・2199年 4〜6月期における火星奪還戦の経過状況
火星奪還を目指した<ルビコン>作戦。
初動での連合宇宙軍への阻止攻撃およびに軌道要塞と化した火星の二衛星による地表および軌道上への嫌がらせ攻撃により停滞していた攻略作戦ではあるが、2月に行われた<スナイプアロー>作戦による地表の通信設備への集中攻撃、<アッシュ>作戦による迎撃陣地への飽和攻撃により多大な犠牲を払いながらも連合宇宙軍は『安全』な橋頭堡を築きあげることに成功し、有り余る物量をもって進撃を開始した。
対する、木連軍も負けてはいない。
地上に残ったチューリップを限界まで酷使して、火星圏へと送り込まれた戦力は地球連合軍側の航空優勢状態を脅かすには十分な航空・航宙戦力を有し、はじめから地下に建設された火星プラント群によるバッタなどの無人兵器、マジンシリーズや新型機動兵器(当時は<四神>という名前は知られていなかった)が生産されつつあった。
だが双方ともに問題は山積みとなりつつあった。
連合宇宙軍は長期化した戦争による厭戦気分の蔓延と軍事費増大による経済の圧迫・停滞感の発生。
木連軍は食料供給問題の悪化や新天地を求める人々の声。
ゆえに双方がこう思った。
「この一年ですべてが決まる」
戦争の夏は過ぎ去りつつあり、人々は豊穣の秋の収穫を望む。
その先に待ち受ける『冷戦』という名の冬に備えるために。
ゆえに4〜6月期は夏の最後の煌きを行うために静かに費やされた。
臨むは、天王山。天下分け目の関が原。
連合宇宙軍は太陽系の王者という新たな皇帝を自らの元に招くために約束された勝利の剣、ナデシコの名を冠する新たなる艦を招聘し
木連軍は人々の願いをすべてを守りきるがために、破邪の祈りをこめた策を現代の孔明に求めた。
その結果が双方が決戦を求めるという結果に至った。
オペレーション・オーヴァーロードU、そして破号作戦はこうして発動されるにいたったのだ。
―――そしてその裏に潜む、<協定>という存在
それに振り回される若者たちの夏もまた始まりを告げた。
季節は2199年8月。
そこより次なる物語は開幕する。
機動戦艦ナデシコ
火星奪還作戦<ルビコン>
第二部 T 〜終わりの始まり〜
2199年 8月9日 グリニッジ標準時 午前0時 新鋭戦艦<ナデシコB>この日は日本という名でかつて呼ばれた弓状列島、現在の極東・日本地区の住民にとって大切な日である。
「黙祷」
その言葉とともにブリッジにいる各人それぞれがそれぞれの形で、モニターに移る式典会場にあわせて黙祷をささげる。
そして1分ほどが経過し、モニターに移る内容が切り替わる。
それにつられ、<ナデシコB>艦橋にいる人々の意識も切り替わる。
ただ、死者への冥福を祈る巡礼者の姿から、連合宇宙軍軍人たる姿へ。
「…ルリちゃん」
「はい」
最初に見た時よりも幾分か大人となった少女、電子の妖精ともあだ名される星野ルリに、彼女―――連合宇宙軍中佐、ミスマルユリカは命令した。
「最終確認をお願いします」
「了解、オモイカネお願い」
『ワカッタヨ!!』
三度目となる確認事項を行うために彼女は相棒とともに、電子の海へとダイブする。
ほんの少しの沈黙。
それがやがて終わる。
「各艦問題ありません」
その言葉にうなづいて、彼女は背後に控えるムネタケ・サダアキ提督ヘ顔を向ける。
「…やりなさいな」
彼は軽く哀れむような目線を彼女へやったあと、それだけ言った。
それで十分だった。
「…これより、上帝第二作戦、オペレーション・オーヴァーロードUを開始します。各艦は所定の行動を開始してください」
同時刻 軌道要塞ダイモス木連軍の誇るダイモス要塞は同じ火星防衛を担うフォボス要塞に比べれば多少劣る程度の能力しかもっていない。
いやフォボスの方が過大ともいえる能力をもっているのだ。
何せ、フォボスは「環境保護?なにそれおいしいの?」とも後に言われるほどの大改造を行ったため、表面上はともかく中身は完全に別物といわんばかりの存在となっている。
ダイモスはそれに比べれば大人しい。
せいぜい、旋回型グラビティブラスト砲台150門にDFを長距離から貫徹可能な3連装電磁加速砲を1セットとした砲台が1250門にハリネズミがごとき無数のミサイル、大型飛行場に20もの隠蔽型ドックがあるだけだ。
…ね?控えめでしょ?
抗議は受け付けない。
何はともあれ、そこにはその戦闘能力を十二分以上に発揮するために十分以上の観測所やレーダー網が仕掛けられていた。
そしてそのうちの一つがそれを捕らえ、そのデータを警告とともに司令部へと伝送した瞬間…
ダイモスの地球方面を向いている側面部は…『光』に埋没した。
12時間後 軌道要塞フォボス「そう…ええ、とにかく復旧に当たって頂戴。これを機会に後続の補給船団とかに突破かけられると厄介だわ。最後までダイモスは『抑え』として働かなくてはならないのだから…艦載機はいいわ、こちらでも製造はしてるし。そっちの偵察や嫌がらせの船団攻撃にでも使っておいて、ええよろしく」
モニターのスイッチを切る。
「まったく、3ヶ月も静かにしていると思ったらこれだけの大攻勢とはね…うちの終号作戦が感づかれたのかしら?」
「単にあちらが物資集めるのが早かっただけと思われますが…」
そんなのわかってるわよ、と彼女は返す。
「愚痴っただけよ、あーもう…これだから物量の多い敵は嫌いなのよ、好きなときに攻勢かけてくるんだから」
の割には口元に笑みを浮かべている。
(大概だな…)
月臣源一郎はそれを思っても口には出さない、それがこの数ヶ月で学んだ『戦訓』だ。
「んで、第三秘書君? あなたはここでどうするべきだと思う?」
「?…迎撃するのではないですか?」
「やるとたぶん終号作戦の発動が3ヶ月は先延ばしになるわねぇ」
一刻も早く終戦を迎えさせるならここは持久防御に徹してという手もある。
そういいたいのだろう。だが…
「一度防御に固まってしまうと、攻勢にでるのも難しくなります」
無人兵器の比率の多い木連軍の弱点。
それは無人兵器の学習機能だ。
かの学習機能をもつ電子頭脳は広範にわたる各種戦術をすべて網羅して応用できるほど広く、やわらかくはない。
ゆえにそのときの戦略において重要とされる戦術に傾倒してしまう、という欠点がある。
しかもそれが全体記憶としてフィードバックされるので、一度防御に固まった後に攻撃主体の戦術へ移ると全体への上位権限での書き換えが必要となってしまうのだ。
その書き換えの間、もちろん無人兵器は使えない。
「うん、それで正解よ。今のところはね…」
にっ、と年に見合わない笑いを見せる彼女こと、草壁榛名少将。
だが、それはすぐに元の何かをたくらんでいるような顔へと戻る。
「もっとも、相手の狙いがそれを想定したものだとしたら…」
―――そうとうの狐よ?この作戦を練ったのは。
彼女の異才といわれる灰色の脳細胞は、『狐』の目的とするところを大まかに当てていた。
すなわち…
2209年 4月 地球連合参謀本部「決戦の強要、ねぇ」
ムネタケ・サダアキ少将は話半分でそれを聞いていた。
「そりゃ、うちの戦力はすり減らされているからねぇ、できれば決戦一回で終わらせたいところだけど…」
開戦以来2年半にわたり守勢防御を強要されてきた連合宇宙軍は現在、新造艦を含めても往時の7割程度の戦力しか存在していない。
さらに言うならば、その艦艇を動かすために必要とされる熟達した下士官と尉官たちは一時期よりはよくなったとはいえ現在においても不足しているのは言うまでも無い。
自動化をより進めれば、という安易な発想に走るのも危険だ。
自動化は一人あたりのワークローテーションの増大と艦被弾時のダメコン能力の直接的な低下をもたらす。
それは『脆く壊れやすい』艦という人命を優先に考えるならありがたくない艦艇ができあがってしまうのだ。
木連軍ではどうか、といえば無人艦はそもそも消耗を前提を考えられているのでそこまで考える必要はない。
有人艦はソフトウェア面での技術的限界ゆえもあるが、同クラスの連合宇宙軍艦艇の1.5〜2倍程度の人員で運用されている。
つまり艦艇とは極端に、つまり無人もしくはきわめて少人数で運用するか、多い人数で運用することがもっともいい運用方法なのだ。
少なくとも現状においては。
「決戦は相手が乗ってくれなければ意味がないのよ?」
彼は言い聞かせるように目の前の彼女に言う。
同時にこう思う。
最初にあったころより、笑わなくなったわね、と。
最初、あの懐かしきナデシコに乗ったときは、花のような笑顔を見せていた目の前の女性。
それをうざったいと思いながらも、悪くない気分でいたのも確かだ。
だが…
「それについては策があります、34頁を」
今の彼女は…
そこで思考をとめる。
考えても仕方ないことだ。
戦争は人を変える。
それは誰であっても例外ではない。
自分も変わったのだ。
「では説明を開始します、スクリーンにご注目をお願いします」
まったくもって無表情で彼女、ミスマルユリカ少佐は語り始めた。
彼女もまた、変わったのだ。
よい方向にせよ、悪しき方向にせよ。
数時間後 彼は会議室近くのベンチへ座り、紙コップの中のコーヒーを飲み干した。
「まったく、あんなデータどこからもってきたのやら…」
確かに、今までも経験則からバッタのような無人兵器は瞬間的な対応能力が低いとはされていた。
初期の防衛線でもそれは立証されていたのだが…
彼女の示したのはそれを裏づけ、さらにその先にあるものを実証するデータ。
「出所は…ああ、そういえばあの子もいたわね」
無口なツインテールの少女、ピースランドの王女さま、そして電子の妖精。彼女の能力ならば莫大な交戦データをまとめることも可能だろう。
(結局、一度も笑わなかったわね…あの子)
自分は最後までナデシコに乗っていたわけではない。
だから、わからない。
火星を命からがら脱出し、月近郊でキングストン弁を抜いて自沈したナデシコに何があったのか。
まぁ、いい。
今はあの作戦案で通すか、否かだ。
実際問題として細かい調整をする必要はあっても、あのまま通して問題ないだろう。
ただ…
「隣、いいかね?」
しばし思考の海に沈んでいると横から声をかけられた。
「ええ…、ってミスマル提督!?」
あわてて立ち上がり、敬礼。
座ったままでいいと仕草で示される。
「時間…あるかね?」
時計に目をやる…そういえば昼食をとっていなかったことを思い出す。
「ええ、大丈夫です」
食事でもとりながら、どうです?という声に彼はうなづいた。
15分後 食堂「それでお話とは?」
予想はつくが…彼はしばしまよったように目を泳がせ。
「ユリカのことだよ」
ビンゴ。
「私に聞くよりも本人に聞いたほうがよくありませんか?」
「…」
あれ、地雷踏んだ?
「ユリカあああああああ!!無視されるとパパは悲しいぞおおおおおおお!!」
防御は間に合わなかったし、回避もできなかったとだけ言っておこう。
閑話休題。
「つまり、火星から帰ってきてから様子がおかしい、と」
要約すれば、提督も似たようなことを感じていた、ということである。
「ああ、まるで火星に笑顔と一緒に…魂もおいてきてしまったようだ」
「はぁ…、失礼ですが典型的な『火星症候群』にも聞こえますが」
トカゲ戦争開始後から増えた無人兵器に対して正常範囲を超える精神的なストレスを感じてしまう傷痍軍人特有の病気を上げる。
それに提督は首を振って否定を示した。
「違う、違うのだよ…今のあの子は、どこか『危うい』」
危うい、ねぇ…
その言葉を頭の隅に刻み付けつつ、もっとも疑問に思ったことを言葉としてぶつけてみる。
「しかし、何故私にお話に…? 私は単なる一参謀に過ぎませんよ」
その言葉に彼は苦い笑みを浮かべつつ言う。
「私は『和平派』として責任を取らなければならない、だから今回の人事ではどうやってもあの子の近くにはいけないのだよ」
『和平派』。
木連側との和平交渉を指導していた派閥だ。
だが数年前まで、和解へと向かっていた雰囲気は<カワサキ・ディストラクション>で消滅。
今はましとなったとはいえ、世間からの風当たりは強い。
当たり前のごとく、現在その要職についていた者たちは閑職へ左遷されている。
もちろん、現在の連合宇宙軍の作戦指導に関わることなぞできるはずもない。
だが、コネがなくなったというわけではなかったようだ。
「…それで私にどうしろと?」
打算と計算を働かせてその言葉をつむぎだす。
けっして、同情やそれに類する類ではないと心に言い聞かせつつ。
そして、提督は言葉をつむぎ出した。
「・・・提督?」
かけられた声で意識が現実に回帰する。
「ああ、ごめんなさい。少し考え事をしていたわ…何か、私の裁可が必要なことでもあったかしら?」
たぶん、現状においてもっとも起こりにくい可能性を口にする。
帰ってきた答えは…ネガティブ。
ただ、交代の時間になっても動こうとしない自分を不思議がったようだ。
その言葉に軽く微笑みつつ。
「ごめんなさいね、気にしないで食べてきていいわよ。私はここにつめてるから…」
ああ、でも何かつまめるものがあったら持ってきてもらえると助かるわ、と声をかけて敬礼をしたままだった彼を送り出す。
ここは、仮とはいえ平穏の戻った2199年4月の地球ではなく、2199年8月の戦乱渦巻く火星上空なのだ。
思索にふけるのは危険であった。
それでも反芻せずにはいられない。
『いざとなったときは、娘を…ユリカを止めてくれ…』
かつて、『極東の雷帝』とも言われた激烈なる戦術家のミスマル・コウイチロウ中将ではなく、小さな、とても小さな背中を最後に見せた一人の父親の姿を。
2209年 8月9日 <サジタリウスα>基地「ついに始まったか…」
キリシマ・シュウ大佐はくくく、と愉快と思いつつ笑った。
まったく、<協定>の力は恐ろしい。
本来は物資・人員の完全な充足完了後に行う予定であった決戦、オペレーション・オーヴァーロードUを前倒しし、訓練未了のまま戦争へと赴かせる。
もし仮に神の目線で現状をすべて見通すことができたら、真っ青になるに決まっている状態でありながら、だ。
本来働くべき、チェック機構は働かずに、国民の総意のもとに早すぎる決戦が行われる。
それが<協定>の望んだゆえだと、知っているのは何人いるものやら…
「奇しくも、その末席となったことには感謝しておくかね…」
馬鹿笑いをやめて、彼は行動に移る。
自らの手ごま、地獄の軍勢をソロモン王がごとく傲慢に、かつ有効に使うがために。
「む・・・」
その軍勢の一人たるダテ・タカヒロ中尉は鼻に掻痒感を感じ立ち止まる。
「・・・? どうかしたました?」
すでに数ヶ月の付き合い―もちろん、上司と部下の!!―になっている少女期を抜け切っていない女性、セレナ・ファルマシア軍曹がそれを不審な目で見ている。
「きっと誰かが噂しているのだろう…」
「モテモテでよかったですね…」
「…なんで機嫌が悪くなるのかね?」
知りません、先に行きますと彼女はそれだけいって敬礼とともに渡り廊下を進んでいってしまう。
肩をすくめる。
「…君が何を考えているかしらないが…」
―――私には悪い予感しかしないよ。
そして、彼の予感は1週間後のブリーフィングにて的中する。
『敵の宇宙軍に大規模作戦の動きあり』、と。
木連側が暴虐なる皇帝を打ち破るために放った凶弾の射手。
『破』の名をもつ作戦が動き始めたのだ。