ジャッッ
夜の闇。 月も覗かぬ闇の中。
黒を裂いて、線が走る。
線の色は銀。
死の色を反射させる蠱惑の色。
視界が利きにくい中、荒れた地面に足を取られ、バランスを崩す。
避けたつもりのナイフが左腕に当たり、その切っ先が電気を発しながら肉の下に潜り込んでくる。
ナイフはそのまま滑り、上腕とフルフェイスのマスクから零れている黒い長髪を、一房切り裂いていく。
「────っ」
冷たい異物が体内を通っていく不快さと、熱にも似た痛みに、声を洩らしてしまう。
思ったよりも深い傷口からほとばしった液体が赤色をしていることに言い知れぬものを、あえて表現するなら安堵とでも記すべきものをどこかで感じながら、痛みを忘却するために深く息を吐く。
同時に、悲鳴にも聞こえる叫びをぶつける。
「ファンデブ!」
赤く発光し、棒状のバトンからサーブルへと形状が変化した剣で、今まさにこちらに向かって二撃目を放とうとしていた相手の右腕を斬り落とす。
ドッ
「ギキィギイィィィ──」
切断された腕が地面に落ちるよりも速く、今度はこちらから二撃目を込む。
切込みによって前方へと移動した重心を利用し、虫の鳴き声を連想させる音を発する眼前の敵の右側面に、自分の体を回転させながら鋭く踏み込む。
地面を蹴るのは右足。
踏み込みは左。
その二つはほぼ同時。
一度、相手に背中を向ける体勢となる。
その隙を埋めるように、長髪が風を受けて体を包むように広がり、敵の視界を遮る。
流れのままに振り返る。
自分の右斜めすぐ後ろに、硬いマスクに覆われた敵の首が見えた。
目で確認する前に、握り締めたサーブルではね斬る。
抵抗は一瞬。
そのまま腕を振り抜く。
この動きは同時に、背後からの不意打ちを空振りさせる結果にもなった。
「ふうぅぅ」
回転の勢いを殺さずに、足を滑らせて距離をとりながら、背後の敵と闇を挟んで向かい合う。
感情の見えない、黒い仮面とは目も合わず、視線も交錯しない。
蒸し暑い夜だというのに、冷たい汗が流れ出るのを感じる。
(嘘だ)
この体は汗を流さない。
この体に汗をかく機能は備わっていない。
それ以外の体温調節機能がこの体にはシステムとして組み込まれている。
汗には滑り止めとしての側面もあるようだが、やはりこの体には必要ない。
それでも、背筋に寒いものを感じる。
もとより、このような、敵と正面切って戦う戦法は自分の得意とするものではない。
女性特有の身のやわらかさと軽さより生み出せれるスピードを生かし、敵を翻弄し、スキルでレーダーを誤魔化し、敵を撹乱し、軽い剣で敵を屠ることをコンセプトに設計されているはずだ。
しかし、足は最初の襲撃で早々に潰され、加速中の要となる状況判断能力も疲労で弱まり、高性能すぎるレーダーから送られてくる情報量についていけない。
もちろん、レーダーからの情報云々は疲労に関係無く、人間の脳で処理できるものではないので、おそらくその処理をサポートする何らかのシステムが乱されているのだろう。
残ったのはシステムに頼れないこの体のみ。
息を整える。
気は抜かない。
深呼吸はしない。
別に息を静める必要はない。
心臓を意識する。
造られた、しかし今にも破れそうな鋼の心臓。
そこより吐き出される、やはり造り出された血液が刻むリズムを数える。 計る。 感応する。
その全身を廻る、全身を刻む、全身を酔わせる血液が血管を押す振動に呼吸の間隔を同調させる。 共感させる。
サーブルで敵を牽制しながら、相手を見据え、戦況を冷静に判断する。
周囲には全壊、もしくは半壊した建造物が乱立し、ゴーストタウンとでもいうべきありさまだが、この程度はものともしないレーダーによると、敵機はこれが最期。
しかし、その最期の敵は、最初に組み合ったときにバトンで転ばせたとはいえ、ほぼ無傷。
おまけにこれまでの敵と同様の電磁ナイフを持っている。
方や自分は大小の傷を負い満身創痍。
左腕も痺れが残り、満足に動かず、右手だけでサーブルを構えている状態。
もとよりサーブルは片手で扱う剣であるが、片腕ではバランスが取れない。
片腕で扱うのと、片腕しか扱えないのとでは意味が違いすぎる。
故に彼女は、この戦場における唯一の味方に助けを求めた。
シグナルを送る。
グゥオオオ──
機械的な唸り声を耳が拾うのと同時、何かの破片を踏み砕きながらも、直線上にいる敵に向かって全力で駆ける。
──ドゴォッッ
鈍い衝突音。
背後からライトもつけずに猛スピードで突っ込んできた無人のオートバイに、敵が反応する間もなく体勢を崩され、倒れこんでしまった時には、既にトドメをさせる状態にあった。
「はああぁっ!」
その胸にサーブルを深く突き刺す。
そのまま力の限りに、力まかせに腹部の方向へと、開く。
刀身は細いが、折れる心配は無い。
「キキギギギィィィ────」
断末魔と共に蠢くため、傷口が火花を散らしながら歪む。
そこから覗くのは、赤ではなく無機質な銀。
「────」
胸が痛む。
そこに攻撃は受けていないはずなのに。
目が離せない。
(死にたくない)
唱える。
(死にたくない!)
胸中で叫ぶように唱える。
痛みは治まらない。
それでも、常に多くの情報を収集しているレーダーが警告を訴える。
一瞬固まってしまった足に指令を送り、サーブルを引き抜きながら後ろに大きく飛び退く。
その一拍後、
グゥッドォォオオン
敵の体が爆発する。
暗い闇から、炎が周囲の輪郭を切り取り、浮かび上がらせる。
熱より隠れるため、逃げ出した闇が周囲に散らばり、より影の密度が濃くなる。
錯覚を覚えそうなほど濃密な闇の気配。
壁には耳があり、障子には目がある。
深い闇の中にはなにが忍んでいるのだろう。
目が。
耳が。
口が。
手が。
鼻が。
足が。
顔が。
息遣いが。
生暖かい体温が。
全てをあわせれば、一人のニンゲンが生まれる。
そこに誰かがいると思わせるには十分な、充ちる気配。
錯覚だ。
それでもしばらく彼女は、炎を骸布のように纏わせて横たわる敵の爆発跡から眼を離さずに、周囲をレーダーで念入りに索敵する。
背後にある半壊したビルの中。
足元の地面の中。
遥かな上空。
前方の瓦礫の山の裏。
遠方からの狙撃者。
光学迷彩で姿を光に潜ませる敵。
呪術はどうだ? 細菌を使う敵ならありえるかもしれない。
それとも電子的な面からのアタック?
もしくは、人工衛星からの生態系及び環境破滅型軍事レーザー砲?
・・・・・・・・・・・・。
きりが無い。結論を出す。
これほど気配を悟らせない敵がいるなら自分はとうに殺されているはずだ。と、疑心暗鬼に陥りかける自分を納得させてようやく、彼女は右手に持ったままだったサーブルを、ベルトの、妙な形状をした大きなバックルに納める。
「・・・・・・・・・・・・ん」
果たして────攻撃はなかった。
そのことを、いもしない神ではなく、自身の強運に感謝しながら、戦闘の後を振り返る。
視界に映るのは四の死体。
いずれも、スーツのような黒い鎧。もしくは鎧のような黒いスーツで全身を隙間なく被っている。
そのうちの一体は、何を身に着けていたのか判らないほど燃えてしまっているが。
「後の三体も、そうなるか」
秘密保持のためか、生命活動が停止してから数分後に、自動で爆破されてしまうのだ。
そうなればさすがに、こんな敢えて放置してある郊外の廃墟といえども、どこかの物好きが見に来てしまうかもしれない。
「・・・・・・いえ、ありえないわね」
口に出して否定する。ここから人が住んでいるところまでは随分ある。
爆発の音さえ聞こえないだろう。
とはいえ、できるだけ早くこの場から立ち去ったほうがいいことには変わらない。
スキルによって人工衛星などの電子的な目は誤魔化しているものの、いつそれ以外の方法で補足されるかわからないからだ。
それに、
「見ていて気持ちのいいものでもないしね」
やはりわざわざ声に出して彼女は呟くと、目を背けるように振り返り、先ほど自分を助けてくれたオートバイに、左腕を庇いながら歩み寄って、言葉をかける。
「ありがと。助けてくれて」
────応えは返らない。
当然だ。無人で動くのは自分が遠隔操作しているからであって、別にこのオートバイに意思があるわけではないのだから。
「そろそろ行こっか。だいぶ怪我しちゃったから、どこか修理できるところを探さないと。リカバリーシシテムも乱されちゃったし」
それでも彼女は声をかけ続ける。
独りでいても無口にはならない。ただ独り言が多くなるだけだ。
応えが無いことを知っていても。
誰かが返事をしてくれることを夢見て、言葉を紡ぎ続けるのだ。
「そうね。リスクは高くなるけど、そのためにはやっぱり都心に行かなくちゃ、ね。お金も必要かな」
何かを掬うように、開けた両手のひらを胸の前まで上げて、その指の隙間から自分の体を見下ろす。
見えるのは、先ほどまで戦っていた敵と同じような、ただデザインが違うだけの緋いボディ。
この体の状態で、鏡と向かい合う勇気は無い。
中身を守る為の硬い鎧。
機械の体を守る為の、緋く、硬い鎧。
「心は誰が守ってくれるの・・・・・・」
応えは無い。
答えも無い。
掬った手には血のような闇が充ちていた。