
  …いや、ズルさで言えば兄の方が上か。親は同じなのにどうしてああも出来が違うのか。迷ったトコも見たことがないし…。


  そんなとりとめもないことを考えていると、メディカルルームへとついた。
  一応プレートで再確認した後、軽く深呼吸。
  気を落ち着けて、こんこんっ、とノックする。

 「…どうぞ」

  しばし間があった後(おそらく彼に入れていいか聞いたのだろう)、返事があり、パネルを操作した後、

 「お邪魔しま―――」

  相手が相手だから、出来る限り自然に挨拶をしようとして。
  …思わず、言葉半ばで動きを止めてしまった。









  部屋の中では。
  クノンと『彼』が。

  …えっと、その、今にもキスしそうな体勢でした?












 「…ファリエル様、どうかしましたか?」

  クノンが振り返り、疑問の声をかける。
  だが、手は彼の頬に添えたまま。
  そして己の顔は彼の顔の目前に。


 「……なにやってるの?」

  答えず、思わず間の抜けた素の声で問いかけるファリエル。
  だが、いろいろと忠実なクノンは答えではないことも問題にせず、

 「この方の様子をみているのですが」

  ケロっとした表情で答えてくれた。








  様子を見る

    ↓

  キスした後の彼の反応を楽しんでいる

    ↓

  クノンってば悪女?













 「…あの…ファリエル様?」

  硬直した後、何故か部屋の隅っこの方でガタガタ震えながら怯えた眼差しで自分を見やるファリエルに。
  クノンは、さすがに訝しげな声と表情になる。


 「あー……」


  と。
  そこで、今まで一言も喋らなかった『彼』が口を開くと、

 「…クノン、彼女は何か誤解しているようだから、この手と顔を離せ。
  そこの…ファリエルだったか? アンタも隅っこでいつまでも震えてないで、そこの椅子にでも座ったらどうだ?」

  呆れた口調でそう言って、ようやくこの状況をなんとかしてくれた。














 「それで…一体何をしてたの?」

  備え付けの椅子に座って。
  ベッドの上の彼、その傍に控えるクノンを向かいにして。
  ファリエルは―――まだ若干怯えた調子で問いかけた。

  その問いに、クノンは訝しげな表情で、

 「ですから、この方の様子を―――」
 「いや、クノン。
  多分彼女は、今日どういう検査をしたのか聞いたのだと思うぞ?」
 「えっと…あーうん、そのとおりです」

  同じ答えを返そうとするクノンに、途中で口を挟む彼。
  ファリエルは一瞬違うと言おうと思い―――順序だてて説明してもらった方が分かりやすいと考え直し、頷く。
  クノンも―――彼女は彼女で全然違う方向で―――彼の意見に頷くと、

 「なるほど、分かりました。
  …今日はまず、昨日と同じようにスキャンにかけさせていただいた後、彼の所持物についての説明等をしておりました」
 「所持物―――って、その顔のやつ?」

  小首をかしげ―――納得する。
  今の彼は、顔の半分を覆うバイザーのような物をつけている。

  …そういえば、彼女がここに運びこむ時も付けていた気がする。

 「はい。
  こちらで調べた結果、このバイザーは彼の視覚及び聴覚を補正しているものであることが判明しました」
 「え―――ってことは、目が―――」
 「あぁ、見えている」
  思わず彼の顔をまじまじと見るファリエルに頷く彼。
  どこか無感動な返答だが、彼女は特に気にせず、「よかったですね」と微笑む。
  彼は一瞬動きを止めた後、「あぁ…」と小さく返し、クノンへ視線をちらり、とやる。

  それが促しだと分かったのだろう。
  クノンは頷くと、
 「それで彼にバイザーの説明をした後、装着させていただいたところでファリエル様が来られまして、今に至ります」
 「…なるほど」

  その装着シーンを彼女は思いっきり誤解した、と。
  …大方彼女のことだ、キチンと装着できているか、動作しているかを、顔を覗き込み目の動き等などで調べていたのだろう。
  種が分かると、誤解した自分が恥ずかしく思えて、ファリエルはどこかまくし立てるように、

 「そ、それで、そのバイザー以外に彼の持ってた物ってないの?」
 「こちらに」

  そういって、何かのケースを取る。
  そこには―――いくつかの小物と思われるものがあった。
  クノンはその中で、ひとつのカードのようなものを手に取ると、

 「こちらの検査では、これは恐らくIDカードと思われるのですが―――データの読み取りや、書かれている言語の解読は不能でした。
  …読めますか?」

  そういって、彼に差し出す。

  彼は―――本当に見えているのだろう、自然な動きで―――カードを手に取り、

 「あぁ…読める、な」
 「なんと書かれていますか?」
 「…AKITO・TENKAWA…」

  口の中で言葉を反芻する。

 「エーケー……いや…アキト・テンカワ―――……?」
 「そう書かれてるの?」
 「…あ、あぁ…」

  ファリエルの問いに生返事で答える。
  クノンは、ふむ、と息をつくと、

 「…IDカードだとすると、それが貴方の名前、ということになりますが―――」
 「え、じゃあ…」

  ファリエルは驚いた表情でクノンを見やった後、彼へと顔を戻す。
  彼の方はといえば、難しい顔でIDカードを見つめているのみ。

  しばし、彼女はそんな彼をじっと見ていたが―――えっと、と前置きをして、


 「あの…『アキトさん・・・・・』?」
 「なんだ・・・?―――あ…?」


  彼女の、もしかしたら、という呼びかけに―――彼は、ごく自然に反応して―――次いで、目を丸くする。
  クノンは―――こちらは特に表情を動かさず、

 「どうやら、それが貴方の名前のようですね。
  反応も自然でしたから」
 「…の、ようだな。
  違和感がない」

  彼女の意見に、苦笑して頷く彼。
  ファリエルは―――ぱんっ、と手を合わせると、

 「良かったですね、アキトさん!」
 「あ、あぁ…」

  まるで我が事のように喜ぶ彼女に、戸惑ったような表情で応える。
  クノンはその様子を少しだけ口元を緩めて見ている―――と、途中でケースを持ち上げ、

 「それで、こちらが残りの所持しておられた物ですが…見覚えは?」
 「……ある…ような気がするな」

  彼は呟き―――そのうちの一つである、うす平べったい箱のような物を手に取る。
















――――どくんっ
















―――アキト君、ジャンプフィールド発生装置の小型化、終わったわよ。
…これで、貴方は事実上いつ如何なる状況からも帰還できることになる。
だからアキト君。貴方が戦う、なんて事態は出来る限り避けてね。

…私がこれを作ったのは、貴方に生き延びてもらうためなんだから。





















 「―――っ!?」

  がくり、と。
  アキトの体が揺らぐ。

      からんっ

  硬い音を立てて、彼の顔からバイザーが滑り落ちる。

  刹那。
  ぼぅっ、と彼の顔に何がしかのパターンが浮かび、発光する。

「「――――!!」」

  その現象に。
  ファリエルは絶句し、クノンは咄嗟に彼の体を支えると、

 「大丈夫ですか?」
 「―――あぁ…。
  …すまんが、バイザーを…」
 「はい」

  アキトの体を起こし、バイザーを拾って渡す。

  彼がそれをつけると、同時。
  ―――発光現象が、収まった。

  ファリエルはそれを呆然と見ながら、

 「今のは…」
 「…まだよく分かっていません。
  おそらく、何か特定の条件下で起こるものと思われますが―――」

  そう言葉を切って、アキトに視線を向ける。
  それに気づいた彼は、しばし考え込み―――「いや、俺も憶えがない」と首を振る。
  クノンは難しい顔で考えこんだ後、

 「…後で、データを検証していくしかありませんね。
  それよりアキト様、さきほど倒れられたのは―――」
 「…あぁ。
  『これ』を見ていたら、なんだか妙な映像が脳裏をちらついて…それで、急に意識が遠のいて……」

  難しい顔で、握ったままの『それ』を見ながら、答える。
  クノンは一瞬瞑目すると、

 「…それはおそらく、アキト様の記憶がある種のビジョンとして映ったのでしょう。
  ―――その内容は?」
 「…白衣を着た…なんというか、説明が好きそうな女が何か言う―――そんな感じだったと思う。
  …何を言われたかまでは分からん」

  考え込むように、思い出すかのように言う彼。
  と、

 「…せ、説明が好きそうって…」
 「それはおそらく、アキト様の知り合いの方なのでしょう。
  その方のイメージが先行して、アキト様はその人のことを『そういう風』に感じ取られたのだと思います」

  思わずツッコミを入れてしまうファリエルに、クノンが冷静に返した。
  …確かに言われてみれば、「説明が好きそう」 なんて、とてもではないが普通には感じ取れない。
  彼女に説明されてその事に気がついたのか、「確かにな…」とアキトも納得し、ケースの中の他のものに手を触れようと―――

 「お待ちください」
 「?」
 「―――今日は、ここまでにしておきましょう」
「「え?」」

  クノンの言葉に、二人が驚きの声をあげる。
  だが、彼女は冷静に、

 「―――かなりの負担が、既にかかっておいででしょう?
  名前を思い出せたのですから、今日のところは十分かと思います―――急いで悪化しては、元も子もありませんから」
 「…そう、だな。
  分かった」

  しばし、考え込んで。
  彼は結局―――僅かばかり、名残惜しそうな表情を見せつつも手を引っ込めた。
  クノンはケースを手に取ると、

 「それでは、失礼します。
  それと―――ファリエル様」
 「なに?」
 「よろしければ、アキト様の相手をして差し上げてください。
  一人ではお暇でしょうし…ファリエル様も興味があったのでしょう?」
 「あ、うん」

  それだけを言って。
  クノンは一礼を残し、ケースとその他諸々を持って、部屋を出て行った。












 「…さらっと言ってくれたな」
 「?
  何がです?」

  クノンが部屋を出て行くのを見送って。
  苦笑交じりに呟いたアキトを、きょとん、とした表情で見やる。
  そんなファリエルに、彼は苦笑したまま、

 「『暇だろうから相手をしてやれ』だからな…当人がいるところで言うとは、なかなか大したタマだ、と思ってな」
 「あぁ…」

  肩をすくめるアキトに、ファリエルは納得して微苦笑する。
  彼はそのままため息をつくと、

 「だいたい相手と言っても、記憶の無い人間の相手をするのは大変だと思うのだが」
 「ア、アハハハ…クノンは良くも悪くも真面目ですから…」

  そういって軽くフォローすると、あ、と小さく声を上げて

 「そういえば―――本当に何も思い出せないんですか?」
 「あぁ。
  さっき名前を思い出せて、『本当に記憶喪失なんだな』って自分で納得したぐらいだからな。
  …正直、思い出すことがなかったら、記憶喪失ってのは実感がさっぱり湧かん」
 「はぁ…そういうものですか」
 「そういうものらしいな。
  俺の場合、単語の意味やらなんやらを憶えているから心因性のものの可能性が高いらしいが…」
 「違うんですか?」

  小首を傾げる彼女に―――アキトは、皮肉気に口元を歪めると、

 「頭の中を弄繰り回された形跡もあったらしくて、な」
 「あ―――ご、ごめんなさい!」
 「謝らなくていいさ―――事実、なんだろうからな。
  …ともかく、そういうワケで、クノンも判断を付けかねているらしい。
  ―――客観的に見て、厄介な患者だろうな、俺は」
 「そんなことは…」

  ない、と言い切れず、口をもごもごさせるファリエル。
  彼はそれを、クツクツ、と人の悪い笑みを浮かべて見やる。
  と、彼はそこでふと思い出したように、

 「そういえば…」
 「?」
 「アンタがファリエル…ということは、ココまで運んでくれたのはアンタ、ということでいいのか?」
 「あ、ハイ、そうです。
  散歩していたら、偶然……あの時は驚きました」
 「そうか―――ありがとう」
 「どういたしまして」

  小さく頭を下げる彼に、同じように頭を下げ返す。
  なんとなくそれがおかしくて、互いに苦笑すると、

 「…それにしても、一人で俺を運んできたのか?」
 「はい、そうですけど?」
 「ほぅ―――意外に力持ちなんだな…」
 「…それ、女の子にはあんまり褒め言葉じゃないです」

  憮然として言うファリエルに。
  アキトはまたも人の悪い笑みを浮かべた―――























 「アルディラ様」

  アキトとファリエルがのんきなお喋りに興じている頃。
  先ほどと同じく、いつもの場所で仕事していたアルディラは。
  後ろからかけられた己の従者の声に、その手を止めた。

 「クノン?
  彼の検査は終わったの?」

  椅子を回し、声の主―――クノンへと向かい合えば。
  彼女はカルテと思しき書類を脇に抱えて立っていた。

 「はい。
  それで状況が進展しましたので、ご報告に参りました」
 「そう―――聞きましょう」

  頷き、腰を落ち着けて聞く体勢になる。
  クノンは書類に目を落すと、

 「まず、患者の名前が判明いたしました。
  アキト・テンカワ…恐らくはテンカワがこちらで言う姓にあたると思われます」
 「ふーん…アキト君…ね。
  それで?」

  興味深そうに、名前を口の中で反芻し、先を促す。
  クノンは頷き、

 「はい。
  こちらの所持物に手を触れたところ、彼の知人と思われる方の姿が脳裏をちらついたらしいのですが…。
  残念ながら、思い出すにはいたらなかったようです」
 「そう…これ?」

  言って、そばに置かれたケースから例の物を手に取る。
  こうやって手にとって見ても、さっぱり分からない―――つまり、

 「…オーバーテクノロジーの類ってやつね。
  利用法などは分かった?」
 「特定のコードを入れると、何がしかのフィールドを形成するようですが…それ以上のことは分かっていません」
 「フィールド?」
 「はい。
  計測値からして、召喚術らしい歪みの反応がありました。
  しかし―――」
 「…しかし?」
 「―――値そのものは召喚術と比べて微弱すぎますので、ただの偶然という可能性もあります」
 「なるほど」

  クノンの報告に難しい顔をして、その『フィールド発生装置』と呼ぶべきものをケースに戻す。

 「その他のものについては?」
 「こちらのカードは、やはりIDカードだったようです―――これに彼の名前が記されていたようですから。
  後のものにつきましては、アキト様に昨日同様発作が起きましたので、まだ未確認です」
 「そう。
  …その発作については?」
 「現在調査中ですが……おそらくは、ナノマシンの機能障害がピークに達した可能性が高いかと」
 「なるほど、ね」

  カルテに目を落し静かにデータを読み上げていく彼女に、アルディラはざっ とケースの中身を一瞥すると、

 「……それで、クノン」
 「はい」




 「―――『彼』が、『敵』である可能性は?」




  静かに。
  幾分か低い声音で、そう己の侍従に尋ねた。


  クノンは―――その問いに欠片も動揺したものを見せず、ただ淡々と、

 「その可能性は低いかと思われます」
 「何故?」
 「…彼が本当に『記憶喪失』だった場合。
  彼は『召喚』という、この世界における当たり前の単語についての認識を持っておりませんでした。
  彼のケース…心因性のものとした場合、『召喚』という言葉の意味を知っている可能性は本来、高いもののはずですから。
  『召喚』そのものが『要因』であった場合はそれが失われますが―――彼の淡白な反応からして、可能性は限りなく低いです」

  間を置かず問うアルディラに、即答するクノン。

  心因性に置ける記憶喪失は、簡潔かつ無理矢理にまとめて言えば。
  その『要因』がかけるストレスによって、一時的(あるいは恒久的)に脳の記憶野の活動を制限することである。
  特定事項に関する記憶を『引き出し』たりすることが出来ない症状が、記憶喪失という言葉で表されるのだ。

  つまりその特定事項を除けば、大抵の―――特に単語の意味など―――記憶、知識は失われずに使える…ことが多い。

  故に『召喚』の意味を知らなかった彼の場合―――

 「…それってつまり―――彼が―――」
 「はい…私は、彼が『名も無き世界』からの召喚獣であると判断いたします。
  持ち物からも、その可能性は高いです」
 「そう…」

  侍従の答えに。
  アルディラは、あごを手にやる仕草をとって考え込むと、

 「……その判断は後で……そうね、マスター達と下すことにするわ。
  それでクノン、貴方のいい振りだと、『記憶喪失』が演技の可能性があるようだけど?」
 「考慮には入れています…ですが、可能性は低いですね。
  というより、『記憶喪失』と振舞う必要がありませんから。
  ―――我々にも判別不可能な道具をあれだけ所持しているのなら、単純に『名も無き世界』からの召喚獣を振舞うはずです。
  彼が銃で撃たれていた意味もありません」
 「それもそうね…」
 「とはいえ、『彼』が『敵』で『記憶喪失』が演技である可能性はまだ0ではありません。
  ですので、可能性は低い、としか判断できません」
 「えぇ―――分かってるわ」

  釘を刺すように言うクノンに、彼女は頷く。


  ―――今、自分たちが置かれている状況は―――決して、良くなどないのだから。







 「…ま、今は彼のことに関しては現状維持、ということにしておきましょう。
  マスターにもそう伝えておくわ」
 「はい」

  アルディラの言葉に頷き、クノンはカルテとケースを手に取ると、

 「それでは、私はもうしばらくこちらのものについて調べてみます」
 「えぇ、お願いね……って、そういえばファリエルは?」
 「アキト様のお相手をお願いしてあります。
  自分が連れてきた方ですから、それなりに気にしておられたようですし」
 「なるほど、ファリエルらしいわね」

 「私がどうかしたの?」

  と。
  言葉半ばで、その当人が口を挟んでくる。

 「…ファリエル。
  何時の間に?」
 「ついさっきだけど…。
  なに話してたの?」
 「…例の彼の検査結果を、クノンに聞いてたのよ」
 「ふーん。
  ……あれ、なんで私が関わってくるの?」
 「さぁね?」
 「うっ、なんか嫌な笑い方…」
 「失礼ね…」

  軽く怯むファリエルにジト目を向ける。
  と、僅かに眉根を寄せたクノンが、すっ、と一歩出ると、

 「ところでファリエル様、なにか御用があったのでしょうか?
  まだアキト様の所に居るものと思っていましたが…」
 「あ、そーだったそーだった」

  その言葉で用件を思い出したのだろう。
  彼女は、ぽんっ、と手を打つと、

 「ね、ここって飲み物どこにあったっけ?」
 「飲み物、ですか?」
 「うん。
  アキトさんも私も、ちょっとのど渇いちゃってね」
 「それでしたら、私が後でお持ちしましょう」
 「いいの? ありがと」
 「それが私の役目ですから」
  クノンの申し出に、少し申し訳なさそうにうなずく彼女。
  …まぁ、当の看護士は無表情かつ素っ気なく返すワケだが。
  それを気にした様子も無く、ファリエルは、「よろしくね」 と笑って、部屋を出て行った。


 「…ふぅ」

  それを見送って。
  アルディラは、小さくため息をつく。
 「どうかなさいましたか?」
 「え?
  あぁ―――あの子は、なんの警戒もしていないみたいだから、ね……」

  言って、苦笑する。
  『彼』―――アキトを連れてきた時も軽く説教をしたが、アレはただのコミュニケーションでもなんでもない。
  簡単ではあるが、忠告なのだ。


  ―――その人の良さが、いずれ身を滅ぼす結果を招くやも知れぬ、ということの。


  クノンもそれを分かっているのだろう。
  無感動に、だがしっかりと頷きつつ、
 「……そうですね。
  ですが、それがファリエル様――――いえ、コープス兄妹の、良い所なのでしょう」
 「そうね…。
  裏の汚い部分は、私たちが請け負うとしましょう」
 「はい」

  ―――彼女らの故郷である『機界ロレイラル』は、機界大戦によって壊滅した世界だ。
  つまり――――壮絶な戦争を経験し、凄惨な人の醜さをいくつも垣間見てきた。

  戦乱の世とはいえ、均衡を保ち続けている『鬼界シルターン』や『霊界サプレス』とは、結局、違う。



  ―――『滅んだ』というコトは。


  ―――突きつけられ、与えられた、精神への苦痛という名の『地獄』というものは。



  だからこそ。
  自分達が護りたいとおもう者達にためにも、彼女らは『容赦』しないと決めている ――――。









 「…ま、それはそれ、これはこれで」

  ふぅっ、と軽く息をついて、アルディラが微妙に張り詰めていた空気を崩す。

 「とりあえず今は――――クノン、速く飲み物を持って行ってあげなさいな」
 「かしこまりました。
  それでは、失礼します」

  主人の言葉に、看護人形は一礼を残して退室していく。

  アルディラも椅子を機材の方へと回し、仕事に戻ろうと――――。



      こんこんっ

 「アルディラ、いるかな?」
 「マスター?
  どうかしました?」

  ノックして入ってきたのは、彼女と恋仲にして主のハイネル、そして――――


 「よう、邪魔するぜ」
 「ヤッファ…?
  珍しいわね、こっちに来るなんて」

  彼のもう一人の護衛獣――――つまりは同僚にあたる、メイトルパの獣人であるヤッファ。
  虎型の亜人たるフバース族で、呪いまじないも肉弾戦もこなせる、味方にいると心強い存 在である。

 「まぁ、な。
  面倒臭くはあるが、コイツに頼まれちゃな」

  ……まぁ、このとことん不精なトコは玉に瑕だと、心底思うが。

 「って、ヤッファも気になってたんでしょ?
  『先見』でも見えてたって言ってたじゃないか」
 「あ?
  んー……まぁ、そうだな」
 「何の話――――って、あぁ、アキト君のこと?」
「「アキト?」」

  アルディラの言葉にいっせいに首をかしげる二人。
  彼女は、ん? と同様に小首を傾げてみせ――――あぁ、と納得すると、

 「そういえば言ってませんでしたね。
  つい先ほどクノンから報告があったのですが、件の彼の名前が判明しましたので」
 「へぇ――――ってことは、記憶が戻ったの!?」
 「いえ、そこまではいかなかったらしいです……というより、クノンがそこまでで止めたようです。
  負担もかかっていたようですし」
 「そっか……」

  アルディラの説明に、一瞬残念そうな表情を見せるハイネル。
  ヤッファは――――あごを手でさすりながら、

 「んじゃ、もしかして俺は無駄足か?」
 「なんで――――って、あぁ、別に面会に関しては規制してないから大丈夫よ。
  現に今、ファリエルに話し相手になってもらっているし、ね」
 「ほぉ……嬢ちゃんがねぇ……春でも来たか?」
 「春って……会ったばかりなのに、それはいくらなんでも早すぎでしょう……」

  オヤジ臭い笑みを浮かべるヤッファに、苦笑するアルディラ。
  ハイネルはしばし考え込んだ後、ぼそり、と、

 「でも、アキト君は見た感じいい人そうだったから、僕としては義弟になるなら大歓迎だなぁ」
 「おいおい……お前が言うと洒落にならないぞ、ハイネル」
 「そうですよ、マスター……」

  彼の呟きに呆れる従者二人。
  主人であるハイネルは笑うと、

 「ま、その辺はファリエルと彼次第ってことで。
  じゃあ、今から会いに行っても大丈夫かな?」
 「えぇ。
  ――――では、案内します」
 「おぅ、頼むぜ」

  アルディラは作業をとりあえずキリのいいところで止め、椅子から立ち上がると、先導する形で部屋を出る。
  コツコツ、と靴音を響かせながら無機質な廊下を歩き――――


 「なぁ、アルディラ」
 「なに?」

  のんびりと歩いていたヤッファが、それなりに真剣な声色でアルディラへと声をかけた。
  彼女と話していたハイネルも、きょとん、とした表情で彼の方へと視線を向けている。

 「そのアキトっていう奴――――お前の眼から見て、どんなヤツなんだ?
  ……正直、コイツはお人よし過ぎて、あんまりアテにならねぇからな、お前の率直な意見を聞いときたい」

  コイツ、のとこで仮にも自分の主人であるハイネルをぞんざいに指差す。
  そんな仕草と言われ様にハイネルは苦笑、アルディラはこめかみに手をあてながらも、

 「そうね――――正直、まだ判断する要素が少なすぎるから何とも言えないわね。
  ただ、『記憶喪失』である点と、第一印象で言えば、『否悪人』ってとこかしら」
 「……『否悪人』……ねぇ」

  それは、悪人ではないが善人でもない、その逆もまた然り、という意味だ。

 「結局は、開けてみなくちゃ分からないってことだね」
 「……やれやれ」

  ハイネルが苦笑混じりにそう言い。
  ヤッファは、面倒臭そうにため息をついた。











 「……っと、着いたわよ」

  苦笑しながら二人の反応を伺っていたアルディラが、一つの扉を前にして立ち止まる。
  扉上方についているプレートには、ロレイラルで使われている文字で「メディカルルーム」と書かれている。



 「――――それで…………が――――
 「……ククッ……それは、随分と――――



  随分と楽しげに談笑している声が、扉越しに聞こえる。
  ハイネルは笑顔、ヤッファは僅かに目を丸くし、アルディラは――――防音性の低さに頭が痛くなってきたのか、難しい顔だ。

  だが、すぐに気を取り直し。
  コンコンッ、と軽いノックの後、ファリエルの元気の良い返事を貰って入室する。




  室内では、ベッドで上半身を起こしたアキト。
  備え付けの椅子に腰掛けたファリエルとクノン。

  三人が、それぞれに入室者であるアルディラ達へと視線を向けていた。


 「兄さんに義姉さ――――って、ヤッファさん?!」
 「なんでそんなに驚くんだよ……?」
 「ヤッファ様がここまで足を運んだのが初めてであれば、当然の反応かと思いますが」
 「言ってくれるねぇ……」
 「もうしわけありません」

  入室してきた一同のうち、機械的な設備で固められたココではちょっと浮いている人物に、ファリエルが目を丸くする。
  たまらずジト目になるヤッファだが、率直に返し、かつ棒読みで謝るクノンに、今度は苦笑。

  ……まぁ、否定できる要素が欠片もないせいなのだが。
  よっぽどの用が無い限り出向かないし、そもそもこれまでその『よっぽど』も無かったのだから。
  ……動いてしかるべき事態は、あったのだが。面倒臭がり、ここに極まれり。


 「……っと。
  そこの兄ちゃんが、件の『アキト』かい?」
 「――――あぁ、そうなるらしいな」

  ひとしきり苦笑して。
  とりあえず、用件である人物へと視線を移す。
  ベッドの上で病人用の貫頭衣を羽織った、顔の半分を覆うけったいな・・・・・バイザー をつけた男。

  …………一言で言うなら、『怪しい』。

 「……ファリエル」
 「なに?」
 「よく、拾ってくる気になったな」
 「は?」
 「クク――――確かに、な」
 「え? えええ?」

  ヤッファの呟きと、それを愉快そうな笑みで肯定するアキトに、目をしばたたかせるファリエル。

 「ってか、自覚してんなら、それ・・取ったらどうだ?」
 「あぁ――――すまないが、コレがないと見えず聴こえず、なんだ。
  悪いな」
 「そうなのか――――いや、俺の方こそ悪かった」

  理由に納得し、謝る。
  まさか、障害の持ち主とは思っていなかったらしい。

 「でも、今はもう見えてるんだよね?」
 「ん?
  そうだが――――あぁ、アンタは昨日、ココにいた人だな?」
 「うん。
  ハイネル=コープスっていいます。そこのファリエルの兄です、よろしく」
 「じゃあついでに私も。
  アルディラよ。
  この人の護衛獣をやってるわ、よろしくね」
 「あー、そういや俺も言ってなかったな。
  名前はヤッファ、見たとおりメイトルパの獣人で、アルディラと同じく、ハイネルの護衛獣やってる」
 「ふむ。
  テンカワ アキト……らしい。絶賛記憶喪失中で、正直何がなにやら分かっていないが……まぁ、よろしく」

  苦笑いとともに言う。
  そんな自己紹介に、一瞬三人揃って絶句するが、『そういう人となり』なのだろうと判断したヤッファは苦笑して、

 「……なるほどな。
  で、記憶喪失ってのはどんな気分なんだ?」
 「ヤッファ!?」
 「ん……まぁ、先も言ったが、分かることの方が少ない。
  そのくせ、こうして意思の疎通が出来たりと日常生活に必要な知識は不足していないから……何がなにやら、だ。
  正直、不思議な気分、としか言えないな」
 「なるほどねぇ…………なりたくねぇな、そりゃ」
 「俺もなりたくてなったわけじゃないんだがな……」
 「そりゃそうか、悪い悪い」

  言って、苦笑と人の悪い笑みを浮かべあう。

  だが、そのやりとりに納得がいかなかったのか。
  ファリエルは、ムスっとした表情でヤッファを睨むと、

 「ヤッファさん、言い方ってものがあると思うよ」
 「あぁ、気にするなファリエル。
  俺自身が自覚していることで、かつどうしようもないことだ。
  どう言われてもしょうがないさ」
 「アキトさん……」
 「それに――――」

  そこで彼は言葉を区切ると、


 「面倒臭がりでいつも寝てばっかの、デリカシーのないグータラなおっさんだって、お前も言ってただろう?
  予想の範囲内だ」


  言って、人の悪い笑みを浮かべた。

  ……。
  …………。
  ………………。

 「――――アキトさん、言っちゃダメだってばーーー!?」
 「クク、知らんな」
 「ほほぉ……ファリエル、お前、俺のことそーいう風に見ていたわけか……」
 「え、あ、ちょ……兄さん、アルディラさんっ?!」
 「アハハ……頑張って」
 「自業自得よ」
 「ヒドっ!?
  ク、クノン――――」
 「申し訳ありません、ファリエル様。
  私の思考ルーティンには、こういう際の対処法は登録されておりません」
 「そんなぁぁぁぁ!?」
 「クックック……さて、覚悟はいいな、ファリエル?」
 「良くないよーーーー!!」

  ボキボキ、と拳を鳴らすヤッファと、涙混じりに逃げ出すファリエル。
  やがて追いかけっこへ発展していくだろう二人を生暖かい目で見ていたアルディラは、あぁ、と納得した声をあげ、

 「なるほど。
  私達が入ってくる前に随分楽しそうに話していたのは、コレなのかしら?」
 「……外まで聞こえていたのか?
  まぁ――――そんなとこだな」

  頷いて――――しかし、人の悪い笑みを崩さないアキト。
  アルディラとハイネルは、それぞれに眉をひそめ――――

 「もしかして……」
 「僕達のことも……何か?」
 「あぁ。
  ……いや、中々に、ククッ」
「「何を聞いたんだい(のよ)」」
 「さて、それは言っていた本人の口から聞いてくれ」

  言って、人の悪い笑みをさらに深めて、肩を震わせる。
  そんな反応に二人は憮然となるが――――既にヤッファによって 粛 清 コメカミにウメボシさ れているのを見て、まぁいいか、な表情になる。

 「と。
  ……一つ聞きたいんだが、いいか?」
 「あら、何かしら?」

  ふと、何かを思いついたようなアキトに、首をかしげる二人。
  彼は、いや、と少しだけ口ごもってから、

 「護衛獣……とは、なんだ?
  差し支えなければ、教えてもらえるとありがたいんだが」
 「……あぁ、そうね。
  ――――この世界のこととか、さっぱりだろうし……ついでだから、まとめて教えてあげるわ」
 「……『この世界』?」

  いぶかしげな表情になる彼に、アルディラは苦笑して、

 「ファリエルから、何も聞いてない?
  リィンバウムのこととか……」
 「……すまん、さっぱりだが……りぃんばうむ? 何かの食材か?」
 「食べられたら困るわね、さすがに……」
 「アハハハハ」

  アキトの言葉に、苦笑を浮かべるアルディラ。
  ハイネルも笑うと、

 「アハハ……リィンバウムって言うのは、この世界の名前だよ」
 「……世界の――――名前?」

  バイザー奥の瞳を丸くするアキトに。
  彼は頷いて、

 「そう、『聖地』リィンバウム。
  霊界サプレス、機界ロレイラル、幻獣界メイトルパ、鬼妖界シルターンの四つの世界より零れた魂の集う場所さ」


























  ――――リィンバウム。
  俗に『聖地』と呼ばれるそこは、四つの異界にとりまかれた世界。
  曰く、“選ばれた高潔な魂の集う楽園”。
  曰く、“転生の価値を失った魂のさまよう場所”。

  本来なら、四つの世界――――機界、鬼妖界、霊界、幻獣界を魂は輪廻するのだが、そこから零れた魂が集う世界。


  この世界では召喚術というものが盛んで、周囲をとりまく四つの世界のモノたちを『喚ぶ』技術で発展してきた。
  召喚術とは、千年前以上前の戦乱を収めた人物が、エルゴという世界意思のような存在から得た送還術を応用した技術。
  これを用いることで、人は四つの世界のモノ達を従える――――。


  ちなみに四つの世界、霊界、機界、鬼妖界、幻獣界は、それぞれ名前の通りの世界。
  機界は機械で埋め尽くされた、『機界大戦』というものによって滅びた世界。
  霊界は精神生命体である天使や悪魔、幽霊などの住む世界。
  鬼妖界とは、妖怪、龍や巫女など、人間に似た種族が住む世界。
  そして最後の幻獣界は、自然に満ち溢れた、獣人や動物達の住む世界である。

  それぞれに文明が違っており、綺麗に住み分けがなされている。



  以上、説明終了――――。







 「っていう感じかな」
 「………………」

  ハイネルの説明を聞き終えたアキトは――――どこか、胡乱な目で宙を見やっていた。
  そんな彼に、ファリエル――――どうやら、ヤッファの仕置きは終わったらしい――――は、おそるおそる、

 「……だ、大丈夫、アキトさん?」
 「あ、あぁ……大丈夫だ。
  大体は分かった……理解できたかと言われたら、正直怪しいが」
 「ダメじゃない、それじゃ……」
 「ア、アハハハハ……」

  アキトの弱々しい呟きにジト目を向けるアルディラと、彼の気持ちが分かるのか乾いた笑みを浮かべるファリエル。
  ハイネルはそんな様子に苦笑しながら言葉を続け、

 「で、アルディラとクノンは機界、ヤッファは幻獣界の召喚獣なんだ」
 「……そうなのか。
  ヤッファは分るが、アルディラは分からんな……フラーゼン、だったか? アルディラもそれなのか?」
 「いえ、私は融機人ベイガーよ。
  ……ま、分かりやすく言えば、機械で強化された人よ」
 「ふむ……見た目では分からんが、まぁ理解はできた」
 「安心しろ、付き合いの長い俺も、一目では分からん」

  本当に理解できたのか疑わしい眉間への皺のよりっぷりを見せるアキトに笑って言うヤッファ。
  そんな二人にアルディラは苦笑しながら――――スッ、と目を細めて、

 「……それにしても、やっぱりリィンバウムや、召喚術、それに他の四世界について、さっぱり分からないのね?」
 「ん? あぁ……そうだが……?」
 「そう……」

  彼女は彼の返答に頷くと――――視線をハイネルの方へ向けて、

 「マスター。
  やはり私とクノンは、彼が『名も無き世界』からの召喚獣であると判断いたしますが」
 「……うん、どうやらそうみたいだね」
 「へ?!
  ど、どういうこと? アキトさんが……?」
 「……?」

  いぶかしげな視線をいくつか向けられて。
  ハイネルは口を開くと、

 「『召喚』のことが分からないってことは、『召喚』が一般的ではない世界から来たってこと。
  それなら、あてはまるのは『名も無き世界』しか当てはまらないんだ」
 「え、でも……アキトさん、記憶喪失だよね? 分からなくても当然なんじゃ……」
 「基本的な単語の意味を理解している『心因性』と目される彼の場合、『知識』は別に変化していないはずなのよ。
  ……例えばアキト君、拳銃って分かる?」
 「火薬で弾丸を飛ばす殺傷兵器。
  ……なるほど、俺が知らない単語は、元々知らなかったってことか」
 「そういうこと」

  アルディラの説明に納得するアキト。
  ……例えが物騒なのは、二人の性格ゆえ……かもしれない。

 「それで――――名も無き世界とは?
  それについての説明を受けた覚えは無いが」
 「あぁ――――そうだったわね」

  アルディラは苦笑し、頷くと、

 「名も無き世界については、詳しいことは分かっていないの。
  極稀に四つの世界以外から召喚されてくるものがあって、そういったものがいた世界をひっくるめてそう呼んでるわ」
 「ふむ……つまり、何の情報も無いに等しい、と?」
 「そうなるわね――――ごめんなさいね、記憶の手がかりになったかもしれないのに」
 「……無いものねだりをしたってどうしようもない、気にしないでくれ」

  すまなさそうな表情を見せるアルディラとハイネルに、肩をすくめて見せ、そこでふと気になったのか、小首を傾げると、

 「……ん?
  一つ聞いていいか?」
 「どうぞ?」
 「……俺が召喚された……えっと、召喚獣っていうのになるのなら……。
  俺を召喚したのは一体誰なんだ・・・・・・・・・・・・・・?」



  ――――。

  その言葉に。
  彼を除く全員が、固まった。
  一同の反応に彼も眉をひそめると、

 「……おい?」
 「――――それについては、また後日に説明するわ。
  口で説明するよりも、実際に見てもらった方が早いし……私達の現状の説明もしなくちゃならないし、ね」
 「?
  ……まぁ、気になっただけだから、別にいいんだが」

  アルディラの言葉に眉をひそめるも。
  教えてもらえないのならしょうがない、といった口調で、肩を竦めた。


 (――――私達の現状?
  ……よく分からんが、厄介な状態らしいな……やれやれ)

  内心では、自分の状況と、それを保護してくれている者達の状況、それぞれが悪いらしいことに、ため息をついていたが。



  そんな彼に。
  ファリエルは、なんともいい難い視線を向けていた――――。


























       翌日

  昨日は、その後二、三の会話を経てお開きとなり。


  今日も今日とて、朝が来た。

  そして――――



 「義姉さん、おはよー」

  昨日同様、日がそれなりに昇った時分。
  ラトリクスのセントラルルームに、ファリエルの元気な声が響いた。

  今日も今日とてパネルをカタカタと操作していたアルディラは、振り返りもせずに、

 「あら、ファリエル……今日も?
  そろそろ、フレイズに嫌味を言われてるんじゃないかしら?」
 「アハハハ……昨日帰ったらめちゃくちゃ言われました……」
 「あらあら」

  言って、互いに口うるさい男の天使を思い浮かべ、苦笑しあう。

 「で、アキトさんは?」
 「昨日と同じ部屋で、『彼』の持ち物についてクノンと話してるはずよ」
 「分かったー」

  言って、パタパタ、と手を振って走り出す彼女に。
  義姉は苦笑を浮かべるしかなかった。









  昨日歩いたのと同じ道を進み、メディカルルームへと向かう。
  ともすれば迷いそうな道も――――何故か今日に限っては、特に戸惑うことなく歩ける。

 「……昨日で覚えられたのかな?」

  ポツリ、とそんなことを呟き、そりゃ連日で通えば覚えるか、と苦笑する。
  今日で三日連続なのだ。
  自分が担ぎ込んだ、自分達の理解の範疇外の状態でさらに『記憶喪失』という男性。
  そりゃ経過も気になるか。なにしろ『あの』ハイネルの妹なのだし、自分は。

 「ハハッ」

  自分で自分の思考の帰結に苦笑しながら歩いていると、ふと見覚えのある――――つまりは目的地についた。
  ……危うく通り過ぎるところだったが。
  少しばかり恥ずかしくて――――誰も居ないことは承知しているが――――それでも左右を確認し。
  扉をノックし、クノンの返事を貰った後に中に入る。

 (……そういえば、昨日も私かクノンが返事して、結局アキトさんが返事したことってないなぁ……)

  一応、部屋の主、ということになるのだろうが……全く、おかしいというか、なんというか。


 「……入ってきて早々、何を笑っているんだ、お前は?」
 「へ?」

  声をかけられ、意識を戻してみれば。
  入り口で突っ立っている彼女に対して、クノンとアキトの呆れような視線が向けられていた。

 「ア、アハハハハ……なんでもないで〜す」

  とりあえず、笑ってごまかす。
  アキトはしばし呆れたようななんとも言いがたい視線を向けていたが――――ため息をつくと、クノンの方へ視線を向け、

 「……まぁ、別にいいが。
  それよりクノン、これで俺の持ち物は全部だったのか?」

  と、昨日も見せられていたボックスの中身を指差す。

 「はい。
  後はアキト様がここに運び込まれた際に着ていた衣服ぐらいです。
  ……もっとも、血がこびりついてしまっているので、もう一度着るのは諦めた方がよいと思いますが」
 「ふむ……。
  まぁ、見ないよりはマシだと思うから、そっちも後で持ってきてくれ。
  手間をかけて済まないが、な」
 「かしこまりました」

  そう言って恭しく頭を下げるクノン。
  彼はそんな彼女に苦笑しまたまま、

 「それと、その箱の中身、置いていってもらっていいか?」
 「……所持していて記憶が戻る可能性もある、とお考えで?」
 「あぁ……まぁ、困るものもあるとは思うが」
 「……そうですね、これらの物以外なら、かまいません」

  そう言って、クノンが箱の中身から取り出したのは――――

 「って、拳銃?!」

  そう、拳銃だ。
  後、腕時計のような用途不明のものも手に取っている。

 「はい。
  我々の知らぬ形式のもので、ナンバリングもないので詳細は不明です。
  ただ、装填されていた弾丸から.357サイズのものを使用すると判明。こちらで使用している弾丸でも併用は可能と思われます。
  こちらでの計測値になりますが、重量は――――」
 「……いや、そういうことは専門外だからいいんだけど……」

  律儀なクノンの説明に苦笑するファリエル。
  彼女の得物は大剣と、召喚術を少々。銃については完全な素人だ。説明されてもお経にしか聞こえない。

  素直に説明を中断をしたクノンに苦笑を深めながら、彼女の持っているもう一つのモノの方へと目線を移す。

 「それより……そっちのは?」
 「こちらですか……使われている周波数は未知のものでしたが、おそらく通信機内蔵型の時計と思われます」
 「そ、そんな小さいのが?」
 「はい」

  無感動に頷く彼女に目をしばたたかせる。
  彼女の知っている『通信機』と言えば、手のひらに収まるものではない。もっと大きくて扱い難そうなものだ。
  というか、あっても壊す自信しかない。

 「昨日のプレートといい、私にはさっぱり分からないなぁ……」
 「……いや、アンタに分かられると、持ち主のクセに分かってない俺の立つ瀬がなくなるんだがな」

  ファリエルの呟きに苦笑の色を混じらせて言うアキト。
  彼女もつられて、アハハ、と笑った後――――ふと眉をひそめて、

 「……もしかして、ダメだったんですか?」
 「ん?
  ――――あぁ、これらのものに関しては、特に記憶は戻らなかったな……フラッシュバックもなかったし」
 「そうですか……」
 「……なんでアンタがそんなに落ち込むのか分からんが……まぁ、気にするな」
 「はい……」

  本来慰められる側のアキトの慰めに、ファリエルは頷き、微笑んでみせる。
  彼も苦笑を返してから、視線をクノンに向け、

 「ま、了解だ、クノン。残りは置いていってくれ」
 「はい。
  それでは、衣服の方を取ってまいります」
 「頼む」

  アキトの言葉にもう一度頭を下げてから、クノンはよどみない動作で退室していった。









  それを見送って。
  アキトは視線をファリエルに向けると、

 「で……アンタは何しに?」
 「え? えーっと……いや、別段用はないんですけど……」
 「は?
  あぁ……なるほど、暇なのか?」
 「はうっ!?」

  きっぱりはっきり言われて、よろめき、後退る彼女。
  ――――そりゃあ確かに、彼女はハイネルと違って皆を統括する立場でもない。
  ヤッファやリクト、そしてアルディラとも違って別に島の皆を指揮しているワケでもない。
  っていうか、確かに仕事があったとしてもフレイズに丸投げしてるかもしれない。

  ………………否定できる要素がないような…………いや、そんなことはない、ハズだ。


 「そ、そ、そ――――そんなことないですよ?!」
 「……悪かった。図星突いたのは謝るから、そんなに興奮するな」
 「だーかーらー!」
 「はいはい、いいからそこの椅子にでも座ったらどうだ?」
 「〜〜〜……」

  拗ねたように頬を膨らませながらも、言われたとおりに椅子に座る。
  そんな彼女を、ニヤニヤ、と人の悪い笑みで見やるアキト。
  ファリエルはジト目になると、

 「……アキトさんって、随分といぢわるなんですね……」
 「ん? ……ふむ、どうやらそういう性格らしいな。いや、新しい発見だ」
 「……」

  飄々とかわしてみせる彼に、ムスッっとした視線を向ける。
  それを受け、やれやれ、と肩をすくめると、

 「……だが、本当に大丈夫なのか?
  見舞いに来てもらっている俺が言うのもなんだが」
 「はい?
  あぁ……気にしないでください。なんていうか、私がアキトさんの経過が気になってるだけですから。
  ……拾ってきたのは、私ですし、ね」

  そう言って微笑んで見せ――――あっ、と何かに気づいたような表情になると、

 「えっと……もし邪魔になってるんだったら、言ってくださいね?」
 「あ?
  邪魔ってな……昨日も言ったと思うが、俺はここではただ寝ているだけの暇人だ。
  暇つぶしになる相手に邪魔だとは言わんぞ」
 「そ、そうですか……」

  一瞬浮かんだ疑念もすぐに払われ、安心の吐息を漏らす。
  ……といっても、喜んでいいのか微妙な言われ方だったのが複雑だが。

 「でも、暇って……昨日私が帰った後はどうしてたんですか?」
 「寝ていたが」
 「ね、寝て…………ク、クノンとかとは話したりは……?」
 「食事を持ってきてくれたときには二、三の会話はしたがな……それだけだ。
  情緒はあるのだろうが、それが未発達なのか知らんが……『意味』のない会話は成り立たんな」
 「……アハハ」

  言われて――――確かに、と納得してしまう自分もいる。
  クノンは、決して悪い娘ではないのだが――――必要最低限の会話しか交わそうとはしない。
  まるで、『人形』としての役割のみ果たそうとしているかのようにもとれる。
  義姉の話では、ちゃんと感情系統の機構はあるらしいのだが……。

 「そうですか……」
 「あぁ。正直、暇過ぎるな……体でも動かせればいいんだが」
 「しょうがないじゃないですか……アキトさん、体とか結構ボロボロなんでしょ?」
 「……らしいが、実感がないんだ、こっちは」

  言って、ため息をつく。
  ファリエルはそんな彼の言葉に、きょとん、とした表情になると、

 「え? 体とか痛まないんですか?」
 「全く……一応聞くが、病人や怪我人に見えるか?」
 「そりゃ――――」

  見える、と答えようとして、しかし、平然とこうして言葉を交わし、包帯やギブスをしているワケでもない彼に言えなくなる。
  ――――クノンからの説明では、酷い状態である、ということしか理解できていないせいなのだが。
  だから正直、ただぱっと見ただけでは――――

 「……病人服着てなかったら、ちょっと……」
 「だろう?」

  窺うように答えた彼女に、アキトは肩をすくめる。
  事実、彼の方も同じらしい。


  一種、なんとも言いがたい空気が室内に満ち――――





       こんこんっ

  まるでタイミングを計っていたかのように、ノックが響いた。

 「あ、いいですよね?」
 「あぁ」
 「どうぞー!」

  アキトが何も言わないので、一応伺いを立てておいてから、ノックに応える。
  一瞬の間を置いて、ドアが開かれると、そこには予想通りクノンが立っており、

 「失礼します。
  件の衣服をお持ちしました」

  そう言って、一礼して見せた。

 「あぁ、すまない」
 「いえ……どうぞ」

  よどみの無い動作で衣服を渡すクノン。
  アキトは――――何故か、そんな彼女に苦笑しつつ服を受け取り、広げる。

 「黒のズボンに……上着、それとYシャツ……ね。
  喪服……いや、礼服か?」
 「ふぇ? 礼服……ですか?」
 「ん?」

  驚いたような声をあげたファリエルに視線を向ける。
  彼女は、あ、いや……と少し口ごもると、

 「そういう礼服って……こっちじゃ珍しいですし」
 「……おそらく、アキト様の世界での『礼服』、ということなのでしょう。
  基本的にこちらの世界では、召喚士や騎士は正装等の方が一般的ですから。
  ……まぁ、アキト様が貴族や執事だった、というのならば、さほど差は無いのでしょうが」
 「……俺が、そんな偉い『貴族様』や執事なんぞに見えるか?」
 「いいえ」
 「ちょっと見えませんね……」
 「…………自分でもそうだとは思うが、だからって素直に頷くか、お前ら……」

  二人の反応にちょっと泣きそうになりながらも、視線を『礼服』に戻す。

 「ふむ……」
 「どうですか?」
 「ん? ……特段、感じるものは無いな」
 「そうですか……」

  残念そうにするファリエルに苦笑を浮かべる。
  そして服をクノンに手渡すと、

 「で。
  手がかりはこれで全部、か?」
 「はい」
 「そうか……」

  アキトは、ふむ、とあごに手をやる考え込む仕草をとる。
  そのまましばし、虚空に視線をやり――――やがて、ぽつり、と、


 「……暇になったな」


 「は?」
 「だから……記憶も戻らないし、そのための手がかりもない。
  暇だ」
 「はぁ……」

  ハッキリと言い切るアキトに、どこか間の抜けたような表情のクノン。
  ファリエルは、そんな彼をしばし呆然と見つめていたが――――やがて笑い出すと、

 「アハハハハ……それじゃあアキトさん、散歩にでも行きませんか?」
 「ふむ……確かに、いつまでもココにいるのも飽きてきたしな……。
  いいか、クノン?」

  アキトに尋ねられ。
  彼女は、しばし瞑目し――――ゆっくりと、無感動ながらも『何か』を感じさせる目で彼を見つめると、

 「……傷は、もう痛みませんか?」
 「あぁ」
 「――――では、歩けるのですか?」
 「? 多分大丈夫だと思うが……」
 「そうですか……」

  小さく吐息を漏らし。
  クノンは頷いて、

 「分かりました。
  但し、あまり遠くへは行かず、ラトリクス内のみでお願いします」
 「分かった……まぁ、その『らとりくす』? とやらはよく分からんから、ファリエルに任せるが」
 「はい、まかせてくださいっ!」

  ぐっ、と握りこぶしを作って微笑む彼女に。
  彼は苦笑し――――クノンに手を差し出す。

 「……?」
 「服だ、服。
  この格好で外を歩くものどうかと思うし、それを返してくれ」
 「……しかし、血で汚れていますが……」
 「ひどいのはシャツだけだろう? 上着の汚れはたいしたこと無かったし、かまわんさ」
 「…………分かりました」

  不精々々、というのが丸分かりの動きで衣服を手渡すクノン。
  彼はそんな仕草に苦笑を浮かべつつ受け取り――――笑顔のファリエルを見やる。

 「? なんですか?」
 「――――男のストリップショー、見たいのか?」

  見つめられ、小首をかしげたファリエルに。
  その答えとともに衣服を掲げて。
  彼女は、「すみません!」と大慌てで部屋を出て行こうとして――――

 「手伝います」
 「いや、一人で大丈夫だから」
 「ですが――――」
 「いらないって言ってるんだから、クノンもくるの!!!」

  なにやら不埒なことを抜かした看護医療用機械人形フラーゼンをひっ捕まえ、今度こそ外 に出た。


























 「はぁ、はぁ……」
 「……ファリエル様、腕が痛いのですが……」
 「あ、ごめんごめん」

  彼女のちょっとだけ厳しい声に、慌てて握りっぱなしだった手を離す。

 「いきなりどうなされたのですか?」
 「いや、それはむしろ私が言いたいんだけど……。
  ……まぁ、うん、クノンのことだから、言葉以上の意味はなかったんだろうけどね、うん」
 「?」

  無感動ながらも疑問の色を見せるクノンに苦笑する。
  まぁ実際、今の反応は自分が過剰だったと思う。

  ……どうせ初心うぶですよ、とちょっぴり泣きそうになる。

  そんな彼女を尻目にクノンは、ふむ、と小さく呟くと、


 「――――まぁ、ファリエル様がアキト様と散歩へ出かける前に二人になれたのは都合が良いのですが」


 「へ?」

  意識が別の方へ飛びかけていたところの、クノンの唐突な言葉に。
  ファリエルは間の抜けた声をあげ、彼女の方を向く。

  そんなファリエルに、クノンは――――真剣なまなざしを向ける。
  その視線に眉をひそめながら、

 「都合がいいって……どういうこと?」
 「ファリエル様」
 「な、なにクノン……あ、私、女同士の恋愛についてはなんというかちょっと?!」
 「……何を言っているのか分かりませんが、違います。
  アキト様のことです」
 「え、アキトさんのこと?」
 「はい」

  なにやら動揺しているっぽいファリエルを無視し、彼女は淡々と、

 「アキト様の体がボロボロである――――ということは、既に説明しましたね?」
 「あ――――うん」

  クノンの言葉に、神妙に頷く。
  詳しいことは理解できていないが――――クノンがそう・・言う以上、間違いないとは分 かる。

 「本来なら、正気を失ってもおかしくないのです――――『感覚障害』というものは」
 「……え?」
 「感じられるはずのものが感じられないという『欠落感』。
  補正できても所詮は擬似的であるが故の『違和感』。
  この二つに悩まされ、自分の世界に疑いを持ち、自己不信、果ては世界不信にまで陥る可能性もある。
  データにある表現を当て嵌めるなら、『全てが嘘っぽく感じられる』のです」
 「…………は?」

  一瞬、耳を疑う。

  ボロボロだと聞いて、そんな悲惨な説明を聞いて――――しかし、彼女の中の『彼』とそれが一致しないが故に。


 「……そう。それがアキト様の『怖い』ところです」
 「こわ……い?」

  ファリエルの心を読んだかのような肯定と言葉に、眉をひそめる。
  『強い』ではなく――――『怖い』?

 「アキト様は、平然となさっています。
  銃創に関する反応から、触覚は辛うじて残っておられるようですが……。
  視覚、聴覚、そして味覚と嗅覚に関してはかなりの進行度で『死んで』います。
  ――――ですが」

  そこで彼女は、一度言葉を切ると――――ファリエルの始めて見る、まるで『怯えたような表情』をして、

 「―――― 一昨日、そして昨日と今朝。
  あの方は、補助機であるバイザー一つで現状を認識し、納得できている・・・・・・・
  後天的な『操作』によって障害を起こしていることは確認しましたから……『嘘っぽさ』を感じないはずはないのに、です。
  そしてさらには、平然と・・・食事をなさった・・・・・・・
  口に含んだもの全て、まるで出来の悪いプラスチックのようにしか感じられないのに。
  僅かな、ほんの僅かなゆらぎ・・・を見せたのみで、後は普通に咀嚼し・・・・・・当 たり前のように飲み干した・・・・・・・・・・・・・
  普通なら――――拒食症、摂食障害などといったものになっても、おかしくないというのに」
 「――――」

  絶句する。
  彼女の言葉と、表情に。



  そうか――――だから、『怖い』のか。
  彼女のデータと、まるで一致しない相手の反応が。
  人間の反応とは思えない、ある種の理解の範疇外の行動が。


  ……あぁ、確かにそうだろう。
  普通の人間であるファリエルには、確かにそんなことはできない。
  まず――――彼女なら、耐えられていない。
  クノンの言う、正常な障害・・・・・を起こしてしまっているはずだ。

  ……それは、確かに、『怖い』。




 「ですから――――『怖く』て、『危険』なのです、あの方は。
  それを平然と受け止めているあの方は――――己の身体に執着していないか、慣れきっているかのどちらかです。
  そして――――それは、とてもとても・・・・・・危険・・』 なのです」
 「…………」
 「己の体に執着しない――――それは、いつ死んでも気にしない・・・・・・・・・・・と いうこと。
  慣れきっている――――それは、当たり前すぎて・・・・・・・、『命取り・・・』 を見逃しうる・・・・・ということ」
 「それ……って……」

  ファリエルの脳裏に走った、嫌な想像を。
  クノンも予想したのだろう――――頷き、

 「そうです――――自身を軽んじるが故におそろしく死にやすい・・・・・
 「――――」

  言葉も――――無い。
  普通は怪我をすれば、その怪我を庇うように生活する。
  だが――――彼は、そういうことをしない、と言っているのだ。


  それらを理解した頃には。
  ファリエルは――――血の気が引いていくのを、はっきりと自覚した。

 「……私、もしかして……余計なこと――――」
 「いえ。
  実際に歩けるようでしたら、多少の運動にまで目くじらをたてることはありません。
  むしろ必要な部類でしょう。
  ……けれども、もし少しでも度が過ぎたら、バランスは崩れうる。
  ですから――――」

  そこで、クノンは言葉を切ると。
  ファリエルの目を、真正面から見て、


 「――――ファリエル様、しっかりと彼を『監視』なさってください。
  そして何か異変を感じたら、すぐに彼を連れて戻ってください」


  そう懇願する彼女に。
  彼女は、


 「うん、任せて!」


  そう、しっかりと頷いた。










  同時に。

 「――――何やってるんだ、二人とも?」
 「わっ!?」

  ドアが開き、当の本人が出てきた。
  用事は終えたらしく――――服装も入院者用の濃い緑の貫頭衣ではなく、白のシャツに黒い上下という姿で。

 「……アキト様。
  着替え、終えられたのですか」
 「あぁ。
  ……いや、思ったより血がついているのが気持ち悪くて、手間取った」
 「だから手伝いましょうかと言ったのですが……」
 「いや、まぁ……さすがに女性に着替えを堂々と見られるのはな……そういう羞恥心ぐらいあるし……」

  軽く目を泳がせてながら呟くように答えたアキトに。
  クノンは無感動に彼を見上げながら、

 「……既に、検査のときに嫌というほど見ているのですが」
「「っっっ!?」」

  なんかとんでもないことを言ったような気がするクノンに、二人が同時に視線を彼女へと向ける。
  が、当の彼女は、「何か?」と言いたげな表情で平然とその視線を受け止める。

 「さ、さすが俺にとっては未知でしかない看護医療用機械人形フラーゼンと言うべきなのか な……それとも単純に天然なだけか?」
 「一体何が『さすが』なのか不明です。後、私は人工物なので天然ではありません」
 「あ、あはは……」

  羞恥心というものを欠片も見せない看護士の鏡のような相手に。
  どこか呆れたような口調で呟くアキトと、乾いた笑みを浮かべるファリエルだった。


























  ――――そのまま、クノンに見送られて。

  アキトとファリエルは、ラトリクスの外部へと足を運んでいた。

 「しかし――――」
 「?」

  ラトリクスの中央塔の周囲。
  言うなれば、つい先刻まで彼らがいた建物の近くを歩いていたのだが。
  アキトは、なんとも微妙な表情で――――

 「…………なんというか、表現に困る場所だな、このラトリクスという所は……」
 「ア、アハハハ……」

  そう言って足を止め、周囲を見回した彼に。
  ファリエルは、引きつった笑みを浮かべることしか出来なかった。


  無骨で大きいだけの建物と、廃棄処理の鉄くず。
  そして、その間を駆け回るよく分からない機械達――――召喚獣、と思しきもの達。

  ぎゅぃぃぃぃんっ! だとか、ガガガガガガッッ! だとか、何かの作業音だけが響く、なんとも殺風景な景色だ。
  というか、散歩していい場所なのだろうか、ここ。



 「……なぁ、ファリエル」
 「はい?」
 「あの機械どもは……何をしているんだ?」
 「あぁ、前回の――――っ。
  えっと、壊れた部分を修復しているんですよ」
 「……なるほど」

  何かを言いかけた彼女に片眉を跳ね上げながらも、結局触れずに歩き始める彼。
  ネジ等が転がっている道に呆れながらも、のんびりとした歩みで進む。
  ファリエルはその少し後ろを、少しだけ真剣な面持ちで続く。

  ――――クノンから言われたことを、彼女なりに肝に銘じているのだ。

 (……けど)

  そっと、彼の横顔を覗く。

 (……やっぱり、そういう風には見えないよね……)

  足取りはしっかりしており、視線も何を見ているのか分かるものだ。
  ゆらぎ・・・もなく、とても障害持ちには見えない。


 「……すまんな、退屈か?」
 「え? そんなことないですけど……?」
 「なにやら視線がこっちに向いている気がしたんで、てっきりそうかと思ったが……違ったか」
 「ア、アハハハハハ……」

  無理矢理に作った笑みを浮かべてごまかす。
  ……というか、彼女の方に視線を一度も向けていないのに気づくとは……鋭すぎないか、ちょっと。


 「……ふむ」

  と、彼がふと空を見上げ、目を細める。

 「どうしました?」
 「ん?
  いや――――空が、な」
 「空、ですか?」

  つられて、見上げる。

  ――――この島の空は、今日も変わらず、青く澄み渡っている。
  大小の雲がいくつか視界の隅を流れていく。
  見上げる顔にそよぐ風は……ちょっとオイルの匂いが混じっていて、アレだが。

 「……いい天気ですねー、今日も空が青いです」
 「そうだな。
  ――――ククッ」
 「……い、いきなりどーしました?」

  唐突に肩を震わせた彼に、ちょっぴり及び腰になるファリエル。
  彼は、あぁ、と彼女の方に視線を戻すと、

 「なに――――今俺が見ている空は、確かに擬似的なものだろうが、それでも青い・・・・・・

 「……え?」
 「嘘も違和感もない。
  それは、確かに青く、どんな場所でも見せる色は変わらないからな」
 「…………」

  目を丸くする彼女に彼は、ニヤリ、と人の悪い笑みを浮かべる。

 「……聞いて……いたんですか?」
 「いくら着替えに手間取っていたからといって、あんな長時間かかる訳がないだろう。
  大体、昨日も俺とお前の会話が外に聞こえていたんだから――――逆もあるかもしれないと、考えなかったか?
  ……人が良すぎるよ、お前達は」

  言って、人の悪い笑みを苦笑に変え、また前を向いて歩き始め……と、

 「どうした?
  俺を『監視』するんじゃなかったのか?」

  振り返りもせず――――しかし、どこかいつもの笑みが篭った声に。
  ファリエルは、しばし呆然としていたが――――慌てて後を追って歩き始める。

 「え、えっと……あの」
 「気にするな。
  クノンの言い方だと、まるで俺が目を離すと直ぐにでも死んでしまうような言い方だったが……。
  さすがに何も分からないままに死ぬのはゴメンだ。
  そんなに気を張らないでくれ」
 「は、はい」

  何かを言う前に、言われて。
  少し驚きながらも、そのまま彼の後ろを歩く。


  そんなに広くない道を、ゆっくりと。
  まるで前の彼は、今の微妙な空気を楽しむかのように。
  一定の歩調ペースで、とことこと。

  鉄や鋼で溢れていた景色が、だんだんと緑に取って代わられ――――


 「って、どこまで行く気ですか?」

  いつの間にか聞こえていた機械たちの作業音がだいぶ小さくなっている。
  ……かなりの外れに来たというか、ここをまだラトリクス集落内と言うには厳しすぎるような……。

 「ん? あぁ、お前が止めないから行けるとこまで行くつもりだったんだが」
 「あうっ」

  さらっと言われ、お目付け役が呻く。
  彼は、ククッ、と笑うと、

 「まぁ、いいじゃないか」
 「良くないです……クノンに怒られますよ?」
 「……たった三日の付き合いなのに何故か簡単に情景が浮かぶ辺り、ヤツのキャラの濃さが窺えるな……」

  呟くアキト。
  だが、おそらく彼女はこう言い返すだろう、「濃いのは貴方です」と。
  もしくは「私の皮膚膜は一般に色白に分類されると思われますが」とボケるだろうか。

  ……そこを読みきれない程度には、付き合いが浅いのだろう、きっと。


 「そもそも、俺が散歩に頷いたのは、一つ行ってみたいところがあるからなんだ」
 「え、どこです?」
 「――――『喚起の門』」
 「……なるほど」

  彼の言葉に、納得する。
  つまりは――――

 「自分が発見された場所を見ておきたい、ってことですか?」
 「あぁ。
  ……ダメか?」
 「うーん……」

  問われて。
  彼女は腕を組み、考え込む。

  普通に考えれば、否、だ。
  クノンにも頼まれたことなのだから、言われたとおりラトリクス内だけで――――

 「先にも言ったが、俺は別に死に急ぐつもりはないぞ。
  不調を感じたらすぐに言う」

  ………………。

  しばし、沈黙が落ちて。
  ――――ファリエルは、しょうがないなぁ、という表情を、手で顔を覆う動作で隠しながら、

 「……はぁー。
  クノンに怒られるときはちゃんと庇ってくださいね?」
 「……頑張ってみよう」
 「なんで急に情けなくなるんですか、っていうかちゃんとこっち見ながら言ってくれません!?」
 「さぁ、それじゃあ細かいことは気にせず行ってみよう」
 「あ、ちょっと待ってください!」
 「……?」
 「喚起の門は、思いっきり逆方向ですよ」
 「………………」


  そんなこんなで。
  アキトとファリエルによる、主にクノンに見つからないようにラトリクス脱走大作戦と相成った。


























 「……なんというか、緑ばかりだな」

 (そして、微妙に焼け焦げた跡や、不自然に抉られた地面……。
  俺から銃や……よく分からん腕時計もどきを取り上げた理由は、この辺にありそうだな……)

 「まぁ、道を作る以外の手が入ってませんから」

  なにやら物騒な考察をしているアキトに気づかず、呑気に答える。
  彼はそれに僅かに苦笑すると、思考を切り替えて。
  『喚起の門』――――彼が倒れていたと思しき場所へと向かう。


 「……ふむ、意外と遠いんだな」
 「そうですね……疲れました?」
 「いや。だが、少し予想外だったな――――まさか、ここまで力持ちだとは。
  むしろ怪力の持ちぬ「帰りましょうか」……悪かった、謝る」

  昨日のネタを繰り返すアキトに睨むファリエル。
  苦笑混じりのイマイチ誠意に欠ける表情で謝りながら足を進める彼に、彼女は不満げな表情で、

 「……もう。
  そりゃ私は大剣を使いますけど、そこまで力持ちってワケじゃないんですから」
 「あぁ、腰に下げてるそれ・・か。
  …………気づいてはいたが、やはり飾りじゃないんだな」
 「――――えぇ」

  少し目に真剣味を出した彼に、ファリエルは複雑な表情で頷く。
  ……得意ではあるが、あまり振るいたくない、というのが本音だ。

  いや、正しくは――――


 「あまり、そうには見えんがな」
 「――――え?」

  アキトの唐突な呟きに。
  彼女は、きょとん、とした目を向ける。

 「ん……あんまりアンタはそういうのをブンブカ振り回す風には見えんな、ってことだ」
 「そうですか?」
 「あぁ。
  テラスで読書……ともいかんな。まぁ、普通に街を彼氏と歩いているの辺りが妥当か」
 「か、彼氏ですか……!?」

  言われ、自然と赤面する。
  ――――お生憎様、生まれてこの方付き合った異性などいないが、いやだからこそ、その手の話には弱い。
  自分の境遇も重なって、そういうチャンスなど一度もあったことがないし。

  ……さっきも、クノンとの会話でおもいっきり自覚したばかりだ。


 「ん……まぁ、そう見えるだけだ。
  人間、往々にして外見と内面が一致しないのは良くあることだ」
 「そ、そうですね……そうあっさり言われると、なんだか複雑ですが」
 「そんなもの――――む?」

  知らん、と続けようとして。
  アキトは急に視線を正面へと向ける。
  ファリエルも、どうしたのか、と顔を巡らし――――

 「げ」

  女の子にあるまじき声をあげてしまった。
  二人の視線の先にいたのは――――

 「ファリエル様?」
 「フ、フレイズ!? なんでこんなとこにいるの!?」

  背中に翼を生やした男――――端的に言ってしまえば、天使だった。
  フレイズ、と呼ばれた彼は、ファリエルの知り合いなのか、バサバサ、と羽ばたきながらこっちへと歩み、いや飛んでくると、

 「私はいつもの見回りですが。
  ファリエル様こそ、こんなところで何を?」
 「え? えーっと……」
 「まさか、散歩などとおっしゃいませんよね? この島が今どういう状況下にあるか、お忘れなワケはないでしょう?」
 「はぅっ!
  え、えっと……そ、そう! この人に島を案内してたの! ね、アキトさん!?」
 「あ?」

  いきなり鉢が回ってきて。
  天使の登場と展開された会話に呆然としていたアキトは、もはや間の抜けた声を出すことしか出来なかった。

 「アキト……? あぁ、貴方が例の……」

  一方のフレイズは、どうやら彼のことを知っているらしい。
  上から下まで一通り見やった後、恭しく一礼すると、

 「お初にお目にかかります、ファリエル様の護衛獣で、フレイズと申します。
  貴方のことは、昨日より我が主から伺っておりました」
 「あ、あぁ……テンカワ アキトだ。記憶喪失で現状が分かっていない『厄介者』だが……まぁ、よろしく」

  そう丁寧な物言いと共に手を差し出すフレイズに一瞬呆けつつも、その手を握り返す。
  フレイズは彼の言葉に苦笑しながら、

 「なるほど……ファリエル様の言っていた通りの方ですね」
 「ん?」
 「――――“意外と性格が悪い”」
 「…………ファリエル」
 「あ、え、えーっと……き、昨日アキトさん、自分で認めてたじゃないですか!?」
 「……まぁ、そうなんだがな。
  とりあえず、『口は災いの元』という諺を覚えておいた方がいいぞ」
 「は、はぁ……分かりました」

  昨日そのことでからかった手前何も言えず、忠告するに留めるアキト。
  「そんな諺あったっけ?」と首を傾げるファリエル。
  二人の様子に、フレイズはこめかみを押さえながらファリエルの方へと視線を向け、

 「それで、ファリエル様。
  確かこの方はお体が悪い、と聞いておりましたが……その方を連れてこのような場所へ何を?」
 「え、い、いやだから……案内を……」
 「集落ではなく、ですか?」
 「あう……」

  呻き、後退る彼女。
  それを睨みつけるフレイズ。
  アキトはそれを、ぼーっ、とやる気なさげに見つめている。

 「って、アキトさん、フォローは!?」
 「……いや、俺にどうしろと」

  いきなりのフォロー要求にジト目を返しつつ、フレイズに目を向けると、

 「……一ついいか?」
 「はい、なんですか?」
 「護衛獣……と言っていたが、アンタは一体どこの世界の何だ?」
 「? 見ての通りですが――――って、あぁ、記憶喪失、という話でしたね。
  私は霊界サプレスの天使ですよ」
 「……なるほど、確かに見ての通り、だな」

  納得したように頷く彼。
  そして、ん? と小首を傾げると、

 「……そういえば、今更なんだが」
 「はい?」
 「?」
 「護衛獣と召喚獣は、何か違いがあるのか?」
 「あぁ……護衛獣っていうのは、召喚師の身を守るためや身の回りの世話をするために召喚された召喚獣のことですよ」
 「……つまり用途が違うと呼び方も変わる、と?」
 「そんなとこです」

  ファリエルの説明に、ややこしいな、とため息をつくと、

 「……さて、それじゃファリエル。そろそろ行くか、案内頼む」
 「あ、はい。そうですね。
  じゃあフレイズ、見回り頑張ってね」
 「えぇ、分かりました――――ってそうは行きますか!」
「「ちっ」」

  ナチュラルにそのまま目的地へと進もうとする二人を、フレイズが押しとめる。

 「今、舌打ちしましたね……」
 「なんのこと?」
 「……まぁ、いいです。
  それよりも、先も言いましたが、この島の状況は、『連中』をある程度追い出したとはいえ、まだ予断を許さない状況なのですよ?
  それを、怪我人を連れてこんな場所へ……危険以外の何物でもありません!」
 「う……そ、それは分かってるけど……。
  けどほら、アキトさんの記憶を取り戻す手がかりになるかもしれないし……」
 「…………気持ちは分かりますが……」

  言って、少し言葉を濁らせるフレイズ。
  アキトは二人の会話を黙って聞いていたが――――

 「……フレイズ、と言ったな?」
 「はい、そうですか……何か?」
 「――――『連中』とは、一体何のことだ?」

  アキトの、どこか鋭いまなざしに。
  彼は眉をひそめた後、ファリエルの方に視線を向け、

 「……説明していないのですか?」
 「…………」

  困ったように口ごもる彼女。
  アキトは、かりかり、とバイザーに隠れていない頬の辺りを掻きながら、

 「フム。まぁ、良いんだがな……。
  その『連中』とは――――もしかしなくても、そこに隠れている奴等のことか・・・・・・・・・・・・・・?」
「「!?」」

  彼の言葉に。
  護衛獣とその主は同時に、彼の視線が指す方向を振り返り――――


       ひゅんっっ  ガキン!!

  ――――空気を裂いて飛来したナイフを、それぞれ抜き張った剣で叩き落す。

 「く……そんな、いつの間に!?」
 「……いや、『敵』がいるなら、たった三人で、しかもあんな大声で呑気な会話を交わしている三人を見逃しはしないと思うが」
「「う゛」」

  的確なツッコミに仲良く呻く主従。
  そんな様子を尻目に茂みからは、マフラーで口元まで隠し、動きやすい服装でまとめた目つきの悪い男が三人ほど現れていた。

  それに合わせて、ファリエル達は冗談じみた表情を消し、厳しい表情で得物を構えながら、

 「――――アキトさんは、下がっていてください」
 「……分かった」

  アキトが頷き、視線は男達三人に向けたまま、一歩下がり――――

       だんっ!

  同時、五人が、一斉に動いた。

  男達は人数が勝っていることを把握したのか、三人同時に飛び掛る。
  対するファリエルは――――

 「ふ、」

  どんっ! と、重い踏み込みで、一足飛びに、相手の飛び掛りすら利用して間合いを上手い具合に詰めると、

 「、っ!」

  その身に不釣合いな大剣を大振りになぎ払う!

       ガガガンッ!!!

  その一撃は絶妙なタイミングで端の男にぶち当たり――――とっさにガードしたナイフの残骸・・・・・・を 撒き散らす。
  そのまま残りの男達を巻き込んで吹っ飛び、そして、

 「はぁっ!!」

  まるで、その飛んでくる位置を予測していたかのような・・・・・・・・・・・フレイズ の斬撃を浴びせられる。
  ファリエルの一撃をまともに受けた男は対応しきれず、そのまま首先を掻っ切られ――――

 「っ!」

  返す剣閃で残った二人を狙ったフレイズの斬撃は、二人目の男のナイフに止められる。
  そして体制を整えなおしつつ着地し――――

 「あぁ、」

  ――――ファリエルが、なぎ払いの遠心力をそのまま利用した横っ飛びで、間合い詰めているのを視界に入れた。

 「、ぁぁ、」

  ぐるん、とまるで舞うように空中で一回転して大剣を振り上げ、

 「、ぁああ!!」

  容赦のない振り下ろしでもって、ナイフごと二人目を叩き斬った。


  だが、それだけの攻防の間に、三人目が完全に体制を整えなおしている。
  崩れる男の肩口から舞い上がる血飛沫の向こうで――――その指の間に持てるだけのナイフを挟み込んでいる!
  狙うは――――大振りの振り下ろしで隙だらけのファリエル。

  ひゅんっ、とそれは風切り音と共に放たれ――――

       ががががんっ!!

  ――――間に割って入ったフレイズの剣に叩き落される。
  だが、相手はそれを既に予測していたのか、ナイフを追う様にして男は走り出している。
  主従は、咄嗟に左右に飛び退き――――相手が動きを変えた瞬間のために神経を張り巡らせ――――

「「っ!!?」」

  ――――男は二人を追わず・・・傍観者へと疾る・・・・・・・

  慌ててファリエルは全身のバネでもって体の向きを変え、相手に追いすがり――――が、致命的に間に合わない・・・・・・・・・・

 「アキトさん!」


  彼女は、たまらず叫んだ。


























  彼女の叫びを、アキトはどこか他人事のように聞いていた。

  ――――否。

  彼は、戦闘の一部始終を・・・・・、まるで映画でも見ているかのような気分で見てい た。


  冗談みたいに振るわれる大剣。
  舞う血飛沫。
  飛び交うナイフ。


  見事としか言いようがないコンビネーションを見せた二人によって、男達はあっさりと言ってもいい勢いで倒され。

  ――――しかし、イレギュラーである『彼』のために、最後が、崩れた。



  ……男が、最後に残った男が、突っ込んでくる。


  殺意に満ちた目。

  手に持った、唯一放たなかったナイフ。

  死中に活を見出すための、必死の突進――――




















――――どくんっっ!!



















一瞬、膝から力が抜け、体が傾ぐ。

必死に踏ん張り――――しかし、バイザーが顔から零れ落ちる。

彼の様子を好機と見たのか、向かう『気配』は一層スピードを上げ――――

















―――テンカワ。
俺がお前の復讐に際して与えてやれるものは『技術』のみだ。
そしてそれは3つ。
『機□□器の扱い』、『銃の扱い』そして――――。

これからお前が□す者達の扱う技術――――木連式だ。

だがなテンカワ。
これらの技術は全て、活殺自在。
特に『柔』は神武不殺にして神武滅殺、自在の奥義だ。

故に。だからこそ。

……願わくば――――お前が、□□に捉われぬことを――――



















  瞳を開く。
  気配を探る。

  ――――そして、彼は見た。


  死んだはずの視覚・・・・・・・・の先に、幻視・・し た。



  向かい来る殺意。

  その手に握られた短刀・・


  ――――深傘を被り・・・・・保護色のマントを羽織った・・・・・・・・・・・・――――


























  男が突進する。
  いまにもよろめき倒れそうな『彼』に向かい、一直線に。

  そして、その凶器でもって刺し貫くために右腕を突き出し――――

       すっ

  『彼』の体が、柳のように横に流れ、

       がしっ

  男の突き出した腕を左腕で掴み、

       ひゅっ

  右腕で――――

       ごごごごききききんんんん・・・・・・・・・・・・


  男の首を掴みその骨を外し割り捻り圧し折った・・・・・・・・・・・


























 「……え?」

  その呟きは、誰が漏らしたものだっただろう。

  少なくともファリエルには、自身か、自分の護衛獣か、『彼』か――――まして『敵』のものか、判別が付かなかった。


  思わず駆け寄る足を止めて、呆然としてしまう。


  目の前の『彼』は。

  その身を刺し貫く筈のナイフを避け――――返す腕でその持ち主を完膚なきまでに殺していた――――。



 「……アキト……さん?」

  やっと、自分のものと自信を持てる声が出る。

  そして――――



       どさりっ



  ――――その言葉に答えるかのように、『彼』の体は崩れ落ちた。


















"The VERONICA" , cloesed...















    あとがき


  ――――ってなワケで、前伝その1、終了です。

  ども、貴方の暇の恋人、折沢崎 椎名(新人)です。ただし女性限定。
  男の人は友達でお願いします。


  ……うーむ、相変わらずシリアスぶち壊しな出だしのあとがきだなぁ……。


  というワケで、記憶喪失の青年の奮闘気その@、如何でしたでしょうか?
  私はあまりのクドさに辟易してます。ダメじゃん作者。……俺じゃんっ!?

  ……まぁ、ほら、アレだ。
  新人さんを暖かく見守るつもりで、優しくスル−してあげてくださいねっ♪(キモイッテオマエ……


  いやしかしまぁ……結構お待たせしましたねぇ、コレ。
  待ってる人なんて皆無なんでしょうが、一応、そろそろ、だと思ったので。

  ……しかし、要領が90k越え……うーん、鳩っち、ゴメン。
  謝る。掲載取り下げも許可。


  とりあえず今回の解説です。
  過去編その1です。
  最後の最後で何かが起きたアキト君。
  とりあえず、ファリエル&クノンと見事な漫才トリオを築きつつあります。

  ……なんだこれ、簡略化したらたった三行ですよ……。


  まぁ、そんな感じです。
  そしてこれから先もこんな感じでシリアスとほのぼのを織り交ぜて続くと思われます。
  といっても、過去編は、後1〜2話で終わらせるつもりなんですけどねー。
  ……いっそのこと3本編に繋げずにそのまま……(マテマテ


  ま、それはともかく。
  とりあえず、最後の最後でまた倒れたアキト君。
  彼は一体どうしてしまったのか! そして彼の脳裏をちらつく謎のビジョンは!?

  ……多分、それらは丸わかりなのに次回でも明かされません。
  おいおい。


  そういうワケで。   次回もまた、楽しみにせず、更新されたら「あー、こんな作品もあったなぁ」と思い出す勢いでどうぞよろしく。
  それでは〜☆



水無月三日・陽の射さぬ地で
折沢崎 椎名



感想

折沢崎 椎名さんとうとう更新!

こんな言い回しすると、ちっと困るかな?(爆)

しかしま〜、今回クノンが大活躍で(笑)

クノンが好きな椎名さんも満足なことでしょう♪

私もメイド好きなので、結局好きなのですが。

うぅ、でも私出番無いですよ〜、サモンナイト3を舞台にしているのに〜

そりゃまあ、仕方ないでしょう。

椎名さんは、版権キャラを使ったオリジナル展開を心がける方ですからね。

実際、ゲームをそのまま書いている私なんぞより数段レベル高いですよ?

それはそうなんですけど〜

やっぱりほら、私がいないと、ね?

3はファリエルとクノンがいれば完璧さ(爆)

1からは綾、2からはアメルとへイゼルがいいかな?(笑)

後はエクステーゼだけど、ちっと難しい気がする(汗)

椎名さん4はどうする気だろう?

いや、現時点で判別付くわけ無いか……。

ううぅ……そこまでないがしろにされると、私……泣 いちゃいますよ?

いや、ほら…一応私のSSでは出番多いじゃないか、ね?(汗)

駄作家の作品なんて、どうでもいいです!

椎名さん、お願いします!


ぐは!? いーもん、いーもん、所詮駄作家……誰に も相手にされないのさ〜

って、ああ、また感想が!?

今回は、アキト君の記憶喪失日記って感じでしたね。

というか、ファリエル視点でしたが(爆)

テンションのいい対応が気持ちいい作品でした♪

アキトあんなにノリがいいんだ(爆)

こういうのも面白いですな。


後、クノンが言い返すなら

『濃いとはなんですか? 精神活動に濃いという表現方法があるのを初めて知りました。今後の対人対応プログラムに追加しておきます』

ではないでしょうか?(爆死)

ははは……貴方も濃い人ですね……。

だから、脅迫は駄目だって(汗)

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