「目が覚めたかね、少年、気分はいかがかな?」
都合15回目となるその台詞を要因として、俺の心は絶望感に支配されつつあった。
正直に言って、何が如何なっているかまるで見当がついていない。
いや、違う。
今ある俺が置かれた状況というものは流石に理解していた。
ただそこに至る過程が全くもって理解できていない。
だが目の前の現実は、俺の理解を他所に容赦なく俺に襲い掛かってくる。
俺は俺ではない他人になっている。
二次創作物に割りとあるパターンの一つ、憑依という状態に俺は陥っていたのだ。
そして俺が成り代わっている人物は、吾妻玲二という名の、
男と言うにはまだ早いであろう青年だった。
俺が成り代わってしまっているその人物の事を俺は良く知っていた。
彼は俺がこよなく愛するとあるゲームの主人公だった。
フリー素材を多用し、ごく低予算で作られたPC用のアドベンチャーゲーム。
やや古臭いその絵柄も相まって、鳴り物入り的なヒットはしなかったものの、
口コミなどでじわりじわりとファンを獲得して行ったというやや異色の作品。
当時、その手のゲームとしては珍しい世界観に惹かれ、
元々のめり込むタイプの俺はどっぷりとはまってしまった。
それ故に、これから俺こと吾妻玲二に何が起きるのかを俺は良く理解していた。
先ほど俺に話しかけてきた男の合図を持って、同じ部屋に居る少女からナイフを渡される。
そして俺と少女で殺し合いをするのだ。
更に言えば、都合14回、少女にはまるで歯が立たずにあっさりと殺された事を、俺はありありと覚えていた。
ナイフで急所を突かれ痛みにもがき、急速に身体から血を失い、そして言い露わせぬ不快感の中で死に至る。
繰り返された14回のその記憶は俺が、所謂ループという状態に陥っていることを示しているのだろう。
リアルに傷つけ傷つけられる事などない、至って平穏な二十数年の人生を送っていた俺が、
裏組織インフェルノのトップスナイパーたる彼女に一矢報いることなど不可能だ。
そう意気消沈するは当然だと俺は考える。
そんな俺の様子をどう理解したの知らないが、原作通りに少女がナイフを俺に握らせてくる。
そして…。
通算して二百数十回程少女とナイフで殺し合いをした俺は、原作通りに彼女を組み伏せる事に成功していた。
狂う事もできず、そして殺される事で与えられる不快感に耐え切れなくなって必死に抗った結果だった。
人間死ぬ気でやれば何とかなる。
今はその言葉に心の底から同意しても良い。
まあ、実際には200以上死んでいるわけだが。
この状況を一度で作り出せたこの身体の本来の持ち主、
吾妻玲二の才能に驚きを禁じえないし、正直、嫉妬を覚えていた。
今こうして俺が彼女を押さえ込めているのは、
たかが十数秒の俺と彼女の行動を200回以上経験して覚えたからに他ならない。
そう本来此処に居るべき吾妻玲二と俺との間には天と地ほどの才能の差があったのだ。
その差を200回と言う経験で埋めて、今のこの状況をどうにか作り出せただけだ。
だがようやく原作どおりの展開に持ち込めたのも事実だ。
そしてその達成感を感じる事で、一瞬の気の緩みが生じたのだろう。
俺は組み伏せたはずの彼女からの強烈な一撃を顎にもらい、
自身の意識を暗闇へと落とす事になった。
次に目を覚ますと、繰り返しで見慣れた白い服の男とスーツの女は部屋に居なかった。
代わりにただ少女の黒い瞳だけが俺をじっと見つめてきた。
条件を満たしたのでループではなく次のステージに進んだと言う事なのだろう。
悪い夢なら覚めて欲しかった。
原作の彼と殆ど同じ思いで項垂れる俺。
そして意外にも彼女は、質問があれば答えれる範囲で答える、と俺に声をかけて来る。
「君の名は?」
アインであり、エレンであり、そして本当の名であろうキョウ。
幾度と失く繰り返しプレイした原作から解りきっている筈の答を求め、
俺は躇いもなく彼女に問いかけた。
その俺の問いかけに一瞬悲しげな表情を見せたかと思うとすぐに表情を消した。
そして彼女は俺の求めた答をくれる。
「アイン、今はそう呼ばれているわ」
その答えに幾許かの違和感を伴いながらも、俺は彼女の名をつぶやくように繰り返した。
そんな俺にアインは俺が今置かれている状況を改めて語ってくる。
淡々と紡がれるアインの言葉に此処があのファントムの世界なのだと俺は改めて実感するに至った。
この状態から逃れる方法は解らない。
少なくとも死ぬ事で逃れられないのは確かな事だ。
だから、今は此れを現実と受け止めて、ただ先に進む事だけを考えよう。
気概など無い俺ごときに、吾妻玲二の代わりが努まるのか甚だ疑問ではあったが、
俺はこれから迎えるであろう過酷な日々を受け入れる事にした。
それから始まったのは身体をひたすらに鍛え上げる訓練漬けの日々。
真面目すぎると曰われた性格もあってか、
俺はアインに言われるがままに基礎体力の訓練に打ち込んで行った。
無論、何度寝ても醒めない夢からの逃避であったし、
そして何より訓練に打ち込んだのは死にたく無いからだ。
才能こそ違えど、この吾妻玲二の身体はさして鍛えてあるわけじゃなかった。
訓練前のこの身体は体力的にアインに劣る部分が殆どだったのだ。
この先才能の無い俺が生き残るの確率を少しでもあげる為に、
俺が出来たのは訓練を直向きに繰り返す事だけだった。
そうして繰り返される日々を過ごし、日付の感覚などは当に失われたある日。
アインに連れられて俺は今迄入ったこと無い部屋へと足を踏み込む事になった。
備え付けられた棚の鍵を開け、彼女が取り出した黒光りするもの。
言わずもがな、彼女が人を殺す為に使い、そして俺もこれからそうする為に使う事になるであろう銃だった。
基礎的な体力は身についてきたので、今後は銃を使った訓練を行なう。
いつもと変わらぬ調子でアインは俺に告げてくる。
拒否権などは俺にあるはずも無く、アインの指示通りに俺は銃の訓練をすることになった。
今寝泊りしている廃工場の片隅に移動し、アインに言われるがままに崩れかけた壁の上にブロックを列べて行く。
訓練は先ずアインのお手本を見るところから始まった。
銃の構え方から始まり、最後は雷撃のような6連射でアインのお手本は終った。
アインの射撃は完璧で、一発たりとも弾は外れる事が無く、列べたブロックを悉く打ち砕いていった。
そして俺に手渡される銃。
弾丸を装てんし、アインが背後にぴったりとついて指導してくれている段階まではまだ良かった。
が、実際に俺一人で銃を的に向けて構えた処で腕の震えが止まらなくなった。
銃を握る俺がトリガーを引くだけで他者の命を容易く奪える状況にある。
そんな自分が、どうしようもなく怖くなったのだ。
後で冷静に考えてみればそれしか結論は出なかった。
何時もと変わらぬ口調に怒りを乗せてアインは俺を叱咤する。
だが俺の腕の震えはまるて止まらず、ついには呼吸すらままならなくなり、
荒い息遣いだけが俺の耳に聞こえ。視野狭窄まで始まる始末だった。
俺はこの身体の本来の持ち主と違い随分とヘタレだった。
その後、舌打ちをしたアインに銃を取り上げられ、
最初にした様に二人羽織のように身体を重ねての指導から再度繰り返す事になった。
それでもやはり一人で構えた時の俺の震えは止まる事は無かった。
真当に銃を構えて射つ。ただそれだけの事を身に付けるのに、
アインの付きっ切り指導にも関らず結局1週間もかかってしまった。
訓練からしてこの体たらくな感の俺。
今後待ち受ける殺し屋としての生業を考えて、酷く落ち込んだのは言うまでも無い。
恐らく原作の彼よりも気概が無い俺は、随分と緩い技量しかもてて居ないという自覚があった。
銃を普通に構える事は出来るようになったが、
そこから放たれた弾丸が標的に当たるかどうかはまた別の話である。
それでも一月ほど訓練を続けた成果が実り、
今は静止した的に当てるだけなら何とか出来る様になっていた。
それもしっかり狙って構えて10m先の直径30センチの中に弾丸が集束できる程度のもので、
恐らく彼なら出来たであろう感覚で狙って射つという事が俺にはまるで出来なかった。
静止した的ですらそんな状況な俺が、機械的な動作を繰り返すだけの的に当てる事など出来やしなかった。
ちなみにアインが見せたお手本では、
ランダムに動く目標を前に目隠しした状態で銃を抜き、
1秒程度でリボルバーの装弾数6発を射ちつくし、全て命中させるという神業じみたものだった。
ターゲットの居場所を感じ取り、あとはトリガーを引くだけ…なのだそうだ。
それが多分彼ならたどり着けた領域であり、
そして俺では辿り着く事の出来ないものでなのだろう。
技量の伸びは亀の歩みの如くの俺だったが、
平行して行なっている基礎訓練のおかげでやたらと体力だけはついていた。
そんな風に体力バカになっていく俺の元に一人の女性が訊ねてきた。
正確にはアインは本来の任務の為か出ていて、
一人延々と訓練を繰り返していた俺に彼女が声をかけてきたのだ。
クロウディア=マッキェネン。
俺の繰り返しの日々の始まりに同席していた内の一人だ。
そう言えばそんなイベントもあった様な…。
原作を思いこしつつ、俺は頭にその場面を思い浮かべていく。
クロウディアが此処に来た目的は不明だが、
適当に世間話をして最後はスピードが如何こうと言う事でイベントが終ったはず。
相手は俺の上司であり、組織の幹部の一員だ。
邪険にするわけにもいかないし、とにかく適当に話を合わせるべきだろう。
そして訓練を続けながらではあるが、クロウディアと色々と会話をして…。
「目が覚めたかね、少年、気分はいかがかな?」
再び、目が覚めた時には、やっこさんのそんな台詞が聞けました。
どうやら死ぬと途中からではなく最初からやり直しになるらしい。
今回の死因はクロウディアのバックアップに頭部を射ち抜かれた事だ。
幾らはクロウディアとの世間話が盛り上がってしまったとは言え、
原作で言えば序盤過ぎるあの時点で、彼女の弟の名前まで出してしまったのは失敗だった…。
ロメオの名を聞いたクロウディアは、有無を言わさずに俺を撃ち殺しましたよ。
というかあれだけ殺し屋になる為の訓練を重ねていながら、全く反応できなかった俺って一体…。
よし、今回からは気を付けよう。
最早死に慣れた感もある俺は、没む思考を早々に切り替えて前向きな決意をし、
すぐに待ち受けているであろうアインとの殺し合いに意識を傾けていった。