深い山間の峠を越えて長いトンネルを抜けたその先には、どこまでも澄み渡る
蒼い世界が広がっていた。
まあ、イギリスのブラインドビーチや旅行でよく訪れるエーゲ海と比べると
随分こじんまりした印象を受けますが、肌を撫でる潮風の心地良さは変わりませんわね。
差し込んでくる日差しに目を細めながらもそれを堪能していると、その余韻を
ぶち破るように横から陰鬱な湿気を帯びたか細い声が聞こえてくる。


「うふ、うふふふふ………! セ、セシリアさん見て見て、海よ、白い砂浜よ、
 見境なくサカッたリア充共の巣窟よ……うっ!?
 も、物凄いリア臭……こんなに離れているのに漂ってくるなんて……!
 セ、セシリアさん早く! 早くISであの欲望と穢れに満ちた白浜を消し飛ばして!
 汚れた不純異性交遊は断じて許してはいけないのよ!」

「か、花憐さん無茶を仰らないで下さいな! あれは私たちが滞在する予定のビーチ
 ではありませんし、そもそもISも展開していないのによくあんな遠方のカップルなど
 見えますわね!?
 とにかく、関わりのない他人の色恋などに嫉妬しなくても……」

「し、嫉妬…!? わわ私がいつ嫉妬などという醜い感情を抱いたというの…!?
 わた、私はただこの世のルールに則って不純異性交遊を見逃してはいけないと……!
 私は別に男とイチャイチャするのが羨ましいだなんて…!  
 ええ、そうよ! 私から振ってやったのよあんな貧相で軟弱な男!
 ああ…やっぱり私の事をしっかりと捕まえていてくれるのはモッくんだけ…。
 あ、ああモッくん怒らないで!? あの男とはただの遊びだったのよ!?
 わ、分かったわモッくん。モッくんが望むなら……私のこの呪われた力で
 あの草食系鹿男をこの世から永久追放して……!」


虚ろな目を空中に彷徨わせながらその控えめな懐から、冴えない男の顔写真の貼られた
藁人形と五寸釘、そして小槌を取り出す。
それをバスのあろうことかバスの壁に打ちつけようとするものだから、私は慌てて止めた。
あ、危ないところでしたわ……。
もし丑の刻参りなどしているところを織斑先生に見つかったら、呪いなどよりも遥かに
恐ろしい目に遭うに決まっていますわ。
せっかくの臨海学校、しかも初日は完全自由行動なのですから花憐さんも素直に
楽しめばよろしいのに…。
そんなエア彼氏と和気藹々とする暇があるのなら普通にお喋りでもすればいいものを…。

時は七月四日、朝の八時四十六分。今日は皆待ち望んでいた臨海学校です。
まあ私はよくリゾート地に足を運ぶので海自体にはさほど興味はないのですが…。
こうやって大勢の友人とともに遊びに行くなどほとんど経験がなかったもので、
思いのほか心は浮き立っていました。
それに今回は一夏さんも……シンさんもいらっしゃいますし……ゴホンッ! ンンッ!
…まあそれは一週間前までのことで、今はある悩みによってすこぶる沈んでいますが。

そ、それはまあ良いとして。
そんな心躍るイベントの初日のバスの相席が花憐さんとは、全くツイていませんわ…。
彼女の名は「涌本花憐(わくもとかれん)」。
私のクラスメート件ルームメイトでもあります。
彼女は何と言うか、言動からも分かると思いますがとにかく教室内で浮いています。
まあ性格は暗いですし近寄りがたい雰囲気ではありますが悪い子ではありませんし。
ルームメイトになってからは彼女が意外と肉食系女子で常に彼氏を渇望していると知り、
「なんだ、どこにでもいる女の子ではありませんか」と思い直していたのですが…。

ルームメイトになってから三日目、彼女が自分のベッド周りに妖しげなグッズを設置
し始めてから、その考えは少々揺らぎ始めました。
どこかの悪魔崇拝の如く建設されたおどろおどろしい祭壇には常時妖しげな動物の頭蓋骨や
場違いな菊の花が鎮座し、ロウソクの火がユラユラと揺れる様は何とも異様な雰囲気で。
しかも彼女は学外の男性に告白しては振られるたびに、その男性の顔写真を遺影として
その祭壇に飾り、怪しげな呪いを唱えているのですからたまったものではありません。
一応私のスペースとは完全に隔離されているのですが、そこから漂う負のオーラが
時たまこちらにまで流れているようで、最近なんだか肩が重いのです。
別にこっているわけではないはずですのに…。

それでも私が彼女に構ってしまうのは、彼女が何故か私にとても懐いているから。
普段の学園生活では自身の怪しげな趣味について語り合う相手がおらず一人きりでいるのに。
私と目が合うとまるで小動物のように近くに寄ってきてそれを余すことなく見せてきて、
しかもそれについて嬉しそうに話してきて。
その時の彼女はそのチャーミングな顔立ちと相まってとても可愛らしく見えて。
とても彼女に「そんな異質な趣味になどついていけませんわ」とは言えなくて。
でも私だけに素の表情を見せてくれる彼女に、どこかで心を許している自分がいて。
結局私は今日も、行き過ぎた行動を取ろうとする彼女を制止する役どころになってしまう。
…もう慣れっこなので、別に構いませんけどね。


「うぅ〜男なんて皆そうなのよぉ〜。
 私たち女に対してどこまでも卑屈で、消極的で…。
 私がIS学園の生徒だって知れば、余計に引いていくしで…。
 やっぱり私に見合う素敵な男性はモッくんか織斑くんか……。
 アスカくんはねぇ〜、最近やけに暗いし気味悪いし、正直近づきたくないわ。
 何で篠ノ之さんたちが彼にご執心なのか理解に苦しむのよ。
 セシリアさんもそう思うよねぇ?」


…少なくとも「モッくん」なんてエア彼氏と常時イチャついてる貴女ほど
シンさんは気味悪くありませんけどね。
でも、確かに私もシンさんの最近の様子については思うところがありますわ。
今までもシンさんは毎日辛そうにしていて、足取りがおぼつかないことも多々あって。
クラス代表戦で大怪我を負ってからは毎日医療施設に通院していて、なのに日々
少しずつ痩せ衰えていって。
…だけど最近は、学年別トーナメントでの戦いが終わってから、明らかにシンさんの
様子が変わった。

…虚ろなのですわ、瞳が。
その態度こそ普段と変わりはありませんが、まるで一切の光も遮ってしまうような
暗闇がそこに渦巻いていて。
それに時折誰もいない場所に向かって親しげに話しかけたりして、クラスの皆も
心配していますわ。…もちろん、私も。
だから私も毎日シンさんに手料理を届けて、少しでも元気になってもらおうと行動
していたのですが…。
私それでは満足できなくなって、一度深夜にシンさんの部屋を訪れようとしたことが
ありますの。
消化の良い暖かな夜食でも持っていって差し上げようと思って。

…でも、それが先ほど申し上げた悩み事に繋がるのですが。
私、見てしまったのです。
注意深く辺りに誰もいないのを確認しながらシンさんの部屋に入っていく、篠ノ之さん
たちの姿を。
それから毎晩同じ時間帯にシンさんの部屋を窺っていましたわ。
そうしたら一日も欠かさず彼女らはシンさんの部屋を訪れていたのです。
…はっきりいって、ショックでしたわ。
それ以来本人達に事情を確かめることもできず、結局私はこうして一人陰鬱に悶々と
しているわけなのです。
…私ってこんなに臆病でしたかしら。いつもの私なら直接本人たちに問いただすはず。
分からない…自分の心なのに。
と、いつの間にか通路を挟んだ反対側の篠ノ之さんたちを見ていたらしい。
ラウラさんたちが少し怯んだように私を見ている。


「せ、セシリア…何故そんなすわった目で私たちを見るのだ?
 言っておくがいくらお前でもこの席は譲らないぞ。
 旦那様と同じ席を確保するのに私がどれだけ苦労したと……」

「…別に席を代わってほしいわけではありませんわ。
 それより皆さん、少しシンさんにくっつき過ぎではありませんこと?
 隣の篠ノ之さんは、特に」

「ブッ!!? な、何をいきなり言い出すのだセシリア!?
 べ、別に私はアスカにひっついてなどいない…ぞ?」


語尾が疑問系になるということは、その自覚があるということですわ。
そもそもシンさんの右手に手を添えて、肩が触れるほどに寄りかかっているくせに
よくそんな事が言えますわね…。
と、缶詰のミカンをシンさんに食べさせてあげていたシャルロットさんが、苦笑しながら
こちらを振り向く。


「あはは、確かに箒は少しシンにベタベタし過ぎだよね。
 少しは自重してよ箒? 僕だって気になるんだし、何より周りの目が…。
 ああ、シン。ほっぺたに食べかすがついてるよ…はい、取れた」


言いながらそれをパクッと口に含むシャルロットさんに私を含め、
三人の視線が突き刺さる。
しかしシャルロットさんはそれをどこ吹く風で受け流し、シンさんの口元を
拭いてあげている。
…流石にいい根性してますわね、彼女。
私たちの視線を受けてなお決して笑みを崩さないところも、小癪ながら見事ですわ。


「というか、シンさんも。
 女の子三人から尽くされているだけというのは、少し感心しませんわ。
 貴方の体調が悪いのは重々承知していますが、彼女らに少し自重するよう
 言わないと、その奉仕がどんどんエスカレートして………シンさん?」


彼女たちとの問答に意識を向けていた私は、シンさんの様子にようやく気付く。
……ああ、何て虚ろな目。
そこに宿る暗闇は、昨日見たときよりも一層深くて、その視線は空中をフラフラと
彷徨っていて…。
と、彼は気だるげに首をこちらへ向けると、その顔を柔らかく綻ばせる。
そして愛しげに小さく囁いた。


「あぁ……マユ。また、来てたのか」

「は…? ま、マユ? あ、あのシンさん、私は……」

「…はは、そんなに睨まないでくれよ。
 俺はどこにも行かないから…いつでも『ここ』にいるから…。
 なあ、もっと傍に来てくれよマユ。また、一緒に花畑で………あ」


シンさんは私を……正確には私の左横を見つめながら「誰か」に向かって話しかけ、手を伸ばす。
しかし、不意にその手が止まる。
どうしたのかとシンさんを見るけれど、彼は一瞬呆けていて、それはすぐに寂しげな笑みに変わる。
その時にはその瞳にも光が戻っていて、いつもの燃えるようなそれで私を見つめる。
…まるで今初めて私の存在に気が付いたかのように。


「…ん? ああ、セシリア…どうしたんだよ? そんな間の抜けた顔してさ。
 何か、俺に用か? それとも……おい? 聞いてるのかよ?」

「……それはこちらの台詞ですわ。シンさんこそ、今までの私の話を聞いて
 いらっしゃらなかったのですか?」

「話……? 何のことだ?」


本当に先ほどまでのやり取りを知らないかのような反応に、どうしていいか分からない。
やはり…何かおかしい、おかしすぎますわシンさん。
確かに最近は夢現でしたし、空に向かって話しかけていましたが、これはいくら何でも…。

と、そんな私の思案を遮るように視線を向けてきたのは篠ノ之さん。
彼女は先ほどまでの蕩けたような表情から一変、口元をきつく結んで私を見つめている。
まるでこれ以上その話はするなと、訴えかけるように。
ふと気が付くとシャルロットさんもラウラさんも、同じように私を見ていて、思わず
たじろいでしまう。
な、何ですの皆して。まるで私を部外者であるかのように…。
私だって、シンさんのことを心配してますのに…。


「ふ、ふんっ! もういいですわっ! 別に大した用事でもありませんでしたし、
 皆さんだけでしっぽりと楽しんでいるといいですわっ!」

「え……お、おい! 待てよセシリアっ!」

「……すまない、セシリア」


後ろからシンさんの戸惑うような声と、篠ノ之さんの申し訳なさそうな声が聞こえてきて、
それが私の心をさらに掻き乱す。
あーーーもうっ!! 何なんですのこれはっ!?
何で楽しいはずの臨海学校初日にこんな気分にならなければいけませんの!?
私は席に戻ると夜に食べようと思っていた秘蔵の高級チョコの袋を開けて、一つ口に放り込む。
口いっぱいに広がったその味は、何故か少し、苦かった。































「「「「「 海だぁ〜〜〜〜〜〜!!!!! 」」」」」


うら若き乙女たちの歓声が果てしない青空に響き渡る。
あれから間もなく三日間滞在することになる『花月荘』へと到着した私たちは
すぐさま割り当てられた部屋へ荷物を置き、別館で水着に着替えてビーチへと繰り出した。
皆よほど楽しみだったらしく着替えの最中から既にテンションは天井知らず。
なによりIS学園生には無縁の、男性とのアバンチュール。燃えないはずがありません。

かくいう私も、このビーチへ向かう途中一夏さんとシンさんに出会いました。
一夏さんは私の水着(蒼色のビキニ+パレオ)を似合っていると褒めて下さいました。
とても嬉しくて舞い上がってしまいましたわ。
シンさんとは……バスの中でのことがありますので、あまり言葉は交わしませんでした。
チラチラと私を窺うシンさんは、まるで悪戯をした小学生が何とか謝ろうと機を探っている
姿に見えて微笑ましかったですけど…。
結局変な雰囲気のまま、私たちは別れてしまって。
このビーチに来てからも、シンさんの姿は見ていません。


「あ〜〜〜〜! 鈴ずる〜い! 織斑くん、私たちも肩車してよーー!」

「そうよそうよ! 織斑くんは全学年の共有財産よ! 独り占めは許さないんだからーー!!」

「誰が共有財産だっ! ええい、そろそろ降りろ鈴! このままじゃ収拾がつかないからっ!」

「えぇ〜? ついさっき始めたばかりなのに? …まあ、しょうがないかな」


見るとビーチで準備運動をしていた一夏さんの体によじ登って、鈴さんが辺りを見回している。
意外とがっしりとした一夏さんの体は鈴さんを悠々と支え、力強い男らしさを感じさせる。
当然ビーチでそんなことをしていれば皆の注目の的になるのは自明の理。
一夏さんと鈴さんはあっという間に周りで思い思いに遊んでいた彼女たちに囲まれてしまった。

り、鈴さんたら……。いきなりあんな抜け駆け…こほん。ルール違反を……。
私も混ざりに行こうかしら……でも、何故かしら。そんな気分になれない。
持参したビーチパラソルを差し、シートを広げて腰を下ろしたその体勢から、どうしても
次の一歩が踏み出せない。
頭の中によぎるのは、やはりというかシンさんの顔。
先ほどのバツの悪そうな、それでいて落ち込んだような顔が忘れられない。
…やっぱりあそこで意固地にならずに謝罪すれば良かったかしら…。
そうすれば今頃はシンさんにこのサンオイルを塗ってもらって、天にも昇る思いを…。


「…はっ! い、いやですわ私ったら、はしたない。過ぎてしまったことでくよくよ
 するなど私の性分では………きゃっ!!?」


突如腕を掴まれたかと思うと、後ろの茂みに引きずりこまれる。
な、何なんですのいきなり!?
まさか、痴漢!? 変質者!?
ふんっ! 誰だか知りませんがよりにもよって私を狙うとは愚かな輩ですわね!
変質者如き私のブルー・ティアーズで骨も残さず………!


「ま、待て待てセシリア! いきなりISを展開するのは勘弁してくれよ!?」

「は……? って、ええっ!? し、シンさん何してますのこんな所で!?」


血相を変えて私の前に顔を覗かせたのはシンさんだった。
その瞳には今朝のような漆黒はなく、いつも通りの優しい光。
訳も分からず草むらに引きずり込まれたにも関わらず、それを見ただけで妙に
安心してしまう私は、一体何なのでしょうね?


「……事情を説明して下さいますわよね? 事と次第によってはいくらシンさんといえど……」

「べ、別に如何わしい目的でこんな茂みに引き寄せたわけじゃ……いや。
 普通はそういった意味に取るよな、悪い。
 でも、どうしても皆のいるところじゃどうにも言いづらくて……」

「…えっと…。一体なんですの、そのお話とは?」

「あ、ああ……うん。えっと……その、セシリア悪かった!
 今朝はバスの中で不機嫌にさせちまって!
 俺、ちょっとボーッとしてて、お前の話、ぜんぜん聞いてなくてさ!
 かなり遅くなっちまったけど、本当に反省してるから………」


…………………………………ぷっ。
こんな変態じみた手段で私と二人きりになったと思ったら、いきなり全力で謝りだして…。
やっぱり、どこまでも硬派で、不器用な人。
そんなに気になってらしたの? 私と気まずい雰囲気になったことが?
…ふふっ、何だかあんなに悶々していたのが馬鹿らしくなってきましたわ。
私は自然と顔を緩ませて、シンさんを見つめる。
不安げに揺れるその瞳と、視線が交差する。


「………顔を上げてくださいな。私の方こそ、謝らなくてはなりませんわ。
 …ごめんなさい、朝はあんな大人気ない怒り方をしてしまって。
 シンさんが調子が悪いのは、よく知っていたはずなのに……。
 貴方が篠ノ之さんたちとばかり仲良くしてるのが、なんだか羨ましくて……ハッ!?
 い、いえ違いますわ! 今のは口が滑ったというか何と言うかっ!
 あ、あああっ!? それだと全然弁明になってないんじゃ……ああもうっ!」

「お、おいセシリア? …………ははっ。やっぱり俺たちはこうでないとな。
 …もう一度言わせてくれよ、ごめんな。最近意識が飛ぶことが多くなってきてさ。
 篠ノ之たちにも朝も晩も世話になりっぱなしでさ。
 ……こんなことじゃいけないって、分かってるんだけど」

「もういいですわよ、謝罪なんて一度聞けば十分ですわ。
 それよりも、聞き捨てならないことが一つあるのですが。
 …篠ノ之さんたちに朝も『晩も』世話になっているというのは、どういうことですの?」

「あっ……しまった。これって一応秘密だったっけか。
 …でも、いいか。セシリアなら他言はしないだろうし。
 実はさ、結構前からなんだけど。俺、夜に篠ノ之たちに怪我やその他諸々の看病を
 してもらっているのさ。
 と言っても、夜に年頃の女の子が同学年の男の部屋に通いつめるなんて良いことでは
 ないから、今まで黙ってたんだけどさ」


聞いて、胸のつかえが取れたように、得心する。
ああ…そういうことでしたの。毎晩彼女たちが通い妻の如く忍んで彼の部屋を
訪れていたのは、看病が目的だったと。
しかもその後のシンさんの話からすると、篠ノ之さんに関しては随分前から看病に
出向いていたらしくて。
なるほど、一時期からシンさんと篠ノ之さんが急に仲良くなったのにはそんな理由がありましたの。
…………ふ〜〜ん。


「………ずるいですわっ!!」

「ひっ!? …え? ずるいって、なにがだよ?」

「看病の件に決まっているでしょう!?
 何故そんな大事な事を私に黙っているのです!?
 私だってシンさんが入院している時に夜うなされているのは知っているのですから、
 一言声をかけてくだされば、夜でもお見舞いくらいさせていただいたのに!
 夜押しかけるのは迷惑だと思って食事の提供のみに甘んじていたのが、
 馬鹿みたいではありませんかっ!?」

「いぃっ!? で、でも俺の看病を毎日、だぞ!? 
 自分の貴重な時間を削ってまでやることじゃないし、それに…。
 俺も心苦しいし。今だって篠ノ之たちにそれをしてもらうのが
 正しいかどうか悩んでて…。織斑先生からは篠ノ之たちの頑張りを
 無碍にする考え方だ、とか言われたけど……やっぱり」


シンさんはごにょごにょと小さく呟いていましたが、私はそれを一蹴する。
彼の気持ちも分からなくはありません。むしろよく分かります。ですが……。
貴方は一つ、勘違いしていますわ。


「篠ノ之さんも、シャルロットさんも、ラウラさんも、貴方が心配だという以上に、
 貴方のことが大切だから、そこまで献身的に尽くせるのです。
 シンさんの言うとおり、普通は毎晩自分の時間を削ってまですることではありませんわ。
 自分の肉親だとかの特別な理由でもない限りは。
 つまり彼女たちにとって貴方は、その特別な理由に当てはまる存在なのでしょう。
 …わ、私はまだそういった感情はありませんので、泊りがけなどということはしませんがっ。
 それでも私も、貴方を大切な友人だと思っている。
 だからこそ、『ずるい』という感情を抱いているのですわ」

「……篠ノ之たちが、俺を大切に……。
 だけど、俺達が出会ってからまだ半年も……」

「一緒にいた時間ももちろん大切です。ですが……。
 大切なのはその時間の中でどれだけ互いに心を通わせることができたか、です。
 どれだけ長い時を一緒に生きても心が通じていなければ…それはただ時間を
 無為に過ごしたとしか呼べないでしょう。
 私は彼女たちの心情までは存じませんが、それをさせるだけの交流を、既に貴方たちは
 しているのでしょうね」


言っていて、少しだけ胸が痛んだ。
逆に言えば私はまだ彼とそこまでの絆を結んでいない、ということ。
思い返してみればクラス代表を賭けたあの戦いが、一番彼と濃密に過ごした時間と
いっても過言ではありません。
彼の燃え上がるような闘志を全身で感じた苛烈極まる戦い。
あの傷だらけのISを初めて纏った時の、あの歪んだ表情。
その夜に偶然彼と邂逅した時の、あの心地良さ。垣間見えた彼の素顔。
それは私だけしか知りえない、彼との物語。

それ以来彼のことを知らず目で追いかけていて、それからも彼は突如襲いきた災厄に全身全霊で
立ち向かい、その度に一人だけ傷だらけになって。
それでもぶっきらぼうに、気丈に、優しく笑っている彼が、少しずつ気になりだして。
……少しでも彼に近づいてみたい、彼のことを知りたいと、そう思うようになって。
だから、でしょうね。夜篠ノ之さんたちが彼の部屋を訪れていると知って、あんなに心が
ざわめいたのは……。
こんなこと、彼には言えませんけどね。


「……そんなに、交流なんてした記憶はないんだけどな。
 俺が、そう思っているのかもしれないけど……」

「そうですわよ、シンさんは一夏さんほど他人の好意に鈍感ではないくせに、
 そういった心の機微には疎いですわよね。
 …まあ、ちょっと説教臭くなってしまいましたけど、要は彼女らの好意は
 素直に受け取っておきなさいということですわ。
 でないと彼女ら、泣いてしまいますわよ?」


それは困る、と彼は顔をしかめ、自然と私たちの間に笑いが起きる。
…久しぶりに見た、彼の笑顔。
年相応の少し生意気そうなその笑顔に、魅入られている自分がいて。
やっぱり彼には、笑顔でいてほしいですわ。
いつものような、あんな沈んだ顔は見たくありませんもの。
……さってと! 辛気臭い話はこれくらいにして、私に少し付き合ってもらいましょうか。
看病のことを話して下さらなかった罰ですわ。
当初妄想した通り、彼にサンオイルを塗ってもらって……え?


「……シンさん?」


私が目を少し逸らしていた間に彼が笑いを止めた。
気になって視線を戻すと、彼は私から顔を逸らし、茂みのさらに奥を見つめていて。
おもむろに立ち上がったかと思うと、体を揺らしながら歩き出した。
私はその姿に不吉なものを感じ、慌てて彼の腕を掴む。ですが……。


「あ、あのシンさんっ。一体どうなさったの……くっ!?
 す、凄い力……シンさん、止まってくださいまし!
 一体どうなさったっていうんですの!?」

「……なあ、ステラ。どこに行くんだよ……。寂しいじゃないか…。
 そんなに急がなくたって、俺は……」


ま、またですのっ!? 今朝のバスの中みたいに、呼んでいる名前は別人のようですがっ!
彼は幽鬼のように茂みの中をユラリと進んでいく。
私は夢遊状態となった彼を何とかとどめようとしがみつくけれど、いつもの弱った彼からは
想像もできないほどの強い力に、ズルズルと引きずられてしまう。
そうこうしている内に、私たちは崖に辿り着く。
このビーチを訪れた時にまず目に飛び込んできた、あの険しい崖。
下から覗いてみたけれど、とても切り立っていたのを思い出す。
でもそんな絶壁の淵に彼は迷うことなくズンズンと歩いていく。
し、シンさんまさか…………。


「シンさん駄目ですわっ!! その先は……まって、待ってくださいっ!!
 あの高さから落ちたら、いくらシンさんでも……!!
 お願いですから、ねえっ!! シンさんっ!!」

「……ああ、今行くから、ステラ。約束、したもんな。
 ずっと……一緒に………………」


虚空に向かって手を伸ばしながら突き進む彼の瞳には、やはり一切の光がない。
あるのは虚無と混沌と、そして傍目から見てもわかるほどの、悲しみだった。
私はそれを見て一層力強く踏ん張る。
そして、お腹の底から、あらん限りの声を振り絞った。


「私はっ!! 貴方に死んで欲しくなんてありませんっ!!
 お願いですから、私の前からいなくならないで下さい!!!
 戻ってきて、シンさぁぁぁぁぁん!!!!!」 


と、彼の体が一瞬ビクッと硬直する。
そして今まで呪詛のように垂れ流していた言葉が、止まる。
彼は呆然としながらも、呻くように呟いた。


「……し、ぬ……? 死ぬ……俺が……?
 駄目、だ……。俺はまだ、死ぬわけには………あれ?
 俺、一体………って、なぁぁっ!!??
 何だよこの断崖絶壁はぁ!!? あぶ、危ねっ!?
 は、早く離れ………って、あれ?
 セシリア? 何でお前、俺の体にしがみついて………?」


私はシンさんの体にしがみついたまま、ヘナヘナと座り込んでしまった。
彼はもういつもの通り、少し生意気そうな表情に戻っている。
そんな彼が私を気遣わしげに見つめてきて、体の力が一気に抜けた。
顔を覗きこんできた彼に向かって、大声を張り上げてしまう。


「馬鹿ぁ!! シンさんの、馬鹿ぁぁ!!!
 何を飄々とした顔をしてますの!?
 私がどれだけ心配したと思っているのですか!!?
 よくそんなあっけらかんとものが言えますわね!?
 一体何なんですの!? 最近特にそうですわ!!!
 急にぼんやりしたと思ったら誰かの名前を呼びながら徘徊して!!
 とても悲しそうに、名前を呼びながら………!!
 見ている私たちがどれだけ胸を痛めているのか、考えたことがありますの!?
 普通じゃありません、こんなの異常ですわ……。
 何かの病気なのですか…? それなら早急に医療施設で診てもらわないといけませんし…。
 それに……一体誰なのですか? マユさんに、ステラさん、ですか?
 秋之桜さんのことではないでしょうし……もう、心配で、おかしくなりそうですわ……」


安心しきった反動で泣きじゃくってしまった私を見ながら、シンさんはグッと息を詰まらせる。
でも、私の言葉には何も応えてくれず、申し訳なさそうに私にハンカチを差し出した。
……私には、何も答えてはくれませんの?
やっぱり毎晩看病しているという、篠ノ之さんたちにしか、教えていませんの…?
そう考えると、また涙が溢れてきた。

と、しばらくそうしていると後ろのほうから誰かの声が聞こえてくる。
…篠ノ之さんと、シャルロットさんと、ラウラさん。
三人ともが心配に顔を歪ませながら、こちらに向かって駆け寄ってくる。
多分私たちのやり取りを崖の下から見たのでしょう。
皆さん涙目になりながら血相を変えて向かってきています。
よっぽどシンさんのことが、心配だったのでしょうね。


「……はは、篠ノ之たちにも心配かけちまったみたいだな。
 …ごめん、セシリア。立てるか?
 色々話はあるだろうけど………ごめん。
 さ、とりあえず行こうぜ。まだまだ遊ばないと損だもんな。
 俺は木陰で見てるだけにさせてもらうけどさ」


私に二度も「ごめん」と謝りながら彼は篠ノ之さんたちの方へ歩き出す。
……何に対して謝ったのでしょうね。
私を泣かせたことに対して?
それとも……私の質問に答えなかったことに対して?
いずれにしても私はそれ以上何も聞けなくて、同じように彼の背を追おうとして…。
ふと、足元に転がっている何かに気付く。

小さめのピンク色の携帯電話。
可愛いストラップもついていて、女の子が持っていたものだと予想させる。
でも私はその携帯に見覚えがあった。
それは、確か代表決定戦の夜、シンさんがベンチに腰掛けて弄っていたものと同じ。
あの時は私が近づいた途端にしまってしまいましたが…。
きっとさっきのやり取りの間にポッケから落ちたのでしょう。
落ちた衝撃でディスプレイが開いて、その待ちうけが映し出されていた。

今の年齢よりも少し幼い印象を受けるシンさんと、そんな彼にしがみついてはにかむ少女。
小学生高学年か……多分中学一年生くらいだと思われるあどけない少女。
そんな少女の顔は、どことなくというか、秋之桜さんと瓜二つで思わず見入ってしまう。
私はそれをしげしげと見つめていたけど、他人の携帯電話を見ていることに罪悪感を
感じて、それを拾い上げてシンさんに差し出した。


「あの、シンさん……。これ、落ちてましたけど……」

「え? ………………っ!!」


シンさんは持っていた携帯電話をひったくるように奪い取ると、すぐに踵を返して歩き出す。
その姿に機嫌を損ねてしまったのかと焦燥した私は、慌てて彼に話しかけようとするが、
それよりも先にシンさんがこちらに話しかけてきた。


「……ごめん、お礼も言わずに。大切なものだったから、これ…。
 …ところでさ、見たか? 待ち受け……。
 画面が開きっぱなしになってたから」

「あ……ごめんなさいっ! 開いた状態で落ちてたから目に入ってしまって……。
 ……ぶしつけでごめんなさい。シンさんと一緒に写っていた女の子…一体誰ですの?」


彼はほんの少しだけ逡巡した後に、小さく「妹………」と呟いた。
妹さんがいらっしゃったなんて、私初めて知りましたわ。
シンさんプライベートのことは一切話してくださいませんでしたから…。
でも、少しだけ彼のことが知れて嬉しくなって、さらに質問してみた。


「妹さん、でしたのね。もしよろしければ、お名前など……」

「……マユ、っていうんだ。とっても明るくて、やけにマセててさ。
 結構手を焼いてたんだぜ?」
 

嬉しそうにそう語るシンさんを横目に、私はあることがひっかかっていた。
マユ、さん? それって、彼がバスの中で呟いていた名前では……。
私はどうしても気になって、制止する心を振り切って、聞いてみた。
…聞いて、しまった。


「その、マユさんは今どこにいらっしゃいますの?
 シンさんも三年間はIS学園にいるのですし、随分寂しい思いをしているのでは…?」

「…………………………うん。そうだったらいいんだけどな。
 でも、大丈夫なんだよ。今は遠く離れたところにいるけどさ。
 俺が……俺が成し遂げることさえできれば……きっと傍に………」


そう呟いたシンさんの表情は、とても優しそうに見えて。
だけど、その瞳には隠しきれない寂しげな、悲しげな光が見て取れて。
彼は遠く離れていると言っていたけど、その裏にある真実を直感ではあるけれど
おぼろげに感じ取って。
私は、それ以上何も言えなくなった。
……もしかしたら、彼も、大切な人を……。
そう思うと、不謹慎ではあるけれど、この人のことが、とても、身近に感じた。
今はただ、それだけだった。































夜は八時を過ぎ、皆割り当てられた部屋で思い思いにくつろいでいる頃。
私は篠ノ之さん、シャルロットさん、ラウラさんとともに織斑先生の部屋の前に来ていた。
……すごい威圧感ですわね。世にいう鬼ヶ島の眼前に立てば、こんな心持ちになるのでしょうか?


「……セシリア、それは考えても顔には出すなよ?
 あの出席簿の一撃は脳内細胞を軽く億は殺してくるからな。
 でも、驚いたぞ。まさかお前が、アスカの看病をしたいと言ってくるなんて
 アスカの部屋に入るのを目撃されていたとは不覚だが……。
 でもアスカの口から看病については聞いたようだし、私からは言うことはない」

「旦那様の看病は妻たる私の役目なのだが……。
 まあ、セシリアならば仕方あるまい。本気で心配しているみたいだし」

「ら、ラウラ。勝手に妻認定は困るんだけどな。
 でも、セシリアさんがそう言ってくれるなんて、嬉しいな。
 って、僕が言うのも可笑しな話だね。
 問題は、シンがどういうかだけど……」


関係ありませんわね、そんなこと。
大体がシンさんは自分のことに無頓着が過ぎるんです!
今日のあの出来事で吹っ切れましたわ。
まだ付きっきりで看病するほど交流してないとか、詭弁も甚だしいですわ!
シンさんを元気にして差し上げるのは私、そして私の手料理です!
ええ、もう決めましたとも!遠慮などするものですか!!


「ふふっ、違いない。でも、意外だったな。アスカが織斑先生と同室などと。
 てっきり一夏と同室だと思っていたからどう看病しようか対策を考えていたんだが…」

「うん、一夏は山田先生と同室なんだよね。
 それはシンや一夏を一人部屋or二人部屋にしたら女の子たちが押し寄せて
 大変なことになるかもだけど……。
 でも織斑先生なら一夏を同室相手にすると思ったんだけどね」

「……ひょっとすると、教官は私たちのことを考えてくれたんじゃないのか?
 旦那様を同室にすることで、私たちが気兼ねなく看病できるように。
 そもそも今だって、私たちは教官に呼び出されているわけだし……」


確かに……ていうか、それ以外考えられませんわ。
織斑先生はシンさんの事情についても知っておられたらしいですし、彼のことを
考えて配慮されるというのは容易に想像できます。
…でも、シンさんの看病デビューがよりにもよって鬼ヶ島の陣中直中というのは…。
相当なプレッシャーですわね…。
ともかく私たちは先生の部屋をノックして、しばらく待つ。
……出てこない。反応もない。


「……おかしいですわね。確かこの時間帯は部屋にいるからと仰っていたのに」

「そうだね、先生が嘘言うとも思えないし。もしかしたら急な用事でも………あれ?」

「鍵、開いているぞ。教官にしては不用心だな。
 いくらIS学園生の貸切になっているとはいえ……」

「とにかく、入ってみよう。アスカも中にいるはずだし、私たちはアスカと
 一緒にいることが目的なのだから」


し、篠ノ之さん随分はっきりとものを仰いますわね。
それだけ、彼女のシンさんに対する想いは強い、ということでしょうか。
……あ、良かった。今嫉妬できましたわ。
と、ちょっと遠慮がちに「入ります」と言ってから足を踏み入れる。と、


「よお、篠ノ之ぉ、それに皆も。こんな時間にどうしたんだよ?
 あ、さては俺に会いたくなったとか?
 なーんて、冗談だけどな。さ、入った入った。
 もう織斑先生も山田さんもいるんだぜ?」

「うわっ!? あ、アスカ? 何だ驚かすな……って、やけにテンション高いな。
 何かいいことでもあったのか?
 それに何故山田先生まで……」

「と、とにかく入ってみようか箒………うわっ!?
 し、シンそんなに強く押さないでよ!?
 急かされなくても入るからさっ!」


目の前に仁王立ちしていたシンさんに驚きつつも、私たちは促されるままに
部屋の中へと進んでいく。
と、シンさんは私たちの後ろで扉に鍵をかけ、念入りにドアチェーンまで取り付けていた。
そして私たちを見つめるその視線はやけにネットリとしていて……。
…おかしいですわ、いつものシンさんではないような…。
そういえば先ほど彼から漂ってきたあの独特のアルコール臭は……日本酒?
と、奥へと進んでいった私たちの前に、有り得ない状況が飛び込んできた。
浴衣を乱し、倒れ伏す織斑先生と山田先生。
二人とも普段の顔からは想像もできないほどに蕩けきった表情をしていて、
素肌が見える部分はキラキラと汗よりも粘着質のある液体でぬめっていた。
……目が、完全にイッている……。何が、あったんですの……?


「え………? な、何ですのこれ………?
 お、織斑先生……? 山田先生……?
 なんで、こんな浴衣を乱して……………?」

「き、教官………? 一体どうしたっていうのです……ふえっ?」


後ろで呻いていたラウラさんが素っ頓狂な声を上げる。
見るとシンさんが彼女の両肩に手を置き、ニヤニヤと笑っていた。
ゾッと私たちは身をこわばらせる。
訳も分からず、でも少しずつ後ずさりする私の足に、何かが当たった。
それは……一升瓶? しかもそれが三本も………!?


「こ、これは……『銘酒、鬼神殺し』? しかも中身は一滴も……」

「……あ、あぅ……、し、篠ノ之……シャルロット……ボーデヴィッヒ……オルコット……。
 に、逃げろ……。アスカは、私たちが飲んでいたそれを誤って飲んでしまって………。
 く……この織斑千冬ともあろうものが、まったく力で抗えないだなんて………うむっ!!??」


ま、まさかシンさん……酔っぱらって………ふぇぇ!?
いつの間にか織斑先生の傍に近づいていたシンさんが、彼女の口を徐に塞いだ……自分の口で。
私たちが呆然とする中、ピチャピチャと舌が絡まり合う音だけが響いて……。
不思議な感覚に襲われた私たちは顔を赤面させながらも、目が離せないでいた。
と、三十秒以上に及ぶ唾液の交換が終わる。
所以先生の舌を『食べていた』シンさんは、ちゅぽっとそこから口は離すと、浴衣の袖で
口元を拭った。


「あぅ………あぅぅ………へぁ………ううぅ……………」

「ふふ……いくら千冬でも俺の本気の力には勝てないよ。
 千冬は女で、俺は男だからな。
 ……さて、千冬と真耶への愛撫はこのへんでいいかな。
 本番は、篠ノ之たちの準備を終えてからでも遅くはない……」
 

と、私たちを猛禽のような目で見据えたシンさんは、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
ま、不味いですわ……体が、動かないっ………。
それを楽しそうに見つめていたシンさんは、まず一番手前にいた篠ノ之さんを抱き寄せた。
真っ赤に赤面して、俯く篠ノ之さん。
でも彼女は彼の腕の中で、わずかに身じろぎした。


「あ、アスカ……。私は、こんな事でお前と契りたくはない……。 
 正気に、戻ってくれ……。でないと、私は……あっ……」

「篠ノ之……俺は至って正気だぜ? ただ……感情の歯止めが効かなくなってるだけだ。
 お前には、本当に感謝してるんだ。俺がここまで生きてこれたのは、お前のおかげだ。
 だからこそ俺は……お前が愛おしい……」

「い、愛おしいって……。それって、まさか………んむっ………!?」


篠ノ之さんの言葉を待たずに、シンさんは彼女の唇にむしゃぶりついた。
最初は目を見開いていた篠ノ之さんですが、すぐに目を閉じて、彼との接吻に専念しだす。
途中、舌を入れられたらしく驚いている場面もありましたが、すぐにそれも受け入れ、
しかもその間体中をシンさんにまさぐられ続け、二分以上の口づけが終わったとき、
彼女は先生たちと同様に、その場に倒れ込んだ。
恍惚の表情を浮かべて、シンさんを愛おしそうに見つめながら。


「ほ、箒……………………」

「あ、あわわわわわわわわ………」

「しゃ、シャルロットさんラウラさん、どうしましょう……。
 このままでは私たちも……きゃあっ!?」


一連の情事に釘づけになっていた私は、シンさんが私の傍に来ていることに気付かなかった。
彼は私の浴衣の胸元を掴んだかと思うと、それをガバッと広げ、さらけ出された胸の間に
顔を埋めてきた。
あまりの恥ずかしさに、涙がこみ上げてくる。


「ま、まって……待ってくださいまし、シンさん……。
 確かに私は貴方の看病をするとは言いましたが、ここまでするとは……。
 そもそもこういうことは段階を踏んでからじゃないと……。
 雰囲気も、ありませんし………あぅっ!!??」


いやいやと懇願する私は、強く乳首に吸い付かれたことで黙らされてしまう。
や、やめてください……胸は、弱いのに………。
と、シンさんは下から顔を近づけてきて、私の口元で囁いた。
私の口に、シンさんの吐息がかかって、それだけで意識が混濁してくる。
甘く、頭が痺れてくる。


「セシリア……お前はいつも俺に美味い飯を作ってくれて。
 それがどれだけ俺を救ってくれているか……。
 だから俺は常日頃から、お前に何か恩返しがしたいって考えてたんだ。だから……。
 今は何も言わずに、俺に全てを委ねてくれよ。
 意識が飛ぶくらい、気持ちよくしてやるからさ……」

「し、シンさん…………んむぅ…………」


シンさんに見つめられながら、私は彼の唇を受け入れた。
信じられなかった、自分が。
確かに彼の事を心配していたのは事実だけど、こんなにあっさり唇を許してしまうなんて…。
私はこんなに、意志薄弱でしたかしら?
……いいえ、彼の力強い意志を目の当たりにしているうちに、彼の食事を毎日作るうちに、
知らないうちに、私はこんなにも、彼に惹きつけられて………うむぅぅ!!??

し、舌っ!!? このぬめぬめした生き物みたいなのって、もしかしてぇ!?
突如口内に侵入してきた変幻自在に動くそれに、知らず翻弄されてしまう。
でも少しずつそれが快感になってきて、少ししたら私もおずおずと舌を差し出していた。
それを敏感に察知したシンさんは私のをからめ取って、さらに蹂躙してくる。
すごい……というか、彼はどこでこんなテクニックを………?
しかし徐々に酩酊していく意識ではそれを考えることもままならず。
そして篠ノ之さんと同じように体を隅々までまさぐられていたことも相まって、
それが終わる頃には私も同じように畳の上に倒れ伏した。
腰が、立たない………。
体に、力が入らない………。
でも、何故ですの…? 何故こんな、幸せな気持ちに………。

そんな間にもシャルロットさんもラウラさんも、次々とシンさんの責めを受けて沈んでいって。
皆が皆、息も絶え絶えながら、彼を愛おしそうに見つめていて。
と、彼はそれを見ると小さく頷き、自身の浴衣を脱ぎだす。
全身フルアーマーの特別仕様のそれを脱いだそこにはいつもの傷だらけの肉体。
でも、何故かしら……。あの体さえも、見つめていると愛しさがこみ上げてくる……。


「さぁて……これからが本番だ……皆を俺だけの女に……………………………」



バタンッ!!!


と、いきなりシンさんは畳の上に倒れこんで、そのまま動かなくなる。
慌てて駆け寄ると、シンさんは安らかな寝息を立てていた。
……眠ってしまわれましたのね、でも、とても安らかな寝顔ですわ。
気だるげに起き上った私たちは、シンさんを布団に寝かせ、その間に身なりを整える。
そして尚も子供のような無邪気な顔で眠るシンさんを、見つめていた。
…こんなに、男性を愛しく思うのは、初めてですわ…。
これは、少しでも肌を重ね合わせたから? それとも……。
と、彼の顔を見入っていると、ふいに頭の中に声が響いてきた。
とても邪悪な、ジトリとした声が……。


― ちぃぃ!!! 何なんだあの酒はぁぁ!!!???
  この俺様がご主人サマが酩酊状態だと身動きが取れないだと!?
  笑えないにも程があるぜぇ!?
  しかも酔って麻痺した脳には幻覚も……くそぉぉぉ!!!
  『鬼神殺し』……厄介なもんが出てきちまったなぁ……… ―


な、何ですの今の声は………。
言ってる意味は分かりませんでしたが、どうやらその声はここにいた全ての人間に
聞こえていたらしく、織斑先生が一際険しい表情をしていたのが印象的でした。
……気のせいかもしれませんが、その時シンさんの首から下がっているネックレスが、
淡く光っていたように思いました。































突然ですけれど、人は酔っぱらってしまった時意識が飛んでしまうことがありますわ。
その例として以下の二つがあります。
一つ、記憶が飛んでしまうタイプ。
もう一つ、酔っていた間のことが、しっかり残るタイプと。
そして彼はどうやら、後者だったようですわ。


「すいませんすいませんすいませんっ!!!
 そんなつもりじゃなかったんですっ!!!!
 すいませんすいませんすいませんっ!!!!!」


先ほどからこればっかり。
翌朝六時前。私たちが起床すると同時に彼も目を覚まして、その後すぐに顔面蒼白になって
即土下座。そしてひたすら謝り倒すこと十分。
最初は織斑先生も鬼神のオーラを放っていましたが、どうやらシンさんがお酒を飲んで
しまったのは彼女らに責任があるらしく、軽く出席簿で小突く程度で済まされましたわ。

私たちは………どういう反応をしていいのか分かりませんけれど。
……でも、あの時の気持ちに嘘偽りなどないわけですし。
それに一回でも、少しでも肌を重ねてしまえば相手に対する情も沸くもの。
それを表すかのように篠ノ之さんがシンさんに近づいて、そして……。


「すいませんすいませんすいませ…………むっ!?」

「……はっ……。ふふっ、いいんだ、別に謝らなくても。
 ただ、次はもう少しムードを選んで、無理やりはやめてくれよ? アスカ………」

「あぅ………あ、ああ………。うん………って、それでいいのか……?」


まだ釈然とせず土下座をしようとする彼を、皆でそっと抱きしめる。
目を白黒させる彼を微笑ましく思いながら、ぎゅっと体を寄せる。
体の熱と共に、この気持ちが伝わるように。
織斑先生たちもまた、微笑を浮かべて私たちを見つめていました。


臨海学校は、まだ始まったばかり、ですわ。
そして例に漏れず、また彼に災厄が襲い掛かります。
……本当に、まだ始まったばかりだったのです。



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