Release 0シルフェニアRiverside Hole

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■94 / inTopicNo.1)  Α Σμαλλ Ωιση
  
□投稿者/ 犬 -(2004/12/10(Fri) 23:22:21)
    もそもそとやって参りました。犬です。前書きです。
    書き速度から考えて貯め書きが必要なのですが、とりあえず出して逃げ場をなくします。
    あと。いつになるか分かりませんが終わるまでここでは喋りませんので。それゆえの前書きです。
    ま、言い訳しときたいだけなんですけどねー♪
    では、のんびりとしてますがお付き合いを。

    ※注意書き。
    ・そこはかとなく学園モノです。
    ・激遅筆です。
    ・纏めるのとか苦手です。
    ・犬ですので人語とか分かりません。脳内補完機構最大稼動推奨。むしろ強制。
    ・人語分かんないので、三人称と一人称混じるというとっても意味不明モードでいきます。
    ・内容も色んな意味で微妙です。
    ・魔眼とか固有結界とかありません。
    ・エルリス達は出ます。学生さんです。
    ・設定が独走します。ついて来れるか。私自身が。
    ・オチとか燃えとか萌えとかありません。
    ・ナマ温かい目で見守ってやってください。

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■95 / inTopicNo.2)  「Α 今は昔のお話」
□投稿者/ 犬 -(2004/12/10(Fri) 23:25:17)




    気付けば、深緑の森の中だった。

    鳥の鳴き声。水のせせらぎ。
    葉が風に揺れて静かに音を奏でている。
    樹齢何百年だろうかというほど大きな高い樹が伸びていて、仰向けに寝ているせいか、重なり合う葉の隙間から光が射し込んできてまぶしい。

    ―――ボクが子どもだからだろう。
    どうしてここにいるのか、なんてことより森の心地良さに心安らいでいた。
    空気が澄んでて優しい。
    涼しげな湿気が身体を癒す。
    やわらかな陽射しが温かい。
    このまま寝てしまいたくなるような気持ちを振り払って、頭だけのそりと起こす。

    「―――――――」

    辺り一面は、やっぱり見上げるばかりの樹々が立っていて、苔や草が生えた地面はやっぱり緑だ。
    遠く遠く、平地の森の地平線の向こうまで、樹と草と苔で本当に緑ばかり。
    木洩れ日に照らされた樹々の回廊は、まるで幻のよう。

    「――――まさか、このような場に立ち会えるとは」

    リンと響く鈴の音。凛と響く鈴のような声。
    声がした、後ろの方へ目線を向ける。
    そこには、真っ黒なマントに身を包んだ、金髪の少女が立っていた。
    いや、マントというよりかはただの大きな黒いボロ布切れを纏っているだけのようで、耳に小さな鈴の付いたイヤリングを着けてる他に着衣もなく、裸足だった。
    そのくせ、真っ白な肌をしていて、降り注ぐ木洩れ日で白むほどだった。
    その少女は、恭しく、そして同時にふてぶてしく言った。

    「初めまして、同じ境涯の者。我が名はアイリーン・ミーミル。魔族の一にして、最も魔に通ずるヴァンパイアだ」

    少女はえへん、と小さく胸を張る。

    「―――――――」

    少女はおそらく、驚愕とか、畏怖とかを期待していたのだろう。
    けれどこっちにすれば、魔族とかヴァンパイアとかいう単語より、まるで初めてのおつかいに成功したかのような幼い誇らしげさと、その高邁な言い回しの差がひどくおかしかった。
    少女は予想外の反応に戸惑いを見せ、何かおかしなことを言ったか思案し始めた。
    でも、結局よく分からなかったらしい。不安そうな面持ちでおずおずと尋ねた。

    「――――ど、どうして笑うの………?」

    少女の言葉が正しければ、どうやらボクは笑っているらしい。それも、かなりひどく。
    けど、仕方がないと思う。
    なにせ、さっきまでの幼い誇らしさと打って変わっておどおどし始めたんだから。
    しかも、今は頬を膨らませて拗ねているんだから余計なまでに拍車をかけている。

    「………そんなに笑わなくったっていいのに」

    少女は聞こえないように小声で、ふーんだ、と丸聞こえの声でつぶやいた。
    それも何だかひどくおかしくって、なんだか息も絶え絶えで、腹が痛かった。
    拗ねてた少女もあんまり笑われ続けたものだから、だんだん瞳が涙で滲んでいった。
    そんな少女を見ても、どうしてか笑いが止まらなくて、息も絶え絶えで苦しくって―――腹は破れてて血まみれで、身体中傷だらけで―――久しく笑ってなかったせいか、頬が引き攣って痛いくらいに笑った。
    そして、涙ぐむ少女を見ながら、次第に意識を失っていった。




    ◇ ◇ ◇ ◇



    それが、もう10年近く前になる昔のお話。
    半死半生だった自分を助け、しばらくの間、森の中で一緒に暮らしたヴァンパイアの少女との出会い。
    少女の名はアイリーン・ヴァン・ヘルツォーク・ミーミル。
    ヴァンはヴァンパイアに付けられる称号、ヘルツゥークは階級のようなものらしい。でも、アイリーンはそういう身分証明みたいな名前は嫌い、とよく言っていた。
    そんなわけで、ヴァンはあんまり、ヘルツォークなんて滅多に名乗らないらしい。
    アイリーンが自分以外の誰かに名乗った姿なんて、見たことはなかったけれど。


    どうして自分が血まみれでこの森の中にいたのか、それは分からなかった。
    記憶喪失、というわけではなかったけれど、記憶が混乱してて整合性も連続性もなかった。
    まるで朝目覚めて、うろ覚えの夢を思いだすよう。
    ただ、もう顔も覚えてない両親がいて、どこかも忘れたけど街でそれなりに幸せに暮らしてたと思う。
    でも、なにか天災のような大災害があったのだろう、何もかもが真っ赤に崩れ落ちた酷く悲惨な光景が脳裏に焼きついている。


    どうしてアイリーンが一人でこの森の中、自給自足で暮らしているのか、それも知らなかった。
    でも、怪我で満足に動けなかった自分にあれこれと世話を焼いてくれたし、ムリに何かを聞こうともしてこなかったから、こっちも特に詮索はしなかった。
    アイリーンは穏やかでおとなしい性格だったけれど、わずかばかり年上だったせいかお姉さん風をよく吹かしていた。
    それに、自分のアイデンティティーには誇りを持っていて、そこだけはよく強調していたのを覚えている。
    でも、元々人に自慢なんかをするような性格ではないから、反応が薄いと途端に不安がっていた。
    だから、確かに誇りにしてるだけあって、アイリーンに対して素直に驚くこともあったけれど。
    ムリして偉そうに言うくせにすぐに不安がる所がおかしくって、ほとんど無反応を突き通してはアイリーンを混乱させてからかっていた。
    まぁ、その後のご機嫌取りが大変だったけれど。
    それも含めて、楽しい毎日だった。





    そんな日々が終わったのは、出会いから2年後。アイリーンが突然、ビフロスト連邦の中央魔法学院に行くように言った時。
    それ自体にはさして文句はなかったけど、アイリーンだけ残り、自分一人だけ行くのは嫌だった。
    どうしてボクだけ。一緒に行かないのか。
    そう尋ねると、アイリーンは、わたしは行けないの、と首を振った。
    もちろん、それだけでは納得が行かなかった。
    でも、アイリーンは理由を言おうとしなかった。
    だから、なら行かない、とこっちも突っぱねた。

    お互いに、お互いを想って言ってるのは分かってた。
    だから無理強い出来ない。だから頑なになっても怒れない。
    そしてそのまま、口論にならない穏やかな言い合いが平行線状態で続き、夜になって、眠りについて。
    朝起きて。頭冷やしてよく考えて。もう一回二人ぼっちの家族会議をして。
    結局、言い負かされた。




    ◇ ◇ ◇ ◇




    「―――――ん」

    目が覚めて、身体を起こす。
    春先にしてはひんやりとした空気。鳥のさえずり。季節はずれの風鈴の音。
    ………どうやら夢を見ていたらしい。
    いや、夢ではないか。
    今のは記録めいた記憶。今は昔のお話。
    ずっと昔に出会ったヴァンパイアの少女との出会い。


    あれから8年。意図的に帰り道が分からないように連れ出されて、もうずっと森に帰れていない。
    地理的特徴や森の植生から考えて色々と探してはいるんだけれど、なかなか記憶と一致する場所がないのだ。
    その間、そして今もアイリーンはずっと独りで暮らしているんだろうかと思うと、今でも心配になる。
    あと、1/3くらいは本気で迷ってたから、ちゃんと帰れたのかも少し心配だ。

    「――――――」

    まどろむのも、そろそろやめにしよう。
    今日は夢見が良かったせいか、少し起きるのが遅れた。
    もう起きないと学院に遅刻してしまう。

    学院というのは、ビフロスト連邦最大にして最新の中央魔法学院のことだ。
    学院には初等部、中等部、高等部があり、1年生から12年生まである。
    今自分はそこに通っていて、昨日の始業式で11年生になった。
    そんなわけで今日が新年度の初授業、遅刻は不味い。

    立ち上がって背筋を伸ばす。
    固まった関節や筋肉をほぐしながら、部屋の外に出る。
    ―――と、その前に。
    タンスの上にある写真を手に取る。

    「おはよう、アイリーン」

    それは、アイリーンと一枚だけ撮った写真。
    本人は写真映り悪いとか言ってゴネてたが………うん、今客観的に見ても可愛い顔してる。
    今はもっと綺麗になっているんだろうか。

    「――――行ってくるよ」

    写真を置き、部屋を出て廊下を歩いていく。



    8年もの間、俺、レナード・シュルツはこの日課をずっと続けてきた。
    終えられるのは、いつの日だろうか。






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■106 / inTopicNo.3)  「Β 静かな日々」@
□投稿者/ 犬 -(2004/12/30(Thu) 00:07:20)
    2004/12/30(Thu) 00:08:46 編集(投稿者)
    2004/12/30(Thu) 00:08:37 編集(投稿者)


    ◇――Erzahlerの章――◇



    世界四大国家の一翼を担う新興技術国家、ビフロスト連邦の首都ヘイムダル。
    見上げるような高く険しい断崖を背にし、海を正面に構えたなだらかな丘陵地で、山脈から海へと河が一つ流れている。
    ヘイムダルは綿密な都市計画の基、いくつにも区画分けされており、その中央区には荘厳な意匠が施された大きな二つの時計塔が立っている。
    ヘイムダルは中心から海側が人口の多い住宅街、住宅街の外縁部に魔科学・魔法関連の施設、断崖側は農業地帯で人口が少なくなっている。

    その人気のない断崖の麓の森のそばに、ぽつんと家が建っていた。

    その家は、かなり変わった造りをしていた。
    まず、敷地の周りを、焼成した粘土を乗せた高さ3m超の白塗りの壁が、まるで小さな城壁のように約1エーカーもあるやたら広い敷地の周りを延々と囲んでいる。
    敷地内の家は東西二つに別れていて、二つの連絡路が小さな花園の中庭を造っている。
    ちなみに庭らしい庭はそこだけで、他は新地みたいな地面で樹がぽつぽつと生えてるだけだった。芝生や花壇なんてどこにもない。
    西は3階建ての家で、これは普通の建築様式だった。東がかなり変わっていて、焼成した粘土を屋根に乗せた木造の平屋だった。
    他にも白塗りの尖塔や、とても広い部屋が一つあるだけの平屋もある。

    そんな変わった家の、東側の家の玄関から、一人の少年が出てきた。
    少年はビフロスト連邦中央魔法学院の制服の上に、防寒用の朽葉色のマントを羽織っていた。
    年は10代中頃だろうか。ほとんど白に近い銀髪で、精悍な顔立ちをしている。
    180を優に超える長身で、鍛え込まれ引き締まった体躯は華奢さを全く感じさせない。

    少年の名は、レナード・シュルツ。

    レナードは庭を縦断して門を出ると、振り向いて門に手を当てる。

    「Aileen Van Herzog Mimirの名においてLeonard Schulzが命じる。閉じろ」

    レナードの命に従い、家中の窓や鍵が独りでに閉まっていく。そして最後に、大きな門が重々しい音を立てて閉まる。
    なんとも不思議な光景だった。
    だが、レナードは別段何ともないような顔で、門の蝶番を引っ張って開かないか確認した後、ゆっくりと歩き始めた。
    そして、数メートルほど歩いて立ち止まる。

    「アクセス」

    レナードはつぶやき、目を瞑り、集中する。
    レナードは身体能力強化の魔法を使おうとしていた。

    魔法は人間が生み出した、あらゆる現象を起こす技術だ。
    この世界はマナで出来ており。
    魔力はマナの塊にしてマナを性質付けるものであり。
    エーテルは魂より生じる生命エネルギーである。
    そして、エーテルによって魔力を制御、カタチになるよう構成する。
    それが魔法のメカニズム。

    身体能力の強化は、2つの工程を要する。
    神経伝達や筋肉の細動を制御する”運動神経の強化”と、擬似的に不可視の筋肉や臓器、血管や神経を増設する”身体機能の強化”。
    身体強化は子どもでも出来る基本ながら実戦にも通じる技法であり、鍛錬すれば身体表面上にうっすらと防護膜として纏うことも可能で、さらに達人ともなれば刃物すら受け止められる。

    「コントロール、イメージ」

    レナードは言の葉を紡ぐ。
    呪文とも言われるこれは、宣言により自身を方向付け、集中しやすくするためのものだ。然るに呪文は千差万別。人の数だけ呪文はある。
    魔法が実質エーテルによる作用でありながら、精神力を要するというのはあながち間違いではない。
    湖面に自身を映すように穏やかに、何事にも動じず常に冷静に安定させられる精神力と集中力を以って自身を管理し、最大の技量を揮って魔力を掌に握する。
    そして、レナードは想像する。
    筋肉繊維。骨格。血管中の血流。神経網組織。各臓器官。増設し効率化するそれらを。

    「クリエイション」

    そして、その想像を創造する。
    体内で稼動中のエーテルを、新たなエーテルで制御、維持管理する。

    「………よし」

    レナードは全工程を終えて、拳を開閉して確かめる。
    身体の調子を確かめた後、レナードは前を向き、時速40kmほどで駆け出した。











    レナードは草原を駆け抜け、ヘイムダルの中央区に辿り着き、日が昇るにつれて活気付きだした街の中を駆けていく。
    彼が目指すのは中央区の中央部、ビフロストの象徴である二対の大時計塔の片方、中央魔法学院。
    学院の院章は上側にB.F.C.M.A.という文字。両端には二つの尖塔。下端には玉杯。そして上端から玉杯へ繋がる架け橋。
    文字は学院の略称、尖塔は二つの時計塔、架け橋は世の理たる天の城へと至る橋、玉杯は知識の水を受ける杯だ。
    大時計塔のもう片方は国会議事塔。国章は基本的に院章と同じで、上側の文字はBifrost Federation。架け橋は上下ではなく尖塔同士を繋げている。
    文字はそのまま国名。架け橋は友好と結束の意を示す。









    レナードは学院に着いた。
    予鈴が鳴るのが近いのか、門衛が詰め所から出てきている。
    レナードは身体強化の魔法を解きながら門をくぐり抜け、塔の中に入った。


    塔の中は、中心に直径50mほどの巨大柱があって、その周りが真上まで空洞になっている。
    そして各教室などはその空洞と外壁の間と、巨大柱の中にある。
    そのため、階段も塔の壁際と巨大柱の外周部の二つが、外と内で二重にグルグルと回っている構造だ。
    各階ごとに三方向に巨大柱と外縁を繋ぐ通路もある。
    塔の1階部分は巨大な空間が確保されていて、それだけで普通の家の5階分くらいはありそうな高さだ。
    また、高度な技術を以って造られたステンドグラスや彫像、噴水が並んでいて、豪華絢爛にして造詣深い。


    レナードは1階フロアを通り抜け、魔法駆動のエレベーター待ちの長い列の最後尾に並ぶ。
    この時計塔は1階ごとの高さが異様に高いので、各階の移動は階段よりエレベーターが使われることが多い。
    だが、3つあるエレベーターのうち1つは教職員ないし来客専用になっていて、学生の使用は禁じられている。
    結果、2つだけのエレベーターで全学生総勢1500人を超す人数を捌かなければならない。
    多少待つのは仕方のないことだった。




    数分の後、エレベーターが2往復ほど昇降するとレナードも乗ることが出来た。ガラス越しに塔の内部がよく見える位置だった。
    レナードは軽い重力負荷を感じながら、壁がガラスになっているエレベーターから、外を眺める。


    巨大柱周りの廊下に教員がちらほらと出て来始め、それを見た初等部の子達があわあわと内壁廊下を駆けていく。
    廊下からきゃーきゃーと黄色い声を上げて、女子中等生が雑誌を見ながらエレベーターの方を指差している。
    午後の実地訓練に向けてか、男子高等部生数名が簡単な組み手をやっている。
    そんな風景を眺めていると、11年生の階に着いた。
    ちょうど、予鈴が鳴ったのと同時だった。


    レナードはエレベーターを降りて、廊下を歩いてく。
    レナードのクラスは7組。
    乗ったエレベーターからすぐの位置だった。




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■109 / inTopicNo.4)  「Β 静かな日々」A
□投稿者/ 犬 -(2005/01/01(Sat) 23:58:44)




    ◇――Leonard Schulzの章――◇


    「レン。久しぶりだ」

    俺が教室に入ってすぐ、ハスキーな声と共に、小柄な少女が声をかけてきた。
    彼女の名前は桟。東の言葉で架け橋、ここの言葉では太陽を意味する。
    ショートのサラサラした黒髪で、そのしっとりとした綺麗な色は、琥珀色の瞳と相まって黒猫を連想させる。
    サンは顔立ちは整っていて可愛い方なのだろうが、少々目つきが悪く眼光が鋭い。性格も感情表現がストレートで野生的だ。
    サンとは俺が入学して間も無く知り合った。今年で8年来の付き合いだ。

    「ああ、久しぶり」

    俺は軽く会釈して、窓際最後尾の自分の席につく。
    カバンを置いて、少しの間、窓から見える昨年より一段と高くなった高所恐怖症殺しの絶景を眺めた後、サンの方へ視線を移した。
    サンは俺の隣の席についていて、”尻尾の毛繕い”をしていた。

    サンは獣人だ。
    獣人というのは、外見的にも生態的にも人間とさして変わらないが、個体ごとバラバラに動物の一部分が生えてる種族だ。
    例えば、毛に覆われた耳が付いてたり、尻尾が生えてたりと様々。サンの場合は白いふさふさの尻尾だ。
    そういうへんてこなのが獣人だ。
    へんてことか言うとサンに噛みつかれかねないので口には出さないが、実際おかしな種族だ。
    実際、進化の道程とかそういうものをまるっきり無視しているし、語りだすとキリがないくらい不明な点が多い。

    獣人達は、ウンザンブル教とは違う世界精霊信仰をもっている。
    自分達は穢れてるとか言う後ろ向きなウンザンブル教に対して、日々世界に感謝を捧げる前向きな信仰だ。
    ちなみに獣人達は、世界精霊への感謝の念を忘れるからと、あまり魔科学を好まない傾向がある。と言っても、心の持ち様の話なので場合によりけりではあるが。
    獣人達はその信仰ゆえに精霊が住まうとされる場所に集落を築き、基本的にあまりそこから出ることはない。
    と言っても排他的なわけではない。警戒心は強いがむしろ誰にでも好意的だ。あまり必要性を感じないから出ないのだ。
    そんな中で、10年前に史上初めて人間の学院に、それもビフロスト連邦最高学府である中央魔法学院に入学してきたのが、サンだった。
    10年前といえば俺はアイリーンの所で死にかけてたからよくは知らないが、当時かなり大騒ぎになったらしい。
    そして今もって人間社会に深く、それも人間と獣人公認の下に関与しているのはサンだけだ。


    「これで8年だ」

    サンは尻尾の先の毛をくるくる回しながら言った。
    だが8年の意味を掴みかねている俺を察して、サンは補足する。

    「クラス。ずっと一緒だ」

    「あぁ、そういえばそうだな。今年で8連続か」

    「すごい確率だ。えっと…………」

    サンは何か計算するように考え始める。
    多分、確率計算だろう。

    「7クラス編成で8連続だから7の8乗分の1、5764801分の1だ」

    「ソレだ。すごいな」

    助け舟を出してやると、サンは感心したようにうんうん、と頷いた。
    確かに、ここまで来ると腐れ縁かもしれない。
    きっと来年も同じクラスなんだろうな。

    「確かにすごいな。実際、8年目でもまだ知らない顔がいるのに」

    クラスの顔ぶれを見回す。
    本鈴前だからか、みんな席に着いていた。
    後ろ姿、それも数名髪形や髪の色が変わっているのもいるが、ほとんど見知っている。だが、若干名、顔も覚えてないのがいる。
    何人か、後ろを振り向いて手を振ってきたので、こちらも手を振り返す。
    視線をサンの方に戻すと、サンは文句を言いたそうな顔をしていて、その表情通りに文句を言った。

    「違う。すごいのはそうじゃない、レンだ」

    「………俺?」

    よく分からない。
    どうして俺がすごいんだろう。
    さっき確率がすごいって言わなかったか、サンは。

    「………もういい。忘れろ」

    サンは諦めたようにそっぽを向いた。
    よく分からなかったが、忘れていいならそんな大した内容じゃないんだろう。
    忘れることにする。

    「でも、まだ8年なんだな。もうだいぶ長いこと一緒にいる気がするのに」

    「それは当然だ。半生を毎日のように会ってたんだから」

    「そういえば、そうなるのか。思えば長い付き合いだな」

    「まったくだ」

    サンは尻尾を振りながら顔をほころばせる。
    その折、時計塔の鐘の音が9時を知らせた。
    同時に、まるで見計らったようにドアが開いた。

    「みなさん、お早うございます」

    セミロングの黒髪にメガネをかけた眼光の鋭い女性教員は、つかつかと教壇に上り、そう言った。
    社会学担当のエリザベス・ウォーカー教授だ。元エインフェリア王国宮廷師団の賢者らしい。
    ちなみに賢者というのは外交官のことだ。かなりやり手だったらしいが教育に目覚めたとかで若くして引退したらしい。
    その後、賢者時代はビフロスト担当だったからか、王国ではなくビフロストにやって来て、教鞭を振るっている。

    「さて、新学年早々ですので、今週はまず前年度までの復習をします――――教科書39ページを開いてください」





    「ビフロスト連邦は、107年前の帝国の一斉侵略に際し、各小国が結束したのが始まりで―――――

    帝国を退け続けてきた各小国の技術力が連邦成立に当たって結集されたことによって、ビフロスト連邦は歴史は浅いが世界最高峰の技術力を有する――――
    地理的要因から農業や漁業も盛んであり――――
    ヘイムダル州全体の人口は約100万人余り。かなりの大都市と言えますね。ビフロスト全体では―――

    ビフロストは教育に力を注いでいます。それは、2つの大時計塔の片方が国家議事塔であり、もう片方がこの学院であることから容易に想像がつくでしょう。
    中等部までは義務教育であり、貧しい者も富める者も、等しく全員が無料で教育を受けることになります。
    さらに中でもこの学院を含めて、ヘイムダル内では5つの進学校があり、これらは地域別にある学校とは違って入学試験を設けてあります。
    高い能力を持つ者に更なる能力を、ということですね。ビフロストは資本主義ですから。
    貴方達も何かしらの能力ないし平均にして高水準の能力を持っているからこそ――――



    ビフロスト連邦成立の功労人、旧ヘイムダル国首相ヴィンセント・クーガーの――――


    獣人のその進化の歴史は不明であり――――
    獣人にはそれぞれ個体ごとにベースとなる動物が存在し、個体ごとに全く別の習性を持つ場合もあるのですが、獣人族という一つの単位で纏まっており、仲間内で諍いを起こすことはほとんどないとされ、彼らの間ではベースとなる動物間における食物連鎖は該当せず――――
    肉体強化や治療に関しては人間の数歩先を行っており――――
    また、高いエーテル制御能力を持つ者は、自身の姿形の変形を―――ー
    生殖に関しても未だよく分かっていません。異なる動物をベースとする獣人同士の間の子が、さらに全く別の動物がベースであったケースも確認――――
    獣人は人間より本能に忠実でありつつも、基本的には穏やかであり、人間や魔族といった他種族にも好意的と言われています。
    獣人は獣人の尊厳や誇りを蹂躪されない限りは人間より寛容とも――――
    しかしながら一度攻撃本能を剥き出しにすれば、人間のいかなる兵より優秀であると言われています。
    また、彼らは本能に忠実であまり物事を深く考えないとされており単純者で楽観主義者と誤解されている節がありますが、彼らは本来思慮深く冷静な現実主義者であり、その知能は人間と並び立ちます。
    また、身体能力にも優れ、数が同じならば獣人はこと戦では負けることはないと――――あら?」


    授業終了の鐘が鳴る。

    「終わりのようですね。では、今日はこれで。
    毎回言っていますが、教科書の内容や私の言うことを覚えることは大変良いことです。
    ですが、必ずしも正しいとは思わないでください。大切なのは、自分自身で考えて判断することです」

    そう言ってウォーカー教授は教室を出て行った。
    最後の言葉はウォーカー教授の口癖だ。
    その意味は、特に今回は分かりやすい。





    休憩時間。

    旧学年の終了式から1ヶ月、みんな久方ぶりに友人に会って思い思いの会話を楽しんでいる中、俺は一人窓の外を眺めていた。
    ハッキリ言って俺は友人が少ない。
    会話する相手がいないわけじゃないが、さりとて友人と言えるほど気の許せる相手となると指折り程度だ。
    その数少ない友達の一人がサンなのだが、サンは俺のマントに包って丸くなって寝てる。午前中はいつもこんな感じだ。

    「レナード久しぶり〜!」

    で、数少ない友達のもう一人。

    「あぁ、久しぶりだな。ミヤセ」

    ミヤセ・ミコト。学院内でも指折りの武闘派の女生徒で成績優秀な優等生だ。
    長い茶髪の愛嬌のある美人で学内でも人気がある。らしい。俺にはよく分からない話だ。
    華奢な容姿とは裏腹に徒手空拳による武術の達人でやたら強い。対人戦闘においては学院内でもトップクラスだ。

    ミヤセはサンと同じく8年来の友人だが、俺はミヤセと初めて会ったのがいつなのか、全く覚えていない。
    気づいたら知り合いになっていた。多分、気づくまで俺はミヤセのことを全く認識していなかったのだろう。
    ちなみに、そのことを話した後の数分間の記憶は、側頭部の激痛と共に飛んでいる。

    「なによ。まったく、相変わらず素っ気ないわね」

    「俺としては精一杯の愛想を振りまいたんだが」

    言われてミヤセは、きょとんとした顔をする。

    「え………精一杯の愛想?」

    「ああ。やはりイントネーションが乏しかったか?」

    ミヤセは、ううん、と首を振って俺の顔を見つめ、嬉しそうに笑った。

    「そっかそっか。レナードがわたしに精一杯の愛想か。あはは、そっかー」

    ミヤセは嬉しそうな顔をしたまま、不在のやつの席のイスを引っ張ってきて座る。
    そして、こっちを向く。まだ嬉しそうな顔をしている。
    よく分からないな。

    「なんだ、そんなに嬉しいものなのか?」

    「え? うん、嬉しいよ。レナードっていっつも素っ気無いから、わたしのこと見てないんじゃないかって思ってた」

    「失礼だな、ちゃんと見てるぞ。素っ気無いのは仕様だ」

    「そう? わたしとしては、せめて人並みに愛想が好いレナードをすんごい見てみたいんだけどな〜♪」

    「………無理という前提で訊くが、それは例えば、どんな感じだ?」

    ミヤセは、うーんそうね、とつぶやいて数瞬思案して、ごほんと咳払いをし、大層な身振り付きで言った。

    「久しぶりだねミコト! 元気だったかい? また会えて嬉しいよって無理無理あははははーー!!」

    ミヤセはバンバンと机を叩いてお腹を抱えて笑い出した。
    かなり失礼だが、自分でも無理だと思うから怒れない。
    むしろ、久々にミヤセの明るい笑顔を見て、どこか安堵している自分がいる。
    自然に、硬いだろう自分の表情が綻んでいく。

    「ははっ、明らかに性格も口調も違うな。誰だそれ?」

    「あはは……え、えーっとね………くくっ」

    ミヤセは浮かんだ涙を指でぬぐいながら、時折堪え切れないように吹き出しながら言った。
    どうやら本当にモデルがいたらしい。

    「3ヶ月前の始業式の時だったかなー? 3組の男子に呼び出されて告られた時の、出会い頭のセリフ」

    「ああ、そういえば告白された件は聞いたな。それにしても大層な演技だ。彼は役者志望なのか?」

    「さぁ? 即フって後は知らないから。元々演習で顔合わすのが多かっただけの顔見知り程度だったしね。
    でも、こっちは名前もよく覚えてなかったのに、いきなりそーゆー態度で来られたから驚いちゃった」

    「なにか彼の側で、知り合い以上と思うようになった出来事があったんだろう。
    俺もたまにそういう感じの態度で来られる時がある」

    「あはは………ま、レナードはねー。変に鋭くて変に鈍いから」

    ミヤセは苦笑する。
    どういう意味だろうか。
    言葉の意味を素直に捉えるなら、俺は鋭くも鈍くてムラがあるらしい。
    よく分からない。

    「あ。ところでさ、レナードってさ」

    ミヤセは机の上に置いた腕に顎を乗せ、俺を見上げるように言った。

    「春休み中、どっか行ってた?」

    「ああ、3週間ほど出かけていた。何か用事があったのか?」

    ミヤセは首を振る。

    「ううん、別に。電話しても出なかったから、どうしたのかなって」

    「いや、電話したんなら何か用があったんだろう。大丈夫だったのか?」

    ミヤセは頬をかきながら苦笑する。

    「大丈夫よ。うん、ほんと、別に用はなかったから。ヒマだったから電話してみただけ」

    「そうか。それなら良かった」

    そう言うと、ミヤセは何だか嬉しそうににこにこしだした。
    そんなに嬉しい事なのだろうか。
    よく分からないな。









    ミヤセと他愛ない話をしながらも、時間は流れていく。
    10分という短い休憩時間は終わり、次の授業が始まる。








    2限目。魔法学。担当はジャレッド・マーカス教授。
    元連邦騎士軍の軍曹で、拳を握るだけで筋肉が大きく盛り上がるほど鍛え込まれた巨躯に軍服、角刈りという、知的さなど微塵もないような出で立ちの根っからの軍系魔法学教員だ。
    だが、これで魔法構成式の複雑な理論を緻密に語るのだから、人は見かけによらない。

    「ブレイズ・ファイアの名で知られる焔の担い手ジョセフ・アレイヤが遺した「焔の書」3章2番の構成式、その効用と平均所要エーテル、ならびに魔力組成の具体的な流れのモデル。これは昨年教えた―――

    百雷事件の首謀者イアン・グェンが逃走時に用いた魔法の構成式はだな、――――

    闇魔法に分類される魔法の効果とそれに対する有効な防衛策を――――

    獣人特有の身体操作メカニズムを遺伝子レベルで―――


    魔法というのはあくまで技術だ。
    しかしながら、個人の精神状態次第で揺らぐ可能性のある、危険な代物だ。
    安全性などない。安定性などない。安心など出来ん。
    お前らの横にいるヤツが、いつ暴走してお前らを殺傷するかも分からん。
    喉元に剣の切っ先など生温い、常に銃口をこちらに向けていて、しかも撃鉄を起こしてトリガーに指を掛けている状態だ。
    つもりが無くとも暴発するやも知れん。そういうものが魔法だ。

    言っておくが、これは誇張ではない。
    現に俺の軍時代、戦場にビビって敵に向けるべき魔法を御し切れずに味方に撃って、小隊を全滅させちまった奴がいた。
    しかしそれは戦場だろうと高を括るかも知れんが、ヒトの精神など容易く揺れる。
    たとえば―――お前らの歳なら、好きなヤツもいるだろう。
    そいつの前で、巧く魔法を使えたか?
    進学、転入試験の時にも巧く使えたか?
    実地訓練で敵と相対する最中においても、普段と同じように使えたのか?
    ………少なからず影響はあったろう。中には暴走したヤツもいるやも知れん。
    憤怒、恐怖、愉悦、悲嘆、昂揚、良いも悪いもそれらの感情でヒトは揺れる。
    揺れてる内は魔法など使わん方がいいが、だがその揺れる心で使わねばならん時もある。
    だが、覚えておけ。大事なのは、揺れないことではない。
    ヒトが揺れるのは仕方の無いことだ。故にヒトが人であるのだから、故にヒトを人たらしめているのだから、揺れるのは当然なのだ。
    大事なのは、揺れる中で、どう自分を制するかだ。
    友が死んだら悲しめ。だが自棄にはなるな。
    憤れば怒っても構わん。だが自分を見失うな。
    魔法は忠実にヒトの精神を反映する。
    どんな状態であれ、決して自分が自分で無いようにはなるな。
    自身を自信を持って強く保ち続けられるだけの度量を持て――――」



    終業の鐘が鳴る。


    「今日は終わりだ。来週からは新しく実践的なことを学ぶから、今週中に復習しておけ。後で泣いても面倒は見んぞ」









    休憩時間。
    サンは丸くなってすやすやと昼寝している。
    ミヤセは他の女子と話しこんでる。
    俺はぼーっとしてる。

    と、思ったら来客1名。

    「おい、レナード・シュルツ」

    人をフルネームで呼ぶそいつはグレゴリー・アイザックス。
    ブロンドのオールバックで、学級委員長。まぁこのクラスの仕切り屋だ。
    俺やサン、ミヤセと違い高等部からこの学院に入ってきたらしく、確か俺達より2つ年上だ。
    つまり2回、入学試験に落ちたってことだ。この学院はレベルが高いからそういうヤツは割と多い。それに、学院の学生だったヤツも進学試験に落ちて浪人することだってある。
    で、アイザックスはなぜか俺に目をつけていて、やれ成績がどうの、やれ人気がどうの、やれ人徳魔法エーテル運動能力何だのかんだの、何かにつけて文句を言ってくる。
    どうやら俺が気に入らないらしいが、よく分からない。
    俺より優秀な奴ならいくらでもいるだろうに。

    「お前な―――で――――だからって―――だが―――だから――――覚えとけよ、分かったな!?」

    適当に聞き流して相槌打ってたら、ひどく癇癪を起こして帰って行った。
    1人で盛り上がって1人で怒ったようだ。
    相変わらず器用な人だな。










    3限目は言語学。担当はリタ・ヘイワース教授。美人で優しくノリが良いと評判。らしい。
    俺はそういう世事に疎いからよく分からない。

    「―――つまり、統一王時代以前は言語が統一されていなかったの。統一王が世界制覇を成し遂げ、数々の偉業を行っていく内に―――

    今では、今私が喋っている言語が共通語よ。でも、たいていの分野でいくつかの言語が残っているわ。魔科学には特に―――

    この統一王時代の文学作品の原文には、我と書いてオレと読め雑種、と書いてあってこれは統一王が言った言葉―――

    栄華を極めた統一王時代の終幕を引いたのは、統一王が永眠された後の混乱と言われているのだけれど、その中で一番面白いのが大災厄と英雄のお話ね。
    今より発達していたとされる統一王文明の多くを失わせたとされるその大災厄の詳細は分かっていないのだけれど、多くの文献でそのことが記されている。
    大災厄に立ち向かった英雄は獣王――歴代最強の獣人に与えられる諢名ね。でも強過ぎて魔獣とも呼ばれていたようだけど――その獣王の称号を持つ獣人と、
    魔王とも魔神とも呼ばれた強大な力を持ったヴァンパイアと共に戦ったそうよ。
    でもおかしなことにどの文献でも、英雄は大災厄と戦った、と記されるばかりで大災厄の正体は明記されていないの。
    けど、その3人がどれだけ超越的であったとしても、ヒトが敵対可能なスケールは知れているから、一番有力なのが異界の存在であったという説ね。

    あと―――大体半々の割合で、英雄の名が混同されているの。アナスタシアスとアナスタシア。
    当時は今と違って男尊女卑の時代だったのだから、女傑を英雄としたのだろう、というのがアナスタシア派。
    その頃は男尊女卑の時代の終焉と重なるから、女権興隆のために男性を聖女として祀り上げた、というのがアナスタシアス派。
    今さら新事実も出てくるわけないし、ずーっと決着つかずに平衡線状態よ。
    あ、ちなみにセンセーは女性派だから。
    だって文献の挿絵に出てくる剣ってものすっごくデカイんだもん。誇張あるとは思うけどバスタードソードどころじゃないのよ?
    目測でも長さは全長2メートルはあるし、幅は30センチは下らないわ。普通の鋼なら柄が耐えられないくらいの重さね。
    それでね、その剣を振り回す女のコはきっとすっごく線が細いの。マーカス先生みたいに筋骨隆々じゃないの。どうせ強化しちゃえば一緒だしね、センセーだって手刀で木ぶった斬れちゃえるし。
    でね、素敵と思わない?
    そんなゴツイ剣を担った英雄が線の細い女のコだなんて。センセー憧れちゃうな〜。
    最近のコは扱いやすい短剣とかしか使わないから、面白くないのよねー。他の国はまだ剣使ってるのに。
    媒介技術の発達による近代戦闘術への移行とは言うけれど、どうなのかしらねー。ロマンがないわよね、ロマンが―――」


    終業の鐘。

    「あら、脱線し過ぎちゃった。ま、いいか。今日はここまで。
    ちゃんと復習するのよ? 赤点取っちゃったら容赦しないんだから」

    剣の英雄に憧れる、素手で樹木をぶった斬るリタ・ヘイワース教授は教室を出て行った。
    言うまでもなく、そんな簡単に樹木を素手で斬れる人は普通いない。









    休憩時間。
    サンは寝てる。
    ミヤセは他の女子と。
    アイザックスはどっか行ってる。
    俺は景色を眺めている。

    今回は来客はなかった。
    でも俺に話しかけようとしてたような女子がいた気がする。
    でも、外見ながら考え事していたものだから、誰だか分からなかった。
    まぁいいか。









    4限目は魔科学。担当はマシュー・バンデラス教授。愛称マッド・マット。魔科学に生涯を捧げた老翁だ。

    「そうじゃの。まずは、そこの小童。………あー、名前なんじゃったかな? 出席簿は………アイザックスか。お前ちょっと前に出て好きなパターンの文様を描いてみい。それでそれをどんな構成式内にどう刻み込むことでどんな効果が得られどんな魔力流動制御が可能となるか、ついでにどの素材でどの程度の許容量および魔力回収率および維持率が見込めるか。書いてみ」

    アイザックスが渋面しながら、前に出て行く。
    バンデラス教授は人の名前を覚えない。顔も覚えない。でも、ボケてるわけじゃない。
    70を優に超えてもその記憶力は大したもので、特に魔科学に関することなら毎朝の新聞の記事を全て覚えているほどだ。
    だから、単純に人の顔も名前も覚えようとしないだけ。
    気に入った人間なら、50年前に会ったっきりでも絶対に忘れないらしいんだが。

    「魔科学というのはな、簡潔に言えば魔力貯蔵庫たる媒介を開発し、エーテル無しに魔力を制御する技術じゃ。
    魔法の行使において魔力の有無は大前提。どれほど優れた魔法能力者だろうと、魔力なくしては赤子同然。逆に魔力さえあれば水中であっても火は燃ゆる。
    その魔力を何時でも何処でも何度でも使える様にする為のものこそが、媒介。
    その媒介を突き詰めてゆき、最終的にはエーテルという行使者の能力に依存せぬ領域まで持ってゆくのが魔科学の真髄じゃ。

    前も言ったが、この時計塔にもふんだんに使われておるぞ。どの方角の教室でも日中なら常に明るいのが、一番身近かの。
    これは時計塔中で採光した光をいったん集約し、各教室に繋いだラインで送り、照らしているわけじゃ。


    ―――ビフロストの発展は魔科学の発展無くしては無い。
    儂らの文明は魔法の発達無くしては発展しえんと言うが、ビフロストにおいてその魔法の発展を支えたのが魔科学じゃ。
    そう、魔科学の媒介技術の発達によって、魔法を好く使えるようになったからこそじゃな。
    何時でも何処でも何度でも。
    かつて帝国の侵攻に脅え続けた小国の集まりが、僅か100年にしてここまで成長出来たのは他国の追随を許さぬ魔科学技術あってこそじゃ。
    機会があれば他国を訪れて見るが良い。ド田舎のロックウェル州が魔科学においては都会に見えるぞ。
    ビフロストの魔科学技術力を改めて思い知ることになるじゃろうな。
    お主らも、エーテル制御技術にそこそこを自負する程度の能力があるならば、魔科学者を目指すが良い。
    エーテル制御は資質より努力の占める割合の方が多く、訓練次第で才能の差などどうにでもなる。
    例えば―――火に愛されしもの、Kay Fosterの名は知っておろう? アレは儂の教え子じゃ。
    アレは最初は目も当てられん程の愚図じゃった。媒介の製造どころか魔力を媒介に貯蔵させる事さえ満足に出来ず、よく零しては事故っておった。
    今思い返しても、奴には才能などどう取り繕ってもなかったの。よくもまぁ魔科学などやろうと思ったものじゃ。
    だが、奴は努力に研鑽を重ねに重ね、今やケイ・フォスターは世界的にその名を轟かせる魔科学者となった。
    まさに、努力の結果という生きる例じゃな。
    ああ、ちなみに魔科学者に脳みそは特に要らんぞ。
    開発者や設計者になるならともかく、工匠などになるなら脳みそなぞ小等部レベルで十分じゃ。
    否、むしろ小等部の脳みそが好ましいかの。要るのは奇想天外の発想と創意工夫じゃからな。
    実際、ケイ・フォスターも馬鹿で阿呆じゃった。他教科の先生に掛け合って、何度も赤点を助けてやったわ。ふははは!」



    授業は進む。
    魔科学も含め、今週は復習ばかりで新たに習うことは少ない。
    実験や実地訓練のようなものもない。
    基本の反復は大事ではあるが、今さら感が否めないのでヒマと言えばヒマだ。





    終業の鐘が鳴る。

    「今日は終わりじゃ。では、よい一日を。………やれやれ、この歳で四半日立ち続けるのはさすがにしんどいのぅ――――っと、レナード・シュルツ」

    バンデラス教授が呼ぶ。
    何だろうか。

    「シュルツ、来年になって予備生になったら儂の科へ来い」

    む………またその話か。

    「考えておきます。それより、お身体をお大事に」

    「ふはは! そうじゃの、確かに儂が生きておらんと無駄じゃの!」

    バンデラス教授は豪快に笑いながら出て行った。
    多分、あと10年は生きるだろう。

    よく分からないが、俺は何年も前からバンデラス教授に目を付けられていている。
    どうにも、老い先短いもんだからその知を全て譲りたいらしいんだが、なぜかそのターゲットとして俺が惚れ込まれている。
    そんなわけで、昔っから毎週1度は研究室に呼び出されて魔科学と魔法とは何たるかを講義されている。
    しかも、そうやって教えるのが嬉しいのか講義はヒート・アップしていく一方だ。
    さらに最近は、研究室に配属される12年生、研究予備生が近づいたこともあって、頻繁に魔科学研究室入りを勧められている。


    「レン」

    くい、と俺の袖を引っ張る誰か。
    振り向くと、サンが立っていた。

    「昼休憩だ。ごはん」

    尻尾がふりふりと振れている。

    「そうだな、昼食にするか」

    弁当を出そうとすると、さらに強くぶんぶんと振れるサンの尻尾。
    いつも凛々しく澄ました顔してるのに、台無しな気がする。
    まぁ、可愛いと言えば可愛いのかもしれないが。
    ついでに、弁当を渡すと途端に嬉しそうな顔をするのも。




    そんなこんなで、だらだらと流れていく日常。
    穏やかで変わり映えがないけれど、それでも毎日が違う毎日で、充実した日々。
    8年前から何も変わらない日常。





    ――――だが、それも何時までも続くとは限らない。




引用返信/返信 削除キー/
■110 / inTopicNo.5)  「Β 静かな日々」B
□投稿者/ 犬 -(2005/01/02(Sun) 00:12:56)


    ◇――Leonard Schulzの章――◇



    昼の休憩時間。
    ミヤセとサン、俺は教室にいた。教室にいるのは3人だけだ。
    学院は基本的に寮生なので学食派が大多数を占める。そんな中、俺達は数少ない弁当派だ。
    と言っても、自宅通いを許されてる俺が弁当派で、ミヤセとサンの分の弁当も作ってきてるだけだが。
    確か8年前、ほっとくと栄養の偏るサンと金欠のミヤセに弁当を裾分けしたのが始まりだっただろうか。
    今にして思えば少し浅慮だった気もするが、どうせ1人分も3人分も大して変わらないし、特に金に困ってるわけでもないので以来作り続けている。
    ちなみにサンはとっくに食べ終わっていて、俺のマントに包まって丸くなって寝てる。

    「ところでさ、明後日はどうなると思う?」

    ミヤセは弁当の具をつまみながら言った。
    一気食いのサンと違って、ミヤセは食事のスピードはゆっくりだ。
    まだ半分程度しか手を付けていない。

    「実地訓練のことか? 去年と同じ模擬実戦形式じゃないのか」

    「それだけ?」

    「それだけと言われてもな。訓練の概要は掲示されてるだろ」

    「だーかーらー、君は本当にそれだけだと思ってるの、って訊いてるの」

    意図が伝わらないからか、ミヤセは不満そうにむくれる。

    明後日の午後は、週に1回の実地訓練だ。
    5人以内でチームを組んで、課題クリアを目指す。
    当然、5人以内なので1人でもいいのだが、高等部は模擬的とはいえ実戦を伴う。
    と言うのも、今回は実地場所に置かれたフラッグの回収が目的なのだが、今回に限らず訓練ではクリアの証拠の奪取が許可されている。
    そしてその奪取は、実力行使を許可されている。
    つまり、模擬実戦とは生徒同士での戦いということだ。

    実力行使と言っても一応、エーテルの枷を嵌めることで魔法の抑制と防御の向上を図ったりナイフを木製のものにするなど殺傷性を抑えているとはいえ、その試験の性質上、かなり熾烈だ。
    しかも、評価されるポイントはクリアまでの時間とフラッグの数なのだが、早さよりフラッグの数の方がポイントが高い。
    そうなると自然に奪い合いが加速するので、1人より多人数で組んだ方が効率が良いのだ。

    加えて、課題達成内容は試験開始直前に変わることがある。
    ミヤセが危惧しているのはそういうことだろう。
    変更されれば戦術を180°変えなくてはならない可能性だって出てくる。
    1人で組むと非効率的なのは、この理由もある。


    「いや、二次的に何らかの試験は出してくるだろうな。誰かが参加するか、魔物の討伐か」

    魔物というのは突然変異した動物のことだ。
    魔物は得てしてほぼ無制限に成長し、巨大化、変態する。
    人里襲うこともあるので、そうなる前に発生を確認し討伐するのが常識だ。

    「でも最近魔物の発生を聞いた覚えはないし――――誰かって、誰?」

    「普通に考えれば教員だな。場合によっては連邦騎士軍――――というか、思案しても仕方がないだろ。変に予想すると、予想外の事態に対応出来なくなるぞ」

    「んー。それは分かってるんだけど、ね………」

    ミヤセはどうにも曖昧な感じで、何かが引っ掛かるような感じを見せる。
    おそらく、胸騒ぎがするのだろう。

    「分かった。なにか気になるんだろ、俺の方も警戒しておく」

    「うん。ありがと」

    それで納得したのか、ミヤセはにこっと笑う。

    「それにしても――――」

    ミヤセは、サンの方に目線を向ける。

    「――――相変わらず、よく寝るね」

    ミヤセは気持ち良さそうに寝息を立てているサンを見て、呆れ気味にため息をつく。

    「サンは午前中はダメだからな。―――何してる?」

    「え? ちょっと」

    ミヤセはサンの腰周りをまじまじと見つめ、そしてサンのお腹をぺたぺたと触る。
    んっ、とくすぐったそうにサンは身をよじる。

    「………むむ」

    ミヤセはうなりながら、自分のお腹をふにふにと触る。
    そしてため息をついて、こんな食っちゃ寝なのになんで全然太らないの、と恨めしそうにつぶやいた。

    「若いからじゃないのか」

    そう言うと、ミヤセに思いっきり頭を叩かれた。







    ◇――Sanの章――◇



    眠い。
    すごい眠い。
    ひたすら眠い。

    私は低血圧、ってわけじゃない。
    朝は起きた瞬間から目パッチリだし陽が昇る前にだって起きれる。
    それに講義中だってきちんと起きている。寝てて後でノートを写させてもらったことなんて一度もない。
    でも。
    どうしても、ダメだ。休み時間になると1分と起きていられない。
    鐘が鳴った瞬間に、睡魔がこう、100匹くらい押し寄せてくる。多勢に無勢だ。
    大体、レンのマントがダメなんだ。
    温かすぎる。レンの匂いがするし、ほかほかふわふわしてて私を一瞬で眠らせてしまう。
    絶対、闇魔法か何かかけてて睡魔が襲うようにしてるんだ。100匹くらい。
    絶対そうだ。

    それに、ご飯が美味しすぎるのもいけない。
    獣人はそんなに時間を掛けて調理するなんてことはあまりない。
    祭事の時ならともかく、普段は獲物を狩ってきても焼いて食べる、菜を摘んできて煮て食べる、それでおしまい。
    母さまみたく焼く前から下拵えと味付けするなんて、しない。
    うん、でも母さまのご飯は大好きだ。お腹空いてて早く食べたい時は困るけど、その分すごく美味しい。
    レンのも大好きだ。母さまと同じで私の好みに合わせてくれるし、毎回冷えてしまっているのを悔やむくらい美味しい。
    やっぱり母さまと一緒で、野菜いっぱい入れるのは、ちょっとヤだけど。

    レンにお弁当作ってきてもらえるようになったのは僥倖だったと思う。
    学院の食堂は、なんていうか変に脂っこくて美味しくない。調味料とかで味を誤魔化してる感じ。味が活きてない。
    温かいんだけど冷えてて、値段は高めだし、不味くはないんだけど美味しくない。
    でもレンのは冷えてるけど温かくて、安くて、というかお金要らないって言われたから払ってなくて、とても美味しい。
    そーゆー違い。
    けどあんまり美味しいから、お腹も気分もいっぱいになって気持ち良くなってまた眠くなる。
    これは良くない傾向。
    食べた分動かないと贅肉が付く。身体重くなって動きづらくなる。
    今は増えてないけど、その内増えるかもしれない。夜に消費してるけど、でもやっぱり陽の当たる内も動いた方がいい。
    そういえば贅肉で思い出したけど、ミコトは邪魔にならないのかな、あの胸。
    重そうだし腕振り回しにくそうだし、メリットが浮かばない。
    私も最近少し大きくなってきた。ちょっと邪魔。このままミコトみたいになるのはヤだな。


    でも、その方が女の子らしいんだと思う。ミコトは特に男子に人気あるみたいだし。
    ミコトは、女の子らしさなんて全然全くこれっぽっちも見当たらない私に比べれば、男子から見れば輝いて見えるんだと思う。
    私はおしゃべりなんて苦手だし、服とかも興味ないし、花とか人形とかぬいぐるみとか、それ自体には何の興味も引かれない。
    なんていうか、愛着が持てないのだ。貰い物なら嬉しいし愛着湧くけど、他の物はどうにも難しい。
    私はそんなのより、あちこち駆け回ってる方が好きだ。
    綺麗な服を着るより、山の頂から綺麗な景色を眺めたい。花を愛でるなら、自分で摘みに行く。人形やぬいぐるみより、動物と泥だらけになってじゃれ合ってる方が好き。
    たとえ、完全完璧完膚なきまでに女の子らしくないとしても。

    でも、引け目があるわけじゃない。
    それは、確かに羨ましいとか良いなぁって思うことはあるけれど。
    私は私。ミコトはミコト。
    ミコトがどんなに女の子らしくて、どれだけ可愛くったっていい。
    私がどれほど女の子らしくなくても、醜くても構わない。
    女の子じゃなくったって、私は私なんだから。








    「うー………」

    学食派のクラスメイトが戻ってきたのか、少し騒がしくなってきた。
    午前中はともかく、午後になるとさすがに頭が覚醒してくるから耳が音を拾ってしまう。
    仕方ないので起きる。

    「………う?」

    クラスを見渡してみる。
    気のせいか、なんだか慌しい。
    みんな私服に着替えてるし、ちょっとピリピリした感じだ。
    ………あー。そっか。今日は演習があったんだっけ。
    ダメだな、頭がぼーっとしてる。私も用意しなくちゃいけないんだった。

    「サン、起きたのか?」

    レンの声がした。横を向くと、レンが着替えてた。

    「………うん、起きた。おふぁよ」

    うー。
    あくびが出た。やっぱりまだ眠いみたい。ちょっと目をこする。
    こすった目でレンを見る。

    相変わらず、鋼みたいな身体。
    ムキムキって感じじゃないんだけれど、引き締まってて逞しくて、鍛え込まれた鎧みたい。
    レンと比較したら、クラスの男なんて女に見えるくらい。
    というか、最近の男は強化に頼るばっかりで地は貧弱だ。
    確かに実際に肉体を鍛錬するよりかは、強化を鍛錬した方が効率的だけれど。
    元々の肉体あってこその強化なんだから、肉体も鍛錬しないとダメだ。
    素人が名剣を使っても、それは鈍剣と変わりないのと一緒。
    そんなヤツは強化してない私でも一撃で仕留められる。

    「おはよう。そろそろ起こそうかと思ってた。準備した方がいいぞ」

    レンは微笑して、演習用の服装への着替えを続ける。

    レンに聞いたけど、演習というのは、他の学校でいう体育みたいなものらしい。
    週2回、午後を丸々使って、魔法学のジャレッド・マーカス先生の下、色々と遊ぶ。
    私はこの演習は好きだ。午前中座りっぱなしで身体が固まってるのをほぐせるし、色々と楽しい。
    他の人は、鬼軍曹に生の限界に挑まされるとか、いつか死人が出るとか、そんなこと言ってるけどよく分からない。
    すごく楽しいのに。この前の素手で獅子捕獲なんて、本当に。

    とりあえず、私も着替えなくちゃなんないのでカバンから服を取り出す。
    演習の時だけは、堅苦しくて分厚くて重い制服を脱げるから余計に好き。
    私はベストとブラウス、スカートを着てる。これが一番楽だから。この学院はいっぱいあるバリエーションの中から選べるから好きだ。
    ちなみにミコトとかはさらに上着着てて、中にはジャンパースカート着てる人もいる。でも私はそれは嫌い。
    ほんとはベストも脱ぎたいんだけど、透けるからダメ、ってミコトに怒られた。そんなのどーでもいいのに。
    でも他のよりかはマシだから、仕方なくベストを着てる。でもそうすると、よくミコトに、寒くないの、って聞かれる。
    私はあんまり寒いとか思ったことはない。特にビフロストは私の故郷と違って暖かいから、年中薄着で十分だ。
    だいたい、ミコトのが脂肪分多いんだから寒くないはずなのに。それ言ったら怒られるけど。

    私はレンの後ろに回って、ベストを脱ぐ。
    普通はミコトに更衣室に連れてかれるけど、今はいないからここで着替える。
    更衣室なんて面倒だ。隠すとこ隠せたらそれでいいのに、ミコトの感覚はよく分からない。
    下着なんて水着と同じだと思う。ミコトの普段着とだってどう違うんだろう。
    私が女の子らしくないから分からないんだろうか。

    「………んっと」

    ブラウスを脱ぐ。後は白と紺のタンクトップを二枚重ねで着てるだけ。上はコレで良し。やっと楽になった。
    そういえば、私はブラウスの下がすぐ下着ってわけじゃないんだから、透けても構わないと思うんだけど。今度ミコトに聞こう。
    次はスカートを脱い………だらダメだったんだっけ。
    ミコトがスカート脱ぐ時は、先に着替えのスカート着てから脱ぐの、って言ってた。
    パンツ見えたらダメらしい。そんなこと言われても演習中は普通に見えてると思うけど。まぁいいか。
    ついでに、もうほとんど教室には誰もいないんだから見えたって良いと思う。でも、まぁやってみよう。

    「…………うー」

    ミコトの言われた通り、先にスカート穿いてから脱ぐ、をやってみる。
    正直、すっごく面倒。着替えのも一緒にずり落ちてしまう。
    ぱぱっと脱いでぱぱっと着たらいいのに。ミコトはどーも面倒なことばかりしてる。
    うー、じゃあ普通の女の子は面倒に思わないってことのかな。やっぱり私には分からない。

    「後は………」

    膝辺りまでの丈の紺のスカートに穿き替えた後、私は武器を取る。
    少し前にレンに貰ったKシリーズのイヤリング型の媒介1つ。これお気に入り。着けるのが勿体無いくらい。
    実際、学校で使うのは初めて。ちょっと心臓が高鳴ってる。絶対壊さないようにしないと。
    後はナイフ2つ。携帯用の組み立て式の槍1本。終わり。

    「レン、終わった?」

    私は自分の準備が出来たので、レンがいる後ろを振り返る。

    「ああ、もう終わる」

    レンは武器の装着をしていた。
    胸元にナイフ。腰に自動式とリボルバーの魔法拳銃2つ。
    魔法銃というのは、よく知らないけど魔科学のバンデラス教授の作品らしい。
    曲がった柄の先から金属の筒みたいなのが垂直に伸びてて、柄と筒の間に変な形の金属がある。
    で。
    使い捨て型の媒介を火薬で高速射出して、その発射時に文様が削れることで魔力を解放、擬似的な魔法効果を生む、とか何とか。
    今まで魔法で弾丸を撃ち出すのはあったけど、エーテル消費と制御能力の兼ね合いから考えて非効率的だったのを自動式にすることで解消した、とか何とか。
    これならエーテル消費と制御能力は不要で、指向性がある分殺傷性も高く引き鉄を引くだけで即時発動が可能、媒介の種類と数を揃えれば応用性も広まる、とか何とか。
    しかもこの銃の集弾率や射程は400年は先を行く性能、とか何とか。
    でも、造ったばっかりで実績がないので、テスターとしてレンに使ってもらうらしい。
    あと、造るのに頑張り過ぎて、もう1個同じの造るの出来るか怪しいってバンデラス教授言ってた。
    弾丸の補充はまだ利くけど、壊れたらもう多分ムリらしい。そのくらい精巧に造ってあるってことなんだと思う。

    今の説明、私がんばって覚えた。言ってることはよく分からないけど。

    「どうかしたのか?」

    レンがこっち見て言った。

    「ううん。なんだか面白い格好だから見てるだけ」

    「はは………確かにそうだな」

    レンは苦笑しながら、準備を進めていく。
    鉄板入りの安全靴。変な繊維で造られてる、変わった柄の服。
    指が覆われてない手袋。腰にカバンみたいなのと銃2つ。胸元にナイフ1つ。
    腰のカバンには銃用の媒介とか薬とか色々入ってる。
    これ全部バンデラス先生の試作品シリーズ。

    「それにしても、変なのばっかりだ。大丈夫なのか?」

    私がそう言うと、レンは微笑して頷く。

    「大丈夫だ。バンデラス教授はああ見えて世紀の天才だ。
    あの人は数多くの理論や作品を発表したが、皆追いかけるばかりで誰もあの人に追いつけていない。
    今もって50年前に発表した理論の真偽を議論しているくらいだからな」

    「ふーん。知らなかった、そんなに凄い人だったんだ」

    「ああ。でも、あの人だけじゃない、この学院の教授はみんな凄い。すねに傷持ってる人達ばかりだそうだが。
    バンデラス教授が酔った時に零していた。本来この学院の教授達は祖国の英雄だ、と」

    「じゃあ、みんな嫌々教えてるのか?」

    「サンにはそういう風に見えるのか?」

    「ううん。みんな楽しそう」

    レンは笑って、そうだな、って言って媒介を1つ取った。
    レンのも高級品のKシリーズで、ペンダント型だ。実は私のとデザインお揃い。
    私にくれた時に、レンもお揃いのを買ったのだ。でも、嬉しいけどちょっと恥ずかしい。
    ………ふふっ。私、なんだか女の子みたいだ。

    レンはペンダントを着けて、短剣を2つ腰に付ける。
    1つは短剣にしては長めで肉厚の片刃で、鉈みたいな感じだけどよく斬れる。ミコトが小太刀に近いって言ってた。
    刀っていうのは片刃の曲剣で、綺麗なのに硬くて折れにくくてよく斬れて、剣とは違って押したり引いたりして斬る剣らしい。
    私は刀を見たことないから知らないけど、確かにレンのはきらきらした飾りはないけど、刃がとても綺麗。
    もう1つは投擲用の投げナイフ。刺突用に特化している両刃の短剣で、これは普通だと思う。
    その2つの刃の柄には紐がついてて、エーテルで伸縮自在になるらしい。これもバンデラス教授の作品。
    ちなみにこの紐のこと、ミコトは刀緒って言ってた。

    この媒介と刃2つがレンの通常装備。最初に着てたのは全部バンデラス教授の作品のテスト用。

    「レン。重くないのか、それ」

    特にバンデラス教授のテスト用装備が重そうだ。
    軽装の私から見れば、動きづらそうにしか思えない。

    「確かに重いな。でも、思ったよりこの服は動きやすい。この服自体が動きたい方向に動いてくれてる感じがする」

    レンは腕を曲げ伸ばししたり、軽く屈伸運動をする。
    うん、確かに重そうな装備の割に動きが良い。
    軽装ばかりが良いってわけじゃないんだ。勉強になった。

    「でも、前から思ってたけど、なんでレンに頼むのかな?」

    「さぁ。だが、教授は俺が適任だと言っている」

    「どうして適任?」

    「それは自明、だそうだ。俺には分からないが。サンは分かるか?」

    「うーん。分かるような分からないような」

    レンが適任ってところに納得はするんだけど、根拠というか理由を挙げろって言われると無理そう。
    とにかく、レンを選ぶのは正解だと直感が告げてるけど。

    「なら仕方ないか。………さて、と」

    レンはこっちに手を差し出す。
    私は、さっきまで私が包ってたレン愛用のマントを取って手渡す。

    「ありがとう。そろそろ行こうか」

    レンはマントを翻して羽織る。
    ――――懐かしい背中だ。
    どうしてだろうか、春休み中に1度会って、それから1ヶ月も経っていないのに、なぜか懐かしい。
    どうしてなのかな。たった1ヶ月だったのに。
    ああ、そうか。
    1ヶ月もあったんだ。

    「サン? どうした?」

    レンが背中を向けたまま、私へと振り返る。
    ………うん、ちょっとくらい、良いと思う。

    「っ―――サン?」

    私はレンの背中に飛びついて、レンの首に腕を回して掴まる。
    不意を突かれてレンが1歩たたらを踏むけど、すぐに安定する。
    女の私と違って鋼みたいに硬い背中、肩。
    温かい体温。レンの匂い。
    レンはお日様みたいな匂いがする。
    ぽかぽかする感じのいい匂い。
    うん。
    やっぱり、マントなんかよりこっちの方が断然いい。

    「レン………」

    私は最後に強くぎゅっと抱き付いて頬ずりする。
    レンは硬い身体なのに顔は綺麗に整っててすべすべしてて、頬の触れ心地がすごく気持ちいい。

    「どうしたんだ、いきなり………?」

    そうやっていると、レンが小さく苦笑して、私の頭を撫でてくれた。
    これも好き。レンの手は大きくて、でも細くて綺麗で、あたたかくて優しい。

    「うん………少し、甘えたい……今は誰もいないから、もうちょっと………」

    私が少しだけ抱きつく腕の力を強めると、レンは無言で目を閉じて、うなずいてくれた。
    私はレンの硬くてあたたかい背中に身を寄せる。





    私は女の子らしさなんて欠片もない。
    家庭的に、上品になんて、私にはとてもムリ。
    私は見た目でしか女であることを示せない女の子。
    でも。
    ミコトやアデルみたいな可愛い女の子から遠く遠く離れてる私も。
    こういう時だけはやっぱり、女の子なのかもしれないって思う。





    「………ありがと、レン」

    私はもうちょっと甘えていたかったけど、レンから離れる。
    そろそろ時間だ。
    名残惜しいけど、もう行かないと遅刻する。

    「何を今さら」

    レンは小さく笑って、私の頭をくしゃくしゃと撫でる。

    「うー。なんだ今さらって。それじゃ私がいつも甘えてるみたいだ」

    私がそう言うと、レンはまた小さく笑って、今度は優しく撫でてくれて、私の頬に手を添える。
    ………うあ、これはダメだ。なんかダメだ。すごくダメだ。なんだか顔が熱い。

    「あ………う、た、たまになんだから。甘えてるのは、だってその、だからえーと。その………」

    「俺もサンに甘えてるからお互いさまだよ」

    「え? そ………そう、なの?」

    「そうだ。俺は俺なりにサンに甘えてるよ。だから、いつもでもいいさ」

    レンは私の頬に沿えた手で、私の耳辺りの髪を掬い上げる。
    そしてその手の指先で、イヤリングに触れる。
    そして、自分のペンダントを指先でトントンと叩く。
    私の胸がドンドンと高鳴る。

    「そろそろ行こうか」

    レンは笑って言って背を向ける。
    そして、少しだけ身をひねって、私に向かって手をさしのべる。

    「………うん、行こう」

    レンは私の手を取り、私はレンの手を取り、一緒に歩き出した。
    ………私、なんだか変だ。
    おかしい。まるで女の子みたいだ。
    うー。どうしてなのかな。
    どうしてなのかなぁ。








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■116 / inTopicNo.6)  「Β 静かな日々」C
□投稿者/ 犬 -(2005/01/07(Fri) 18:53:08)
    2005/01/07(Fri) 19:16:50 編集(投稿者)



    ◇――Leonard Shulzの章――◇



    「一体全体なにやってんのよーーー!!」

    学院のすぐそばの演習場の森に到着してすぐ、ミヤセに怒鳴られ、正座させられた。
    どうやらミヤセが居た東方諸国では、怒られる時は正座させられるらしい。

    「なにって、なんだ?」

    「アホかーーーー!!!」

    ミヤセが俺の頭をグーで殴る。
    そうか。正座するのは、頭を殴りやすいようにするためなのか。
    勉強になった。

    「わ・た・し・は!! 予鈴前には集合って言ったよね!?」

    「言ったのか?」

    「言ったッーーー!! なにその今始めて知ったような顔はッ!?」

    そう言われても、どうにも記憶にない。
    もしかしたら聞き流していたのかもしれない。
    ミヤセは腰に手を当てて呆れ気味に言う。

    「まったく。分かってる? 予鈴前から出発できたんだよ? 最初の5分無駄にすることがどんだけの損失か分かってる?」

    「そう言うなら、今すぐにでも出発した方が――――」

    「口答えするなーーーー!!!」

    今度はビンタで引っ叩かれた。バチーンという、なかなかの快音だ。
    しかし、成程、人間最速の攻撃である平手打ちも、正座の態勢ならばなお当てやすいな。
    怒る時にと言っていたが、やはり拷問の時にでも使うのだろうか。恐るべきは東方諸国伝統の業か。

    「ミコト」

    サンがミヤセに声をかける。
    サンは俺と違い正座させられていない。

    「遅れたのは私のせいだ。レンは悪くない」

    サンがそう弁護すると、ミヤセはにぱーっと笑ってサンに抱きついた。

    「ミ、ミコト?」

    「いーのいーのサンはいーのー。ぜぇ〜んぶ全面的に完璧にそうじゃなくてもコイツのせいなんだから〜」

    「……………」

    激しく抗議しておくべき部分があるが、あえてしないでおこう。

    「で、でも本当に私が―――」

    「いーんだってば〜」

    ミヤセはサンをぎゅっと抱きしめる。
    サンは逃れようともがいているが、身長差のせいもあって身動きできないようだ。
    尻尾の動きと少しだけ見える表情からは、そんなに嫌なわけでもなさそうだが。

    「あ〜も〜ちっこくてかわい〜よ〜。サ〜ン〜、今度わたしの部屋においでよー。一緒に寝よ〜?」

    「むーッ! ふぐーッ!」

    ミコトの熱い抱擁。
    バタバタと暴れるサン。息苦しいのか白いふさふさの尻尾に元気がない。

    「あの、ミコトちゃんそろそろ…………」

    ミコトの横から1人、女子が声をかける。
    彼女の名前はAdele Archer。弓の射手の姓の意味する通り、飛び道具や暗器の扱いに長けた子だ。
    本名というか、籍の名は別にあるのだが、サンやミヤセ、俺はアデル・アーチャーの名で呼んでいる。
    元々ミコトの友人で、中等部からチームを組んでいる。詳しくは知らないが名家の娘だそうだ。
    ミコトと同じ茶髪の碧眼で、髪の長さはショート、サンほどではないが背は低い。
    この子もミコトほどじゃないけど人気があると聞いた。
    なんでも、おとなしくて童顔でかわいくて保護欲をくすぐるそうだ。俺にはよく分からない話だ。
    ちなみにアデルも暴君ミヤセによってサンと同じような目に合う事がある。可哀想な話だ。


    「んー、そうね。そろそろ頃合かな」

    ミヤセはサンの頭を撫でながら解放して、時計を確認する。
    そしてミヤセは俺の方を向いて、言った。

    「いい、レナード? 遅れた君のために説明してあげる」

    「何やら恩着せがましい気がするが、その前に立ち上がっていいか?」

    「いいよ」

    俺は正座の状態から立ち上がる。
    少し足が痺れた。

    「では。説明を頼む」

    「OK。今回は明後日の実地訓練と同じよ。フラッグ回収して帰還してオシマイ」

    「それだけか?」

    「それだけよ」

    「意外だな。隔日とはいえ同じ内容か」

    「でも、今日は活動範囲狭いよ。フラッグ回収まで30分ぐらいだってさ」

    「成程。だが実地訓練と違って、今日は実戦用の武器だ。使っていいのか?」

    「いいってさ。―――にしても相変わらずケッタイなカッコしてるね―――ほら、これがあるから」

    ミヤセは俺の格好を見て眉をひそめながら、紐のついた袋を投げて寄越す。
    俺はそれを受け取り、それを掲げて見つめる。

    「これは―――竜の瘡蓋か」

    竜の瘡蓋は、文字通り魔物の行き着く果てである竜種の瘡蓋だ。
    強大な生命力を持つ竜の血塊は、身体から離れてなおそのエーテルを留め続け、所持者のエーテルを掻き乱し、外部からの干渉を阻害する。
    つまり、魔法能力の抑制と、防御力の劇的な向上だ。
    元々高い魔法能力を持つ囚人用に使われる、内外からの魔法的・物理的干渉を防ぐ魔法拘束具だ。
    それが、この学院では模擬実戦用の枷と防護服として使われている。本気で撃っても死なないように。

    「そ。ここんとこ品薄だったらしいけど、最近大量に確保できたんだって。しかもかなり良質。実戦用の武器でも問題ナシ」

    「大量にと言ったが、竜がそれほどの怪我を負ったのか?」

    「らしいよ。ほら、いつもコレ提供してくれる変てこ竜爺、いるでしょ?」

    老竜Siegfried。
    魔物より竜種に辿り着いて齢8000年を重ねた全長50メートルの超大な竜だ。
    竜種にしては珍しく干渉志向でよく人界に顔を出すので、変てこ竜爺の名で呼ばれている。
    ―――ビフロストは自由の国だ。凡そ何であろうと受け入れる。
    他国から流れてくるワケアリの人間、魔族や獣人は言うに及ばず、知性があったり人に害がなければ、魔物すらも受け入れる。
    ビフロストのそういった国柄だからだろう、老竜ジークフリートは他国以上に好んでビフロストに姿を現している。
    その際、親交と手土産を兼ねて、よく色々な物を提供してくれるのだ。竜の瘡蓋もその1つ。
    俺も一度会った事があるが、確かに変わった竜だったと思う。
    なにせ、下ネタを連発してミヤセにセクハラジジイ扱いされて蹴り回されていたぐらいだ。
    まぁ、確かに50メートルの竜の巨声で、個人名を出されて下ネタを言われては怒るのも無理はないが、あの時は正直言ってミヤセに感動した。


    「まさか、ジークフリートがそれほどの怪我を?」

    「ううん、そうじゃなくって。えーと………デル?」

    ミヤセがアデルの方に目配せする。
    ああ、そういえばアデルの叔母は有名なアンティークショップを経営しているんだったか。
    骨董品の他、竜品も取り扱っていると聞いたな。

    「えっと………そ、その、ですね、レナードさん」

    アデルがおどおどしながら言う。
    アデルは俺の前だといつもこんな感じだ。

    「あたしも叔母から聞いただけですから詳しくは知らないんですけど、先日、ジークお爺さんの所に若い竜が転がり込んできたそうです。
    酷い傷だらけで、危険な状態だったらしくて。それで、お爺さんがヘイムダルに連れてきたそうです」

    「その竜は、助かった?」

    サンが訊く。
    表情が険しいあたり、心配なようだ。

    「はい、一命は取りとめたそうです。ただ、あまりに酷い傷でしたから再生して動けるようになるまでしばらくかかるみたいで。
    今はあそこの―――」

    アデルは遠く、このヘイムダルの北側に聳え立つ断崖の頂上付近を指差す。

    「―――断崖の頂上で養生しているそうです。あそこは飛べないと辿り着けませんから、追っ手があっても凌ぎ易いだろうと」

    「そうか………助かったのか」

    サンが安堵する。
    しかし、凄まじい事態だな、それは。

    「アデル。その竜はどうしてそんな重傷を? 若いとはいえ竜がそこまで追い詰められるなんて、余程の事だ」

    そう訊くと、アデルはどこか言いにくそうに目を伏せて、言った。

    「それが………教会の人にやられたそうです」

    「成程、教会か。なら納得が行くな。教会なら、竜に対抗出来る武器も人材も揃っている」

    「………キョーカイ?」

    サンがなんだそれと言わんばかりの表情で首をかしげる。

    「わたしもそこ、疑問なのよね」

    ミヤセが同様に首をかしげて言う。

    「教会ってウンザンブル教の教会でしょ? なんでそんな宗教団体が竜狩りなんてやれるのよ?
    わたし竜爺蹴っ飛ばしたことあるけど、竜って身体から流れ出してるエーテルだけでも相当よ? あんなのどう頑張ったって鱗に傷どころか、目潰しすら出来ないってくらい」

    「いや、ジークフリートは竜の中でも破格の存在だ。過去の竜の中でも最長命、現存する竜の中では最古の竜。あれはもう、ヒトが立ち討ちできる存在じゃない。なにせ皮肉って竜殺しの英雄の名を使ってるくらいだしな。
    だが、その深手を追った竜も若いとはいえやはり竜、普通の武器や魔法では傷つけるのさえ難しい」

    一度、息をつく。
    見ると、ミヤセとサンの視線が俺に向かっている。アデルも俺を見てる。
    続きを促しているらしい。

    「それで………教会というのは、ビフロストじゃウンザンブル教を信仰する宗教団体ってイメージが強いが、実際は昔から魔法を使っての不正や犯罪を取り締まってきた超国家的・超法規的権限を持つ魔法統括機関だ。
    よその国じゃ、魔法の知識・財宝の宝庫って言われてるらしい。まぁ、魔法の総本山みたいな所だからな。実際に世界中の霊宝が安置されているそうだ。
    その霊宝の中でも統一王時代以前のものなら竜狩り用の武装もあるだろうし、竜狩りをやれないこともないだろう」

    「ふーん。なるほどね。でもさレナード、わたし達っていうか、ビフロストじゃなんでそんな大層なのがマイナーなわけ?」

    「簡潔に言えば、それは仲が悪いからだ。
    教会は魔科学をよく思っていないし、ウンザンブル教を教えているし、その超越的な権限で国家を庇護化に置きたがる。
    だがビフロストは魔科学を重んじ、ウンザンブル教の信仰心も薄く、法整備も進んでいるし騎士軍による治安維持力も高いため教会の保護を拒絶している。
    だから、仲が悪い。実際20年前から完全に交流が途絶えているし、ビフロストへ移民してきた人の中には教会に国を追われた人も多い。
    まぁ、在り来たりに言えば教会は古来からの実績と権力を嵩にした支配者だな。もちろん良い面もあるが、悪い面もある。
    だがビフロストからすれば悪い面しか目立たないから、誰も教会のことを口にしない。そういうことだ。

    ちなみにビフロストの魔科学が他国と比べて異常に発達しているのは、教会の庇護下にないために魔科学研究の規制がないからだ。
    なにせ他国で魔科学を禁じられた学者の9割がビフロストに亡命すると言われている。しかもそういう類は自然、高い能力を持っている。
    だから他国の魔科学が遅々として発展しないにも関わらずビフロストだけ異常に加速して進歩して行く。止まる事を知らずにどこまでもな。魔科学者にとっては本当に自由の国なんだそうだ、ビフロストは」

    「はー。成程ねー。道理で」

    ミヤセが納得いったようにうなずく。
    サンもアデルも同様にうなずいている。

    「でもさ、やれるのは分かったけど、なんで竜を襲うの? その竜にも身に覚えがないらしいんだけど」

    ミヤセがもっともな疑問を言う。

    「竜の身体は余す事無く全て高価な魔法の品になる。それを狙ったか、個体において最強の代名詞である竜を討伐することで威厳を高めたかったのか。
    とりあえず、竜自身の身体が目的だったか、竜を討伐することに意味があったんだろう。
    いずれにせよ、身に覚えがないのならその竜は不運な被害者だ。おそらく竜であれば誰でも良かったんだろうな」

    「な〜るほどー」

    ミヤセは再度、得心いったようにうなずく。
    サンは少々不愉快そうだ。無理もない。
    アデルは目を伏せてる。良い子だな。

    「―――流石はレナード・シュルツ、恐れ入るほどの博識だな」

    野太い声に振り向くと、森からこの広場にジャレッド・マーカス教授が歩いて来るのが見えた。
    肩に誰かを担いでいる。

    「まったくお前は、普通は知らんで当然のことをよく知ってやがる。その知識はどこから仕入れてくるんだ?」

    「主には家の蔵書と学院の図書室からです。長期休暇中に旅先で仕入れることも」

    「それは勤勉なこった。で、話変わるがいつまでそこでお喋りしてるつもりだ?」

    「そのバカが戻ってくるまででーす」

    ミヤセが澄まし顔で答える。
    マーカス教授は、は、と短く笑って肩の誰かをミヤセの前に放り投げた。

    「このバカは回収した。さっさと行ってこい。………まぁ、お前らなら良いハンデだとは思うがな」

    マーカス教授はジャケットの内ポケットから葉巻を取り出し、指先に火を灯す。
    それを葉巻の先にあてがい火を点け、フゥーッ、と煙を吹き出す。

    「ミヤセ、そういえばどうしたんだこのバカは?」

    俺は地面に転がっている見覚えのある奴を指差し、訊いた。

    「んー? このバカがわたしとデルにセクハラ働いたんでぶっ飛ばしたの」

    「竜の瘡蓋が無けりゃ死ぬ威力だったぞ、ミヤセ・ミコト。だがしかし――――見事な正拳突きだった」

    「ありがとうございます、マーカス先生。でもこのバカのバカは死んで治るかも怪しいほどのバカなんですから、まだまだです」

    「いや、このバカは相当なバカだから死んだくらいじゃ治らないんじゃないか、ミヤセ」

    「そうです、レナードさんの言う通りですよミコトちゃん。この人のバカは死んだくらいじゃ治りません」

    「私もそう思う。このバカはもうダメだ」

    「そうだな、最早末期のバカだ。俺達はこのバカのために慎ましく祈ろう。バカが治る奇蹟を」

    「だぁぁぁぁあーーーーー!!!! バカバカバカバカバカバカバカバカうるせーーーーー!!!」

    バカが甦り、立ち上がって吼えた。
    流石にバカは回復が早い。

    「オイこらてめーレナードコノヤロー!! さっきから人をバカみてーにバカ言うなーー!!」

    「失礼な。バカがバカだからバカだと言ってるんだ」

    「ぐあ!? 断定かよッ!? むしろ固有名詞!?」

    「というかなぜ俺にだけ言う?」

    「は、ったりめーだろーが!!」

    マーカス教授を指差す。

    「おっかねェ!!」

    ミヤセを指差す。

    「胸がデケェ!!」

    アデルを指差す。

    「おとなしくて可愛ェ!!」

    サンを指差す。

    「ちっこくて可愛ェ!!」

    俺を指差す。

    「俺より背ェ高くて頭良くて強くてカッコ良くてその他諸々でとりあえずムカつく!!」

    バカは腰に手を当て叫ぶ。

    「だからだーーーーー!!!」

    「アホか」

    「アホ!? 其は我が新しき英名かッ!?」

    「ミヤセ。4人とバカ1匹が揃ったんだ、そろそろ行こう」

    「オーイ匹扱いですか!? つーか微妙なところで放置するなーー!!」

    「断固拒否して無視する。それより―――」

    このバカの名はRuslan Bigeum Goldman。愛称はバカ。もといルーシャ。
    金髪碧眼のバカで、よくバカをやってはミヤセに蹴られて余計にバカになるという悪循環の環の中に居るバカだ。
    ルーシャは高等部から転入してきた。チームを組むようになったのは、余り者だったからだ。つまり仕方なくだ。
    女子だけのチームに組み入れを果敢に願い出ては返り討ちに合いまくり結局残ったところを、初めてで勝手が分からんだろうということでマーカス教授に接収させられる破目になった。
    ちなみに、女子に関する噂やら評判やらが俺の耳に入るのは、専らこのバカからだ。


    「―――全員揃ったんだ、そろそろ行こう。
    確か今回はフラッグ回収だったな。今、ちょうど開始から30分が経過。早いチームはフラッグを回収して戻ってくる頃だな」

    「断固か………そこまで拒否するか」

    「本来なら先行して回収地点で待伏せのはずだったが、すまない、俺のせいで出発が遅れてしまった」

    「そうだぞー。お前のせいだー。もっと反省しぐふッ!?」

    サンとミヤセの蹴りがバカの両脇腹にめり込む。
    なにげにアデルも石をバカの額に撃ち込んでる。意外だな。

    「作戦を変更しよう。回収ポイントには向かわず、各自散開して帰還する敵チームのフラッグを奪取することにする。
    11年生は総勢210余名。戦闘を回避すべき他クラスの強敵の数を差し引いて約200名。
    その内の1/3は頂こう。各自ノルマ15人、最低3チームだ」

    「お、多いですね………」

    「いやいや、ヨユーだってアデルちゃん」

    ルーシャが笑いながらグローブを嵌める。

    「そーそーバカの言う通り。実戦不向きのエーテル低いヤツ狙えばいいんだし」

    ミヤセが軽く屈伸運動する。

    「私がアデルの分も合わせて30人、狩ろうか?」

    サンが槍を振るう。

    「………いいです。あたしだって出来ます」

    アデルが投げナイフを数本取り出す。

    「良し。では回収し終わった者から合流だ。30分で終わらせるぞ、午後のティータイムに間に合わせよう」

    俺は銃とナイフを抜く。
    そして、横に手を差し出す。

    「行くぞ」

    「おっしゃー!」
    「行こう!」
    「うん!」
    「はい!」

    各自、纏まり無く掛け声を上げつつ、俺の手を叩きながら森へ突入していく。



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■117 / inTopicNo.7)  「Β 静かな日々」D
□投稿者/ 犬 -(2005/01/08(Sat) 17:59:00)



    ◇――Erzahlerの章――◇





    鬱蒼とした森の中、ヘイムダル州のビフロスト中央魔法学院11年生の各チームはフラッグを抱えて進んでいた。
    暗くはないが明るくもなく、足場は悪く見通しは悪い。

    その中を1列に並んでエーテルの高い者は前後衛に、エーテルが低く制御能力の高い者は中にて支援の役割で並んでいる。
    5人各々に役割を振り分け、フォローし合うのがマーカス教授の教えだ。

    「必ずしもエーテルの高い奴が、こと作戦において有用とは限らない」

    実際にマーカス教授の意図の内外で、エーテルに逆比例する傾向にある制御能力に秀でた者が役立つ場面がある。
    魔法に関するトラップやエーテルの感知や治療など、やはり多少は個人の資質に因るがそれらは多岐に渡る。
    そう、たとえ実戦に不向きだろうと、それが作戦中ならば必ずしも不向きになるわけではないのだ。
    また、例えエーテルも制御能力も中途半端だったりダメであっても、必ず何かしらの戦い方を見出せる。

    「使える使えないは当人と周囲次第。使えんと思って捨てようとするヤツから切り捨てろ」

    大事なのはチームワーク。単体ではダメでもチームとしては有用になりうる。
    そもそも、学院の人間は各自何かしらに秀でている者達ばかり。今さら戦闘に怖気づくはずも無ければ、役に立たないはずも無い。





    「今回はやけに静かだな………」

    2組の第3チームの1人がつぶやいた。
    チームの隊長扱いらしく、5人分のフラッグを預かっている。

    「確かに。フラッグを回収してからこっち、襲われることも無かったもんな」

    「それに、この付近で戦闘が起きた形跡も、起きてる感じもしない」

    「今回はみんな待伏せをやめて回収に回ったんじゃねーか?」

    「まぁ有りえなくはないよね。最初の演習なんだから、手堅く行くのは常套だろうし」

    「いや、油断するな」

    隊長が言い放つ。

    「喋るのももう止めだ。これだけ静かだと声が良く通る。―――後は帰るだけ、最後まで油断せずに―――」

    「そーそー。油断は禁物だぜェ?」

    「ッ!?」

    知らぬ声に、第3チームの面々は即座に身構える。
    そして注意深く、声のした辺りを見据える。

    「はぁ、やっと見つけたぜ、ハズレの男ばっかのチーム。女の子のチームなら5分で3つ見つけたんだけどなー」

    チームの見据える先、そこには金髪の軽装の男がいた。
    軽い笑みを浮かべ、武器はなく、大げさな身振りで1人ゆっくりと歩いている。

    「でもオレ女の子に手を上げようとすると、なぜかこう、胸の方にわきわきと手が行っちまうし。困ったもんだ」

    空中で何かを揉みながら、うむ、と金髪の男はうなずく。
    隊長は直感的に、バカか、と思ったが侮るのは危険なのでバカの言葉を奥底に押し留める。

    「いや、しかし見つからねー理由が分かったぜ」

    金髪の男は立ち止まり、挑発的に、見下しきったような瞳で言う。

    「華やかさが無い。目立たねーから見つけられない。隠密行動ったって地味すぎだろぉよオイ?」

    「……………」

    チームの面々は罵倒に耳を貸す事無く金髪の男を見据え、仲間がいないかの周囲を警戒する。

    「オイオイ、仲間はいねーよ、オレ1人だって。我がチームのお姫様達は騎士の帰還を待ち侘びてるんだからな」

    「……………」

    チームの誰1人も耳を貸さず、警戒を崩さない。さらに。既に即座に魔法を放てるように、エーテルを練り上げてある。
    金髪の男がおかしな動きをすれば、即座に射貫ける構えだ。
    しかしそれを見た金髪の男は、先程の見下すような態度から一転し、感心したようにうなずく。

    「なーる。流石はビフロスト最高学府だな、16歳で優秀じゃねーか。それなら、他所の国ならソッコーで優秀な部隊に配属されるぜ」

    金髪の男は両腕を広げながら、まるで丸腰であることを誇張するように、ゆっくりと近寄っていく。
    その様子に、隊長は眉をひそめる。

    「動くな。警告だ、後5歩近づけば撃つ」

    「ん? 5歩? っとっと、あっれー? 今何歩歩いたっけなー? なぁ、4歩まであといくつだ?」

    「マイナス1だ」

    「ありゃ。ってーと警戒ラインオーバー?」

    「当然ッ!」

    隊長は右手に水塊を集約させ、一気に撃ち出す。
    鉄の硬度と亜音速に至る速度を併せ持った破壊力を持つ水弾は、一直線に金髪が覆う額に直撃した。

    「――――」

    発射より先に着弾を確認することになった青年の頭は、後ろに大きく跳ね飛び、たたらを踏む間も無く勢いよく倒れ込んだ。

    「……………」

    隊長は倒れた男から目を離さない。
    そして確認する。
    今のは自分自身の最強の技、竜の瘡蓋も身体強化も無しなら致死の威力だ。
    そして、強化を行っていた気配はなく、如何に竜の瘡蓋の阻害と保護があっても、今のものなら確実に気絶しただろう。
    なにせ自分は、この高圧水弾の魔法でビフロスト中央魔法学院への入学を果たしたのだ。
    この魔法だけは努力と鍛錬に研鑽と工夫と応用を重ね、連射こそ出来ないがその威力には絶対の自信を持つに至っている。他の誰にも劣る筈はない。
    隊長は仲間に声をかける。

    「仲間の気配はあるか?」

    「………いや、無いな。どうやらこのバカ、本当に1人らしい」

    「そうか…………ただのバカか」

    隊長はため息をつく。
    無駄にエーテルを消費してしまった。
    攻撃する時は最大の火力でやるのが定石とはいえ、バカには勿体無かった。
    しかも、気絶したなら後の処置が面倒だ。発炎筒を設置してジャレッド・マーカス教授に位置を知らせないといけない。
    待伏せ派の他チームに位置を知らせてしまうし、かなりの時間のロスだ。
    こんなバカ相手なら気絶させずとも―――いや、まだだ。

    「――――確認する。まだ警戒を解くなよ」

    隊長は慎重に、昏倒した男に右手を向けながら、ゆっくりと近づいていく。
    そして、男まであと1メートルの距離に至った時に、声がした。

    「―――ったく、ほんとーに優秀だなー。普通油断するだろ、このバアイ。………つーか効いたぜ、なんて威力だよクソッタレ」

    金髪の男はのそりと起き上がる。
    そして、ゆっくりと立ち上がり、敵チームを見据える。

    「しっかしハズレだとは思っていたが、マジで大ハズレだな。お前ホントに16かよ? 賞賛に値するぜ、軍入りしたら将校は確実だな」

    隊長は既に退いて、距離を取っている。落ち着いた行動だ。が、驚愕の表情が伺える。
    だがしかし、それでこそ優秀だ。

    「敵を倒した確信があって、なお警戒を解かず確認する。優秀なのはマーカス教授なのか、お前らなのか、それともビフロストの民か」

    金髪の男は心底感心したように、うなずく。

    「それともその全てか」

    「…………なぜだ?」

    隊長は右手を向ける。

    「本来聞いてはいけないのは分かっているが、後学の為に聞いておきたい。なぜだ? なぜ耐えられた?」

    「オイオイ。なぜも何も、単純なことだぜ?」

    金髪の男は、笑う。
    そして、腰のベルトに収まっていた刃渡り数センチほどの小さな刃物を取り出して額にあてがい、眉間を通ってナナメに切り裂く。

    「つまり――――」

    そして血を振り払って刃物を収め、今度は指先でゆっくりと血の滴る傷をなぞる。
    蛍のような光の灯った指先がなぞると、傷口は跡形もなく消えていた。

    「――――こーゆーことさ。治療のスペシャリスト、7組第7チームのルスラン・ヴィグム・ゴールドマン。この名を覚えて、知っとけ」

    ルスランは左右両手の指の間に、先ほどの刃物をいくつも挟み込み持ち、不敵に笑う。

    「お前らは。オレを。倒せねーってことをな」

    「――――ハ。その真偽は実証してもらうぞ! 全員あのバカを狙えーーー!!」

    ルスランの身体に幾つもの魔法が直撃する。
    だがルスランはそれを意に介さず、即座に負傷した傷を治癒して敵チームへと突っ込んでいく。
    そして、叫ぶ。

    「ム。っのコノヤロー、どいっつもこいつも人様をバカ扱いしやがってーーーー!!」





    ◇ ◇ ◇ ◇






    「はぁ……はぁ……はぁ、はぁ………」

    息が上がる。
    左腕が、左肩が痛む。

    「………また、やっちゃった」

    フラッグは10本を回収済み。
    目標時間まであと10数分。上々だ。
    ―――だが、やってしまった。
    左肩から腕が使い物になりそうもない。

    「ダメだな、あたし…………」

    自嘲してしまう。
    弓の射手を意味する姓のアーチャー家が代々伝えるのは、大量に隠し持った飛び道具、暗器によって敵を圧倒すること。
    それはエーテル制御技術、接近戦の不得手な自分に向いた技。こんなあたしにも才能があった技だ。
    さらには媒介技術の発達によって、今までより容易かつ大量に持ち運び出来るようになったし、回収も楽になっている。
    ―――古に編み出された名家の技は、技術の進歩と共に廃れていく。
    だがアーチャー家の技はその真逆、昔は暗殺などの日陰の業しか為せなかったが時代と共に更なる進化を遂げた、今では立派に戦える技なのだ。
    そのアーチャー家の娘が。積年日陰にあり、ようやく日向に出てこられた、アーチャー家の跡取りが。
    このザマとは何事だ。

    「…………うぅ」

    樹に背を預け、荒い息を整えながら左肩に手を当てて治療に入る。
    自分の技術では治りは遅く、完全に回復とまでは行かないが、使い物になるくらいには何とか回復できるはず。
    ―――情けない話。
    定石通り遠距離からの奇襲をかけながら、今一歩決定打が足らず1人倒し損ね、接近されて一撃を加えられた。
    相手は格下だった。5人ではあったが、数の差などアーチャーの技の前では無価値だ。
    自分の技術も、両親には未だ及ばないがアーチャーの名に恥じない腕前だと認められている。
    だが、一撃を入れられた。それも、奇襲の上に距離もあったにも関わらず、詰め寄られて殴打されるというアーチャーとして最も恥ずべき方法で。
    そう、何が情けないかって、そうなった責は相手が自分より上手だったのではなく、自分の技術が足らなかったのでもなく。
    止めを刺す事が出来なかった、自分の弱い心にあったことだ。

    情けない。あまりに情けない。
    こんなの優しいなんてことはない。弱いだけだ。本当に情けない。
    これじゃあ、アーチャー家の娘とかそういうのどころか。
    守りたいモノ1つ、守ることさえ出来ないではないか。

    家族、友達、大事な人、好きな人、いつか自分のお腹に宿るだろうちいさな命。
    この演習ではその理由は薄いけれど。
    相手を傷付ける可能性が低い模擬実戦で出来なくて、本当に守るべき時に守る事が出来るのか。

    「――――くッ!」

    左肩を動かすと強い痛みが走った。伴うのは少々の吐き気と熱、骨に異常があるのかもしれない。
    いや、でも大丈夫、ちゃんと動くようになった。
    この程度の痛みなら支障はない。

    「行かなくちゃ。まだ5本残ってる…………」

    ―――ずっと昔。あたしは一度、声を失った。
    大好きだった歌も歌えなくなって、口数が多いわけではなかったけれど好きだったおしゃべりも出来なくなって。
    今まであった世界が、何かも崩れ去ってしまった気がして。
    孤児院育ちだったあたしは、歌うことで生きてきたというのに、そうなっては生きていけなくなった。

    あたしはその後、アーチャーの家に養女として迎えられた。
    子どもが出来なかったからだろう、アーチャーの家は血の繋がらないあたしを愛してくれた。
    声も出せず落ち込んでいた自分を、アーチャー家の跡取りとしてではなく、1人の愛娘として。
    それは本当に、親の顔も知らず、声すら失ったあたしを、どれだけ救ったことだろうか。

    そして4年前のあの冬の夜、あの人はあたしの声を取り戻してくれた。
    お父さんもお母さんも、みんな喜んでくれた。それは、もしかしたらあたし自身よりと思うくらいに。
    あたしはアーチャーの家が好きだ。そこにいる人達が好きだ。あたしの声を取り戻してくれた、大事な人の事が大好き。
    アーチャー家の娘として在りたいし、あたしを愛してくれた家族や、あの人のことを守りたい。
    だからあたしは、その人の為にも、家族の為にも、自分自身の為にも、あたしは――――


    「――――見つけた」

    敵は4人。男の子と女の子の混成チーム。
    距離はあるけど、顔つきが視認出来る距離。あっちもあたしに気づいている。

    「Cecilia Mira Windis? ―――ああ、あの有名なエインフェリアの歌姫か」

    女の子はあたしを知っているのか、男の子にあたしの素性を話し、男の子はあたしをそう呼んだ。
    違う。あたしはもう王国の歌い手だったチェチリア・ミラ・ウィンディスじゃない。
    声を失い、アーチャーの家で愛された時から、あたしは。

    「違いますよ。あたしはチェチリア・ミラ・ウインディスじゃありません。覚えておいてください、あたしは」

    あたしは名乗る。
    アーチャー家の代々の長女が襲名する名。
    かつてお母さんもおばあちゃんも名乗っていた名前。
    今のあたしがあたしである証明。
    あたしが誇りに思うその名。

    あたしは炎弾を19、水弾を11、土弾を17、投げナイフを13の計60約5%の飛び道具を即時展開。
    あたしがあたしである、その名を名乗る。

    「あたしは―――アデル・アーチャー。アーチャー家の娘ですッ!!」






    ◇ ◇ ◇ ◇




    「やッ!!」

    「ぅあッ!?」

    渾身の力を込めた掌底が、相手の腹に入る。
    強化を込めたその威力は、自分より重い相手を数メートル吹っ飛ばせ、樹に激突させた。

    「………ふぅ」

    全員行動不能にしたのを確認し、構えを解く。
    そして額の汗を拭き、軽く息をつく。

    「またハズレかぁ………」

    このチームはなかなか手強かった。
    実戦向きタイプは少なかったが、連携が取れてて隙がなく、決定打を与えにくかった。
    しかも、向こうから奇襲をかけてくるなんて。気づくのが遅れたら危なかったかもしれない。

    「フラッグ、もらってくよ。ごめん、もう一回取りに行ってね」

    抵抗出来なくなった相手から、フラッグを回収していく。
    奪取されたチームはもう一度設置ポイントまで戻らなくてはならない。
    そしてそれは、帰還ポイントまでフラッグを持って来るまで何度でもやらされる。
    わたし達の目標は学院に帰って着替えて帰るまでを含めて3時までだが、運と実力の足らないチームは日暮れまでかかる。

    「でも、これでやっと9本目。残りあと10分ちょい。戻る時間を考えるとちょーっち厳しいかな………」

    フラッグを回収し終わり、周囲の気配を探しながら、1人ごちる。
    レナード達も敵チームをぶっ飛ばしてるせいか、遭遇できる可能性が減ってきた。
    サンのように五感とか、アデルのように高いエーテル感知能力とかがあればいいのだけど、あいにくわたしにはそれはない。
    かといって女を見つけることだけ異常に上手いあのバカの能力は絶対イラナイ。
    あ、でも、レナードの能力ならかなり欲しいかも。

    「それにしても、まったく………そもそも1人で4〜5人相手するってコンセプトからしておかしいのよ………」

    サンは獣人の中でも身体能力がずば抜けている。強化なんてしたら、速過ぎて接近戦じゃ目視で捉えられない。
    アデルは歩く武器庫。家の秘匿とする技なのか、大量に武器を隠し持っている。その数1000は下らない。
    あのバカの再生力は変態級。毎回わりと本気でぶん殴ってるのに3秒後には完全に回復済みという化物だ。

    「普通人は辛いね。こーゆーのは………」

    思わず苦笑してしまう。
    わたしの使う技は、東方諸国に伝わる武術だ。
    相手が如何なる武器・魔法をも使用という条件に対し己が肉体のみで立ち向かうが当然というコンセプトの元に編み出された対武器・魔法格闘武術。
    古来より大陸からの侵略者を撃退し続けた、対人戦闘において最強を誇ってきた武術。
    わたしもこの武術はわたし自身誇りに思うし、実際に最強だと思ってきた。

    だが、時代は変わった。

    媒介技術の発達、そして魔法自体の発達により、以前より飛躍的に魔法の発動速度や質は向上してきている。
    以前のような、前衛の戦士に守られた後衛の魔法士が魔法を使う、なんて形態は廃れてきている。
    特にここ、ビフロスト中央魔法学院ではそんなのは一度も見た事がない。
    長剣を携え鎧に身を包んだ姿など、どこにもない。
    みんな軽装で、武器も扱いやすいナイフが多く、媒介も小型かつ大容量で携行する数は少ない。
    時代は変わり、技術は進歩し、戦い方も進化して行く。
    否。だが、もちろん、接近戦が無くなることは有りえない。
    どれだけ技術が向上しようと、接近戦が不要になる時代など有りえない。
    だがしかし、接近戦の機会が減ってきているのは紛れも無い事実。

    ―――おかしな話。
    わたしはまだ16歳であるというのに。時代の流れを痛感している。

    魔法をあくまで武術の補助として扱い戦っているわたしは、この武術だけでやっていけるのだろうか。
    最高の武術も、突き抜けた能力を持つ者相手では、わたしの技術で一体どこまで通用するのだろうか。
    必死に研磨してきた武術の技も、規格が違う獣人や、接近を許さない無尽蔵暗器使い、瞬間回復の前には何の意味も持たないのではないのか。
    高過ぎる壁。
    努力や才能なんてものじゃない、天賦の能力という遥かな高みを誇る壁を、わたしは乗り越える事が出来るんだろうか。

    「でも………落ち込んでなんか、いられない」

    そうだ。落ち込む暇があったら次を探せ。
    研磨しろ。壁など、垂直に駆け上がって行け。

    「わたしはまだまだ上に行ける。限界なんて感じないもん。もっと。もっと上に行ってやるんだから」








    ◇ ◇ ◇ ◇





    「フゥーーッ…………」

    演習場である森の入り口で、ジャレッド・マーカス教授は葉巻を吹かしていた。
    見据える先は森の方角、救援の狼煙が上がらないかを常に監視している。

    「葉巻は身体に悪いぞ、マーカス」

    マーカスの隣に、マシュー・バンデラス教授が歩み寄り、立つ。
    マーカスは視線を動かさぬまま言った。

    「吹かしてるだけです。吸ってはいません」

    「ふはは、ならば余計なお世話じゃったの」

    「いえ。しかし、珍しいですな。演習場に教授がお越しになるとは」

    「ま、たまには身体を動かさんとの。脳味噌を使うにしても身体は資本じゃ」

    「ハハ、そのセリフ、軍の頭でっかちの豚共に言ってやってください」

    バンデラスは苦笑する。

    「ところでどうじゃ? 奥さん―――エリザベス・ウォーカーとは上手くいっとるのか?」

    「ええ、それは勿論。―――リズの乳は毎日揉んでます」

    「アホか。誰がそんなことを訊いた? ――――毎日か?」

    「毎日です。軍時代の反動ですよ。特に最近は産後で乳が大絶賛増量中でビバです。軍を辞めてよかったとつくづく思いますな」

    「ふはは、それはそれは。昔は家に帰るたびに、傷だらけになってて不憫極まりなかったものじゃがの」

    「毎回家のドアを開けた瞬間に、涙を零しながらも10メートルはぶっ飛ばしてくれてましたからな。まぁ、それだけ寂しいながらも待っててくれてたんでしょうが」

    「惚れた女を泣かすとは男冥利に尽きるの。………しかし想像つかんの、あのウォーカーが寂しくて泣くなど」

    「泣くと可愛いですよ、リズは。最近はベッドの上くらいでしか涙を見せてくれませんがね」

    「いやはや、2人目も遠くはなさそうじゃのう………」

    「ハハハ、確かに2人は欲しいところですな。息子も欲しい」

    「弟か。先に生まれたのが娘で良かったの。妹はお兄ちゃんっ娘に育つそうじゃぞ」

    「俺としては是が非でもお父さんっ娘に育てたいですな。そうして言って貰うのです。―――わたしはパパのお嫁さんになる、と」

    「嗚呼、それは浪漫じゃな………」

    「そうです、ロマンです………」

    感動に打ちひしがれる教員2名。

    「いやしかし。子どもといえば、じゃ」

    バンデラスは後ろを振り向く。

    「………新学期早々にハードじゃの」

    バンデラスの視界が捉えたそこには、応急処置だけされた、傷を負った生徒が並んで寝ていた。

    「訓練は慣れると意味がありませんからな。むしろ危険を伴う。後ろの37名の内、7名はそれです」

    「いやしかし、儂はケチつけるつもりなどないが、実戦向きでないのもおるじゃろうに。女の子もおるし」

    「学院の治療医は優秀です。四肢がちぎれても綺麗に再生してくれますから、傷物になりはしませんよ」

    「いや、そういう意味ではなく。精神的な話じゃ」

    バンデラスは軽く息をつく。

    「マーカス。お前は優秀じゃし、なんだかんだで生徒に慕われておるがな。親御さんとしては心配なわけじゃ。
    大事に育てた息子、愛娘が、泥だらけ傷だらけになって野を駆け抜け、魔法を操り刃物を握って人を傷付ける。
    親として気持ち良い限りではあるまい? いつか問題になるやも知れんぞ」

    「………………」

    「儂とてお前がこのままであれば良いと思っておる。だが、学院を去ることになっては忍びない」

    マーカスはフゥーッと煙を吹く。
    煙は宙に滞留しながら、蒼い空へと霧散していく。
    マーカスはその空を見上げる。

    「―――今の時代は彷徨い続けております。
    帝国の侵攻、共和国の内乱、ビフロストの四大国家内での孤立。
    王国も最近国境付近で不穏な動きを見せておりますし、いつ何かが起きても不思議ではありません。
    ―――おそらくは、命懸けを経験せずに済む学生はいないでしょう」

    「………そうじゃろうな。日々平穏無事に一生を終えられることなぞ、難しかろうな」

    「そういうことです。それに――――こんな形でしか得られぬ事も、意外と多く在るものです」

    マーカスをくわえた葉巻を宙に放り投げ、パチンと指を鳴らす。
    葉巻は炎に包まれ、一瞬で燃え尽き、燻った灰が落ちていく。

    「この学院の奴らは、おそらくは将来どの方面であれ重い高い役職に就く。
    しかし、人の上に立つ者は孤独を感じるものです。手助けしてくれる者は少なく、語り合える者も少なく、甘えは許されない。
    温室育ちの苦労知らずの天狗の花では、そうなっては折れ、朽ち腐ってゆくのみです。
    ですが、必死に生き抜いてきた野草なら、そうなっても変わらずひたすらに上へと伸びてゆける」

    マーカスは、燃え尽きて草の上に落ちた、燻った灰を踏みつける。

    「途中で挫折するやもしれませんが。
    なに、この学院の奴らならちょっとそっと押し潰された程度じゃ腐らんでしょう。
    また生えてくる。何度でも」

    マーカスは草の上から足をどける。
    ぺしゃんこになった草は、ゆっくりと、しかし確実に元の形へと戻っていく。

    「―――ま。自分と向き合う機会ってのは大切ですからな。
    自分の無力さ未熟さを痛感し、そして自分に何が出来るのか、自分とは何なのか。
    青臭い内はそんなことを悩んでばかりです」

    「ふはは、若いと哲学的になるからのぉ。物事を白黒ハッキリさせたがる」

    「白も黒も、結局は同じ「色」だと気づかずに、ですな」

    2人して笑う。
    その折、森から直径数メートルはあろうかという極太の火柱が立ち昇る。

    「―――ほ。派手じゃの」

    バンデラスは笑い、マーカスは息をつく。

    「あれは5組のユナ・アレイヤですな。竜の瘡蓋を付けてなおあの威力。大したエーテルです」

    「ほう、あれがユナ・アレイヤか。焔の担い手ブレイズ・ファイアの末裔と言われておる?」

    「生徒がそう騒いでおるだけですがね。確かに、あの赤髪と、焔の書の全てを習得するという突出した炎の能力は伝承にある英雄ブレイズ・ファイアを彷彿とさせますが、本人にも真偽の程は分からんようです。
    家が夜盗に襲われ焼け出されたそうですから」

    「では天涯孤独の身か。不憫じゃの」

    「いえ、義理の兄がいると聞いています。といっても数年前に別れたきりで、ビフロストにその手がかりを見つけたと」

    「成程。まぁ、ビフロストには人が集まるからの。見つかればいいが」

    先ほど火柱が立ち昇った地点から、赤い狼煙が立ち昇る。
    救難信号。それも、可及的速やかに、を求めるものだ。

    「やれやれ、出番のようです。ああいう若い上にエーテルが高い奴は加減を知らんから面倒だ」

    マーカスはため息をつきながら、医療器具を担ぎ始める。

    「何を言っとる、其れ故の監督じゃろうが」

    「いやいや俺も30近いんで。いい加減あの手の奴の暴走を抑えるのはキツイ」

    「ほう、暴走しとるのかアレは?」

    「アレイヤは夜盗に襲われたトラウマか、少々情緒不安定気味で。たまーに暴走を」

    「そうか。儂も手伝おうかの?」

    「いえ。ですが10分ほどかかりそうですので、俺が戻ってくるまでに狼煙が上がればそちらを」

    「相分かった」

    「よろしく頼みます。では」

    マーカスは矢のように森の中へと駆け出していく。
    それを見送りマーカスの姿が見えなくなった後、しばらくすると森の一部に雪が降りだした。
    遅れて、そこに赤い狼煙が立ち昇る。
    赤い狼煙に染まった雪は、まるで桜吹雪のような綺麗な色彩を見せる。

    「ほう………これはこれは。ふははは、今年もまた逸材揃いで、迷い子揃いか―――!」

    バンデラスは諸手を広げ、大きく笑う。
    なかなかどうして、教育とは面白い。
    自らは世界に名を馳せ、同じく名を馳せる者に幾人と無く出会い、その者達にすら物を教えた身でありながら、なお驚くような才能を持った者が毎年毎年、何十人も出てくる。
    そのクセそういうのに限って深刻な迷い子ばかり、力の使い方も心の鎮め方も恋も憂いも秘めた才能も分からず、生き方ですら過つ。
    なんと面白い事か。
    飽く事無く自問自答を繰り返し、当然にすら疑問を投げ付け、だが誰も知らぬ答えをも求める。

    「―――ふははははは!!」

    我ら大人が飛ばした種子は風に乗り、迷い子となって我らの知らぬ何処かへと向かい、其の若木の伸び往く枝先は無限の可能性。
    今年もまたその種子が、我が膝元に200余りもやって来た。
    それはなんと朽ち老いた身に心地好い事か。
    バンデラスは舞い散る桜雪へと歩みを寄せながら、心底楽しそうに笑う。

    「春じゃぞ青臭い菜っ葉達よ!
    迷い子らは其の身に何を秘め、何を思い悩む?
    さぁ、精一杯に陽光を浴び、存分に清き空気を吸い、遠慮無く我が身から養分を吸い取っていくが良い!
    いざ極彩色の答えの花を咲かせて朽木の儂を慶ばせてみせよ!!」







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■125 / inTopicNo.8)  「Β 静かな日々」E
□投稿者/ 犬 -(2005/01/14(Fri) 23:10:39)
    2005/01/14(Fri) 23:11:22 編集(投稿者)





    「ったく………午前の講義で暴走するなって言ったばかりなんだがな………」

    ビフロスト中央魔法学院、その演習場の森の中、ジャレッド・マーカスは唾を吐き捨て、悪態ついた。
    眼前には轟々と立ち昇る炎の柱。
    天を焦がすようなその極熱の炎は、10メートル以上離れた場所にいても空気を焼き、皮膚を焦がそうと熱する。
    おそらくは。このまま不用意に近づけば炎に触れるまでもなく、肺を焼かれて死に絶えるだろう。

    「―――ハ。ブレイズ・ファイアの末裔か。あながち真実なのかもしれんな」

    炎に関する魔法構成式、その現存する全てを記してあるとされる「焔の書」の執筆者にして、英雄伝承においては赤い髪を靡かせ、その劫火は西の神々をすら悉く燃き尽くたと言われる焔の担い手ブレイズ・ファイアことジョセフ・アレイヤ。
    そして今、炎の中心で泣き叫んでいるのは同じ姓と赤い髪を持つ少女、ユナ・アレイヤ。
    加えて確かに、暴走しているとはいえ16歳でこの極熱の炎は見事。
    エーテルは申し分なく、おそらくは制御技術もかなりの域。
    今後も鍛錬を重ねれば、例え偽者であろうとブレイズ・ファイアの末裔を名乗るに恥じぬ力量となるだろう。
    ―――そして何より。

    「その者遍く炎を担いし焔の英雄、赤髪を靡かせ、炎を纏いて暁の野に降り立つ可し」

    焔の英雄の伝承の一節だ。
    そして今の状況、赤髪を靡かせたユナ・アレイヤは炎を纏い、火の粉舞い散る焼かれた森はまるで、火の穂立つ暁の野にも見える。
    伝承と一致する風景、その能力にその姓、あらゆる状況証拠が、彼女こそがブレイズ・ファイアが末裔だと訴えかける。

    「ブレイズ・ファイアの末裔か否か。その証明、10年後を楽しみにさせてもらおうか」

    マーカスは笑う。
    そして、今はその為にも自らの生徒の為にも、救出に集中しようと、思考を切り換える。

    「さて………4分経過か」

    マーカスは腕時計で時間を確認する。
    火柱が立ち昇ってより4分。
    現場に到着段階で2分、負傷者を確保し安全地帯に退避させ応急処置、動ける者に背負わせて帰還させるにさらに1分。
    そしてユナ・アレイヤを観察し続けること1分の計4分。
    だが未だ止まる事を知らず燃え続け、同時にユナも泣き叫び続けている。

    本来、暴走はエーテルを制御し切れずに魔力が暴走するという一時的なもの、放置しておけば勝手に止まる。
    だが、ユナ・アレイヤの炎は止まる事を知らない。
    余程大掛かりな魔法を使おうとしたのか、それとも余程心の制御が覚束ないのか。
    既に媒介の魔力切れを通り越して、エーテルが魔力の代替を担ってしまっている。
    最も稀で最も面倒なケースの暴走ではあるが、正直このエーテル量には感服せざるをえない。
    どれほどの才能だろうか。1000万人に1人の才能と言っても過言ではないやもしれない。

    「しかし、このままでは危険域に突入するな………」

    マーカスは眉をひそめる。
    暴走を続けるということは、エーテルも消費し続けるということ。それも、無意識のリミッターを外した真の最大出力で。
    本来ならば、これも放置しておけばエーテル不足で勝手に気絶してくれるのだが。
    ユナのトラウマとやらはかなり深刻なようだ、エーテル不足による本能の抑止力が働く兆しが見えない。
    ―――如何にエーテル量が多大であろうと、この炎ではそろそろ限界のはず。
    このままではエーテルが枯渇して生命維持が困難になる可能性がある。

    「教師って職業もこれで中々しんどいな。軍時代でもこんなド派手な暴走止めろなんてミッション無かったぞ」

    思わず苦笑する。
    だが、だからこそ遣り甲斐がある。
    将来世界に名を馳せるだろうビフロスト最高学府のガキ共に、師として物を教えるのだ。
    唯々軍の命に従って名も知らぬ誰か、名ばかりの誰かの命を助けるより、よほど具体的で自発的ではないか。
    それに、いくら有能だろうと1人が出来る事は高が知れている。実際過去に1人では救えぬ命は沢山在った。
    だがしかし、1人では救えぬ命も、育てた200人もいれば余裕で、むしろお釣りが来るではないか。
    素晴らしい事だ。

    「………5分経過。沈静化への動き見られず、か」

    マーカスは媒介より魔力を抽出しエーテルで練り上げ魔法を為す。
    それは直径3メートルに及ぶ巨大水球、一気に造り上げ、そのまま炎へと投げ付ける。

    「ァあぁあぁああ、ああ、あああ、ああぁぁぁっぁ」

    ユナ・アレイヤが頭を押さえて振り乱し、泣き叫ぶ。おそらくはこの暴走の炎は拒絶の炎、過去のトラウマによるもの。
    然るに炎はさらにその勢いを益し、降りかかった巨大水球を蒸発し尽くした。

    「―――ハ。やるな」

    濛々と立ちこめる水蒸気を風で吹き飛ばしながら、マーカスは笑った。
    ………それにしても、火と水が相対すれば水が有利などと誰が決めたのだろうか。
    これだけの熱量相手では水など何の利にもならない。あの質量の水を用意してもこのザマだ。
    有効ではあっても有利には成りえない。

    「さて。ならば―――」

    そもそも炎が燃える条件は3つ。
    物と、空気と、発火点の温度だ。
    そして魔法の場合の物とは、自然物ではない媒介内の魔力だ。だがこの場合の暴走は、エーテルによる暴走と化しているから、第一条件の解決を待っていては死んでしまう。
    また、第三条件は先刻失敗に終わっている。
    狙うならば第二条件。

    「ふぅ―――――っぉおぉっぉおぉおッ!!」

    マーカスはエーテル出力を臨界まで上昇。
    最大出力のエーテルを最大の技巧を以って御する。

    「ッ―――まだ足りんッ!! もっとだ!!」

    更に不足分のエーテルを継ぎ込んで行く。足らぬ魔力は周囲より、水を吸い上げる。
    大地が、空気が乾いてひび割れる。
    頭上には数十メートル規模の超巨大水球が浮かび、なおその質量を肥大化させていく。
    もっともっとどこまでも。

    「行けッ!!」

    出来上がった超巨大水球を手加減無く一気に投げ付ける。
    それは天を焦がす炎の柱を遮り、蒸発しながらも柱の中心にいるユナ・アレイヤと炎を包みこむ。

    「―――――」

    燃え盛る炎も空気がなければ燃えるはずもなく、巨大な炎が必要とする空気は一瞬にして潰え、同時に炎も消えた。
    マーカスは拳を握る。
    ………良し。
    少々手荒だったが已む無し。それに暴走しているとはいえ彼女自身のエーテルが彼女を害するはずもない。
    後は酸欠による生命維持本能から暴走停止か、最悪でも失神するのを待つだけで良いはずだ。
    だが。

    「―――暴走が止まらん。酸欠より蒸発が早いかッ!?」

    おそらくユナが携行する媒介内に風、つまりは空気の魔力が残存していたのだろう。
    通常炎を得意とする者は、どこにでもある空気より火種を媒介に封じるものだが、自らの教えを守って空気も封じていたようだ。
    それはとても偉い。いい子だ。でも今はすごく困る。
    ユナは息が出来ない筈なのにその暴走は止まらず、水球内にあっても再度火が灯り、次第に猛り始めている。
    暴れもがいている辺り酸欠は1分も掛からないだろうが、それより水球が蒸発してしまう方がおそらくは早い。

    「チィッ、俺も治療医行きかクソッタレがッ!!」

    マーカスは舌打ちしながら自身に水を纏い強化を施し、奔る。
    そして躊躇う事無く、既に薄くなり水膜と化した水球に飛び込み、極熱の炎を掻い潜っていく。
    纏った水は即座に蒸発し、エーテルの強化を突破した炎が皮膚を焼く。肉を焼く。焦げて黒ずんだ灰肉が爛れ落ちていく。
    だが止まらない、炎の壁をぶち抜いてユナ・アレイヤの元に辿り着く。

    「ア、ああ、ああああ、あ、ぁあぁぁぁあぁぁ!!」

    「やかましいッ!! 寝てろッ!!」

    「あ――――」

    マーカスはユナの首筋にやや手加減抜きで手刀を入れる。
    ユナは即座に気を失い、炎も忽ちに消え失せる。マーカスは倒れるユナを抱き留めると同時に、不要となった水球を崩す。
    水球は崩れて流れ、滝のように2人を洗う。

    「ぐぅッ―――!!」

    マーカスは苦悶の表情を見せる。
    火傷がキツイ。
    重要な眼部、口腔などの頭部を重点的に防御した分、胴体の防御がおろそかだった。
    降りかかる水が火傷に沁みる。

    「――――ッカァァァァ効くなぁクソォ!!」

    水が流れ切った後、マーカスはそう叫んで仰向けに倒れこんだ。
    そして2,3息をついた後、抱きかかえたままのユナ・アレイヤの状態を確認するため起き上がる。

    「おい、アレイヤ。生きてるか? おい?」

    頬をぺちぺちと叩きながら、呼びかける。
    それを数秒続けるとユナの口から、う、と声が洩れる。

    「よーしよーし。良い子だ。エーテルが枯渇寸前だが、血色良いし回復も早そうだな」

    マーカスは息をつき、だが一応ユナの身体を検査する。
    エーテルを注入しての身体走査だ。

    「外傷は無し―――軽く水を飲んでるだけだな。吸い出すか」

    マーカスはユナの口に指を突っ込み、肺の水をエーテルで誘導して吸い出す。
    これは起きてる相手にやると咳き込む上に吐き気を催し大変不評なので寝てる内にやるのがポイントだ。
    肺に入った水を吸い上げきった後、再度エーテル走査をして無事を確認し、マーカスはやっと安堵する。

    「良し。後は問題ないな」

    後は仕上げに、濡れた身体を乾かさないといけないので、着衣と皮膚表面上の水も吸収する。
    女は肌の潤いが大切で、それは油分と水分のバランスが鍵だそうなので、そこんとこは気をつける。
    それが終わると、今度は自分の方へ注意を向ける。
    そして、とりあえず、火傷の具合を確認する。

    「………あー。こいつはダメだな」

    ため息をつく。
    首から下の胴体の広範囲に渡って、かなり重度の火傷が広がっている。
    一応さっきから治療を行っているが、焼け死んだ細胞のせいだろう、治りが遅い。
    どうやら自分で治せる傷ではないようだ。これはやはり学院の治療医に治して貰った方が良い。

    「…………ふむ」

    ふと、マーカスはユナの顔を見た。
    その表情は苦悶の表情、眉をひそめ、歯を噛み締め、口元を引き攣らせ、何かに脅えるように身を震わせている。
    成程、とマーカスはうなずく。これはかなり重症だな、と。
    これは後で周りに居た連中に話を聞いて、トラウマ発露のきっかけを捜さねばならないだろう。

    「む?」

    気づくと、ユナの頬に水が伝っていた。
    先程全て吸い上げたはずなのに流れる水、これは何だろうか。
    マーカスはその水を吸い上げ、舐めてみる。

    「―――――まぁ当然、酸っぱいな」

    やれやれ、と思う。
    こういう涙は可愛いと思うより、居た堪れなさが先に出る。
    泣くならもっとこう、嬉しい時とか、楽しい時とか、気持ちイイ時とか、そういう時の方が良いに決まっているのに。
    ―――そうだ、恋人でも作ればいいのだ。
    何事をも共有出来る、共有したいと思える人がいるのは、幸いな事だ。
    うむ。思いつき臭いが、独りであーだこーだやるよりその方が良いのは事実だろう。
    名案かもしれない。後で勧めてみよう。

    だがこの場合は恋人をどうするかだが、さてどうするか。
    いきなり作れと言っても無理だろう。ならば恋人役のような奴が必要か。
    では。歳の差を考えて、高等部10〜11年生男子総勢200余名。
    近日中にリストを洗って適任を探さなければならないな。
    ―――まぁ該当する奴は既に思い当たっているのだが、奴は賢しい。
    無理矢理にしたって、ある程度は論破できるだけの材料を揃えないと相手にされないのだ。

    「さてと」

    マーカスはユナを背に担ぎ上げ、西の方角を見た。
    そこには、春先なのに雪が降っており、その雪を赤い狼煙が桜色に染めている。

    「やれやれ。バンデラス教授にご足労煩わせる破目になったか。今年は例年に増して活きが良いヤツが多いな」

    良い事だ、とマーカスは笑い、ユナを担いだまま演習場出口に向かって疾走を始めた。









    ◇ ◇ ◇ ◇








    「―――――む」

    レナードはエーテルの奔流を感じ、振り返る。
    彼が見据える先、少し離れた場所には、桜が舞っていた。
    ………いや、桜ではない。
    雲はないが、赤い狼煙に染まった雪が降っているのだ。

    「あれは氷のハーネット姉妹か。この感じは、姉の暴走だな」

    レナードはつぶやく。
    否、暴走という言葉は正しくないだろう。
    暴走にしてはエーテルに整然とした感覚を受ける。
    どちらかといえば、解放、という言葉の方が正しい気がする。
    何を、何故、という厳密な意味合いは分からないが。

    「さて――――どうするか」

    レナードは自動拳銃を左手に握り、考える。
    この距離ならば救援に向かえるが、どうしたものか。
    先刻、火柱が昇って赤い狼煙が見えた辺り、ジャレッド・マーカス教授はあちらの方で手一杯だろう。
    暴走したのはおそらくはユナ・アレイヤ、しかもあれは完全な暴走、抑えるのに10分程度はかかるはずだ。

    「行くべきか。行かざるべきか」

    しばし逡巡する。
    結論は、行く理由も行かぬ理由も無し。
    死にはしないだろうし、今現在の目的を果たすことを優先する。

    「レーーーーン!!」

    木々の向こう、遠くから声がした。
    レナードがその方向に目線を移すと、猛スピードで樹の上を飛び移って来る白と黒の影が1つ。

    「サンか」

    レナードが言い終わるや否や、サンが樹の影から現れ、樹の枝を踏んで跳躍し、勢いよくレナードに飛び込んで来る。
    レナードはサンに衝撃を伝えないよう、飛びつかれた勢いを殺さず、そのまま抱き留めて何歩かたたらを踏んで後ろに倒れこむ。
    サンはレナードの背に伝わる痛みを知らず、抱きついたまま嬉しそうに頬ずりする。

    「私、終わった! 19本取ってきた!」

    「そうか、早かったな。俺は今し方18本奪取し終わった所だ。………やけにご機嫌だな」

    「うん! 久々で楽しかった!」

    レナードはサンを抱えたまま起き上がり、サンを降ろす。
    レナードにとっては片腕で抱えられるほど軽い体重だ。

    「レン。私、さっきバンデラス教授に会った」

    サンは足を地に降ろすと、笑顔のまま、尻尾を左右に振りながらレナードにそう言った。

    「教授に? 珍しいな、演習場に来るなんて」

    「うん。それで教授、私にレンに手伝えって言伝してくれって」

    「ハーネット姉妹の暴走の鎮圧か?」

    「うん。まだ止まってない」

    サンは雪の降る方角を指差す。
    春風に揺られる雪は、赤い狼煙に染められ桜のようだ。

    「教授の頼みなら仕方ないか。合流までまだ時間もあるな」

    「うん。行く?」

    サンが微笑む。

    「行こう。サンはどうする?」

    サンは微笑から笑顔に表情を変え、当然と言うようにつぶやいた。

    「レンが行くなら私も行く。行こう」

    サンは振り返り、雪の方角へと走り出す。
    いや、走り出すというよりかは飛び出すといった感じだろうか。
    まさに突風の如く、人の身では有り得ない速度で倒木を飛び越え、木々の隙間を駆け抜け、枝を飛び移って飛ぶように進んでいく。
    レナードも視界の悪い森の中でサンに遅れまいと、その身に強化を施し、その後ろをぴったりと追っていく。

    「…………ん」

    木々の隙間を駆け抜けながら、レナードはふと気づいた。
    すぐ前を走るサンの艶のある黒髪が、肩を過ぎて、肩甲骨辺りにまで伸びている。
    風に靡く黒髪は綺麗ではあるが、しかしレナードは思う。

    「――――ずいぶんと髪、伸びたな」

    レナードはサンの後ろ髪に手で触れ、その手で軽く結う。
    レナードは前に切った時はやっと結えるくらいだったと憶えているが、今は余って垂れ下がっている。
    サンはこうされてるのに照れてるのか、顔を少し赤くして言った。

    「前髪は切ってるけど、後ろ髪はずっと切ってない。レンに切って貰ってから、ずっと」

    レナードがサンの髪を切ったのは年明け頃だ。
    そして今は4月、つまり切ってから約3ヶ月が経過している。
    だが、それにしては髪が伸びるのが早い。
    サンはあまり髪を伸ばすのを好まない傾向があり、実際、年明けにレナードが切った時も本人の意向でかなりざっくりと切ってしまっていた。
    だが今は、肩どころか肩甲骨にまで届いている。

    「でも、サンは伸びるのが早いな。3ヶ月でここまで伸びるなんて」

    「そ――――!」

    サンは一瞬抗議するような顔でレナードを見たが、急にそっぽを向いた。
    レナードは首をかしげ、後ろからは見えない表情を探ろうとする。
    そして、耳が赤いのに気づく。

    「サン………ルーシャに何か吹き込まれたのか?」

    サンは、うー、とうなりながら考え込む。
    基本的にサンは決して頭は悪くはないが、学校で学ばないことは全く分からない。
    つまり、一般教養や常識というものにかなり疎いのだ。
    サンは興味がないこと、知る必要がないと判断することには全く知ろうというしない傾向がある。
    そのため、独りでも社会の中で人並みの生活は出来るのだが、何か根本的な部分で知識が足らなくなっている。
    その決定的に欠けている知識の中の一つが、性知識。

    「え、えっと。そ、その、レン?」

    サンは赤くなった顔を隠すようにうつむきながら、言いにくそうにレナードの顔を見たり、見なかったり、見たりを繰り返す。
    そしてややあって、上目遣いでレナード見て小声で言った。

    「髪伸びるの早いと………え、えっちって、ほんと?」

    「ぷっ」

    レナードは思わず吹き出し、笑みを零す。

    「な、なんで!? レン、なんで笑う!?」

    「いや、なぜも何も――――コラコラ、噛みつくな」

    サンはレナードの肩に飛びつき、小さな口でがじがじと頭を噛む。

    「わふぁふぃ、ふぇっふぃふゃふぁい!」

    「分かった分かった。サンはえっちじゃないな。ああ、えっちじゃない」

    「ふー。フェッふぁふぃ、ふぁふぁっふぇふぁい!!」

    レナードは怒りながらも甘噛みするようにしか噛んでこないサンに苦笑する。
    いつも通りルーシャの与太話なのだろうが、その真偽の判断材料に乏しいサンは本当かどうか、絶対には分からない。
    だからいつも自分に尋ね、事の真偽を判断してもらおうとする。たとえ嘘だと思っていても。
    本当に、いつも通りのことだ。

    「分かってるさ。そもそも髪の伸びる早さとソレとの関係の確証は無いんだ。それに元々サンは新陳代謝が活発だし、伸びるのが早いからってそうとは限らないさ」

    サンは口を離し、どこか納得いかなそうな顔でレナードの後頭部を見つめる。

    「うー。なんか、論点逸らされた気がする………」

    確かに、とレナードは思う。サンがえっちがどうかの論点は逸らした。
    だがそう言いながらも、サンは自分を噛んだ所をぺろぺろと舐める。
    おそらくは消毒の真似事なのだろう。出血もしてないのだから意味はないが。
    そう思い、レナードは苦笑する。

    「気のせいだろう。それにしても、またルーシャの与太話か。最近はもう色々覚えたと思ったんだが」

    サンは一応はここ最近で、ビフロスト中央魔法学院ではなぜか無い、保健体育の授業で習う程度の性知識は知ったはずだった。
    レナードの肩に乗るサンは、レナードの頭をお腹に包むように抱きしめる。

    「覚えたけど。でもやっぱり知らないことがたくさんだ。バカの言うことは嘘だと思うけど、絶対嘘って私じゃ言い切れない」

    サンは自分の下腹部に手を当て、ゆっくりとさする。

    「たとえば、その。……………お、女の人は、血が出るとか」

    「はは。あの時は大騒ぎだったな。日も昇らない内に俺の家に泣きながら飛び込んできて、病気になった、死んじゃうって。なだめて説明するのに丸一日かかった」

    「だ、だって! 私、風邪以外の病気になったことなんてなくって! し、しかも血が出て………!」

    「いや、獣人の生態は人と少し違うことを忘れていた俺が悪かった。説明しておくべきだったな」

    レナードがそう言うと、サンは赤くなってレナードの頭に額を押し付ける。

    「あ、えと………それは、その、私が知らなかったから…………」

    「でも、その日は本当に色々あったな。サンをなだめる前にサンの実家に連絡取ったら、その日の内に1000km以上も離れた獣人領からご両親が来て。
    お母さんは赤飯炊いて祝ってくれたけど、お父さんには一日中追い回されて殺されそうになったな。ヘイムダルの土地勘の差が無ければ確実に死んでいたよ」

    ははは、とレナードは笑う。
    対してサンはうつむいたまま、レナードの頭をぎゅっと抱く。
    レナードのほぼ真白の銀髪に、サンの黒髪が混じる。

    「レン………迷惑、だった?」

    「いや、これっぽっちも。迷惑どころか楽しかったよ。大変だったけど、お母さんから色々と話を聞けたし、お父さんとはまだ少しわだかまりが残ってるけど、和解して仲良くやれた。それにサンは家族と居る時のサンだった。
    幸福だと思うよ、あの思い出は。久々に家族という感覚を思い知った」

    「……………」

    サンは抱く腕に、無意識にわずかに力を込める。
    それに気づき、レナードは目線を上げる。
    自分のものではない、黒色の髪が見えた。

    「サン?」

    「………私」

    「ん?」

    「……………ううん、なんでもない」

    レナードはうつむいたまま自分の頭を抱くサンを感じながら、目線を降ろす。
    そしてほんのわずかに、優しい笑顔でサンに言う。

    「サン。言い間違えた」

    「………え?」

    「久々に、を訂正しよう―――改めて、に」

    「―――――」

    「どうにも、いつも一緒に居ると感覚が鈍るらしい。改めて思い知った」

    「…………うん」

    サンは微笑む。やっぱり、と。
    レンは分かっていないようで分かっていて、でもやっぱり分かってなくて、でも分かっていて。
    普通分からないようなことを分かっていて、けど分かっていなくて、やっぱり分かっていて。
    だから。

    「レン」

    「ん?」

    「大好き」

    レナードは軽く目を伏せ、そして微笑んで言った。

    「―――俺も好きだ。幸福に思うよ」

    サンは苦笑混じりに、でも嬉しくって微笑む。
    やっぱり、分かってるけど分かってない、と。

    「レン」

    「ん?」

    「レンって、変に鈍くて変に鋭い」

    「それ、ミヤセにも言われたな。自覚していないというのは危険だと思うんだが、どこ辺りがそうなんだ?」

    「あえて言うなら、その辺り」

    「………分からん。自覚しようとする行為がか?」

    「秘密」

    レナードがわずかに首をかしげ、頭を抱くサンも一緒に身体を傾ける。
    レナードの頭の位置が元に戻ると、サンは顔を上げた。
    ハーネット姉妹の居場所に近づいてきたせいか、少し肌寒さを感じるようになってきた。
    距離は近いようだ。

    「サン」

    レナードが声をかける。
    桜色の雪がちらほらと降ってきた。
    サンは寒いのに強いし、強化もしていて大丈夫だろうが、素肌のままはよろしくない。
    レナードはマントを外し、肩に乗るサンにかける。

    「サンの背丈にすれば少々長いが、ある程度の防護機能を備えてあるわりと上等な品だ。ボロにするのは構わないが、なるべく脱がないようにな」

    「うん。………分かった」

    サンはうなずき、マントを羽織る。
    そしてほのかな温かさと、レナードの匂いを感じながら、サンは呼びかける。

    「レン」

    レナードは、ああ、と返事を返す。
    そして、レナードとサンは同時に言う。

    「行こうか」
    「行こう」







    ◇ ◇ ◇ ◇







    ビフロストはその国の位置柄、東の群島、西の大陸、南の大陸とを繋ぐ貿易拠点として栄えてきた。
    その国土は、王国との国境付近を連峰が走り、国の中央を長大な河川が通り、暖流が流れる海に面していて気候は温暖湿潤だ。
    そして世界で最も進んだ技術国家でありながら、自然は多く、森林が占める割合は多い。
    連峰から南の海側に突き出した主峰が抱く、深い山々には古より神々が住まうとされている。


    ―――ビフロストは変わった国である。
    元はたった一家族が興した小国の集まりであり、100年という時の間で最高の技術国家となった国。
    帝国から幾世紀にも渡る侵略を受けながらも、温和で何者をも受け入れる民族性を保ち続けたのんきな国。
    どのような人間をも、魔族や獣人などの他種族さえも、魔物であっても受け入れるお人好しな国。
    しかしながら芯は確固として存在し、折れるも曲がるも許可しない、変に頑固な国。
    自由の国。協調の国。頑固な国。温和な国。森と山の国。魔科学の火が灯る国。変な国。
    国が信じる神がいない国。しかしその実あらゆる神々が居る国。神々の国。

    ―――ビフロストに国教は無い。
    ビフロストで生まれ育った者は誰も神を信じず、しかし神の存在を信じる。
    意識体としての神自身を信じるのではなく、在りと凡ゆるものに神々は在ることを信じるのだ。
    これは獣人の精霊信仰に近い考え方であり、世界最大の宗教たるウンザンブル教の原初の世界を唯一母神とするものとは異なる。
    しかしその唯一母神すらも神々の1つとして考えるのがビフロストなのである。

    明確な神は何処にも居ない。
    しかし神は常に其処に在る。
    空も水も大地も樹も海も星も人も火も動物も物も夢も心も雷も何もかもが神なのである。

    そんな変な国が、ビフロスト連邦。
    四季は折々、春に花咲き夏に息吹き、秋に紅葉し冬に雪が降る。




    そんなビフロストの春に、桜の雪は降っていた。

    「バ、バンデラス教授!」

    「なんじゃ?」

    一面氷付けになった森の中、金髪オールバックのグレゴリー・アイザックスと老翁のマシュー・バンデラスはそこにいた。

    「どうされるおつもりですか!?」

    グレゴリーは叫び、氷の中心を指差す。
    そこには氷海色の髪の少女が2人いた。名はエルリス・ハーネットとセリス・ハーネット。双子の姉妹だ。
    桜色の雪降る氷の中、姉は気を失い倒れていて、妹は姉に寄り添って虚ろな瞳をして座っている。
    バンデラスは少女らを一瞥した後、つまらなそうにグレゴリーの問いに答える。

    「どうって言われてもの。儂も歳じゃから、この寒さは堪える。やる気など起きんわ」

    「お、起きんって………」

    グレゴリーは絶句する。
    自分のチームはフラッグ回収後の帰還中、彼女らと遭遇した。
    リーダーだった自分は、予てより少女らの能力を聞いていたため現状交戦するべきではないと即決し、牽制と目くらましをかけて離脱しようとした。
    この判断は悪くなかった。いや、おそらくは最良だったろう。
    だが、運が悪かった。
    初動を封じ追撃を逃れるための牽制が妹に当たり、当たり所が悪かったのか流血した。
    そしてそれに激怒した姉が意味不明なエーテルで意味不明な魔法を使い、一面この景色だ。
    ―――わけがわからない。
    姉の暴走はただ大寒波を引き起こしただけで、被害を被ったとはいえ敵対するこちらに向けた攻撃ではなかった。
    だがそれはおかしい。暴走で理性を失おうと、それなりの本能めいた志向性はある筈だ。
    それは例えば拒絶。排他。憎悪。憤怒。悲哀といった単純かつ純粋な感情。
    しかし、姉の行動は、おおよそ考えうるそれら行動理念に該当しない行動だった。何がしたかったのか見当もつかなかった。
    妹を守るにしたって、これではあまりに非効率的ではないか。
    守るなら徹底的に敵を排除すれば良いだけの話なのに。


    「ですが! まだ暴走を続けているのです、あまり悠長には!」

    グレゴリーは叫ぶ。
    大寒波が襲った後、暴走の代償のせいか姉が倒れ込むと、今度は妹がキレた。
    幸いにも攻撃行動は起こさなかったが、理性を失い近づく者全てを本能的に攻撃するようになってしまい今の状況だ。
    エーテルを消費を消費し続けない代わりに、意識を失うまで止まらない。

    「この寒さの中では死にますよ!?」

    樹氷と桜の雪と氷が辺りを覆う中、グレゴリーは寒さに耐えながら言う。
    グレゴリーの横には、応急処置が施されたグレゴリーのチームメイト達が並んで寝ていた。
    グレゴリーは姉の暴走に際しとっさの判断で地面を穿ち、穴に隠れたおかげで寒波の直撃を免れたが、指示に反応出来た1人以外はそれでやられ、残る1人も妹の暴走に不用意に近づいたせいでやられた。
    自分1人では対処し切れない事態だったので発煙筒を使うと、マシュー・バンデラス教授が来て、負傷者に手当てをした後それっきりだ。
    ―――今、氷付けとなったこの場所の気温はマイナスに突入し、体温を奪い続けている。
    自分は強化でまだ耐えられるが、このままでは意識のない負傷者とハーネット姉妹が凍傷にかかってしまう。
    下手すれば死だ。
    しかしバンデラスは、やはりつまらなそうに言う。

    「落ち着かんか。この程度では人は死なん。それに、そろそろの筈じゃから待っておれ」

    「そろそろ………? ジャレッド・マーカス教授ですか?」

    「いや、あやつはユナ・アレイヤの暴走に手一杯での。先程鎮火した辺りカタはついたろうが、すぐには無理じゃろう」

    「では、何ですか………!?」

    グレゴリーが焦れたように語調を強めて言う。
    その折、グレゴリーの後ろで誰かが着地した音が聞こえた。
    振り向くと、そこには長身の少年と、その肩に肩車のように乗った黒髪の少女がいた。

    「レナード・シュルツ………!」

    グレゴリーは歯軋りして言う。
    レナードはグレゴリーを含めて周囲を見回し、言った。

    「やはりハーネット姉妹の暴走だな。姉は失神、妹が暴走中。負傷者は回収済み」

    「相違無い」

    バンデラスが答える。

    「呼び出してすまんの、シュルツ。セリス・ハーネットの暴走を止めてくれんか?」

    「了解です。サン、下がっていてくれ」

    サンは、うん、と答えて肩から降りる。
    グレゴリーはバンデラスに抗議する。

    「教授! なぜシュルツが!?」

    「儂は実戦向きではないからの。あの暴走は止められん」

    「ですから、なぜシュルツなのですか!?」

    「見ておれば分かる。実は興味半分での。あー、お前は確か―――グレゴリオ・アイラブユー?」

    「グレゴリー・アイザックスです………! 後半ムリありますよ!?」

    「ふはは。そうじゃ、今日の授業で当てたの。お前は昨年からの転入じゃからレナード・シュルツのことはよく知らんのじゃろう?」

    グレゴリーは唇を噛む。
    レナード・シュルツを知らない? ―――知っているとも。
    昨年、嫌というほどその名を聞いた。
    ―――8年連続の主席、稀代の天才レナード・シュルツ。昨学年最後に発刊された学内誌の特集のタイトルだ。
    副題は、今年も表彰式辞退、孤高の8年連続ミスターC.M.A.。
    有り体に言えば学院のアイドル、という奴だろうか。長身で鍛え込まれた肉体、頭脳明晰で顔も良く、強い。
    完璧を地で行く上に、誰にも媚びない孤高性と、しかし気遣いある姿勢がさらに人気を博しているとかなんとか。
    ―――いや、そんなことはどうでもいい。
    多少は尾ひれが付いている誇張だろうし、しかし確かに事実ではあるだろうがそんなことは関係無い。
    問題は、奴がやった事だ。

    「―――知っていますよ。学内誌で読みました」

    若干15歳にして、魔科学最先端技術を駆使した巨大魔力炉、その2基目の建造に携わった天才。
    レナードが中等部で9年生だったときの冬、グレゴリーが学院に転入する直前の話だ。
    偶発的に組み上がった1基目の不安定性の補完として2基目を建造の予定が、サブからメインに入れ替わった。
    その裏には、レナード・シュルツの力添えがあった、と。
    ―――なんともムカツク話だ。

    「しかし、ならばこそ知らぬじゃろう。故によく見ておくが良い、面白いものが見れるぞ」

    バンデラスは、ふはは、と楽しそうに笑う。
    サンは静かにレナードの背中を見つめ、グレゴリーは忌々しそうにレナードを見つめる。

    「………ふぅ」

    レナードは、バンデラス教授にも困ったものだ、と思いため息をつく。
    そして正面のセリス・ハーネットを見据える。

    「………」

    そして無言で歩み寄り始める。
    手には何も持たず、ただ散歩するかのように歩んで行く。

    「―――ぅ、ぁ!」

    セリスの虚ろな瞳が、レナードの姿を捉える。
    セリスは左手を向ける。その手の先で、空間が歪む。

    「あれは!」

    グレゴリーが叫ぶ。
    あれは先刻見た、仲間を吹き飛ばした不可解な魔法だ。
    見た感じは風の魔法の一種のようだが、正体が掴めていない。

    「ふむ」

    バンデラスは真剣な表情でその魔法を見据え、ややあって声を出した。

    「シュルツ。実態は掴めておるか?」

    「はい」

    ゆっくりと、武器も持たず歩きながら、レナードは答える。

    「エーテルによる魔力収束」

    「然り」

    バンデラスは、ふはは、と楽しそうに笑った。
    対してグレゴリーは驚愕の表情で、バカな、とつぶやいた。

    「魔力収束………? ふざけるな。重力だとでも言うのか!? 空間に干渉しているんだぞ、有り得る筈が―――」

    「有り得る」

    レナードは断言する。

    「超大なエーテルで、その空間の全魔力を―――簡単に言えば、空間そのものを収束しているんだ、あれは。
    やっている勢いこそ比較にならないが、俺達が魔力を集めるのと同じだ」

    「そんなことは分かっている! だが、それは理論上の話だ! 出来る筈が無いだろう!?」

    「出来ているだろう。今、目の前で」

    「………ッ!」

    グレゴリーは歯軋りする。
    有り得る筈が無い。そんな、規格外なエーテルがあってたまるか。
    そんなのは人の範疇を越えている。伝説級の人物だってそんなことは出来やしない。
    そんなことは。

    「―――う。あッ!」

    その折、暴走するセリスの空間圧縮弾が放たれる。
    それはレナードの僅か横を掠り、樹を薙ぎ倒して進んでいく。

    「―――ほ。なんという威力か」

    バンデラスは笑う。
    視線の先、空間圧縮弾は1m以上にも及ぶ木々を薙ぎ倒し突き破り、圧縮弾が通った先に視界を遮る物はなかった。
    見た目の派手さはないが。その分集中された威力は、その結果を以って派手だ。
    禍しき凶弾。防ぐも逸らすも適わない絶対貫通弾。

    「―――うあ、は。ッ」

    セリスがまた手の先で空間を収束し始める。
    おそらくは、先程の攻撃は警告なのだろう。これ以上近づくと撃ち貫く、と。
    しかしレナードは歩いていく。暴走しながらも気遣いを遺す矛盾に微笑を零しながら、そして竜の瘡蓋を外しながら。

    「………バカな、なぜ外す?」

    グレゴリーはその目を疑う。
    チームの1人は竜の瘡蓋が一撃で砕け散るほどのダメージを負っている。
    それはつまり、竜の残存エーテルの存在によって威力を軽減する役目しか担っていないはずの竜の瘡蓋が、本来の囚人拘束具としての機能を発して砕け散ってまで防護し、それでなお防ぎきれなかったほどのダメージだ。

    「………なぜ、近づく?」

    グレゴリーはその行動を疑う。
    竜の瘡蓋を装着していれば、確かにエーテル制御の効率は落ちる。
    だが、あの威力を防護するものがなければ、それこそ確実に即死だ。
    遠距離から攻撃するなら分かる。全力で強化を施し距離を取れば、避けられない事も無いのだから。
    しかしレナードは武器も持たず、竜の瘡蓋も付けず、魔法さえ放つ素振りを見せず、歩いて行く。
    そしてレナードは言う。

    「安心しろ、セリス・ハーネット。君の優しい心には感謝するが――――君は俺を殺せない」

    「―――ぁ」

    セリスは怯えるように、身を震わし、そして、

    「―――だめ」

    と声を零す。
    そして空間圧縮弾はまるで弾自身が望むかのようにセリスの手を離れ、レナードに襲いかかった。








    ◇ ◇ ◇ ◇








    「………バカな」

    その日、何度目かになる言葉をグレゴリー・アイザックスは放った。
    視線の先、桜色の雪が降る氷の中心には、氷海色の髪のハーネット姉妹と、そこからやや離れて立っているほぼ真白の銀髪のレナード・シュルツがいる。

    「………バカな」

    グレゴリーはもう一度繰り返す。
    自らの理解の範疇外の超大なエーテルが可能とする、空間収束により全てを貫く禍しき凶弾。
    それを今確かに、レナード・シュルツは受けたはずだ。
    それなのに、なぜだ。
    なぜ、レナード・シュルツは平然として立っている。

    「―――ぁ」

    セリスはレナードの姿を見て、驚いたような、安心したような表情を見せる。
    しかし、また左手の先で空間収束が始まる。

    「成程。やはり混乱と暴走が入り混じっているのか」

    レナードはセリスを見てうなずき、そして考える。
    ………彼女には意識がある。
    暴走し朦朧として混濁しているだろうが、確実に意識はある。理性と呼ぶべき意識が。
    なぜならば、完全に暴走したならば自身が最も得意とする属性が発現するからだ。ユナ・アレイヤのように。
    しかし彼女は空間圧縮を行った。
    おそらくは最も安易で、最も安全で、最も低威力の魔法を。
    故に彼女には意識が、理性があるのだ。

    しかし彼女は近づく人を傷付けようとしている。
    それはなぜか?
    暴走しているからだ。
    おそらく―――これほどの超大なエーテルを有している以上、制御などまるで出来ないのだろう。
    だから彼女は、人を傷つけた事があるはずだ。それも深く。あるいは殺している可能性もある。
    だから彼女は、魔法というものを怖れている。

    だが、ならば魔法を使わなければいい、の一言で片付く話でもない。
    エーテルは精神に強く、あるいはそのままに影響する。
    そして人は人であるが故に、その精神は移ろい揺れる。それが例え歓喜であっても、悲哀であっても。
    どれほどの無情を装おうと、人である以上は精神は必ず揺れ動く。
    ふとしたきっかけで揺れて、抑え切れずに零れたエーテルが、人を傷付ける。
    それが制御不能を増幅させ、それがさらに怖れを深くし、悪循環を生んでいる。

    そして今、何かがきっかけで彼女が抑え切れないエーテルが溢れ出し、彼女自身は一応は平静であるのに、彼女を置いてエーテルだけが暴走してしまっている。
    それを怖れてしまった彼女は混乱し、暴走した。
    ―――つまり彼女の暴走は、通常と逆なのだ。
    エーテルだけが先に暴走し、追ってあまりの巨大な力に恐怖した彼女が暴走する。
    だから、僅かながら意識が、理性が残る。

    「………」

    レナードは息をつく。
    彼女は自身を失いながらも理性を残してしまい、忘れることもできず、現実逃避も出来ず、恐怖して怯えている。
    だが、それは自分には関係のない話だ。
    気にする必要は無い。助ける必要も無い。世話する必要などまるで無い。
    けれど、昔言われたのだ。
    ―――無理はしなくていいよ。でも、女の子には優しくね。と。

    (難しいな、アイリーン)

    レナードは笑う。
    そして言う。

    「もう一度言おう、セリス・ハーネット。―――君は俺を殺せない」

    レナードは微笑と共にそう言った。
    顔には何の苦痛も浮かばず、汗もかかず、ただ平然と、何事も無かったように。
    そして、一歩セリスに近づく。

    「―――ぅッ!」

    セリスの手から空間圧縮弾が放たれる。
    直径300ミリにも及ぶバケモノ弾丸は、それこそ竜すらも粉微塵に吹き飛ばす威力を以ってレナードに襲いかかる。
    だがレナードは何をするでもなく、ただ立っている。微動だにしない。
    そしてレナードに襲いかかった弾丸は、しかしレナードに直撃してもも何の効果も無かった。

    「三度目も言おう。君は俺を殺せない」

    レナードはまた一歩近づく。
    セリスは撃つ。
    直撃する。

    「何度でも言おう。君は俺を殺せない」

    また一歩近づく。
    セリスは撃つ。
    直撃する。

    「そうだ。君が殺せない人間は、今此処に」

    あと3歩の距離を、1歩詰める。
    セリスは撃つ。
    直撃する。

    「君が傷付けられない人間は、今此処に」

    あと2歩の距離を、1歩詰める。
    セリスは撃つ。
    直撃する。

    「君が暴走しても傷付けずに済む人間は、今此処に、確かに存在する」

    最後の一歩を詰める。
    セリスの眼前、一歩を踏み出せば触れられる距離で、セリスは撃つ。
    直撃する。
    また撃つ。撃つ。
    直撃する。
    また撃つ。何度も何度も撃つ。
    完全に、何度も何度も幾度となく確かに直撃する。
    けれど傷一つ付かない。微動だにもしない。

    「―――ぁ」

    セリスの頬に涙が伝う。
    レナードは右腕を真横に突き出す。

    「俺はレナード・シュルツ。君が傷付けずに済む人間だ。覚えておくといい」

    レナードが突き出した腕に、雷が纏う。
    大気を裂くような紫電が、レナードの右腕に絡まり、うねり、弾けるような音を奏でる。

    「おやすみ。セリス・ハーネット」

    レナードは右腕でセリスの頭を撫でる。
    セリスは一瞬ビクッと震えた後、気を失い、静かに倒れこんだ。





引用返信/返信 削除キー/
■157 / inTopicNo.9)  「Β 静かな日々」F
□投稿者/ 犬 -(2005/02/23(Wed) 23:24:40)






    「………………」

    雪が降りやみ、氷が融け始めた森の中、レナード・シュルツは無言で立っていた。
    見下ろすレナードの視線の先、レナードの足元では、氷海色の髪の姉妹が倒れている。

    ―――君は俺を殺せない。

    セリス・ハーネットに繰り返し告げたその言葉、よく言ったものだとレナードは自嘲する。
    まるで道化だ。
    殺せないなんて嘘八百、彼女が本気を出せば自分など一瞬で殺せる。
    彼女のエーテル量は、ヒトからすれば無限にして無尽、存在規格からして違う。
    それでもなおその言葉を吐くなんて、道化に他ならない。

    しかし、おそらく彼女にはそんな道化が必要だった。安堵が、救いが必要だった。
    トラウマは水に滴った血と同じだ。異物として混入したそれは、どれだけ希薄化しようと消えることは無い。
    そしてトラウマは、自身が立ち向かう以外にその対処法は無い。
    他の誰でもない彼女自身が、ああ大丈夫なのだと、そう思い知ってもらうしかない。

    では、それを成すにはどうすればいいのか。
    言葉だろうか。
    否、根拠の無い言葉はただの音だ。絶対的な力を持つ彼女に届くことはない。
    では、どうすればいいのか。
    見せ付ければいいのだ。
    竜をも消し飛ばせる絶対的な力を持つ君だが、俺には傷一つ付けることさえ出来ないのだと。

    「…………」

    レナードは小さく息をつく。
    この拙い道化芝居でも、幾許かでも彼女の救いになっていればと思いながら。
    そしてアイリーンの言った、優しく、という意味に准じていればと、そう思いながら。

    「さて」

    数瞬の思考の後、レナードは妹のセリスと、そのすぐ傍に倒れている姉のエルリスに視線を移す。
    そして、周囲を見渡す。
    この周囲100メートルほどだけ真冬になったかのように雪に覆われていて、今は多少マシにはなったが、まだ少し寒さを感じる。
    まるで、この周囲だけ別世界なようだ。

    「妹は超過エーテル、姉はコレか」

    成程な、とレナードはうなずき、サンの方へ視線を向ける。

    「サン。ここは寒い、彼女らを暖かい場所へ移そう。手伝ってくれ」

    サンは無言でうなずき、レナードの下に駆け寄って来る。
    レナードはエルリスを、サンはセリスを背に担ぐ。

    「担げるか?」

    レナードはエルリスを軽々と担ぎながら、隣にいるサンに訊く。
    サンは半ば上から覆い被さられるような格好でセリスを担ぎながら、うー、とうなる。

    「なんとか………たぶん、いける」

    「身長差がありすぎるか………」

    サンは、む、と頬を膨らませる。

    「そんなことない。私とこいつ、背丈の差は10センチちょっとだけだ。全く平気。平気ったら平気」

    「そう言うなら良いが。普通、10センチも違えば相当違うんだがな」

    レナードは微笑し、サンの頭を撫でる。

    「それにしても、サンはなかなか身長が伸びないな。初めて会った時は今ほど変わらなかったと思うが」

    「レンが伸び過ぎなんだ。………180なんて高すぎ」

    「サンは偏食過ぎるから伸びないんだ。だから150にも届かない」

    サンは、む、と眉をひそめる。

    「そんなことない。私、レンのご飯はちゃんと全部残さず食べてる」

    「ああ、それもそうだったな」

    レナードは微笑して、サンの頭を撫でる。
    そして振り返り、歩き出す。

    「行こう」

    「うん」

    サンはうなずき、追って歩き出す。
    しかし、ふと立ち止まって首をかしげる。

    「なんか………また、はぐらかされた………?」

    何かすっきりしない感覚を受けながら、サンはレナードを追いかけた。








    ◇ ◇ ◇ ◇








    雪原と化した森の一角からやや離れた場所、木洩れ日がよく当たる場所に、10人の人間がいた。
    レナード・シュルツとサンとハーネット姉妹、マシュー・バンデラス教授とグレゴリー・アイザックスと彼のチーム4人だ。
    ハーネット姉妹とグレゴリーのチームメイトは未だ横になって眠り続けている。

    「ご苦労じゃったな、シュルツ」

    バンデラスはレナードに労いの言葉をかける。
    それに対し、いえ、とレナードは首を振る。

    「それより、サンと俺はチームとの合流時刻が近いので帰らせて貰いますが。宜しいですか?」

    それを聞いてバンデラスは、ふむ、と考え込む。

    「ん〜。引き止める理由もないんじゃが………出来れば2つほど、ついでに頼まれてくれんかの?」

    「すぐ終わる内容ならば」

    「なら頼まれてもらおうかの。先ずは人手の問題での、ハーネット姉妹を連れ帰って貰いたいのじゃが」

    「帰るついでです、それは構いません」

    「良し良し。―――ああ、後でちゃんと全部成績に加点しとくから、そう怖い顔せんでくれんかの、サン」

    「フンだ」

    サンは露骨なまでに悪態ついて、顔をそむける。
    バンデラスは苦笑する。

    「嫌われたの。まぁ使われるのは信頼の証じゃ、名誉として受け取ってくれんか?」

    「やだ。名誉じゃお腹一杯にならない。美味しくもない」

    「ふはは! 確かに、名誉で腹膨れ酔い痴れるはずもないの!」

    バンデラスはおかしそうに笑った。笑い過ぎたせいか、急に背を折ってげほげほと咳き込んだ。
    今のは痛烈な皮肉だ。世の中の名誉を求める人間達への、獣人からのひどい皮肉だった。
    確かに彼女ら獣人から見れば、名誉を得る為に躍起となる人間は酷く滑稽に映るだろう。

    (人間は、獣人がこのような精神性を理解出来ないから知性に劣り野蛮なのだと称するが、はてさて、果たして本当に人間に劣るものかの?)

    ややあって、バンデラスは腹を抱えて顔を上げた。

    「あー苦し、笑い過ぎたの………で、もう1つは」

    バンデラスはある方向を促す。
    レナードがその方向に視線を移すと、ギラギラと目を光らせる金髪オールバックのグレゴリーが見えた。
    レナードは頭に降り積もった雪が融けてびしょ濡れになってるグレゴリーを見て、小さくうなずいた。

    「萎びたデコが見えますが。どうしろと?」

    「シュルツ貴様コラッ! 誰がデコで何が萎びてる!?」

    「訂正。元気なデコが」

    「この、貴様ッ!」

    「いやな、このでこっぱちが先刻お前がやったことがワケ分からんと」

    「誰がでこっぱちですか教授ッ!?」

    「お前だ、デコ」

    「うるさい! この………野生娘ッ!」

    「サン。念のために言っておくが、人の名前をあだ名で覚えないように。デコとか」

    「俺はデコじゃないッ!」

    「じゃあ凹」

    「いいのう、それ」

    「教授! 羨ましがらないでください!」

    グレゴリーはぜーぜーと肩で息をする。
    バンデラスは、やれやれ、といった感じで肩をすくめる。

    「で。まぁ見ての通り血圧の高い小童での。そのくせシャイで自分から聞けんときた」

    「思春期の女の子みたいだな」

    「うあ。ボコ、気持ち悪い」

    「そこッ! いい加減にしろッ!」

    目下血圧上昇中のグレゴリーに対し、レナードは、やれやれ、といった感じで息をつく。
    そしてややあって、つぶやいた。

    「時間が惜しいから簡潔に言うが―――俺にはさして特別とも言えるような能力は無い」

    レナードは肩をすくめ、続ける。

    「おそらくはグレゴリー、君の方が特別な能力を持っているだろうな」

    「嘘を吐けッ!」

    グレゴリーは掴みかからんばかりの形相で、レナードを睨みつける。

    「特別なものはないだと!? ならばなぜ貴様は、あの空間収束の弾丸を無効化出来る!?」

    グレゴリーは忌々しさを微塵も隠さず、叫ぶ。
    能力というのは、誰でも出来るような技術ではない、突出したほぼ個人限定の技術だ。
    それはユナ・アレイヤの極熱然り、ハーネット姉妹の極寒とエーテル然り、ルスラン・B・ゴールドマンの再生力然り、チェチリア・M・ウィンディスの武装隠匿能力然り。
    そして自分、グレゴリー・アイザックス然り。
    学院の学生のそれぞれだけが使えるだろう技術、それこそが能力と呼べるもの。
    誰もが使えるような技術は能力などとは到底呼べず、呼べばその者の底が知れる。
    ならばどうして、こいつは能力が無いなどと吐かすか。
    ―――ふざけている。こいつは。

    「なぜ雷を使う事が出来る!? 答えろ!」

    グレゴリーは彼が忌む者の名を、叫ぶ。

    「レナード・シュルツ!!」







    ◇ ◇ ◇ ◇






    ―――古の昔より、普遍的に存在する魔力の魔法が、最も発達してきた。
    なぜなら、魔法は魔力を必要とするからである。

    そう遠くない昔まで、魔力貯蔵庫たる媒介は、現在とはその意味合いが異なっていた。
    現在の媒介は、自然物として存在しているものから、素となる魔力のみを抽出し、圧縮して留めておくものだ。
    しかし過去の媒介とは、例えば炎ならば松明、水ならば水筒といった、自然物そのものとしての魔力を保持する物を意味していた。
    故に、最も普遍的に存在し、なおかつ利便性に富むものが発達して行くのは当然であった。

    古より変わらず最も存在する魔力は、空気と、土や石を含む鉱物と考えられていた。
    どこにでもあるが故に魔法として利用するには力強さに乏しかったが、どこにでもあるからこそ、その2つの魔法技術は高く発達していった。
    大気を動かし風を生み、火を猛らせ動力を生む技術。土や石を加工し動かし、土木建築に用いる技術。
    人の役に立つそれらは、エーテルの大小よりエーテル技術を糧とし、高く発展していった。

    しかし、約四半世紀前にマシュー・バンデラスはある疑問を投げかけた。
    それは、「本当に風と土こそが、世界に最も存在する魔力なのか?」という問いだった。
    すると世界中の魔科学者は肯定と疑問を以って答えた。「当然だ。それ以外に在ると言うのか?」と。
    マシュー・バンデラスは笑って答えた。「在る」と。
    「微弱ではあるが、世界中の全てに存在し、一度自然現象として猛威を揮えば即死の威力を持つもの」と。
    世界中の科学者は首をかしげた。それこそ地震や台風の類ではないのかと。
    それに、水は陸上においては空気中にしか存在せず、火は燃える物がなければ存在しない。
    あるとすれば光ではあるが、現在では未だ未知のもの過ぎるし、その例に洩れる。他に何があるのかと。
    マシュー・バンデラスは答えた。「それは雷だ」と。

    訝しむ魔科学者達を前にして、マシュー・バンデラスは幾つかの証拠や理論を持ち出した。
    雷といえば落雷と静電気しか知らない彼らに、彼は自身の理論を説明した。
    ”世界の全ての物質には正負に相反する電気が存在し、中和を保つことで安定している”のだと。
    それは例えば、静電気で痛みを感じるのは帯電していたものが放電するからであり、物質によっては簡単にその電気が引き剥がされ、雷となるのだと。
    大気中で落雷が生じるのはそれの気象レベルでの話であると。
    またその「世界の全ての物質に存在する」という事実が「現在より遥かに発達した技術を有していた統一王時代の遺産が、なぜ雷で動くのか?」の解であると。



    それは正解であった。
    認識しなければ無きに等しかったが、一度認識すれば確かに雷は極々微弱ながらどこにでも存在した。
    それはおそらくは、世界中のあらゆるものの中に確かに在ったのだ。
    それを知った魔科学者は驚嘆し、同時に歓喜を得た。
    永年不可解であった統一王文明の動力源の謎が解き明かされ、今こそ統一王文明再臨の時に至るのだと。
    雷を知った我々は、統一王と同じく神の域に至り、城さえも浮遊させることが出来るのだと。
    遥か1000年の時を経て雷を想起した我々は、あらゆる強化を突破し一撃で沈黙させる統一王が雷の御技を、今此処に復活させるのだと。
    魔科学者は統一王文明の再臨を信じ、夢を馳せた。
    しかしながら、雷を知る内に問題が生まれた。

    「雷は個人が扱えるような代物じゃないッ!」

    雷は何処にでも存在する。
    極論、何かが動くだけでも雷は発生するし、人の身体中をも雷が駆け巡っている。
    しかし。
    その雷は極々微弱でありながら、束ねればあまりに強大で至極扱い難かったのだ。
    さらに雷は、最早現代においては誰も知らない領域であった。

    「その通り。細分化すればキリがないほど存在する属性の中、雷だけは別物じゃ。
    魔法の技術は過去より現在に至るまで、数多の偉人の研鑽の積み重ねの上にあるもの。どれほど特異な能力であろうと、魔法であるが故に、等しく全てその上に成り立っておる。
    しかし、雷の技だけは、その基盤ごと完全に全て統一王時代の終焉と共に失われた。
    統一王文明が失われては、雷は個人で扱うにはじゃじゃ馬過ぎる上に何の役にも立たんかったろうからの。
    魔法はあくまで人を助ける技術じゃ。人助けにならん技術が1000年も存続する筈も無し。
    暴走や暴発の危険性を多大に孕んだ、安全性安定性に乏しい雷を扱う者が存在する筈も無し。
    故に、今や誰も扱う術たる構成式を知らず、その暴力的なまでの扱い難さから、近年でも魔科学でしか扱われん」

    マシュー・バンデラスは言う。

    「しかしその魔科学での雷すらも、各国屈指のエリートらが各国家機関で試行錯誤と多大な犠牲を払ってようやく落雷を呼び寄せているか、統一王時代の遺産である発電設備にて魔科学的に雷を発生させ媒介に封じているに過ぎん。
    それを個人で扱うなど、夢のまた夢、それこそやはり統一王が御技じゃ」

    バンデラスは笑う。
    統一王時代でも、効率のロスがあるにも関わらず別動力による発電施設があった。
    それは直接雷を扱うことはなかったという証明であり、故にやはり、よほど扱い難かったということだろう。
    なにせわずかな工程や制御のミスが暴発に繋がり、施術者自身をも蝕み、殺めかねない。
    しかし、それをあえて工程を無視して常時己が技量のみで御するレナード・シュルツのなんと凄まじい事か。

    「答えろ! 貴様はなぜ、雷を扱う事が出来る!?」

    「………ふぅ」

    レナードはため息をついた。そして思う。
    なぜ、と問われても答えに困る。
    自分には真実、特別とも思える能力は無い。
    ルーシャの不死身っぷりや、アデルの武装隠匿能力の方がよほど特別だと思える。
    それにミヤセのように武術を学んだこともないし、サンのように獣人であるわけでもない。
    唯一つというような特別な技巧もないし、セリスのようにエーテルが突き抜けているというわけでもない。
    エルリスやアレイヤのように何かの属性に突出しているわけでもない。
    強いて自分自身に人より優れていると思われることがあるのならば、それは唯一つだけだ。

    「エーテル制御だ」

    レナードはつぶやいた。
    グレゴリーが、なに、と訝しむ。

    「単純な話だ。エーテル制御で雷を操るだけ。他の魔法と何も変わらない。ただ、それだけだ」

    「ふざけるなッ!」

    グレゴリーが怒声を上げる。
    エーテル制御など基本中の基本、むしろ魔法における大前提だ。
    確かに究極的にはエーテル制御ではあるが、それだけで成立するなら個々の能力など存在しない。全ての魔法がその一言で片付けられる。
    グレゴリーが聞きたいのはそれ以外の要因だ。
    誰もその扱い方を知らない雷を、自由に行使できるその要因とは何なのか。
    得意などという漠然としたものではなく、必ず、確たる理由がある筈だ。

    しかしレナードは淡々と告げた。
    それが事実だ、と。

    「おそらく俺は人よりエーテル制御能力が高い。理由があるならそれだけだ。加えて言うなら」

    レナードはバンデラスに視線を送る。
    バンデラスはうなずき、指先に小さな火を発し、手で銃の形を作ってレナードに向けて撃つ。

    「もう1つの」

    レナードは飛んでくる火の方に右手を伸ばし、触れる前に空中でかき消した。

    「これも、エーテル制御によるものだ」

    レナードは伸ばしていた右手を、今度は正面のグレゴリーに向け、その掌を地面に向ける。
    すると、地面から像が、生えるように伸び上がってきた。
    それは羽を広げ膝を抱えて眠る女神像だった。
    さらにはその像の意匠の悉くは精密で、知らない女神ではあったが、博物館にあるような像と差異が無いほどに精巧だった。

    「これも単純な話」

    レナードはまた、淡々と告げる。

    「普通に、誰もがやるのと同じ様に魔力を操って」

    レナードがそう言うと、その像が、頂上から崩れていく。
    それはヒビ割れて崩れ落ちるのでもなく、砂となって崩れ落ちるのでもなく、消滅に近い形で霧散して行く。

    「魔力塊である魔法を破壊しただけだ」

    レナードが力強く、突き出していた掌を握る。
    ゆっくりと消えて行っていた像は、一瞬で、霧のように消え失せた。

    「だが所詮こんなものは曲芸だ、派手に映るかも知れないが実質それほど大したことじゃない」

    レナードは肩で息をつく。
    なぜか、その表情は哀しげだった。

    「以上だ。これ以上の解答は思い付かない。もう時間がギリギリだ、サン、行こう」

    レナードはエルリスを担ぎ、背を向ける。
    サンも同じようにして、セリスを担ぐ。

    「では、教授。失礼します」

    「うむ。気をつけてな」

    レナードはうなずき、サンと共に走り出す。
    それは速く、一瞬で遠くに。
    足場も悪い森の中を、時速40キロ以上という、ヒトの身体における最速機動を超えた速度で。

    「………」

    グレゴリーは眺めていた。
    樹の陰にちらちらと見え隠れし、遠くなって行く後ろ姿を、目を見開いて眺めていた。

    「………」

    何を言うでもなく、眺めていた。

    「………信じられんじゃろう?」

    バンデラスが、グレゴリーに声をかける。
    その視線はもう見えなくなったレナードに向いていた。

    「儂も信じられんかった。あれは軽んじておるが、雷を操り、瞬時に魔法を破壊するなど神憑り的なエーテル制御じゃ。
    儂はこの半世紀の間に多くの才能を見てきたが、それでも、御伽噺の統一王の転生、あるいは生き神かと思うた」

    「………」

    「お前は転入して間もない頃、儂に問うたの。なぜレナード・シュルツを後継に選ぶのかと」

    「………」

    「あれが答えじゃ。魔法の全五法も統括する世の理、天の城たる第六法に最も近い最兇の破壊者にして入神の創造手。考えうる限り、あれ以上の者は存在せん」

    グレゴリーは強く歯軋りする。
    眼は血走り、血管は猛り、鬼の如き表情を浮かべて。






    ―――グレゴリー・アイザックスは西方大陸の出自だった。
    西方大陸は統一王文明終焉の舞台とされており、統一王時代の遺産が数多く出土するが、そのほとんどは荒涼とした荒野と砂漠が続く、厳しい環境の大陸だ。
    統一王文明の終焉と共に焼き尽くされた西方大陸の現在の文明のレベルはお世辞にも立派とは言えず、栄華を極めた文明の名残は潰え、今や魔科学どころか魔法すら浸透していない。
    彼はそこの小さな村落の生まれだった。

    グレゴリーには才能があった。
    幼少の頃から、数少ない魔法を使える大人から魔法を学び、その能力は背丈が伸びるに伴って高く伸びた。
    14歳を越える頃には大陸随一とされる腕前になり、熟練の騎士と相対しても傷一つ負うことはなかった。
    グレゴリーは将来を嘱望され、自身もこの荒廃した大陸を復興させるため、自らを役立てようと望んでいた。

    しかし、そんなある日、グレゴリーは見た。

    それは10メートルにも及ぶ巨大なヒトの形をした金属の塊だった。
    グレゴリーはこんなものが自らの祖国、それも生まれ故郷のすぐ傍に埋まっていたことに驚愕し、同時に興味を持った。
    彼は発掘を行っていた中央大陸の技術者に、この巨大な金属は何なのだと尋ねると、統一王文明の自動機械だと教えられた。
    戦闘を行う為のヒト型の機械で、最盛期に数十機製造された内の、残存する数少ない内の一機なのだと。
    グレゴリーは驚いた。こんなものがこの世に存在していたのかと。
    そして、驚嘆に踊る彼はさらに驚いた。
    その機体が運ばれて行った先は、なぜか丘の上に停まっていた物凄く大きな船で、しかもそれが浮いていたのだから。
    グレゴリーは技術者に再度尋ねた。どうして船が飛ぶのかと。
    技術者は答えた。これは飛行艇と呼ばれるもので、統一王時代の中でも最後の艦船なのだと。

    正直な話、グレゴリーには技術者の言っている言葉の意味が、全く理解出来なかった。
    技術者達は、しかし基本的な理論や運用方法は解明されていても具体的な作動原理は全くと言っていいほど解明されていないと笑っていたが、けれどグレゴリーには簡潔に説明されたそれさえも理解出来なかった。
    グレゴリーは最後に尋ねた。貴方達はどこの国の技術者なのですかと。
    技術者達は誇らしげに答えた。世界最高の技術を保する新興技術国家、ビフロスト連邦の技術者だと。

    グレゴリー・アイザックスは今も思う。
    その日、自分は導に出会ったのだと。

    その後、単身グレゴリーはビフロストへ渡った。
    アレほどのものを見ながら、火が灯らない筈もなく、祖国を想うなら目指さなければならない世界があると知りながら、そのままでいられた筈も無かった。
    彼はビフロストの最高学府である中央魔法学院を目指した。
    彼は祖国では優秀だったが、魔科学の進むビフロストでは幼稚園児にすら劣る事実に愕然としながらも、しかし持ち前の優秀さと勤勉さで2年の歳月をかけてビフロストを学び、中央魔法学院への入学を果たした。
    その入学試験において、彼は次席だった。
    グレゴリーは負けたことに、しかし当時は逆に感嘆を覚えた。
    2年の歳月をかけてひたすらに学び、完璧と思える成果を出したのに、それを上回る者がいた。何とも素晴らしい事だと。
    そして彼は探した。自らを上回る主席、レナード・シュルツを。羨望と期待を込めて。

    ―――そして彼は見つけた。
    その背中を。




    「なぜだ?」

    グレゴリーはつぶやく。

    「なぜ、貴様は………」

    もう姿が見えなくなったレナードを見つめながら、つぶやく。

    「なぜ………」






    ◇ ◇ ◇ ◇








    演習場の森の木陰の下で、マシュー・バンデラスは、青臭いことをのたまっている生徒の後ろ姿を眺めていた。
    彼は眼前の生徒のことを覚えていた。

    1年前に、遥か遠き西方の大陸より転入してきたグレゴリー・アイザックスだ。
    男にしては細身で小柄、金の髪に女のように可愛らしい顔つき、それを隠す為かオールバックというおよそ10代らしからぬ髪型、そして翠の瞳。
    文武に長け、性格は実直で勤勉、真面目すぎる嫌いがあるが向上心と自立心は高い。
    魔法にも優れ、エーテル、制御能力共にかなり上位であり、尚且つ心の芯が揺らがない。
    少々常識外の事態に弱く、ペースを握られると途端に情けなくなるためカリスマ的資質には乏しいが、総評として、優秀、の一言に尽きる。
    2年でここまで這い上がってきた才能を鑑みれば、天才とも呼べるだろう。

    マシュー・バンデラスは、彼、グレゴリー・アイザックスを知っていた。
    けれど知っている素振りを見せなかった。

    「グレゴリー・アイザックス」

    しかし今、彼はその名を呼んだ。
    名を呼ばれたグレゴリーは驚きに眼を見開いて振り返り、呆然とバンデラスの顔を眺めた。

    「なにを間の抜けた顔をしておる?」

    「い、いえ。しかし、今、教授俺の名を………?」

    「何を言っとる、当然覚えておるぞ。グレゴリー・アイザックス。11年生7組出席番号7番」

    バンデラスは、ぽかんと口を開けているグレゴリーを見て苦笑する。

    「まぁ、その辺のことはどうでも良い。………さて、グレゴリー・アイザックス」

    バンデラスは再びその名を呼ぶ。
    呼ばれたグレゴリーは、眼前の老翁を真剣な表情で見据え、その言葉を待つ。

    「魔科学に執心しておるお前は、レナード・シュルツを忌々しく思っておるな?」

    グレゴリーは少し眼を伏せた後、ややあって顔を上げ、静かにうなずいた。

    「しかしお前は、レナード・シュルツに未だ及ばんことを悔やんでおるな?」

    グレゴリーはうなずいた。
    バンデラスは、少しの間考える素振りを見せ、ややあって重々しくうなずき、告げた。

    「では、あえて言おう。レナード・シュルツがおらねば、儂は後継としてグレゴリー・アイザックスを選ぶと」

    グレゴリーは発言の意図を掴めず、眉をひそめて睨むようにバンデラスを見つめる。

    「それは………どういう、意味ですか………ッ!」

    怒声のこもる声を押し殺しながら、平静を装って、しかし猛々しく言う。

    「俺がシュルツに劣るという宣言ですか? それとも勝ちたければ奴を殺してでも排除しろという殺人教唆ですか?」

    バンデラスは、苦笑混じりに笑う。

    「それはちょいと穿ち過ぎじゃの。儂は単に、レナードに見せ付けられたお前があんまり情けなかったから事実を伝えただけじゃ。儂はお前にも注目しとると」

    「………ですが。この場合、意味が無いですよ」

    「拗ねるな、仕方あるまい。レナード・シュルツは特別じゃ。どうあってもあれに勝てる筈も無い」

    グレゴリーは、悔しそうに歯を噛みしめる。
    その様子を見て、バンデラスは尋ねる。

    「ふむ? あれほどのものを見せられても、やはりそれは不満か」

    「当然ですッ………!」

    「くく、諦めの悪い小童じゃのう」

    バンデラスは苦笑し、ゆっくりと空を見上げ、瞼を閉じる。
    折れるも曲がるも知らぬというのは刃の如く、何とも素晴らしきかなと思いながら。

    「バンデラス教授」

    声がして、バンデラスは瞼を開ける。
    綺麗な青空と白雲が見えた。森の中でも感じる風は、春一番だろうか。

    「教授は、エーテル制御は努力に因る割合が高い、と常々仰られています」

    「如何にも」

    バンデラスは空を見たまま答える。
    今は顔を見ず、声だけを聞こうとして。

    「では、シュルツのあれは何だと言うのですか。エーテルは上位にあるというのに、それに反比例どころか累乗したようなあの制御能力。あれは才能ですか? それとも努力の結果ですか?」

    「どちらも否」

    グレゴリーの語気に、強い勢いが付く。

    「では何ですか。才能でも努力でもないのなら、奴が禁忌に触れたからとでもッ!?」

    「………禁忌、か………ふむ」

    バンデラスは苦笑する。

    「面白い事を言う。そうじゃの。禁忌といえば禁忌なのかも知れん」

    「なら教えてください。なぜ、奴はあれほどの制御能力を身に付けられたのか」

    「ほう、禁忌に触れようというのか」

    「それが最終的に最善と判断出来たのならば」

    「踏み止まるつもりはあるわけか」

    「当然です。最終的な目的を見誤っては意味が無いですから」

    「祖国の為か。愛国心じゃの」

    バンデラスは楽しそうに笑う。
    ひたむきなクセに、おそらくは道を違える事は無いグレゴリーを好ましく思う。
    同時に、だからこそあれと相容れないのだろうと思いながら。

    「気が変わった。お前がお前の言うその禁忌とやらに気づいたならば、お前を儂の後継として選ぼう」

    「…………え」

    グレゴリーは言葉の意味が理解出来ず、ぽかんと口を開ける。
    バンデラスはその顔を見て苦笑する。どこか憂愁の色を浮かべながら。

    「前々から考えてはおったのじゃ。確かに、能力から見ればレナードに勝る者はおらん。が、しかし、同時にあれは最も不適格でもあるのじゃ。お前の言う、禁忌とやらのせいでな」

    しかし自身は既に今年で齢75。
    余命幾許かも無く、自身が積み重ねたものを新たに託せる時間は極僅か。
    次第に動かなくなっていく身体、朽ちていく思考、老いていく精神。
    今さら別の者に新たに託そうなどというのはひどく困難な話だ。
    だが、気が変わった。
    今目の前に、ちゃんと才能があるのだから。

    「再度宣して確約すると誓おう。その禁忌に気づいたならば、お前を儂の後継に選ぶと。
    そして問おう、グレゴリー・アイザックス。お前は、レナード・シュルツの禁忌とは何だと考える?」

    バンデラスは告げる。

    「解答から考えた儂と違い、疑問からの推測になるがグレゴリー・アイザックス。お前はおそらく先刻既に、解に繋がる疑問を幾つか得ておる筈。それらを想起し、その疑問を得たのは何故かと考えよ。
    ………さぁグレゴリー・アイザックス。時間は掛かっても構わん。お前は、それは何と考える。
    儂が死ぬまでの間に答えられたならば、儂は儂の人生における最後の誓約を果たそう」

    バンデラスは瞼を閉じ、そして、時を待った。







引用返信/返信 削除キー/
■163 / inTopicNo.10)  「Β 静かな日々」G
□投稿者/ 犬 -(2005/03/13(Sun) 17:53:40)
    2005/03/13(Sun) 17:54:15 編集(投稿者)





    演習場の森の中、少しだけ木々が開けた広場に、サンとレナードはいた。
    ここはレナード達チーム5人が決めている合流ポイントだ。
    レナード達はその単独行動力の高さからチーム行動を取らない事があるが、それでもチームとして組んでいる以上、一応はチームとして出発・帰還しなくてはならない。
    そのため、出発・帰還ポイントの近く、誰も近寄らなさそうな位置で合流してから帰ることにしている。
    これはレナードやサン、ミコトにとってはずっと前から、アデルやルスランにとっては昨年からの決まりだ。


    「意外とみんな、時間を食っているみたいだな」

    切り株に腰かけたレナードは言った。
    サンとレナードは一度ハーネット姉妹を帰還ポイントまで運んで、それから戻ってきていた。
    そのため、今し方合流時間を回ったばかりではあるが、待つ事になるとは思っていなかった。

    「もう集まっていると思ったんだが」

    それを聞いて、サンが顔を上げる。
    サンはレナードの右膝の上に横向きに座り、彼に左肩を見せている。

    「ミコトは探すのヘタだし、アデルは甘いし、バカは選り好みするから」

    「はは………そうだな」

    レナードは思わず苦笑する。
    サンの言うことは的を得ていた。
    3人とも強いが、やはり個々で短所があるのだ。
    それは勿論、サンもレナードもではあるのだが、こういう訓練では彼らの短所は目立たない。

    「まぁ心配は要らないだろう。それより、今日はどうするんだ? 来るか?」

    「うん。行く」

    サンはレナードの方を向いて、顔をほころばせる。

    「一ヶ月振りだから。一緒にいたい」

    「そうか。分かった、なら今日は豪勢に行くか」

    サンは尻尾を振りながら笑顔を見せる。
    と、何かに気づいたかのように視線を別方向に向ける。
    レナードもそれに気づいてサンの視線の先を追うと、何かが近づいてくる感覚を得た。

    「1人か」

    「うん。バカが来た」

    2人してずっと森を見つめていると、次第に金髪と茶色の服の姿が見えてきた。
    ルスランだった。ルスランは大振りに手を振って駆けて来た。

    「おおお! 流石はオレ! サンちゃんドンピシャじゃねーか!?」

    ルスランは腕を広げてサンの元に走って来る。

    「サンちゃ〜〜ん! 年明けから3センチも増量したその乳にオレの顔をうずめさぐぶッ!?」

    奔って来るルスランの顔面に、サンのカウンターのドロップキックがめり込む。

    「ぎゃぁぁぁぁああ!? オレの美顔が平面化ッ!?」

    「う、うるさいッ! なんで私の胸のコト知ってるッ!?」

    赤面するサンに向かって、ルスランは鼻血を垂らしながら、フッ、と笑った。

    「そりゃあ、オレの脳にインプットされたサンちゃんのバストサイズ・形からの測定結果からに決まってるだろー? オレがサンちゃんの乳に関して分からないのは揉み具合のみだぜ?」

    わきわきと空中で何かを揉みつつ、ルスランはサンに近寄る。

    「〜〜〜〜〜ッ!?」

    サンは顔を真っ赤にして、両腕で胸を隠しながら後ずさりする。
    ルスランはバカ丸出しで誇らしげに言う。

    「ふ。オレの審乳眼をナメんなよー!
    ちなみにサンちゃんは高等部に入ってから加速度的に発育中! 形良し色良しで将来への期待大ッ!!
    アデルちゃんは最近ようやく膨らんできたけど、多分このままペッタンコロリっ子路線まっしぐら!!
    ミコちゃんは既にあのデカさなせいか、ほぼ成長停止中! むしろ冬休みより1センチ減ったねアレは!!」

    うんうんとルスランはうなずく。
    サンはレナードの後ろに隠れて、赤面涙目でバカを睨んでいる。
    ルスランは仰々しい身振りで、レナードに向かって言った。

    「さぁレナード! お前も聞きたいことがあったら聞いてくれたまへ! 少なくともクラスの女子のバストサイズなら完璧網羅中! サイズだってセンチ単位なら誤差ゼロだぜ!?」

    「そんな信憑性のない話に付き合っていられるか」

    「ナニィ!? 信憑性が無いだとぅ!? じゃーサンちゃんの胸のコトどう説明するよ!?」

    ルスランは仰々しい仕草でサンとレナードの背後に回り、後ろから2人の肩に手を乗せる。

    「触るな、ばか」

    「へっへっへー」

    サンが嫌そうに眉をひそめる。
    それに対してルスランは笑みを浮かべ、サンの耳元に顔を寄せて小声で囁く。

    「胸がこんだけ急成長したの、去年の夏からレナードと乳繰り合いまくってるせいだろ?」

    サンの頬が火が灯った様に紅潮し、口をパクパクさせながらルスランを見上げる。

    「なっ、なっ、なっ………!?」

    「なんで知ってるかって、んなの訊いちゃダメだぜサンちゃん? オレからしたら、誰も気付いてない方がビックリだ。いやー、ビフロストって性は進んでねーのなー?」

    「いや、単にサンと俺とがそういう関係だと結び付けられないだけだろう」

    レナードがぽつっとつぶやく。
    ルスランは首をかしげる。

    「何でだよ? ビフロストじゃ異種間の結婚ってタブーじゃねーだろ?」

    「け、けっこンッ!?」

    「サンちゃんが獣人ったって、尻尾生えてるぐらいだし」

    ルスランはちらりとサンのお尻辺りに視線を移す。
    形の良いお尻のやや上から、白いふさふさの毛の生えた尻尾が勢いよく振れていた。

    「いや、サンが獣人だからではなく、おそらく以前と態度が変わらないから気づかないんだと思うが」

    「そうか? まぁ、確かにお前とサンちゃんの仲ってずっと変わってないけどさ、オレは分かったぜ? アレだろ、9月4日だろ?」

    「な、な何がっ!?」

    いつになく取り乱して吃りまくるサンに対し、ルスランはわざとらしく厭らしい笑みを浮かべ、分かりやすい発音で言った。

    「初エッチ」

    「なっ、待っ、違ッ!」

    「そうだ」

    「レンッ!?」

    サンの赤面は度を超し、耳まで赤みを帯びていく。

    「やっぱりかー。ちなみにどーゆー経緯で?」

    「俺は夏休み中ずっと出かけてたんだが、帰って来て見れば不法侵入したサンが寝室で半泣きになって拗ねててな。慰めてる内にサンが」

    「あー! あー! ダメー! 言っちゃダメー!」

    サンはレナードの正面に回り、発言を止めようと飛び上がる。
    それをルスランが羽交い締めにして持ちあげ、拘束する。

    「―――慰めてる内にサンちゃんが?」

    「唐突にキスしてきて、しかも舌を」

    「あああああーーーー!!」

    サンがバタバタと手足を振り動かして暴れながら、レナードの声を打ち消そうと大声で叫び立てる。

    「―――舌を?」

    「なんというか、唾液と一緒に捻り込むように」

    「ひあっ………?」

    レナードはサンの頬に手を当て、顔を上げさせ、顔を近づける。

    「あ………う、あ」

    「サンは初めてだった筈なんだが、それはもう積極的というか情熱的というか」

    レナードはルスランからサンを受け取り、抱え上げて胸に抱く。
    サンはホッとしたような、残念そうな表情を浮かべて息をつく。

    「10分近くそのまま、ひたすらディープキスを」

    「ち、違ッ!?」

    「10分もか」

    「10分もだ」

    「ちーーがーーうーーー!!」

    抱き上げられたまま、サンが頭を左右に振りたてまくる。

    「で?」

    「思考回路が蕩けたサンが―――真夏で暑かったからか下着上下とも着けてなくてな」

    「下着ナシ!? マジかよ上下ともッ!?」

    「着けてた着けてた着けてたーーー!!」

    サンはじたばたと暴れて、レナードの胸を叩く。

    「キスに満足したらしく嬉しそうに擦り寄ってきて、俺の胸に頬ずりしながら」

    「ダメェェェ――――ッ!!」

    「む―――」

    サンが両手でレナードの口を押さえる。
    そして肩を揺らして息をしながら、真っ赤な顔で振り返る。

    「今の嘘。全部嘘。嘘ったら嘘でとにかく嘘で嘘」

    ルスランは楽しそうに笑いながら、サンの頭を撫でる。

    「別にいいじゃん。サンちゃん、寂しかったんだろ?」

    「寂しくなんかないっ! 獣人領に帰ってたり妖精とか魔族の土地にも行ったりして忙しかったから別にっ!」

    「で。ビフロストに戻って、気づけばレナードが隣に居ないと」

    「寂しくないったらないっ!」

    急にサンの瞳が潤み始める。
    ルスランは苦笑する。
    昨年の夏の事を聞いてるのになぜか現在形で否定する、ある意味素直な混乱っぷりを微笑ましく思いながら。
    ルスランは皮肉げにレナードを見る。

    「寂しさを頭で理解出来ないのは、獣人の性か、サンちゃんの性なのか、どっちかねぇ?」

    「――――」

    口を押さえられているレナードは答えず、ただ微笑だけを零す。
    ルスランは、そっか、と頷いて、乾いた笑みを浮かべてレナードを見据える。

    「それなら寂しさを理解出来ないのって、不幸なことか、それとも幸せなことなのか。どっちだと思うよ?」

    レナードはサンを降ろす。
    自然、背が届かないサンの手はレナードの口元から離れる。

    「その寂しさが後に報われるか、報われないか。それにも因る」

    「…………」

    ルスランは無言で息をついて、サンの頭を撫でる。

    「この春休みも置いてけぼりだったんだろ? 可愛がってもらいなよ」

    「う、うるさい、ばかっ。触るなっ。撫でるなっ」

    嫌そうにしながらも取り立てて抵抗しないサンに、ルスランはからかうように笑う。
    そして、立ち上がり、後ろを振り返る。

    「2人も到着だな」

    3人それぞれ、森の奥を見つめる。
    緑の森の中、2つの人影が走って来る。
    その2人はこの小さな広場の端に着くと走るのを止め、肩を落として歩いてきた。

    「あー。つ・か・れ・たー………」

    「そうですね………」

    その2人は、ミコトとアデルだった。

    「遅かったが、何かあったのか?」

    2人の様子を見て、レナードが尋ねる。

    「んー。途中でさぁ、敵と間違えてデルとやり合っちゃってね………」

    「なんで? アデルちゃんの方はエーテルの感知得意だろ?」

    ルスランが首をかしげるが、アデルは首を振る。

    「あたしは位置情報の把握が得意なだけで、個人の特定は不得手ですから。それに、ミコトちゃんのは判りにくいじゃないですか?」

    「あー。確かに、ミコちゃんのは何かモヤモヤしてて動物なんだか人間なんだか判りにくいもんなー」

    「何よそれ。わたし、それなりにはエーテルある方よ?」

    「いや、大小とかじゃなくってさ。なんつーか………って、その前に帰らねーか? 時間も圧してるし」

    「んー、それもそうね。待たしちゃったし、帰りますか」

    ミコトは背伸びをして、帰還ポイントへ向かって歩き始める。
    追って、ルスランやアデルも歩き始める。
    続いてサンも歩き出し、しかしふと立ち止まって別の方に視線を向ける。

    「レン」

    呼ぶと、レナードがサンの傍に立った。
    レナードも同じ方向を見ている。

    「分かるか?」

    「ううん。でも、嫌な感じ」

    「そうだな」

    レナードは銃を抜き、撃鉄を起こして、森の奥の方に銃口を向ける。
    引き鉄を引くと、空気を貫いて弾丸が森を飛びぬけていった。

    「消えた」

    サンがそうつぶやくと、レナードはうなずき、銃を収める。

    「留意しておく必要があるな。今後もあるようなら――――」

    「おーい、レナードー! サンー!」

    遠くからミコトが2人を呼ぶ。

    「どうしたのー? 置いてくよー?」

    サンとレナードは一度互いの顔を見合わせ、早足でミコトの後を追った。









    ◇ ◇ ◇ ◇







    レナード達5人が集まっていた広場から数km離れた場所、森全体を見下ろせる小高い丘の上に、3人の人間がいた。
    石をイス代わりに座っている1人は、青い髪を全て真後ろに靡かせた無骨な感じの男。おそらく20代後半といった若さながら、感じる雰囲気は酷く堅く剣呑としている。肩にかけた長槍の穂先の両側には三日月状の刃が付いており、使い込まれた鋭い刃は傷だらけで鈍い光を放っている。
    腕を組んで立っている1人は、長くストレートな赤い髪を腰まで下ろした、妖艶な雰囲気を漂わせる美女。薄く笑みを浮かべている彼女の両の腕に備えられたナックルガードには、茶色い染みがこびり付いている。
    膝と尻を地につけず両膝を立てて座っているもう1人は金髪の青年で、少年のような柔らかい表情を浮かべたその腰のベルトには、木製の剣の柄だけが2つ差されていた。
    3人とも腰から下が大きく開いた蒼色のコートを羽織っており、青髪と赤髪の2人のコートの縁には金の刺繍がされてあった。

    「何mあった? あの子達からアンタの使い魔まで」

    赤髪の女性が、前に座っている金髪の青年に尋ねる。

    「40ちょいかな。銃ってあんなに射程距離あるもんだったっけ?」

    「まさか。普通は20が良いトコよ、40なんてありえない。最新型にしたっておかしいわ」

    「ふーん。ま、どっちにしたってあの射撃手は凄いね」

    金髪の青年は子どものような、屈託のない笑みを浮かべる。

    「あ、ちなみに。僕のアレは使い魔じゃないよ。使い魔の定義自体が広義的で混同されやすいけど、本当の使い魔って統一王時代に生み出された擬似生命体で、魔族の法体系を取り入れた信じられないくらい高度な技術で創造されたんだ。有名なのが人型のホムンクルスっていうさらにケタ違いの技術力の―――」

    「あーハイハイ。その辺どうでもいいわ。私達は魔法使わないから」

    赤髪の女性は手をひらひらとさせながら、興味なさそうに言った。

    「そう? それは残念。色々と便利なのに」

    「私達クロイツに小手先の魔法は不要よ。自らを高めるだけの純戦闘力しか要らないから」

    「逆でしょ。だからこそのクロイツなんじゃない」

    言われた赤髪の女性は笑みを浮かべ、数歩前に歩き出し、森を見下ろした。

    「それにしても粒揃いね、ここの子達は。本当に16歳かしら?」

    「確かに。10人以上即戦力になるレベルがいたね」

    「ええ。特に、さっきやり合ってた茶髪の子達の片方………私と同じスタイルだったわ。見たことのない流派だったけど、とても洗練された実戦闘用の武術」

    「蓬莱の武術だ」

    石に座ったまま黙っていた青髪の男が、つぶやくように言う。

    「如何なる武器・魔法をも使用する相手に対し己が肉体のみで立ち向かうが当然という理念の元に編み出された対武器・魔法格闘武術、と聞いている」

    「へぇ。それはますます好みね。あの子可愛い顔してたし、是非欲しいわ」

    赤髪の女性は楽しそうに笑う。

    「ま、それは置いとくとして。アンタはいいの、ティベリオス?」

    赤髪の女性に呼ばれた青髪の男は、訝しげに視線を上げる。

    「何がだ?」

    「アンタ、子どもとか相手すんの嫌がるでしょ? 抜けるのは構わないんだけど、途中でってのは困るから」

    「………後でも先でも、抜けるのは問題なんだけどなぁ」

    金髪の青年は苦笑しながらぼそっとつぶやいた。

    「別に抜けるつもりは無い」

    ティベリオスと呼ばれた、青髪の男は立ち上がる。

    「相手は魔族だ。それも、危険度は群を抜いている。そんな相手に子どもも何も無い」

    「ならいいけど」

    つと、森の中から猫が現れた。
    その猫はゆったりと歩きながら、赤髪の女の足元に歩み寄り、そのまま女のすぐ傍に座った。
    赤髪の女は屈んで、優しく猫の頭を撫でる。

    「アイルルスちゃんは、優しいものね?」

    ティベリオスは眉をひそめる。

    「前々から何度も訊いているが、アンナ。アイルルス、とは何だ?」

    アンナと呼ばれた赤髪の女性は、少しいじ悪く笑って口元に指を当てた。

    「前々から何度も訊かれてるけど。教えてあげない」

    「………アンナ」

    「いいじゃない。愛称みたいなもんなんだから気にしないの」

    「せめて、ちゃん付けは止めて欲しいが」

    「やーよ。ちゃん付けないと可愛くないもの」

    渋面するティベリオスをよそに、アンナは猫を抱えて立ち上がる。

    「アンナさんって、猫に好かれるんだ?」

    金髪の青年はアンナの胸元でじゃれる猫を眺める。

    「ええ。でも、ティベリオスも好かれるわよ」

    「へぇー。それは意外」

    「でしょう? あ、でもね、私が動物に好かれるのって生まれつきじゃないのよ。10年くらい前だったかな、なぜか急に好かれだしたの。ふふ、教会じゃ悪女って呼ばれてるのにね?」

    「血濡れの狂拳アンナ・ベルゼルグ、駆ける孤狼ティベリオス・リューフ、だったっけ。
    確かにそんな物々しい渾名が付いてるから、正直もっとイカレた人だと思ってたよ」

    「実際会って見て、どう?」

    「美人で優しいお姉さんと、寡黙だけど実直なお兄さん、かな?」

    「あはは、嬉しい事言ってくれるわね。私達の戦いっぷりを見てもそんなこと言えたら、焼肉奢ってあげるわ」

    青年の微笑が少し、引き攣る。

    「………あー。やっぱり、その。か、過激?」

    「首が変な方向に曲がって頭蓋骨が粉砕する音がする、腕とか脚とか頭が飛ぶ、胴体に風穴開く、くらいは覚悟しといた方がいいかもね」

    「噂って、わりと当たってるものなんだね………」

    乾いた笑みを浮かべる青年をよそに、アンナは胸の猫の頭の上で指をフラフラさせて、猫とじゃれていた。

    「まぁ、ともかく。作戦の再確認をしようか」

    青年が話を仕切り直す。

    「教会の非公式の対魔法犯罪及び対異種族部隊である業の十字架、通称クロイツ所属のティベリオス・リューフ、アンナ・ベルゼルグの2名は3日前に指令を受け―――」

    「かっ飛ばしていいわよ、レイスくん。そんな堅苦しい面倒な建前」

    「いや、一応ね? 僕、監査役でもあるわけだしさ」

    「それもかっ飛ばさない?」

    レイスと呼ばれた青年は頭をポリポリと掻いて、少し考えて、小さく息をついた。

    「………えーっと。色々かっ飛ばして、作戦内容。”ビフロスト中央魔法学院に魔族潜入の疑いアリ。諸君ら3名はこれを判別、完全に滅せよ”」

    アンナは気難しそうな顔をしながら、頭をかく。

    「随分アバウトよね。疑いアリ、判別して滅ぼせか」

    「しかも危険度のランクは最上級だ。それに、この学院で嗅ぎ回るのも難しい」

    ティベリオスが言うとアンナは、そうね、と相槌を打った。

    「獣人の子はともかく、普通の人間の子にも何人か違和感持たれちゃってたものね。最後には気づかれてやられちゃったし。レベル高いわ、ここの子達」

    「どうする? そもそも教会の者がこの国にいることはかなり拙い」

    「気づかれると野宿と逃避行は覚悟ね。………というか、さっき宿で魔族同士がチェスやってたりしてたけど無視って良かったの、アレ?」

    「任務最優先、だよ」

    レイスはぼやくように言う。

    「それにアレは国柄なんだって。信じられないけど、この国じゃ魔族は”ちょっと珍しい外人さん”程度の認識みたいだから」

    「………他の国じゃ、殺傷事件とかなんてザラで関係最悪なのにね」

    アンナは肩をすくめる。

    「お互いのことを知り合えば、共存は可能だという考え方らしいな。………甘いことだ」

    「私もティベリオスと同感ね。絶対に無理って事はないのかも知れないけど、別の生き物である以上、相容れないことは必ずあるわ。何でもかんでも受け入れていると、後で絶対に痛い目を見る」

    「そうだね」

    レイスはうなずく。

    「20年前にビフロストと袂を別った教会としては、本心言うとこの国がどうなろうと彼らの責任だからどうでも良いんだけど。
    危険な魔族が蔓延ってるとなれば話は別だ、看過するわけにはいかない。下手をすれば、この国を乗っ取って世界中に影響を与える可能性もある」

    「………で、それを防ぐ為に私達が来てるんだけど」

    アンナは髪をかき上げる。

    「八方手詰まりだな。中央魔法学院の16歳と言ったところで、200人を超える。男か女かも不明だ」

    「しかも潜入している以上は外見的な特徴は皆無、簡単ラクチンな判別方法は無し」

    「何らかの”人間では有り得ない反応”を見せる以外にその判別は不可能だ」

    「200人全員ストーキングしてそんなワケ分かんない反応するまで待ってみる?」

    「その前にこちらが捕まるな。しかも人数的にも時間的にも非現実的だ」

    唸りながら考え込む2人を眺めながら、レイスはぼやく。

    「2人共、掛け合いの息が合ってるなぁ………」

    レイスは気を取り直して、咳払いする。

    「ごほん。あのさ、2人とも。なんで魔法を使わないクロイツに、魔法を使う僕が派遣されてきたと思ってるの?」

    「監査役でしょ? 純粋な戦闘力じゃ私達の手綱を握れ切れない、だから魔法に特化したアンタが、でしょ?」

    「半分はそうだけど。………まぁ単刀直入に言うと、僕に考えがあるんだ」

    レイスは少し得意げに胸を張る。
    しかし、アンナは眉を上げる。

    「考えあるんだったら、どうして早く言わないの?」

    「いや、だって。2人してずばずばと考えだすから………」

    「アンタね、そういうのは良くないわよ。言う時にきちっと言わないと、彼女出来ないんだから」

    「え、いや、………ともかく。作戦がありますので聞いてください」

    「ずっと聞いている。御託はいいから早く言え」

    「いや、だって。こういう仕切りはちゃんとするもので………」

    「自分のものではない考え方に頼るのは愚鈍で怠慢だ。常識という言葉で論ずる男は情けないぞ」

    「え、いや、………はい。………え?なにこの扱われ方?僕、監査役なん―――」

    「「いいから早く」」

    「―――はーい」











    「俺は正直、気乗りしないな」

    考えを説明された後、ティベリオスはそう言い放った。

    「それに、事を荒立て過ぎると問題になるぞ」

    「それは大丈夫。元々この国と教会の仲は最悪、これ以上悪くなるわけはないし、証拠が無ければどうしようもないよ」

    レイスの言い草に、アンナはムッと眉をひそめる。

    「捕まらなければそれで良し、っていうの?」

    「大と小を天秤にかける、っていうことだよ。まさか、今さら理想論なんて持ち出さないよね?」

    「それはしないけど。私も気乗りしないわ。確かにそんな判別法があるのなら、全員一気に篩いにかけるその作戦が一番有効だとは思うけど」

    釈然としないのか、アンナは苛立たしげに悪態をつく。

    「まったく………危険度最高のクセになんで3人だけなんだか」

    「一応は応援が来る手筈だけど、アテにはしない方がいいよ。世界は広くて教会の人員は少ないから」

    「仕方が無いわね。私は乗るけど、ティベリオス、アンタはどうするの?」

    アンナは説明されてからこっち、ずっと渋面を続けているティベリオスに尋ねる。
    ティベリオスはさらに渋面して、しかしうなずく。

    「………一度に何個もの林檎は掴めん。他に方法が無いなら仕方あるまい」

    「途中でヤメは無しよ?」

    「当然だ。やるからにはやり遂げる」

    「あら頼もしい。………で、作戦開始の日時は?」

    レイスはメモを取り出し、読み上げる。

    「明後日の水曜日、今日彼らがやった訓練を北の断崖の麓の森で行うらしいよ。開始は1000。作戦の開始はその同時にしよう」

    「新学年早々、悪いことしちゃうわね」

    「仕方ないよ。って、さっきからコレばっかり言ってるなぁ………」

    レイスは苦々しい顔をしながら頬をかく。

    「世界は俺達人間など見てはいない。だからこそ世の中は不条理だ。割り切るしかないだろう」

    「辛味があるから甘味もあるってコト?」

    「なら、私は甘党だから甘いのばっかりでいいわ」

    そう言い切るアンナに対し、レイスは苦笑する。

    「みんな甘党だよ。だから辛いのがダメなんだ」

    ティベリオスは、小さくつぶやいた。

    「………世知辛い世の中、か」







    ◇ ◇ ◇ ◇






    ヘイムダル市街区、その小高い丘の上に学院の学生御用達のカフェがあった。
    マスターが趣味でやってる店で、なかなか洒落た店で味が良いながら値段が破格の安さであり、下手に家で自炊するより安く上がるほどである。
    カフェの入り口にはリンチ・カフェという看板が掲げられており、内装は円状のカウンターを中心としてホールが左右に別れている。
    左側はアンティーク調の落ち着いた雰囲気、右側は色とりどりの色彩を散らせた学生用の明るい雰囲気の内装となっている。

    その右側のホールの店外のテラス部分に設置された1番見晴らしの良い席にレナード達は陣取り、飲み物を飲んでいた。

    「いや、なんつーかさ。誤認しやすいんだよ。感覚的なもんだから言いにくいんだけど」

    レナード達は演習場の森の、合流ポイントの広場での話の続きをしていた。
    ミコトのエーテルがモヤモヤとしていて感知しにくいという話だ。

    「波長っつーのか、それがふわふわと変わるんだよ、ミコちゃんのは」

    「そうですね、そんな感じです。判る時は判るんですけど、別のモノだって先入観入っちゃうと、後はもう視認しないとダメです」

    「………ふーん?」

    ミコトはルスランとアデルの説明がよく分からないのか、曖昧に相槌を打つ。
    エーテル感知能力というのは後天的な、訓練などで身に付く歴とした技能だ。
    あらゆる生命から洩れ出すエーテルを感知し、死角にいる生命体の察知から相対距離の把握、個人の特定やある程度の相手の情報の取得などを行える。
    また、相手の挙動や魔法の察知に関してもこの技能が使われるが、この5人の中でその感知が出来るのはルスランとアデルだけである。

    ちなみにこのエーテル感知の対極にして昇華された先天的なものが、いわゆる直感である。
    これはほぼ完璧に才能によるもので、一切の情報無しに、未来視を行うかのように事前に知覚する。
    感知能力と異なり正確性と恒常性に欠けるが、事前察知と知覚外の知覚という面で絶対性を誇る。

    「でも、ミコトちゃんも判り辛いですけど、サンとレナードさんはON・OFFハッキリと切り換える点で判り辛いですよね?」

    「そーだな。つーかどうやってんだ、レナードとサンちゃん? あのパッとエーテル消せる、すっげー技」

    「どう、って言われても困る。私は普通に気配を殺しているだけだから」

    「俺もだ。別段、特別なことは何も」

    場の空気が、一瞬停止する。

    「………さいですか。でもま、元がかな〜り変わった感覚だからある意味で判りやすいのが救いだな」

    「ん? ナニ、どーゆー意味ソレ?」

    「んー。サンちゃんは獣人だからかな、俺らより綺麗な感じがする。逆にレナードは異質な感じがするな」

    「そーなの?」

    「はい。あたしは位置情報に特化してますからルスランさんほど判りませんけど、そんな感じです」

    「ふーん、そういうもんなんだ?」

    ミコトが興味深そうにうなずく。
    そして、笑いながらレナードを肘でつつく。

    「異質だってさ?」

    「俺はそういうのはよく分からないんだがな」

    「パーペキ超人にも欠陥あるんだねぇ、レナード君?」

    「自覚出来ない欠陥は対処に困る………」

    レナードは首をかしげて眉をひそめる。

    「ま、テストで悩まないんだから、少しくらいは悩みなさい♪」

    ミコトは楽しそうに笑う。
    そしてサンの方に視線を向ける。

    「サンは綺麗なんだってさ?」

    「私もよく分からないけど。それなら多分、獣人はみんなそうだと思う」

    「え? なに、じゃあやっぱり種族差なの?」

    ミコトがそう尋ねると、ルスランとアデルは互いの顔を見合わせた後、同じように首をかしげる。

    「んー? どうだろ、他の獣人のを意識して感知したことねぇからなー」

    「でも、私はそうだと思う。獣人は世界に愛されているんだって、母さまが言ってた」

    「それはエーテルは世界の祝福っていう説? 世界への局所変異を許すエーテルは、純然かつ巨大であるほど、世界に愛され祝福されている証明だっていう」

    「デル、何それ?」

    ミコトが尋ねる。

    「え。いえ、あたしもよく知らないんですけど、えーっと」

    アデルがレナードに目配せする。
    レナードは頷き、言う。

    「魔導暦1627年に発表された、ベロニカ・ハントの説だ。
    ”エーテルにより成される魔法には法体系が存在し魔法の全てはその法則を守っているが、この魔の法則は世界根源の法則を無視している。
    しかし世界がその矛盾を許し、またその為の力さえ与えるのは、我々世界の子らが愛され祝福されているからだ”」

    「はぁ〜。そんなのあったんだ。でも、それって前に言ってたナントカ教と」

    「ああ。ウンザンブル教と真っ向から対立している。
    しかもベロニカ・ハントの唱えたこの説の理念は、獣人、妖精、魔族を擁護するものだからな。
    ちなみに、ウンザンブル教はこう教えている。
    ”原初において唯一母神の御許にて一つだった我々は、異界の力に穢れて別たれた。
    故に我々は、母の御許に還らねばならないのである。しかし我々は忌まわしき、穢れた子らである”」

    「”我ら母の子らよ、生苦味わうを躊躇うなかれ、死を恐るるなかれ。死は、穢れを清め、母へと還る導きである。”
    ―――要するに、穢れたオレらは頑張って生きて、苦しんで、死んで、やっと許されて天国行けますよって話だな」

    ルスランがレナードの言葉に続く。

    「ふーん。あんたも知ってたんだ、そのウンザブル教」

    「ウンザンブル教な。ま、オレは教会の庇護下の国の生まれだから。別に信仰心厚いわけでもなかったんだけどな」

    「そうなんだ。あ、じゃあ、デルは知ってる?」

    「はい、一応は。孤児院にもよく牧師さまがいらしてましたし、聖歌もよく歌ってましたから」

    「あー、なるほど。じゃあサンは?」

    「私は知らない。私達には私達の信じることがあるから」

    「ふむふむ、そして蓬莱には蓬莱の、ビフロストにはビフロストの信じることがある、か」

    感慨深そうにミコトはうなずく。

    「世界は広いような狭いような、ね。わたしもサンもレナードもデルもルスランも、み〜んな出身バラバラなんだから」

    「さらに学院の中には南方や西方の大陸出身の者もいる。これだけの人間が集まるのはこの国ならではの事だな」

    レナードが言う。

    「ま、運命論者じゃねーけど、この5人がここで出会って一緒にチーム組んでるってのは一つの縁だよな」

    ルスランが後頭部で手を組む。
    その言葉を受けて、アデルがうなずく。

    「そうですね。翼々考えたら不思議です。あの時もしああなっていなければ今ここには、っていうのありますから」

    「ワケアリが多いもんね、この国に来る人達。そーいえば10年前にわたしが初めてこの国に来た時、竜と魔物と妖精と獣人と魔族と人間とが杯を交わして大爆笑してたもんだから、かなり驚いたっけ」

    「それ、多分父さま達だと思う。親善訪問が終わってから、真昼間からあちこちお酒飲み歩いて大騒ぎしてたから」

    サンが少し恥ずかしそうに頭を抱えながら言う。
    アデルはくすくすと楽しそうに笑う。

    「ほんと、この国って変わってますよね。あたしも大分驚かされました。他の国じゃ、他種族はほとんど敵扱いですから」

    「変わってると言えば、大統領も変わってるよなー。もう何期目だっけ? あんなはっちゃけた人がよくもまぁ信任されるよ」

    「近代稀に見る政治的な手腕もあるが、信じられないくらい大っぴらな人だからな」

    「あれだろ、20年前の”ゴメン、俺もう教会とケンカしそうだ。やっちまって良いか?”発言だろ?」

    「………そんなこと言ったの? 一国の大統領が?」

    「そうらしいな。しかも国民の9割近くがアンケートでこう答えたそうだ。”やって良し。ぶん殴れ”」

    「………マジ?」

    「大マジ。まぁ多少は誇張っつーか情報操作入ってんのかもしんねーけど、世論としてそういう風潮があったのは確かだろうな。
    なんせ20年前までは、庇護を拒み続けるビフロストに対する教会の圧力が凄まじかったらしくてさ。実際に殴ったかどうかはわかんねーけど、本気で追い返したらしいぜ」

    「無茶苦茶ね………」

    「でもまぁ、確かに一見ムチャクチャだけど、ビフロストって国が存在する意味の是非を問われてたわけだから、その判断は間違ってはいなかったんじゃねーか?
    この世界の全種族の共存と教会に追われた人間を背負っちまった国なんだからさ」

    「それに、その後処理も上手かった。ビフロストの貿易拠点としての東南西大陸・諸島諸国との窓口的役割をさらに強くすることで、中央大陸内での完全交易封鎖を阻止した。
    実際に教会を追い返した行為自体の是非はともかく、追い返した後の問題の処理は他国でも高く評価されている」

    「もしかして20年前からの教会との関係断絶って、その時からですか?」

    「ああ。当時は帝国との戦争で勝利した時以上のお祭り騒ぎだったそうだ」

    「………はー。わたしの知らないこと一杯ね」

    ミコトは頬をかいて苦笑する。

    「そういう考え方さえ持っていれば差し支えないと思うぞ。全知を謳う者ほどその蘊蓄は浅く狭量だ」

    「無知の知ってヤツか。レナードが言うとなんだかなーって気もするな」

    「なぜだ?」

    「レナードさん、何でも知ってるって感じがしますから」

    「私もそう思う」

    「………それは確実に誤解だな」

    「こーゆー時は期待に応えるもんだ、がんばっとけ」

    「まったく………」











    「いやしかし、ビビったなアレは」

    暫くの後、話題は変わって、紅茶を飲みながらルスランはしみじみとつぶやいた。

    「帰還ポイント手前で待伏せしてた奴ら。レナードが発見するなり、こう――――」

    ルスランは手を銃の形にし、宙に狙いを定める。

    「バンバンバンってよ。3秒で5人沈めちまった」

    「ほんとにねー。わたしなんて気づかなくって、急にレナードが撃ちだしたの意味分かんなかったもん」

    「銃、ですか。あんな飛び道具があるんですね………」

    「今現在ある銃はあれほどの性能は無いがな」

    飛び道具ということで興味津々らしいアデルに、レナードがコーヒーを口にしながら言う。

    「俺の持っていた銃はバンデラス教授の作品だ。先の時代の代物と考えた方が良い」

    「先の時代ねー。そんなのアリかよって気もするけど。実は教授、未来から来たんだったりして」

    ミコトは緑茶をすすりながら苦笑する。

    「言い得て妙だな。俺も時折、そういう風に思う事がある」

    「あのジーサンが未来から、ねぇ。あんまし冗談だろーって笑い飛ばせねーあたりがスゲェよなー」


    ルスランはケタケタと可笑しそうに笑う。
    アデルは、そうですね、と相槌を打ちながら自分のココアに砂糖を、大さじで5杯ほど投下する。

    「そういえば、バンデラス教授の先見の明は未来視並だって聞いたことあります」

    アデルの手元を見ていたミコトは口元を引き攣らせるが、いつものことだと気にしないことにする。

    「ま、まぁ、妖怪ジジイだもんねぇ」

    「ミコト、ヨーカイって何?」

    サンがホットミルクに息を吹きかけて冷ましながら尋ねる。

    「お化けって意味よ、サン」

    「お化けだったんだ、あの人」

    「いや、例えだってば。蓬莱ではそういう世離れした人のことを妖怪って言ったりするの」

    「ふーん」

    お化けじゃない、ということで興味を削がれたのか、サンはホットミルクを冷ます作業に集中する。

    「そういえば、前々から思っていたんだが」

    レナードはミコトに視線を向ける。

    「ミヤセは度々蓬莱の文化、と言っているが本当に本当なのか?」

    「本当に本当よ。なによ、蓬莱の文化バカにしてんの?」

    「いや。ミヤセが単純にズレてるだけなんじゃないかという気がしてな」

    「………ハッキリ言うわね。あとでちょっと個人的に訓練する?」

    「遠慮しておく」

    「あら、遠慮しなくて良いわよ? 蓬莱の関節技、みっちり教えてあげるから」

    「じゃあオレ行くゾ。出来ればベッドの上で裸になってを希望」

    「ルーシャさん、下品です」

    アデルが軽蔑し切った目でルスランを見る。
    しかしそれでめげる様なルスランではなく、余裕綽々で笑い返す。

    「ふーむ下品と来たか。ならアデルちゃんが身体のどこに飛び道具隠してるか、余す所無くみっちり身体検査するとか」

    「う………さ、刺しますよ!?」

    アデルは顔を赤くしながら、どこからともなくナイフを取り出す。

    「お? 赤くなった? ってことはまさかッ!?」

    「ちちちちがいますッ! ルーシャさんがあんまり下品だからつい、その………あ、あたしそんな所に隠してません!」

    慌ててナイフを振り回す危なっかしいアデルを、ルスランはにやにやと、街を歩けば確実に職務質問されそうなやらしい笑みを浮かべる。

    「ん〜? そんな所ぉ〜? そんなトコロって、アデルちゃんナニ想像してんだろォなぁ〜?」

    「え………え? えっと、だってその………う」

    アデルの目尻から涙が零れだす。

    「なーる。アデルちゃんはその童顔に似合わずエロいと――――あーごめんごめん! 悪かったいじめすぎた! お願いだから泣かないで〜!」

    「あ〜っ! ルスランのバカがデル泣かした〜ッ!!」

    ミコトはルスランの脇腹を肘で抉っておいてから、アデルを慰めに動いた。

    「ルーシャ………バカでセクハラばかりするが、女の子を泣かすような奴ではないと思っていたんだが………」

    「最悪だ、バカ」

    レナードとサンはため息をつきながら、三白眼でルスランを睨んでいた。

    「お、おーいなんですかその失望した目はッ!? ちょ、アデルちゃん泣くなって〜!」

    「………な、泣いへなんはないれすよぅ………」

    「………デル。そんなぽろぽろ涙零して言ってどーすんの」

    「らって………らってぇルーヒャひゃんはぁ………」

    「ルーシャ。くたばれ」

    「死ね。ばか」

    「うわぁ、すげー辛辣だぁ…………アデルちゃん悪かった! ごめん! 頼むから泣き止んでくれホラこの通り! な? なんか埋め合わせするから〜!」

    ルスランは手を合わせたり頭下げたり土下座たりしてなんとか取り繕うとする。
    何やらとてつもなく憐れで情けない姿が功を奏したのか、アデルはぐすぐすしながらも涙を止めた。

    「泣いてないったらないんですってばぁ………」

    「おーよしよし。デルは泣いてなんかないもんね、よしよし」

    ミコトはあやす様にアデルを抱きしめて頭を撫でる。
    その甲斐あってか、アデルは何とか泣き止まる。

    「あぁ、よかった………泣き止んだ」

    ホッとするルスランに、情容赦無くレナードとサンは言葉を叩きこむ。

    「では埋め合わせに地獄に落ちろ、ルーシャ」

    「落ちろ、ばか」

    「ハイそこ! いい加減止めてくれ、挫けそうだ」




    とりあえずアデルが落ち着くまでまた談話が続き、埋め合わせは貸し1つということになった。
    何気にアデルが喜んでいた辺り、ルスランのこと嫌いなんだかそうでないんだか、とミコトは一人思った。





    「そういえばレンの銃、壊れたけど直るの?」

    ややあって、サンが銃の話を再開した。
    レナードがバンデラス教授からテスト用に渡された銃2丁は、その最後の射撃で銃身が破砕し、使い物にならなくなっていた。

    「いや、もう使えないな。それに銃身の耐久性に問題があった」

    「問題、ですか?」

    「そうだ。発射の瞬間に銃身が多少なりとも魔法の効果を受ける。だから劣化速度が速く、壊れやすい」

    「じゃあ、竜の瘡蓋なりもっと硬いの使うなりすりゃいーんじゃねーの?」

    「ああ。だが弾丸が媒介である以上、どうしても弾速が遅く威力に乏しいという問題もある」

    「柔いもんね媒介。つーかさ、普通に金属飛ばしゃいいんじゃないの?」

    「いえ、それがダメなんです」

    アデルが首を振る。

    「エーテルを内包する生命体には、特にエーテルによる強化を施されると、純然な単一の魔力の塊で攻撃した方が効果が高いんです。
    ですから、自然物より魔法の方が有効なんです」

    「ふーん? じゃあ強化されるとデルのナイフとかわたしの武術とか、物理攻撃は効きにくいの?」

    「いえ、そうでもないです。ほら、ドノヴァンの定理ですよ」

    「あー。施術者の手から何段階離れるか、ってヤツだっけ?」

    「ミコちゃんはまんまぶん殴るから1段階、オレやレナード、サンちゃんは自分の武器使うから2段階」

    ルスランが指を立てながら言い上げる。

    「一応、あたしの飛び道具は2段階です。飛び道具使いとしては異例なんですけど」

    アデルは自分のナイフを見せながら言う。
    横にいたルスランが、手品みたいだなー、と聞こえないようにつぶやいた。

    「で、普通に投げナイフとかは3段階。普通に金属飛ばすような銃だと4段階だな」

    「1段階を100%として、段階が1つ上がるごとに10%程度威力が落ちると考える。暴論で例外が多いから目安にしか用いられない定理だが」

    レナードはルスランと逆に、五指をゆっくりと一本ずつ折っていく。

    「つーわけで、銃弾そのものを魔法にすることで1〜2段階くらいにしよーって話だったんだよな、レナードの銃は」

    「ああ」

    「なーるほどね〜」

    ミコトは納得いったようにイスに背を預ける。

    「まぁ、どのみちあの魔法銃の再製造は難しい。実現は素材系の開発や製造技術の発達を待つしかないな」

    「そうなんですか………残念です」

    飛び道具に興味があるからか、アデルは心底残念そうにつぶやく。

    「ま、初日からかなり色々あったけどある意味毎度のことで、何はともあれ11年生最初の演習にしちゃ上出来だったよなー!」

    ルスランが笑いながら言う。
    みんなうなずいて同意する。

    「そうね。一応は全員30分以内に15本フラッグ集めたんだし。上々よね」

    「そうですね。明後日の実地訓練もこの調子で行きましょう」

    「そうだな」

    「うん」

    「―――おし。それじゃ、そーゆーわけで!」

    ルスランは勢いよく立ち上がる。

    「そろそろ日が傾いてきたし、お開きにしますか!」

    「―――わ。ほんとだ、もう5時過ぎじゃない」

    ミコトがカフェの入り口横にかけられている柱時計を見てつぶやく。

    「オレとしてはレナード以外とならこのまま夜を共にしたいんだが、暗くなる前に買出ししなくちゃなんねーからなー」

    「あたしもです。晩ご飯の材料買わないと」

    「なぬッ!? あたしもって、アデルちゃんもオレと夜を共にしたいとッ!?」

    「違います」

    「下宿組はタイヘンね。ま、わたしも寮で自炊だけど。―――あ、ところでさ」

    ミコトはサンとアデルの方を見る。

    「サンとデル、今夜わたしの部屋に来ない?」

    「あ、オレ絶対イキマス」

    「あんたじゃないって。デルとサンと、ここんとこ一緒に寝泊まりしてないしさ、どう?」

    「あ、あたしは………えっと」

    アデルは何やら意味ありげに苦笑をする。

    「デルは大丈夫よねー?」

    「え? や、その………」

    「ハイ決定ー! あ、ちなみに半強制参加だからね。拒否権ないよ?」

    ミコトは満面の笑みを浮かべながら、アデルの袖を凄まじい握力で握りしめて確保する。

    「サン〜?」

    そして、ミコトは次の標的サンに微笑みかける。
    サンは露骨に嫌そうに目線を逸らす。

    「いいよね〜?」

    「…………ヤダ」

    ミコトは目をぱちくりさせる。

    「えー? どうしてよ?」

    「うー。だって、その…………」

    サンはうつむき、赤面しながら言う。

    「………ミコト。お風呂一緒に入ろうとするし」

    「まじっすカーーーーーッ!?」

    黙々と帰り支度をしていたルスランが突如吼える。

    「ナニその魅惑の花園ッ!? 狭い風呂に女体盛り!? オレも入りてェェェェサンちゃんマジか!?」

    サンは小さく、こくんとうなずく。

    「サンはそれの何がダメなの? わたしの故郷じゃそーゆーの当然よ?」

    「またそんな怪しいことを」

    「ほんとだってば。レナードは銭湯とか温泉とか知らないの? 裸の付き合いとか言ってさ、でっかいお風呂にみんな裸で入るんだよ? 混浴だと男女一緒なんだから」

    「ミコちゃんの出身地、蓬莱………なんという魅惑の国なんだ。夏休みに絶対行こう………」

    「ルーシャさん下劣です」

    「うわぁ。下品と同じ意味でも下劣って何やらキツイなー」

    「ともかく、私はヤダ」

    「なんでよー? だいたいサンっていつも薄着だし、下着見られても平気じゃない。別に女同士裸くらい――――」

    「ダメなものはダメェッ!!」

    サンが顔を真っ赤にして叫ぶ。

    「ハダカは別! 女同士でもダメ!!」

    ミコトはサンの勢いに気圧され、身を退く。

    「………し、仕方ないなー。じゃあお風呂は入らないからさ。それならいいでしょ?」

    「ヤダ。ミコト絶対お風呂入ってくる」

    「入らないってば」

    「怪しい。信用出来ない」

    「も〜。仕方ないなぁ。じゃあサンは今度にね? いいでしょ?」

    「………うー」

    サンが承諾しかねる様子でうめく。
    その折、ルスランがレナードの袖を引っ張った。

    「なんだ?」

    「サンちゃんのあの純情っぷりはサイッコーだと思わないか?」

    「同意を求められても困る」

    「でもアデルちゃんの純情っぷりも素晴らしいよな?」

    「だから困ると言っている。ついに脳がイカレたか」

    「ちぇー。ったく、連れねーなー」

    ルスランは何やらほんわかとした表情でミコトとサンのやり取りを眺めている。

    「もう、強情なんだから―――じゃ、今日はデルだけウチに来るってコトで」

    「え!?」

    アデルが驚愕の表情を見せる。

    「で、でもサンは泊まらないんですから、あたしも――――」

    「なんでよ?」

    「―――なん、でって…………それは」

    アデルはどうしようもなく、うつむく。
    暴君ミコトを論破しようと思うのが間違いだと気づいたらしい。

    「サ、サン? サンも一緒に泊まろう?」

    アデルは道連れが欲しいらしく、サンに呼びかける。

    「ヤ」

    だが一文字で断られた。

    「―――い、一緒に泊まろうよ。きっと楽しいよ?」

    「アデルだけ楽しむといい」

    「…………ね、サン。お願いだから。ね?」

    「ヤダったらヤダ。絶対」

    「…………〜〜〜〜ッ!!」

    アデルは抱きつくような形で、そっぽを向き続けるサンの胴に腕を回す。

    「ア、アデル!? 何してッ………!?」

    「サンも一緒に行くの! じゃないとあたし1人だけミコトちゃんの餌食になっちゃうんだから!!」

    「や、やだ!! 離せぇ〜〜ッ!! 死んじゃう〜〜ッ!!」

    「あたしだって死にたくないもんッ!!」

    「――――ちょっと、何だかすごい言い草なんだけど?」

    「「え? ふわっ…………ああああぁあぁぁッ!?」」

    襲いかかる暴君。

    「お仕置きしちゃうぞ〜〜!」

    「やぁぁぁああぁぁぁッ!?」

    「ア、アデル、へんなとこ………ふあッ!?」

    「おー。サンのホントに成長してる………」

    「サン、そこは………あッ!」

    「は、離せミコ………あ」

    「サンもアデルもか〜わい〜」

    「フオオオオオオオオオオッ!!!」

    女子チームが組んず解れつ仲良く引っ付き合ってる傍で、ルスランはが突然叫びだす。

    「こ、これが彼の収攬なる箱庭の一斑かッ!? 遍く世の万人が庶幾し続けてきた理想郷だと言うのかッ!?」

    ルスランは興奮すると語彙が豊富になるらしい。

    「マァァスタァァァーーーーッ!!!」

    ルスランはカフェの店内に向かって叫ぶ。
    すると店内からカメラが飛んできた。
    ルスランはそれを受け取り、カフェ店内に向かって親指と人差し指、小指を立てる。

    「グッジョブッ!!」

    店内からも、同じ形をした手だけが出てくる。
    そしてマスターの渋い声が響く。

    「バンデラス大先生より賜った高価なカラー写真機だッ!!」

    「カラー写真機ッ!?」

    「如何にもッ!! 遥か100年は飛び越した技術により色付きを可能とし、百万単位の画素は乳首の色まで鮮明に映し出すッ!!」

    「そんな、信じられない………乳首の色をッ!?」

    「然るが故にッ!! 壊しても構わんが写真は必ず撮れッ!! そしてネガは死んでも守り抜けッ!!」

    「Sir! Yes,sir!」

    「さぁ行きたまえッ!! 桃色の空間が君を待ち侘びているぞッ!!」

    「Sir!! Yes,sir!!」

    ルスランは涙を流しながら敬礼を返す。
    その横で、レナードはひどく顔を歪ませて心底呆れたような顔で見ていた。

    「さぁさぁさぁッ!! 行くぜあらゆる世界の男子諸君ッ!! オレはまさに今、理想郷を収めようッ!!」

    ルスランがこれだけ騒いでも、女子は女子で騒いでるので気づいていなかった。
    周りに客や人がいないのが救いだな、とレナードは思った

    「きゃー! デルの下着かわい〜!」

    「あーサンちゃんその表情サイコー! アデルちゃんもっと着衣乱してー! ミコちゃん胸揺らせー!」

    「ミ、ミコ、やめッ!」

    「脱げー! もっと脱げー! 脱ーげ♪ 脱ーげ♪ 脱ーげ♪」

    「サ、サン………去年までは変わらなかったのに………なんで」

    「ああッ、あと数センチだというのに何故ッ!? 絶対領域かッ!? 上からのアングルがあれば突破できるというのに………神よあなたは何故私に浮遊魔法の適性を与えなかったのですかッ!?」

    ふと、嘆き悲しむルスランの身体が浮く。
    見ると、店内からガラス越しに、マスターが双眼鏡で覗き見ながら魔法を使っていた。
    遮蔽物越しかつこの距離で人を浮かせる技量に、レナードは独り感心していた。

    「ああああああ神よ!! やはりあなたの奇蹟は確かにあるッ!! 私は生涯この奇蹟を忘れませんッ!!」

    「きゃー!」

    「おおおおおおおッ!?」

    「やー!」

    「おっしゃーーーー!!」

    「あー!」

    「完璧だぁぁぁあぁあぁッ!!」

    「………ああ、今日は夕日が綺麗だな」

    喧騒の中、レナードは独りぼけっと暮れる夕日を眺めていた。








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■188 / inTopicNo.11)  「Γ 廻る国の夜@」
□投稿者/ 犬 -(2005/04/20(Wed) 00:19:39)
    2005/04/20(Wed) 00:21:10 編集(投稿者)



    ◇――宮瀬 命――◇



     世界で一番変わっている国はどこか。そう尋ねられて最も多く答えられるのがビフロスト連邦だと思う。
     四大国家の一翼、魔科学の都、森と山の国、神を信じない国、他大陸への窓口。ビフロストを評する言葉は数多いけれど、その”変わっている”という言葉が指している意味はいつも決まっている。”あらゆる種族の人達が廻る国”だ。
     世界中見渡したって、全種族がその人権を認められている国はビフロスト以外にはない。一応は人間が規範になっているけど、ビフロストではどんな種族だろうと働くのも家に住むのも買い物するのも食事するのも全て自由。誰にも咎められないし奇異の眼で見られることもない。こんなの”人間に非ざるモノ全て異端なり”が常識になっている隣国のエインフェリア王国、いや、世界ほとんどの人達から見れば気が違っているとしか思えないだろう。けれど、このビフロストという国では、建前ではなく本気であらゆる種族が手を取り合って暮らしている。
     例えば、夕方のバーを覗いてみるとする。カウンターではイケメンのヴァンパイアが傍らの人間の女性に”毎日キミの血を飲ませてくれないか”なんて言って口説いている。女性はまんざらでもない様子で”見えるとこからは吸わないでね”と顔を赤くして微笑んでいる。異形の魔族のマスターはそれを眺めながら、静かにグラスを磨いている。その後ろでは人間の女性が二尾の白狼の魔物にご飯をあげている。テーブルでは仕事帰りらしい牛のような筋骨隆々の魔族が上司らしい人間の女性に怒られていて、妖精の若い男性が苦笑してなだめている。中央奥の小さな舞台には3人の人がいて、獣人の少年と少女がギターとピアノを見事な腕前で奏で、妖精の女性がまさしく人間のものとは思えない歌声を披露している。日が暮れるに従って客は増えていき、いつしか年若く人型に変化しきれず翼や尻尾が出たままの竜の青年が現れ、ワインボトルを何本か口に突っ込んでラッパ飲みし、周りの客から拍手を浴びて賑やかになっていく。
     果たして、この光景を世界の人達はどう思うだろうか。”バカなことだ”と思うかもしれない。でも、わたしはそうは思わない。
     ここは、理想郷ではないのだろうか。誰もが子どもの時に夢見て描いた、みんなが仲良く笑い合える場所。誰もが手を繋いで踊れるダンスホール。流れる音楽に合わせて情熱的なダンス、誰が誰にでも、愛を語らえる。
     確かに、問題はある。理想の為に犠牲にしてきたものはたくさんある。人間ではない人達の為に、同じ人間に刃を向けることもある。取り合う手は、触れれば本当に傷ついてしまうことだってある。自分と違うモノに生理的嫌悪感を抱き合うのはどうしようもなく、文化どころか生態さえも違う種族が共に生きるのには、果てが無いほどの問題がある。
     けれど、たった1家族が興したこの国は、夢物語を実現しようと駆け抜ける国民性を得た。遥か幾百年の昔、家族は森に暮らす獣人を夕食に招き、酒を飲み交わした。妖精と畑を耕し植物を植え、芽を付けるたびに、花が咲くたびに、実がなるたびに歓び踊った。迫害された魔族を受け入れ、共に神々と呼ばれるまでに成長した魔物と話し合い、追っ手が掛かれば協力して撃退し、侵略者が襲ってこれば協力して追い払い、三者お互いボロボロになった姿を見て腹を抱えて笑い合った。
     理想を求めてたった1家族、ただの森と山だけのこの土地を理想郷とするために生きた。噂を聞きつけて共存を望んだ者達が自発的に、あるいは誘われて集まりだし、いつしか理想は夢に、そして夢は限りなく現実に近いものとなり、そして約100年前。幾百年の年月を経てもなお家族の想いは絶えることなく受け継がれ、想いを同じくする者同士その胸に想いを抱き、”我らは理想を求め続ける国の民である”との宣言と共にビフロスト連邦はその旗を掲げた。
     
     
     


    ◇ ◇ ◇ ◇

     
     
      

     ビフロスト市街区の南東、純木製で建てられた家がわたしの実家だ。わりと広い敷地をぐるっと高い塀が囲んでいて、正面の大きな門には分厚い木の板に”宮瀬流蓬莱武術道場”と筆で書かれた看板が立てかけられている。
     蓬莱のあらゆる格闘技は、ある点で武道と武術の2つに大別される。武道は”道”を重んじ精神の修練を主な目的としたものであり、武術は実戦志向の”技術”で、人体破壊を主な目的としたものだ。
     うちの道場でやってるのは看板通り武術で、わたしのお父さんが立ち上げた新興流派だ。近年の魔科学の進歩に伴う戦術の変化に合わせてあり、その国情のせいで他国と全く戦術が異なるビフロストでもなかなか評価は高い。………と言ってみても、門下生として通っているのは小等部の子どもばかりだ。道場自体への人の往来は頻繁で活気はあるんだけど、小等部より上で道場に在籍してるのは娘のわたし1人だけだ。
     これは、ビフロストの異常なまでの教育体制のおかげで誰もが魔法の教育を受けられるせいだと思う。さすがに武術は魔法の利便性・汎用性には敵わない。成長するに従って多くのことを可能としていく魔法に一心になるのは仕方のないことだと思う。それに実際、ここの門下生の子達も精神の修練のために親御さんに入れられたというのが大半で、武術に心血注ごうなんて本気で考えてる子はいないんじゃないかって思う。まぁお父さんとしても武術の心を学んでもらうのが一番の目的らしいので、それも良しとしているみたいだけど。

     わたしは5つの時に、家族みんなで蓬莱から移住してきた。その移住の理由は大したものではなく、蓬莱の武術を世に広めよう、なーんていうお父さんの一言だ。わたしのお父さんは、見た感じちょっと友達にも自慢出来そうなくらいカッコ良かったりするナイスミドルなんだけど、その実若い頃は武人として武名を轟かせた豪傑だったらしい。わたしは幼い頃からそんなお父さんに鍛えられてきたけど、今まで一撃たりとも――わたしの胸に視線が移った時以外は――入れることは出来ていない。きっとお父さんが殺されるとしたら、スタイル抜群の美女に誘惑されて謀殺される時だろう。
     ちなみに、わたしが寮で生活しているのは単に学院まで遠いからだ。毎朝何キロも走るの自体は幼い頃からの習慣で慣れてるし、実際に寮でも修練の一環でやってるからいいんだけど、学生としての利便性を考えるとやっぱり寮の方が断然良い。超格安で自分の部屋が手に入る、というのも理由の一つ。好きな人の写真を気兼ねなく飾れる、というのも理由の一つ。わたしのお父さんは武人だけれど、同時に親であり、しかも重度の親バカなのだ。
     でもまぁ、寮暮らしとはいえやっぱりそれなりに家が近いもんだから、実はかなり頻繁に帰ってたりする。特に週末には必ずと言って良いほど。今も、リンチ・カフェでみんなと別れてから、寮に持っていき忘れた服とかを思い出して取りに帰ってきている。

    「ミコトー。今日は晩ご飯はー?」

     制服から私服に着替えて玄関で靴を履いていると、台所からお母さんの声がした。実際こんな感じだ。のん気なお母さんは放任主義で、娘の一人暮らしなど断固嫌だと自分の主張丸出しで駄々をこねるお父さんをなんとか諌めてくれた理解ある人なんだけど。

    「それともレナードくんちで食べられちゃうのー?」

     こんなノリの人だ。お母さんなら大丈夫と信用して寮の部屋に入れて、レナードとのツーショット見られたのは大失敗だった。

    「ちょっとお母さん!?わたしとレナードは付き合ってないって何度言ったら―――」

    「なにィ!?あの白髪小僧が我が愛娘に陵辱の限りだとォッ!?」

     道場からお父さんが勢いよく顔を出してくる。お父さんはわたしの事となると脳の配線がズレてかなり飛躍的な言い方をする。困ったものだ。

    「お父さん!門下生がいる前でンなこと言わないのっ!」

    「えー?ミコトお姉ちゃん食べられちゃうのー?」

    「つーかドコまでイったんすか姐さん?」

    「ミコト姉さまー、あの人紹介してくださいよー」

     門下生も顔を出してくる。小学生のクセにノってくるもんだから始末に負えない。

    「うっさい!いいから組み手でも何でもやってなさい!」

    「えー?ミコトお姉ちゃんはー?」

    「バカだな、姐さんはこれからある人と組み手するんだ。組んず解れつの寝技の応酬だぞ」

    「きゃー!あたしも混ぜて欲しいー!」

     しかもお父さんの影響を受けてる気配がある。正直、頭が痛い。

    「ああもう!いいから―――って、お父さん!もう日が暮れてるんだから帰さなきゃダメじゃない!」

    「うむ。みんなそろそろ帰りなさい」

     はーい、とみんな揃って手を挙げる。こういうのを見てると、若干情操教育に関して不安を覚えるけど、いい子達だ。

    「ああ、そうそう。最近、痴漢が出るそうだから、多少遠回りでも大通りを歩くように。もし出くわしたら大声上げて逃げなさい。でも、もし逃げれそうになかったら、過剰防衛が適用されない程度に抵抗して良いからね」

    「「「はーい!」」」

     若干、最後の言葉への反応の良さが気になるけど。いい子達だと思う。

    「む?ミコト、どこに行くんだい?」

     わたしが外出の用意をしているのに気づいたらしく、お父さんが声をかける。

    「ちょっと買い物。すぐ戻るから。晩ご飯は家で食べる」

    「そうかい。ああ、今子ども達にも言ったが、最近痴漢が出るらしいから気をつけなさい」

    「誰の娘に言ってるのよ、それ」

     わたしが苦笑すると、お父さんは優しい笑みを浮かべる。

    「それもそうだがね。我が娘だからこそ、言うんだよ」

    「はーい。気をつけます、お父さん」

     思わず笑みを零しながら、道場を背にして門をくぐる。両親共たまに突拍子も無いことを言うけど、良い親だ。面と向かっては言えないけど、尊敬出来るし、偉大だとさえ思う。

    「さてと」

     門をくぐり、わたしは歩き出す。
     ビフロストの市街区は変わった街並みをしている。街は網の目状、部分的に円環と放射線状に走る大きな通りで整然と区画分けされているのに、そこに建ち並ぶ家々は世界あらゆる種族や国の様式で建てられていて雑多も雑多、統一感とは程遠い。よその国じゃずっと同じ街並みな上に迷路みたいで迷うらしいけれど、この国じゃどこ行っても混沌とした街並みだけど道だけは秩序だっている。
     ビフロストのそれぞれの大通りには番号ではなく名前が付けられていて、住所や地図、標識なども全て通りの名前を使って書かれる。だから通りの名前をたくさん覚えないといけないから面倒なんだけど、それさえ覚えればほぼ絶対に迷わないってメリットもある。ちなみに我が家の住所は”地命・方天通り1番”。地図的に言えば、地命通りと方天通りに面する右下の区画の1番地だ。数少ない蓬莱由来の漢字入りの通りに面しているのはなんとなく嬉しい。
    わたしが目指すのはフレイザー通り、通称は商店街。名前そのまま、商店が立ち並ぶ通りだ。








     わたしはグレン通りを曲がり、レンガ作りの家の傍を通って商店街通りに向けて歩いて行く。確かこの家はバイロンさんの家だ。バイロンさんは人間と牛を足して2で割ったみたいな感じの容姿の魔族で、かなりの力持ちだ。手先も器用で、わりと大きな工事とか建築現場とかでよく姿を見かける。

    「そーいえば、明後日には演習だっけ。なんか休み明けだと調子狂うな」

     近くに誰もいないのを確認して、わたしは独り言をつぶやく。
    年々キツくなってく演習は悩みのタネだ。マーカス先生は個人ごとにキッチリ分相応の課題を与えてくるから楽が出来ない。というかキツ過ぎる気がする。そりゃあまぁ課題をこなせなかったことは今までなかったけど、毎週毎週やられてはやっぱりキツい。それに、うちのメンバーは手を抜くことをしないからさらにキツい。まったく、しっかり治療してもらってはいるけど、いつ肌荒れ起こすことやら心配―――――。

    「……………はぁ」

     わたしは大きくため息をつく。どうやら考え事が過ぎたらしい。いつの間にか、誰かに尾行されてる。

    (お父さんが言ってた、痴漢かな………?)

     気配やらエーテルやらを探るのが苦手なわたしに気づかれてるんだから、大したヤツじゃない。あるいは、存在をちらつかせることで怯えさせるつもりなのか。
     でも、相手が悪い。学院の生徒がこの程度でビビるものか。だって、もっと怖いものなんていくらでも見てきたんだから。
     例えば、2年前に魔族が異様なまでの超乗り気で作ったお化け屋敷だ。怖がらせる為という名目の元、スキンシップという名のセクハラが容認されたために魔族がこぞって参加したアレは最悪以外の何物でもなかった。なにせキャストは魔族の中でも特に異形の部類に入る精鋭達だ、地でも既に怖い。それが闇魔法のあらゆる技を以って怖がらせに来たんだからもう、恐怖としか言い様がない。女の子はもちろんのこと、男の子も大半は泣いて出てきたり失神して連れ出されていた。………レナードは平然として、サンはあくびして、ルスランは逆にセクハラしてボコられて出てきたけど。
     ま、それはともかく。

    (………速度を上げてきたわね。気が早いな、もう行為に及ぶつもり?)

     ちょっと露出度高めのカッコがまずかったのかもしれない。下はロングスカートだけど、上は肩と胸元出してるし。むむ、商店街通り行くからって気張りすぎたかも。
     けど、何はともあれ、痴漢なら捕まえるべきだろう。か弱い女の子ばかり狙う変態野郎はぶっ飛ばすに限るのだ。
     そう考えてる内に、人気のない通りに入ったからか痴漢はさらに歩みを速めてきた。対してこちらは歩幅は狭めのまま歩みだけを少しだけ早め、いかにもか弱い女の子が怯えて逃げてるように見せかける。相対距離がみるみる内に縮まっていき、痴漢が真後ろにまで迫ってきた。そして、痴漢がわたしの肩に触れた瞬間―――――。

    「人誅ーーッ!!」

    と、”天に代わってわたしが貴様を粛清する”的意味の蓬莱の言葉を叫びながら振り向きざまに左の裏拳を放った。
    しかし痴漢は軽くスウェーバックし、裏拳は空を切った。

    「シッ!」

     さらに回転の勢いを乗せて右の正拳を撃つ。痴漢は今度は身をひねってそれもかわす。――回避は防御より遥かに高等な技術だ。それを不意討ちされて、しかもわたし相手にあっさりやってのけるなんて。意外にもかなりの実力者だ。
     わたしは驚きながらも、次の攻撃の為に踏み込もうとして、しかし足を絡めてしまった。どうやらヒール履いて全力の足運びをしようなんてのが間違いだったらしい。わたしは成す術なく態勢を崩し、痴漢を巻き込んで勢いよく転倒した。






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■196 / inTopicNo.12)  「Γ 廻る国の夜A」
□投稿者/ 犬 -(2005/04/26(Tue) 00:00:45)
    2005/04/26(Tue) 00:02:41 編集(投稿者)



     おかしな言い方だけど、激しい沈黙がその場を支配していた。

    「…………………」

    「…………………」

     痴漢を巻き込んで転んだわたしは慌てて顔を上げたんだけど、その視線の先には意外にも金髪と翠の瞳の男の子の顔があった。でも男のクセに線は細くて、レナードやルスランとはまた違った方向性の、ともすれば女の子に見られかねない美形の顔立ち。わたしが抱き付いている状態で、しかも胸に手を置かれているせいか彼の顔は赤く、それなのにきゅっと結んだ口元と眉は逆に可愛らしさをアピールしているとしか思えない。
     わたしのクラスメイトで委員長、グレゴリー・アイザックスだ。

    「…………………」

    「…………………」

     色々な想いが脳内を駆け巡っているが故に激しく、しかし言い出し難いので沈黙が場を支配していた。

    (痴漢ってコイツだったの。ふーん、真面目な奴ほど堕ちやすいって言うけどホントだったんだ。あ、でもそうだとすると、ううん、そうだとしなくてもこの押し倒した感じで抱き付いてる状態ってヤバイなぁ。胸に手を置いたりしてて、かなり危ない。誘ってるって勘違いされたらどうしよう。つーかむしろ逆セクハラが適用されかねない気がするし。そう言えばいつもオールバックだから気づかなかったけど、髪下ろしてると可愛いなぁコイツ)

     そんな脈絡無いことを考えていると、彼が何か言い出そうとして、でも何か恥ずかしいのか口をつぐんで目を逸らしてしまった。

    (うっわ〜っ! かっわいい〜〜ッ♪)

     サンやデルとはまた異なるけど、これはこれで直撃な可愛らしさだ。17にもなってヒゲもニキビもないアンタ本当に男か的な美肌にちょっと頬ずりしたくなる。
     でも仲が良いわけでもないのにそれをするとセクハラ確定なので抑えといて、とりあえず何か喋らなきゃと思ってわたしは口を開いた。

    「ん〜? な〜に照れてるのよ〜?」

     気づけばわたしは、こんな台詞を吐いてしまっていた。さらに彼の頬をつんつん指先で突ついてて、しかも顔はにやけてしまっている。……どうしてこう、わたしというやつは思考と行動が一致しないようでいて、一致し過ぎるのだろうか。

    「て、照れてない! 誰が照れるかばかっ!」

     ここでレナードみたく冷静に、あるいはルスランみたく巧妙に返してくれればよかったものを、彼はお決まりなまでに可愛らしい返答をくれた。可愛すぎてバカという罵倒が、全然罵倒になっていない。

    「なによー? 顔真っ赤にして言っても説得力ないよ〜?」

     なにか引き返せなくなってしまい、わたしは衝き動かされるままに身体を這わして顔を近づけた。どうやらそれが効果てきめんだったらしく、身体同士が擦れたり顔や胸元が近づいたりによって、彼はさらに目を逸らしてしまい身体を硬直させてしまった。これは下手に動いてセクハラ扱いされたくないのか、それともこれ以上身体が触れるのが恥ずかしいのか。見たところ女の子慣れしてないというより女の子自体が苦手らしい彼なら、おそらく後者だろう。
     正直、不動レナードと巧妙ルスランに慣れたわたしにとってはこの容姿とこの性格にこの反応は可愛過ぎてどーしよーもない。胸元に1度も視線が泳いでないところもポイントだ。珍しいことに17になっても純情一直線、胸より顔近づけられる方が気になるらしい。

    (でも。さて、どうしようかな)

     このままいじり倒すのも楽しそうだけど、人気がないとはいえこんな道の真ん前でこの状況はよろしくない。というか、時間稼ぎもそろそろ限界だろう。どう切り出せばいいものか。
     そんなことを考えていると、予想外の出来事が助けてくれた。

    「きゃぁぁぁぁーーーー!!」

     耳に届いたのは、かなり近くから響いた甲高い女性の悲鳴。感謝するべきではないけれど、現状最も優先して為すべきことが変動したことを理解したわたしと彼の視線は一瞬だけ交差、ほぼ同時に反射的に跳ね起き、声の方へと走り出した。








     10秒と掛からず辿り着いた裏道で、妙齢の女性がへたり込んでいた。怯えた表情で、わたし達が駆け寄るのを見つけるとある方向を指差した。その方向を注視すると、屋根の上を疾走する黒い影が見えた。

    「俺が追う! お前はその人に異常ないか診ていろ!」

    「え? ちょ、ちょっと待ってよ!」

     彼は影を見据えたまま、わたしを見ずにそう言い捨てて一足飛びで屋根まで跳び上がった。それだけでかなりの強化能力を身に付けていると見て取れてわたしは驚いたけど、その一瞬の躊躇の間に彼はその姿をわたしの視界から消してしまった。
     わたしは追おうかとも考えたけど、頼まれた以上役割はこなさなければならないので追跡は彼に任せ、わたしは彼女に声をかけようとした。だが彼女はその前に首を振った。

    「だ、だいじょうぶです。わ、私は血を吸うのを見ただけで、私にはなにも………」

     背筋に冷たいものが走る。

    「血を吸っていたんですか!?」

     彼女は恐る恐るうなずいた。彼が追っていったのは、おそらくそれが理由だろう。多分血を吸われた人が見えていたのだ。

    「すみません! 声が出なくってっ……私は大丈夫ですから、さっきの子を!」

     わたしはうなずき、一応病院で検査を受けておく旨を早口で伝え、彼を追った。









     蓬莱よりかは少し明るい夜空の下、わたしは屋根の上を疾走していた。屋根が途切れれば道路を飛び越えて渡り、なかば飛ぶように進んでいく。既にヒールは脱ぎ捨てていて裸足、ロングスカートは膝上まで捲り上がり、旗のように後ろに靡いている。
     ――なんとも面倒な事態、相手は魔族だ。しかも、ヴァンパイアの可能性が高い。
     ヴァンパイは魂や精神、知覚といった不可知のモノにまで働きかけられる魔族特有の魔法体系、闇魔法に最も通じた魔族の一だ。彼らは吸血することで有名だけど、彼らにとって血液は一応人間のタバコや酒と同じ嗜好品の部類らしいので、生きるのに必ずしも必須のモノというわけじゃない。だからビフロストでは吸血行動は法的に禁止されているし、生血パックだって販売されているけど。

    (たまーにいるのよね、直に血を啜りたいってバカが――――!)

     生体吸血はヴァンパイアが犯す唯一と言っても良い犯罪行為だ。それもそのはず、ヴァンパイアにとって睡眠欲や食欲、性欲といった三大欲求より吸血衝動の方が圧倒的に強いらしい。さらに、食物連鎖の桎梏か、彼らにとっては人間の血液こそが最高級の美酒らしい。さらに悪いことに、酒と違って新鮮であればあるほど、つまり生体吸血の方がその味は美味であるらしい。
     だから彼らは吸血衝動が呻くまま、生体吸血を望む。でも、やはり生きるのに必要なわけじゃない。値は張るが生血パックだって市販されている。衝動が抑えられずに吸血行為、つまるところ傷害ないし殺人行為を犯せば罰せられて然りとヴァンパイアどころか魔族全体が公認している。

    (でも、手を出しちゃダメ―――!)

     魔族、特にヴァンパイアは桁外れに強い。身体能力も然ることながら、何より闇魔法を使う。人間の脆い精神に直接攻撃する闇魔法は、人間からすれば反則技以外の何物でもなく、また絶対数で圧倒的に劣りながら人間に滅せられる事無く永らえてきた理由だ。闇魔法に対抗するにはそれなりの準備が要る。

    (見えた!)

     遠く視線の先に、屋根の上を飛び交っている2つの影が見えた。けれど何かおかしい。片方の、おそらく彼に追われている影は逃げ遂するつもりがないのか、まるで鬼ごっこをしているかのように一定の範囲から出ずに逃げ回っている。
     けれど、ふと、追われる影はやや高い屋根の上で立ち止まった。彼も足を止める。わたしはその間に追いつき、彼の横に付く。

    「あの女の人は?」

     彼は影を見据えたままわたしに尋ねてきた。

    「無事だったよ、一応病院には行ってもらったけど」

    「分かった」

     彼の相槌を受けながら、わたしも影を注視する。見据える影は、まるで本当の影のような夜の闇に溶け込むような黒いコートを纏っていた。唯一肌が露出している顔さえも、ほとんど黒いヴェールに覆われていて口元だけが覗いている。さらにその覗く口元もわずかだけで、分かるのは白い肌、それに見合った薄いピンク色のふっくらとした唇、そして金色の髪だけだ。

    (………女の人)

     性別は間違いない、女性だ。年齢はよく分からないけど、かなり若い気がする。

    (それに、多分………とてつもなく美人)

     目も眉も、顔の輪郭さえも定かじゃないのに、ふとわたしはそう思った。
     世界で最も美しい顔というのは全世界の人間の顔を平均化したものと言われてるけど、彼女に感じるのは、それとはまた違う感じだ。なんというか、外見の美しさだけじゃない、彼女という存在そのものが持つ何かが―――。
     そこまで考えて、わたしは脳をシェイクするように頭を振った。相手は精神を扱える魔族なのだ、幻惑の闇魔法に引っ掛かりかけた可能性があった。わたしは雑念を捨て、ただ相手を見据えて取るべき対応を取った。

    「ねぇ。ここは退かない?」

     わたしは彼に小声で言った。そして、どうやら彼はその言葉だけで理解してくれたらしい。わたしには経緯は分からないが吸血相手を攫っている様子はないし、これ以上の深追いは危険なだけとの判断に至ったのだろう。彼は少しの沈黙の後、小さくうなずいた。
     けど、その会話による僅かな集中力の分散が失敗だったらしい。静止していた影はそれを見逃さず動いた。でも不意を突かれるほどの油断をするわたし達ではなく、即座に身を構える。
     けれど、不意を突かれていた。影がわたし達から2メートルほど離れたところに降りたと思ったら、気づけばわたし達は半球状のガラスのようなものに閉じ込められていた。

    (しまった、捕縛結界―――!)

     そう思った頃には、影は元来た道の方に向けて駈け出した。待て、の声をかけることすら出来ず、影は結界に阻められて動けないわたし達を置いて、夜の闇に消えていった。

    「………くそ」

     わたしが成す術なく見送っていると、彼は小声で悪態ついて、座りこんだ。

    「ちょ、ちょっと。なにしてるのよ?」

     わたしがそう尋ねると、彼は落ち着き払った様子でわたしを見上げた。

    「この手の結界は破れない。足掻いてもどうしようもない」

    「それは、そうだけど………」

     人間が使う魔法にも結界魔法はあるけど、闇魔法のそれとは方向性が異なる。簡潔に言うと、人間の結界は物理障壁であるのに対し、闇魔法の結界は精神障壁なのだ。そして人間の結界は物理的な力を加えれば破壊可能だけど、魔族の結界は破れない。なぜなら”ここに壁があって、この壁は絶対に破れない”という事実を頭に刷り込ませるからだ。これは自分自身がそう思い込んでるわけだから、そもそも結界を破ろうなんて思考自体が湧かないという厄介なものなのだ。

    「でも、大声とか出したりさ。助けを呼べば」

     ただ、この結界は声が通り姿が見え、外からの介入に弱い。音を遮断するのもあるらしいけど、叫ぼうと思える時点でこの結界では大丈夫なはずだ。破ることは出来ないけど、誰かが来れば出られるだろう。

    「物理的に防音ぐらいするだろ。普通」

     彼はぼやくように言った。確かに、精神結界の上に物理結界を施さないわけがない。魔族は人間が使う魔法も使えるし、防音だけならそう難しくはない。さすがに視覚までは難しいから遮断してないようだけど、見えても屋根の上なんて誰も気づかない。
     わたしは他にも幾つかの案を考えたが、すぐに結論に至った。

    「………つまり、お手上げ?」

     彼は誤魔化さずハッキリとうなずいた。









     どうしようもない事が分かってから、どれほど時間が経ったろうか。実質には10分も経ってないんだろうけど、体感的にはその10倍ほどに感じられた。と言うのも、わたしは屋根の上に座っているわけなんだけど、そのすぐそばで彼が座っているからだ。それも、結界がそう広くない上にやはり春先の夜、じっとしてると寒いのでそれこそ肩を寄せてという表現を使えるくらい、すぐそばに。

    「…………………」

    「…………………」

     よくよく考えれば、痴漢騒動から押し倒してそれっきりなのだ。気まずいったらない。それに今は魔族に捕縛されている状態だし、何を話せばいいものか、とっても困る。

    「………あ、あのさ」

     それでも、ひたすら縮こまって春風に吹かれているのは精神的に疲れるから、わたしは意を決して口を開いた。

    「キミって、痴漢?」

     話題の振り方には、ちょっとわたし的にも一杯一杯だったので見逃して欲しいと思う。

    「誰が痴漢だ」

     わたしは何言われるか内心不安だったけど、彼は目線だけをこっちにくれて、意外にもいつもの調子で返事をくれた。わたしはすこし安心して、言葉を続ける。

    「だってさ、キミってほら、わたしをつけてたでしょ?」

    「つけてない。俺はただ、痴漢が出る通りにそんな格好で入ろうとしたクラスメイトを呼び止めようと思っただけだ」
     なら声をかければいいのに、と思ったけど女の子が苦手な様子の彼は気恥ずかしかったのだろう。不器用なヤツだ。可愛い。

    「なによー、そんなカッコって。こんなの普通じゃない」

    「痴漢にとって普通かどうかって話だ」

    「いや、そうだけどさ………ま、いいや。心配してくれたんだし」

     こう言えば彼の性格からして”心配なんてしてない”と言うかと思ったけど、彼は口をつぐんだ。どうしたのかなと思って顔を見ていると、彼は顔を赤くして言った。

    「その………ごめん」

    「え? なによ、唐突に?」

    「いや、ほら………なんていうか、全般的に、ごめん」

    「ちょ、ちょっと。なんで謝るの?」

     わたしはそう言いながら、今日一連のことを思い出す。そして彼が何に対して謝っているのか考える。でも、分からない。特に彼が謝るべきポイントが見つからない。むしろ、わたしが謝らなきゃいけない事が沢山ある。そもそも唐突過ぎる。どうして今、謝るんだろうか。

    「だって、俺がその、痴漢に間違われるようなことしたせいで………あーなって」

     ハキハキと物を言う彼には珍しく、彼は言葉を濁した。どうやら考えるに、押し倒したあたりの話な気がする。でも、それこそ彼の親切心を勘違いしたわたしが突然裏拳と正拳の連撃をかました挙句に足絡ませ、わたしから押し倒したんであって、彼に責められる非はあっても謝られるようなことは全くない。

    「それで結局、今この状態だ」

     彼はわたしの足をちらりと見て言った。どうやら裸足で走ってきたのも気にしているらしい。

    「だから、ごめん」

     彼は座ったまま、深く頭を下げた。思い詰めた表情を見るに、とりあえずで取り繕うようなつもりではなく、本気で申し訳なく思っているらしい。

    「…………はぁ」

     わたしは深くため息をついた。彼はそれを嘆息と思ったらしく、ますます表情が思い詰めたものになっていく。
     ――たまにいるんだ、こういう女の子に気を遣い過ぎるヤツ。女の子をちょっと触れるだけで傷ついて壊れてしまうように思っていて、何気ないことでもひどく不安になってしまう。マジメで誠実で、優しすぎるヤツが陥る症状。
     これは、ともすれば女の子をナメてる上に加害妄想過剰とも言えるけど、コイツの場合はどうなんだろう。演習とかでも女の子相手に手を抜くような素振りは見せなかったし、今までこんなことを気にするヤツだなんて思った事もなかった。むしろ、本気で女の子を殴れるタイプだと思っていたのに。

    (んー? もしかして、こいつ意外と………)

     色々と考えていると、わたしはあることに思い当たった。そして彼の顔を眺めながらわずかに腰を浮かせ、元々すぐ近くだった距離をさらに詰め、肩が密着するほど彼の真横まで移動する。そしてそのまま座り、わたしは彼の頭をぐいっと引っ張ってわたしの肩に押し付けた。

    「な、なに?」

     そういえばこいつ動揺すると語調が変わるんだなーと思いつつ、わたしは彼の戸惑いを無視し、彼の頭を撫でる。男の子は頭を撫でられるのを嫌がるというのはホントらしく――こういう場合、身体を預けるのは普通女の子の方だから気恥ずかしいのもあると思うけど――彼は抵抗しようとする素振りを見せたが、やっぱりというかなんというか、力を込めれば簡単に振り解けるはずなのに、彼は弱々しい力でしか抵抗しなかった。それこそ、うちの門下生の子達にも劣るような、気持ち程度の力だった。

    「あ、あの………これ、どういう………?」

     彼は体重を預けまいとしていたのでかかる重みはほとんどなく、異様に軽かった。わたしと背丈がほとんど同じな上に、線が細すぎるせいもあるのかもしれない。

    「まぁ、いいからいいから」

    「………いや、良くは、ないん、だけど……」

     言葉を選んでいるのか、彼は変に片言だった。さらにその表情はひどく不安そうで、いつものきゅっと結ばれた目元や口元は見る影もなく垂れ下がっていて、それがどことなくサンに似ている。尻尾があれば多分、へたりと垂れているだろう。
     わたしはサンにするのと同じように首をくすぐってあげたい衝動に駆られたけど、さすがにそれは自尊心を傷つける気がしたので――サンは犬か猫っぽい気質が混じってるから喜ぶけど――止めておいた。

    「で、どう?」

     わたしは彼の髪を梳きながら話し始めた。思った以上に柔らかい髪質だったからすこし驚いた。

    「………どうって、何が………」

    「もたれ心地」

     彼は無言を返してきた。顔は見ないようしたけど、おそらく、今とても困っていることだろう。

    「もしかして、不快?」

    「い、いや。そんなことは………ない、けど」

     彼はまた断定せず、言葉を濁した。どうやら面白いくらいに困っているらしい。なかなか良い反応だ。いつもとの性格とのギャップがたまらなく可愛い。

    「じゃあ、いい気持ちする?」

    「ぁぁ……いや!えっ…と、あー、その、た、たぶん?」

     気を抜いて本音を出してしまったらしく、彼は慌ててもごもごと言葉を並べ立てる。露出した肩に彼の頬が触れているせいで熱がこもっているのがよく分かってしまい、顔がヤバイくらいにやけてしまう。

    「………あ、あの。ミヤセさん?」

     彼はおずおずと、上目遣いに尋ねてきた。彼はあまり親しくない相手には年下であっても姓の方で、さらにさんを付けで呼ぶ。蓬莱でならともかく、中央大陸では珍しいのでちょっとくすぐったい響きだ。

    「なぁに?」

    「え、っと。………コレはどういうことだ、で?」

     言葉を選んでいるのがホント、おかしい。慌てて修正するのもホント、かわいい。

    「べっつに?ちょっと寒いから」

    「暖をとるなら、魔法遣えば――」

    「人肌のが温かいでしょ?」

     離れる光明を見出し、けどすぐに打ち砕かれて表情がくるくる変わっていく。思ったより表情は多彩らしい。いつものきゅっと結んだ口元や目元を思い出すと、ヘンな独占感が芽生えてくる。

    「細かいこと気にしないの。どーせ結界が壊れるまで待つしかないんだしさ、ずっと魔法なんて使ってたらへばっちゃうよ?」

    「……それは」

    「そうでしょ?」

    「…………」

     有無を言わせないようにそう言うと、彼は観念したらしく小さく”うん”とつぶやいた。普段の彼から見ればあまりにもしおらしく、ちょっとどうにかなってしまいそうだった。

    「ま、まぁアレよ。幸い1人で待ちぼうけはせずに済んだんだしさ」

     わたしは内心彼をいじり倒したくなるのを必死に堪え、外面では彼に微笑んで言った。

    「なにかお話しない?よくよく考えれば、あんまりキミとお話したことなかったしさ。時間も沢山あるし、いい機会よね?」

     彼はすこし、何かを迷うような素振りも見せたけれど、意外にも素直にうなずいた。






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