道を兵士たちが
並んで歩いて行く
遠くの敵と戦をするために
狂ってしまった時間の中に―――
死ぬためだけに、歩き続ける。
誰が知っていようか
彼らの腹の底
何も見えないほど真っ暗なのに
風の吹く野原に立って
死体の数を数えている
広場で兵士たちが輪になって踊っている
だけどそんな暇はない
逃げ延びるために――命を――長引かせるために
世界の果ての時計台から
腐ってしまった影が
赤い野原に散っていくのを
腕を腕を腕を組んで
笑っている
道を兵士たちが並んで歩いて行く
遠くの敵と戦をするために
狂ってしまった時間の中に
死ぬためだけに歩き続ける
歩き続ける――歩き続ける――歩き続ける
空を支配する
飛行船、月夜を翳らすそれの中、短躯の男は一人、今確かに彼だけを照らし出す月輪を眺望していた。
「私は人間だ、私は人間だ!幾千幾万の月を閲そうとも、確かに培養液に浮かぶ脳髄が私のすべてだったとしても!
今ここに在る、この私は確かに人間なのだ!」
男は――肥満体を僅かに揺するとそのまま深く深く椅子に背を預けた。ステンドグラスの向こう、煌々と輝く月が彼の影を
壁に映し出した。それはひどく――歪に見える。
「私は打倒する。負け続けてきた私の人生の最後に私は私の宿敵を打倒する。嗤っているか、アーカード。暴君よ。死の河よ。
戦争は楽しい、楽しいだろう?満願成就の夜だ、私とお前の最後の舞台だ!
私たちの日が暮れるまで、共に食ったり食われたり、殺したり殺されたりしよう。ああ、いい夜だ。そうだろう?
害虫のように地べたに這いずるのをやめる初めての夜だ!最初で最後の勝利の宴だ!
ああ、ああ、終わりが来るのだな?宿敵が来るのだな?
私の歩みを終わらせる愛しい愛しい御敵が来るのだな?
よろしい、今一度私は待とう。何、60年も待ったのだ。今この美しい夜を今しばらく楽しんでいればいい。
ああ、楽しみだ、楽しみだ。ああ!」
男は狂っていた。狂っているがゆえに、その脚を止めることができ
なかった。
狂気は既に60年彼の体を蝕み続けてきたのだ。否、彼の精神か。彼の肉体は既に瀕死、60年前の死を彼の精神が拒絶し続けている
だけだ。
彼が死ぬには、死に値する宿敵が要った。
「ゾーリンブリッツ中尉、心せよ。褐色の狂気よ、留意せよ。お前の相手はひとつの冗談、ひとつの奇跡だ。
ああ、ああ、滅びの繊手がお前を導かんことを!」
男は諸手を挙げて喝采した。彼の宿敵と、彼の御敵と……そして彼の終わりに。
少佐は――大隊指揮官と呼ばれるそれは狂っていた。否、おそらくは狂わなければならなかったのだろう。
世界の誰もが彼らを必要としていない、世界の誰もが彼らを忘れようとしている。
それゆえに。
先の大戦で死ね
なかった独逸帝国の無敵の残敗兵。1000人の武装吸血鬼による
無敵の大隊。
死ぬためだけに歩き続けるのは、もはや疲れた。60年の雌伏から解き放たれた彼らはよってたかって倫敦を食らい尽くす。
かつて霧の都と称された世界の工場は今宵
人造吸血鬼の晩餐に成り果てる。
銃剣に首を切られる男がいる。彼はその頭蓋が地に堕ちるその時までに彼の躯の末路を悟っただろうか。
シュマイザーの吐き出す鉛球に穿たれ、脳髄をぶちまける女がいる。彼女は彼女の終わりを理解しただろうか。
化け物の膂力に踏み潰され、手榴弾をもって焼き尽くされる者がいる。
抵抗することもできずに食い散らかされる者がいる。
逃げても逃げても逃げ切れずに無手で引き裂かれる者がいる。
寸毫も動けず、血の海に偃臥する者がいる。
銃剣先を揃えた吸血鬼歩兵に蹂躙され、串刺しにされる者がいる。
皆死んでいく。ぱたりぱたりと死んでいく。最早誰も生きてはいない。しかし最早死んですらいない。
死ぬことすらできない彼らは、生気のない濁った目で周囲を見渡した。最早死ぬことすら許されない食屍鬼となった彼らは食事を求めて死都を蠢き始めた。彼らの大切なものを喰らうために――死者の列に加えるために――死ぬためだけに。
亡霊たちは行進する。一糸乱れず狂気を纏い、死を求めて歩き続ける。
彼らの工程には蟻一匹残らない。死んで死んで死んで死んで殺して殺して殺して殺してまた死んで彼らと彼らの狂気と彼らの憤怒と彼らの万力の如く締め上げられたその拳とが振り落とされた死都には最早生けるモノなど存在しない。
最早手段が目的と成り果てた彼ら、死の横隊。蹂躙し太平をまっ平らに台無しに。
化物を構築し化物を兵装し化物を教導し化物を編成し化物を兵站し化物を運用し化物を指揮する少佐殿。
ついには化物さえも指揮する、人間を称する化物殿。
短躯の肥満体の彼は、彼の死地
飛行船の中で大きく大きく哄笑した。
いや、それは――口の端の皮を集め歪めて醜く嗤うその様は、憫笑なのかも知れなかった。
兵士たちもまた嗤った。虫けらを踏み潰すように人を踏み潰し、血を浴びるほどに飲み干した。その度に一人、一人と
化け物に成り果てる。成って、果てる。狂乱の宴は終わらない。まだ――夜明けが来るまでは。
その様を見ている者たちがいた。
「倫敦が見えるか、嬢ちゃん」
「見えます!」
血の眼を彼方に向けるのは最強と謳われる
不死者アーカードの創り出した
女吸血鬼、セラス・ヴィクトリアである。
ぴんぴんと跳ねた癖っ毛に死んでからも生前と変わらぬカーキ色の婦警服を纏った彼女は弓のように引き絞った瞳を炎に照らされる死都倫敦に向けていた。
「俺は倫敦なんて嫌いだ。古くせえ街だと思ったよ、俺には全然合わねえ街だと思ったよ」
紫煙を燻らせながらセラスと通信するのはヘルシングの
傭兵隊長ベルナドットである。
彼の態度は飄々としており、とても英国の対化物機関ヘルシングの者だとは思われない。そうだ、死都倫敦は燃えているのだ。
次の標的はどこか、考えずとも分かるではないか。
次の晩餐は化物を狩り続けてきたヘルシングにて開催されるのだ。その招待客は今入念に着飾ってこちらに向かっているのだ。
そうだ、されこうべのネックレスに黒ずんだ指のティアラ、眼球の耳飾に真紅の鮮血で入念に染色されたドレスを纏って淑女共が隊伍をなしてやってくる。
妖艶に淫靡に科を作りながら銃把を握ってやってくる!
「でもな、俺たちが週末に繰り出して行ってたキャバレーはビールが冷えててうまかったし、バーテンの兄ちゃんもくっだらねえ下ネタが大好きなバカな奴でさ。
売春宿の女郎たちは金に汚くてブスも多かったけど、でもな、みんな優しかったしみんなかわいそうな目の奴ばっかりでよ。
ヴィーバー通りの定食屋のバアさんは頼んでもねーのに俺がいくとフィッシュ&チップスをいつも勝手につけやがる。
俺が外人だからっつって名物だっつって毎度毎度。俺、アレ油っこすぎて食えないっつってんのに・・・
バアさんに悪いから毎度無理に食うのがつらくってさ」
いつも通りに飄々と――ベルナドットは語る。倫敦の思い出について語る。今では死の都。化物が跳梁し化物が跋扈する
地獄の大釜。そこであったはずの彼の日常について語る。
「俺は倫敦なんか嫌いだ。でもな、あいつらは、バーテンや女郎たちやバアさんはこの闘争とやらと何の関係もねえ。
戦争も、ナチも、吸血鬼も!何も関係がねえ。少佐ってやつも第13課ってのも最後の大隊も俺たちヘルシングも
しったこっちゃ
なかった」
そこでベルナドットは一旦息をついた――心を落ち着けるように。そして、紫煙を燻らす煙草をギュっと噛み締めた。
噛み千切られた煙草が明滅しながら床に落ちる。ベルナドットはそれを乱暴に踏み潰した。
「でもあいつらは今死体になって死体を食ってる・・・・・・
それが俺には勘弁ならねぇ・・・!」
本音であった。セラスは息を呑んだ。仮初なれど彼らの教官を務めてきたが――ベルナドットが本音で話すことは一度たりともなかった。彼はいつだって泰然と構えていたし、いつだって遊びがあった。
生と死の坩堝の中、負ければ死者の列に加わるサイコロゲーム、小銭ほしさにそんなイカれた戦場に身を投じた男はしかし今確かに怒っていた。
「仇うちをしようぜ、セラス。やっちまおう、あいつらをやっちまおうぜ」
静かな声音である。猛る断頭台のごとく噛み締められた先ほどの口からはついぞ漏れないだろう声音であった。
それはいっそ穏やかだった。彼が何を思っていたのかなど、セラスには分からない。
人が人を理解できるなどというのは傲慢である。今や自分は半吸血鬼という半化物の身の上であるなら尚更だ。
それが――普段ならば割り切っていると思っているそれが、今は不思議な程に空虚な思いがした。
セラスは未だにまともに血を啜ったことはない。例外は主たるインテグラ・ファルブルケ・ウィンゲーツヘルシングの血を僅少
なめただけである。
ゆえに彼女は未だ化物になり切れない人であった。しかし、だからこそなのか。
きっと血液を魂の通貨として、精神の同化を行ったのなら、化物であったなら人を理解することができるのだろう。
永遠と同期の彼方、空から落ちてくる祝福はきっと歓喜なのだろう。
そこがたとえ地獄であったとしても。
だが、セラスはまだ人でありたかった。完全に人を辞めるのはもう少しだけ待ってほしかった。
だから、せめて今は人として、この憤怒を共有する。理解できずとも人には、それができるのだから。
「……うん、わかってる。わかってるよ隊長」
見える。人ならぬこの目には、遥か遠く悠然としかし着実に前進する飛行船が見える。これは違う、あの狂った少佐が乗るデウス・エクス・マキナではない。だがしかし、間違いない、間違いなくそれの部下がヘルシング機関を殲滅し鏖殺するために地獄からやってきている。
かつてアーカードは言った。神にも違えることのできない闘争の掟がある、と。
殺さなければならない。彼らが闘争のために喜び勇みやって来ているのなら。私と私たちの全力をもって叩き潰さなければならない!
セラス・ヴィクトリアは30mmセミオートカノンハルコンネンUを無造作ともいえる所作で構え――
砲火は月の翳る夜空を焼き尽くした。
ゾーリン・ブリッツ中尉は墜落しつつある飛行船の中にいた。狂人に率いられた無敵の残敗兵の中、その中でもさらに
異能を誇る「
狼男」の一人、幻影の異人。生前から特異な能力を誇り、死後にさらに変異した化物共。
戦鬼の従、ヴェアヴォルフ。
短く刈り込まれた髪に斜視気味の右目、黒魔術の名残を思わせる、右半身に彫りこまれた奇怪な刺青。
彼女は死神の鎌を模したような大鎌を握り締め、歯軋りしながら前方を凝視した。
セラス・ヴィクトリア。
あのアーカードが血を吸ったあのアーカードの眷属。その砲火は彼女の艦を焼き、今まさに崩落の一途を辿っている。
甲板は既に火の海だ。機能も粗方沈黙した……気に入らぬ。まったくもって気に入らぬ。
「持ちません!艦を…ッ、艦を後退させなければ…!」
慌てふためき彼女に撤退とその後の指示を求める管制官にちっ、と小さく舌打ちをする。
「不可能!このデカブツでは逃げられん!下降だ、強行着陸だ!ヘルシング本部に…いや――」
ゾーリンは前方を見据えた。高度を下げつつも進行するその先、爆裂焼夷弾装填する敵の姿が見える。
冗談のような、奇跡のような――そう称された存在が、偽者の自分を焼き殺そうとしている!
「いや、
奴にぶつけろ――!!」
セラス・ヴィクトリアは自らに向かって突貫してくる飛行船を見つめた。彼らは正真正銘の化物だ。
殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して死ぬ誰かが夢見た糞のような悪夢だ。
「終わらせる・・・!」
セラス・ヴィクトリアはハルコンネンUに劣化ウラン弾を装填した。
燃え盛る悪夢は、狂気の眼は眼前にまで迫っていた。
大隊指揮官、狂った少佐に与えられた兵と戦力。ヘルシングを崩壊させるために与えられたそれ、それを今失おうとしている
自らを食い破ってやりたい衝動に耐える。
そうとも、これは憤怒だとも。
あの少佐が到着するまで待て、と厳命された自分があのセラスを縊り殺そうとしているのは憤怒からだとも。
ゾーリンは帆が破れ虫のような羽音を奏でる我が艦を忌忌しげに足踏みした。
独断専行。崇敬する少佐の命に背く。ああ、だが構わぬ、構わぬとも。
あのヘルシングに突貫しセラス・ヴィクトリアのそっ首を千切り取り御前に奏上することが最もよい。ああ、最高だ。
爆裂焼夷弾を受け炎上する飛行船30mmセミオートカノンに穿たれ粗方破壊された上に、さらに劣化ウラン弾の直撃を食らったのだ。
最早とっくに艦は制御不能。
ならば、放棄する。そうとも、命令をも放棄する。この艦を放棄する!
「総員下艦せよ。目標ヘルシング、目標セラス・ヴィクトリア!」
炎滅し崩壊する飛行船を見て、ヘルシング家に篭城する傭兵たちは喝采の声を上げた。
セラス・ヴィクトリアの猛攻は同時に奇襲でもあった。空を飛ぶ棺おけの中、あの化物共は一体何ができたというのか?
はン、考えるまでもない。救命胴衣やらパラシュートやらそんなものを用意するいとまなどないではないか。
あのくそったれ共は何もできずに炎に焼かれ、地面に落ちて蛙のようにおっ死んだに違いない。
だが―――彼らは心底人間ではなかった。そうとも彼らは骨の髄まで化物だったのである。
「まだです!」
セラスは叫んだ。その頬には大粒の汗が伝っていた。半吸血鬼である彼女を恐れさせるのは、褐色の狂気。
本能ともいえる感覚が訴える。敵は、敵は恐ろしい化物だ、と。
「そうだ、まだだ淑女共。目を開けろ、来るぞ!
敵は人間じゃぁない、化物だぜ。来るぞ、
がちょう共!!仕事の時間だ!!ロックンロール!!」
ベルナドットもまた吼えた。敵は目前まで迫っていた。
褐色の狂気と称されるゾーリン・ブリッツ中尉は口に銜えていた葉巻を青々生い茂る草原に吐き捨てた。
彼女の右半身を犯すのは秘密主義の黒魔術師たちが戯れに彫ったかと思われる出鱈目な刺青だ。
遮蔽物のない草原に吹く風が彼女の短髪を揺らし、紫煙を押し流した。すると月のない夜の闇から、
軍服を着込んだ屈強な男たちが音もなく姿を現す。爆裂する飛行船の射光に照らされて、影のない影が微かに嗤った。
雲とデウス・エクス・マキナの影から漏れ出ずる月光が優しく、しかし不躾に彼ら戦鬼を照らし出す。
黒く濁る澱が半世紀以上もかけて堆積したそれらは果たして、狂気の産物以外の何者あったろう。そこにあったのは果たして火宅であろうか。
否、否、断じて否。今ここに世界の法則は圧壊したのだ。それは正しく外道、理を、人道を外れた者たちの成れの果てなのだ。
「残存兵力42名、あの弾頭、ただの代物ではありませぬ。半数以上と重火器の全てを逸失いたしました!!」
男たちは顔を上げた。誰が見まごうものか、そこに張り付く表情を。
それは憤怒と狂気だった。眦が裂けるまで目を吊り上げ、砕ける程噛み締めた顎からは長く鋭い犬歯が伸びる。
「されど我等は意気軒昂!!!ご命令を、ゾーリン・ブリッツ中尉!!」
褐色の狂気もまた目を見開いた。見える、見える、見える。遥か遠くに自らよりも重視される女吸血鬼が。
「十分だ、奴らを皆殺しにするには十分だ!!」
そして彼らはかつてと同じように――堂々と行進を始めた。狂気を張り付かせてただ愚直に真っ直ぐに。
彼らの敵、ヘルシング機関にむかって。
ゾーリンは右手を掲げた。死神の大鎌が虚空を乱す。親衛隊たちはそれを合図に音もなく草原を駆けた。
目指すはセラス・ヴィクトリア。その他の糞虫など、無視してしまえばいい。何せただの餌なのだから。
彼らの足跡には何もない、ただ黒い黒い線が延々続くだけだ。その黒線は網の目のように張り巡らされながら、速やかにヘルシング家に向かって迫っていた。
ベルナドットは煙草を吹かしていた。先ほどまでの激昂した様子は微塵も感じられぬ。ただただ自然体でただただ無為な男が一人、椅子に腰掛けているだけである。ディオニソス的な感情の発露の時代は、既にして終わった。
今は冷静冷徹に、あの化物どもをぶち殺すのみだということを了解しているが故である。
「嬢ちゃん、吸血鬼ってのはあれだろ、人間離れした反射神経に運動能力、獣のように殺気を感じ恐ろしいバカ力を持つ。
人間の殺気を感じ動きを読み心を盗んで鋭く動く。銃撃や剣げきを容易く避け相手を襲い血を貪るんだろ?」
セラスに問いかけていながらも、その言は独白に近かった。教師が生徒に質問を投げかけているかのようでもあった。
悪戯を思いついた子供が大人を罠に嵌めるために誘導しているかのようだった。
そしてセラスがそんなモノだとは微塵も思ってなどいなかった。
「じゃあ、こういうのはどうだい?」
ベルナドットが顔に冷笑を張り付かせたとき、その爆発は出来した。
ヘルシング家、彼が守りぬく義務を負ったそのばかでかい館から数百メートル、一人の武装ssは下半身を粉微塵に破壊され、動きを止めていた。否、一人ではない。彼の化物の
同胞、先陣を切り、風を切って疾駆していた化物たちもまた下半身を破壊され、その動きを止めていた。
「地雷原だ、止まれ!」
化物の内一人が叫ぶ。その言葉は速やかに浸透し、彼らは歩みを止めた。
ベルナドットはさらに深く冷笑を刻む。
「止まったぞ…やれ」
「GYAaaaaaaaaaaaHaHHHHHHHHHHHHHHHHHAaaa!」
此度の爆発はさらに峻烈であった。燎原は地を舐め、爆裂した吸血鬼の残骸を悉く焼き尽くす。
爆発の連鎖は止まらない。突入しかけていた武装ssはその多くが余波に巻き込まれ、苦悶の叫びを上げた。
蛇の舌の如く伸びくる炎は肺の中の中まで踊り狂い、五臓六腑を灰燼と化す。
同時に地雷原に設置してあったボールベアリングが矯激な勢いでもって武装吸血鬼隊を穿ち抜いた。
「…………ッ!?」
咄嗟に身を伏せたためにほぼ無傷だったゾーリンは己の愚を悟った。敵は、ヘルシングであったのだ!
触れなば砕ける脆弱な人間でありながら、蜂薹の毒を持つのだ。
炎上するキリングフィールド、火竜の庭にさらにグレネードが打ち込まれる。さらにゾーリンの部隊周辺にほぼ無差別にライフルの雨が降り注ぐ。
殺気も動きもない自動装置、さらにボールベアリングのトラップ。現在も続く激烈は彼女らを近づけさせないための、避けきれるはずのない面攻撃。
(やる、やってくれる!蟲の分際で!)
ゾーリンは歯軋りし――再び大鎌を掲げた。それをみた武装ssはゾーリンのおわす小丘の斜面へと集結する。
ゾーリン・ブリッツは指揮官として無能である。そのために己が艦を失い、今再び残った兵の一部を失った。
だが、彼女を見限ろうとする兵は皆無であった。なぜならば―――!
「隊長、やつらの進撃が止まりました。小丘に伏せてピクリとも動きません。」
「やつら何か企んでやがるな。だが今はそれでいい。近づけさせなければ、俺たちの勝ちだ」
副長の報告を聞きながら、ベルナドットは煙草に火をつけた。
「俺たちの初めてのお留守番、だ。駄賃目当てのな。怖いオッサン共を家に入れたら俺たちの負けだ。
俺たちゃ喧嘩弱いからよ」
ベルナドットは窓から眼下を見下ろした。鉄火場は灼熱している。燎原の上に狂炎を重ね、鉛玉の飛ぶ
殺戮大地。
人間ならば、とっくに逃げ出してる。勇気と無謀は違うからだ。だが、やつらは人間じゃぁない。化物だ!
ゾーリン・ブリッツ中尉は炎熱する戦場に右手を掲げた。奇妙な刺青が彫られた異能の半身。天を掴み取るが如く高く高く掲げられたソレ、ソレを一直線に地に振り下ろす。
「entneesceanbeoUmlautezumreiinkopujimanorterbuchdeovcisDasaktuellste――」
瞬間、武装ssを殺害し続けていたキリングフィールドが変異した。怒張した地面は大きく膨れ上がり、その身に奇怪な文様を纏い始める。
それは――ゾーリンの右半身に刻まれた刺青の文様のそれであった。
黒いそれは地を喰らい雲を喰らい加速度的に偉容を増し――!
「何だこれは!?一体何が・・・!」
「何の冗談だよ、これはっ」
馬鹿でかいと評されるヘルシング家の二階大窓に、ゾーリン・ブリッツの姿映し出される。
ベルナドットは銜えていた煙草を思わず落とした。ありえない、でかすぎる。冗談でもなきゃ、こんな化物と戦争などできるものか――!
巨大なそれは大鎌を月を切り落とさんばかりに振り上げる。ヘルシングの人間たちは須らくそれを見ていた。
性質の悪い冗談だ、あまりに馬鹿げている。吸血鬼なんてモノがいるだけでも十分馬鹿げているのに、さらにその上・・・・!
引き絞られた筋肉から矢のように大鎌が振り下ろされる。その一撃は頑強なヘルシング家を文字道り一刀両断、傭兵たちは襲い掛かる瓦礫落盤を避け、あるいは千切り飛ばされた手足を捜し悲鳴を上げる。
狂乱の渦中に、セラス・ヴィクトリアもまた絶叫していた。が――、叫びまわる彼女の体と裏腹に、その精神は在る一つの狂気の御姿を描き出していた。
すなわち、彼女のマスター、真祖アーカードを。
(嘘だ・・・・)
彼が教えている。奇妙に狂気を感じさせるあの目で、奇妙に寂しげなあの笑みで狂おしい程の怖ろしいあの姿で!
さあ、捨ててしまえ、第3の目、だ。人間の目玉など捨ててしまえ。人間ならば問題だ、だがお前はもう人間じゃない。
人間じゃない
セラスは目を見開いた。幻だ!幻覚だ!周囲を見回す。皆悲鳴を上げ怒号を上げている。何が起こったか理解できず混乱している。
まずい、まずい、まずい。奴らが来る。狂気の生き物が隊伍を組んで方陣を敷き歯軋りしながら歯噛みしながらやってくる!
化物どもがやってくる!
「しっかりして下さい!幻ですッ、幻覚だったんですッ!」
セラスは付近の傭兵を揺すったが、彼は自らの手を見ながら失った手を捜していた。なんということか、セラスは諦めた。
今は彼らを一人一人正気に戻すなんていう作業をするのは諦めた!
その右手は銃把を執る。息を飲み込む。第3の目だ、いくら暗くたって必ず当たる。そうとも照準さえも必要ない。
今すべきことは、燎原の先の先、振り下ろした右手で地を穿ち、死神の大鎌を握るあの化物、それを始末することだ!!
ずどんッと腹に響く轟音をたなびかせ、銃弾は海を往くモーセのように真っ直ぐ突き進む。ずどんッ、ずどんッ、二発、三発それに続く。
破滅的なエネルギーを与えられた鉛玉は果たしてゾーリン・ブリッツの右頬をびりッと切り裂いた。
「ちィいぃい!」
ゾーリンの右手が地を離れる。刹那、魔道の巨人は泥人形が崩れるように姿を消し、大鎌に真っ二つにされたはずのヘルシング家は正しく何事もなかったかのように再び屹立した。
ベルナドットを初めとする傭兵たちもまた正気に戻る。ある者は手脚があるのを確かめ、あるものは死んだはずの自分が生きていることを知る。
「な、何だいまのはっ?」
「幻です、しっかりして下さい、幻術かなにかですッ!!」
「幻術ゥ!?幻だと、あれが!?」
「その通り幻だ、よくぞ見破ったセラス・ヴィクトリア!!だが、だがだがだが!もう遅い!!」
セラスとベルナドットの会話を、その聴力でもって聞いていたゾーリンは猛る。その奔流に乗るかのように、弾幕の消えた間に一気呵成、武装ss隊は窓窓から侵入を開始した。
地にコンバットナイフを突き刺し、因幡の白兎の如く地雷を回避し襲い来るのは黒い黒い腹の底。今彼らは砲撃が已んだその瞬間を見て正面玄関に殺到する。
階下に躍り来る化物の一匹は、人間とはかけ離れた跳躍を見せた。10mを飛び越え、二階に居るセラスらを強襲する!
引き裂く、引き裂く、引き裂く!人間をボロ雑巾のように、熟れ過ぎた果実のように。首を引き裂き腹を引き裂き臓物を引き出し引きちぎる。
哀れな傭兵の末期の叫びが合図であった。窓から侵入したたった一匹の吸血鬼に、傭兵たちは銃を構える暇もなく殺されていく。
犬歯を剥き出し涎を垂らしながら、化物は次の獲物へと跳躍し――口腔に30mmセミオートカノンをぶち込まれた。
セラス・ヴィクトリアであった。彼女は鯉のぼりのように武装ssを振り回し、天井に向けて銃撃する。
瞬く間に4人の命を奪い去った悪鬼は脳漿ぶち撒けて粉砕された。空から血と脳漿とリンパ液とが雨の如く降り注ぐ。
「こいつはやべえ、正面が破られた」
ベルナドットには分かっていた。屋敷内に侵入された時点で、自分たちの負けだと。
白兵戦では、人間は――少なくとも自分たちは――あの呪われた化物には勝てない。周到に準備されたトラップがあってようやくトントン、だ。
ならば、今すべきことは一つだけ。
「兵隊を集めろ。分散してる連中も遅滞戦闘をしながら退かせろ。残った兵士は全部ココに集めろ!」
傭兵たちは音もなく頷いた。銃把を執る音が聞こえる。やれやれ、いよいよ本番、だ。
「弾薬と手榴弾をありったけ持て・・・・・・・嬢ちゃん!」
「はいッ」
「俺たちはこの館棟に立て篭もる。俺たちがディフェンスで嬢ちゃんがオフェンスだ。
俺たちがここを守る。その間に嬢ちゃんがやつらやっつける!!」
「ヤ、
了解ッ」
「嬢ちゃんが俺たちの切り札、だ。やっつけろ!!だけど俺たちが奴らに細切れにされる前に、だ」
顔見知りの傭兵の一人がセラスの尻をたたいた。セラスは今悪鬼を粉砕した者と同一人物とは思えない可愛らしい悲鳴を上げる。
「頼んだぜ」
傭兵たちは、笑っていた。セラス・ヴィクトリアは彼らの「覚悟」を感じた。ならば、自分がすべきことは一ツだけ。
「はッ、はいッ!」
大きく元気に、頼りないかも知れないけれども、それでも不安を取り除くように。
「あ、一ツ大事なこと忘れてた」
「へ?」
ぼそりと、ベルナドットが呟いた。本当に何でもないような、脱力したような、微妙な声音であった。
「セラース!目ェつむれェ――!!」
隊長の突然の大声に、セラスはほぼ反射的に目を瞑った。が、彼女は半人前とはいえ吸血鬼である。心を盗み鋭く動く戦鬼の眷属である。
セラスは閉じたのと同じようにほぼ反射的に目を開けた。するとそこにはピップ・ベルナドットの顔面どアップがあった。
セラスは驚倒しつつもやっぱりほぼ反射的に避けた。危機一髪であった。
「ぎゃあ――!なにすんですかッ!何をッ!!すんですかァあ!!」
「ちっ」
ベルナドットは恥ずかしそうに、悔しそうに舌打ちをした。
「なッ、なッ、なにすんですかッ、ななな、なにをッ」
「ああッ、ズルイっ」
「隊長ズルイっ」
「よぉーしお前ら行くぞー急げ!持ち場つけよー」
「いや、その前にセラス嬢ちゃん!」
「俺も」
「オレも」
「おれも」
「俺も」
「おれも」
「オレも」
「バカ―――ッ!!」
逃げるベルナドット、唇を突き出す傭兵たち、叫ぶセラス…戦場に似つかわしくない緩んだ空気である。
ベルナドットはまた、煙草に火をつけた。
「へへへ…死ぬなよセラス嬢ちゃん。死ぬんじゃねぇぞ、死ぬなよな」
「…! 隊長も、皆さんもッ!」
いい夢をみれた、と思う。ベルナドットはセラスの返事ににこやかに――満足げに微笑んだ。紫煙すら小躍りしているかのようだった。
「よおし、征け!!」
「征きますッ!!」
きっと、運命は苛烈なのだろう。今ここにいる、確かにここで生きている傭兵たちの内、再び彼女と出会うことのできる者はホンの一握り、いや、もしかしたらいないのかも知れない。
セラスもまたあのアーカードの眷属とはいえ武装親衛隊に殺されてしまうかもしれない。自分たちが勝利する確率など那由他の彼方程もないのかも知れない。だが、やらねばならない。
我々は、人間だ。人間はいつだって自分のできることを精一杯するのだ。
人間で居られなかった、人間で居ることに耐えられなかった弱い弱い化物共とは違うのだ。
今ここでこの場所を守るという
義務を達成するために全身全霊をかけるのだ。
「いい娘ですよね」
「ああ、ホント、バカみたいにいい娘だ。化物にしておくにゃぁもったいない」
「あんな娘死なせたら男の名折れだ、地獄行きだぜ、なあ、おい?」
「ですな」
「ウンウン」
「いやほんと」
「マジでマジで」
ベルナドットは紫煙を吐き出した。紫煙は熱を伴いぐるぐると回転しながら虚空へと昇っていく。
「じゃあ悪いがお前らの命をくれ。ここがお前らの命の捨て場所だ。持ち場を墓穴と思えよ」
「隊長〜〜あのねー、ここはフツーアレですよ。逃げたい奴は逃げろッとか部下は脱出させて自分だけ残るとかそーいうのですよ」
「何言ってやがる。お前ら小銭目当てに好き好んで戦争屋になった親不孝共じゃねぇか」
それはベルナドットも変わらない。彼の家は何代も前から傭兵家業、全員戦争屋、だ。数え切れない人間をぶち殺してたつきを立ててきた
狂人の家系だ。かつてはそれを恥に思った。だが今は――今はもう、恥とは思わない。
「さてと死のうぜ犬ども。
畜生、
畜生って言いながら死のうぜ。腹に銃弾くらってよ、のた打ち回って」
同意と理解を叫ぶ傭兵たちの、粗野な笑い声が死地に響いた。
ああ――
敗北が始まった。もう誰も止めることのできない狂濤が。