「……佐助……」
茶色のシンプルな着流しを着て、上田城の縁側に腰掛けると、幸村は忽然と姿を消してしまった信頼のおける部下の名前を呟いた。
「佐助!」
返ってくることはないと頭の中では分かっていながらも、幸村は先程よりも大きな声で虚空に向かい名を叫んだ。しかし当然ながら返事が返って来るはずもなく、幸村の叫びは静かに響き渡っていく。
「ふ、どうした
小童。戦わぬのか?」
ブン、と自らの得物を空気を切り裂くように一文字に振るった。信長の言葉で我に返ると、腹心の部下である佐助が消えることとなった信長を思い切り睨みつける。その眼差しは只人ならば気絶してしまうかという程のものだった。
「貴様……佐助をどこにやった!!」
「佐助――ああ、あの珍妙な服を着た忍のことかぁ? そのような些事、我が知る訳なかろう?」
「些事、だと!?」
ニヤリと表すのが相応しいであろう笑みを信長が浮かべる。自らの部下の消失を”些事”と表されたせいで幸村の怒りは一気に頂点に達した。
「貴様だけは許すまじ! この真田幸村が討ち取ってくれる!」
幸村が二槍をギュウと力一杯握り締めて
咆哮する。そのまま信長に突進する勢いの幸村に、一人の男の声がかかった。
「幸村ぁ! 感情だけで突っ走るでないわ!!」
馬を駆り、荒々しい風のようにその場に現れた、貫禄のある男は――
「おっお館さま!」
”戦神覇王”武田信玄。信玄こそが幸村が「お館さま」と呼び慕う人物である。
現れた信玄に向かい、幸村は常の癖で呼び返していた。信玄は馬から降りると威圧感を漂わせて幸村へと近づいていく。
「お館さ――」
「馬鹿もん!!」
叱責すると、幸村の右頬を思い切り殴り飛ばした。風を切って幸村が吹っ飛んでいく。井戸らしきものに思い切り派手な音を立ててぶつかると、普通の人間ならば立つことはおろか、意識を保つことでさえ困難な信玄の拳に耐えて立ちあがった。
「感情のみで相手にかかっていくのが愚かなことだと何度言えば分かるのだ!」
「もっ申し訳ありませぬお館さまぁぁぁっ!!」
ふとすれば土下座してしまいそうな勢いの幸村に、信玄は「うむ」と頷く。
「分かればそれでいい。――ところで魔王よ」
「何だ甲斐の虎」
「今我らが戦うべきではないというのは分かるな?」
信玄の何か含みのある言葉にツ、と目を細める。
「何がぁ……言いたい?」
信長の警戒した様子に信玄はフッと強気な笑みを浮かべた。
「謙信さま、お待ちください!」
「わたくしのことはしんぱいありませんよ、わたしのかわいいつるぎ」
信玄同様馬を駆って現れた中性的な男と、スタイル抜群の金髪の女に幸村と信長は揃って目を瞠る。
「軍神……貴様らぁ……。同盟でも結んでおったか」
「わたしたちのあいだにどうめいなどそんざいしませんよ。わたしはただ、かいのとらがきんきゅうというしらせをきいて、えんごにさんじたまでです」
不敵な笑みを浮かべて言う謙信に信長も同じく不敵な笑みを浮かべた。
「確かに分が悪いかぁ……。ひとまず引くとするかぁ」
「!! 待て魔王っ!」
幸村が引きとめようと叫ぶが、信長は颯爽と馬に飛び乗ると、一度も振り返ることなく去って行った。
「魔王、信長……っ!」
ギリ、と音がするほどきつく歯を食い縛る。だが、佐助が消えてしまったのは他ならぬ自分自身の過失だということに、幸村は心の中では気がついていた。
自分が安易に飛び出していったせいで佐助が庇わなければならなくなったのだ。自分が感情をきちんと制御できれば……と、幾度目か分からない呟きを心に落とす。
「――佐助」
頼むから無事でいてくれ、と心の中で、これまた幾度目か分からない呟きを心に落とした。
「――旦那?」
どこからか聞こえたような気がする、自分の主の声に佐助は顔を虚空に向けて呟いた。