「申し訳ございませんでした」
色々と互いに確認した結果、俺は目の前のアインに正座をしたまま、
床に両手を着き、更に頭をすりつける様に頭を下げていた。
要するに、俺はアインに向けて土下座をしたのだ。
というのも、アインが俺のループに巻き込まれ、俺と同じ様に何度も時を繰りかえしていたからだ。
それはつまり、俺を幾度となく殺した事になるのだが、それ以上に俺は彼女に『俺』を殺させた事になる。
憎からずと言うか、親愛の情、否如何考えても愛情を持っていた吾妻玲二と同じ姿をした『俺』を、だ。
だからこその土下座なのであり、俺は彼女が許してくれるまで頭を上げれない。
頭を床にすりつけながらそう告げ、アインの許しを乞う俺。
なんとも格好が悪いが、それ以外に俺が取るべき行動は思いつかなかった。
「貴方自身が望んで、そうしている訳でもないのでしょう?
だったら、それは貴方の責任じゃないわ。
何が原因でこうなっているか、貴方にも私にも解らないのが現状。
だから、私が貴方を責める理由も無い」
土下座したままの俺に、平坦な口調で告げて来るアイン。
確かに、彼女の言わんとするところも理解できる。
が、それでも、俺が本当の吾妻玲二の様に強かったら、
3百を超えるループに彼女を巻き込んだあげくに、
2百回以上も彼と同じ姿をした俺を殺させずに済んだのだ。
床に額をつけたまま俺がその事を告げると、アインはこんな言葉を返してきた。
「貴方は彼じゃないもの。
彼は…特別だった、そう特別なひとだったの。
私は貴方に、その特別を求めては、いない…」
頭を下げていた俺には、彼女がどんな表情でそう語ったのかは解らなかった。
ただその声は、風邪をひいた時の様に、熱っぽいようなどこか痛いような、そんな声だった。
俺は改めて、アインの心の中に占める、吾妻玲二という人物の大きさを思い知らされた。
そして俺は、頭を上げてと言う彼女の言葉に従い、土下座を止めてアインの顔をじっと見つめる。
そこにあったのは、何時もの割と無表情な彼女の顔。
だから俺はそれを変えたくて、こんな言葉を口にしていた。
「本当は俺がそうするべきじゃないのは解ってる。
俺の所為じゃないのかもしれないけど、俺に償わせて欲しい。
彼の代わりに、俺が君を色の夢の場所へと連れて行く。
それが俺に出来る精一杯の償いだと思うんだ」
今迄表情を変えなかったアインが驚きに目を見開き、問いにならない呟きを洩らす。
「……どうして、それを……」
俺の答えは原作を知っているからというものなのだが、それを正直に告げる訳にもいかない。
アインとの話で説明してあるのは、吾妻玲二とは異なる存在である俺が、
何故か吾妻玲二の身体に入ってしまい、ループを繰り返しているという程度だからだ。
「さっきの話の補足になるが、俺には彼のいくつかの記憶がある。
その記憶の中での事だが、彼は君とそう約束していた。
……どうやら、君も彼との約束は覚えているみたいだね」
俺の言葉にアインは目を伏せて黙り込む。
否定はしないところを見ると、恐らく約束を覚えてはいるのだろう。
しかしながら、アインにとってその約束を叶えるべきは、俺でなく彼であるのは間違いない。
アインの反応から鑑みるに、俺は彼の代用品にすら成れないのかもしれない。
「……そうね、貴方には話しておいた方が良いかもしれないわね」
そう前置きして、アインはポツリポツリと語りだす。
その話をまとめるとアインにも3つの記憶が在るらしい。
サイス=マスターの命を受け、女幹部の自宅で彼と戦いそして殺された記憶。
ドライを庇って負傷した彼とドライの為に、礼拝堂で一人敵を迎え撃ちその傷が原因で死んだ記憶。
そして、彼の仇であるドライを殺す事で復讐を果たし、全てが虚ろになって果てた記憶。
全てが、アインにとってのハッピーエンドとは程遠いものだった。
それでもアインは、全てが充実した生だった、と言って薄い笑みを唇に浮かべて見せる。
アインのその表情と台詞に、俺はショックを受けていた。
本来の俺には関係のない、ファントムという物語の登場人物であるはずのアイン。
その彼女が、如何しようもなく愛おしく思えてきたのだ。
何時までも醒めない夢だと思っていた俺の心に、突き刺さる現実感。
思わず彼女を抱きしめたくなり、けれど俺は自重した。
本来の彼ならともかく、好感度の低い俺が抱きついたとしたら、
ぶん投げられた上に間接を極められてギブアップ、というオチが見えてたからだ。
今の俺に間違いなく言えるのは、俺はアインの求める『彼』じゃない、と言う事だ。
そして恐らくだが、へっぽこな俺では彼の代用品にすら成れやしないのだろう。
だが、俺は、そう、彼女を愛おしいと思ってしまった、彼女を幸せにしたいと思ってしまった。
単なる原作のファンであった頃からも思っていたのだが、アイン達はもっと幸せに成って良い筈だ。
モニターの向こう側に広がるゲームの世界の話であったなら、
誰かを救う選択肢によって誰かが救われなくなるは、仕方が無いのだろう。
けど、今俺が現実と感じているこの世界でなら、皆が幸せになるという選択肢を選べるのかもしれない。
勿論、俺と彼ではその能力が違いすぎるので、全てが悪い方向に転がる可能性もあるのだが。
とにかく俺は、前に進むことを改めて決意した。
「……アイン、俺はやるよ」
「……そう。
貴方は貴方のしたい様にすれば良い。
私は私の為に動くだけだから」
決意の末に搾り出した俺の言葉に、何ともそっけない答を返すアイン。
だが、俺には決意を否定されないだけでも、在り難かった。
そう、きっとコレで俺は、自分の意思で人を…。
自分の意思で人を殺せる、……そう思っていた時期が俺にも在りました。
結論から言えば、ヘタレの俺はあの決意から15回も試験に失敗し、
アインと供に更にループの回数を重ねる事になった。
俺はまだ、人に銃口を向けて、引き金を引く事が出来ないでいたのだ。
繰り返しの中、アインは俺を責めるでも無く、
コレまでと変わらぬ様子で俺を鍛え、そして試験に送り出していた。
勿論、俺は繰り返すたびに謝罪に言葉を重ねるのだが、アインはただ首を横に振るだけ。
謝る暇があるのなら、己を鍛えて早く試練を乗り越えろ。
徹底した訓練漬けの日々に、俺はそんなアインの意図を感じ取っていた。
が、それでも俺は自らの意思で人を殺せなかった。
申し訳なく思うし、何とかしたいと努力はするのだが、どうしても俺は人を殺せないでいたのだ。
そうして永遠に続くかと思えた繰り返しの日々は、
アレから16回目のループで終止符を打つ事になるハズだ。
なぜならば、俺が自身の意思で人を殺せたからだ。
ただ、俺が最初に殺したのは、試験の相手の男ではなく、サイス=マスターだった。
そうあれは、アインと俺が腹を割って話し合った時に、
とあるサインを決めた事が最初なのかもしれない。。
ループの始まりにお互いが繰り返している事を示すもの。
そのサインの交換を確認し、始めるのは演舞にも似たナイフコンバット。
何時もの繰り返しの最初にある、アインとの近接戦の事だ。
サイス=マスターとクロウディア=マッケネェンの前で、俺とアインはナイフを片手に踊る事になる。
あの男には見破られない程度に殺し合いに見えるそれは、
舞台上の演技者全てが真剣を用いた殺陣のようなものだった。
幾合かナイフで鎬を削った後、俺がサイスにターゲットを変更。
俺の狙いを阻止する為、体勢を崩したアインを組み伏せて停止。
直後俺が一瞬気を緩め、その隙に顎先をアインに素手で打ち抜かれて気絶。
取り決め通りの展開なら、アレから16回目のループもそうなるはずだった。
しかしながら今回は、アインのフォローが間に合わず、
サイス=マスターは俺のナイフの一撃を、無防備に突っ立っていたその身に受ける事になった。
今回は、そのサイスを貫いた事で出来た俺の隙を突き、アインの打撃が俺を捉えて意識を奪ったのだ。
そして先ほど目覚めた俺に、アインが告げてきた。
貴方の一撃で致命傷を負ったサイス=マスターは死んだ、と。
いつもと変わらぬ様子で坦々とその事を口にするアイン。
自分がサイスマスターを、そう人を殺した。
まるで現実味を帯びないその言葉を聞いた俺は、そうか、と生返事を返す事しか出来ない。
そんな俺をアインはベッドから出るように促し、そして部屋の隅に連れて行く。
そこの壁に立てかけてあったモップを手に取り、俺へと手渡すアイン。
「掃除しておいて。死体は私が処分したわ、貴方も後片付けくらいはしなさい」
目の前の床に広がる赤黒い水溜りのようなものを指差し、アインが告げる。
部屋の入り口の方に向かって、何かを引きずった様な跡を残しているソレが、
サイス=マスターが残した血溜まりだと俺はようやく気が着いた。
その認識をした直後に、こみ上げてくる嘔吐感。
俺が人を殺した。
アインの指導の元、何百日と人を殺す訓練を重ねておきながら、
それでも俺の精神は、人を殺したという事実に耐性を持てずに居た。
「吐くな」
強烈な殺気と供にアインから叩きつけられる言葉。
そして、上がってきた嘔吐感は呆気なく霧散する。
と同時に、俺の身体は手にしたモップを放り出してアインへから距離を取り、臨戦態勢を整えていた。
直後、アインの殺気は消えうせ、そして俺も身構えていた身体の緊張を解く。
ここまで過敏に殺気に反応したのは、コレまでの厳しい訓練で身に付いた反射的な行動。
だが、そんな事で精神的な失調である嘔吐感まで押さえられるとは、予想だもしてなかった。
殺気をぶつけたのも、アインなりの荒療治といったところなのだろう。
「すまない、アイン。直にでも片づけを始めよう」
俺は彼女が持って来たモップとバケツを改めて受け取り、部屋にこびりついたままの血を拭う作業に入る。
血の臭いで再び嘔吐感が盛り返してきたが、俺はそれを無理やり飲み込み、ただモップを動かした。
嘔吐感はまだもやもやと残っていが、作業自体は10分もかからずに終了する。
なんだ、こんなものなのか。
原作には無かったサイス=マスターの死。
俺が初めて犯した殺人。
にも、関らず俺はそんな感想しか抱けなかった。
使った道具の片づけを終えた俺を、アインが呼びつけて、いつも寝ているベッドに座らせた。
何か言われるのだろうか?
そんな疑問を思い浮かべた俺の頭に、アインは両手をまわすと、そっとその胸に抱いた。
何を?と聞き返す前に、アインが俺に告げてくる。
「泣いていいのよ、今は泣いていい」
いつもよりも、ずっと優しい声でアインが俺に呼びかける。
いや、大丈夫だから、と振り払うよりも早く、俺は涙をポロポロと流し始めていた。
止めようと思っても涙は堰を切った様に止まらず、
アインの胸に抱かれて俺は嗚咽をあげながら泣いて泣いて、
そうして泣き疲れるまで泣いた俺は、そのままアインの胸の中で寝入ってしまった。
アインはそんな俺が再び目を覚ますまで、
何も言わず優しい手つきで、俺の頭をずっと撫でていてくれた。
その後、俺はコレまで落ち続けていた試験にあっさりと無事に合格した。
それはつまり、インフェルノのトップスナイパー、ファントムの片腕となる事をも意味していた。
正式にアインの補佐に付く事になった俺は、その生活の拠点を移す事になる。
恐らくはロサンゼルスの一角に在るアパートに、アインと二人で住む事になるのだろう。
今迄だってアインと二人で訓練漬けの日々を送っていたのだ。
コレまで環境から大きな違いが在る訳じゃ無いだろう。
インフェルノの任務、つまりマフィアの要人の暗殺等に、今後は俺も参加する事になる事以外は。
そんな事をつらつらと考えている間にも、どうやら目的のアパートに到着したようだ。
車を置いてくるから待っていて。
そうアインに言われ、荷物の入った一つのバッグと供にアパートの前に放り出された俺。
これから住む事になる場所とは言え、身に付けたピッキング技術で、
勝手にドアの鍵を開けて、アパートに入る訳にもいかない。
手持ちぶたさに何となく回りを見てみたが、ここいらが貧困層の居住地であると言う事が解っただけ。
通りに面して乱立する建物の窓から、幾つかの視線を感じる。
人通りは少なかったが、逆にこんなところで立ち尽くしている俺が目立っているのかもしれない。
ふう、とため息を吐いた俺は、かなり近くから向けられている視線を感じ取った。
が、誰が見ているとも解らぬ此処で、殺し屋として鍛え上げられた反応をする訳にもいかない。
ゆっくりと視線の方へと意識を向けると、其処にはあまり見覚えの無い少女が一人立っていた。
だが、その少女の名を、俺は知っていた。
「……キャル=ディヴァンス……だと?」
身体を硬直させ、思わず口にした少女の名。
それに応える様に、少女は駆け出し、レイジ!という声と供に俺に飛びついてくる。
そして俺は、さっと真下に回りこむと腕を掴みつつ、両肩を使い少女の身体を跳ね上げる。
少女の身体はくるりと空中で半回転し、背中側から地面に落ちる形になる。
瞬間的に反応した俺の身体が繰り出したのは、所謂柔道で言うところの肩車と言う技だった。
ビタン。
掴んでいた腕を引き上げた事もあり、少女はそう酷く身体を床に打つ付けはしなかった。
が、それでもコンクリート製の地面に叩きつけられた事に違いなく、
それなりの痛みは在ったのか、目に涙を滲ませながら、恨みがましい視線で俺を見上げてくる。
罪悪感が俺のチキンハートを蝕んでくるが、俺は上手い言い訳を並べれずに居た。
考えるよりも先に身体が反応したってヤツだから、仕方が無いじゃないか。
とは、言える雰囲気ではなかったし。
そして俺は……。