……暖かい。
寒々とした心と体が、右手から伝わってくる優しい温もりに、少しだけ解きほぐされていく。
一切の音が消え失せ、ただしんしんと雪が降り積もる中、インパルスの掌の上で頭を
擦り付けて震えていた俺の右手に、何故か熱がじんわりと帯びていって。
少しだけ頭を上げて、右手を見つめる。

……何だ?
この温もり、俺は知っている?
この世界に………いや。
正確にはIS学園に来てからずっと、俺の傍で、俺に寄り添ってくれていた温もり。
…いつからだろう。
その温もりはこの地獄の中で、この毎晩繰り返される絶望の中で、俺の中でとても大きくなって。
……とても大切になって……。
俺はまるで母さんに抱っこされているかのような安心感に包まれて、ゆっくりと目を閉じて。
再びそれを開けると、スタンドの明かりでぼんやりと白む天井が映し出される。

……今晩一回目の目覚めか。
やはりというか、ほとんど眠れた気がしない。
ただただ頭と体と心が重いだけ。とても快調とは言い難い。
陰鬱になりそうな気分を何とか振り払い、今何時か確認しようと顔を左に向けて、目を剥く。
だってそこには椅子に座ってこっくりこっくりと船を漕ぐ、ブロンド貴公子がいたんだから。


「ぶっ!?な、デュノアっ!?おまっ、何で………!!?」

「う…………?あ………シン?………って、シン、起きたの!?
 良かった………心配させないでよ、びっくりしたんだから本当に………!」


心底ホッとしたように息をつくデュノアを他所に、俺は一気に覚醒した意識で、
脳みそをフル回転させる。


( 何でデュノアがこんな傍に!?てか、見られた!?
  絶対見られたよな『心配させないでよ』とか言ってたし!
  せっかくできうる限りの即席カムフラージュをしたってのに!
  結局うなされてるのがバレてんじゃあ意味がないじゃないかよ!?
  いや、あんなカムフラージュでいつまでも隠し通せるものじゃないとは
  思ってたけど、まさか一晩もたないなんて!! )


あばばば、と激しく狼狽していると、右手に感じていた温もりが少し強くなる。
混乱していた気持ちがそれによって幾分落ち着いたんだけど、同時におや?と首を傾げる。
……もしかしてもなく俺の右手、誰かが握ってる?
あれ?これって夢の中だけの話だったんじゃ………。
頭にとびっきりの疑問符を浮かべながら右に顔を動かして、目の玉が飛び出た。


「…………は?………は、はぁぁぁぁぁ!!??」

「ようやっと私に気付いたのか薄情者め。シャルルよりも後に気付きおって、ちょっと、
 傷ついたぞ………」

「いやいやいやいや!!何でお前がここにいるんだよ篠ノ之!?
 もう夜中だし、第一お前は一夏と………グッ!!?」


再び大混乱に陥った俺はガバッとベッドから身を起こし、激しい頭痛と眩暈に襲われる。
ついさっきまで頬を膨らませてそっぽを向いていた篠ノ之は、倒れかける俺の体を
そっと支えて、優しくベッドに寝かしてくれた。

ぐっ………くそっ!
夢から覚める度にやってくるこれらの症状と、どうしようもない倦怠感。
毎晩のことだけど、これらに襲われるたびに自分の軟弱さ、情けなさに苛ついてしまう。
自分は、一人で満足に起きることもできないのかって。
そんな俺をいつも慰めてくれていたのが篠ノ之だった。
言葉で慰めるわけじゃない。
篠ノ之は何も言わず、ギリギリと歯噛みする俺を………そう。
今みたいな優しい瞳で見つめながら………。
そしてその白魚のような華奢な手で、俺の髪を柔らかく梳いてくれるんだ……今やっているみたいに。
ちょっとくすぐったくて、恥ずかしくて、でもとても気持ちよくて。
それがこわばった体を、ゆっくりとほぐしてくれて。
その心地良さに目を細めつつ、随分心が落ち着いたことで、今度は冷静に、
疑問を口にすることができた。


「篠ノ之………何でお前、ここにいるんだよ?
 今は………夜の十一時過ぎか。
 何でこんな時間に………。
 お前は一夏と同室なんだし、どうして…………?」

「どうしてって………。言わなければ分からないか?
 お前のことが心配だったからに決まってるだろう。
 シャルル一人ではお前の世話は手に余ると思っていたし、現にさっきまで
 酷くうなされてたし。
 織斑先生に無理を言って、この部屋の合鍵を渡してもらったのはそのためだ。
 それに私の予想通り、お前はシャルルにそれを話してなかったようだし」

「それは………デュノアに余計な心配かけたくなかったから………」

「何言ってるのさシン!僕のことを思ってそうしてくれた気持ちは嬉しいけど、
 いきなりあんなに苦しそうに呻きだすんだもん!そっちの方が驚いたよ!
 ……それに、とっても心配したし………」


うっ…………。
表情を曇らせるデュノアを見て、沸々と罪悪感が湧いてくる。
確かに、前情報もなしに俺の悶絶シーンなど見せられて、心穏やかでいられる奴はいないかも……。
俺がそれについて黙ってたせいで、デュノアは余計に心配したって言うし……。
いつかは発覚することだって俺自身気が付いていたんだから、素直にぶちまけた方が良かったのかも。


「……ごめん、デュノア。そんなつもりはなかったんだけど、お前に心配を
 かけちゃったみたいで………」

「いいよ、もう。
 シンが僕のことを考えて教えなかったのなら、僕が言えることは何もないよ。
 君が今は落ち着いてる。それだけでとてもホッとしてるしさ。
 あ、また汗がビッシリ……。………はい、拭けたよ。
 それに篠ノ之さんが来てくれなかったら、今頃アタフタしてるだけだっただろうしね」


それは、そうなんだろう。
俺だってこんな状況をいきなり目の当たりにしたらオロオロするだけだと思う。
ずっと俺の看病をしてくれてた篠ノ之がいなけりゃ……。


「……おい、篠ノ之。さっきの質問の続き!
 お前こんな時間に俺のとこに来ちまって、一夏はそのことを知ってるのかよ?
 ………いやまて?
 というかそもそもの話、お前はどうしてデュノアが俺と同室だって知ってた?
 それは織斑先生が今日、俺とデュノアだけに直接伝えたことで、教室では
 一言も……。そりゃ消去法で分かりそうなもんだけど、でもお前。
 やけに確信してたように………」

「……一夏には、何も言ってない。黙って、きたから………。
 というか一夏が寝静まったのを確認してから来たから。
 心配しなくても、早朝になったらバレないように部屋に戻るさ」

「黙ってきたって、そんな夜這いみたいな………ゲフンっ!ンンっ!!
 いや、今のは忘れてくれ。
 それにそれが本当だとして、俺とデュノアの同室について知っていた
 ことに対してはどう説明を…………」


そこで、ふと思い当たる。
そういえば俺、織斑先生との話を終えた後、篠ノ之の姿を見た……気がした。
あの時はただの気のせいだと思ってたけど………。
今はそれが、やけに気にかかる。
そのせいか、俺の口からは自然と、それが漏れ出していた。


「お前まさか、あの時の話、聞いて………」


篠ノ之はそれには答えない。
ただ柔らかく微笑むのみ。


「私はただお前が心配だったからここへ来ただけだ。
 お前が苦しんでいるのを知っていたから、私の意思で、ここに来ただけだ。
 ……迷惑だったなら、そう言ってくれ。
 すぐに、出て行くから………」


俺の髪を優しく撫でながら、真っ直ぐ見つめてくる篠ノ之から、俺はサッと目を逸らす。
その時何故目を逸らしたのか、自分でもよく分からない。
せっかく一夏と同室になれたのに、未だ俺を気にかけて、こんな時間に押しかけて
きてくれた篠ノ之への申し訳ないという気持ち?
それとも俺がセッティングしたお膳立てがパアになってしまったことへの落胆から?
確かに、その気持ちは感じている。
感じては、いるんだけど………。


「………篠ノ之、俺は………」


ギュッっと、俺の手を握る篠ノ之の手に、力がこもる。
俺の手が痛まない、でもそこから自分の想いが伝わるようにと、絶妙な力加減。
……篠ノ之の手、微かに震えてる……何で?
もしかして……俺が、断ると思ったからか?
お前の、その、思いやりを………。


「………ごめん、篠ノ之。
 もし、お前がいいのなら………。
 もう少しだけ……手を、握っててくれるか?」


……断れるはずがない。
拒絶できる、はずがない。
こんな、心地いい温もりを、直に肌で感じさせられたら。
全てにおいて弱っている俺には、抗えるはずがない……。
この欲求に、この温もりに包まれていたいという、醜い願望に……。
なのに………。


「……ああ、もちろん。
 お前が眠るまで……いや、眠ってからも、ずっと傍に居てやる。
 だから、ゆっくりと寝るといい。
 手も、握っててやる。離さないから………」


なのに篠ノ之は、何故かほっと胸を撫で下ろしたように口元を緩めて、優しく、微笑むんだ。
本当に嬉しそうに、微笑むんだ。
何でそんなに嬉しそうなんだって、思わず聞こうとしたんだけど、今度は左方から声をかけられる。


「僕のことも忘れないでよ、シン」

「デュノア……。でも、お前は………」

「うん、僕は篠ノ之さんと違ってずっと看病できるわけじゃないだろうけど……、
 起きていられる間は、一緒にいてあげる。
 今のシンを放っておけるはずないし。
 何より僕ら、友達でクラスメートでルームメイトなんだから。
 遠慮しなくて、いいからね」


昼間皆に見せた貴公子然としたそれではない。
十五歳という、歳相応の女の子が見せる、ふんわりとした可憐な笑顔。
それを見て、デュノアが俺の左手を握ってくれて、こわばっていた体が、
一気に弛緩していく。
それと同時にやってくる猛烈な睡魔。
悪夢へと誘う、闇からの手招き。
俺はそれに抗えず引っ張られながら、意識を手放す直前、何とかそれを言うことができた。


「……ごめん、少し、寝る。ごめん………二人とも………」


自分が何に対して謝ったのか、分からなかった。
ただ無意識に出た俺のよく分からない謝罪に、篠ノ之はただ微笑んで見せた。

その晩見た悪夢は、いつもと変わらない相変わらずの内容だったけど。
俺の右手と左手は、いつまでもほんのりと暖かかった。






























翌日。
時刻は十二時、昼休み。
俺はセシリア、一夏、篠ノ之、凰、デュノアと共に、学園屋上の丸テーブルに座って歓談していた。
テーブルの上にはカラフルな布に包まれた弁当が三つ。
そう、俺たちは昼食を食べるためにここにいる……昨日の、セシリアとの話の続きだ。


「さあ、シンさん!お約束通り!私こうして腕を奮ってきましたわ!
 セシリア特製サンドイッチ!
 あ、もちろん皆さんの分も作ってきましたので遠慮なく」

「いや、俺は購買のパンがあるから」

「あたしらも弁当作ってきたから。ダイエット中だから」


一夏と凰が即座に返す。
あまりに間髪の入れない返答にセシリアは笑顔のままフリーズ。
……セシリア、本当に皆の分もって、気合を入れて作ったんだな。
何人分あるんだ、このサンドイッチ?
しかもサラダやソーセージも添えられているし、早朝からキッチンで一人でこの量を
作るのは、骨だったんじゃないか……?
でもだからこそ、そうまでして料理をこしらえてくれたことが嬉しくて、早く食べたいという
欲求が膨れ上がっていく。
久しぶりの、手料理。心が躍る。


「いくら頑張って作ったところで、これが危険物であることに変わりはない。
 アスカ、絶対にこのサンドイッチだけは……」

「いや……いや、篠ノ之。昨日も言ったけど、俺は食べたいし、食べる気でここに座っているんであって……」

「……アスカぁ………。私だって弁当を作ってきたのだし………」


……涙目の篠ノ之には悪いけど、今は本気で泣きそうなセシリアが優先だ。
そりゃ何故か篠ノ之も朝早くから四苦八苦しながら弁当作ってくれて、しかもそれが俺の分なんて、
とても嬉しいし、もちろん頂くけど………。
セシリアが用意してくれたあの量、相当時間がかかっているのは間違いなかったし、
それを作った理由が俺を元気づけるためとあれば……。
料理に関してはからっきしな俺からすれば、まさに天にも昇るくらいに嬉しかった。
例えその味が、未知数だとしても。


「そう……そう言って下さるのは、シンさんだけですわ!
 皆さんたら、私の味付けが少しだけ独特だからって、やれ毒物だとか、やれ核兵器だとか……」

「独特って何よ独特って!!どんだけ図々しい表現してるのよ、アンタは!?
 100万倍オブラートに包んだって、『独特』なんて単語が出てくる余地なんてないわよ!」

「ま、まあまあセシリアさんも凰さんも落ち着いて………。
 せっかくのランチなんだから、仲良く食べようよ。
 ……それより、セシリアさん。
 僕もそのサンドイッチ、一つ貰っていいかな?
 とても綺麗に出来てるし、美味しそうだなって思ってたんだ」

「シ、シャルルさん!?ええ、ええ!もちろんですともっ!
 是非お一つ召し上がって下さいな!
 そうすれば鈴さんたちの言っていることが悪質なデマであることが
 理解して頂けると思いますわっ!」


セシリアの喜色オーラ満面の笑顔を、凛々しい貴公子然としたそれで受け止めるデュノア。
その笑顔たるや、まるでサーチライトでも当たっているかのように、眩しい。
とても女の子とは思えない男前オーラだが、顔はやっぱり女の子だった。
そのデュノアが、白雪のように細い手で、たおやかにサンドイッチを手に取って、一口パクリ。
直後、デュノアは硬直。
笑顔を保ったまま微動だにせず、今まで健康的だった肌色が、徐々に青ざめてきた。


「ど、どうですシャルルさん?私のサンドイッチの味は……?」


不安そうにセシリアが尋ねるが、デュノアは笑顔のまま、黙して語らず。
と、次第にその顔色が青から黄色、そして鮮やかな赤色に変わっていって。
最終的に、深い緑色に落ち着いた。

……何だがとても、胃が痛くなってくる光景だった。
一夏は目を伏せて、デュノアへ向かって手を合わせ。
凰は「うわぁ………」と青ざめた顔で呻く。
と、ギュッと制服の裾を掴まれて、視線を向ける。
そこには篠ノ之が、目に涙を溜めて、唇をきつく結んで、震えていた。
……物凄くデジャヴを感じるけど、今はそれどころじゃない。

と、今までマネキンのように座して動かなかったデュノアがごくりと、口に含んでいた
サンドイッチを飲み込んだ。……一回も噛まずに、丸呑みした。
その時には既に顔色は元の肌色に戻っていて、その笑顔も未だ健在だった。
……すげぇ、何故か感動した。


「い………いいんじゃないかな」

「そうですかっ!?良かった、作った甲斐がありましたわっ………!
 ほら、見なさい鈴さん!やっぱり分かる人には分かるんですのよ!」

「あ、アンタの目は節穴なの………?」


戦慄する凰を他所に、震える声でか細く答えたデュノアは、そのまま手に持っていた
サンドイッチを手元の取り皿に置いて、自分のペットボトルの水をラッパ飲み。
ちなみにセシリアの用意した紅茶には手を出さなかった。


「あら?シャルルさんもういいんですの?
 まだまだたくさんありますのに、よろしければこちらの玉子サンドも」

「いえとても美味しいサンドイッチで心もお腹も一杯でこれ以上は大丈夫というかいらないから」


ものっすごい早口でセシリアの申し出を丁重に断るデュノア。
この間息継ぎはしていない。
デュノアに断られて少しだけ顔を曇らせたセシリアは一息だけついて、いよいよ俺に向き直った。


「さあ、随分遅くなってしまいましたが、シンさん!
 腕にヨリをかけた私のサンドイッチ、どうぞ召し上がって下さいな!
 一杯ありますから、思う存分に!」

「えっ、ああ………うん。…………ああ、うん」


もはや脊髄反射で首を縦に振る俺。
恐る恐るバスケットに手を伸ばして、セシリア一押しのミルフィーユカツサンドを一つ掴む。
と、その手を篠ノ之がガシッと掴んで、離さない。


「……おい、篠ノ之」

「駄目だ、アスカ……。絶対、駄目っ…………。
 今それを食べたら、お前は………!
 私は、嫌だ………。そんなの、嫌、だからな………」


いや、そんなに深刻になるような事じゃないと思うんだけど。
それは、心配してくれるのは凄く嬉しいけど、流石に少し味が悪いからって、
セシリアのせっかくの心づくしを無碍にするなんて、できない。
そこまで俺は鬼畜じゃない。
と、一夏が未だ掴んで離さない篠ノ之を優しく剥がしてくれた。
そして、小声で、話しかける。


「安心しろよ箒。もし何かあっても大丈夫なように、舛田先生には病院で待機
 してもらってる。
 それに、シンに少しでも異常が見られたら、俺がすぐに吐き出させてやる。
 この日のために、訓練してたんだぜ?」

「一夏………でも…………!」

「昨日シンが見せた男気を、無駄にしちゃいけない。……分かってやれ、箒……!」

「うっ…………くぅぅ…………!」


……そろそろその小芝居を止めてあげてほしい。
セシリアのライフが0になるから。
俺はごくりと唾を飲み込んで、ゆっくりそれを口まで運んで、もしゃりと一口、頬張った……!!


「ど、どうです?シンさん………」


期待半分、不安半分の眼差しで見つめてくるセシリア。
それを横目で見つつ、俺は咀嚼に勤しんだ。

もむ……もむ…………。
まずは口の中一杯に広がる辛味と酸味。
……おっ!?と思ったらじわじわと練乳に砂糖をぶち込んで煮詰めたような濃厚な
甘みが顔を出してきた!
………っ!何だとっ!?
かと思ったら今度はゴーヤを一キロ丸ごとミキサーにかけてできた汁のような、
顔がひしゃげるほどの苦味が口内を席巻する!
でも……一見バラバラなそれらが、実に複雑な、まるで奇跡のような渾然一体とした
味を、旨みを、作り出していて……………。


「………………旨い」

「「「「えっ!!!!!?????」」」」

「えっ(嬉しそうに)」


旨い。
えっ、何だこれっ!?旨すぎる!!??
料理の温かさは厳さんの野菜炒めと何ら遜色ないし、何より味が比べ物にならないくらいに
俺に適合しているっ!!
もし俺にグルメ的な細胞があったなら、ボンッ!ボボンッ!!と筋肉が膨張したんじゃないかっていう、
それほどのレベル。

あまりの旨さに持っていたサンドイッチを、あっという間に食べてしまった。
食事にこんなに没頭したのは、いつ以来だっただろう。
そう思えるほどの、満足感、充足感。
俺は知らず、残りのサンドイッチに目をやる。
まだ、あんなに残ってる………。
ごくりと、先ほどとは違う生唾を飲み込んだ俺を見て、セシリアはおずおずと、バスケットを
俺の前に差し出してくる。


「い、いいのか………?」

「え、ええ………。私のサンドイッチが、本当にお気に召したのなら、いくらでも……」

「頂きますっ!!」


許可が出ると同時、俺は勢いよくサンドイッチに喰らいついた。
おお、この玉子サンドのスクランブルエッグ!
まだ中に殻が若干残ってて、それが何とも言えない、シャリシャリとした心地良い
食感を与えてくれている!
このコロッケサンドは、少しソースが多すぎて、ソースの味も酸っぱすぎる気がするが、
コロッケ自体の猛烈な甘みがそれと具合良く調和して、もはや高貴とさえ呼べる味まで高めている!!


「そんな、そんな馬鹿なことが………」

「俺、夢でも見てるのか………?」

「シン、凄い………。僕、本当に尊敬しちゃうよ…………」


三者が三者とも唖然として二の句も継げない中、篠ノ之だけがいち早く復活し、
詰め寄ってきた。……何だか妙に焦っている気がする。


「ア、アスカっ!私のっ!私の弁当も食べてみろ!一生懸命作ったんだっ!」


そう言って勢いよく開かれたそれには、唐揚げやら炒め物やらおひたしやら、
実に色とりどりの料理が詰め込まれていた。
本来ならそれらは人の食欲中枢を激しく刺激するんだろうけど………。
どうしてだ、俺にはそれらを見ても、特に食欲は湧かなかった。
もちろん、嬉しくはあるんだけど。
とりあえず俺は勧められるままに唐揚げを一つフォークでぶっ刺して、口に放り込む。
表面は時間が経っているのにパリッとしていて、肉はしっとりと柔らかくて。
下味もしっかりついていたので、結構美味しかった。
美味しかったんだけど………。


「……どうだ、アスカ?ちょっと自信はないんだけど、味は大丈夫だったか?」

「ん………ああ。美味しかったよ篠ノ之。ありがとうな」

「……………どう見ても、セシリアのサンドイッチより反応が薄い。
 ………ぐすっ………」


そんなことはないっ!
心から感動している!
ただセシリアのサンドイッチがどうしようもなく俺にマッチしているだけだ!
と、その間にも俺の手は止まらず、腹に消えたサンドイッチは、これで五個めに到達していた。
その五個めをむさぼり喰らっていると、セシリアが声を震わせながら語りかけてきた。
感極まるといった感じで。


「……私の料理を、心から美味しそうに食べて下さった方は、シンさんが初めてですわ……。
 ………さあ、シンさん!どんどん召し上がって下さいまし!
 まだまだいっぱいありますので!」


セシリアはそう言うと少し屈んで、再び身を起こした時には、大きなバスケットが
もう一つ。それをドンとテーブルに置いた。
その中身は、またしても大量のサンドイッチ。
俺を除く皆が、目を剥いて再び硬直。
と、一番早く復活したのは凰。
身を乗り出して猛烈にセシリアに噛み付く。


「あ、アンタ!まだこんなにサンドイッチを隠し持ってたの!?
 一体どんだけ私たちに食べさせる気だったのよ、アンタはっ!?」

「は、はりきって作りすぎただけですわ!
 だって、ようやくだったんですもの……。
 気合が入っても仕方ないでしょう!」

「?『ようやく』って、何が?」


俺は六個目のサンドイッチを頬張りながら尋ねる。
それは「ようやく」って言ったセシリアの言葉に、真剣味のある響きを感じたからだった。
と、セシリアはさっきまでの明るい表情とは全く違う、沈んだそれで、俺に向き直る。


「何がって……。
 ……私、ずっと考えてましたのよ。シンさんが入院されている間中、ずっと。
 日に日にやつれ細っていくシンさんに対して、私に何ができるのだろうって。
 友人が苦しんでいる時にただ見舞うことしかできなくて、とても心苦しくて……」


俺は咀嚼していたサンドイッチをゴフンッと飲み込んで、呆然。
だってセシリアがそんなことで悩んでいたなんて、俺は露とも知らなかったから。
「ただ見舞うことしか」って、毎日面会時間一杯まで病室にいてくれて、
俺はそれだけで十分嬉しかったんだけど………。


「……でも!ようやっとそれが見つかったのですわ!
 私がシンさんを元気付けて差し上げられる最たる方法が!
 それが、お料理なのですわ!私の一番の趣味であるお料理が!
 なので私なりに精一杯作らせていただきましたけど……、良かったですわ。 
 とても喜んでいただけたようで………」


屈託のない笑顔ではにかむセシリアに、不覚にも見とれてしまう。
まるで凍てついた極寒の地に優しい春風が吹き荒れたように、俺の中に
流れ込んできて……。
もはや俺の中でテンプレになってしまった、この疑問。


「なあセシリア。お前、どうしてそんなに俺のこと考えてくれるんだ?
 こんなご馳走を作ってまで、どうして………」


目をパチクリとさせたセシリアは、首をかしげながら、言う。
さも当然のように。


「友人が苦しんでいるのを見たら助けるのは当然ですし。
 ……それに、どうしてかしら。
 シンさんを初めて見た時から思ってましたの。
 『この人は私が手助けをして差し上げないといけない』って。
 ふふ、不思議ですわね。
 シンさんはとてもお強い方で、そんなもの必要なさそうですのに」


おかしそうに優雅に微笑むセシリア。
それを見て俺は妙に気恥ずかしくなって、そっぽを向いてしまう。
な、何なんだよそれは……。
俺はセシリアのその言葉に、これでもかってくらい動揺していた。
だってその言葉は、かつて蘭さんからも、篠ノ之からも、言われたことのある台詞だったから。
どっちも、病院のベッドの上で、意識が朦朧としているときに言われたんだけど。
俺の耳には、しっかり届いていた。


― ……シンさん、寝てます、よね?
  …あのね、シンさん。
  私、初めて貴方に会った時から、思ってたんです。
 『この人には、誰かが一緒に居てあげないといけない』って。
 『そうしないと、この人は壊れてしまう』って、何故かそう思ったんです。
  ……シンさん。貴方は今私たちのためにこんなに傷ついて、壊れそうになってますけど……。
  せめて、貴方が目を覚ましてまた笑顔で、私たちと一緒に五反田食堂に帰るまでは……、
  傍に居ますからね………… ―



― アスカ……ようやく落ち着いたな、良かった………。
  ……なあ、アスカ。
  私はな、初めて………いや。その時じゃないな。
  お前と同室になって、面と向かい合ったときに、感じていたんだ。
  『とても、危うい男だ』って。
  その時は何が『危うい』のか自分でもよく分からなかったが、最近ようやく分かった。
  お前があのISを相手に、あんな無茶をして戦う姿を見て、やっと………。
  だから私はこの想いを、はっきり自覚できた。
  『アスカには傍らで、支え続ける存在が必要だ』って。
  そして私はそれをしたいって、心から思ったんだ。
  ……アスカ、今は、ゆっくり休め。
  またうなされたら、私が傍に居て、支えてやるから。
  お前が目を覚ますまで、傍らに、ずっと居るからな……… ―


……思い出したら、余計にこっ恥ずかしくなってきた。
やっぱりあの時寝たフリなんてせずに起き出した方が良かったのかも…。
………皆、心配し過ぎなんだよ。
いくらうなされるからって日常生活は普通に送れてるんだし、俺なんかにそんなに
親身にならなくても………。


― ……お前は自分の今の状態を軽視しすぎだ ―


…………………………。


― 少しは周りの者に助けを求めてみろ ―


……そんなこと、簡単に言わないでほしい。
何よりそんなこと、できるはずがない。
だってこれは俺自身の問題で、他人にそれを背負わせるなんて、迷惑千万で………。


「シンさん!明日も作ってきて差し上げますわ!
 次は何がよろしくて?またサンドイッチがよろしいです?
 それとも日本食であるコメのおにぎりの方が………」

「あ、明日も作ってくる気か!?
 アスカ、私も弁当を作ってやるから、これ以上セシリアの作る物は……」

「……箒さん。いい加減『私の料理=毒物』という図式を、払拭していただきたいのですが……」


ワイワイと皆楽しそうにそんなことではしゃいでいて。
何か、自分の考えの方が幼稚で醜いもののような気がして。
俺は皆から視線を逸らして「……おにぎりで」とだけ答えた。































楽しかったのかどうなのかよく分からない喧騒のひと時が終わって、その放課後。
熱暑が未だ支配する学園の校舎裏で、俺は木陰のベンチに腰を下ろして、
サンドイッチを貪っていた。
何故俺がこんなところでサンドイッチを食べているのかというと。
前者は簡単。ここは俺が一人で過ごす時のお気に入りの場所だから。
人もほとんど来ないし、うるさくないし、ベンチもあるし。

そして後者については、流石に昼休みの限られた時間であの山のようなサンドイッチ全てを
食べきれるはずもなく。
残った分はバスケットごと、俺が引き取らせてもらった。
セシリアは感涙し、その他は口を開けたまま青い顔してたのが印象的だった。

ともあれいくら食べても飽きないこの不思議な魅力を持つサンドイッチを、また一つ
口に運んで頬張っていると、ふと校舎裏の奥から誰かの話し声が聞こえてくることに気付く。
その声の主に心当たりがあった俺は、何の気なしにその曲がり角から窺う。
そこには俺の予想通りの人物と、あともう一人。


「……ラウラ。いい加減お前に何があったのか話してみろ。
 お前を診た医者の診断も、お前のどこにも異常は見られなかったとのことだった。
 だがお前の衰弱は進む一方、となるとやはり精神というか、心に何かあったとしか
 考えられんのだ。
 ……ここならば誰かが聞いているということもない。
 …せめて私にくらい、打ち明けてみろ。一体、どうしたというんだ?」

「……………………………………」


そこには織斑先生とボーデヴィッヒが向かい合って立っていて。
織斑先生の真摯な言葉を聞いてか、今まで俯いて無反応だったボーデヴィッヒが、
その幽鬼のような表情で先生を見つめる。
心なしか、体も震えている………気がする。


( …………………… )


俺はそこまでで踵を返し、音を立てないようにその場を離れる。
話題から察するにボーデヴィッヒにあの憔悴の原因を確かめているようで、
であれば俺が聞いていい話じゃないと思ったから。
ボーデヴィッヒのあの弱り様、尋常じゃない事情があるんだろうし。
でも、そうやって遠ざかる俺の足が、最後に聞こえてきた言葉に、止まる。
まるで地面に縫い付けられたように、その歩みが、止まる。


「………もう一人の『私』が、ずっと囁くんです」

( ……なに? )

「……もう一人の自分?何の事を言っている?ラウラ………」


織斑先生は訝しげに眉をひそめるが、ボーデヴィッヒは堰を切ったように話し始めた。
苦渋に満ちた声で。心中を全て吐露するように。


「一週間ほど前から、私の夢に『ソイツ』が出てくるようになったんです。
 『ソイツ』は私と全く同じ姿、全く同じ声で、その瞳だけが、何の光もなく真っ黒で………。
 『ソイツ』がずっと耳元で、頭の中で、囁いてくるんです。
 「全てを破壊しろ」「全てを黒く塗りつぶせ」「それが貴様のたった一つの存在価値だ」って……。
 最近は目を閉じるだけで、『ソイツ』が現れるようになって……… ―


自分の両手を抱きしめ、顔を伏せるボーデヴィッヒ。
再び戻ってきて盗み見ていた俺からしても、その姿はあまりに痛々しかった。
織斑先生もその姿を見て冗談ではないと悟ったらしく、真剣な表情でボーデヴィッヒを見つめる。
と、ずっと俯いていたボーデヴィッヒは、よろよろと織斑先生にしがみつく。
そして次に顔を上げた時には、その目にはうっすらと涙がたまっていて………。


「教官、私は、怖い………怖いんです……。
 最初は小さかったその声が、日に日に大きくなってきて………。
 ずっと傍らで、その声が聞こえてくるんです。
 ずっと、ずっと、ずっと………。
 まるで、私の全てが、その黒い声に、その得体の知れない漆黒に、飲み込まれていくようで……。
 最近はほとんど眠れなくなってしまって………。
 教官……!私は、私はどうすればいいのですか………!?
 このままではいずれ、私は……………………………、っ!?」


半ば絶叫するように叫んでいたボーデヴィッヒは突然それを止めて、
首ごとこっちに視線を向けてきた。
やばっ、バレた!?
俺は慌てて顔を引っ込めるけど、誰かの足音がこっちにズンズンと近づいてきて、
角から勢いよく出てきたボーデヴィッヒと、一瞬視線が交わる。
少しだけ赤く腫れた目が、俺を物言わずに非難する。
反射的に何か言おうとしたけど、ボーデヴィッヒはその前に駆け足で去ってしまった。
盗み聞きしていたという後ろめたさと罪悪感でその場を動けずにいると、織斑先生が
いつの間にかやって来ていたようで、呆れたように溜息をついて、視線を向けてくる。


「全く、まさかお前がこんな所にいるとは思わなかった……。
 だがそれはそれとして、立ち聞きとは、あまり感心できることではないぞ」

「うっ………、す、すいません………」


俺にはそう言って頭を下げることしかできなかった。
今のは完全に、俺が悪いから。
でも織斑先生はそれ以上咎める様子もなく……。


「……まあ、他言しないでくれればそれでいいが……。
 しかし、ラウラ………。
 もう一人の、自分?一体どういうことなのだ………?」


織斑先生のもっぱらの懸念事項は、やはりそっちにあるみたいで。
顎に指を当てて、悩み込む。

確かに、それは俺だって気になる。
ボーデヴィッヒが語ったことが本当なら、それは精神病か幻覚の類か。
織斑先生もそう考えているのかは分からないけど……、俺の考えは、それとは全く違う。
だってボーデヴィッヒが語ったそれは、俺が現在進行形で悩まされているそれと、
何ら変わらないものだったからだ。


「織斑先生、もしかして、ですけど………。
 さっきのボーデヴィッヒの事なんですけど、ボーデヴィッヒのISが関係
 してるんじゃないでしょうか?」

「…………何?」


俺の言葉があまりに突拍子もないことだったからか、織斑先生がその鋭い目を
パチパチさせて、呆けている。
………何だ?織斑先生が可愛いとか、俺は病気なのか?
まあそれはそれとして、俺には今言ったことに確信に近いものがあった。
『もう一人の自分』なんて、ヤバいクスリでもやってない限り、そうそう現実に
起こり得ることじゃない。
逆にそれが起こっているってことは、ボーデヴィッヒが通常起こり得ない非現実的な
何かに、巻き込まれている可能性があるということ。


「何故、そう思う?
 確かにISには操縦者の体に極端に負担をかけたりするシステムもいくつか存在する。
 しかし……ラウラの語ったような精神汚染など、聞いたこともない。
 何故お前は、その発想に至った?」

「あ、いえ………。別に、ただの想像ですよ。
 ボーデヴィッヒは代表候補生で専用機を持ってるって聞いてたので、
 その辺りに原因があるんじゃないかって………」


咄嗟に口から出たにしては、良い言い訳だったと思うんだけど。
織斑先生は普段から鋭い目をさらに険しくして、俺をじっと見つめてくる。
……この全てを見透かすような眼差し。相変わらず慣れない。
しばらく俺を見つめていた織斑先生は、ふっと息をつき、目を伏せる。


「……確かに、可能性としてはなくはないのかもしれない。
 だが現状では、ラウラのISを調べるのは難しいと言わざる終えんな」

「え…………どうしてですか?」

「ただメンテナンスするだけなら構わないが、ISをバラしての詳しい調査は
 候補生の所属国の同意がなければ行うことはできない。
 各国にとってISの研究成果やその技術は、国の損益を左右する最重要機密だ。
 いくら得られた技術を開示する義務があるとはいっても、だからといって
 それをこちらが無断で調べることはできない。
 いくら独自の自治が認められているIS学園でも、好き勝手はできない。
 ……まあ、操縦者の不調の原因が明らかにISであると認められれば、
 強制捜査の名目で解体して調べることは可能だがな」


そんな明確な確証なんてあるはずもなく。
そもそもが今の話は俺の推測の域を出ないわけで。
つまり現時点ではそれの原因がISだと確かめる術はないということ。
俺は溜息一つ吐き出して、織斑先生に背を向ける。
これ以上この話をしたって、解決策は見えてこない。
ならば、俺には先にやるべきことがある。
……実を言うと、さっきから罪悪感で潰されそうになってるんだ。


「?どこへ行く、アスカ?」

「ボーデヴィッヒを探します。さっき立ち聞きしてたこと、謝らないと」


そう、そもそもこの話はボーデヴィッヒにとって極めてデリケートな問題で。
本来なら出会って間もない、仲も良くない、全くの他人の俺なんかが聞いちゃ
いけないことだったのに。
興味に引かれてそれを盗み聞きしてしまった。
俺なら確実に相手を殴り飛ばしているレベルの大失態だ。
すぐに謝らないと………。
と、織斑先生の微かに微笑む声が聞こえてきて、そして唐突に………。


「1927号」

「え?」

「ラウラの部屋だ。ラウラは今一人で部屋を使っている。
 状態が状態だけにルームメイトをあてがえなかった。
 ラウラは授業以外では滅多に部屋から出てこないから、いるとしたらそこだ」


何で俺にそんなことを教えてくれるんだろうと振り返る。
と、織斑先生はとても優しげな表情でこっちを見ていた。
普段の悪鬼羅刹のようなそれではない、以前一夏に向けていたような、聖母のようなそれ。
それは昨日のことで内心わだかまりを感じていたことを忘れさせてくれるような、
そんな、暖かい笑顔。
俺はそれに妙に安心感を感じ、少しだけ頭を下げて駆け出そうとして、ふと立ち止まる。


「あの、織斑先生………。例えば、の話なんですけど……。
 俺のISに何か深刻な異常があったとして、IS学園として、それを調べることはできますか?
 俺は立場上、どこの国にも所属してないんですし、問題はないかと思うんですが……」

「……何だ、その質問は?
 ……だが、真剣に答えるとするなら、世間にそれを公表しないということなら、恐らく可能だろう。
 お前のIS『傷痕』はあの篠ノ之束のオーダーメイドだ。
 それに用いられている技術は各国にとっては生唾ものだろうからな。
 しかし実際それをしたら束からどんな報復を受けるか分かったものではないし。
 そもそもの話、『傷痕』は一度こちらが解析しようとして名前しか分からなかったのだ。
 IS学園ではそれ以上のことは、多分分からないだろうな。それこそ束にしか……。
 ……しかし、何故お前はそんなことを?」

「……………いえ、何でもないんです。
 ありがとうございました、織斑先生」


俺は今度こそ深々と頭を下げて、織斑先生の問いかけには答えず、駆け出した。
………やっぱり、調べることも無理なのか。
だったらいっそ『傷痕』を遠ざけておいたほうが………いや。
これは、俺の『力』なんだ。
いつまた、代表決定戦で現れたようなISが襲ってくるか分からない。
もう来ないかもしれないけど、万が一それが起こったとき、すぐにこの『力』を
使えないと………。
また誰かを、目の前で失うかもしれない。
だったらやっぱり、これは肌身離さず身につけておくしかない。
例えこのネックレスの中に、悪魔が巣食っているのだとしても。

俺は未だかつて無いほどに肩を落としながら、寮へと急ぐ。
こんなに落胆したのは、本当に久しぶりだった。































朝、それは俺が夜の次に嫌いな時間だ。
だって夜眠れなくてだる重になっている体に、健康的な日の光が容赦なく降りそそいで。
灰になってどこかへ行ってしまいそうになるからだ。
それに朝は立ちくらみが酷い。
少しでも気を抜くと、いつ体から倒れ込むか、分かったものじゃないからだ。
……ぐっ!?
そうこう言ってる内に窓から差し込んだ光で、立ちくらみが………!?
と、傾きかけた体を、篠ノ之が優しく支えてくれた。


「大丈夫か、アスカ?ほら、席につけ。ゆっくりでいいから………。
 …………よし。ミネラルウォーターがあるから、飲むか?
 少しは落ち着くはずだ」

「あ、ああ。ありがとう篠ノ之………」


ミネラルウォーターを一気飲みして、少し落ち着く。
篠ノ之はそれを確認して、ホッとしたように表情を和らげた。
……何だ、もの凄く恥ずかしい。


「大丈夫かシン?やっぱりまだまだ朝は辛いらしいな。
 でも箒、お前やけにシンの介助が上手くなったな。
 前々から思ってたけど、やけに手馴れているというか………」

「い、いや。気のせいじゃないか一夏?
 多分俺が入院してたときによく見舞いに来てくれてたから、その時に慣れたんだと思うぜ?」

「あ、ああその通りだ。アスカの見舞いをしていた時看護師の方から
 少しやり方を教わってな。手馴れていると感じたのなら、少しは上達してるということだな」


俺と篠ノ之は冷や汗を流しながら必死に言い繕う。
ううっ、何だよこの心境は……。
まるで友達を真っ向から裏切ってしまったかのような、この罪悪感は………。
と、不思議そうに首を傾げる一夏は、ふと俺の顔を凝視して、顔を明るくする。
……?何だ、一体?


「そうか、箒が介抱してるからか。
 今日お前の表情がいつもより明るいって思ってたんだけど、
 箒のお蔭で体の負担がいつもより軽いのかもな」

「あ、それ私も思ってたんだ。
 シン、あんた今日はやけに機嫌が良さそうだけど、それってやっぱり
 幼馴染さんのお蔭なの?」


一夏と凰が俺の顔を覗き込んでくる。
俺は内心ドキッとしながらも持ち前のポーカーフェイスで対応する。

しかし、何で俺の機嫌が良いって分かったんだ?
なるべく顔には出さないように努めていたのに。
俺の機嫌が良い原因、それはズバリ、昨日ボーデヴィッヒにきちんと謝って、許してもらえたからだ。

昨日俺はボーデヴィッヒの部屋までいって、少しだけ開いた扉の隙間から謝り倒して。
そしてお詫びの品を、ボーデヴィッヒにプレゼントした。
とても元気が出る品物を。
ボーデヴィッヒはそれをどうやら喜んでくれたらしく、立ち聞きしたことを許してくれたのだ。
ああ、何ていう都合の良い展開!
やっぱりどんなことでも誠心誠意謝ればどうにかなるものなんだって………。




「シン・アスカァァァァァァーーーーーーーーーーーーー!!!!!」




ドカンといきなり入ってきたボーデヴィッヒに、痛烈なドロップキックを喰らう。
訳も分からず俺は教室の端まで吹っ飛ばされ、壁に全身を打ち付ける。
皆が突然教室に乱入してきた竜巻に呆然とする中、篠ノ之とデュノアがいち早く
のた打ち回る俺の元に駆けつけてくれた。


「あ、アスカ!?大丈夫かアスカ!?
 くっ、何てことを…………ラウラ!!
 いきなり現れて、何故アスカにこんなことをする!?」

「そうだよラウラさん!!
 ラウラさんもシンが体調悪いことは知ってるよね!?
 どうしてこんな酷いことを………!?」

「ぐっ………、ボーデヴィッヒ、どうして……………!?」


俺もこんなことをされる謂れがないから、何とか息を整えながら、尋ねる。
昨日はあんなにしおらしく許してくれたのに、どうして………?
と、ふーっふーっと息を吐き出したボーデヴィッヒが、憤怒の表情で俺を睨みつけてくる。
まるで、鬼。織斑先生の本気の表情を彷彿とさせる、戦慄が教室を駆け抜ける。


「どうして、だと!?それはこっちの台詞だ!!
 昨日貴様が私に渡したあのサンドイッチ!!アレは一体何だ!?
 この世のものではないバイオハザードを私に食わせておいて、どうして、だと!!?
 貴様こそ私に何の恨みがあって、あんな毒物を私に渡したのだ!?」

「「「「「「「「…………………………………」」」」」」」」」


皆の俺を見る目が、一気に変わる。
同情的なそれから、非難めいたそれに。
篠ノ之とデュノアさえ、何故か俺を非難するような視線を向けてくる。
な、何故だ!?
何で皆、そんな極悪人を見るような目をするんだ!!?


「……シン、一つ聞くけど、セシリアさんのサンドイッチ。
 もしかして、ラウラさんにあげた?」

「あ、ああ。昨日ボーデヴィッヒにちょっと迷惑をかけちまって。
 お詫びの品に渡したんだ。
 美味しいものを食べれば、少しは元気になると思って………」

「美味しいもの!?貴様の舌は腐っているのか!?
 あんなものは人間の食べるものじゃない!!
 豚や牛もネズミさえも食わんわ!!
 そんな取り扱いレベル測定不能な劇物を、よくも私に………!!」

「………アスカ、お前は何ということを………」


そ、そんな!
あんなに美味しいサンドイッチを、何で皆そこまで悪し様に言うんだよ!?
俺はてっきりサンドイッチのあまりの旨さに皆嫉妬して、だからセシリアの料理を
あんなにけなしていたんだと思ってたのに!
俺がそれについて弁明しようと口を開けるけど、それより先にボーデヴィッヒが
ピシャリと言い放つ。


「シン・アスカ!貴様に少しでも心を許した私が馬鹿だった!
 貴様は敵だ!私を殺そうとする敵!
 私は貴様という存在を、決して認めんからな!!」


そう言って、ボーデヴィッヒは教室から飛び出していった。
……そろそろSHR始まるんだけど………。
皆が皆何も言わず沈黙する中、俺は一人、いつの間にか犯してしまっていたらしい大失敗に、
頭を抱えて唸っていた。



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