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■188 / ResNo.10)  「Γ 廻る国の夜@」
  
□投稿者/ 犬 -(2005/04/20(Wed) 00:19:39)
    2005/04/20(Wed) 00:21:10 編集(投稿者)



    ◇――宮瀬 命――◇



     世界で一番変わっている国はどこか。そう尋ねられて最も多く答えられるのがビフロスト連邦だと思う。
     四大国家の一翼、魔科学の都、森と山の国、神を信じない国、他大陸への窓口。ビフロストを評する言葉は数多いけれど、その”変わっている”という言葉が指している意味はいつも決まっている。”あらゆる種族の人達が廻る国”だ。
     世界中見渡したって、全種族がその人権を認められている国はビフロスト以外にはない。一応は人間が規範になっているけど、ビフロストではどんな種族だろうと働くのも家に住むのも買い物するのも食事するのも全て自由。誰にも咎められないし奇異の眼で見られることもない。こんなの”人間に非ざるモノ全て異端なり”が常識になっている隣国のエインフェリア王国、いや、世界ほとんどの人達から見れば気が違っているとしか思えないだろう。けれど、このビフロストという国では、建前ではなく本気であらゆる種族が手を取り合って暮らしている。
     例えば、夕方のバーを覗いてみるとする。カウンターではイケメンのヴァンパイアが傍らの人間の女性に”毎日キミの血を飲ませてくれないか”なんて言って口説いている。女性はまんざらでもない様子で”見えるとこからは吸わないでね”と顔を赤くして微笑んでいる。異形の魔族のマスターはそれを眺めながら、静かにグラスを磨いている。その後ろでは人間の女性が二尾の白狼の魔物にご飯をあげている。テーブルでは仕事帰りらしい牛のような筋骨隆々の魔族が上司らしい人間の女性に怒られていて、妖精の若い男性が苦笑してなだめている。中央奥の小さな舞台には3人の人がいて、獣人の少年と少女がギターとピアノを見事な腕前で奏で、妖精の女性がまさしく人間のものとは思えない歌声を披露している。日が暮れるに従って客は増えていき、いつしか年若く人型に変化しきれず翼や尻尾が出たままの竜の青年が現れ、ワインボトルを何本か口に突っ込んでラッパ飲みし、周りの客から拍手を浴びて賑やかになっていく。
     果たして、この光景を世界の人達はどう思うだろうか。”バカなことだ”と思うかもしれない。でも、わたしはそうは思わない。
     ここは、理想郷ではないのだろうか。誰もが子どもの時に夢見て描いた、みんなが仲良く笑い合える場所。誰もが手を繋いで踊れるダンスホール。流れる音楽に合わせて情熱的なダンス、誰が誰にでも、愛を語らえる。
     確かに、問題はある。理想の為に犠牲にしてきたものはたくさんある。人間ではない人達の為に、同じ人間に刃を向けることもある。取り合う手は、触れれば本当に傷ついてしまうことだってある。自分と違うモノに生理的嫌悪感を抱き合うのはどうしようもなく、文化どころか生態さえも違う種族が共に生きるのには、果てが無いほどの問題がある。
     けれど、たった1家族が興したこの国は、夢物語を実現しようと駆け抜ける国民性を得た。遥か幾百年の昔、家族は森に暮らす獣人を夕食に招き、酒を飲み交わした。妖精と畑を耕し植物を植え、芽を付けるたびに、花が咲くたびに、実がなるたびに歓び踊った。迫害された魔族を受け入れ、共に神々と呼ばれるまでに成長した魔物と話し合い、追っ手が掛かれば協力して撃退し、侵略者が襲ってこれば協力して追い払い、三者お互いボロボロになった姿を見て腹を抱えて笑い合った。
     理想を求めてたった1家族、ただの森と山だけのこの土地を理想郷とするために生きた。噂を聞きつけて共存を望んだ者達が自発的に、あるいは誘われて集まりだし、いつしか理想は夢に、そして夢は限りなく現実に近いものとなり、そして約100年前。幾百年の年月を経てもなお家族の想いは絶えることなく受け継がれ、想いを同じくする者同士その胸に想いを抱き、”我らは理想を求め続ける国の民である”との宣言と共にビフロスト連邦はその旗を掲げた。
     
     
     


    ◇ ◇ ◇ ◇

     
     
      

     ビフロスト市街区の南東、純木製で建てられた家がわたしの実家だ。わりと広い敷地をぐるっと高い塀が囲んでいて、正面の大きな門には分厚い木の板に”宮瀬流蓬莱武術道場”と筆で書かれた看板が立てかけられている。
     蓬莱のあらゆる格闘技は、ある点で武道と武術の2つに大別される。武道は”道”を重んじ精神の修練を主な目的としたものであり、武術は実戦志向の”技術”で、人体破壊を主な目的としたものだ。
     うちの道場でやってるのは看板通り武術で、わたしのお父さんが立ち上げた新興流派だ。近年の魔科学の進歩に伴う戦術の変化に合わせてあり、その国情のせいで他国と全く戦術が異なるビフロストでもなかなか評価は高い。………と言ってみても、門下生として通っているのは小等部の子どもばかりだ。道場自体への人の往来は頻繁で活気はあるんだけど、小等部より上で道場に在籍してるのは娘のわたし1人だけだ。
     これは、ビフロストの異常なまでの教育体制のおかげで誰もが魔法の教育を受けられるせいだと思う。さすがに武術は魔法の利便性・汎用性には敵わない。成長するに従って多くのことを可能としていく魔法に一心になるのは仕方のないことだと思う。それに実際、ここの門下生の子達も精神の修練のために親御さんに入れられたというのが大半で、武術に心血注ごうなんて本気で考えてる子はいないんじゃないかって思う。まぁお父さんとしても武術の心を学んでもらうのが一番の目的らしいので、それも良しとしているみたいだけど。

     わたしは5つの時に、家族みんなで蓬莱から移住してきた。その移住の理由は大したものではなく、蓬莱の武術を世に広めよう、なーんていうお父さんの一言だ。わたしのお父さんは、見た感じちょっと友達にも自慢出来そうなくらいカッコ良かったりするナイスミドルなんだけど、その実若い頃は武人として武名を轟かせた豪傑だったらしい。わたしは幼い頃からそんなお父さんに鍛えられてきたけど、今まで一撃たりとも――わたしの胸に視線が移った時以外は――入れることは出来ていない。きっとお父さんが殺されるとしたら、スタイル抜群の美女に誘惑されて謀殺される時だろう。
     ちなみに、わたしが寮で生活しているのは単に学院まで遠いからだ。毎朝何キロも走るの自体は幼い頃からの習慣で慣れてるし、実際に寮でも修練の一環でやってるからいいんだけど、学生としての利便性を考えるとやっぱり寮の方が断然良い。超格安で自分の部屋が手に入る、というのも理由の一つ。好きな人の写真を気兼ねなく飾れる、というのも理由の一つ。わたしのお父さんは武人だけれど、同時に親であり、しかも重度の親バカなのだ。
     でもまぁ、寮暮らしとはいえやっぱりそれなりに家が近いもんだから、実はかなり頻繁に帰ってたりする。特に週末には必ずと言って良いほど。今も、リンチ・カフェでみんなと別れてから、寮に持っていき忘れた服とかを思い出して取りに帰ってきている。

    「ミコトー。今日は晩ご飯はー?」

     制服から私服に着替えて玄関で靴を履いていると、台所からお母さんの声がした。実際こんな感じだ。のん気なお母さんは放任主義で、娘の一人暮らしなど断固嫌だと自分の主張丸出しで駄々をこねるお父さんをなんとか諌めてくれた理解ある人なんだけど。

    「それともレナードくんちで食べられちゃうのー?」

     こんなノリの人だ。お母さんなら大丈夫と信用して寮の部屋に入れて、レナードとのツーショット見られたのは大失敗だった。

    「ちょっとお母さん!?わたしとレナードは付き合ってないって何度言ったら―――」

    「なにィ!?あの白髪小僧が我が愛娘に陵辱の限りだとォッ!?」

     道場からお父さんが勢いよく顔を出してくる。お父さんはわたしの事となると脳の配線がズレてかなり飛躍的な言い方をする。困ったものだ。

    「お父さん!門下生がいる前でンなこと言わないのっ!」

    「えー?ミコトお姉ちゃん食べられちゃうのー?」

    「つーかドコまでイったんすか姐さん?」

    「ミコト姉さまー、あの人紹介してくださいよー」

     門下生も顔を出してくる。小学生のクセにノってくるもんだから始末に負えない。

    「うっさい!いいから組み手でも何でもやってなさい!」

    「えー?ミコトお姉ちゃんはー?」

    「バカだな、姐さんはこれからある人と組み手するんだ。組んず解れつの寝技の応酬だぞ」

    「きゃー!あたしも混ぜて欲しいー!」

     しかもお父さんの影響を受けてる気配がある。正直、頭が痛い。

    「ああもう!いいから―――って、お父さん!もう日が暮れてるんだから帰さなきゃダメじゃない!」

    「うむ。みんなそろそろ帰りなさい」

     はーい、とみんな揃って手を挙げる。こういうのを見てると、若干情操教育に関して不安を覚えるけど、いい子達だ。

    「ああ、そうそう。最近、痴漢が出るそうだから、多少遠回りでも大通りを歩くように。もし出くわしたら大声上げて逃げなさい。でも、もし逃げれそうになかったら、過剰防衛が適用されない程度に抵抗して良いからね」

    「「「はーい!」」」

     若干、最後の言葉への反応の良さが気になるけど。いい子達だと思う。

    「む?ミコト、どこに行くんだい?」

     わたしが外出の用意をしているのに気づいたらしく、お父さんが声をかける。

    「ちょっと買い物。すぐ戻るから。晩ご飯は家で食べる」

    「そうかい。ああ、今子ども達にも言ったが、最近痴漢が出るらしいから気をつけなさい」

    「誰の娘に言ってるのよ、それ」

     わたしが苦笑すると、お父さんは優しい笑みを浮かべる。

    「それもそうだがね。我が娘だからこそ、言うんだよ」

    「はーい。気をつけます、お父さん」

     思わず笑みを零しながら、道場を背にして門をくぐる。両親共たまに突拍子も無いことを言うけど、良い親だ。面と向かっては言えないけど、尊敬出来るし、偉大だとさえ思う。

    「さてと」

     門をくぐり、わたしは歩き出す。
     ビフロストの市街区は変わった街並みをしている。街は網の目状、部分的に円環と放射線状に走る大きな通りで整然と区画分けされているのに、そこに建ち並ぶ家々は世界あらゆる種族や国の様式で建てられていて雑多も雑多、統一感とは程遠い。よその国じゃずっと同じ街並みな上に迷路みたいで迷うらしいけれど、この国じゃどこ行っても混沌とした街並みだけど道だけは秩序だっている。
     ビフロストのそれぞれの大通りには番号ではなく名前が付けられていて、住所や地図、標識なども全て通りの名前を使って書かれる。だから通りの名前をたくさん覚えないといけないから面倒なんだけど、それさえ覚えればほぼ絶対に迷わないってメリットもある。ちなみに我が家の住所は”地命・方天通り1番”。地図的に言えば、地命通りと方天通りに面する右下の区画の1番地だ。数少ない蓬莱由来の漢字入りの通りに面しているのはなんとなく嬉しい。
    わたしが目指すのはフレイザー通り、通称は商店街。名前そのまま、商店が立ち並ぶ通りだ。








     わたしはグレン通りを曲がり、レンガ作りの家の傍を通って商店街通りに向けて歩いて行く。確かこの家はバイロンさんの家だ。バイロンさんは人間と牛を足して2で割ったみたいな感じの容姿の魔族で、かなりの力持ちだ。手先も器用で、わりと大きな工事とか建築現場とかでよく姿を見かける。

    「そーいえば、明後日には演習だっけ。なんか休み明けだと調子狂うな」

     近くに誰もいないのを確認して、わたしは独り言をつぶやく。
    年々キツくなってく演習は悩みのタネだ。マーカス先生は個人ごとにキッチリ分相応の課題を与えてくるから楽が出来ない。というかキツ過ぎる気がする。そりゃあまぁ課題をこなせなかったことは今までなかったけど、毎週毎週やられてはやっぱりキツい。それに、うちのメンバーは手を抜くことをしないからさらにキツい。まったく、しっかり治療してもらってはいるけど、いつ肌荒れ起こすことやら心配―――――。

    「……………はぁ」

     わたしは大きくため息をつく。どうやら考え事が過ぎたらしい。いつの間にか、誰かに尾行されてる。

    (お父さんが言ってた、痴漢かな………?)

     気配やらエーテルやらを探るのが苦手なわたしに気づかれてるんだから、大したヤツじゃない。あるいは、存在をちらつかせることで怯えさせるつもりなのか。
     でも、相手が悪い。学院の生徒がこの程度でビビるものか。だって、もっと怖いものなんていくらでも見てきたんだから。
     例えば、2年前に魔族が異様なまでの超乗り気で作ったお化け屋敷だ。怖がらせる為という名目の元、スキンシップという名のセクハラが容認されたために魔族がこぞって参加したアレは最悪以外の何物でもなかった。なにせキャストは魔族の中でも特に異形の部類に入る精鋭達だ、地でも既に怖い。それが闇魔法のあらゆる技を以って怖がらせに来たんだからもう、恐怖としか言い様がない。女の子はもちろんのこと、男の子も大半は泣いて出てきたり失神して連れ出されていた。………レナードは平然として、サンはあくびして、ルスランは逆にセクハラしてボコられて出てきたけど。
     ま、それはともかく。

    (………速度を上げてきたわね。気が早いな、もう行為に及ぶつもり?)

     ちょっと露出度高めのカッコがまずかったのかもしれない。下はロングスカートだけど、上は肩と胸元出してるし。むむ、商店街通り行くからって気張りすぎたかも。
     けど、何はともあれ、痴漢なら捕まえるべきだろう。か弱い女の子ばかり狙う変態野郎はぶっ飛ばすに限るのだ。
     そう考えてる内に、人気のない通りに入ったからか痴漢はさらに歩みを速めてきた。対してこちらは歩幅は狭めのまま歩みだけを少しだけ早め、いかにもか弱い女の子が怯えて逃げてるように見せかける。相対距離がみるみる内に縮まっていき、痴漢が真後ろにまで迫ってきた。そして、痴漢がわたしの肩に触れた瞬間―――――。

    「人誅ーーッ!!」

    と、”天に代わってわたしが貴様を粛清する”的意味の蓬莱の言葉を叫びながら振り向きざまに左の裏拳を放った。
    しかし痴漢は軽くスウェーバックし、裏拳は空を切った。

    「シッ!」

     さらに回転の勢いを乗せて右の正拳を撃つ。痴漢は今度は身をひねってそれもかわす。――回避は防御より遥かに高等な技術だ。それを不意討ちされて、しかもわたし相手にあっさりやってのけるなんて。意外にもかなりの実力者だ。
     わたしは驚きながらも、次の攻撃の為に踏み込もうとして、しかし足を絡めてしまった。どうやらヒール履いて全力の足運びをしようなんてのが間違いだったらしい。わたしは成す術なく態勢を崩し、痴漢を巻き込んで勢いよく転倒した。






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■196 / ResNo.11)  「Γ 廻る国の夜A」
□投稿者/ 犬 -(2005/04/26(Tue) 00:00:45)
    2005/04/26(Tue) 00:02:41 編集(投稿者)



     おかしな言い方だけど、激しい沈黙がその場を支配していた。

    「…………………」

    「…………………」

     痴漢を巻き込んで転んだわたしは慌てて顔を上げたんだけど、その視線の先には意外にも金髪と翠の瞳の男の子の顔があった。でも男のクセに線は細くて、レナードやルスランとはまた違った方向性の、ともすれば女の子に見られかねない美形の顔立ち。わたしが抱き付いている状態で、しかも胸に手を置かれているせいか彼の顔は赤く、それなのにきゅっと結んだ口元と眉は逆に可愛らしさをアピールしているとしか思えない。
     わたしのクラスメイトで委員長、グレゴリー・アイザックスだ。

    「…………………」

    「…………………」

     色々な想いが脳内を駆け巡っているが故に激しく、しかし言い出し難いので沈黙が場を支配していた。

    (痴漢ってコイツだったの。ふーん、真面目な奴ほど堕ちやすいって言うけどホントだったんだ。あ、でもそうだとすると、ううん、そうだとしなくてもこの押し倒した感じで抱き付いてる状態ってヤバイなぁ。胸に手を置いたりしてて、かなり危ない。誘ってるって勘違いされたらどうしよう。つーかむしろ逆セクハラが適用されかねない気がするし。そう言えばいつもオールバックだから気づかなかったけど、髪下ろしてると可愛いなぁコイツ)

     そんな脈絡無いことを考えていると、彼が何か言い出そうとして、でも何か恥ずかしいのか口をつぐんで目を逸らしてしまった。

    (うっわ〜っ! かっわいい〜〜ッ♪)

     サンやデルとはまた異なるけど、これはこれで直撃な可愛らしさだ。17にもなってヒゲもニキビもないアンタ本当に男か的な美肌にちょっと頬ずりしたくなる。
     でも仲が良いわけでもないのにそれをするとセクハラ確定なので抑えといて、とりあえず何か喋らなきゃと思ってわたしは口を開いた。

    「ん〜? な〜に照れてるのよ〜?」

     気づけばわたしは、こんな台詞を吐いてしまっていた。さらに彼の頬をつんつん指先で突ついてて、しかも顔はにやけてしまっている。……どうしてこう、わたしというやつは思考と行動が一致しないようでいて、一致し過ぎるのだろうか。

    「て、照れてない! 誰が照れるかばかっ!」

     ここでレナードみたく冷静に、あるいはルスランみたく巧妙に返してくれればよかったものを、彼はお決まりなまでに可愛らしい返答をくれた。可愛すぎてバカという罵倒が、全然罵倒になっていない。

    「なによー? 顔真っ赤にして言っても説得力ないよ〜?」

     なにか引き返せなくなってしまい、わたしは衝き動かされるままに身体を這わして顔を近づけた。どうやらそれが効果てきめんだったらしく、身体同士が擦れたり顔や胸元が近づいたりによって、彼はさらに目を逸らしてしまい身体を硬直させてしまった。これは下手に動いてセクハラ扱いされたくないのか、それともこれ以上身体が触れるのが恥ずかしいのか。見たところ女の子慣れしてないというより女の子自体が苦手らしい彼なら、おそらく後者だろう。
     正直、不動レナードと巧妙ルスランに慣れたわたしにとってはこの容姿とこの性格にこの反応は可愛過ぎてどーしよーもない。胸元に1度も視線が泳いでないところもポイントだ。珍しいことに17になっても純情一直線、胸より顔近づけられる方が気になるらしい。

    (でも。さて、どうしようかな)

     このままいじり倒すのも楽しそうだけど、人気がないとはいえこんな道の真ん前でこの状況はよろしくない。というか、時間稼ぎもそろそろ限界だろう。どう切り出せばいいものか。
     そんなことを考えていると、予想外の出来事が助けてくれた。

    「きゃぁぁぁぁーーーー!!」

     耳に届いたのは、かなり近くから響いた甲高い女性の悲鳴。感謝するべきではないけれど、現状最も優先して為すべきことが変動したことを理解したわたしと彼の視線は一瞬だけ交差、ほぼ同時に反射的に跳ね起き、声の方へと走り出した。








     10秒と掛からず辿り着いた裏道で、妙齢の女性がへたり込んでいた。怯えた表情で、わたし達が駆け寄るのを見つけるとある方向を指差した。その方向を注視すると、屋根の上を疾走する黒い影が見えた。

    「俺が追う! お前はその人に異常ないか診ていろ!」

    「え? ちょ、ちょっと待ってよ!」

     彼は影を見据えたまま、わたしを見ずにそう言い捨てて一足飛びで屋根まで跳び上がった。それだけでかなりの強化能力を身に付けていると見て取れてわたしは驚いたけど、その一瞬の躊躇の間に彼はその姿をわたしの視界から消してしまった。
     わたしは追おうかとも考えたけど、頼まれた以上役割はこなさなければならないので追跡は彼に任せ、わたしは彼女に声をかけようとした。だが彼女はその前に首を振った。

    「だ、だいじょうぶです。わ、私は血を吸うのを見ただけで、私にはなにも………」

     背筋に冷たいものが走る。

    「血を吸っていたんですか!?」

     彼女は恐る恐るうなずいた。彼が追っていったのは、おそらくそれが理由だろう。多分血を吸われた人が見えていたのだ。

    「すみません! 声が出なくってっ……私は大丈夫ですから、さっきの子を!」

     わたしはうなずき、一応病院で検査を受けておく旨を早口で伝え、彼を追った。









     蓬莱よりかは少し明るい夜空の下、わたしは屋根の上を疾走していた。屋根が途切れれば道路を飛び越えて渡り、なかば飛ぶように進んでいく。既にヒールは脱ぎ捨てていて裸足、ロングスカートは膝上まで捲り上がり、旗のように後ろに靡いている。
     ――なんとも面倒な事態、相手は魔族だ。しかも、ヴァンパイアの可能性が高い。
     ヴァンパイは魂や精神、知覚といった不可知のモノにまで働きかけられる魔族特有の魔法体系、闇魔法に最も通じた魔族の一だ。彼らは吸血することで有名だけど、彼らにとって血液は一応人間のタバコや酒と同じ嗜好品の部類らしいので、生きるのに必ずしも必須のモノというわけじゃない。だからビフロストでは吸血行動は法的に禁止されているし、生血パックだって販売されているけど。

    (たまーにいるのよね、直に血を啜りたいってバカが――――!)

     生体吸血はヴァンパイアが犯す唯一と言っても良い犯罪行為だ。それもそのはず、ヴァンパイアにとって睡眠欲や食欲、性欲といった三大欲求より吸血衝動の方が圧倒的に強いらしい。さらに、食物連鎖の桎梏か、彼らにとっては人間の血液こそが最高級の美酒らしい。さらに悪いことに、酒と違って新鮮であればあるほど、つまり生体吸血の方がその味は美味であるらしい。
     だから彼らは吸血衝動が呻くまま、生体吸血を望む。でも、やはり生きるのに必要なわけじゃない。値は張るが生血パックだって市販されている。衝動が抑えられずに吸血行為、つまるところ傷害ないし殺人行為を犯せば罰せられて然りとヴァンパイアどころか魔族全体が公認している。

    (でも、手を出しちゃダメ―――!)

     魔族、特にヴァンパイアは桁外れに強い。身体能力も然ることながら、何より闇魔法を使う。人間の脆い精神に直接攻撃する闇魔法は、人間からすれば反則技以外の何物でもなく、また絶対数で圧倒的に劣りながら人間に滅せられる事無く永らえてきた理由だ。闇魔法に対抗するにはそれなりの準備が要る。

    (見えた!)

     遠く視線の先に、屋根の上を飛び交っている2つの影が見えた。けれど何かおかしい。片方の、おそらく彼に追われている影は逃げ遂するつもりがないのか、まるで鬼ごっこをしているかのように一定の範囲から出ずに逃げ回っている。
     けれど、ふと、追われる影はやや高い屋根の上で立ち止まった。彼も足を止める。わたしはその間に追いつき、彼の横に付く。

    「あの女の人は?」

     彼は影を見据えたままわたしに尋ねてきた。

    「無事だったよ、一応病院には行ってもらったけど」

    「分かった」

     彼の相槌を受けながら、わたしも影を注視する。見据える影は、まるで本当の影のような夜の闇に溶け込むような黒いコートを纏っていた。唯一肌が露出している顔さえも、ほとんど黒いヴェールに覆われていて口元だけが覗いている。さらにその覗く口元もわずかだけで、分かるのは白い肌、それに見合った薄いピンク色のふっくらとした唇、そして金色の髪だけだ。

    (………女の人)

     性別は間違いない、女性だ。年齢はよく分からないけど、かなり若い気がする。

    (それに、多分………とてつもなく美人)

     目も眉も、顔の輪郭さえも定かじゃないのに、ふとわたしはそう思った。
     世界で最も美しい顔というのは全世界の人間の顔を平均化したものと言われてるけど、彼女に感じるのは、それとはまた違う感じだ。なんというか、外見の美しさだけじゃない、彼女という存在そのものが持つ何かが―――。
     そこまで考えて、わたしは脳をシェイクするように頭を振った。相手は精神を扱える魔族なのだ、幻惑の闇魔法に引っ掛かりかけた可能性があった。わたしは雑念を捨て、ただ相手を見据えて取るべき対応を取った。

    「ねぇ。ここは退かない?」

     わたしは彼に小声で言った。そして、どうやら彼はその言葉だけで理解してくれたらしい。わたしには経緯は分からないが吸血相手を攫っている様子はないし、これ以上の深追いは危険なだけとの判断に至ったのだろう。彼は少しの沈黙の後、小さくうなずいた。
     けど、その会話による僅かな集中力の分散が失敗だったらしい。静止していた影はそれを見逃さず動いた。でも不意を突かれるほどの油断をするわたし達ではなく、即座に身を構える。
     けれど、不意を突かれていた。影がわたし達から2メートルほど離れたところに降りたと思ったら、気づけばわたし達は半球状のガラスのようなものに閉じ込められていた。

    (しまった、捕縛結界―――!)

     そう思った頃には、影は元来た道の方に向けて駈け出した。待て、の声をかけることすら出来ず、影は結界に阻められて動けないわたし達を置いて、夜の闇に消えていった。

    「………くそ」

     わたしが成す術なく見送っていると、彼は小声で悪態ついて、座りこんだ。

    「ちょ、ちょっと。なにしてるのよ?」

     わたしがそう尋ねると、彼は落ち着き払った様子でわたしを見上げた。

    「この手の結界は破れない。足掻いてもどうしようもない」

    「それは、そうだけど………」

     人間が使う魔法にも結界魔法はあるけど、闇魔法のそれとは方向性が異なる。簡潔に言うと、人間の結界は物理障壁であるのに対し、闇魔法の結界は精神障壁なのだ。そして人間の結界は物理的な力を加えれば破壊可能だけど、魔族の結界は破れない。なぜなら”ここに壁があって、この壁は絶対に破れない”という事実を頭に刷り込ませるからだ。これは自分自身がそう思い込んでるわけだから、そもそも結界を破ろうなんて思考自体が湧かないという厄介なものなのだ。

    「でも、大声とか出したりさ。助けを呼べば」

     ただ、この結界は声が通り姿が見え、外からの介入に弱い。音を遮断するのもあるらしいけど、叫ぼうと思える時点でこの結界では大丈夫なはずだ。破ることは出来ないけど、誰かが来れば出られるだろう。

    「物理的に防音ぐらいするだろ。普通」

     彼はぼやくように言った。確かに、精神結界の上に物理結界を施さないわけがない。魔族は人間が使う魔法も使えるし、防音だけならそう難しくはない。さすがに視覚までは難しいから遮断してないようだけど、見えても屋根の上なんて誰も気づかない。
     わたしは他にも幾つかの案を考えたが、すぐに結論に至った。

    「………つまり、お手上げ?」

     彼は誤魔化さずハッキリとうなずいた。









     どうしようもない事が分かってから、どれほど時間が経ったろうか。実質には10分も経ってないんだろうけど、体感的にはその10倍ほどに感じられた。と言うのも、わたしは屋根の上に座っているわけなんだけど、そのすぐそばで彼が座っているからだ。それも、結界がそう広くない上にやはり春先の夜、じっとしてると寒いのでそれこそ肩を寄せてという表現を使えるくらい、すぐそばに。

    「…………………」

    「…………………」

     よくよく考えれば、痴漢騒動から押し倒してそれっきりなのだ。気まずいったらない。それに今は魔族に捕縛されている状態だし、何を話せばいいものか、とっても困る。

    「………あ、あのさ」

     それでも、ひたすら縮こまって春風に吹かれているのは精神的に疲れるから、わたしは意を決して口を開いた。

    「キミって、痴漢?」

     話題の振り方には、ちょっとわたし的にも一杯一杯だったので見逃して欲しいと思う。

    「誰が痴漢だ」

     わたしは何言われるか内心不安だったけど、彼は目線だけをこっちにくれて、意外にもいつもの調子で返事をくれた。わたしはすこし安心して、言葉を続ける。

    「だってさ、キミってほら、わたしをつけてたでしょ?」

    「つけてない。俺はただ、痴漢が出る通りにそんな格好で入ろうとしたクラスメイトを呼び止めようと思っただけだ」
     なら声をかければいいのに、と思ったけど女の子が苦手な様子の彼は気恥ずかしかったのだろう。不器用なヤツだ。可愛い。

    「なによー、そんなカッコって。こんなの普通じゃない」

    「痴漢にとって普通かどうかって話だ」

    「いや、そうだけどさ………ま、いいや。心配してくれたんだし」

     こう言えば彼の性格からして”心配なんてしてない”と言うかと思ったけど、彼は口をつぐんだ。どうしたのかなと思って顔を見ていると、彼は顔を赤くして言った。

    「その………ごめん」

    「え? なによ、唐突に?」

    「いや、ほら………なんていうか、全般的に、ごめん」

    「ちょ、ちょっと。なんで謝るの?」

     わたしはそう言いながら、今日一連のことを思い出す。そして彼が何に対して謝っているのか考える。でも、分からない。特に彼が謝るべきポイントが見つからない。むしろ、わたしが謝らなきゃいけない事が沢山ある。そもそも唐突過ぎる。どうして今、謝るんだろうか。

    「だって、俺がその、痴漢に間違われるようなことしたせいで………あーなって」

     ハキハキと物を言う彼には珍しく、彼は言葉を濁した。どうやら考えるに、押し倒したあたりの話な気がする。でも、それこそ彼の親切心を勘違いしたわたしが突然裏拳と正拳の連撃をかました挙句に足絡ませ、わたしから押し倒したんであって、彼に責められる非はあっても謝られるようなことは全くない。

    「それで結局、今この状態だ」

     彼はわたしの足をちらりと見て言った。どうやら裸足で走ってきたのも気にしているらしい。

    「だから、ごめん」

     彼は座ったまま、深く頭を下げた。思い詰めた表情を見るに、とりあえずで取り繕うようなつもりではなく、本気で申し訳なく思っているらしい。

    「…………はぁ」

     わたしは深くため息をついた。彼はそれを嘆息と思ったらしく、ますます表情が思い詰めたものになっていく。
     ――たまにいるんだ、こういう女の子に気を遣い過ぎるヤツ。女の子をちょっと触れるだけで傷ついて壊れてしまうように思っていて、何気ないことでもひどく不安になってしまう。マジメで誠実で、優しすぎるヤツが陥る症状。
     これは、ともすれば女の子をナメてる上に加害妄想過剰とも言えるけど、コイツの場合はどうなんだろう。演習とかでも女の子相手に手を抜くような素振りは見せなかったし、今までこんなことを気にするヤツだなんて思った事もなかった。むしろ、本気で女の子を殴れるタイプだと思っていたのに。

    (んー? もしかして、こいつ意外と………)

     色々と考えていると、わたしはあることに思い当たった。そして彼の顔を眺めながらわずかに腰を浮かせ、元々すぐ近くだった距離をさらに詰め、肩が密着するほど彼の真横まで移動する。そしてそのまま座り、わたしは彼の頭をぐいっと引っ張ってわたしの肩に押し付けた。

    「な、なに?」

     そういえばこいつ動揺すると語調が変わるんだなーと思いつつ、わたしは彼の戸惑いを無視し、彼の頭を撫でる。男の子は頭を撫でられるのを嫌がるというのはホントらしく――こういう場合、身体を預けるのは普通女の子の方だから気恥ずかしいのもあると思うけど――彼は抵抗しようとする素振りを見せたが、やっぱりというかなんというか、力を込めれば簡単に振り解けるはずなのに、彼は弱々しい力でしか抵抗しなかった。それこそ、うちの門下生の子達にも劣るような、気持ち程度の力だった。

    「あ、あの………これ、どういう………?」

     彼は体重を預けまいとしていたのでかかる重みはほとんどなく、異様に軽かった。わたしと背丈がほとんど同じな上に、線が細すぎるせいもあるのかもしれない。

    「まぁ、いいからいいから」

    「………いや、良くは、ないん、だけど……」

     言葉を選んでいるのか、彼は変に片言だった。さらにその表情はひどく不安そうで、いつものきゅっと結ばれた目元や口元は見る影もなく垂れ下がっていて、それがどことなくサンに似ている。尻尾があれば多分、へたりと垂れているだろう。
     わたしはサンにするのと同じように首をくすぐってあげたい衝動に駆られたけど、さすがにそれは自尊心を傷つける気がしたので――サンは犬か猫っぽい気質が混じってるから喜ぶけど――止めておいた。

    「で、どう?」

     わたしは彼の髪を梳きながら話し始めた。思った以上に柔らかい髪質だったからすこし驚いた。

    「………どうって、何が………」

    「もたれ心地」

     彼は無言を返してきた。顔は見ないようしたけど、おそらく、今とても困っていることだろう。

    「もしかして、不快?」

    「い、いや。そんなことは………ない、けど」

     彼はまた断定せず、言葉を濁した。どうやら面白いくらいに困っているらしい。なかなか良い反応だ。いつもとの性格とのギャップがたまらなく可愛い。

    「じゃあ、いい気持ちする?」

    「ぁぁ……いや!えっ…と、あー、その、た、たぶん?」

     気を抜いて本音を出してしまったらしく、彼は慌ててもごもごと言葉を並べ立てる。露出した肩に彼の頬が触れているせいで熱がこもっているのがよく分かってしまい、顔がヤバイくらいにやけてしまう。

    「………あ、あの。ミヤセさん?」

     彼はおずおずと、上目遣いに尋ねてきた。彼はあまり親しくない相手には年下であっても姓の方で、さらにさんを付けで呼ぶ。蓬莱でならともかく、中央大陸では珍しいのでちょっとくすぐったい響きだ。

    「なぁに?」

    「え、っと。………コレはどういうことだ、で?」

     言葉を選んでいるのがホント、おかしい。慌てて修正するのもホント、かわいい。

    「べっつに?ちょっと寒いから」

    「暖をとるなら、魔法遣えば――」

    「人肌のが温かいでしょ?」

     離れる光明を見出し、けどすぐに打ち砕かれて表情がくるくる変わっていく。思ったより表情は多彩らしい。いつものきゅっと結んだ口元や目元を思い出すと、ヘンな独占感が芽生えてくる。

    「細かいこと気にしないの。どーせ結界が壊れるまで待つしかないんだしさ、ずっと魔法なんて使ってたらへばっちゃうよ?」

    「……それは」

    「そうでしょ?」

    「…………」

     有無を言わせないようにそう言うと、彼は観念したらしく小さく”うん”とつぶやいた。普段の彼から見ればあまりにもしおらしく、ちょっとどうにかなってしまいそうだった。

    「ま、まぁアレよ。幸い1人で待ちぼうけはせずに済んだんだしさ」

     わたしは内心彼をいじり倒したくなるのを必死に堪え、外面では彼に微笑んで言った。

    「なにかお話しない?よくよく考えれば、あんまりキミとお話したことなかったしさ。時間も沢山あるし、いい機会よね?」

     彼はすこし、何かを迷うような素振りも見せたけれど、意外にも素直にうなずいた。






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